火魅子伝・奇縁良縁 第十一話 尻尾 (H:小説 M:九峪×只深×忌瀬×一座 J:シリアス?)」
日時: 03/20 17:41
著者: 青色


 眼鏡の奥の瞳が光る。

 この街の目抜き通りに露店を構えてすでに三日目。

「……ふむ」

 那の津から征西都督府、片野から国分、そしてこの当麻の街にと、九洲の地を一通り見てきたわけだが。

 見事なまでにに寂れている。

 こらあかんわ。

 只深のこの街への偽らぬ第一印象だった。

 通りは非常に閑散としていて、一度も人と肩がぶつからずに済むので、それをまたひどく実感させられる。

「悪い気はそりゃしないんだけどさ」

「じゃあいいじゃん」

「でも釣銭を渡すときの、女の子が手ぇ握るってのは、ありゃ絶対に野郎の何割かは勘違いしてると思うぜ」

「わたしに握られてもする?」

「……おまえの場合は薬の被験者になってくれとか言われそうで怖い」

「ははっ。あるある」

 この街に来たのは只深自身は初めてで、昔は知らないわけだが、人伝に聞いてた話とはかなり様子が違っていた。

 完全に狗根国の九洲占領政策は失敗している。

 誰でも使う日用の物から、大陸産の珍奇な物まで、品揃えはいいはずなのに、ほぼ恐喝同然の馬鹿狗根国兵以外、

この何も買わないのに、毎日お茶だけ啜って帰っていく、妙なふたりしか客がほとんど来ない。

 通行客は横目で見てただ通り過ぎるだけだ。

 そもそもこうした商店の数そのものが、街の規模からすれば、極端で露骨なまでに少ない気がする。

 もっとも。

 一因を想像するのは誰であっても難しくはない。

 露店を開くための土地代が、あまりにもあまりで高すぎるのだ。

 これが半島にある大店が後ろ盾になっていて、九洲の市場調査を兼ねていなければ、只深だって絶対に開かない。

 この当麻の街は抵抗勢力に対する最前線の補給基地であり最重要拠点。

 なのに静かにゆっくりと自滅しようとしている。

 留守の相馬は無能だとは聞いてはいたが、有害とまできてはもうこれはどうしょもない。

 それを野放しにしている征西都督府のお偉方も高が知れてる。

 いずれ当麻の街は自力だけではどうにもならなくなり、美禰の街にでも物資を頼り堂々と寄生をするのだろうが。

 それにしたって当麻の規模は破格に大きい。

 援助するにしてもあっという間に、美禰の方に今度は限界がくるだろう。

 すると次は軍都としての体裁と存在意義を保つ為に、阿呆の相馬がすることといったら民衆の締め付けしかない。

 くるくると狂った悪循環。

 完全に狗根国の九洲占領政策は失敗している。

 終わってない。

 耶麻台国は形として消えてしまったが、狗根国との戦争はまだまだ続いている。

 そこで。

「…………」

 嫌な計算をすれば九洲で一番売れるのは、日用品でも大陸産の珍奇な品でもなく、人を殺す道具だということだ。

 本当に自分が嫌になるくらいに嫌な計算だった。

 そしてこれ以上ないくらいに客観的で常識的でとても正しい答えだった。

「はぁ……」

 少し自己嫌悪。

 抵抗勢力がもうちょっと期待できればいいのだが、不利益を被るとわかってれば、商人としては投資できない。

「ホンマしっかりしてほしいわ」

 誰に『しっかりしてほしい』のかは、あえて只深は考えないようにした。

 考えてるだけではそこに何の意味もない。

 まぁ、いまはそれよりも、

「あ、忌瀬。俺のは茶葉はケチらずに濃い目にしてくれ」

「あいよ」

 本当に遠慮なしに豪快にドバドバッと、貴人しか口にしない大陸産の茶葉を、みすぼらしい碗に入れていた。

「…………」

 それって高級品なんやけど?

 口から何度も洩れそうになった台詞を、商人魂を総動員させた只深は、ちらっとふたりを見つつぐっと我慢する。

 開店三日であまりセコいことも言いたくない。

 それに。

 半島から共に渡って来た伊部にも、離れた箇所で露店を開かせているので、只深としても話し相手は欲しいのだ。

 閑古鳥。

 九峪と忌瀬を抜かせば、その日まともに会話するのは、夜に合流する伊部だけである。

 そんなのははっきり言って、只深には堪えられそうもない。

「関西人の血がメッチャ憎いわぁ」

「あん? どうした只深? なんか言ったか?」

「ううん。全然なんでもあらへんよ、九峪はん」

「ならいいけど。それでだな、さっきの釣銭の話に戻るけど、あれって逆に男にやられたら気持ち悪いよなぁ」

「殴ちゃっても誰からもそれは、文句は言われなさそうだよね」

 立派に正当防衛成立。

「返してもらった硬貨がぬくかったりしたら、変な念でも篭ってそうで、それはちょっとさすがに嫌すぎやなぁ」

 夏場で汗とかまで付着してたらそれもう危険物。

「でも思ったんだけどさ、女の子がやったら萌え萌えだけど、男がやったら燃えてしまえってこと結構あるよな」

「例えば?」

「う〜〜ん。……そうだなぁ」

「あ、うちも昔なんやけど、それは引くわぁって、人に言われたことあるでぇ」

 考え込んだ九峪に代わって、只深がぽんっと手を叩く。

「どんなんの?」

「忌瀬はんもこの間会った伊部に、これ言われたんやけど、空豆が好きや言うたんや、足の臭いがするからって」

「……ああ、まぁ、そりゃ引くわ」

「ええっ!? 別に足の裏嗅ぎながら、空豆食うたんちゃうんやでぇ?」

「どうせひとりになったらやるんでしょ?」

「すんまへんな忌瀬はん。それについては黙秘権や」

 手のひらを忌瀬の顔の前に晒して、本人もわかってやってるのか怪しいが、何故だかそう言う只深はお澄まし顔。

「大体それって男がやっても女がやっても萌えないじゃん」

「なに言てん。萌え萌えですやん。みんな微妙に違ってて、どんな臭いやろとか考えたら、ムッチャきますやん?」

「そ、そうなんだ」

 只深を引き気味で見る忌瀬の眼には、密かに憐憫が映っていたりした。

「可愛いのに因果な業を持っちゃったね」

 小さな頭に軽く手を置いて、かいぐりかいぐり、忌瀬は愛おしそうに只深を撫でる。

「忌瀬はん。子供扱いはやめてんかぁ。見かけと年齢はどうにもならんのや。けど、うちはもう十五歳なんやで」

 その手をやんわりと退けた只深はむくれ顔。

 色々と表情の忙しい娘だ。

「子供扱いすんな、なんて台詞が、その証拠なのはわかっとるけど、頭撫でられてさすがに喜ぶ歳やないねん」

「もう、じゃなくて、まだじゃん」

「もう、なんや」

「まだまだだよぉ〜〜。それにわかってないなぁ、撫でられる気持ち良さを。これが好きな男なら昇天するよ」

 話が逸れてる。

「どんなんの?」

「なでなでされると身体がぽかぽかしてね、くらくらとしてね、ほわわぁ〜〜んってお空に飛んでっちゃう感じ」

「……なんかようわからんなぁ」

「もちろん。好きな人じゃないと駄目だかんね。あ? とりあえず九峪に撫でてもらえば? わたしはクルよ?」

 さらっと愛の告白。

 どうしてだか何故だかお互いの性癖発表会になっていた。

「ねぇねぇ九峪。また頭をな――」

 只深のではなく自分の頭をひょっこり突き出しながら、忌瀬はまだ考え込んでる九峪に声を掛ける。

 すると。

「わかったこれだぁ!!」

「どわぁああ!?」

 近づいてくるのを待ってたように、九峪が伏せていた顔をがばっと上げた。

 あと少しで忌瀬は頭を撫でてもらうんじゃなくて、不意打ちの良い角度で頭突きをもらうところである。

「裸に靴下だよっ!! エプロンも考えたけど、こっちの方がやっぱり現実的だっ!!」

「……はぁ?」

「なんやの?」

 九峪は言葉の勢いそのままにその場に立ち上がっていた。その表情は天啓を受けたようにキラキラと輝いてる。

 ちょっと不気味。

「女の子が裸に靴下は満場一致で可決されるだろうけど、男がこれやったら満場一致で暴動間違いなしだぜっ!!」

 力強い。

 何の裏付けも根拠もないが、この男の言葉は無闇やたらに力強い。

「…………」

「…………」

 周りが連いて来れないくらいに、それが男なら必死に追うが、女の子だとぽつんと取り残されるほど、力強い。

「それをず〜〜っと、九峪くんは考えてたんだぁ」

「忌瀬はん。頭撫でてもらわんの?」

「いやいやいや〜〜〜〜。ここは只深ちゃんに権利を譲るよ。ひゅうひゅう〜〜〜、大人になる第一歩だぜぇ?」

「……辞退させてもらうわ」

「うん? なんだよ? 大人になる第一歩って?」

 九峪の耳にはしっかり聴こえてたんだろうが、どうやらふたりの会話は、脳ではまったく聞いてなかったらしい。

「子供の只深が大人になる儀式をどうするかってことさ」

「ちゃうわっ!!」

「子供の只深が大人になる儀式をどうするか、……ねぇ」

「な、なんやのん?」

 じろじろと『自称』子供じゃない少女の身体に降り注ぐ穢れまくった熱視線。

 一瞬びくっとするのがなんか良い。

 大陸では珍しくもないが、この九洲ではえらく珍しい魏服

 その切れ目からちらりと覗いている太ももは、色っぽいと表現するにはまだまだ程遠い。

 山もなければ谷もない胸は、九峪が小人であったならば、闊歩するのに難儀することなく非常に楽そうだった。

 昼寝は控えめでなだらかな丘でするとしよう。

 腰つきも幼さがはっきり残ってる。顔にもうっすらとそばかす。

 十五歳にしてはその身体は発育不良児。

 だが全体的な素材は悪くないどころか素晴らしく、磨けば光るというかなんというのか。

 でもそこをぐっと我慢の子になって、あえて磨かずこのままそのまま、未完成の状態にしておきたい。

 老いを自覚しだしたおっさんなら、なんでも買ってあげたい魅力がある。

 永遠の孫娘。

「欲しいものはあるか只深」

 そう言って少女の両の肩に手を置いた九峪の姿は、何だかまだまだ若いのに、田舎のお爺ちゃんみたいだった。

「なんでもええんか?」

「ああ、言ってごらん」

「う〜〜ん。『ごらん』の辺りにこの爺ちゃん、ぼんやりと滲む隠せないエロさがあるよねぇ」

「黙れ愛人気質」

「ひ、ひどいわ。あんなに激しく愛し合ったのにっ!!」

 よよよっと泣き崩れる忌瀬。

「先に言っとくけどうち、そのミニコントにツッコまへんよ。で、ホンマに九峪はん、何ぞ買ってくれるんやな?」

「もちろんさぁ。ちなみにどうしてミニコントなんて、カタカナ言葉を知ってるのかもツッコまないぜ」

 視界の端。

 下手な演技を早々に切り上げて、またまた忌瀬がお茶を淹れている。

「とりあえず。この広げてる商品買ぅてくれへん?」

「オーケー。まとめてここの商品買わせてもらうぜ」

「…………」

 九峪の言葉にはまるでまったく一切の躊躇がない。

「軽い冗談やからええけど。そんなことばっかしホイホイ言うとると、いつか後ろからぶすり刺されんで九峪はん」

「ちゃんと相手は選んでるよ。お? 悪いサンキューな」

 忌瀬に淹れてもらったお茶を受け取りながら、真面目なのかふざけてるのかわからない顔で微笑む。

「…………」

 不思議な男やなぁ。

 その屈託のないという表現が合うんだろう笑顔を眺めながら、ぼんやりと無意識に自然に只深はそう思った。

 会った人間とすぐ仲良くなれる。

 これはもう努力とか心掛けとか技術ではなく、いや、そういうのもあるのだろうが、やはり一種の才能なのだ。

「…………」

 しかしそれにしても、九峪という会って三日の人間が、只深という人間に踏み込んでくる歩幅はひどく大きい。

 商人という生き方をしてる以上、どんな人間とも、それなりに付き合う自信はある。

 あるが、顔は仏で、心は鬼も、決して珍しくはない。

 けれども只深は九峪になら、浮ついてるだけにしか見えない男なのに、心の領域を侵されるのは嫌じゃなかった。

 我慢することなく無理することなく、当たり前に飾ることなく心が開ける。

「んん? おやおや? あんた、さてはさては」

「な、なんやの?」

 お茶をずずっと啜ってる九峪を、本人も知らず、じっと見ていた只深の耳元に、忌瀬がそっと唇を寄せて囁いた。

「この男に惚れたね?」

「!?」

 ボッと音がする。

「は、はぁ!? な、なに言うてんのん忌瀬はんっ!! そ、そ、そんなわけ、な、ないやおまへんかっ!!」

「……おいおい。おまへんかって。あんたそりゃ可愛すぎ。そんなわかりやすく認めなくていいよ」

 なるほど。

 とってもわかりやすく只深の顔は耳の先まで真っ赤になっていた。

「ちゃうわっ!!」

「あん? なにが違うんだよ?」

「やかましい!!」

「お、怒られた。忌瀬、俺なんかわかんないけど、いきなり眼鏡っ娘に怒られたぞ? これは反抗期なのですか?」

「いやいやいや〜〜〜〜。いまの只深ちゃんにならさ、あんたは何されても文句は言えないよ」

 腕を組んだ忌瀬はしたり顔で何度も何度も『うんうん』と頷いてる。

 にやにやとにやにやと只深を見るその眼は、新しい玩具を見つけた子供のものだった。

 と。

「ってまぁ、只深の反抗期、それはともかくとして、だ。ほら、来たぞ志野たち」

「来たのは反抗期じゃなくて春なんだけどね」

 九峪の指差す方向を、忌瀬は何か言おうとした只深の口を、素早く塞ぎながらゆっくりと振り返る。

 志野が珠洲と手をしっかり繋いで、織部らと一緒にこちらに歩って来ていた。

「ああ、あれが色っぽい座長はんでっか?」

 只深が口元を押さえていた手を外すと、色っぽいという情報だけで、直球で志野を見ながら忌瀬に尋ねる。

「そうだよ。あれがどこに出しても色っぺぇ、我らが座長さ」

 何故だかえっへんと、偉そうに、目立たず地味に豊かな胸を張る忌瀬。

「……くっ」

 別に羨ましくないっ!! うちは成長期なんやでっ!! これからなんやこれからっ!!

 心の中で只深が魂で叫んでいたことは誰にも言えない一生の内緒だ。

「気にすることはないさ。すぐに大きくなるって」

「わたしも只深くらいのときはそんなもんだった」

 同時にぽんっと少女の肩を、慰めるように叩く九峪と忌瀬。

「心の中を簡単に読むなやぁ!!」

 墓まで持っていける秘密なんてなかなかない。

「それに大きければ良いってもんでもない。ただ大きければいいんだったら、牛にだってむらむらするじゃないか」

「そうそう。均整っていうか。色っぽさとか可愛さに繋がらなきゃ、大きくたってまるで意味なんてないよ」

「きみはそのままが、ぼくは良いと思います」

「ほっとけっ!!」

「こういう守備範囲広いっていうか、なんでも来いの、節操なしもどうかとは思うけどね」

「じゃあ、そういう忌瀬さん、お前さんはどんな胸が良いんだよ?」

「あたしは断然、座長の胸、っていうかオッパイっ!! もうホントむしゃぶりつき、ぁ痛っ!?」

「恥ずかしいこと大声で言ってるんじゃありませんっ!!」

 どんどん胸ではなく、声が大きくなってきた忌瀬の頭に、ごつんと志野の加減のない拳骨が落とされた。

 滅茶苦茶怖い。

「九峪さんもなにをにやにやしてるんですっ!!」

「は、はい」

 いい大人ふたりが正座して説教されていた。

「うう〜〜ん。ほっかほっか」

 九峪はんや忌瀬はんを、座員として抱えとるんなら、このぐらいの迫力がないと、やっぱしあかんのやな。

 只深は志野のその見事な肢体だけでなく、変なところでも妙に感心したりしている。

「うん?」

 と。

「…………」

「…………」

 少女と目が合った。

 指に何かをそっと密かに填めている。

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「……あの」

「…………」

 沈黙に先に堪えられなくなったのは只深だった。

「えっと、お譲ちゃん、に、人形みたいに可愛いなぁ。お、お名前はなんていうんや? あ、うちは只深やけど」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「珠洲」

 このまま気まずく眼も逸らせず、ひたすら無視されるかもと思っていたが、無愛想に珠洲は只深に名前を告げる。

 正直言って只深は大いにほっとした。

 しかし。

 珠洲としては只深に答えたわけではなく、志野の心配するような視線に応えただけだったりする。

「珠洲ちゃんかぁ。可愛らしゅうて、ええ名前やなぁ」

「ちゃんはいらない」

「へ?」

「ちゃんはいらない」

 どこまでもとことんで、この少女は無愛想。

「あの、気にしないでくださいね。この娘ちょっと人見知りするんです」

 志野が最早慣れた仕草でぺこりと頭を軽く下げる。

「…………」

 そんな志野に本当に一瞬ではあるものの、苛ついたような視線を珠洲が走らせたのを、只深は見逃さなかった。

 親の心子知らずてのは、こういうこと言うんやろうかぁ。

 少しだけ只深は楽浪郡にいるだろう、父親である恒只を思い出していた。

「それではここにある商品をいただけますか?」

「へ?」

 だから志野からいきなり言われた台詞に、郷愁感に浸っていた只深は、思わず間抜けな声を返してしまう。

「高級品は買えませんから、日用品と大陸産の、小道具に使えそうなのだけですが」

「あ、ああ、そ、そうことでっか? お、おおきに」

「さっき言ったろ? ここの商品買ってやるってさ」

 九峪が勝手知ったるで、素早くほいほいと、雑嚢に商品を詰め込んでいく。

「志野はんが買ってくれたんやないかぁ。九峪はんの財布は全然まったく傷んどらんやろ」

「ふふふふふっ。俺と忌瀬がただこの三日間、お茶を飲んでダベッてただけだと思うか?」

「半分以上は稽古の邪魔だからって、追い出されたからだけどね」

「ここの商品は『いいぜいいぜ』と、しつこいぐらいに宣伝しといたんだ」

「……おおきに」

 そういう風に言われれば只深も商人である前に人間だ。嬉しくないことはない。

 けれど。

「…………」

 日用品が全部売れても、ふたりが遠慮容赦なく飲んだお茶の代金で、それでもいくらか只深が割を食っている。

 まぁ、うちも自分の財布やないし、あまり細かいことは言わんけどな。

 面白い人たちとこうして知り合えた。

 それを思えばそれほど高いということもあるまい。なんてな風に只深は思うことにする。

「でもホント買ってくれて助かりますわ。狗根国の兵隊さん達は、なかなか財布の紐を緩めんからなぁ」

「金が可愛くて可愛くて、あいつら仕方ないんだろ。可愛い子には旅をさせろって言葉を知らねぇんだ」

「ここの街の兵隊さんは特にそうや。多李敷って隊長さんには、一番高い酒を後払いで持ってかれたわ」

 只深は思い出しただけで腹が立ってきた。

 露店を開いたその日その瞬間に、どこからか屍肉を漁る烏のようにやって来て、有無を言わさず奪っていた。

 あの下品で卑しい顔は、覚えていたくはないが、しばらくは忘れられそうもない。

「……うん?」

 嫌な気分で顔を上げた只深は志野と眼が合った。

「………ッ」

 身体が放たれる冷たさに竦んだ。

 笑っている。

 白い貌が静かに音もなく、ただ無慈悲に笑っている。

 鮮やかに艶のある、美しくも妖しい唇が、小さく微かにではあるが、はっきりと言の葉を一度だけ呟いた。


 や・っ・と・つ・か・ま・え・た…………。


「…………」

 ぞくりと寒気が走る。

 いますぐ只深は商品など放り出して、この場から逃げたい気持ちに駆られた。