「火魅子伝・奇縁良縁 第十二話 思い出は痛手 (H:小説 M:九峪×一座 J:シリアス)」
日時: 03/25 16:20
著者: 青色


「あの男を殺すためだけに、いまのわたしは生きています」

 終わってる。

 復讐。

 それをしようという人間は誰しもが、悲しくて狂おしく昏い想いに囚われてる。

 前にも後ろにも右にも左にも、もうどこにも彼女はいけない。

「……そっか」

「ここのみんなにはさ、何かあるんだろうと、薄々だけど思ってたよ」

 九峪と忌瀬の居候ふたりは、表情など一切消してする志野の話に、気の利いたことも言えずにただ頷いた。

 もっとも。

 そんなものなど言えるわけもない。

 手垢に塗れ使い古された俗な言葉を用いれば『復讐は何も生まない』などと言うのだろうが。

 それは真理でそれ自体に間違いはない。

 でも、しかし、それがいかに復讐者に対して、的外れな台詞かふたりは知っている。

 そんな勘違いした言葉は届かない。

 臆面もなく言える奴は馬鹿ではなかろうか。少なくとも自分の立場からでしか、ものがまるで見えてはいない。

 そんなのわかっている。

 何かを生むために、そんなことをする奴など、そんな酔狂な奴など、どこにもいやしないのだ。

 それは手段などではなく、それこそが唯の目的。

 復讐。

 それさえ果たすことができれば、他にはなに一つも望まない。

 救われない話だった。

 これこそが絶望というやつなのだろう。やはりそれは終わっている。――もうどこにも彼女はいけない。

 昏い炎にその身を灼かれながら立ち尽くすのみだ。

 始まれない。

『突然ではありますがふたりには、明日にでも、早々に一座を出てもらいたいのです』

 その言葉のとおりに、本当に突然切り出された。

 どこかいつもと雰囲気が違うなと感じながら、九峪と忌瀬が篝火の周りで飲み食いしていたら言われたのだ。

 この一座には何を犠牲にしてでもしなければならないことがあると。

 巻き込むことはできないと言われた。

 巻き込むことはできないと、まるで関係のないふたりを巻き込むことはできないと、はっきりと志野に言われた。

「…………」

「…………」

 言葉としては九峪と忌瀬を心配してるように受け取れる。

 いや、実際のところ、志野は心配りも、本当にしてくれてるのだろうが、言葉の意味はそれだけではない。

 これは家族だけの問題だと言っているのだ。

 他人には手どころか口も出して欲しくないと言っているのだ。

 邪魔だと言われたのだ。

「…………」

「…………」

 それには理解も納得もできる。

 まだまだ短い付き合いではあるものの、この一座の結びつきは仲間ではなく、確実に家族のものだと感じていた。

 そこには他人には窺い知れないところがある。

 あれだけ頼られる姉御肌の織部に、ひどくはないが孤独癖があることは、志野に『そっとしてあげてほしい』と、

そう言われて初めて気づいたし、そんな織部に近づけるのは、志野だけだというのもそのときに初めて気づいた。

 どんなに親しくはなっても、家族にしかわからないことがある。

「わたし、本当は座長ではないんですよ」

 にこにこと舞姫が笑っていた。

「…………」

「…………」

 けれどその綺麗な笑顔を見ても、九峪も忌瀬もちっとも笑えない。

 何だかいたたまれなくなってくる。

「本当は座長代理なんです。本当の座長は志都呂という人で。幼いわたしと珠洲はあの人に救ってもらったんです。

あのときは耶麻台国と狗根国の戦争が、いまよりずっと生々しくて、九洲のどこにいったって満足に食べるなんて、

とてもじゃないけどできなくて、毎日がひもじくて寒くて淋しくて悲しくて、珠洲と一緒にわたしはあのとき、

雨に打たれながら死ぬしかなかった。ふふふっ。悪いことだとはわかってはいましたけど、人様の物を盗んだりも、

ええ、随分としましたね。しないと生きていけませんでしたから。でも、それすらもする体力がもうなくなって、

死ぬしかないというときに、あの人は自分が雨に打たれるのも構わずに、わたしと珠洲に声を掛けてくれたんです。

最初は雨の音がひどく五月蝿くて、ふふっ、何を言っているのか全然聞こえなかった。早くどこかに行って欲しい。

どうしてこの人は楽にさせてくれないんだろうと思いましたよ。でもね。大きくないのに、あの人の声はゆっくり、

わたしと珠洲の心に優しく流れ込んできて、『一緒に来るかい』そう言われたときは、涙が出るほど嬉しかった。

神なんていないと思ってたけど、わたしにはずぶ濡れになっているあの人が、まるで神の遣いのように見えました。

だけどあの人は、少女の御伽噺に出てくるような、甘いだけの人じゃなくて、ふふふっ、見た目だってそんなには、

格好の良い人じゃありませんでしたしね。起こしに行くと必ず寝癖が付いてるし、お酒を呑むと泣き上戸ですし。

惚けた感じでそばにいるだけで安心する温かい人。だけど芸事だけは妥協なく、厳しいところもある人でしたね。

稽古中に泣いたのは一度や二度ではありません。大嫌いだった時期もあって、顔を見るのもあのときは嫌でした。

お金が貯まったら珠洲とここを出て行こうって真剣に話したこともありましたよ。だけど次の日にはもうけろっと、

ふふっ、何もなかったみたいに忘れてましたけどね。いつもわたしと珠洲のことを、いえ、そうじゃありませんね。

一座のみんなのことを考えていて、ああ、そういえば、そんな人ですから、わたしもまだ子供だったときには、

どうしてわたしだけを見てくれないのか、なんて、子供っぽい駄々をこねたこともありましたっけ。

うん? あら? すいません。お恥ずかしい話でしたね。とにかく本当の意味で、とても優しさに溢れた人でした。

楽なことだけではありませんでしたが、毎日があの人を中心に、当たり前のように、堪らなくわたしは幸せでした。

あの日までは」

 ここまでを志野はにこにこしながら、憑かれたように一息にしゃべった。

 志野の隣りにちょこんっと、体育座りしている珠洲は、志野が話し始めてから一度も顔を上げようとしない。

 それはまるで声もなく泣いてる様にも見えた。

「三年前です」

 その言葉に空気が凍った気がする。

「…………」

 いや、それは少し違うか。

 おそらくは、件の三年前から、この一座の時間は止まっているのだろう。

 あるひとりの男がいなくなってから、ずっと、…………ずっと。

「わたしも十六歳になっていて、稽古の成果もあってそれなりの芸を、お客様に披露できるようになっていました」

 篝火が爆ぜる音。

「…………」

 昨日の夜も聴いたはずの、その小気味のいい音が、今夜の九峪には妙なほど耳障りだった。

 呑んでる酒にも味がしない。

「そこはぎりぎり、城郭と呼べるような、小さな街でした」

 ぐいっと不味そうに酒を呑む忌瀬が眼の端に映る。

「兵舎で芸を見せてくれというので、わたしとここにいるみんなで、座長と数人を残して芸を見せに行きました」

 お呼ばれ。

 普段は街の広場などで公演するのだが、やはり狗根国の兵隊は下っ端でも、金はそれなりに持ってたりするのだ。

 狗根国に良い感情はないが、どんな奴の払いでも金は金である。

 そのときにはメキメキと頭角を現し、花形になっていた志野はもちろん、一座の主だった者が招かれていた。

 その間。

 すでに一線を引いた者や経理担当ばかりで、座長の周りには、腕利きがわずかしか、いなくなっていたのである。

「わたしたちが座長の元に帰ってきたのは夕方でした」

 志野の笑みがさっきよりも深くなっているのに、不愉快な気持ちと一緒に九峪は気づいた。

 何故だか無性に腹が立つ。

「…………」

 原因は丸わかりでわかってはいるが、ある名前が出てくるたびに、そっちには九峪は気づかないふりをした。

 嫉妬。

 告白もしてないのにちょっとフラれた気分である。

「思っていたよりも報酬が貰えて、わたしたちは意気揚々と帰って来ました。ふふっ。いま考えると滑稽ですね」

 やはり綺麗ではあるがその笑顔では誰一人も笑えない。

 そしてこれから志野が笑えないオチを言うことは、誰であっても容易にわかることだった。

「惨殺です。酷いものでした。あの人はもう息を引き取っていましたし、生きていた者も朝日は見れませんでした」

 炎を挟んだ向かい側にいる織部は、珠洲とは対照的に、ずっと夜空を睨んでいる。

 でも、まるで泣いてるかのように見える、その印象はふたりとも、ちっとも変わらなかった。

「嫌な感じだぜ」

「まったくだね」

「…………」

「…………」

 九峪は独り言を呟いた積もりだったが、忌瀬から返答があったので見ると、詰まらない顔で酒の杯を煽っている。

「でもね。虫の息でしたけど、生きていた団員は最後に、わたしたちがどうすればいいか、教えてくれました」

 狂喜。

 とでもそれを言ったらいいのだろうか。もうその凄惨な笑顔は、とうに後戻りできないところまで来ている。

「このくだらない芝居を演出したのは、多李敷という兵士だったそうです。この街では校尉になってるそうですが」

 あの後に志野は只深と随分と熱心に話していた。

 しかし眼鏡っ娘には同情する。

 志野は後姿だったのでわからなかったが、只深の顔は引きつっており、その様子は詰問してるかのようだった。

「狗根国は本当に腐っていましてね。ある程度の地位はお金で買えるそうなんですよ」

 九洲の抵抗勢力の活動はひどくささやかである。

 大きな合戦がない以上は、武功がそうは立てられず、高い地位に縁者も知己もない軍人が出世するのは難しい。

 なのに。

 三年で一兵士がそこまで階級を上げるというのは、そういうことをしている証左の一つだろう。

 いや、それはもはや、間違いないと断言してもいい。

「わたしたちの一座のお金も、いくらかは賄賂の足しになったんでしょうね。…………うふふふふっ」

 でなければありえない大出世だ。

「あの日わたしたちは座長の躯に誓いました。例え何年掛かろうとも多李敷を殺すと。三年で見つかって運が良い」

 救われない。

 花の命は短くて恋せよ乙女。

 その咲き誇る若い娘が、貴重な時間をそんなことの為だけに、費やしてきたのかと思うと救われない。

「明日からわたしたちは一分一秒を、多李敷を殺すためだけに動きます。むろん、刺し違えても構わない決意です」

 覚悟は全員あの日あのときにに完了しているのだろう。

 志野の言葉に反論する者は誰もいない。

 ここにいるのはもう、そういった段階は、とっくのとうで過ぎ去った者ばかりである。

 もちろん。

 覚悟さえしていればいいってもんじゃないが。

「…………」

 何もない九峪がそんな彼ら彼女らに何かが言えるわけもない。

 力不足。

 でも何かを言わなきゃいけなかった。

「どうして」

「はい?」

「どうしてそんな話を、俺と忌瀬にしたりしたんだ? あなたがたはクビです、の一言で簡単に追っ払えたろう?」

 ふたりには人様にお見せしてお金をいただくような芸はない。

 座員になった経緯だって、ほとんどふたりがふたりとも、押しかけ同然の成り行きだ。

 一方的に解雇通告をされても文句は言えない。

 わざわざこんな重い想いの話を、家族にはなれなかったふたりに、わざわざすることはないのだ。

「未練ですかね」

「未練?」

「九峪さんに出会ってからは、毎日があの頃に戻ったみたいに楽しかった。夢のような日々でした。……でもね」

「…………」

「夢は醒めるんですよ。当たり前のことを、今日は気づかされ、思い知らされ思い出しました」

「…………」

「あの男を殺すためだけに、いまのわたしは生きています」

「…………」

「九峪さんと一緒にいるとそれを忘れそうになる。ふふっ、…………怖いものなんてもうないと思ってましたけど」

「…………」

「意外と身近にあるものですね。わたしは夢が怖い。夢が恐ろしい。醒めてしまう幸せな夢などもう見たくはない」

「…………」

 自らを嘲笑うようにする志野を見ながら、九峪は思った。

 早く醒めればいいと。

 一座の悪夢は終わることなく、ひとりの男の死を、志野に見せ続けている。

「ねぇ、座長。あ? 今夜はまださ、そう呼んでも良いよね?」

「……ええ。なんですか忌瀬さん」

「座長は考えたりはしなかったのかな? わたしと九峪がこのことを、その多李敷とかいう奴に密告するとかは?」

「考えはしましたよ。でも、ふたりは間違ってもそんなことはしないでしょ?」

「どうかなぁ? しちゃいけないことをするってのが、なんせ間違いだからねぇ。いや、もちろん、しないけどね」

「ふふふっ。そうでしょ」

「一応は信じてくれているわけだ。素性も知れないわたしと、説明なしで変な九峪のことを」

 忌瀬が一気でぐいっとまた杯を傾ける。

「それがわかるくらいには、ふたりのことをわかれた積もりです」

「ぷはぁ〜〜」

 酒臭い息を吐きながら、忌瀬がにっこりと微笑んだ。

「ちょっとだけ今夜の酒が美味しくなったよ。にゃはははっ。ありがとね。これも座長のおかげだ」

 言いつつ九峪の空になってる杯に、ドボドボッと酒を注ぐ酔っ払い。

 九峪もなんとなくだが、少なくともさっきよりは、美味しく酒が呑める気がして、杯にちょんっと口をつける。

「…………」

 炎を挟んで織部と眼が合った。

 ちょいちょいと手のひらを軽く上下させて、一気に空けちまえ、そんな仕草を笑顔でしている。

「…………」

 肌を刺すような感覚に眼だけでそちらを見ると、膝に顎を置いて、珠洲も睨むみたいに九峪をじっと見ていた。

 みんながみんな、何故だか九峪を、笑顔で(一名不機嫌顔だが)見ていた。

「…………」

 志野は、志野はどうだろう?

 そう思って見ると、泣きそうに瞳をうるうると潤ませながら、口元を不恰好にひくひくさせて志野は笑っていた。

 骨の髄まで役者みたいな彼女には、珍しく格好よろしくない顔だ。

「…………」

 でも、出会ってから何度も魅せられた、彼女の笑顔の中でもっとも可愛らしい。

 その最高の笑顔を肴に、ぐいっと九峪は杯を煽る。

「ぷはぁ〜〜」

 美味い。

 同じ酒を呑んでるとは信じられないくらい美味い。

「夜明けまでにはまだまだある」

 口元を拭いながら、忌瀬の持っている徳利を九峪は受け取ると、杯を志野に渡し、とくとくと注いで満たす。

「志野にお酒を呑ますな馬鹿九峪」

 体育座りの姿勢のまま、珠洲が面白くなさそうに言ったが、立ち上がってまで止める素振りはない。

「お? 珠洲に呼ばれたのは初めてだなぁ」

「……なにが?」

「名前だよ、名前。嬉しいなぁ珠洲に呼んでもらえて。いやいや〜〜、俺はこの九洲で一番の幸せもんだぜっ!!」

 ぐっと九峪は親指を立てる。

 もちろんその笑顔は素晴らしく、そして今夜はちゃんと、意味のあるさわやか男前。

「……やっぱり馬鹿だ」

 そう言って珠洲はまた顔を伏せてしまった。

「珠洲。今夜くらいはさ、志野が酒呑むの、許してやってくれよ。そんじゃ志野。朝まで付き合ってもらうからな」

「わかりました。ええ。お供しますよ、……九峪さん」

「おしっ!! それじゃみんなで乾杯だぁ!! そして唄だっ!! みんなで高らかに唄を謡おうっ!!」

 すくっと立ち上がり宣言するのは忌瀬。

「かはははっ。こいつ地味に酔ってたんだなぁ」

 吹っ切れたように楽しそうな織部。

「九峪だけじゃない。この一座はみんながみんな馬鹿ばっかりだ」

 少しだけ注いでもらった杯を、くんくんしながら呟く珠洲。

「みんな持ったよなぁ。じゃ、ここは志野。座長として一発音頭をとってくれよ」

 ぐるりと見回し座長を促す九峪。

「はい。それじゃイキますよ? …………乾杯っ!!」

 涙をほろりと零しながら、いつもより甲高い、上ずった声で、杯を勢いよく持ち上げる笑顔の志野。

 それからはまぁ、阿鼻叫喚の地獄絵図だったり、そうでなかったり。

 しかし。

 こんな地獄だったら悪くないと思いながら、一座は朝を迎え、その輪の中から九峪と忌瀬が涙と笑顔で消えた。