「火魅子伝・奇縁良縁 第八話 活劇 (H:小説 M:九峪×織部 J:シリアス)」
日時: 03/02 16:05
著者: 青色


 当麻や美禰には劣るのだろうが、そこそこには大きく、なかなかに賑やかな街だった。

「オーケー。それをくれ」

 市場に出回ってる物産もかなり豊かである。

 去飛は二つの大きな街の中継地点として栄え富み潤っており、その活気だけはすでに凌いでいるといっていい。

 人々にもそれなりに笑顔があった。

「お? なんだかこの梨、妙に美味いなぁ。三世紀は農薬とか使われてないせいか?」

 噛むとなんとも口の中に広がる甘みが瑞々しい。

 テレビもねえラジオもねえ、という世界ではあるものの、食べ物は九峪が育った世界よりも圧倒的に美味かった。

 そのおかげで最近はすっかり、食べ歩きが日課になってしまった九峪である。

 しかし、

「けどこういうのをやっぱし、世の中ではヒモっていうんだろうなぁ」

 それをするお金がどこから出ているかといえば、当然だが文無し男からではなく、狗根国軍人の財布からである。

 彼女たちは格好こそふざけているが職業は遊人ではない。

 軍人さんとしての仕事がちゃんとあって、気乗りはしなくても職務はしっかりと遂行中である。

 征西都督府に送られてきた報告書の再調査や、留守である相馬の内偵など、彼女たちは総動員で忙しいのだった。

 あの虎桃であっても例外ではない。

 三日前にした野営を最後に、本営を置いた屯所の部屋から、ほとんど外には出て来なくなっていた。

 あれから缶詰状態。

 顔を見に行くと報告書に目を通しながら、ぶつぶつと『案埜津の奴め……』と、なにか文句ばかりを言っている。

 と。

 こんな調子で彼女たちの誰一人として、九峪の相手をしてやるほど暇な者はいなかった。

 そうなると自然と街中をぶらつく時間が多くなる。

 だったらこの間に逃げるという案もあるのだが、なんとなく、九峪は彼女たちから離れがたくなっていた。

 心配してるだろう駒木の里の衆には、とてつもなく悪いとは思ってる。

 だがこうなった経緯はどうあれ、この彼女たちといる状況が、九峪にとっては決して居心地が悪いものではない。

 いや、相当に良い。

 九峪は狗根国軍人である彼女たちを、正直言って好きになりかけていた。

 いや、……もう好きだった。

 だからできることなら、砂をかけるような消え方はしたくない。

 そもそも逃げるためにはお金が必要なわけで、その逃げるためのお金を、彼女たちに貰うのは少し気が引ける。

 結構これでこの異世界の変な男は義理堅いのだ。

「これがムサい野郎だったら、全然何の問題もないんだがなぁ」

 もちろん問答無用の女性限定で。

「うん?」

 道端で梨を咀嚼ながら、切実だが曖昧に悩んでいた九峪は、ふと視線を感じた気がしてそちらを見る。

「…………」

 小さな女の子がじっとこちらを、もっと言ってしまえば梨を見ていた。

「梨、欲しいのか?」

「…………」

「欲しくないのか?」

「…………」

 女の子は視線こそ熱いが何も言わない。ただただじっとじっと梨を見ている。

「よし。わかった」

 九峪は少女に大きく頷くと、最後の一口を芯まで丸ごと、バクッと放り込み、バリバリと丁寧に噛み砕く。

「…………」

 変わらず少女は無言ではあったが、微かにその眼が悲しみに曇っていた。

 ごくんっと九峪の喉が上下するのを見てる。

「ちょっと待ってろよ。おっちゃん、ここにある梨を三個、いや、もっと持てるか? そうだな五つくれないか」

「…………」

「ほれ。育ち盛りなんだから、一つや二つ喰ったって全然足りんだろ。喰い切れないなら友だちにでも分けてやれ」

「………あ」

 少女の両の手を取って皿を作らせると、九峪は次々に梨を、その小さな手へと置いていく。

「あ、あの、ありが――」

「礼はいらないぜ。マジでさ。聞いたら呆れるくらい俺の金じゃねぇんだから」

「でも……」

「いいっていいって。ああ、だけどそうね、十年経ったらお茶でも一緒に飲もう。そして二人の将来を語り合おう」

 と。

 そんなことを九峪は早口で言うと、まるで逃げるかのように、そそくさと少女の前を後にした。

「……偽善爆発だな」

 本当に少女から感謝されるようなことを、九峪はなにもしてなどいない。

 梨を買うために払ったあのお金は、結局のところ、民衆から不当に巻き上げた、重すぎる税金の一部なのだ。

 この街は賑やで豊かだが貧富の差があまりに激しい。

 触れた少女の両の腕は、食べ盛りの成長期とは、とても思えないくらい細く痩せていた。

「全然話が違うじゃねぇか、キョウ」

 胸元を拳でコンッと軽く叩く。

「ったく。どこがファンタジーなんだよ。噂の魔人とか魔獣とかもちっとも出てこねぇし。そいつら相手なら――」

 魔人と魔獣。

 きっと恐ろしい存在なのだろうが、少なくともこんな気持ちにならずには済むだろう。

「はぁ〜〜」

 気晴らしにくり出したはずの街なのに、逆に九峪は現実の一端を見せられて些か滅入ってしまった。

「やめやめ」

 だが九峪は昔から基本的に切り替えは早い。

 少女の境遇に同情し勝手に悲しむのも、考えてみればとても失礼であり傲慢だ。

 いまはここで出来る最善をしたのだから、根本的な解決にはならないが、それで良しとするべきなのだろう。

 ここでは。

 そうやって無理やりだが心のチャンネルを変えた九峪の眼に、

「ふうん?」

 妙に興味を惹きつけられるものが飛び込んできた。

 黒山の人だかり。

 そのほんのわずかにできた隙間から、ひっしと抱き合ってる男女が一瞬だけ見えた。

「ごめん。ちょっと悪い」

 興奮気味に野次を飛ばしてる野郎どもを、掻き分け掻き分け、盛り上がってる輪の最前列へと躍り出る。

「うぉおおっ!?」

 そしてすぐに尻餅をついた。

 九峪の視界に大画面で男が飛び込んできたのである。――ふんどし一丁のごつい尻から。

「あ、あぶねぇ……。あと少しでトラウマ作るとこだったぜ」

 堪え性のない根性なしの足腰に、九峪は今日こそ感謝したことはない。

 軽やかにすとんっといってなければ、激しくぶちゅっとイッちゃうところだった。

「よう。あんた平気かよ?」

 声が掛けられる。

 嫌な感じに流れた額の汗を拭っていた九峪に、太陽を背にして影を作った女が、手を差し出して微笑んでいた。

「…………」

 目の端で確認すると、投げられた男は、そそくさと巨体を縮めて、この場から去ろうとしている。

 これは間違いなさそうだ。

 気さくな声は九峪に掛けられたものらしい。

「あたしは元々は海人の出だからさ、視力はかなりいい方なんだよ」

「あん?」

 女は『きししっ』てな感じで、茶化すみたいにして笑ってる。

 握られた九峪の手をひょいっと引っ張って、楽々と身体を引き起こしてやりながら、輪の中央にと連れて行く。

「この色男」

「ああ。見てたのか」

 チョイチョイと女が指し示す先を、何気なく九峪は振り返って見ると、さっきの少女が梨を抱えて立っていた。

「いやいやモテるねぇ」

「昔から子供にゃモテるんだ」

「大人には?」

「これからモテる」

「はははっ。出世するのを期待してるよ、お兄さん」

 九峪と女は握っていた手をそっと離すと、一丈ほどの距離を置いて対峙した。

「だがその前に訊いておきたい」

「なんだい?」

 ゆっくりぐるりと首を回して、九峪は周囲を見ると、野次馬どもがやたらめったら勝手に盛り上がってる。

 梨を持った少女だけが心配そうに見ていた。

「いま何故こうして、いつの間にかぼくはあなたの、相撲の対戦相手になってるのですか?」

 客相手の見世物女相撲。

 すでにして場は逃げられないし逃げちゃいけない雰囲気になっている。

 どうも金を九峪に賭けてる奴までいるらしい。

 女がわざわざ指名したということで、只者じゃないと只者なのに、勘違いも甚だしいことを思われちゃってる。
 
「別に理由なんてないよ」

「……ねぇのかよ」

「ああ、でも、そうだなぁ、おまえとやるのは面白そうだと、まぁ、なんとなく思っただけさ」

「できればその台詞、もっと色っぽいところで、色っぽい声で聞きたかった」

「うん? かはははっ。おまえホントに面白いなぁ。いいぜそれ。あたしに勝てたら考えないでもない」

「…………」

 その言葉を聞いて九峪は改めて、頭の天辺から爪先まで、自分よりも確実に男前で笑ってる女を見た。

 格好もかなり男前。

 存在に巻かれた胸覆いと下帯だけで、最近は毎日がカーニバルの九峪からしても、十二分に楽しませてくれる。

 思わずにやけそうになる顔を隠すのがしんどい。

 客の目を惹くためなんだろうが、申し訳程度の布切れでは、彼女の魅力を包み込むことなどできるわけもなく、

俗な言い方ではあるが上も下も、芳醇な果実が零れ落ちそうだった。

 芯の強さを感じさせる顔つきなのだが、そのわりには妙にさっぱりとした印象。

 ここまでの会話でも、笑いたいときは笑い怒ってるときはちゃんと怒る、そんな裏表のない性格なのがわかる。

 気質は頼れる姐さんで絶対に間違いなしだった。

「俄然ヤル気が出てきたぜ」

「勝てたら、だ。おまえの名前は?」

「九峪」

「あたしは織部だ。それじゃ、……やろうか」

 と。

 織部は言うと正面からぶつかるようにして組んできた。

 柔らかい、と感じる余裕もない。

「おっとと!?」

 どうせ立ち合いじゃ勝てやしないと、あらかじめ踏ん張っていなければ、それだけで勝負ありだったろう。

 それでもこれが現代の相撲ルールだったのなら負けだ。

 頭と頭が衝突するのは運良く、というか、織部が避けてくれみたいで、脳震盪は起こさずに済んだみたいだが、

無人の野をいくが如くで、ずずいっと、ほぼ六歩の距離を九峪は押されまくってる。

「あぶねぇあぶねぇ。女の子にぶつかちまうとこだったよ」

 ってか織部が止まってくれたみたいだった。

「どうする九峪?」

「な、なにがだ?」

 会話は互いの耳元でぼそぼそとしゃべってるので、二人の声は他の人には聞こえない。

 ちなみに織部は普通に話しているが、九峪は秒殺で息があがっていた。

 でも組むというよりは抱くという感じで、しっかりと織部の下帯に指を掛けてるのは立派だろう。

「この娘のど真ん前で投げるのは、ちょっと可哀そうかなって」

「言うじゃねぇか。お、織部さんよぉ。ま、まだ勝負はついてねぇのに。も、もう勝った気でいんのかよ」

 負け惜しみ。

 それは誰がどう考えてもそうとしか聞こえないが、織部の顔が九峪には見えないが一瞬鋭くなった。

「……そうだな。変な気を回しちまって悪かった。そいじゃ、投げるぜ?」

「ま、待て」

「なんだ?」

「できれば反対側でお願いします」

「……初めから素直にそう言えよ」

 刹那だけだが力が抜けてしまった織部。その機を狙えば九峪は勝てたかもしれない。

「ほっ!!」

 ぐんっと腰を沈めた織部が素早く体勢を入れ替える。

 なるほど。

 少女が心配そうな顔で九峪を見ていた。

「おいおい。なんだよなんだよ、まだその梨喰ってねぇのか。明日会ったらまた買ってやるから早く喰え」

 見栄が十割。

 にっこりと少女に笑いかける顔は、誰にでも丸わかりで引きつってる。

「いいか? 反対側まで一気にイクぜ?」

「オーケーオー、お〜〜〜〜〜〜〜〜っ!?」

 またしても電車道。

 ここまでくると本人同士はともかくとして、周りでは真面目に観戦しているものなどいない。

 あきらかに力の差がありすぎる。

『金返せ馬鹿』

 とか。

『せめて布切れ引っぺがしてみせろ』

 とか。

『楽しいのはおまえだけだ』

 とか。

 競馬や競輪で絶対の本命なのに、スタート直後にリタイヤした選手みたいに、九峪はボコボコに野次られていた。

 少女以外は全員が敵のアウェーである。

「ここらでいいかな」

 いよいよ。

 覚悟はすでに完了してはいるが、やっぱりそれなりに痛いんだろうなぁ、と身構えた九峪だったが、

「そいじゃ、楽しかったぜ、九――」

「貴様らなにを天下の往来で騒いでいるかぁ!!」

 まるで予想もしてなかったし、したくもなかった声に救われた。

「チッ」

 しかし舌打ちする織部はそうじゃないらしい。

「悪いな九峪。あいつらは」

「織部の知り合いなのか?」

 組んだままで首だけを声のした方に向けながら、九峪は急に機嫌の悪くなった織部に尋ねた。

 黒い頭巾。

「狗根国の奴らだよ」

「何かあったのか?」

「一昨日の公演でちょいと、一座の生意気で困ったガキが、座長に難癖つけてたあいつらを、ドついちまってな」

「おいおい」

「今日あたりに仲間を集めて来るんじゃねぇかと思ってたぜ」

 人数は八人。

 その全員が全員とも、柄の悪さを、少しも隠そうとはしていない。

 人だかりがさ〜〜っと二つに割れた間を、自分たちの力を誇示するかのように、ゆっくりゆっくりと歩いてくる。

 厳しい顔を作ろうとしてるみたいだが、にやにやと下品な笑みを浮かべてる者もいた。

 と。

 だが一人だけその前に立ちはだかった者がいる。

 形としては。

「あ、え、あ」

 けれど本人にそんな気がほんの少しもないのは一目瞭然だ。

 梨がころころと転がってる。

 少女はおろおろと梨を慌てて拾いながら、近づいてくる狗根国兵の一団と九峪を交互に見ていた。

「織部」

「あん?」

「この勝負預けたぜ」

 九峪は織部から身体を離すと、少女に向かってゆっくりと、狗根国兵を刺激しないように近づいていく。

 距離はそんなに変わらないので、ほとんど同時に着くだろう。

 狗根国兵も九峪に気づいたみたいだ。

 妙な緊張感。

 いや、感じているのは九峪だけで、狗根国兵はそむけたくなる、ひどく下卑た笑いを深くしただけだである。

 そして両者はやはり少女へと同時に辿り着いた。

「…………」

「なんだ貴――」

「俺の梨落としてんじゃねぇぞっ!! このくそガキっ!!」

 少女を助けるために向かってきた馬鹿だろうと思い、機先を制して大声を張り上げようとした狗根国兵だが、

それでも九峪の声の方が早く、その行動は遥かに意表を突かれている。

 九峪は頼りない少女の胸倉を掴むと、人の輪に乱暴にその小さな身体を投げた。

 上手くおっさんたちが受け止めたので怪我はないが、少女は突然のことにびっくりした顔をしている。

 それは狗根国兵も一緒だった。

「そんな簡単なこともできねぇのかっ!! チッ。もういいからとっとと失せろっ!!」

「……あ」

「いけってんだよっ!!」

 転がってた梨を少女に蹴りつける。

「あ、うう……」

 身体をびくんっと竦ませると、次の瞬間少女は顔を、涙でぐしゃぐしゃにして走り出していた。

「…………」

 可哀そうな方法ではあるがこれで安全圏。

 九峪は少女の背中が見えなくなるまで、角を曲がるまで目で追いかけてから、

「どうもお騒がせしました」

 くるっと狗根国兵に向き直り、愛想笑いを浮かべて、自分もその場から立ち去ろうとする。

 が。

「……おい、待て貴様」

 そこまで世の中上手くはいかない。

「貴様の蹴った梨が当たったぞ」

 この言葉だけを聞いてると、例えそれがいちゃもんであっても、なにか非常に間抜けなものを感じてしまうが、

狗根国兵にすれば九峪の存在は、とにかく目障りだったみたいである。

 折角注目されていたのに、場の視線が全て、この変な男に持っていかれてしまった。

 走りたければ峠にでも行けばいいのに、わざわざ街中を走る珍走団と、彼らはなにも変わらない。

 人々の目が自分に向いてなければ気に喰わないのだ。

 だから、

「痛てぇだろうがっ!!」

「ぶっ!?」

 殴れれば理由はなんでもいいのである。

 顔に拳がめり込んだ。

 鼻から綺麗な軌跡で血を出しながら、九峪が派手にもんどり打って吹っ飛ぶ。

 その光景は映画みたいだった。

 なんだかある意味ではとても絵になる男である。

「オラ立てよ」

 でもまたまた目立っちゃったもんだから、さらに狗根国兵の嫉妬心に、いらぬ油を注いでしまったみたいだった。

 殴る殴る殴る。

 蹴る蹴る蹴る。

「ぐうっ、……うう、あ、がはぁ!?」

 人数が多いのに誰も余らない、随分と慣れた動きの見事な袋で、九峪は丸まって急所を守るだけで精いっぱい。

「ごはぁ!? お、うげぇ!? この、うごぉ!?」

「聞こえねぇぞコラッ!!」

「ああん? なんだよその眼はっ!!」

 だが苦痛に顔が歪みはするものの、時折睨むような眼をするので、それで益々興に乗ってきた狗根国兵の暴行は、

まるで全然一行に終わる気配がなかった。

 死ぬかもしれない。

 九峪はちらっとだがそんな未来を想像してしまった。

 しかしもちろん、こんな詰まらない場所で、こんな詰まらない連中に、物語は九峪が消されるのを許しはしない。

「なんだぁ?」

 狗根国兵の一人が、軽くぽんぽんっと、肩を叩かれて振り返る。

 顔のど真ん中に拳がめり込みぶっ飛んだ。

 立ち上がらない。声もない。ぴくりともしない。

「そいつとばかりじゃなく、あたしとも遊んでてくれよ、…………お客さんたち」

 もう一発くらいならば、不意を打とうと思えば打てたろう。

 けれど織部は拳を握り込み、パキペキポキッと、骨を鳴らしながら、物凄く楽しそうににこにこしていた。

 ただしその眼はまったく笑ってない。

「こ、この野郎っ!!」

「てめぇ!!」

「こんなまねしてどうなるか、わかってるんだろうなぁ!!」

「ただじゃすまさねぇぞっ!!」

 まさか反撃がくるとは考なかったのだろう。口々に語彙の浅い文句は言うが、誰も率先して行動はしない。

 だから一番最初に動いたのは、

「喧嘩ってのは口じゃなくて、こっちでやるもんなんだぜ」

 十本の指を丁寧に鳴らし終わった織部だった。

 拳が唸る。

 さすがに狗根国兵も今度は構えてたので、一発で沈黙ということはなかったが、それでも腰がガクンッと砕ける。

 幕開け。

 そこからはただひたすらの、周りの血の気の多い奴らや、狗根国の警邏兵までを巻き込んだ乱闘だった。

 実態はほとんど暴動。

 総参加人数はさらりと軽く百人を、超えちゃってたかもしれない。

『温いぞコラッ!!』

『あんだボケッ!!』

『おまえのかーちゃんでぇべぇそぉ』

 どんなに世界が変わっても、どんなに時代が変わっても、こういうときの人間は仲良く全員脳みそを使ってない。

「なんだかなぁ」

 復活した九峪はそれに懐かしさを覚えつつ、あたりを見回してある人物を探している。

「お? いたいた」

 予想外の混雑の中でお目当ての人物を見つられて、九峪はどろりと垂れてきた鼻血を笑顔で拭った。

 顔面に一発かましてくれた男である。

「さてと。貸し借りはなるだけ早めに解決しとかないとなぁ。うぉいっ!! てめぇこっち向きやがれっ!!」

「あ? この野郎っ!!」

 九峪の声に件の狗根国兵も気づいたようだ。

「ぶん殴ってやる」

「こっちの台詞だ」

 二人は周りの騒ぎを無視して決闘するみたいに静かに近づいていく。

 しかし九峪は別としても、名前すら登場しないこの狗根国兵は、人生でこのときが最高に輝いていた。

 まぁ、それもここまでだが。

 あと三歩ほどで九峪と接敵というところで、

「ああっ!?」

 横合いから飛び込んできたデカい奴にぶん殴られて、人間大砲みたいに華麗に遠くまでふっ飛んでいた。

「誰だよもうっ!!」

 そちらを見る。

「うぉおおおっ!?」

 そしてびっくり。

 九峪の獲物を横取りしたのは完璧に人間ではなかった。

「人形、か?」

 そう。

 それは獅子舞みたいな面をしたデカくて精巧な人形だっのである。

「……遂にキタなファンタジー」

 定番だ。

 ファンタジーの世界なら戦う人形は珍しくはない。

 だがこの九洲ではキョウ以外で初めて、九峪はそういう存在にこのときになって触れた。

「すると」

「…………」

 後ろにいる見るからに無愛想な少女はあれなのだろう。

「お嬢さんは人形師ですか?」

「…………」

「あの、お嬢さん?」

「…………」

「ちょいと」

「…………」

「おっかしなぁ。俺さっき子供にはモテるって言われたばっかりなんだけど。まぁ、今度ゆっくり話そうか?」

「…………」

 見るからにではなく、本当に無愛想な少女だったらしい。

 同じ無口なキャラではあってもそこには、梨をあげた少女みたいな可愛げは微塵もなかった。

「九峪」

 後ろから呼ばれて振り返る。

「織部」

「そろそろ逃げるぞ」

 親指を織部がクイクイッとやってる先を見ると、しっかりちゃっかり武装した狗根国の新手が迫っていた。

「あれ相手は命懸けになる」

「だな」

「着いて来い。どうせ今日騒ぎになったら、この街からオサラバするつもりだったんだ」

 九峪の背中をパンッと叩くと、織部は手を引っ張って走り出す。

「あ? 女の子」

 と思って後ろを九峪は振り向くが、もうそこにはすでにして誰もいない。

 少女はあのデカい人形ごと、いつの間にか忽然と消えていた。

「大丈夫だよ、あいつなら。そのへんには抜け目はない。それにあのガキは殺したって死ぬようなたまじゃないさ」

「なんだ知り合、あ? ドついたガキってのは?」

「そ。あいつだよ。ちなみに九峪が顔面ぶん殴られた奴が、その座長に難癖つけてドつかれた奴」

「……ああ、そうなんだ」

 あんなデカい人形に二回もあの狗根国兵はドつかれたんだろうか?

 だったら自分の分はチャラでいいやと、九峪はほんの微かだけ同情しつつ納得した。

「待てコラッ!!」

 頭の悪い台詞と柄の悪い声が追いかけてくる。

「あの馬車だ。そら走れ走れ」

 織部の指差す方を九峪は見ると、城門の前辺りを馬車がゆっくりと走っていた。

「おお? 足の速い野郎がいるみたいだなぁ。ふ〜〜ん。よしゃ、九峪は先にいってろ。あたしもすぐいく」

「オーケー。任せたぜ」

 織部だったら下手は打たない。

 今日会ったばかりだが、何故か不思議と、九峪は織部を信頼しきっていた。

 だからむしろ心配なのは自分の体力である。

「ぜぇはぁひぃはぁ…………」

 馬車も織部と九峪、そしてその後ろから追ってきてる狗根国兵を確認して、走る速度を少しずつ上げていた。

 肺が滅茶苦茶猛烈に痛い。

 九峪の身体は足は全然速くないのに、悲鳴を上げるのは感心するほど早かった。

「もう少しですよ。もう少しだけ頑張ってください」

「はへ?」

 自然と下がっていた頭を優しい声に導かれて上げる。

「…………」

 馬車には女神が乗っていた。少なくとも体力の許容値を超えつつある九峪にはそう見えた。

「ぐぅおおおぉぉおおお〜〜〜〜」

 手を伸ばす。

 雄叫びを上げて手を伸ばす。

 あともう少しで女神に手が届く。

 が。

「あれ?」

 伸ばした手を掴まれた。横合いから出てきたデカい奴に掴まれた。

 骨がミシミシッと軋む音がする

「痛っ!? イッデデっ!? マジ痛てぇ!! 本気の中の本気で痛てぇよ馬鹿っ!!」

「志野に触るな」

 さっきの無愛想な人形師(仮)の少女が、女神の隣りにちょこんと座って、殺気を込めた視線で睨んでいた。

「珠洲!? 早く典膳の力を緩めなさいっ!! 腕が折れてしまうわっ!!」

「……別にいい」

「よかねぇよこのくそガキっ!! 嗚呼脇腹痛てぇ!!」

 腕を万力みたいにして掴まれながらも、九峪の下半身はいまだに馬車の外で走ってる。

 完全にちょっとした拷問状態になっていた。

「くぁあああ〜〜〜〜。ヤバいヤバ〜〜い。いい加減に悲鳴あげるのも苦しくなってきたっ――――!?」

 視界の端に刹那だけ映る姿。

 振り返るとあの少女がじっとこっちを、走る九峪の姿を眼で追っている。

 足止めしてた織部も追いついてきていた。

「九峪」

 織部が親指でクイクイッと後ろを指し示す。

「こういうのも早めに解決しといた方がいいぜ。おまえはともかくとして、あの娘の心に傷が残っちまうからな」

「……うん」

 小さく小さくなっていく小さい女の子。

「ごめんな〜〜〜〜〜〜〜〜っ!! 今度は百個梨買ってやるからっ!! お茶の約束絶対わすれないでなぁ!!」

 と。

 こんな経緯で九峪は、この去飛の街と虎桃の元を後にし、この愉快な旅の一座の居候になった。