改訂 火魅子奇譚八帝伝 第一章 邂逅 (H:小説版 M:九峪・その他 J:基本シリアス)
日時: 01/11 13:08
著者: 青樹

火魅子奇譚八帝伝 
第一章 邂逅


 強い日差しが野に照りつけ、周囲に生きるものたちを焦がさんとする中に彼はいた。あ
まりの暑さのためか、普段は身につけているブレザーも肩に掛け、Tシャツ一枚になって
ひたすらに歩き続けていた。

「おいキョウ〜、まだ歩くのか? さすがの俺もキツイぞ?」

 耶麻台国の元副王なるものを求めて、道無き野を歩き続けること三時間。ただの野っ原
ならば、さしてきつい道程ではない。
 しかし、日がギラギラと照りつけ、辺りを見回せば陽炎がたゆたう様な状況で、休憩無
しで歩き続けることは現代人の九峪にとって、それはもうキッツイ所業だったのである。

「はぁ〜、九峪はひ弱だなあ。こっちの人間ならもっと早く、もっと遠くまで行けてるよぉ?」

 お空にプカプカ浮かんでいる不思議生物が、九峪の目の前で呆れたように腕を組む。
 その行動にいたく怒りを覚えた九峪はガシッと目の前の物体を掴み、キョウの首も折れ
よとばかりに、ズビシッとデコピンを繰り出した。

「ふぎゃっ!!」

「バカヤロウ、てめぇ空飛んでるじゃねえかよ。こちとら二本の足で偉大な大地を歩いてんだよ」

「うぅう、でもさ、別の反応がどんどん近づいてきてるんだよ?」

 涙目でそう言ってキョウは頭から生えている触角と思しきものを指差した。なるほど、
確かに触覚の一本がある一定の方角を示してピコピコと揺れていた。

「別の反応って何だよ? お前がさっき言ってた、女王候補ってヤツか」

「う〜ん、そうじゃなくて。この感覚は、別の神器かな」

「っつーことは、持っている『人間』が来るって事か・・・・・・。まずいな」

 渋面を作り、なにやら考え出した九峪をキョウは不思議そうな目で見つめた。

「ねえ、九峪。何でそんなに焦ってるのさ?」

「バカ! 神器を持ってる奴が敵か味方か判らないのに、のほほんとしてられるかよ!」

 焦る九峪を宥めるようにキョウは笑顔を浮かべて言った。

「あ、大丈夫。この感覚は多分、蒼龍玉だから」

「はあ? それが何の保証になるんだよ。さっぱり解からんぞ」

「僕は神器の中で一番位が高いんだ。で、他の神器とはある程度感覚が繋がってたりす
 るわけ、で、なんだけど。近くに神器が在ると、それを持っている人間の気がわかる
 んだよね。この気は、間違いなく元副王の伊雅だと思う。だから大丈夫だよ」

 キョウが胸を張って安堵をにじませながら、自慢げに断言した。

「ふ〜ん、こっちが会いに行くまでも無く、会いたいヤツがむこうから来てくれるってワ
 ケね。んじゃあ、これ以上歩くのは意味が無いな。こんな天気じゃこっちが倒れちまう」

 九峪がギラギラと太陽輝く天を振り仰いで、脱力気味にしゃがみ込んだ。

「はぁ、しょうがないなぁ・・・・・・確かあの森の奥に、天の火矛様を祀った神社があったは
 ずだから、そこで休憩しようか?」

 キョウが進行方向に対して右側にある森を指し示した。遠目にも巨木が連なり、古い原
生林だとうかがい知ることが出来た。

「あのよ、その神社に行くまでに小川か泉はないのか?」

「多分、災害で地形が変わって無ければの話だけど、小川が一本流れていたはずだよ」

「助かるぜ。いい加減、喉も渇いていたし汗も落としたかったんでな」

 九峪は「よっ」と掛け声を発して立ち上がるとテクテクと森へと向かって歩き始めた。











 話は、九峪とキョウが森に踏み込む四半刻ほど前に遡る。森の奥、キョウが示した神社
の向こう側に村々を繋ぐ一本の道があった。

 その道の少し開けたところで妙齢の女性三人がハニワのような面を着けた黒甲冑の一団
に取り囲まれていた。

「ぬかった。罠だったとはな」

 現代のメガネのような物を身につけた女性が、誰ともなしに呟いた。彼女達には何十本
もの鋭利な鉄剣が突きつけられている。

 唐突に鉄剣の一角が左右に開くと、軽装の女が一人で彼女達の前に歩み出た。

「ふん、こうも容易く引っかかってくれるとは少々拍子抜けだな。おい、最近この近辺で
 兵を募っている耶麻台国関係者とはお前達だな?」

「何だ、貴様はっ!」

 眼鏡の女性が語気鋭く叫ぶ。だが、一方の女は何処吹く風と怯んだ様子も無く、薄ら笑
いまで浮かべて切り返した。

「人に名を尋ねる時は、まず自身から名乗れと教えてもらえなかったのか? それとも、
 九洲のような野蛮な地ではそれすらも教えないのか? あっはははははははっ!」

 女の笑いに呼応するかのように、周りで剣を構える黒甲冑の兵も笑いを漏らす。が、笑
いの渦の中にあっても兵達の殺気は納まってはいなかった。

 極小の針が肌を刺すような感覚は、むしろ増大した様に囲まれた女性たちには感じられ
たのである。
 そんな中で、眼鏡の女性は歯軋りをして屈辱に耐えていた。今、激発してもそれは死に
他ならない。それがわかっているが故にこそ歯軋りをするしか出来なかったのである。

「はっ、なんだ? 名乗ることすら出来んか。ならば名乗ってやろう。私は深川、偉大な
 る狗根国・第三左道士団百人隊長だ。さあて、冥土の土産は・・・・・・もういいだろう? 
 やれっ」

 深川の一言で周囲を取り囲む兵達の殺気が今まで以上に膨れ上がった。

「(衣緒、なんとしても星華様だけはお守りするぞ)」

 眼鏡の女性が、傍らにいた、棍を構えた歳若い巫女に小声で話しかける。

「(命に代えても!)」

 衣緒と呼ばれた巫女が棍を握る手に力を入れるや、その二の腕には歳若い女性には似つ
かわしくない筋肉が盛り上がる。

 二人はもう一人、流れるような栗毛と豊かな胸を持つ巫女を、背中合わせに守るように
陣形を変えた。
 ジリジリと三人を取り囲む輪が狭められる。最内の兵が腰を落とし、ゆっくりと剣を肩
口に構える。どうやら一斉に刺し殺す腹積もりらしい。

 三人はその一撃目をかわして逃げようかと外周に目をやるが、その外周の兵が内側の兵
に呼応するように剣を構え第二の矢を成している。どうあっても逃がす気は無いようだっ
た。

「ちっ、覚悟を・・・・・・決めるか」

 自分ひとりでも最後に華々しく散ってやろう。眼鏡の女性がそう結論し腰の札入れに手
を伸ばしたそのとき、それは空から下りてきた。

「・・・・・・・・・ぇちゃ〜〜〜ん! ふせてぇー!」

 否、落ちて来た。現代で言うところのグライダーのようなそれは、落下と呼ぶにふさわ
しい速度で降下してきたかと思えば地上十メートルぐらいで急激に上昇する。人の握り拳
より二周りほど大きな石を置き土産に。

 三人はその石を見るや即座に伏せて防御体制に入った。それが何なのかわからない狗根
国兵は石を避けようと剣で石を薙ぎ払った。

 刹那―――、轟音が辺りを支配する。石が爆発したのである。石は降ってきた分だけ誘
爆を繰り返し、あたり一面を薙ぎ払った。
 剣で薙ぎつけた敵は半身をもぎ取られたかのような、無残な姿でどう、と倒れた。その
周囲にいたものも多かれ少なかれ何らかの手傷を負っている。

「炸裂岩かっ! 舐めたマネを・・・・・・禍し餓鬼っ!!」

 深川の手から上昇を続ける飛行物体に髑髏状の左道が放たれた。断末魔とも怨嗟とも取
れない声を発して虚空を駆けるそれは、間一髪少女が体を捻ったことによりグライダーの
片翼をもぎ取るに留まった。

「きゃあああっ!!」

 フラフラとバランスを欠いたグライダーは、不安定ながらも小高い山の方、丁度九峪達
が向かっている神社のほうへと機首を向けた。

「羽江っ! お前だけでも逃げろっ!! 衣緒! ああは言ったが、お前もあの方を連れ
 て逃げよ、此処は私が・・・・・・任されたっ!!」

 眼鏡の女性がグライダーの操縦者に向かって叫ぶ。一瞬だけ振り向いた操縦者はそのま
ま飛び去って行った。その後、棍を握り締めた衣緒にも指示を出し、自身は腰の皮袋からあ
りったけの札を取り出すや、敵の一角に向けて投げつけた。

敵兵の顔に張り付いたそれは、はがれずに敵兵の視界を奪う。

「お姉様っ・・・・・・、御武運を!」

 衣緒が傍らで呆然としていた巫女の腰を掴んで駆け出す。

「それで良い・・・・・・。後を頼む、天炎招来っ! 爆!!」

 先ほどから敵兵に張り付いていた札が、詞と共に爆散し、衣緒達に逃げ道と目くらまし
の土煙を作り上げる。
 手薄になった爆心地を、暴れる巫女を小脇に抱えた衣緒が駆け抜けた。ボッ、と煙の目
くらましから飛び出るや阻む敵兵を剛撃一閃、棍の一薙ぎで振り払い一目散に離脱してい
った。

「亜衣っ、亜衣ぃ〜〜〜〜〜〜!」

 抱えられた巫女の悲痛な呼びかけを残して・・・・・・。

 その場に残された眼鏡の女性、亜衣は満足そうに目を閉じた。一先ずはこれでいい、希
望は残された。ならば、この場に留まった自分の仕事は出来るだけ長く時を稼ぐこと。
そう、私は次の耶麻台国の礎になる。


 一種、自己陶酔とも取れる思考の中に亜衣は埋没していた。それは、四面楚歌という絶
望的状況の中で死を覚悟した、彼女なりの自嘲だったのかもしれない。

「さて、やるかっ!」

 亜衣が再び腰の袋から札を取り出し、煙幕が晴れる前に行動を起こした。周囲に向けて
札をばら撒き、それを連鎖稼動させていく。

「天雷召喚! ・・・・・・轟っ!」

 バチバチッ、と輝く蛇が辺りをのたうち亜衣の周囲を薙ぎ払った。吹き飛ぶ煙幕に紛れ
て、幾人かの敵がそれに巻き込まれ吹き飛ぶ。

「ま、だ、まだぁっ! 散!!」

 亜衣の声に連動して光の一部が飛び散り、敵を貫く。数瞬の空白が亜衣の周囲に訪れた。


 このままいける。私も逃げられるかもしれない。そう彼女が一瞬だけ、ほんの一瞬だけ
気を緩めた時だった。

「そこまでだ」

「!? くっ・・・・・・!」

 亜衣が気付いた時にはもう遅かった。方術の間隙を縫って、敵の指揮官深川が短刀を亜
衣の腕めがけて投げつけていたのだ。
 自身を狙う黒塗りの刃に気付いた亜衣が回避を試みたが、それすらも計算通りであった
のか更にその影にあった第二の刃が、過たずに亜衣の右腕を貫いた。

 辺りをのた打ち回っていた蛇が霧散し、ガチャガチャと鎧のなる音が亜衣の周囲を支配
する。

「くそっ! まだグッ!!」

 動かない腕を無視して腰の袋から札を取り出そうとした亜衣のわき腹を剣が掠めた。掠
っただけとは言え、深めに入ったその傷は焼けた鉄棒を押し付けられたような感覚を亜衣
に与える。

 しかし、それでもなお抵抗を続けようとした亜衣の後頭部が殴りつけられた。思わず倒
れこみ、地に着いた手には更に剣が突き立てられる。

「・・・・・・っ!!! くぅ・・・・・・」

 歯を食いしばって、地に縫い付けられた手の激痛に耐える亜衣の下に深川が歩み寄って
きた。

「フン、剣を突きたてられても声を上げんとは。中々に見上げた根性じゃないか、ええ?」

 明らかな嘲笑を含んだ声に、亜衣が顔を上げて深川を正面から睨みつけた。しかし、深
川は実に愉快と言わんばかりに笑みを崩そうとはしない。

 深川には敵の魂胆が読めていた。煙幕を焚き、それを離脱と攻撃のために使う。瞬時に
それを読んだ彼女は一定の兵を捨て駒に、残りを一旦下がらせていたのである。

「いいねえ、亜衣とかいったか。お前は実にイイ。その気丈なところといい、見た目頭が
 良いようでその実抜けているところといい、な」

「なん・・・だと? どういう意味だっ・・・・・・」

 深川の物言いに疑問を感じた亜衣が、痛みの下で深川を問いただす。無論その目は相手
を睨んだままだ。

「さぁてなあ。ふむ、では少しだけ教えてやろうか。一つ、我々は隊を三つに分けている。
 一つ、残りはこの街道の先つまり先ほどの二人が逃げていった側と、反逆者の根城にな
 っているらしき廃神社にいる。さて此処から導き出される解答は? 後は自分で考える
 ことだ」

 途端に亜衣の顔が、青いを通り越して白くなった。

「しまった・・・・・・、花火様っ、衣緒、羽江っ! くっ、ああっ!!」

 手を貫く剣を無視して、立ち上がろうとした亜衣の太腿が切りつけられる。再び力なく
地にしゃがみ込む亜衣を、深川は声をあげて嘲笑するのだった。

「まあ、そう焦るな。じきに後二人、いや三人か、こちらに送られてくるはずだからな。
 全員そろったら、あの不思議な乗り物に乗った奴から殺してやろう。 奴には借りが有
 るからな?」


 その後、そう時を待たずして、ボロボロになってところどころ傷だらけの衣緒と髪の乱
れた巫女が狗根国兵に捕らえられて姿を現した。どうやら相当激しく抵抗したようだが、
力及ばず捉えられてしまったようだった。


 一箇所に集められて、座らされた三人は一先ず捨て置かれた。最後の部隊が帰ってこな
いことにヒスを起こした深川は、一先ず軍議のために場を離れていたのである。
三人の周りに人はおらず、手と胴を縛られて木に繋がれていた。

「衣緒・・・・・・すまん・・・・・・」

 亜衣は、掌と腿から血を滴らせながら縛られたまま、自身の妹に頭を下げた。衣緒は首
を横に振っただけで、横に座る傷ついた姉を労わる様に見遣った。

「星華様・・・・・・申し訳・・・・・・ありません」

「よいのです、亜衣。今回は敵が上手であっただけ、それよりも貴方の傷の方が心配です。
 それに、早く逃げ出して羽江を助けなければ!」

 このとき、亜衣の心は申し訳なさと共に希望に打ち震えていた。


 この人は、この人はこんな状況にあっても希望を失ってはいない。我が身はこの方の下に
あることを誇りに思おう。

 そう意志を新たにした亜衣は、星華に励ますように笑顔を見せた。

「何のこれしき、ご心配なく。星華様、今は無理に逃げ出そうとせずに機を見るが上策か
 と。今のところ敵に我々を殺そうという意志は無いようですし」

 先ほどの深川の言葉から察するに、羽江が連れてこられるまではとりあえず殺されまい。
そう考えた亜衣は、星華にこのように告げたのである。

「そうね、ではその見極めは一任します。今の私に出来るのはこの程度・・・・・・」

 そう言って星華が亜衣の足の傷に何とか手をかざした。ポウ、と、輝きが星華の手から発
せられ、亜衣の足の傷を少しずつ癒してゆく。

「せ、星華様!? この力は一体・・・・・・」

「方術の応用です。最近身につけたのだけど、まだ少ししか癒してあげられないの。ごめんな
さい」

「いえ! もったいのうございます」

 しばしの間、星華の治療は続いたのだった。

















 その頃、九峪はキョウの言葉通りに清流を見つけて一休みしていた。古い木々の間を、
水の流れる音と川面を渉る風がただ満たしていく。

「ふう、癒されるぜぇ。なあ、キョウ? 神社までは後どのくらいだ」

「ん〜十分も歩けば着くぐらいかな。ここからは結構近いところに建っていた筈だし」

 九峪は川べりの平らな大岩に腰掛けて顔を拭っていた。この世界へ飛ばされる前、たま
たま幼馴染として育った少女と共に訪ねた遺跡。そこの責任者でもある彼女の保護者を、
手伝った時の汗拭きにでも、と持っていた手ぬぐいを水に浸して濡らしてある。

 周囲の気温が先ほどまで歩いていた平原に比べて、かなり低いこともあってか完全にク
ールダウン体制に入った九峪はそこに体を横たえた。
 キョウはキョウで、葉の上で昼寝でもしているのか姿を消している。


 爽やかな風が川の上を駆け抜けていく。さらりと九峪の頬を撫でた風は木々の葉を揺らし
九峪の額に木の葉を落とした。それを拾い上げて、九峪はあることに気がついた。

「ん? (ココは・・・この近辺の龍門か)」

 木の葉を指で弄びながら、九峪の脳裏にかつての記憶がよぎる。

「そうか、アレなら今でも使えるかな。感覚は覚えているし」

 九峪が岩の上で胡坐をかく。掌を胸の前で合わせる手前で、少し離して固定し集中を始
めた。

「煉成化気・・・・・・煉気化神・・・・・・」

 精神を集中させるためだけに言葉を紡ぐ。意識は自身の内面へ。九峪は、自身の司って
いた事象を呼び起こす。

 手の間に火が燈る感覚。それはまだ小さい、マッチを擦ったとき程度の小さなもの。先
ずはここが限界。そこから自身の気をもって、更に少しだけ大きくする。
 これでやっとロウソク程度。これを更に大きくするには、今は自身の力では成し得ない。
そこで、この世界の力を借りる。九峪の座る場所は地脈の門。そこから吹きだす力の風が
火を大きく育てる力となる。

 自身はただの器、その役割はただ力の風を火に伝えるのみ。指向性を持たせるのみの存
在として認識を開始する。火は風を受けて炎を経て焔へと大きくなる、それを体の中を通
し、定着させる。

 いつしか小さな火は強大な爆焔となった。それを少しずつ体に馴染ませる。九峪の額に
は先ほど以上に汗が浮かび、表情は険しい。

 強い力を体に馴染ませるには少し時間がかかる。それには若干の痛みと熱を伴うのである。

「ふぅ〜〜(錬気精生はまだ、かなり難しく感じるなあ。でもまあ、これで当分は増幅状態
 でいられるから、助かるっちゃあ助かるんだけどな)」

 吹き出た汗をもう一度手ぬぐいで拭って、ゴロンと横になって目を閉じる。

「さて、どうするかね・・・・・・」

 九峪が涼しい風を感じながらゆったりとしようとした時だった。突然、バキバキと何か
をへし折る音がする。

「なんだ?」

 よっこらせっ、と爺むさい掛け声で起き上がって九峪が辺りをキョロキョロと見まわす。
別段おかしいところは見受けられない。

 それは九峪を横ではなく縦から急襲した。

「きゃぁ〜〜〜〜! おっちるぅ〜!!? って言うか死ぬ? 死ぬの?」

「なっ! 上か!?」

 木の上から落ちてきたものを、とっさに九峪が受け止めた。どさっと言う衝撃に耐え切れ
ず九峪が尻餅をついた。

「っ痛ぅ〜〜。一体なんだ?」

 尻の痛みに耐えながら九峪が自身の腕の中を見ると、ダイバースーツのようなものを身に
つけた年端も行かない少女だった。

 彼女はまだ落下している気持ちでいるのか何やらブツブツと呟いている。

「ああ、こんなところで死ぬのね。ゴメン、お姉ちゃん約束は守れなかった。美人薄命っ
 て言うけれどぉ、やっぱり私みたいなかわいい子はこんな若さで死んじゃうんだ。あ〜
 あ、まだまだいっぱい創りたいものもあったし、好きな人も作りたかったし、星華様以
 上にばいんばいんになる姿を見たかったなあ。あ、でも亜衣姉ちゃんみたいにお腹がた
 るむのは嫌だなあそれに・・・・・・(以下省略)」

 もの凄い早口で個人名を挙げつつ、ブツブツと呟く少女がちょっぴり怖かったりもした
が九峪は意を決して話しかけた。

「おい、おいってば! シッカリしろ!?」

「・・・・・・それにぃ、衣緒姉ちゃんは鍛えてばっかりだしぃ。そんなんだから筋肉に恐れを
 なして男が寄ってこないってわからないのかなぁ」

 しかし反応は無い。この子はどうやらあっちの世界に行ったきりのようだ。仕方が無い
ので九峪は伝家の宝刀、デコピンという名の気付け薬を使うことにした。

「許せよ? てやっ!」

 ぺキッ、と骨か爪の当たる容赦のかけらもない一撃が少女の額に決まる。

「ふぇ、ふにゃああああああああっ! いったーいっ! 何すんのよぉっ!? ってあれぇ?」

「気がついたか? それならそろそろ降りてくれると有難いんだけどな?」

 少女が自身の状態、九峪の胡坐の中にすっぽりと横座りに納まっている状態に気付くや
バッと飛び退き、恐る恐る九峪に問いかけた。

「あっ、ご、ゴメンなさい。あの、ひょっとして・・・・・・助けてくれたの?」

「ん、まあな。ところで怪我は無いか? 上から落っこちてきたみたいだけど?」

「ああっ! そういえばそうだったぁ!!」

 ころころと表情が変わる少女に九峪が苦笑を漏らした。退屈しない子だ、などと考えな
がら、少女が落ちてきた所を見上げると木の枝の重なるところに、彼女が乗ってきたと思
しきものが引っかかっていた。

「アレは・・・・・・グライダー!? 何であんなものがこの時代にあるんだ! おい、おいキ
 ョウ!」

 九峪の呼びかけにどこからとも無くキョウがフヨフヨと現れた。

「なに〜、九峪どうかしたの? って、その子どうしたのさ!?」

「いや、空から降ってきたと思ったら、あそこに引っかかってるのはグライダーだよな?
 どうなってるんだ、こっちの世界は既に空を飛べるのか?」

 九峪が梢の先を指し示す。そこへ確認のためにキョウがフヨフヨと飛んで行く。その姿
をぼーっと眺めるだけだった少女が唐突に声をあげた。

「そうだ、いそがないと!」

「あん? お、おい、どこ行くんだ!?」

 少女が立ち上がり一目散に川の向こう、九峪達の目指す神社の方角へと走り出した。が、
唐突に立ち止まり、笑顔で九峪に深々と頭を下げる。

「助けてくれてありがとうございました! わたし、急ぐからこれで失礼します。それじ
 ゃぁ・・・・・・」

 みなまで言わずに駆け出した少女の言葉は最後まで聞こえなかったが、一応感謝してい
ることだけは窺えた。

「忙しねぇなあ・・・・・・、何を急いでいたのやら」

 呆れながらも苦笑を漏らす九峪の下へキョウが帰ってきた。

「九峪ぃ〜、あれ凄いよ! 方術の力で風を捉まえて飛べるようになって、ってさっきの
 子は?」

「さあな、急いでるとか言ってアッチのほうへ走って行っちまったぞ。で? 方術でって
 事は、方術が使えるなら誰でもってことか?」

 九峪の問いにキョウが空中で腕組みをする。一応考え込んでいるんだろうが、なんだか
滑稽な姿だな、などと考えながらキョウの答えを待つ。

 しばしの沈黙をキョウの否定の答えが破った。

「いやぁ、そんなはずは無いよ。それだったら、今頃偵察機が山ほど空を飛んでるだろうし」

「じゃあ、あの子が乗ってきたアレは誰かが開発した試作機ってセンが濃厚だな」

「かもね、そういえばさ九峪。さっきの子ってアッチに駆けて行ったの?」

 キョウが自身たちの進行方向を指す。それに九峪が頷くと途端にキョウが慌てだした。

「やばいよ! あの神社に向かったんなら、あの子殺されかねないよ!?」

「はあ? 何だそりゃ、つか俺たちもそこに行こうとしてたんじゃねえのか」

 焦るキョウに怪訝な視線を送りつつ九反が疑問をぶつける。しかし、キョウから返って
きた答えは九峪を唖然とさせるに十分だった。

「さっき、あそこの神社を見てきたんだけど、今あそこには二十人くらいの狗根国兵が隠
 れてるんだ。どうやら何かを探しているみたいだったし、あのままだと間違いなく怪し
 い奴って捕まっちゃうよ!」

 一瞬九峪の動きが止まる。次の瞬間、九峪は少女の後を追って駆け出していた。

「ちっ、キョウ、急ぐぞ!」

「あっ、待ってよ九峪ぃ〜!」







 森の中を駆けに駆け、幾分広がったところに出る。それは今までの道とは呼べぬような
ものではなく、ある程度は人の通行があったことを思わせる『路』であった。

 その道は二手に分かれていた。一つは平坦な道、そしてもう一方は百段以上は確実にあ
ろうかという長い階段であった。階段の上には古ぼけた鳥居の姿が見える。

「こっちか、・・・・・・あんまり使いたくないんだけどな。贅沢は言えないか・・・・・・煉気神行っ」

 ブン、と赤い被膜が九峪の足を包み込んだ。二度三度具合を確かめるように踏み込んだ
後、一気に跳躍する。
 軽やかな足音を残して九峪の体は容易く浮かび上がった。一度の跳躍で約十段の高さを
飛び越える。逆巻く一陣の風が如き速度で一気に駆け上がっていく。

「よし、ラストぉっ!」

 最後の一跳躍を前に、グッと一段強く踏み込んだ九峪だったが、その体ははるか高みに
ある鳥居の上まで達してしまった。

「うわ! 飛びすぎたか、っとっとっとぉっ! ふ〜〜危なかったぜ」

 鳥居の上にどうにかこうにか着地した九峪であつたが、その眼下では先ほどの少女が、三
十人程度の黒い鎧を着込んだ男達によって囲まれ、捕らえられようとしていた。

「おいおい、キョウのやつ十人ばかし数え間違えてるじゃねえか。ったく、待ちやがれ!!」









 少女にとってこの状況は考えられなかった。敵に囲まれていた自身の姉達、それを救お
うと炸裂岩を取りに戻ってきたときには、こんな奴らはいなかったのだから。
 だが、それもそのはず。彼女と彼女を取り巻く敵たちは運良くと言うべきか、運悪くと
言うべきか、寸でのところで入れ違いになっていたのである。

 結局姉達を助けに行ったものの、自分は役に立ったのか疑わしい。敵の左道士の技で飛
空挺(あのグライダーのようなもの)は片翼をもがれ逃げるしか出来なかった。

『羽江っ、お前だけでも逃げろっ!』

 一番上の姉の言葉が耳にこびりついていた。

 彼女が戻ってきた時には既に此処は敵地、いや死地になっていた。神社の本堂へと続く
階に足をかけた瞬間、本堂の扉は内側から蹴破られた。

 縁の下から、森の中からそして裏手から、敵がうじゃうじゃと湧いて出てきたときに羽
江は幼いながらに悟ったのである。『ここまでか』と。
 だが、同時に『死にたくない』という思いもあった。ここまで自分を守ってくれた姉達
を助けに行きたい。


 すぐさま境内に飛び退いたものの、周りを完全に包囲され逃げ道は全く無い状況だった。
敵の指揮官らしき男が片手を上げる。きっとそれが振り下ろされた時、私は捕まる。そし
て―――――。

 最悪の結末が羽江の中を駆け巡った。慰み者にされるか、はたまたその場で斬殺か。未だ
かつて無い恐怖に体が震え、膝が笑い、立つことすら困難に感じられた。

 今まで、このような危機を何とか切り抜けてきた。だがそれは頼りになる姉たちがいてこ
その話。この時代、都合よく助けが来ることは無い。そのことは羽江より幼い子供でもよく
解かっていることだった。



 しかし、運命は彼女を見捨てていたわけでは断じてなかったのだ。


「待ちやがれっ!!」

はるか頭上からした声に誰もがその方向を、振り仰いだ。そこには――――――。

太陽を背に、見知らぬ服を着た一人の人間が立っていた。その姿は正に太陽を背負い、彼
女を救いに来た陽の化身に見えた。

 あまりの衝撃、あまりの威圧。彼女の周りにいる敵にも動揺が広がっていく。そして彼女
自身もその姿にペタリと座り込みながら一言だけ呟いたのだった。

「―――――天の陽(あめのかぎろひ)っ・・・・・・!」

 知らず、涙が溢れていた。その彼女の元にタン、と鳥居の上にいた人影が降り立つ。

「よっ、無事か? お、おい、本当に大丈夫か!?」

 屈んで声を掛けてくれたそれは、先ほど自身を助けてくれた青年だった。たまらず彼の胸に
抱きついた。

 その自分の頭を優しく撫でて、彼は立ち上がった。力強く、巨木が天に向かって聳え、その
枝の下に様々な生き物を囲い慈しむ様に。

「いい大人が寄ってたかって子供いじめかぁ!? 反吐が出るぜ!」

「ふん、たかが若造一人よ! かかれいっ!!」

 彼の言葉に、憤りを隠せない敵の指揮官が手を振り下ろした。周りの兵士が彼めがけて
襲い掛かる。

 だがそれよりも早く彼は動いていた。気付けば自分は屋根の上に座り込んでいる。下を
覗けば、そこでは一方的な戦いが繰り広げられていた。
 いくら平らなところでの戦いとはいえ、一度に斬りかかる人数は限られている。数人程
度で襲い掛かってくる敵兵の剣を、彼は巧みにすり抜ける。

 そして、彼の腕が霞んだかと思えば、敵は鎧の腹の部分を粉々にされながら吹き飛んで
いるのだ。その技は柔にして剛、むしろ綺麗とすら思えるほど自然な動きで、敵を叩きの
めしていく。

 その拳には紅い光が燈っている。それは残滓を残して霞み、敵を屠った。吹き飛ばされ
た敵はピクリとも動かなかった。

 この姿は羽江には眩しく映った。一瞬の光が敵を打ち倒す。

 まだ姉たちも幼い頃、夜中にぐずる自分に、語ってくれた古いお伽噺を思い出したので
あった。




 はるか昔、まだ姫御子がこの国を作ったばかりの頃に起きた事件。姫御子が死に、その
後の女王の御世に姫御子の生まれた一族が、この国を自身たちの物でもあると言い張り乱
行の限りを尽くした。


 それを正し、悪となった一族(天空人のある一族)を打ち破った伝説の武神。彼の者は
背に太陽を背負い、火を操ったといわれている。


 彼に感謝した人々は彼の者にとある名を送ったといわれる。それが―――――――。


「『天の陽』・・・・・・ほんとに・・・・・・?」




 羽江は彼の背に視線を向ける。大きな背中、お父さんみたいだ。そう考える最中に羽江は
眼を閉じたのだった。











続く


http://spk.s22.xrea.com/bbs/cbbs.cgi?mode=one&namber=2228&type=0&space=0&no=1&P=pass