「火魅子伝・奇縁良縁 第六話 縁が合ったら (H:小説 M:九峪×虎桃 J:シリアス)」(青色)」 |
- 日時: 02/22 17:57
- 著者: 青色
- 「やあやあ美しいお嬢様方」
変な服を着た変な男がそう言いながら、大きく両の手を広げて、間抜けな笑顔で声を掛けてきた。
それは見様によってではなく、あきらかな意志で道をふさいでいる。
「…………」
馬群の先頭を走る指揮官らしい女は、しかし男ではなく、さっきまで一緒にいた少年に視線を向け、
「くふっ」
小さく笑った。
手にした弓に無造作に矢を番え、無造作に引き絞り、そして笑顔のまま無造作に放った。
その距離五百歩。
「!?」
男が声すらも無く後ろを、弾かれたように慌てて振り返る。
少年の身体が奇妙なほどゆっくりと宙を舞い、馬と一緒に地面へと叩きつけられるところだった。
「てめぇ!!」
女に視線を戻した男の顔は、もうまるで少しも笑ってなどはいない。
ほぼ十歩の距離を置いて馬群を止めた女を、彼を知っている者なら信じられないほど、険しい形相で睨んでる。
「なぁ〜〜んだぁ」
けれど女はまったく涼しい顔だ。
「お兄さんってば、そういう顔もできるんじゃない」
へらへらと笑ってる。
面白そうにして楽しそうにして、気の抜けまくった顔で、殺意すら込めて睨む男を笑っていた。
「その方がさっきよりも、ずっと格好いいよ。ちょっとぞくぞくしちゃうかも」
言いながらスッと指を差す。
「でも謂れのない誤解で恨みを買うのは、それはそれで燃えるけど納得できないかな」
見ると少年はむくりと身体を起こしていた。
だが馬の方は起き上がれそうもない。立とうとはするがびっこを引いていて、所在無く座り込んでしまう。
ふくらはぎの辺りには、矢が深く突き立っていた。
遠目からでもいますぐには、とても走れそうにないのがわかる。
「あ? だけどだけど、動物愛護の精神に溢れてたんなら、それはやっぱりごめんだよね。くふふふっ」
またしても締りのない顔で笑った。
「…………」
その女からはこの笑顔といい、リオのカーニバルみたいな格好といい、緊張というものは微塵も感じられない。
しかしあの弓の腕。
それは恐るべきとしか形容しようがなかった。
「で、格好いいお兄さんは、美しいお嬢様であるわたしに、なにか御用でもあるのかな?」
「あのぅ虎桃様。右真にはお嬢様『方』って聴こえた気がするよ」
「で、格好いいお兄さんは、美しいお嬢様であるわたしに、なにか御用でもあるのかな?」
「あれれ?」
虎桃と呼ばれた指揮官の女は、右真という少女の質問をあっさり無視した。
それにキョトンとした顔を少女はしてから、
「虎桃様って耳が悪いのかなぁ真那満?」
隣りの髪の長い醒めた眼をした少女に、虎桃の弓の腕とは程遠い、全然的外れなことを真剣に聞いている。
「知らない。でもあんたは確実に頭が悪いだわよ」
「あ〜〜!? また右真のこと馬鹿にしてぇ。自分だって本当は見た目ほど頭良くないくせにぃ」
「うぐぅ!? ……それ以上言ったらぶっ殺すだわよ」
「べ〜〜、そんなの真那満には右真できないと思うな」
睨み合う二人。
いまにも互いに馬上で掴みかからんばかりだった。
「あんたらうるさい」
「は、はい」
「……はい」
虎桃が止めなかったらそうなっていたろう。
組織というのは見事なほど上の人間の人柄が出るもので、虎桃が率いる部下にも緊張感はあまりなかった。
しかしとはいえ。
全員が女のその一団はさり気なく油断なく、男を取り囲むような隊形を取り出している。
もっとも虎桃の弓の腕なら、男に逃げ道など、初めからどこにもないのだが。
「そうそう。自己紹介がまだだったよね。わたしの名前は虎桃ちゃん。格好いいお兄さんのお名前は?」
「あ〜〜っと、伊――」
男の言葉は途中で遮られた。
耳の横を通り過ぎた、ヒュンッという音で、無理やりに遮られた。
「…………」
ゆっくりと後ろを見ると、少年が腰を抜かしている。馬の太い首に矢が突き立っていた。絶命している。
「嘘吐くのは好きだけど吐かれるのは嫌い」
「なんで嘘だと思ったわけ?」
「うん? なんとなくだよ? でも当たってたでしょ? 自分が嘘吐きだから人のもわかちゃうんだよねぇ」
「……あっそう。なるほど、ね。オーケー、俺の名前ね。九峪だよ。九峪」
「あははははははははっ」
破顔一笑。
突然に虎桃は腹を抱えて笑いだした。
「駄目だなぁ、九峪ちゃんは。九峪ちゃんは嘘吐きだとは思うけど、さてはその根はどうも正直な善人者だね?」
「あん? ……あ? もしかしていまのは?」
パチパチと嬉しそうに愉しそうに拍手する虎桃。
ちなみに首を捻ってるのは右真と真那満の二人。
「頭の回転は悪くないみたいだけど、でも人を騙そうって人間が、人の言うこと簡単に信じちゃ駄目じゃないの」
「ああ。勉強になったよ」
九峪は素直にここでの負けを認めて頷いた。
とはいえここでの化かし合いは、九峪にとって圧倒的に分の悪い勝負だったのである。
命を賭けて人を騙すなどという経験が、現代の高校生にあるわけがない。
それも自分の命ではなく人の命だ。
鑑みれば虎桃の立場はどこから見ても気楽なもので、対して九峪の重圧は一般の現代高校生には重すぎた。
まだ同じ土俵にも、上がれてはいない。
が。
「ホント、勉強になったよ」
結果的にはここで負かされたのは、お話にならない負けっぷりは、九峪にとっていい経験になっていた。
もっともそれが実るのはまだまだ先のお話。
「で? 九峪ちゃんは何の用なのかな? わざわざ嘘の吐き方を習いに来たんじゃないよねぇ?」
「この先で俺の仲間が、馬泥棒と一戦やらかしてるんだ」
「……ほうほう。馬泥棒とね。うんうん。この辺にはよく出るらしいね。全然まったく壊滅的に興味はないけど」
にやにやしてる九峪。
にやにやしてる虎桃。
今度こそは両者ともに愉しそうだった。
「でだな。あんたらには悪いんだけど、九洲の人間からすれば、そこに狗根国の兵が現れれば、その、な」
「なるほどなるほど。裏で糸を引いてるのは、わたしたちだと思うわけだね」
「はっきり言って狗根国はこの九洲じゃ、他の追随を許さない嫌われ者だし」
右真と真那満が露骨にむっとした顔をする。
そしてそれは二人のように、表にこそ出しはしないが、他の団員も似たり寄ったりの同じ気持ちらしい。
包囲の輪がススッと少し狭まった。
人間は一体何を言われて腹が立つといえば、本当のことを言われるのが一番腹が立つ。
この九洲の地に歓迎されてないのは、侵略者である自分たちが、肌で感じて誰よりも良く知っているのだ。
畏怖されるのはいいが、忌避されるのは心が痛い。
「過剰に反応して、あんたらとも殺り合う、ってことも考えられなくは――」
「四十点」
九峪が紡ぐ言の葉を、虎桃が無理から遮る。
「甘々だな」
「とりあえずいまは『こんなところかな?』って思ってさ。そもそも下っ端の小銭稼ぎになんか興味ないし」
「では見逃していただけますか?」
「駄目」
臆病鶏丸出しでお伺いを立てる九峪を、虎桃は無情にも一言の元に撥ねつけた。
もちろん笑顔で。
「あっちはホント興味ないから、まぁ勝手にやってて感じで見逃してあげる。でもでも九峪ちゃんは駄目だよン」
「……なんでだよ?」
いまさらだが二人は友達同士のようにタメ口だ。
「恋って突然なのよ」
「お前のは故意だろ」
どこかで誰かとしたことのある軽い会話が、ぽんぽんと自然に出来るくらいに気安い。
あのときと立ち位置は逆だが。
「くふふっ。九峪ちゃんには興味が湧いてきちゃったので連行します。席はわたしの後ろ。抱きついちゃってね」
「拒否権は?」
「ありません」
確かにないだろう。
いくら虎桃との会話が気安くとも、彼女は狗根国の指揮官で、九峪の立場は一応はただの九洲の民だ。
「乗って乗って」
「…………」
従う以外に選択肢はない。
「手があらぬところを触っちゃっても、後になって文句言うのはなしだからな」
「九峪ちゃんみたいな格好いい男なら大歓迎ぇ」
笑ってる虎桃。
笑えない九峪。
「……なんだろうねこれは?」
虎桃の後ろの鞍に跨り、まるで躊躇う素振りもなく、露出してるお腹に手を回しながら、九峪は小さく呟いた。
耳聡く聴きつけた虎桃が、にこにことしながら振り返る。
「なにが?」
「びっくりの展開だってことさ」
そう答えながら九峪は五百歩先を見た。
視覚ではその表情までは見えないが、知覚では気弱な少年が、びっくりした顔をしてるのがわかる。
九峪は少年に複雑だが楽しそうな顔をして微笑んだ。
散歩にでも行くみたいに、ひょいっと手を上げて、呆然としてる少年に、本当に楽しそうな顔をして微笑んだ。
「縁が合ったらまたな」
ふりふりと気軽に手を振ってやる。
「そいじゃ進発っ!!」
藤那たちが戦ってるだろう場所を避けて、再び奇妙な一団が風のように動き始めた。
閑也の姿があっという間に小さくなっていく。
「返事もまだだてのに」
九峪の視線は未練たっぷりで、ずっとずっと藤那がいる戦場を、首が痛くなるほど長いこと眺めていた。
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