火魅子伝・奇縁良縁 第二十話 雛鳥 (H:小説 M:九峪・亜衣・伊雅・清瑞・伊万里 J:シリアス?) |
- 日時: 05/08 21:50
- 著者: 青色
- 男の名は伊雅。
耶麻台国の重鎮である副王にして、旧軍を束ねていた不動の総司令官。
十三年前に隣国の出雲を滅ぼし、その勢いをそのまま駆って、狗根国が仕掛けてきた侵略戦争。
もちろん。
耶麻台国の首脳部も《次は……》、と予期しなかったわけではない。
しかし。
それでもまさに青天の霹靂としか言い様がなかった。
四天王の一角である帖佐を大将に据えての、耶麻台国最大の防壁である、関門海峡を瞬く間に渡海した電撃侵攻。
刹那としか形容しようがない。
たったの一ヶ月足らずで、首都である耶牟原にまで肉薄され、各地に散っていた軍団を掻き集めての苦渋の決戦。
ここまでいい様にされていたのには、いくつかの重なった理由が当然ながらある。
だが。
あえてあげるのならば、この三つの要因になるはずだ。
耶麻台国最大の豪族であり、九洲で最強の水軍を自負する宗像は、その動きにはまるで統一性というものがなく。
第二位の地位を占める安曇に至っては、結局最後の最後まで、模様眺めに終始し参戦すらもしなかった。
なによりも。
国王の直々の命によって、伊雅が首都を離れられなかったのが、代えなどあるわけもなく大きすぎたのである。
攻め込んできた狗根国の征西軍は約四万五千。
対する耶麻台国は全軍で総数、およそ七万で、数だけなら明らかに上回っている。
とはいえ。
それは各地に根を張り、国政にも強い影響力を持つ、数多の豪族の私兵をも統合し含めた場合だ。
耶牟原の正規軍のみならば、二万といったところが限界で、彼らの力を無視して戦うことなど到底できない。
けれども。
その集団はひどく主張も強い。
下手をするどころではなく、相当に上手くやらなければ、数ばかりの烏合の衆になってしまう危険が常にある。
古代封建制連合国家の避けようのない弱み。
外敵に対して一つにして率いるには、虚ではなく実のある、傑出した人物でなくてはならなかった。
女王火魅子がいない以上は、その唯一人は伊雅しかありえない。
狗根国が攻め入るまでの数十年の九洲の平和は、伊雅の存在によって守られていると言っても過言ではなかった。
ならば。
ならば結論で言ってしまえば、耶麻台国の不幸は、彼が兄ではなく弟だったことだろう。
兄は善良ではあるが聖人君子ではない。
そして。
そこそこに有能だったのも、弟との差が誰よりもわかるほど有能だったのも、耶麻台国にとっては悲劇だった。
幼いときから芽生え育み感じていただろう嫉妬。
それを責めることなどできない。
生まれてから最初の味方は家族であり、生まれてから最初の敵も、やはり家族なのである。
弟に首都の留守居を任せ、兄は最前線へと、耶牟原の二万を核にして、自ら兵を率いて揚々と繰り出した。
鎧袖一触。
ここで伊雅が軍団を率いて戦っていれば、撃滅とまではいかなくとも、膠着状態ぐらいは作れたかもしれない。
勝つにしろ負けるにしろ。
決着に一ヶ月は掛かると想定していた戦線が、僅か三日で脆くも散々に突き崩された。
裏切り。
本家ではないものの、要所を任せていた、安曇系の部隊のまさかの裏切り。
豪族たちの衝撃は想像を絶するほど大きかった。
あれよあれよ。
散り散りばらばらになんの統制もなく逃げ出し、降伏ならまだましで、連鎖的に寝返る部隊まで続出する始末。
事実上の王手である。
挙句の果てには国王が討ち死にするなど、この癒えることのない一戦の損害は計り知れない。
再集結させた耶麻台国軍の兵力は混成の一万三千。
当初の半数にも満たない。
この後で伊雅は耶牟原決戦では二度に渡って、八万にまで膨れ上がった狗根国を押し戻すがそれも虚しかった。
少しずつ少しずつ残存兵力と、なにより、火魅子候補を逃がすので精いっぱい。
あれからすでに十三年。
それらを見届けると、伊雅は騎馬の先頭に立って、敵本陣へと突撃し、そして歴史の表舞台から消えていた。
椎茸が嫌いなのかもしれない。
椀にてんこ盛りでよそわれたそれを見て、一瞬ではあるが伊雅は、凄く嫌そうな、苦渋の顔を作っていたりした。
「…………」
「…………」
ふと眼と眼が合う。
ゆっくりとした動作で伊雅は九峪の、やはり椎茸てんこ盛りの椀を見て、視線だけで語りかけてきた。
おまえも駄目なのか?
と。
「…………」
「…………」
無言でこくんっと頷き合う大の男ふたり。
九峪はこのおっさんとなら、これからも仲良くやっていけそうな気がした。
「む?」
「あ?」
ふたりの椀にどちゃどちゃと、さらに追加される椎茸。
作った料理は食べごろで温かいが、心はまるで温かくならない無愛想な顔で、黙々と給仕をしているのは清瑞。
「…………」
「…………」
男ふたりがそろりと窺うと、ぎろりと、ちょっと怖い眼で睨まれたりした。
同時にささっと逸らす男ふたり。
九峪にはともかくだが、それが伊雅であっても容赦はない。
主従としては上下をしっかり守るが、家庭では、清瑞の方がどうも権力はあるみたいだった。
伊雅。
武勇とは違って生活能力はあまり無いっぽい。
清瑞。
愛想はないが意外に家庭的な部分もある女だった。絶対に口にはしないが、さっきから口にする料理は美味い。
椎茸だけは敬遠したいが、それだって味は悪くないのだろう。
「…………」
隣りにいる伊万里たちはあまり、というか全然、まったくと言っていいほど食は進んでいないようだが。
その理由は彼女たちの正面にいる人物の所為なのは間違いない。
さり気なくではあるがときおり露骨に、その女性は圧力を掛けてねめつけている。
伊万里が火魅子候補だとわかった途端これだった。
仲は悪くないと思っていたが、実際に悪くはなかったが、手のひらを返すのに、躊躇も気後れも適用しない人種。
目的のためならば手段を選ばず。
まさにそれを地で行く、いや、韋駄天で突っ走ってるような女だった。
眼鏡の縁を人差し指でくいっと上げる。
「さて。伊雅様の仰っていた最低限の条件が一応は揃ったわけですが、これで我々と共に戦っていただけますか?」
一応の語気が強い。
暗に『それはおまえ何かじゃないっ!!』そう伊万里に言っているようだった。
「…………」
ってか、言っているんだろう。
ここは伊雅と清瑞の住む、県居の里からも程近い小屋。
気絶しているキョウを天魔鏡にと押し込んで、九峪たちはお互いの現状認識をしようと連れて来られた。
そして。
中で座って待っていた人物との、期待も予想もしてはいなかった再会。
「火魅子候補だと立証する方法。天魔鏡の精で在らせられるキョウ様がいる以上、条件は完全に満たされました」
大きくはないが室内に響く通りの良い声。
進行役には打ってつけ。
亜衣はなかなか椎茸が飲み込めない伊雅を見てから、まだ食べるのに踏ん切りがつかない九峪を見る。
それは不遜といってもいいはずだ。
自信満々のてんこ盛りで、亜衣は『色々と企んでます』、そんな感じでにやりと愉しげに笑う。
「…………」
九峪は遂最近になってからだが、眼で人の感情を読むことを覚えていた。
きっと亜衣の心中を読み違えてはいないだろう。
もっともいまの微笑みだけを取るなら、誰でもわかるだろう亜衣から九峪への、露骨な合図みたいなものだが。
「…………」
九峪はちょっとだけ考えてみる。
三日前のあの夜に、亜衣ならばどんな策を講じられたろうと、ちょっとだけだが考えてみた。
山はまだしつこくしつこく燃えていた。
「錦江湾には星華様もいます。伊万里様という心強い味方も得たことですし、指揮を執ってはいただけませんか?」
唇から吐き出される言葉には毒がいっぱい。
亜衣から自分の名を呼ばれるたび、伊万里が身体を心持ち小さくしている気がする。
そんな伊万里の様子に、気の強い上乃は、カッカッときているのか、真っ赤な顔をして茸をかっ込んでいた。
何か言ってやりたいのだろうが、感情的になれば、亜衣にとってそれは扱いやすいお客さんである。
さすがに飛び掛るわけにもいかないし。
食事ができる前にすでに一度、上乃は言の葉の刃で、亜衣にボコボコにされていたりした。
この手の問題では徹底的に、仁清は役に立たないので、救いを求めるように、涙目で九峪を見つめたりしている。
だが九峪は特に何もせずに放っておいた。
こうして立場を明確にしてから亜衣と話してみて、九峪は漠然とではあるが感じたものがある。
まだそのもやもやとした妙なものを、上手く言葉にすることはできそうもない。
既視感と違和感。
相容れない感覚を同時に味わっているような不思議な感じ。
気持ちの整理が出来ないうちに、感情だけが先走ってるうちに、あまりはっきり亜衣と争いたくはなかった。
「…………」
伊万里と上乃のご機嫌を後で取らないとな。
ぼんやりと思う九峪。
「失敗すれば今度こそ終わりだ。もう、我々に後はないぞ。未来の芽を摘むかもしれん。わかっているのだな?」
その思考を伊雅の力強く重い言葉が遮る。
亜衣は笑みでその言葉に応えた。
「終わることを恐れていたら、何も始まれませんよ。それにここで始まれなければ、それは終わりどころか――」
何もない。
そこにあるのは虚無を宿らせた笑みだけで、しかし、その眼鏡の奥の瞳では訴えていた。
お願いだから助けてくれと、空っぽのまま停止したくないと、切に切に心の深い場所から哀れなほど叫んでいた。
なんて。
「いくらなんでも考えすぎかな?」
ぽつりと九峪は呟く。
小さな小さな囁くよりも小さな声で、九峪は本人でも聞き取れない小さな声で呟いた。
清瑞の耳がそれを聞き取り、視界の端で九峪を見たことには、当然ではあるが九峪はまるで気づかない。
「最後に起こす軍に、勝算はあるのだな?」
「ふんっ。それがなきゃ、あんたはやらないのかい」
「く、九峪?」
伊雅の言葉に表情が固くなった亜衣だが、今度は九峪の言葉にびっくり、そしてすぐにきょとんとした顔をする。
どんな心境の変化があったのか、それは亜衣には窺い知れないが、狗根国と戦うといってくれた九峪。
けれどこんなにも積極的に、そして食って掛かるように発言するのは、亜衣の知る限りでは初めてのことだった。
伊万里たちはあの夜をともに経験したから驚かない。
形としては亜衣に味方しているようなので、上乃辺りは複雑な顔をしているが、そこに驚きはない。
「…………」
清瑞はどうなのか余人にはわからないが、どちらにせよそれを表に出すことはなかった。
無表情にもぐもぐと椎茸を、咀嚼し飲み込んだだけである。
「見込みのない戦いに、大勢の罪のない九洲の民を付き合わせるのか? そこまでして耶麻台国を復興させたいか」
ある意味での爆弾発言。
今度は亜衣や伊万里たち全員が驚いた顔をした。
副王の言葉とは思えない。
「若い世代は耶麻台国に夢を見ているのだ。しかしあれは、夢にだけ出てくるような理想の国ではない」
「わかってるさ」
「わかっているのか?」
「いや、わかんねぇけどさ。だけどわかる必要もないんじゃねぇの?」
ばりばりと九峪は頭を掻き毟った。
今度は伊雅がその言葉に驚いた顔をする番である。
「なんだと?」
「俺たちが作ろうとしているのは、そんな古臭いもんじゃなくて、まったく生まれたての雛鳥みたいに新しい国だ」
「雛鳥」
「そ。可愛い可愛い雛鳥。耶麻台国って名前は看板を借りるだけのことさ」
「名前を借りる」
憑かれたように伊雅は鸚鵡返しだ。
「同じ名前でも人間は違うだろ。それと一緒だよ。同じ国なんて作ろうとしたって出来やしないんだし」
「出来やしない」
「それに九洲の民にだって罪はあるぜ。死ぬのがわかっているのに何もしないのは自殺で、――これは罪だと思う」
「罪」
これは詭弁もいいところだし、無茶苦茶を言っているが、それを九峪はあっさりと無視する。
続く言葉は揺るがない事実だから。
「助かるかもしれない一発勝負で頭が吹っ飛ぶか、放っておけば絶対に助かる見込みがなく死ぬ出血死」
「…………」
「やるっきゃないだろ」
ちなみに。
九峪はこの言葉が嫌いだった。
未来への選択肢は多いほどいいわけじゃないが、少なくとも自分の意思で、納得してからそれを選びたい。
だからこれは伊雅を説得しているわけじゃなかった。
自分の言いたいことを言っている、ただただそれだけなのである。
「良いこと言うねぇ九峪」
いつの間に復活したのか九峪が振り返ると、後ろをふわふわとキョウが飛んでいた。
「さすがにオイラが見込んだだけあ――ぶえぇっ!?」
昔から名は体を現すというが。
自分の言葉の軽さを、全身で表現されたみたいな気がした九峪は、また思いっきり殴りつけて沈黙させる。
「まあ、とりあえず、やってみようぜ」
「……くっ。くふふふっ。なるほどなるほど。とりあえず、か」
しかし、そんな軽い言葉で締めくくった九峪に、ぽか~~んとしていた伊雅だが、にかっと笑うと手を出した。
「とりあえず、よろしく頼むぞ」
「握手はあっちだ。俺は男と手を繋ぐ趣味はねぇの」
亜衣の顔を指差した九峪は、椀を口元に持っていくと、他の具在と一緒に椎茸を一気にかき込む。
色んな味が混ざって、アクセントとしては、椎茸も悪くはない気がした。
「この人はテレているだけですから」
楽しそうな声でしなくてもいいフォローをしている伊万里。
九峪はマズい椎茸の味と同じくらいに、その計算なく天然に優しい声を、気づかないようにするのに必死だった。
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