火魅子伝・奇縁良縁 第十九話 決意と緊張感のある出会い (H:小説 M:九峪・伊万里・伊雅・清瑞 J:シリアス?)
日時: 04/25 17:35
著者: 青色


 車座になって即席の囲炉裏を囲んでいても会話がない。

 気づけばみんなじっと見ている。

 生まれ育った山。

 思い出の山。

 父が戦って死んだ山。

 あれからもう三日が経っているが、それらを包み奪い去った炎は、今以て大きく勢いよく燃え盛っている。

 まだまだその赤い力は消えそうもない。

 憂鬱な雨。

 これでもかと降ってはいるが、あまり効果がありそうにもなかった。

 現代と違って大掛かりな消防設備もなければ、そもそも消火活動をしようとする者もいない。

 この様子ならおそらくあと三日は、獰猛な炎の傍若無人ぶりは続くだろう。

 九峪はそこから視線を外して、三人をちらっと窺うと、みんな遠い眼をして山を、県居の里の辺りを見ていた。

「…………」

 マズい。

 そろそろここから動かないと、三人とも、もうどこにも、これは行けなくなってしまうだろう。

「明日になったら麓に下りようぜ」

 見切りの良さを狗根国の骸骨に褒められたが、やはり一番最初に、頭を現実にと切り替えられたのは九峪だった。

 実際。

 すでに脱出したその日から、九峪の頭脳は忙しく動いていたのである。

 骸骨の情報を信じれば、狗根国の今回の動員兵力は千二百名。

 それだけの人数なのなら、後方支援の部隊もいるはずで、間を置かず山を下りると、面倒なことになりかねない。

「…………」

 折角見逃してくれた骸骨とばったりとか。

 それはまぁ、いくらなんでも、さすがにちょっと、お互いに気まずいものがあるだろう。

 二度目の気まぐれに期待するのも、そこはかとなく間抜けでもあるし。

 とりあえずは、

「武川に行くのは無理そうだから、ここは亜衣のところに行くとしようか」

 炎が治まる気配がない。

 迂回しても武川に行くのは難しそうだった。

 しかし。

 九峪がこうして三日も間を空けたのは、これとかそれとかばかりが理由というわけではない。

 伊万里たち三人には気持ちを、こうして整理する時間が必要だと思えた。   

 もちろん。

 大切な人たちの死を胸の中で整理するのに、三日が十分な時間だとは、九峪もまるで思ってなどいない。

 だがそれは残念で残酷ではあるが、それ以上の時間は与えてはやれなかった。

 三日の時間は狗根国にとっても同じことである。

 どこまでが危険で、どこからが安全なのかは、十二分にこれは確認できたはずだ。

 一応の救助を兼ねた山狩りが、もう間もなく行われるだろう。

 いや、すでにその魔手は、すぐ近くにまで、むしろ、迫っている可能性の方が高いくらいだ。

 ここにこれ以上の長居は無用だろう。

「亜衣殿のところへ? ……九峪さんも一緒に、行ってくれるの、…………ですか?」

 伊万里の声。

 山から無理やりに視線を外してかけられたその声は、不安と期待がわかりやすく入り混じっていた。

 何しろ彼女にしてはか細い。

 あえて喩えるなら引っ込み思案の女の子が、手作りのお弁当を、先輩食べてくださいと言っているような。

「う〜〜ん」

 九峪は自分で考えておきながら、全然意味わかんねぇな、と思いつつも、素直にだらしなく顔がにやけてキてる。

 あえて喩える意味がそもそもで全然わからない。

 だがいい傾向だろう。

 こんな状況でも、かなり裏付けのない余裕が、いつもどおりに、根拠もなく出てきたのは悪くない。

 などと。

「あ? そうだそうだ」

 九峪が自己弁護を完了させ、伊万里の問いに答えようとしたとき、先に伝えなきゃいけないことを思い出した。

 まあ、三日も経ってから思い出すんだから、九峪にとってはそれほどのことではない。

 無視はすることはできないが、それがどうした? 本当にその程度のちっぽけな問題なのである。

 現代人の感覚だと、この地位の人たちは、畏敬が二割で好奇が八割の、そんな民衆に支えられた存在でしかない。

 だから。

 九峪にはその言葉の意味するだろう重みが、いまいちどころか、かなりのレベルでわからないのである。

 こうだろうと想像してやることしかできない。

「伊万里ってば王族なんだってさ」

 なんでもないことのように、さらっと言ってやるくらいしか、九峪には配慮することができなかった。

 敵側から得た情報である以上、いずれは本人である伊万里は元より、上乃や仁清にもそれはどうしたってバレる。

 いっそ。

 どうせ守れない秘密なのならば、開示はこちらの都合のいいタイミングで。

 なによりその事実を、他人ではなく九峪の口から、こうして言ってやることがこの際は重要だった。

 ただ言われた本人の伊万里からすれば、

「はぁ?」

 これがおそらく鳩が豆鉄砲を食らうという奴なのだろう。

 言っている意味がわからないという顔をする。

 当然だ。

 ある日突然神の遣いになれと、そう言われるのと、それは同じか、あるいはそれ以上の意味があるだろう。

 だが。

 これは次の台詞のまだ前ふりに過ぎない。これでは伝えるのが気の毒な気もしてくる。

「火魅子の素質もあるって里長が言ってたぜ」

 言葉の銃弾。

 その二発目が当たったらしい。

 九峪の顔を見ながら、眼を何度もパチパチとさせてる仕草は、こんなときではあるが、何だか可愛らしかった。

 上乃と仁清も倣って似たような顔をしているが、首の動きは九峪と伊万里を行ったり来たりで忙しない。

「……なにを、なにを言ってるんですか? わたしは山人で――」

「証明は多分できる。この鏡には火魅子の素質がないと、どうやら映らない設定らしいからさ」

 懐からいつも持っている鏡を九峪は取り出す。

 それはぼんやりと燐光を放っていた。気のせいかもしれないが、妙な力が流れてきているような感じも受ける。

「もうすぐこいつは力を取り戻す。そうしたら伊万里は映ると思うぜ」

「わたしが、……映る?」

「狗根国の奴らと戦うのなら、それはもう認めるしかないさ。覚悟はここで完了しといた方がいい」

 ただの山人のまま戦うのは不可能だ。

 あの骸骨だったら絶対にそんな、中途半端な気持ちで戦うなら、徹底的にその弱い心を利用するに決まっていた。

 何故だか九峪は自信を持って断言できる。

「…………」

 嫌な気持ちになった。

 同属嫌悪。

 それこそ鏡に映っても認めたくはないのだが、どこかあの骸骨からは、似たような匂いがするのである。

「……九峪さんは」

「うん? なんだい?」

 黒目勝ちな瞳。

 真っ直ぐに九峪を見つめてはいるが、その奥はゆらゆらと頼りなく、水面に浮かぶ木の葉のように揺れている。

「戦ってくれますか? わたしと一緒に?」

「もちろんだ」

 初めからこう言おうと決めてはいた。

「一緒に戦うよ。伊万里と上乃と仁清と一緒にさ。そうだよな? 上乃、仁清」

 しかし。

 こんなに自然に言葉が口から出てくるとは思わなかった。

 こんなにも気持ち良く言えるとは思わなかった。

 こんなにも晴れやかに清々しく、みんなに微笑むことができるとは、九峪はまるで思ってはいなかったのに。

「当たり前のことをいちいち訊くなよ」

 胸が躍る。

 びしっと立てた親指が、力の入れすぎで、ぷるぷると細かく震えるが、その理由は決してそれだけじゃない。

「くははっ。これはキテるぜ」

 九峪は生まれて初めての武者震いに感動していた。

 その初めてを与えてくれたのが、目の前にいる女の子で良かったと、堪らなく嬉しくて心底で胸が躍り跳ねる。

 そして。

 そんな計算が少しもない歓喜の力は、堪らなく嬉しく人から人へと伝染する。

 とてつもなく偉大な力。

「はは、ははは、あ、当たり前、じゃん」

「…………」

「そんなの当たり前じゃん、そんなの当たり前じゃん伊万里っ!! わたしたちも伊万里と一緒に戦うよっ!!」

「…………」

 心の壁をあっさりと突き崩し消し去る力。

 涙で顔をぐちゃぐちゃにした上乃が、伊万里の首筋へとありったけの力で、ぎゅっとぎゅっと抱きついた。

 表情こそはちっとも変わってはいないが、それを嬉しそうに、そして羨ましそうに眺める仁清。

 自分もしてもらったみたいに、上乃を抱きしめながら、九峪に微笑む伊万里の瞳も、喜びの涙で濡れている。

 まぁ、とりあえずでは、あるのだけれども、

「良かった良かった」

 これからも戸惑うことはあるだろうが、これなら大丈夫だと九峪は思った。

 後のことは後になってから考えればいいだろう。

 いまはそれよりも、

「オーケー。そいじゃまあ、亜衣のところに行くとしよう。錦江湾のあたりに行けば合流できるの――!?」

 身体をぐいっと引かれてすっ転んだ。

 伊万里たちが刹那で武器を構え、九峪を庇うようにして立ち塞がる。

「そなたの手にする鏡、見せてはもらえぬかな」

 出待ちでもしていたようなタイミングで、がさりと木の陰から姿を現す、新しい登場人物と話すのが先だった。

 果たしてその男は、いつから、そこにいたのだろう。

 がっしりとした体格。

 髪の毛にも顔を覆う見事な美髭にも、白いものがチラホラと混じってはいるが、老いはまったく感じさせない。

「…………」

 そのいるだけで圧するような存在感は、まるで似てはいないが、三日前遭遇した骸骨の放つ気配を思い出させた。

 格。

 無様にローアングルから眺めて、ちょっと傍観者気味の九峪にはよくわかる。

 伊万里たちの緊張はあのときと同じように、たったひとりの男のために、極限に近いものになっていた。

 音を立てて現れたのは、完全にわざとで、殺そうと思えば簡単に、造作もなくできたのだろう。

 腰に佩いている剣を一太刀すれば、それだけで、まずは九峪がその第一の犠牲者になっていたのは疑いない。

 そのうえ、

「おまえの持っている鏡を、見せろと言っているんだ」

 ひたりと首筋に添えられる冷たい感触。

「えっ!?」

 上乃のびっくりを表した声。

 九峪は視線をそちらに向けてはいないが、否、とても向けられないが、仁清までが慌てたように振り向いたのが、

気配だけではっきりとわかった。

 こうもあっさりと、彼女たちが後ろを取られたのは、九峪が知る限りでは一度もない。

「大人しく寄越さないと手元が狂う」

 ブレのない少しハスキーな声。

 言いつつ正確に皮一枚食い込んでくる短刀。

 皮膚を舐める真っ赤な血。

 こんなとき普段の九峪であれば、内心はどうあれ、素直に大人しくキョウの身を引き渡すのだが、

「これが人に頼みごとをする奴の態度か? お願いします見せてください、だろ?」

「……頼みごとじゃない。勘違いするな。これは命令だ」

 今日はちょっとばかり違っていた。

「お願いします見せてください、だろ?」

「命令しているんだ。……三度目はない」

 皮膚にぞぶりと侵食してくる、無機質で不快な冷たい感触。

 それは殺意ではないが、それに類する感情を瞳に込めて、じっと逸らさず、静かに激しく睨み合うふたり。

 この女とはもちろん九峪は初対面。

「…………」

「…………」

 けれどわかる。

 目つきが必要以上に厳しく鋭い、この女の考えていることが、ふたりの想いが一つなのが、自信を持ってわかる。

「…………」

「…………」

 こいつ滅茶苦茶気に喰わねぇ!!

 珍しい。

 初対面の人間とでも、壁をするりと越えて仲良くなる九峪にしては、この反応は非常に珍しいことだった。

 しかも、

「お願いします見せてください。言ってみろよ」

「数を数える頭はあるか? これで何度目だ?」

 そろそろ子供の喧嘩っぽくなってきた、このやり取りをしている相手は、問答無用完全無欠で美人さんである。

 九峪の座右の銘。

 美人の唇が紡げば戯言も至言。

 我侭三昧の特権階級。

 可愛いや美しいは神から授かった究極の才能。

 などなど。

 代表的な三つを抜粋してみました。

「…………」

「…………」

 睨み合いながらも九峪は、目まぐるしく、目の前の女について考えてみる。

 何が癇に障るのだろうかと。

 髪型?

 いやいやそんなことはないだろう。

 余程前衛的なものじゃなければ、九峪はその辺全然こだわらない性質だし、そもそも女はポニーテールだった。

 男に生まれてこの髪型が嫌いな奴はいない。

 烏の濡れ羽色。

 一番最初にこの形容詞を聞いたときは、どんな表現だよ、と思ったものだが、なるほどこれかと美しかった。

 体型?

 いやいやそんなこともないだろう。

 着ている服はどんな理由なのか露出が激しく、丸い果実のような乳房の熟れ具合が、わかり過ぎるくらいわかる。

 なめらかに張った太股も、これがカモシカのような、というやつなんだと、九峪は妙に感心した。

 回りこんで後ろからも拝見したい、そんな素晴らしい身体である。

 ここまでは残念ながら困ったことに、文句のつけどころがまるでまったくない。

 すると原因はやはり。

「……眼だな」

「なにがだ?」

 目尻のやや釣り上がった、いかにも気の強そうな、二重瞼できりりと切れ長の挑戦意欲満々の双眸。

 何故だか滅茶苦茶にムカつく。

 結局いくら考えてみても、これ以上はわかりそうにない。

「やめぬか清瑞」

 髭面の男が落ち着いた声でそう女、清瑞に言ってくれなければ、ふたりはまだまだ延々と睨み合っていたろう。

 男には従順なのか、清瑞は九峪から身を離すと、距離を取って腕を組む。

 敵意はないということらしい。

 いまだに九峪を睨む視線に、好意的なものはないが、一応はそういうことらしい。

「すまなかったな」

「別にいいさ。あんたが悪いわけじゃない」

「…………」

 肌に突き刺さってくる視線は、最後にちくっとかましたし、話がいい加減進まないのでもう無視。

「さっきしていた話は本当なのか」

「話?」

「悪いが立ち聞きさせてもらってな。火魅子の素質のある娘が、その鏡には映るとか…………」

 九峪を見ていた男の視線が、ちらりと、構えを解かない伊万里を一瞥する。

 上乃と仁清も後ろにいる清瑞を警戒していた。

 どちらも間違いなく只者ではなく、その只者ではないふたりに、挟まれているという形なのである。

 しかも。

 九峪というお荷物付きで。

「さあ。どうだろうな? 俺としてはまず、鏡の審議なんかよりも、あんたがどこの誰なのかが知りたいかな」

 有無を言わさず奪わないところからして、狗根国の兵という可能性は低いだろう。

 それにしても正体が知れないのだ。

 ましてや聴かれていた話の内容が内容である。

 すでにいまさらかもしれないが、それでも迂闊なことは言えない。

 だが、


「大丈夫だよ九峪」


 心配はそもそも必要なかったみたいだ。

「あん?」

 淡い微かな燐光。

 そんな頼りないはずだった光が、九峪の手にする鏡面から、やはり出待ちしていたみたいに爆発的に膨れ上がる。

「伊雅は心強い味方だ」

 約一年ぶりに聴く威厳の《い》の字もない声。

 にょろり。

 と。

 誰でもつける効果音はそれだろうという、とてつもなく間抜けな動きで、皆が注目する中飛び出した不思議生物。

 チマチマした手足を、力いっぱいに伸ばしている。

「あ〜〜〜〜あ、ホントよく寝たなぁ〜〜〜〜、寝すぎてオイラ、ちょっと身体が痛いや」

「キョウ」

「やあやあ九峪。それに伊雅。久しぶり。元気だった? 他のみんなには初めまして。オイラはキョウちゃ――」

「いいからいいから。とりあず」

 すぐにも行われるはずだった第三次現状認識。

「歯を喰いしばっとけ」

「えっ!?」

 唸る九峪の拳を後頭部に受けて、神器の精がぽてりと落ちて気絶したために、次の日に持ち越された。