改訂 火魅子奇譚八帝伝 第弐章 傭兵 (H:小説版 M:九峪・その他 J:基本シリアス)
日時: 01/08 13:26
著者: 青樹

火魅子奇譚八帝伝

  第弐章 傭兵


 「待ちやがれっ!!」

 九峪の声に眼下の人間の全てが視線を向けた。九峪は自身の足だけでなく、拳にも紅い
被膜を纏わせる。

 見下ろす九峪の視線の先では、先ほどの少女も驚愕に目を見開きこちらを見ていた。そ
の唇が動き、何事かを呟いたようだったが、九峪に聞こえることは無かった。

 タン、と軽やかに跳躍して少女を庇うように降り立つ。

「よっ、無事か?」

 だが少女が座り込んで、あまつさえその目尻に光る真珠の輝きに、九峪は屈みこんで更に
問いかけた。

「お、おい、本当に大丈夫か!?」

 だが、少女はただ九峪の胸に縋りつき、肩を震わせているだけだった。九峪も殊更尋ね
るようなことはせずに、ただその小さな頭を撫でてやる。

 そして、九峪はある程度収まってきたころを見計らい、やんわりとその手を外して立ち
上がった。その眼は自分達を取り囲む黒い敵達を見据えたままで―――――。

「いい大人が寄ってたかって子供いじめかぁ!? 反吐が出るぜっ!!」

 九峪の言葉に敵の部隊長と思しき男が剣を振り下ろし号令をかけ、周りにいた兵達が九
峪と少女を刺し貫かんとして襲い掛かる。
 だがそれよりも早く、九峪は少女を軽々と横抱きにして神社の屋根へと飛び移った。九
峪がいたはずの場所では、足の速い敵兵四、五人の剣が互いに合わさり甲高い音を立てた。

「ここにいろ、危ないからな」

そう言って九峪が再び境内のほうへと飛び降りていくのを、少女は呆然として見ていた。
急に起きた事柄にどうやら処理が追いつかないようであった。









 九峪は再び境内の真ん中へと降り立った。その拳には先程よりもしっかりと認識できる
ほどの輝きを持つ光を纏っていた。

「おら、来いよ。お仕置きの時間だ」

 そう呟いた九峪は左半身に構えて左腕を、掌を相手に向けるように前に突き出し、右腕を
背中に隠すように折っている。それぞれの手は軽く開かれたままである。


「ふん、丸腰で何が出来ようか、構わん! 我らに逆らうものはどうなるかを、思い知ら
せてやれい!」

 指揮官の号令の下、数人の敵が斬りかかってくる。如何に平らな境内とはいえ剣で斬り
かかろうとした時、その許容範囲は四人。これは、この境内の端に立ったことが幸いした。

 このような場合、ぐるりと囲まれていれば最悪八人に一斉に切りかかられると言うこと
も有り得る。敵が槍ならば、更に人数は増えよう。
 見たところ、敵に遠距離攻撃用の武器を持っている者は見当たらず。また中距離武器と
いうべきものも携帯している者はいなかった。

「(・・・・・・運が良かった、と言うべきかな。これは)シッ! 破アッ!!」

 九峪が真ん中の敵、二人の間にその身を滑り込ませる。同時に、腕を鞭の如くしならせ、
狗根国兵の胴の部分を掌で打ち付ける。
 右の敵は臍の上を、左の敵は左わき腹の後ろを、まるで水を手で叩き、衝撃を浸透させ
るように叩きつけた。


 爆竹が爆ぜるような、はたまた何かが割れるような音と共に二人の敵がそれぞれ別方向
へと弾き飛ばされた。

 一瞬の間に起きたことに他の二人の動きが止まる。だがそれと対照的に九峪の動きは止
まらない。
呆然としている敵の一人に、一足飛びに肉薄すると再びしなやかな腕を持って
光を伴った己の手を叩きつける。

 腕は風にたゆたう焔の如く、その威力は爆薬の如し。赤晃一閃、敵を打ち倒す光撃と後
に謡われる事になる武術。これは後に『炎鞭』と呼ばれることになる。


 瞬く間に四人叩きのめした。その何れも、胴の部分の鎧が砕かれ血が噴き出し、ピクリ
とも動かない。

「馬鹿な、あの若造の何処にあんな力が・・・・・・。ええい、かかれっ、かかれい! やつと
て鬼神ではあるまい、一斉に斬り付ければよいのだっ! 囲めいっ!!」

九峪を遠巻きにしながら、兵が二手に分かれていく。だが九峪もそれを、指をくわえて
見ているほどお人よしではなかった。

「あ〜そういうことしちゃあ駄目だな。こんなところで双腕の陣は逆効果って奴だ」

 そう呟くや、九峪は鳥居側を走る一団へと襲い掛かる。運悪く、九峪の真正面にいた一
人は鳥居をくぐり、遥か階段の下まで叩き落された。それ以外の敵も瞬く間に討ち減らさ
れていく。

それは傍から見れば、ワイヤーアクションをふんだんに使った香港映画のようであった。
敵は例外なく鎧を砕かれ、その部分から血を流してなす術無く吹き飛ぶ。

 斬りかかれば容易く身をかわし、かと言って止っていれば瞬時に大地の感触を感じる。

 それは、狗根国兵にしてみれば悪夢以外の何者でもなかった。

味方も残りは数少なく指揮官の周りを固める十人のみ。しかし、その内の誰もが既に戦
意を失い、剣先が下がってしまっていた。

「くっ、おい! 傭兵っ! 出番だぞ、こんな時ぐらい働かんかっ!!」

 指揮官が焦ったように自身の背後にある森へ怒鳴りつけた。その途端、ガサガサと茂み
が動き、一人の男がその姿を現した。

「何だ? それがしは幼子を捕らえ、殺める気は無いと先刻申したはずだが。部隊長殿?」

 男の身の丈は七尺(二メートル)前後、紫がかった髭を腹の前まで伸ばしている。顔は
堀が深く、南の血が混じっていることを九峪にうかがわせた。
狗根国兵とは違う―おそらく自前なのだろう―鎧をその身に纏い、手には大陸製と思わ
れる巨大な長柄大刀が握られていた。

「三国志の関羽かよ・・・・・・。あのリーチは不味いか・・・・・・?」

 九峪が思わず呟いた言葉は正に言い得て妙だった。その威容は正に蜀の五虎大将筆頭、
後に商売の神となった関雲長の如きだったのである。
 また、身長のせいか手足も長く、武器も柄よりも刃渡りのほうが長かった。

「幼子なぞどうでもよい! あの男をどうにかしろっ、我が狗根国に楯突いた重罪人だ!」

「ほう、・・・・・・ふむ。なれば一つ、食わせてもらった分は働くとしようか」

 男がずい、と一歩踏み出し九峪と対峙した。ゆっくりと足をずらし、大刀を構える。そ
れにあわせて、峰の部分に取り付けてある装飾の円環がしゃらりと音を奏でた。

「青年、それがしは覇晃。狗根国の傭兵なり、・・・・・・名は?」

「俺は九峪、通りすがりの旅の者さ」

 九峪はここに来る前に、キョウと自身の身分について話していた。そのとき、神の遣い
と称して求心力の一端とする事を決めていた。
だが、この場ではあえて『神の遣い』の名を使うことはしなかった。

 それは、神の遣いというものは不明確なままである方が、敵に与える心理的なプレッシ
ャーが大きいと考えたからである。

「では九峪、お前は中々の腕を持っている様子。一つ手合わせ願おうか」

 覇晃を中心として大気が張り詰めていく。覇晃の後ろにいた狗根国兵達は情けないこと
に、その気に当てられ、既に腰を抜かして座り込んでいた。

 対する九峪は、その気を何処吹く風と受け流していた。力にしてもそうであるが、強大
なものは受け止めずに力をそらし、受け流すことが肝要である。

九峪はそれを実践したに過ぎなかった。
 
そこから二人とも微動だにせず、互いの出方を窺っていたが、覇晃がニヤリと笑みを浮
かべ、腰を落とした。

「睨み合っていてもケリはつかん。こちらから行かせてもらう!」

言葉が終わるや、数瞬の睨み合いの後、挙動無しで覇晃が九峪の間合いに踏み込んだ。一
瞬の間に九峪の、顔の辺りを覇晃の大刀が輝きを残して通り過ぎる。

 九峪の顔を両断した大刀の一閃に、座り込んだ狗根国兵が沸きあがる。だがそれも束の
間、覇晃の一言によって再びその声は静まり返った

「かわすか・・・・・・、良い感をしているな」

 覇晃の目が鳥居の上に立つ九峪を見やった。

「逃げ足だけが自慢でね」

「逃げるだけか? こいつらを倒した力を見せて欲しいものだな」

 覇晃が地面に横たわる狗根国兵を見回して言った。その言葉に九峪も鳥居から降り立ち、
構えを取る。

「そいつは今から、たっぷり見せてやるさ―――――!」

 九峪の体が霞む。一足飛びで間合いを詰めて、覇晃の腕に先ほどの技を繰り出す。

「むん!」

 だが金属がぶつかり合うような音を残して二人は離れた。

九峪の一撃は、覇晃が大刀の腹で受け止めていたのである。それを皮切りに、幾度と無
く境内の中を縦横無尽に駆け回り、九峪が撃ちかかる。
だが、その全てを覇晃はしのいで見せた。それどころか追いつき、斬り返してすらいた
のである。

 境内を断続的な金属音が占めたかと思えば、連続で風斬り音がしたりもする。

覇晃とて九峪の攻撃をただ黙って受けているわけではなく、繰り出す大刀は神速と呼べ
るほどの速さを持って九峪を襲う。

 九峪はその攻撃をかわし、わずかな隙に一撃を繰り出す一撃離脱戦法を採っていたが、
二十余合目にして終に双方の一撃がかち合った。

 甲高い金属音を残して二人がそれぞれの方向に弾け飛んだ。

九峪は腕を切り裂かれ、覇晃は腹の鎧が盛大に破け、双方血を流していた。


「くっ! (速い、体はでかいのに、何て速いんだ! ・・・・・・得物が無いままだと、今は
此処が限界か・・・・・・)」

「(強い・・・・・・速さも申し分なし、思い切りも良い。惜しい、な) ぐっ・・・・・・」

 互いに睨みあう中、九峪の眼に大地に刺さる一振りの刀が飛び込んだ。位置は丁度互いと
等距離にある。

「一か八か・・・・・・勝負だ!」

 九峪の手足に纏う光が輝きを増し、九峪の全身を覆わんとじわりじわりと広がり始めた。
その光にただならぬものを感じたのか覇晃も、そうはさせじと右上に大刀を構えたまま駆
け出す。
その直後、九峪の立っていた所が爆発した。

 否、九峪が強化した脚力でもって、全力で大地を蹴り覇晃へと跳躍したのである。

「届けぇえええええっ!!」

「オオオオオオオオオッ!!」

一方は光を纏い、もう一方は猛烈な突進とその武技の巻き起こす風を纏って激突した。

轟音一閃―――――。二つの力は激突し、互いに放ったままの姿勢で固まった。九峪の
手には右へ薙いだままの刀が、そして覇晃は大刀を両手で左へ薙いだままの姿でピクリと
も動かなかった。


やがて――――――――。




カラーン




 甲高い音を残して九峪の刀が根元から折れた。そして次に訪れたズン、と重たい音は九
峪とは反対側のほうから境内に響いたのであった。





「ば、化け物だ・・・・・・」


 誰か一人が呟いた言葉は静かな境内に響いた。
その言葉に気付いた九峪が顔を上げ、悠然と狗根国兵達に歩み寄る。

 途中で九峪が投げ捨てた刀の柄が、ガシャンと耳障りな音を立てる。その音は敵の全て
に伝播し、屍の転がる境内を自分達の前に悠然と歩いてくる敵に対して恐れを抱かせた。

「ひっ、ひいっ、引けえっ!」

味 方の部下以上に、恐怖に駆られていた指揮官は撤退を宣言して、こけつ、まろびつ。
我先にと境内を逃げ出した。その後を残りの兵が続く。

 それを視界の片隅で見送って、九峪は敵の姿が見えなくなるや地面に片膝をつき、大き
く息を吐き出した。


 強かった。力が封じられて、全くでないために危ない戦いだった。九峪は思い出してぶ
るっと震えた。


 勝敗は紙一重。低い体勢から刀を掴み取った九峪は自身の刀に乗せるようにして大刀の
一撃を無理にかわし、そこから回転させた体の遠心力を利用して覇晃の腹を薙いだのだった。

「龍門で地脈の力を借りておいて正解だった。普通だったら死んでたな・・・・・・」

 限界以上に力を使ったせいか九峪の体はギシギシと悲鳴を上げている。

 しかし、九峪は軋む体を推して屋根の上へと飛び上がった。そこでは、先ほど助けたは
ずの少女が倒れていた。

 怪我でもしていたのかと不安に駆られ駆け寄ってみれば、ただ眠っているだけであった。
そのことに、一先ず安心した九峪は少女を横抱きにして飛び降り、扉の壊された神社の本
堂へと足を踏み入れた。

「つっ、おじゃま、しま〜す、っと。意外に暗いな、何か無いのか?」

 本堂内は暗く、少し先も見えなかった。そこで九峪は足先の感覚だけを頼りに摺り足で
進んでいく。

 と、カタンと何か硬いものが、つま先に当たった。

「お、何だコレ」

 一先ず、腕の中の少女を落とさないようにしゃがみ込み、足に当たったものを拾い上げた。

 それは燭台だった。ならば近くに火をつけるものがあるかと思い、移動しようとした時
にその異変は起きた。

 音も無く小さな光が燈り、それは徐々に辺りを眩いまでに照らす大きな紅い焔へと変貌
したのである。

「うっお、くっ(不味いもんに触っちまったか!?)!」

 だが、その焔は熱くは無く、触ったところで消えはしなかった。ただ、眩い光を発して
いる。

「こいつは・・・・・・なんだ?」

 疑問に思いながらもとりあえず、床に燭台を置くと、近くに落ちていた服を広げて、少
女をそこに寝かせた。

 九峪自身も座り込み、一息つく。


 さて、燭台に目を向けると随分と精巧な象嵌が施してあった。一つの胴から八つの首が
生え、その首が絡み合って燭台の胴をなしている。炎を受ける部分には口をあけた八つの
蛇頭が模してあった。

 とりあえず害は無いようなので枕元に立てて置く。そこへ、ようやくキョウが自身の本
体を担いで現れた。

「九峪酷いよぉ〜〜、なんでボクの本体置いてくのさぁっ!?」

「あ〜、悪かったよ。なんていうかさ、こんな子が殺されるかも、何て聞いて、気が動転し
ちゃってさ」

 キョウはまだ膨れっ面をしているがその言葉には渋々頷いた。

「次からは気をつけてよぉ・・・・・・。んんっ? ねえ九峪、どうやってこの子を助け出した
の? ここ、狗根国兵が二十人ぐらいいたでしょ? 外も死体で一杯だったし」

 キョウは頭に疑問符を浮かべながら、九峪を見た。九峪は、キョウの言葉に苦笑と共に
あいまいに答えるだけだった。

「ま、ちょっと武術をかじったことがあってな。でも、今回は護身術みたいなもんしか使っ
てねえよ」

「ええっ! ほんとに? お腹のとこの鎧は派手に割れてるし、結構血も出てたよ? アレ
はもう立派な武術だと思うけど」

 キョウの手がお腹のところで何かのジェスチャーをする。多分割れていることを表した
いのだろう。

「ああ、このくらいの時代の鉄はもろい部分が意外に有るんだな。で、俺が壊した時に破
片が刺さったんだろ」

「う〜ん、そうだったかなぁ・・・・・・」

「あ〜、まあいいじゃん。この子も助かったし、結果オーライってことで」

 ぎこちない笑顔で言ってのける九峪に、キョウは何か釈然としないものを感じつつも結
局は頷いたのだった。だが、その心の片隅に「疑問」というものが芽を生やしたことは事
実である。

「う、うん、まあいいけどぉ。あと、その燭台はどうしたの? 九峪、ライター持ってた
っけ?」

「なんだ、お前もわかんないのか? これ、こっちの神器かなんかじゃないのか」

 目を丸くして、九峪の後ろにある燭台を見ていたキョウの言葉に九峪が問いかけた。

「う〜ん、たしかどっかで見た気が・・・・・・」

「まあ、いいさ。今はそれどころじゃないだろ、それで伊雅とか言うヤツは今どの辺なん
だ?」

 体を折りたたむようにして悩むキョウを尻目に、真面目な顔で九峪が話しかけた。

「う、うん、伊雅たちもかなりの速さで近づいてきてはいるんだけど、九峪達の感覚で言
うと、最低でもあと一時間はかかるかなあ」

キョウが困ったように九峪の傍らで眠る少女を見遣った。その視線を追うように九峪も
少女を見る。キョウが言いたいことは九峪もわかっていた。

 多分、先ほど逃げていった狗根国兵達の一団をキョウは見ていたのであろう。一時間も
あれば余裕で援軍が到着してしまう。この場を離れて別の所へ移ることは必要なことであ
る。

 だが、先ほどの戦いで九峪の体は予想以上に疲弊しきっていた。増幅した力の七割がた
を消費してしまっていたのである。
 この身では、少女を抱えて逃げることは難しい。だが、助けてしまった以上少女の命に
対する責任がある、と九峪は考えていた。故に九峪には、少女を置いて移動するという選
択肢はなかったのである。

 虚空を見据え、悩んでいた九峪だったが、わき腹辺りの服が引かれた感じがしてその方
向を見た。

 そこには、あどけない表情で眠る少女の姿があった。いつの間にか少女の手が九峪のブ
レザーの裾を掴んでいる。

 さっきまで苦しそうだった表情が、幾分和らいでいたことに安堵した九峪は、少女の額
にかかる前髪を人差し指で払ってやった。そのまま少女の髪をなでる。
 幾分くすぐったそうに表情を和らげる少女に、思わず九峪も笑顔を浮かべた。

 少女の手が離れないように、器用にブレザーを脱いだ九峪は少女の上にかけてやる。

「うし、なあキョウ。ちょっとこの子を見ててくれないか?」

「え? いいけど。九峪はどうするのさ」

九峪は堂の外を指差して、「ちょっとな」とだけ言い残して出て行った。








男は、夢を見ていた。

遥か向こうより、じわり、じわりと染み寄って来る黒い色。そこへ向けて赤い色が切り
込んで行くが全てを切り裂かず飲み込まれる。

 そしてまた、黒い色は何事も無かったようにじわりと自分の立つ城の足下へと迫ってく
る。

「伊雅様・・・・・・」

 名を呼ばれて男は振り返った。そこにいたのは、白磁の肌を黒いなめし革の鎧に包み、
流れるような闇色の絹を頭の上でひとつに縛った女。
 この世で、ただ一人愛し、守り、幸せにすると誓ったはずの人。

「―――か!? 何故、ここにいる。お前は子を生んだばかりなのだぞ! 安静にしてい
なくては・・・・・・」

だが、伊雅の言葉は、無言で首を振る女の姿に次第に尻すぼみになっていった。

「伊雅様、この身は貴方に捧げるとお誓いいたしました。ならばこのような時に寝ては居
 れません」

「だが――――!」

 なおも言い募ろうとした伊雅の口が、女の人差し指で閉じられる。

「いいの、これは私が望んだこと。貴方は私が守って見せる。私の居場所は貴方の隣、そ
れが戦場であろうともね・・・・・・」

「あの子は、清瑞はどうするのだ。この戦は死戦、もとより生きて帰る術など無い。この
城が落ちて、これまでの全てが終わるのだぞ」

伊雅の言葉にも女は動じることは無くただ、笑みを浮かべた。優しく艶やかでそれでい
て壮絶な笑みだった。


 暗転―――――――。


 次に見えたのは、城を抜けようとして駆けている姿だった。自身の視点のようで自身の
それではない。あの時、あんなに息苦しかったはずなのに、いまは少しも息苦しくない。

 その事実が、伊雅にこれが夢であることをぼんやりと告げていた。だが、見ている本人
にとって夢は紛れもない現実としてその姿を訴え続ける。

 目が覚めて初めて、夢であったことに気付くのであろう。そんなことを思いながら伊雅
は燃える城を背に、先程の女と二人で駆けていた。

最初は五人だった。しつこく追いすがる敵をたった一人で迎え撃った男。

 敵で溢れ、落人を探しまわる敵兵をひきつけんがために、あえて派手に敵を切り殺し、
血を撒き散らしながら敵のほうへ駆け抜けて行った女。

 不覚にも敵に囲まれ、最早これまでかと思ったときに血路を切り開き、片腕をなくし片
目を失いながらも逃げろと言ってくれた男。

 皆、耶麻台国に忠義篤く、自身と自身の抱く赤子のために死んでいった。彼らの死を無
駄にしないためにも生きて、国を再興しなければ。

 そう決意を新たにしたそのとき、無情にも運命はまた一つ試練を課した。知らぬ間に囲
まれていた。いや、そうではない。先程から敵のいない方へ、いない方へと走るたびに誘
い込まれていたのだ。

目の前に立つ敵兵が何事かを呟く、それに自身が怒鳴り返し、刀を構える。だが、それ
を押さえたのはほかならぬ女だった。

「―――、なにを!?」

伊雅が言葉を紡ぐ前に、女は一言だけ残して敵へと歩いていった。敵へと歩いていく間
に、鎧を脱ぎ、その下に着ていた衣服を脱ぎ、白磁の肌を惜しげもなく晒していく。

一糸纏わぬ姿で敵の前に立ち、艶然とした笑みを浮かべる女を伊雅は呆然として見てい
た。甘い声をかけ、鎧の隙間から敵兵の股間をまさぐる。



敵は、伊雅を無視したように女に群がった。沢山の敵に埋もれ、その肌をまさぐられて
嬌声を上げる愛しい女。その姿を馬鹿のように見つめて立ちすくむことしか出来ない自身
に腹が立つ。



 肉の宴は続く、男達はその醜い肉棒をテカらせ、ぬめらせて伊雅の愛しい女を陵辱した。
受け入れるように喘ぐ女を、次から次と貫き汚し、自身の子種で穢した。

ふと、気付けば女の視線がこちらを向いている。その目は悲しげに、そして何かに耐え
るように揺らめいていた。


 終に耐え切れず、伊雅は走り出した。その腕に次代の希望を抱き、振り返る事無く。そ
して女と敵兵の姿が見えなくなったころ、後ろで轟音が響き渡った。





「生きて―――――」


 それが、女の最後の言葉だった。思い出されるのは、あの短くも満ち足りた日々。彼女
を愛し、守れると思っていた自分。

 だが、現実は苦く惨い。女の命を糧に自身は生き延びた。希望と憎悪に満ち満ちて。

そして伊雅は、その直ぐ後に希望を失った。それは運命の悪戯と言うよりも、ある神の
暴挙。伊雅は絶望と憎悪でもって生きることを余儀無くされた。

 絶望と憎悪、その何をも生み出さない感情に縛られ、気が狂いそうな中で伊雅は放浪を
続けた。どこかで、希望が生きていることを信じたくて―――――。



 その内に伊雅は、愛した女の生まれた隠れ里に辿りついた。そこで見つけたのはかつて
失った希望とは別のそれ。

伊雅と、愛した女との間に生まれた子供だった。伊雅は、その子を保護し、慈しみ育てた。
しかし、どんなに慈しんだところで、親子であることを明かすことは出来なかった。

 母親を父親が見殺しにしたと言う後ろめたさと、直ぐに助けに来てやれなかった申し訳
なさが伊雅を支配していたからである。

年を経て、娘は母親によく似た美しい女へとその姿を変えた。声もよく似ている。それが
伊雅を、一層悩ませていた。言うべきか言わざるべきかそれが問題だ。




「伊雅様」




愛した女が伊雅を呼んでいる。いや、これは―――――。



「「伊雅様」」




「む、清瑞か。・・・・・・すまん、どれほど眠っていたか?」

伊雅が目の前に立つ女に声をかけた。黒いなめし革の服に身を包み、流れるような黒髪を
一つに縛っている。
「いえ、それほど長くは。近くの小川で水を汲んでまいりました。どうぞ」

そう言って両手で竹の筒を差し出す。その腕の間では、豊かな胸がその形を変えた。

「ふむ、体型は娘のほうが完全に上か・・・・・・」

「は?」

伊雅の呟きが良く聞こえなかったのか、清瑞が聞き返した。だが、伊雅は気にするなと
言う風に笑いながら言葉を続けた。

「いや、母親によく似てきたなと思っただけだ」

「はあ、ありがとう御座います」

 いま一つ解かっていない風の清瑞に更に伊雅が続ける。

「それは、とりもなおさず美人と言うことだ。綺麗になったな、清瑞」

 伊雅の言葉に顔を赤くして言い返す清瑞を、にやりと笑っていなしながら伊雅は懐に手
をやった。

 その手には真紅に輝く珠が握られている。

「ふむ、先程より紅い。神器は近いな、清瑞この近辺に社があったはずだ。そこへ向かう
ぞ」

「はっ」

 懐に珠を戻すと伊雅は清瑞を連れて飛ぶように駆け出した。未だ見ぬ耶麻台国の神器を
求めて―――――――。








 伊雅がかつての希望の行方を聞き、新たな希望と力を得るのはもう間もなくである。















続く