火魅子伝・奇縁良縁 第十七話 気持ちの悪い風景 (H:小説 M:九峪・伊万里・ J:シリアス) |
- 日時: 04/16 17:08
- 著者: 青色
どんなに静かに移動をしたところで、いずれはどこかで見つかるだろう。
それでも。
捕捉されるのは出来るだけ先に延ばしたい。
隊列が長くなってはしまうが、集団としては二、三人から、多くても三、四人で、獣道を移動させている。
母親が幼子の手を握り、あるいは乳飲み子を抱えて、後ろ髪を引かれながら歩いていた。
「そうか」
その最後尾を一人で歩いていた九峪は、仁清の報告を受けながら、ある一点を眺めつつ無表情を無理やりに作る。
頭を割られて脳漿を噴き出した狗根国兵の死体。
隣りには喉を切り裂かれている、眼だけは誰かに閉じられているのが救いの、九峪の小さな小さな教え子。
どちらも、
「…………」
異常なくらい気持ちが悪い。
昨晩に食べた肉を、全て吐き出しそうなほど、胸がひどくむかむかとする。
「それはやり過ごしていい」
考えてみればこの世界に来て、九峪はもう一年は経っているわけだが、人が人ではないものに変わり果てたのを、
こうして見たのはこれが初めてだった。
しかし。
「伝えたらすぐにさっき、言ったとおりにしてきてくれ」
思考は酷く狡猾な計算をしながらどんどんと、目覚めるようにして、気持ち悪く冴えて醒めてきている。
周りもよく見えていた。
それでいてそれを無視するのに、抵抗こそはあっても躊躇はまるでない。
黙ったまま眼で気持ちを伝えてくる仁清。
「終わったら伊万里たちと合流して、その後は伊万里の指揮に従って川を渡るように」
九峪はそれにまったく気づいてないふりをする。
「…………」
そんな自分がとても不快だった。
「もういけ仁清。時間がない。こうしてる間も里長たちは戦ってる。……みんなを犬死にだけはさせたくないだろ」
封じ込め方もやはりどこか意地が悪い。
そうして寡黙な仁清の言いたかっただろう意見を、嫌らしく抑え込んで、話は終わりとばかりに邪険に手を振る。
「…………」
視界からその姿を外して、もう一度見ると、仁清はすでにいなくなっていた。
それだけで急に夜の闇の孤独が身に染みてくる。
しばらく、それを味わいながら歩くと、また一人の狗根国兵が、腹を刺されたのか血を流して倒れていた。
微かに動いている。
近づくと呼吸は激しく荒くて、死の臭いを濃厚に感じさせはするが、狗根国兵はぶるぶると震えて生きていた。
九峪は《それ》を一瞥してから、辺りをきょろきょろと、何かを探すように見回す。
「…………」
ちょうどこれから行う用途に合う、手頃な大きさのものを見つけた。
それを両の手で持って無言で歩み寄る九峪に、狗根国兵は眼をいっぱいに見開き顔を引きつらせる。
振り上げ、
「恨んでくれていいぜ」
容赦なく人の頭くらいの大きさの石を、動けないその男の脳天に落とした。
瞬間ぐしゃりと音がする。
もしかしたら、こうして逃げてる自分たちの情報が、この死にかけだった狗根国兵の口から洩れたかもしれない。
転がっている死体を発見すれば、どちらにしろバレるが、少しでも与える情報は減らしたかった。
危険が僅かでも可能性としてある以上は、生かしておくわけには絶対にいかない。
「…………」
わかってはいる。
だからこうして元いた世界での、法と理性と倫理を犯し手も汚した。
わかってはいる。
人に殺せと言っておきながら、自分は綺麗なままというのは、あまりにもあまりで虫が良過ぎる話だった。
「うっ!?」
慌てて両の手で口を押さえながら、胃から込み上げてくるものを飲み込む。
それは感傷でしかないが、自分にはそれを、吐き出す権利などはないと、九峪はなんとなくだが思った。
しばらくぶるぶると震えてから、荒い呼吸を整えて、押さえていた手をゆっくりと離す。
「くっそったれ。気持ち悪りぃんだよ」
さっきまでは人だったものに、それでも小さく小さく、誰にも聞こえないように九峪は呟いた。
敵のものも味方のものも、できれば見たくはないし作りたくはない。
だが。
きっとこれからも、見たり作ったりしなくては、大事な人が、あるいは自分が、人でないものになるだろう。
まだそうしたくはないし、まだそうなりたくはない。
「…………」
まだ早い。まだ――準備ができていない。もうちょっとだけでいいから時間が欲しい。
そう切実に思いながら、九峪は獣道を外れる。
里には一年も住んで居たので、近辺の山の地図であれば頭に入っていた。
大体ではあるものの、どこに設置すれば効率がいいかは、見つかりづらく効果が早いかはわかっている。
北の沢を中心にして、遠い場所は仁清に設置してもらったが、こちらは秘密なので自分自身でやるしかない。
正直慣れないので作業は手間取る。
伊万里や上乃に誘われたとき、面倒くさがらず、もっと率先して狩りに行っていればよかった。
「…………」
なかなか巧くできなかったりしても、上乃はすぐに手伝ってくれるが、伊万里は最後まで一人でやらせたりする。
こんなときではあるが、九峪は苦笑交じりに思った。
最近ではこのふたりに加え、九峪と仁清の四人でつるんだりすると、九峪が大概仕切るのが多かったりする。
だけどやはりそういうリーダー的立場は、伊万里の方が向いているのかもしれない。
上手とは言えないが、彼女に見守られ、最後まで一人でやった成果は、ちゃんと手元に出ている。
「サンキューな、伊万里」
いつも彼女の肩を叩くときのように、ぽんっと、それを軽く叩くと、九峪は少し早足になって獣道に戻った。
この為に最後尾に付けているとはいえ、些か以上に集団と差が出すぎている。
みんな黙々と地面を、あるいは前を歩く背中しか見ていないので、九峪が消えても誰も気づかない。
注意力が散漫になってきている。
それはこの際は、有り難いこともあるが、かなり追い詰められてるのもわかって、ひどく九峪は心苦しかった。
こんな嫌な空気を吹き飛ばす、そんな雰囲気を自然と持つ人間が欲しい。
はっきりと言ってしまえば、忌瀬がいまここに居ないのは、物心両面で九峪にとっては堪らなく痛かった。
若い戦える集団を常に五人単位で、隊列の間を行ったり来たりさせ、安心させようとしてるがそれでも足りない。
歩くみんなの顔からは、不安は微塵も消えてはいないだろう。
だが忌瀬を隊列の中央にでも置けば、大分安心の度合いは違っていたはずだ。
持っている性格もそうだし腕も相当に立つ。
そういう人間が近くにいるというだけで、不安は和らぎ、精神的な圧迫で無駄に体力を消耗しないで済むだろう。
彼女はかなり深いところまで、九峪の考えを読んだりするので、相談相手としてもとても打ってつけ。
指示したことに、文句はしっかり言うけれど、実行にはほとんど躊躇はない。
でも。
「あいつはいつもいつも、肝心なときにいねぇんだよなぁ」
半年ほど前。
阿祖・駒木の里の話をしたら、余程お気に召したのか、次の日には目指し旅立ってしまっていた。
「はぁ〜〜」
ないものねだりをしても仕方がないのだが、忌瀬のことを考えると、どっと疲れと一緒にため息が出てしまう。
いてもいなくても、九峪にとって、非常に扱いに困った難儀な女だった。
「……まぁ、それはいいや、それはそれとして、だ」
夜空をじっと眺める。
風は先程と変わらず強いものだったが、その方向はまた急激に変化している。
山の天気は変わりやすいというが、さすがにこればっかりは、この里に一年居ても、というより一年程度では、
とてもじゃないが簡単には読み切れるものなどではない。
仁清にでも訊けば答えは返ってきそうだが、九峪がやろうとしているのは内緒というのが前提であるし。
だけど。
「なんとも」
我ながら下手くそで理不尽な策だと、九峪はぽりぽり頭を掻きながら思った。
しかし。
即興で考えられることがこれしかなかった以上、それはもう責任なんて取れるわけもないが仕方がない。
そう思っておく。
じゃないと死ななくてもいい奴まで死んでしまうので、嘘でもなんでも、ここはそう思っておくしかないだろう。
それが敵のものであれ、味方のものであれ、この場での生死は最大限に活かすべきだ。
犬死だけは敵味方のどちらであってもさせてはいけない。
どうせ死んでしまうのならば、その無くなる命を精々有効活用させろ。――生き残る奴に捧げて死ね。
「…………」
また視線の先に微かに動いているものがあった。
闇の中であってもそれだけは、比較的だが楽に見つけられる眼。
気持ちが悪い。
吐きそうになりながらも、手頃な大きさの石を探している。人の頭を潰すのに適した石を探している。
「一人殺るのも二人殺るのも」
全然違うと思いながら、この後で九峪は、同じように石を振り上げ落とした。
恨むなら自分の運のなさを恨めっ!!
肩に剣を担ぎながら近づき、伊万里は一足の間に入った段階で、やっと気づいた狗根国兵に躊躇なく振り落とす。
魔獣の胴体すら真っ二つの剛剣。
並んで立っていた狗根国兵二人の身体が、線を引いたように綺麗に、肩から脇腹を抜けて袈裟斬りにされた。
生きてる証明の最後の声。
断末魔の悲鳴を上げる暇すらも与えはしない。
決めたのだ。
いや、それは昔から決めていたことだが、さっきその想いを新たにした。
伊万里と上乃のすぐ後ろには、里の若い者が、おびただしい血を流して転がっている。
無理をしてふたりの横に並ぼうとしたら斬られた。
九峪の隣りによく居て、自分に何か言いたそうな眼で、気づけば必ず見つめていたのを覚えている。
「…………」
荒かった呼吸はもう聞こえない。
決めたのだ。
狗根国兵には死しか与えないと決めたのだ。
振り返り見覚えのあった男だったものを、刹那だけ見て伊万里は手持ちの戦力を確認する。
自分と上乃を入れて八人。
先頭は十人が最初の人数だったから、残っている人数は決して悪くはない。
仁清の索敵。
それに伊万里と上乃の獅子奮迅の戦いぶりの賜物だ。
「…………」
だがそれでも犠牲はでる。
九峪の指示がいくらこの場で最良のものであったとしても、養父が命を捨てても、どうしたって犠牲はでるのだ。
倍する狗根国兵を常世の国に葬り去っても、気持ちの悪い霧は少したりとも晴れはしない。
「上乃」
「なに?」
「もうすぐ九峪さんの渡れと言った川だ。わたしはここでみんなを纏めるから、すまないが周囲を探ってきてくれ」
「うん。わかった」
元気に音もなく上乃は走っていくが、他の者は皆、地面にドサッと座り込んでしまっている。
山を熟知している山人が、それも生まれ育った山で、これしきの距離、普段なら身体がへたばるわけはない。
経験したことのない緊張感。
精神がどうしょもなく、抗うことすらできず、磨り減ってきているのだ。
「みんな立つんだ。三人が組になり、周囲を交代で見張ってくれ」
それは統率する伊万里も、走っていった上乃も、何ら変わらないのだが、ふたりは九峪に任されてる。
へたばるわけになどいかなかった。
次に仁清が戻って来るまでに、里の女子供含め逃げてる者全員を、一箇所に集めておかなくてはならない。
それが終わったら。
「…………」
今度は九峪がどんなに止めてでも、養父や残ったみんなを上乃や仁清と助けにいく。
もっとも。
「…………」
何故かはわからないが、今度は九峪は止めるどころか、自分や上乃、それに仁清と一緒に行ってくれる気がした。
ふと養父の言っていたことを思い出す。
からかうようにして笑いながら、最近は何だか急に色気づいてきたな、そう、ふたりきりのときに言われたのだ。
懐に手をやる。
そこには小さいが装飾が施されてる丸い箱が入っていた。
口紅。
街から帰って来た養父に、上乃には内緒だと、こっそりと贈られたものだ。
「…………」
それは一度だけだが唇に触れさせたことがある。
誰も居ないのを確認したはずなのに、椀に張った水面を鏡にして塗っていたら、笑顔の九峪がいきなり映った。
それも折り悪く“にこっ”と、ちょうど微笑んだときである
水面越しに眼と眼が合ってしまい、そのときは顔から火が出そうなほど恥ずかしかった。
『似合うじゃん』
言われて外へと思わず走ってしまったのは、いま思ってもいつ思っても、見事すぎる恥の上塗りである。
後から冷静になって考えると、九峪は養父から教えられていたのかも知れない。
それからしばらくは九峪が、そのことを上乃や仁清に言いやしないかと、伊万里は毎日が気が気じゃなかった。
「…………」
幸い秘密にしてくれて、でも意地悪く、ちょんちょんと、笑顔で唇に触れて微笑む九峪。
その少し離れた後ろには、似たような笑みを浮かべている養父。
あたふたと珍しく慌てる自分を、不思議なものを見るような、“きょとん”とした顔で見つめる上乃と仁清。
「…………」
またみんなで一緒に笑いたいなぁ。
立ったまま木に身体を預け、つかの間ではあるが伊万里は、疲れも不安も気持ち悪さも忘れた。
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