火魅子伝・奇縁良縁 第十八話 選んだ道 (H:小説 M:九峪・伊万里・上乃・仁清・骸骨 J:シリアス)
日時: 04/19 17:31
著者: 青色


 九峪は待っていた。

「…………」

 何分にも初めてのことなので、あちらこちらに抜けているところはあるかもしれないが、一応細工は流々である。

 あとは運を天に任せて始めるだけだった。

「…………」

 それももう間もなく。

 いくつもの物騒としかいいようのない音が、確実に空を見上げている九峪に近づいてきていた。

 今夜も虚空に浮かぶただの石ころが、この世のものと思えぬほど綺麗である。

「あ〜〜あ、ホント、こんなときじゃなければなぁ」

 はっきり言って全然まるで柄じゃない。

 それは十二分にわかってはいるが、こんな美しい月夜の夜ならば、歯の浮いた口説き文句も素面で言えそうだ。

 別段田舎育ちに限らないが、純朴な娘さんなら、あっさりころっと騙せそうな夜である。

「伊万里や上乃には、注意してもらいたいね、その辺のところは大いに」

 俺みたいな人畜無害の男ばっかりじゃないんだからさ。

 後半の台詞はさすがに九峪も、口にするのは図々しいなぁと、心の中だけで呟いて、視線を前へと向ける。

 嫌な感じに順応してきた両の眼。

 闇に溶けるような黒い鎧に、一見すると汚れのような、ところどころに赤い染みをつけている集団。

 半包囲するように輪をせばめながら、遠巻きにしてこちらを窺っていた。

「…………」

 ポケットに手を入れたまま、スポットライトのように月の光を浴びて、静かにそこにと佇んでいる九峪。

 その表情には気負いも恐れも不安もない。

 流した血に酔っていた狗根国兵を、それは冷静にさせ、こうして警戒させるのに一役買っていた。

 もちろん。

 九峪にとっては開き直りが完了し吹っ切れてるだけのことで、この妙な空気は完全に計算外の偶然でしかない。

 しかし、それこそ妙なもので、九峪はこの状況が、何だか面白くなってきていた。

「少しだけだが、これは悪くない気分だな」

 もしかしたら予想外の演出によって、あるいは魔人にでも、彼らには見えているのかもしれない。

 こうして睨めっこしている間にも、勝手に膨らんでいるのだろう想像が、果たしてどんなものか考えると笑える。

 悠然と立ってる《だけの》男の姿が、魔人にでも見えているのかもしれない。

 笑える。

「…………」

 でも、よく考えてみると、ちょっとヤバかった。

 狗根国兵が問答無用で突撃、または矢を放ったときの対策を、九峪はこれっぽっちも考えてはいなかったりする。

 彼らはさっきまで血に酔っていたわけだが、どうも九峪は自分に酔っていたようだ。

「あぶないあぶない」

 これはどうやら完全に自己陶酔に陥っていたらしい。

 俺に任せて先にいけっ!!

 誰でも一度は言ってみたい台詞だが、誰にも言ってはいないが、けれど人知れず九峪は酔っていたみたいである。

 首を振り、

「あぶないあぶない」

 同じ台詞を言ってみた。

 格好のいい場面で格好いい台詞を格好よく言う奴が格好いいんじゃない。

 やることをやった奴が即ち格好いいのだ。――まだ九峪はやることをやってはいない。

「……ああ、でもなぁ」

 酔いが醒めた頭で冷静に考えてみると、ちゃんとやることやっても、何だか格好よくない気が九峪はしてきた。

「まあ、やるけどさぁ」

 くるっと後ろを身体ごと振り返ってしゃがみ込む。

 足元には松明。

 ポケットからゆっくりと手を出して、左右それぞれにに持ったものを、カチッカチッと打ちつけた。

 出来上がった場の雰囲気というものなのか、可笑しなものだが、その行動を邪魔する者は誰一人としていない。

 炸裂岩。

 それを使って九峪が火を熾そうとしているのは、それこそ誰の目にも明らかだった。

「歴史を紐解けば古来より――」

 手際がこれでも昔と比べれば随分とマシにはなっている。

 それでもなかなか松明には飛び火しない。

 夜の闇の静寂の中で、早く付けろと思わずイライラするような、カチッカチッという不細工な音がやたら響く。

 その変な間を埋める為に、

「圧倒的な大軍を少数で相手にするときは、大概が火計で一発逆転と相場は決まっている」

 または誤魔化すみたいに、

「三国志好きなら食傷気味なくらいわかるだろうが、かの有名な赤壁なんかがその典型的な例だろうな」

 九峪は小さな教え子たちへ普段するみたいに、さも当然の先生口調で話していた。

 狗根国兵に。

「ちなみに有名な軍師様には、戦術上の手柄はないわけだが、外交官としては、やっぱり優れてるんだろうね」

 などと。

「お?」

 とりあえず話の切りのいいところで、やっとこさっとこ何とか勘とか松明に火が付いた。

 こんなことならば、初めから付けておけば良かったと思いつつ、九峪は松明を慎重に持ちながら立ち上がる。

 背中は向けたままだ。

「また話は火計の話に戻るけど、あれって案外やってみると、なかなかに難しいもんだよなぁ」

 言いつつ九峪は空いた手で頭を掻く。

 無論。

 九峪に火計の経験などはありはしないのだが、この辺りでは焼畑をよく行っているので大まかにはわかっていた。

 やたらめったら無闇に付けても、そうは簡単に山は燃えてはくれない。

 そりゃ条件が揃っていれば、誰にでも山火事は起こせるが、狙ってそれをするのは意外に難しかったりする。

 何事にもコツというのはあるものだ。

「風向きとか乾燥の度合いとか、その他諸々の条件が必要だったりするわけだ」

 じゃないと大体は小火で終わる場合が多い。

 それを季節として覚えているのではなく、己の肌で感じているのが山人なのだろう。

「だけどそんなの、一年ちょっと住んだくらいの素人じゃ、まぁ、これはとてもじゃないがわかりっこない」

 狗根国兵の輪がさっきより露骨で確実にせばまっていた。

 目の前の男が火を付けようとしているのは明白。

 例え小火という結果だったとしても、彼らの追撃という任務にとっては、それは邪魔、というよりも面倒である。

 いい加減。

 九峪を魔人だと誤認するような、そんな無用すぎる慎重さは、もう狗根国兵にありはしなかった。

 松明を九峪が投げる前に取り押さえる。

 あとほんの少し近づけば、具体的には三歩も近づいて走り出せば、おそらくはそれができる距離だった。

「だからな――」

 だから。

 まだもう少しの間は、狗根国兵は九峪を気持ちよく、喋らせておくつもりだったのである。

 しかし、

「色々工夫をするわけだが――」

 突然。

 くるっと首だけ振り返った九峪に、ダルマさんが転んだ状態の狗根国兵は眼が合うと、反射的に愛想笑いをした。

 これは完全に選択間違い。

「……ああ、っと、……はは、はははは」

「は、ははは、はは」

「はは、はははは……」

「はははは、……はははは」

 愛想笑いの連鎖反応。

 これに元から徹底的に我慢強くはないし、細く細くなっていた九峪の堪忍袋の緒が、

「笑えねぇよ」

 プチンッとブチギレた。

「もう駄目だっ!! もう限界っ!! これ以上おまえらと同じ空気なんか吸ってられるかぁ!!」

 豪快に振りかぶって、松明を前方の草叢へと投げつける。

 赤い軌跡。

 スローモーションで飛んでいるその物体を、九峪も狗根国兵も、その場にいる全員が憑れたように眼で追った。

 次の瞬間。

「うおっぉぉぉ〜〜〜〜ぉぉお!?」

 それを投げたはずの九峪を筆頭にして、やはりその場にいる全員が、仲良く息を合わせて声を上げる。

 まるで地獄の黙示録。

 巨大な炎の壁が突如出現し、一面を暴虐な赤で、有無を言わさず覆いつくした。

 狗根国兵の思考が完全に停止する。

 これだけの火力は彼らの知っているものでは、高位の左道か方術だけで、それすらも知識として知るのみだ。

 人が成すにはありえないほどの炎の力。

 払拭したばかりの、魔人ではないかという疑問が、再び脳裏へと鮮明に蘇ってくる。

 まあ、とはいえ、やはり、

「メ、メタンガスって、こ、こんなに凄かったけっ!?」

 その炎は人の力が作り成しえたもの、だったりするわけはないのだが、人の知恵が正しく現出させたものだ。

 退治討伐した魔獣の死体を、まさかそのままにしておくわけにもいかない。

 昔は解体し処理していた穴があると、伊万里や上乃に依然聞いた話を思い出して、これしかないと九峪は思った。

 元々は県居の里が作ったものではなく、この山に流れてきたときからあったらしい。

 臭いもこの穴の外には不思議と漏れなかったみたいだ。

 だがそれも老朽化なのか、近年は臭いも徐々にだが漏れ出していて、もう埋めてしまうかという話もあったが、

色々あってずっとほったらかしになってたのである。

 そもそも動物がそこではパタパタと倒れるので、呪われてるのではないかという説もあって誰も近づかなかった。

 しかし。

 それは現代人の知識であれば、生成されたメタンだということはすぐにわかる。

 もっとも九峪の持っていた知識よりは、かなり、というか相当、火力が強いものになってはいるわけだが。

「ほとんどナパームだな」

 まるで地獄の黙示録。

 魔獣という九峪の世界にはいなかった未知の素材。それがこれだけの滅茶苦茶な火力を生んだのは疑いない。

 けれど。

「良かった良かった」

 巧くいくかどうかは実際、やってみるまでわからなかったが、これだけの火の勢いなら心配なさそうだ。

 その証拠に次の発火ポイントに、早くも着火したのが見えている。

 狼煙の応用の仕掛けもぶっけ本番にしては上々だ。

 ぎりぎりまで引きつけて引きつけてが、火計の心得だと思っていたが、必要なさそうなくらい火の回りが早い。

 もっとも。

「良かった良かった」

 これで九峪自身は完全に退路を、火の海に包まれ断たれてしまったわけだが。

「良かった良かった」

 これで伊万里たちは完全に安全に退路を確保し、完全に完璧に討ち洩らすこともなく狗根国兵を殲滅できる。

 天も九峪に味方しているのか、風が意思でも持ったように巻いていた。

 ちなみに。

 九峪は炎に周りを包まれてはいるものの無傷である。身体を炎に包まれている狗根国兵こそが悲惨だった。

 くるくると狂ったみたいに、でたらめに炎が、木々を人を焼き尽くしながら舐め走っている。

「ああ、でも、これは、……里長には怒られるかなぁ?」

 なにせふたりの娘を任されてから、半日も立たないうちにこんな有様だ。

 下手をしたら先に死んでるかもしれないという、こんな状況では言いわけもちょっと出来そうにない。

「犬死させなかったってことで、なんとか許してくれんもんかなぁ」

 独り言

 もちろん九峪はそのつもりだったのだが。

 声が応じる。

「それは武川の里への橋を、落としたことを言っておるのか?」

「!?」

 骨のように渇いているしわがれて不快な返答の声。

 九峪はずっと視線を動かしてはいない。

 それなのに目の前にいる、法衣のような服を着て佇む、骸骨のみたいな男に、いまのいままで気づかなかった。

 猛り荒ぶる炎すらもその男を避けている。

 焼かれていないのは同じだが、その理由がこのふたりでは、全然まったく違う印象を与えていた。

 護られてる者と忌避されている者。

「逃げ場はどこにもない、というわけじゃな」

「……なんだよ、おめぇは?」

 半分以上死を覚悟しているから、こういう口の聞き方ができる。

 いまの九峪は怖いものなし状態だ。

 もっとも。

 それでも目の前にいる、この骸骨みたいな男が、九峪は堪らなく怖くて、震える身体を抑えるのに必死だった。

「しかし」

 けれど骸骨はまるで、九峪の質問になどは答えない。

「まだ戦っておる仲間が、生きておる仲間がいるかもしれんが、それはおぬし、果たしてわかってはおるのかな?」

 窪んだ眼窩の底には何があるのか。

 二つの物体を光らせただけで、傲然と質問を質問で返してくる。

「敵の刃によって死ぬのではなく、味方の放った炎で殺されるわけじゃが、そこをわかってはおるのかな?」

 嫌らしい言い方だった。

 心をぞぶりと深くその言葉は抉ってくる。――だが不思議と悪いことをされている気はしない。

 相手が死神ということもあるが、まるで断罪をされている気分。

「わかってるさ。いや、わかっているつもりだ」

「ふむ」

「でもさ、敵にだって味方にだって、殺されればどうせ死ぬしかないんだ。生きる為に有効利用して何が悪い?」

 そう言いながらも九峪は、心の中で強く思っていた。

 悪くないわけないだろがっ!! と。

「それがおぬしの基本理念というわけじゃな? くくくっ…………」

「なんだよ?」

「いやいやいや。弟子に見習わせたいと思うてな。おぬしは本質を見切るのが、これはなかなかに速いようだ」

「そいつはどうも。するとあんたは、馬鹿な弟子をお持ちで?」

「可愛い弟子じゃよ。些か策に時間を掛け過ぎるがな。それにまだ若い。県居に一年もの間、手玉に取られよった」

 九峪の眼が険しく鋭くなる。

「……その弟子の名前」

「うん?」

「そいつの名前はなんて言うんだいお師匠様。良かったら教えてくれねぇかなぁ」

「鳴壬じゃよ。経験を積めば悪くはない謀臣になるじゃろう。まあ、まだまだ尻拭いが必要じゃがな」

「面倒見のいい師匠なんだな」

「おかげで当麻の兵を千二百も動員した。天目には色々とこれは探られそうじゃな。それこそ面倒なことじゃよ」

「天目?」

「人は駒のようにはいかん。どこかで盤をひっくり返す、そんな型破りさもときには良かろうて」

 九峪の疑問はまた無視された。

 それと。

「熱っ!?」

 そろそろ炎のご好意に厚かましく甘えるのも限界が近いらしい。

 火の粉が頬に微かにだが触れた。

「千二百の兵は失ったが、一応は里は潰せたことじゃし、おぬしのような人物を葬れただけでもこれは良しか」

 そんな状況にも骸骨はどこ吹く風で涼しい顔。

 いや、まあ、表情自体あるのかないのかわかりはしないが、炎には頓着せずに会話を続ける気らしい。

 否、それも違うか。

「おぬしのいうとおりで、躯になればどう死のうが一緒じゃが、敬意を表してせめてこの儂の手で殺してやろう」

 骸骨は九峪を終わらせる気である。

 法衣から右手をゆるりと出すと、九峪の顔面へと、死を与えるために伸ばしてきた。

「おいおい」

 頑張ってみても身体がぴくりとも動かない。

 ぼんやりとその右手は、青白く禍々しく光っている。

 と。

「伏せてっ!!」

 二本の矢。

 深く深く綺麗に骸骨に突き刺さっていた。

 そしてそれを追いかけるように、

「!?」

 不意の声に従って伏せたのではなく、ただ膝が笑って尻餅突いただけの九峪の前に、二つの影が庇うように立つ。

「あ?」

 女性に対してこれが、褒め言葉かどうかはわからないが、髪の長いふたりの見慣れた頼もしい背中。

 こんなときだが物凄く九峪は、ぎゅっと抱きしめたい気持ちに襲われた。

 地獄に仏どころの騒ぎじゃない。

 矢を胸に刺さったままにしながらも、足捌きなのかなんなのか、スーーッと後ろに下がって剣をかわした骸骨。

 炎に照らされてそれに挑むふたりの剣士が、これでもかとばっちりハマって似合いすぎる。

「…………」

 仁清が横に並んだのにも、しばらく九峪は気づかなかった。

 あっちこっち服は焼け焦げている。

 髪も肌も無傷ではない。

 ところどころが、九峪の現出させた炎によって、無残にも燃えていて、どこか痛々しい印象すら客観的にはある。

 でも。

「…………」

 九峪にはふたりを客観的に見るなど不可能だった。

 美しいとしか思えない。

「ふむ。まだまだ運があるな。贅沢な護衛を持っている。この九洲でそんな男は、おそらくおぬしだけだろう」

 したり顔の骸骨。

 何故だかはわからないが九峪には、この骸骨の表情とかが、悲しくなるほどひどく読み取れてしまう。

 人間はわかりあえる動物だということが、実証されたということなのだろうか。

「…………」

 便利だとは思うが、心底から、全然嬉しくない。

「自身の胸にある鏡を見てみるといい。力を取り戻しつつある兆候だ。どうやら両方間違いなく本物のようだな」

「お?」

 言われたとおりに鏡を、天魔鏡を見ると、微かにだが確かに光っている。

 火魅子の素質に反応するという話だが、この一年の間は伊万里の近くに居ても、ぴくりとも反応しなかった。

 それなのにいまこうしてのこの反応はやはり。

「どうもこれは、……そうらしいな」

 とはいえ。

 さて、でも、だから、それで、一体全体、どうしよう?

 いいタイミングといえばいいタイミングなのだが、キョウが復活したからって、だからなに? という問題だ。

 この場に役立たずが、確実にひとり、量産されるだけだろう。

「……くくくっ。面白い」

「いや、詰まんねぇよ?」

 笑いながら骸骨が身体を揺らすと、胸に突き刺さっていた二本の矢が、腐ったみたいにその形を崩していく。

 当然のようにそこからは、一滴の血すらも流れてはいない。

「いやいやいや、十二分におぬしは面白い」

 言って骸骨が青白く光る右手を、大きく紅蓮の炎の壁に向かって振り抜いた。

 軋むような音。

 空間が抉り取られたように、忽然と、そこには炎が恐怖し逃げたために、長い長い道ができあがる。

「だから殺すのは、一先ず止めにしておこう」

「お?」

 骸骨の姿がじんわりと溶けるように滲んでいた。

 現れたときには気づかなかったが、おそらく最初の出現も、こんな感じだったのだろう。

 どっちにしても、あまりじっくり見たいものでもない。

「これは単なる儂の気まぐれでしかないが、ここは逃がしてやるのだ、精々この九洲の地を掻き回してくれよ」

 闇よりも深い黒に包まれて骸骨が消えていく。

 そして最後に。

「俺の期待を裏切るな」

 そんな言葉を眼窩の奥で睨みながら九峪に残して、禍々しい死神の化身のような男は去っていった。

「…………」

 九峪はほっと胸を撫で下ろす。

 ひとりの男の存在が目の前から消えただけで、空気が明らかに重さから解放され軽くなった。

 伊万里と上乃、それに仁清の存在は、なにより九峪には心強い。

 だが。

 それでも正直言って、あの骸骨が殺しにきてたら、死体が一つから、四つになっていただけだったろう。

 対峙していた伊万里と上乃がぺたんっと、気が抜けたように腰を下ろしたのがその証拠だ。

「悪りぃ仁清。手を貸してくれ」

 かく言う九峪も腰が抜け気味の膝は大爆笑で、仁清に手伝われて、よたよたとしながら何とかで立ち上がる。

「うん? そういやおまえに川を渡れって言わなかったけ?」

「…………」

 それに仁清はさっと目を逸らすことで答えた。

「偶に思うんだけどさ。おまえの無口は性格じゃなくて、その方が都合がいいからじゃねぇの?」

 笑いながら九峪は仁清の肩を叩く。

 そこへ。

「ふた、りは、みんなを川の、向こう岸に渡した後で、炎に飛び込んだわたしに、ついて、ついてきた、だけだ」

 切れ切れの息そのままに、伊万里が会話に割り込んできた。

 見れば彼女も上乃も肩が震えている。

「……悪りぃ。ふたりにも無理させちまっ――!?」

 そう言いながら九峪は仁清にしたように、伊万里の肩を軽く叩いたが、台詞は最後まで言わせてもらえなかった。

 置いた手を引っ張られて、襟首をぐいっと、締め上げるように掴まれる。

「この馬鹿の大馬鹿野郎っ!!」

 混乱しているのか伊万里は言葉が重複していた。

「い、伊万里!?」

「なんだおまえはっ!! 自分が格好いいとでも思ったのかっ!! 炎を見たときどんな気持ちになったかっ!!」

 怒鳴りながら涙が次から次へと零れている。

 さらに上乃も、そして仁清まで、伊万里の感情の爆発に誘われたのか、九峪に抱きついてわんわんと泣いていた。

「…………」

 そんな三人の様子に不覚にも、九峪の目頭もうるっと熱くなる。

 本当に悪いことをしたと思えた。

「馬鹿っ!! 馬鹿っ!! 馬鹿っ!! 馬鹿っ!! 馬鹿っ!! 馬鹿っ!! 馬……!?」

「ごめんな」

 伊万里の長い髪の毛を優しくそっと撫でる。

「ごめんな」

「うっ、うう、うわぁあああ〜〜〜〜ぁぁああぁああんっ!!」

「ごめんな」

 こんな風にして声を上げて泣く伊万里を、“よしよし”としながら九峪は、可愛くて可愛くて仕方がなかった。

 それからは泣き声の三重奏。

 九峪の身体に縋ってひたすらに泣きじゃくる三人。

 やっぱまだ死ねねぇや。

 自分が考え実行した炎が風に巻かれ、北の沢への道を完全に閉ざしたのを確認し、九峪は想いをさらに強くする。

「里長に任されたんだもんな」

 なかなか泣きやまない三人を立たせて、九峪はもう一つの道を歩き始めた。