火魅子伝・奇縁良縁 第四話 遅まきながらの第二次現状認識 (H:小説 M:九峪×藤那×閑也 J:シリアス)
日時: 02/15 17:32
著者: 青色

 手を組んで体育座りしている九峪は、俯かせた顔を、なかなか上げようとはしなかった。

「疲れましたか?」

 隣に座ってる閑也が火に薪をくべながら、心配『そう』ではなく、真実心配してるのがわかる声を掛ける。

 パチパチと爆ぜる音も相まって、人の良さが窺えるその声は、どこか耳に心地よかった。

 そしてその気持ちに応えるように、九峪はのろのろとだが、疲れきった顔を上げて閑也を見る。

「……ああ。少しな」

「無理もありませんよ。馬に乗れるようにはなったけど、こうして遠出したのは、九峪さんは初めてですからね」

「尻が痛い」

「ぼくも初めはそうでしたよ」

「…………」

「何です?」

 疲労の色はまるで隠せていないが、それでも九峪の顔が、本当に楽しげに、にやりとからかうように歪む。

「それって馬の話だよな?」

「他に何があるんですか?」

 キョトンと首を傾げる閑也。

「さあ。なんだろうな? 藤那にでも訊いてみたら? 馬に乗る以外で初めてで、尻が痛いものってナ〜〜ニって」

「藤那は知ってるんですか?」

「経験はないんだろうが知識はあるだろう。ちなみにだけど、俺が訊けって言ったのは、くれぐれも内緒だぞ少年」

「なにが内緒だ?」

「あ? おかえり藤那」

 この時代の夜は現代では考えられないほど暗い。

 闇の中からぼんやりと、浮かび上がるようにして現れた藤那を見て、九峪の笑みが益々深くなっていた。

「なにが内緒だ?」

 その喜色に満ちた顔を訝しがるように、そして露骨に怪しむように見ながら、藤那は再度の同じ質問を繰り返す。

「男同士の会話だよ。そうだよな、閑也?」

「……あ う、うん。そ、そうだよ藤那。男同士の話だから」

 男同士。

 九峪からすればなんでもない台詞の、なんでもない単語なのだろうが、閑也の心はひどく激しくざわついた。

 それこそこれは真に初めての経験である。

 肩を親しげに組んでくる男に、同じ男として、ほんの少しだけだが認められた気がした。

「ふん。男同士ねぇ」

 眼を細める藤那。

 面白くなさそうに鼻を鳴らして、しかしそれ以上はなにも言わずに、手を火に翳しつつ閑也の隣りに腰を下ろす。

「まぁ、それはいいが、今日はなるだけ早く寝ろよ。夜明け前ぎりぎりに出るぞ」

「やっぱり奴らいるの?」

「ああ。奴らもご苦労な事だ。三、四十人は最低でも出張ってるらしい。ったく奴らこんなことだけは熱心で困る」

「獲物が馬だからね。労少なくして稼ぎが多いってやつなんだよ。きっと」

「おい。なんの話だ? この辺で山賊でも出るのか?」

「……ふうん。なるほど山賊かぁ。確かに奴らは賊だろうな。人様の土地に無断で侵入して暴れ回る大馬鹿どもだ」

 言いえて妙だとばかりに、藤那は何度も何度も、冷めた眼をして頷いている。

 そこに温かみは一切合切微塵もない。

 瞳の奥では闇より暗い炎が、ゆらゆらと揺らめき、魂さえも焼き尽くさんと燃え盛ってるかのようだった。

「調子に乗った馬鹿どもは、今やこの辺どころか、ダニみたいに九洲全土に湧いてやがる」

 悪意満載。

 ボキッと小気味のいい音を立てて、藤那の手にあった小枝がへし折れる。

 本能だろうか。

 それを見て素早く閑也の身体は、反射的に、小動物ちっくに、スザザッと滑るように後去っていた。

「狗根国の兵隊か?」

「違うな。それは違うぞ九峪」

 口調こそは然程変わりはしないものの、

「奴らはそんなに上等なもんじゃない。奴らはこの母なる九洲の地を穢す、最低最悪のどうしょもない害虫だ」

 藤那の口から吐き出される毒は、どんどんと際限なく濃度が濃くなっていく。

 それはまるで何年も掛けて育てられた呪詛のようだった。

「栄枯盛衰。その程度はわたしもわかるさ。永遠に栄えるなんて都合のいいものあるわけない。よくわかってるさ」

 言葉を紡ぐその顔に表情はない。

 炎に照らされた藤那の面は、なまじ美人なだけに、ぞくりとする恐怖を感じさせる。

(藤……那……?)

 少なくとも隣にいる閑也は恐ろしくて堪らなかった。

「でもなぁ、あれはなんだ? 栄枯盛衰というのは衰えたものが、活力ある次の担い手にその座を奪われるものだ」

「その意見には色々と異論はあるだろうが、大体大筋ではそんなとこだろうな」

「…………」

 閑也は藤那とは逆側の隣を、何故かはわからないがそ〜〜っと見ると、九峪は詰まらなそうな顔で星を見ていた。

 さらにその隣りでは、いつの間にか綾那や、里の人間が座ってじっと耳を傾けてる。

 皆無言だった

 誰にでもどんなときにでも、藤那はこうして思いを、胸に秘めている想いを、語るわけというわけじゃない。

「奴らが善政を敷きさえすれば、頭にはクルが足掻きはしない」

「民衆からすれば毎日の生活保障してくれりゃ、為政者が誰かなんて、そのうち徹底的にどうでもよくなるしな」

 もちろん相槌は九峪。

「…………」

 不思議とこの男ならここで、この雰囲気で意見するのも、閑也は許される気がした。

 むしろそうすることこそが自然。

「だが奴らはこの九洲の地を九洲の民を、無為に無意味に無策に食い潰してるだけではないか」

「そうなのか?」

 九峪が閑也の耳元に口を寄せて、囁くようにして訊いてくる。

「酷いもんですよ。これから行く美禰の街にしたって、大きいから賑やかですけど、活気は決してありません」

「……そっか」

 言ってから九峪はそっと胸に手を当てる。

 服の上着の脇から見るとなにか、紐を通した円盤のようなものが、首からぶら下がっていた。

「なんですか、それ?」

「うん? これ? まぁ一応友だち、……からの預かりもんになるのかな。今は何も映らないけど鏡だよ」

 やれやれという風に、苦笑混じりで九峪は首を振る。

「しかしこれ、いつになったら返せるのやら」

 九峪がその言葉をどんな気持ちで、どんな想いで言っているのかは、本当のところは閑也にはわからない。

「早く返せるといいですね」

 だが九峪のどこか淋しそうな顔を見ると、そう言わずにはいられなかった。

「ああ。ホントにまったくだぜ」

「……おい。いいか? 続けても?」

 藤那が睨むというほどではないが、二人をじっと見ている。

 聞かせるために始めた話ではなかったろうが、藤那の顔からは『話を聞いてくれ』というのが強く読み取れた。

 これも極めて珍しい。

 藤那が人に話を聞かせることはあっても、聞いてもらうという姿は、閑也は長い付き合いだが初めて見た。

「うん? おお。悪りぃ悪りぃ。続けてくれ」

 九峪は謝罪の言葉を言いながらも、両の手のひらを晒し、左右の肩を軽く持ち上げる。

 誰がどう見てもそれは、茶化しおどけたような仕草だった。

「…………」

 藤那はそんな九峪のふざけた態度に、くいっと片方の眉を上げはしたが、それだけで特になにも言わなかった。

 炎を見つめる者の誰一人なにも言わなかった。

「…………」

 ただ微笑んではいるものの、九峪があまりこの話を続けたがってないのだけは、閑也にもなんとなくわかった。

「そうさせてもらう」

 当然。

 それは藤那にもわかってはいるだろう。

 しかしそれでも、あえて藤那は、九峪の嫌がる話を続けようとしていた。

「さっきわたしはこの九洲の地を母に例えたな」

「ああ」

「それならこの状態で、母親が蹂躙され続けている状態で、奮い立たない奴は、それは親不孝なんてもんじゃない」

 深呼吸。

 そして藤那は一拍を置いてから言い放った。

「それはただの――ろくでなしだ」

「だろうな。それはわかる。そりゃわかるけどさ。もちろん……、なんとなくではあるんだけど、さ」

 がしがしと九峪は頭を掻いている。

 なにかを小さくぶつぶつと口の中で呟いていた。

「俺だってさ。薄々勘づいちゃいたんだよ」

 閑也は何気なく耳を澄ます。

「大魔王を倒してサクッとエンディング、てなわけには、どうにもイキそうもないってことぐらい」

 意味はわからない。

 けれど九峪的にはかなりこれで、結構大概に深刻そうである。

「九峪。すでにわかってはいるだろうが、わたしたちは狗根国の奴らと再びこの地を賭けて戦うつもりだ」

「……ああ、そうなんだ」

 頭に置かれていた手が、俯きながら額へと移った。

「そこでなんだがな、九峪。わたしたちと一緒に戦ってくれないか? ――母のために」

 口説いてる。

 それは男女としてではないが、いまはっきりと、藤那は九峪を口説いていた。

「…………」

 閑也はぐっと拳を握る。

 大いに悔しくて、ちょっぴり嬉しかった。

「母のために?」

「母のために」

「……はぁ〜〜〜〜」

 長いため息を吐きながら、九峪は上体を反らして後ろに倒れ込み、ごろんっと地面に大の字に転がる。

 また小さな声。

 今度は閑也は意識的に耳をそばだてた。

「動機として弱いんだよなぁ。そりゃその場は助けるけど、他人のためにずっと戦うのはちょいと難しいんだぜ」

 異邦人。

 九峪が九洲の人間ではないとは思っていたが、こういう言葉を聴くと改めて実感させられる。

 確かに言うとおりだ。

 一度でも狗根国との戦いを始めたら、どちらかが駆逐されるまで、一生を捧げなくてはいけないのかもしれない。

 家族が家族のために戦うのに理由はいらないが、やはり他人である九峪にはそれが必要となるだろう。

 そして、

「あれば殺していいってもんじゃないし」

「…………」

 これもそのとおりだ。

「とりあえず、答えをすぐにくれとは言わん。そうだな。里に帰ってから聞く。それまでには考えといてくれ」

「……うん。そうしてくれ」

 そのまま眼を静かに閉じる九峪。

 疲れたのだろう。

 心身ともに。疲れていたのだろう。

 藤那も閑也も、みんなが注目する中で、スースーとあっという間に寝息が聞こえてきた。