「火魅子伝・奇縁良縁 第九話 舞と笑顔 (H:小説 M:九峪×一座 J:コメディ?)」
日時: 03/08 17:55
著者: 青色


 処女雪のように肌の白い女だった。

「…………」

 人の輪の中央。

 もうすでに神憑ってるみたいで、起きているのかいないのか、まどろんでるような瞳で静かに佇んでる。

 左右の手にはそれぞれ、奇妙な形状の剣を握っていた。

「そこにいるだけで魅せられちまう」

 九峪の隣りで腕を組みながら、独り言のように呟いた織部の言葉が、おそらくここにいる者全ての総意だろう。

「…………」

 その姿に圧倒されていたのかもしれない。

 喉がひどく乾いているいることに、九峪はこのときになってやっと気づいた。

 口をモゴモゴさせると、ゴクリッと唾を飲み込む。

 と。

 それを合図にしたかのように、不意に志野の白い身体が躍動し、間髪置かず追随するように楽曲が奏でられた。

 六世紀に編纂されたという古事記。

 天照大神を岩戸から誘いだしたのは天宇受売命だが、それにだって決して負けていないんじゃないかと思える。

 いや、まぁ、どんな踊りを彼女がしたのか、全然まったく、九峪は知らないわけなのだが。

 とりあえずそこはそれ。

 思うのは個人個人の勝手なわけで、自分の目で見たものしか信じない、というほどに九峪の了見は狭くはなく、

志野の舞は堪らなく本能に訴えかけてきて魅力的だった。

 そしてその感想は九峪だけじゃないみたいで

「いやいやいや〜〜、ホントにもう座長を見てるとさぁ、こう身体がムラムラしてくるよね」

 口元に手を当てて顔を近づけると、忌瀬は九峪の耳にと小さな声で、甘〜〜い息を吹きかけるようにして囁いた。

「男に生まれてくりゃ良かったと、こういうときは思ちゃうよ」

「……ああ、ホント男に生まれて良かったぜ」

 腕に触れてる“むにむに”とした柔らかいものが、素晴らしく素敵に気持ちいい。

 視覚から触覚からと同時に迫られて、目はにやにやと、鼻の下はでれでれと、九峪の顔は只今絶賛大忙しだった。

 ちなみにこれが不謹慎ということはない。

 恋と踊りと歌。

 志野の舞が誘っているのはそもそも、いじけ癖のある神様ではなく、お祭りにはかかせないその三つだった。

 周りでも肩を組む男女や、身体を曲に合わせて揺らしてる者、歌を唄いだす者などがいる。

 この時代の農村部にはどうしたって娯楽は少ない。

 日々の暮らしで精いっぱいの村人たちにしても、それをひとときでも忘れさせてくれるこの貴重で希少な時間。

 今夜はえらく月が美しい。

 あちらこちらで自然と零れる笑顔の花が咲いていた。

「ほらよ」

「おっと」

 人の輪を廻ってきた酒を織部から受け取る。そのどんぶりに誰が口をつけたか、なんてもちろん誰も気にしない。

 くいっと一口呑んでから九峪は忌瀬へと手渡す。

「ふぅ〜〜」

 見渡せば夜空一杯の星。

 とてつもなく使い古された表現ではあるが、手を伸ばせばその輝きを掴めそうだ。

 九峪の生まれ育った現代の日本で、この星空を見ようと思ったら、沖縄にでも行かないとまず見れないだろう。

「感謝してるぜ」

 胸をコンッと軽く叩く。

 どうせいまは寝てて聞こえやしないだろうから、だから九峪は言葉にして友だちに言ってやった。

 食い物は美味い。

 水も美味い。

 空気だって美味い。

 冷凍食品やコンビニのミネラルウオーター、地球温暖化上等の排気ガスの嵐、懐かしいといえば懐かしいが。

「…………」

 九州よりも九洲の方が確実に馴染んでいる自分。

「くくっ。マイッたなぁ」

 本当は全然マイッてなどはいないが、それでも九峪は楽しそうに、その言葉をぼやくように口にしてみる。
 
 異世界へと無理やりに召喚された勇者が戦う理由。

 それは元の世界に戻るというのが主だろうが、結構そんなのは、九峪にとってかなりどうでもいいことだった。

 そりゃ会いたい友人の一人や二人はいる。

 家族にだってもちろん会いたい。

 けれどそのために戦えといわれても、人を殺せといわれても、九峪にはそこまでの郷愁感も疎外感もなかった。

 みんなに生かされている。

 そのことが現代よりもはっきりとわかって、それがまた幸せで、この世界から離れようという気持ちが湧かない。

「あ? 座長ぉ、こっちこっち」

 忌瀬が勢い良くぶんぶんと手を振る。

 そちらを見ると舞姫が、汗をふきふきしながら、笑顔でこちらにとてとてとやって来た。

 その後ろにはぴたりと珠洲。

 すでにして火を付けられた村人は、各々が自由気ままに踊り狂っている。

「……う〜〜ん」

「どうした?」

「汗をうっすら掻いてる座長、超絶色っぺぇよね」

「同感だ」

 腕を組んで熱心に丹念にじろじろと、男だったら軽蔑されること疑いなしで、露骨に視線を這わせてる忌瀬に、

九峪は女に生まれれば良かったと思いながら、その意見に間髪入れずに賛同の意を示した。

 肌が白い。

 その透きとおるように白い肌が高揚して微かに、咲きはじめの桜の花びらのように鮮やかに色づいてる。

 汚してはいけないのはわかってるのに、何故だか妙に穢したくなる色だった。

「…………」

 珠洲が凄い視線で睨んでいるがそれは無視。

 ちなみにこの一座と出会ってから今夜で七日目だが、このお子様に本気で殺されかけたのはすでにして七回。

 一日一殺。

 対。

 一日一逃。

 それなりに九峪の危機回避能力も上がってきたみたいだった。

「なんて言うのかこうさぁ」

「あん?」

「座長の胸とか腰見てると『ヨイではないかヨイではないか』とか『身体は正直だのぅ』とか言いたくなるよね」

「わからなくはない」

 自分の身体を抱きしめながら、クネクネとしだした忌瀬に、織部もどんぶり片手にうんうんと頷いてる。

「…………」

 このふたりがもしも男だったなら、珠洲に狙われること請け合いだ。

 しかし志野の身体はふたりの意見と一緒で、九峪もそんな風にしてみたいと、考えないこともないこともない。

 こんな風に、

「いやン駄目っ!? 九峪さんやめてくださいっ!! お願いです後生ですからっ!!」

 言ってもらいたいし、

「ふふふっ。座長だって嫌いじゃないんだろ? ほ〜〜れほれほれ、大人しくこっちを向くんだ志野ぉ」

 言ってみたいと少しくらい思わなくもないこともない。

 だから勝手に自分の名前を妄想に使われてはいるが、九峪は率先的に暴走気味の忌瀬を止めようとはしなかった。

 そんなわけで止めたのは、

「ああ堪忍して九、ぁ痛っ!?」

 見事に真っ赤な顔で拳骨をごんっと、忌瀬の頭に落とした志野本人である。

「恥ずかしいこと大声で言ってるんじゃありませんっ!!」

 滅茶苦茶怖い。

 いや、志野も怖いのだがそうではなくて、指に何かを密かに填めている珠洲を、九峪は見逃しはしなかった。

「…………」

「…………」

 九峪の視線に気づいたのか、珠洲は『チッ』と舌打ちし、しばし見詰め合ってからさっと逸らす。

「…………」

 本気で殺りそうで冗談抜きに、この少女は怖いときがある。

 その瞳は決して純真なものではない。

 この世の悲しみも汚れも、全て余さず見てきたという、そんな重くて暗くて冷たい炎を内に宿らせている。

「珠洲」

「…………」

「珠洲」

「…………」

「お〜〜い珠洲。うん? なんだ? やっぱり『ちゃん』が必要なのか?」

「……ちゃんはいらない」

 おまえと話すことはないという態度だったが、この男がしつこいのは、珠洲もこの七日間で学習していた。

 不承不承で返事を返す。

 そしてこの後にこの去飛の街で拾った変な男が、自分になにをする気なのかもわかっていた。

 珠洲は身構えるが、その小さな身体は、もう小刻みに震えてる。

 少女はこの場からいますぐ逃げだしたかった。

「志野とふたりっきりになっちゃおうかぁ〜〜? 越後屋プレイしちゃおうかなぁ〜〜? どうしようか珠洲?」

 でも逃げられるわけもない。

「!?」

 珠洲の身体がびくっと、九峪の動きに反応した。

 周りはみんなで揃ってにやにやと、志野までがそんな珠洲を、にこにこと笑っている。

 志野の馬鹿。

 心の中で珠洲は自分が愛する、ただ一人の女性に毒づいた。

「顎を撫でただけだぜ。好きなのはわかるけど、まぁ待てよ。だけどこれってホント子供には破壊力あるよなぁ」

 意地悪く九峪は何度も何度も、珠洲の反応を見ながら顎を撫でている。

「…………」

 前フリだけで少女の身体はピークを迎えつつあった。

「いくぞ」

「!?」

 珠洲の肩がぴくんっと跳ねる。

 が。

「って、いやいやまだまだ。も〜〜うちょっとタメよっかなぁ。じらしてじらしてってのがいいんだよなぁ」

「………ほ」

 珍しくこの無愛想な少女の顔が、誰から見ても、とてもわかりやすく安堵で緩んだ。

 しかし、九峪の待ってたのは、それだったりする。

「ア――」

 けれどもこの七日間というものは、九峪はひたすらにこれを、感情表現の薄い少女の身体に仕込んできたので、

「ぶはぁ!?」

 予想してたよりも早く暴発してしまった。

「……イ〜〜ンって、おいおい。笑うポイントが大分ズレちゃったな」

 ケン志村は三世紀でも偉大である。

 珠洲の身体はくの字に折れて、ぶるぶると声すらも発せられずに、地べたに這いつくばって震えていた。

 もうこれは完全な刷り込み状態である。

 それがクルというだけで、行為自体は見なくとも、身体が条件反射で笑ってしまうのだ。

 関西人が飽きるほど見てるはずの吉本新喜劇に、死ぬまで笑い続けられるのと、おそらくは同じ理由である。

 多分。

「……良かったわ。こうやって珠洲も笑えるようになって」

「本人は地獄だけどね」

「お? なんだなんだ? どうすんだよ九峪?」

「写真に撮っておこうかなって思ってさ」

 この世界では相手がいないので切っていたが、九峪は電源を入れると、悶えてる珠洲にとピントを合わせた。

「……おや?」

「どうした?」

 何回かは見せてもらっていたが、何度見ても不思議な携帯を見てた織部が、妙な声を出した九峪に首を傾げた。

「いや、まぁ、別になんでもないよ。珠洲、こっち向け」

「そりゃ無理だって」

 忌瀬のツッコミはごもっとも。

 ある意味で生命の危機に直面してる珠洲には、とてもじゃないがレンズを見る余裕はない。

 しょうがないので九峪はそのままシャッターを切った。

「ふふっ。珠洲、可愛く写ってますね」

 九峪の手元を隣りからひょっこり覗き込んできた志野が、我がことのような嬉しそうな顔で微笑んでる。

「ガキはしかめっ面してるより、笑ってる方がやっぱしいいやね」

「……ええ、本当に」

 ふわりと香る志野の匂い。

 至近距離で見詰めてくるその瞳には、いつも若さに似合わない憂いがある。

 吸い込まれそうだった。

「でもさ。いま笑ってんは小手先の技術で笑ってるんだ。本当の本気で笑えるようになれば、もっと良いよな」

「そうですね」

「心から笑えるようになるのは、まだまだ先だと志野は思うかい?」

「……さあ、どうでしょう? でも九峪さんならきっと、珠洲を心から笑わせることだってできますよ」

「……オーケー、頑張ってみるよ」

 このふたりの本当の本気の笑顔を見ることが、この世界での当面の自分のすることだと心に決めて、

「もう一枚撮っておくか珠洲」

 怒りと笑いとをごちゃ混ぜにして、こちらを鼻水垂らして睨む少女の顔を、パシャリと九峪は携帯に収めた。