火魅子伝 外伝絵巻〜九峪戦記〜  第六十二章 輪二塚城無血開城 (H:ALL M:雲母・平八郎 J:シリアス)
日時: 01/30 23:14
著者: 神帝院示現   <mmmyk.kawasaki@r9.dion.ne.jp>
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   火魅子伝 外伝絵巻〜九峪戦記〜 第六十二章 輪二塚城無血開城





 壱来城が陥落した少し前辺りの時刻。
 兵を率いた雲母と平八郎の二人は、輪二塚城攻略部隊の本陣に合流していた。
 城を囲んでいる輪二塚城攻略部隊の本陣は、城の南側に布陣している兵士の列の、更に後方にあった。
 輪二塚城攻略部隊本陣には、実質的にこの輪二塚城攻略部隊を指揮している志野と志野と同じ地位にある香蘭、参謀長官の亜衣といった面々をはじめ、紅玉、珠洲、音羽、衣緒がいた。
 そこに雲母と平八郎が入り、九峪の意向を説明していた。

「つまり、九峪様は、輪二塚を無血開城させ、狗根国兵を逃せ、と?」

 志野が、平八郎達の説明を聞いて、怪訝な表情をしながら聞き返した。

「そうせよ、との仰せです。勿論、我々が率いてきた五百の兵を合わせれば、城を陥落させることも、不可能ではありませんが」

 平八郎に変わり、雲母がそう答えた。

「無血開城など……何を考えておられるのでしょうか、九峪様は……」

 紅玉も怪訝な顔になる。
 陥落させるだけの兵力があるというのに、いきなり無血開城といわれても、素直に納得はしがたかった。

「無血開城、か……平八郎殿、雲母殿、九峪様は、壱来城をどのように攻めると仰られていた?」

 亜衣が、雲母と平八郎にそう訊ねると、平八郎がすぐに答えた。

「壱来城の兵士を皆殺しにすると、仰られていましたが……」

「皆殺し……なるほど、そういうわけか」

 亜衣は、平八郎の言葉で得心したらしく、僅かに笑みを浮かべた。

「九峪様の意図がわかったのですか? 亜衣さん」

「はい、志野様、これでも参謀長官ですので」

 亜衣はそう答えると、説明を始めた。

「九峪様は、壱来城を皆殺しにし、輪二塚城を無血開城させろと仰っている。つまりこれは、敵の意識に、二つの選択肢を刷り込むためのものだと考えられます」

「二つの、選択肢?」

 衣緒が鸚鵡返しに聞き返す。

「我らと対峙した時、無抵抗で降伏したならば、命は助ける。ただし、少しでも抵抗したならば、一人たりとも許さず、皆殺しにする。……命が惜しければ、無抵抗に降伏せよ。そう敵の意識に刷り込むことが、おそらく九峪様の目的でしょう」

 亜衣は淡々と説明していく。
 伊達に十五年、九峪に直接学んではいない。
 深いところは兎も角、大抵のことならば、九峪の意図するところは読める。
 兎華乃とは違う意味で、亜衣は九峪に近い人間だった。

「うまくいけば、周辺の平定も簡単になるでしょうし、戦闘の回数も、必然的に減るでしょう」

「なるほど……」

 志野はようやく納得した顔になった。
 戦闘の回数が減れば、兵力を温存できる。
 戦は、この初戦で終わりではない。
 本当の戦は、九洲の狗根国に占領されている地域や狗根国本国から、討伐軍が送られてきた時から始まる。
 その時までに、それを打ち破れるだけの兵力を揃えておかねばならない。
 無駄に消費するわけにはいかないのだ。

「これが上手くいくならば、五百やそこらの兵を見逃すことなど、安いものです。無駄な損害も出さずにすみますし」

「ならば、九峪様の言いつけ通りにやってみなければなりませんね。もっとも、九峪様の御言葉に従う以外、私はやり方を知りませんが……」

「では、その方針でやるということでよろしいですね? 志野様」

 亜衣が確認するように訊くと、志野はすぐに頷いた。

「勿論です。無血開城の方針を、承認します。使者の方は、雲母さん、平八郎さんのお二人にお任せします。頼みましたよ?」

「「御意!」」

 志野の言葉に、二人は同時に頭を下げた。

「残りのものは、無血開城した際、無用な混乱、戦闘などが起きないよう、兵士たちに命令を徹底させるため、兵士の掌握を始めてください」

『御意!!』

 今度は、その場にいる全員が、志野の言葉に、了解の意思を口にした。
 ただし、香蘭は志野と同じ立場ということから、「わかたのことよ」と答えた。
 かくして、無血開城の準備が始められたのである。





 朱泥は輪二塚城の留守の部屋にいた。
 留守自身の姿は無い。
 耶麻台国復興軍に包囲されてから、自室に篭って震えているのだ。
 そのため、朱泥が留守の部屋に入り、輪二塚城の指揮を取っていたのである。
 そんな朱泥の元に、兵士が駆け込んできた。

「申し上げます!」

「なにごとか?」

 朱泥は、落ち着いた口調で、兵士に聞き返した。

「耶麻台国よりの使者が見えております!」

「使者? 援軍も到着し、すぐにでもこちらを攻め落とせる今になってか?」

「はっ! 使者は、平八郎、雲母と名乗り、朱泥様との面会を求めております!」

「平八郎と雲母だと!?」

 二人の名前を聞いたとたん、朱泥は目を見開き、大声で言った。

「本当にそう名乗ったのか?」

「間違いございません!」

 朱泥の確認の言葉に、兵士はそう答えた。

「……わかった。使者をここに通せ。用向きを聞く」

「はっ! 直ちに!!」

 兵士はそう返事を返すと、すぐさまその場を後にした。

「今になって、二人の名を聞くとは、な……」

 朱泥は、少し遠い目をしながら呟いた。
 しばらくすると、二人の人物が、留守の間に通されてきた。
 雲母と平八郎である。
 二人とも、防具は身につけていたが、武器の類は所持していなかった。
 あくまでも使者という役柄上、武器を携帯しては来なかったのだ。

「使者をお連れしました」

「ご苦労、下がってよろしい」

 朱泥の言葉に従い、兵士はその場から立ち去った。
 それを確認すると、雲母と平八郎が、朱泥の元まで歩いていく。

「久しいな、朱泥」

「……本当におぬしらだったとはな。特に平八郎は死んだと思っておったが……」

「あるお方に助けられ、死は間逃れた」

「そして今、敵方の使者として、ワシの前に立つ、か……軍監としては、詳しく聞きたいところだが……今は敵方の使者、深くは訊かん」

「貴殿の配慮に感謝を」

 平八郎は、朱泥に頭を下げながら言った。

「……さて、では、そちらの用向きを聞こうか。優位に立ったそちらが、何故使者など送ってきたのかをな」

「うむ。そうだな、積もる話は後にしよう……雲母殿」

「あぁ。では早速、用向きを話すとしよう」

 平八郎に促された雲母は、話を切り出した。

「朱泥殿。我等が主よりの意向を伝える」

 雲母は、そこまで言うと、一度言葉を切ってから、改めて話を続けた。

「我らが率いてきた援軍を合わせて攻め入れば、この城にいる兵士は皆殺しにされよう。もし、貴殿が我らの俘虜となり、武装放棄・無血開城するならば、この城にいる兵士が輪二塚城から撤退するのを許そう。と我らの主は申している」

「抗戦した場合は?」

 朱泥が、移行とは反対の行動をとった場合のことを聞いた。

「一人の降伏者も出すことは無いだろう」

 雲母が冷たく言い放つ。
 降伏者を出さない、それは、皆殺しを意味していた。

「……その脅しに屈さず、一矢報いる方を選べば、そちらにも少なからず損害を出すことも出来ようが……」

「今、わずかばかりのこちらの兵を殺したところで、何の意味がある? そんなことで兵士を無駄死にさせるのは、咲耶王女殿下の望むことではあるまい。生きた兵士を本国に帰すことこそ、今の貴殿の役目ではあるまいか?」

 朱泥の言葉に、平八郎がそう言った。
 九峪から教えられた言葉に、自分の言葉を少しばかり足して、諭すように言った。

「兵を無駄に死なせることは、指揮官たるもののする事ではあるまい……」

「敵たるものにそのようなことを言われるとはな。まったくどうしたものか」

 朱泥は苦笑した。

「仮に降ったとして、兵の身の安全は、どう保障するつもりだ?」

「わしと雲母の名誉にかけ、保障する。それで足らんというのならば、無血開城させる真意を語ってもよい」

 平八郎は、朱泥を見据えて、言った。

「真意。なるほど、そちらにも打算があるというわけか」

「当然だ」

 今度は雲母が答えた。

「話してもらえることなのか?」

 朱泥が訊く。

「話してはならんとはいわれていない」

「では、聞かせてくれないか?」

「いいだろう。とはいえ、それが本当に総大将の真意かどうかは、確認していないが」

 そう答えると、雲母は、亜衣の語った、予測を朱泥に語った。

「……今後の戦のための布石か。そのために壱来を皆殺しにし、輪二塚城の兵を全て見逃すとは、そうできる決断ではない。恐るべき策と決断力……狗根国でもそうはおらん」

 朱泥が、難しい顔をして言った。

「……我等が総大将がその気になれば、最小の犠牲で、この城を落とすことも出来よう。それを部隊指揮官に任せておるのは、後続の教育のため、とわしは思っておる」

 平八郎が、雲母の言葉に続けるように話し始めた。

「しかし、このままおぬしらが立てこもり続ければ、総大将御自ら指揮を取る部隊までもが、ここに集結しよう。そうなれば、この城の兵は完全な無駄死にになる」

「降れ、朱泥よ。お主とは古い馴染みだ、我等が責任もって、お主とお主の率いる兵の命を保障する」

 平八郎と雲母が、止めになる言葉を継げた。
 ここまで言われては、降らぬわけにはいかなかった。
 もとより、命じられてこの城にいるわけでなく、不遇な遭遇戦に近い状態であったため、降ることも、許されないことではなかった。
 むしろ、ここで兵を無駄に死なせることの方が、よほど、許されざる行為であると、朱泥の頭は判断していた。

「わかった。武装解除し、無血開城しよう」

 朱泥はそう決断した。
 朱泥は、良くも悪くも、狗根国にとっての忠臣であった。
 大君の権威が形骸となり、咲耶主導の体制になってからは、咲耶個人に対する忠臣になってはいたが、間違いなく忠臣だった。
 例え、敵たる耶麻台国復興軍の策を成させることになってしまっても、兵を無駄に死なせることは出来なかった。
 もっとも、九峪の考えは、策というよりも、ただの意思表示に近かったため、策を成させるという感覚があまりなかったのも、その決断を後押しした理由の一つになっていた。

「貴殿の決断に敬意を表する」

 平八郎は、嬉しそうに微笑んだ。
 その様子を横目で見ながら、雲母は冷静な態度で付け加える。

「一刻(約二時間)の時間を与える。速やかに、開城されよ」

「あいわかった。刻限には必ず開城しよう」

 朱泥は、真面目な態度でそう答えた。
 その表情を見た雲母は、輪二塚城の無血開城が、ほぼ確実に成ったことを確信していた。
 そして、その通りになった。





 朱泥が無血開城を宣言してから、半刻後。
 城門が開かれ、耶麻台国復興軍は、城内に入った。
 武装解除した狗根国兵は、音羽の部隊が、輪二塚城から十分に離れた場所まで引き連れていき、そこで解放した。
 狗根国兵のいなくなった輪二塚城は、速やかに耶麻台国復興軍の統制下に入った。
 降伏した朱泥は、拘束され、その身柄は、平八郎に預けられることになった。
 こうして、第一期戦争……復興戦争の緒戦は、終結を迎えた。





 壱来城の留守の間にいた九峪は、早馬で即座に知らせに来た伝令の話を聞くと、少しだけ、ほっとした顔になった。

「輪二塚城が落ちたか……緒戦は我が軍の完全なる勝利で幕を閉じたわけか」

 九峪は、感慨深げな声で言った。

「おめでとうございます。九峪様」

「めでとう、比古」

 傍に控えていた伊万里と織部が、九峪に祝辞を述べる。

「何、これはまだ緒戦。まだ先は長い……」

 そう自分を戒めるように言ったあと、九峪は、伊万里と織部の頭を、優しく撫でた。

「だが、ご苦労だった」

 九峪が微笑みと共にそう言うと、顔を少し赤らめながら、伊万里と織部は、嬉しそうな顔をした。

「さて、織部、総本隊の中で比較的元気そうな奴を伝令に立ててくれ。幹部全員は、二日後の夕刻までに、最低限の護衛のみを引き連れ、鹿谷城に集結すべし、と」

「わかった。でも、何で二日後なの?」

 素朴な疑問を織部は口にした。

「俺の世界から戻ってきた連中は、あまり体力が無いだろうからな。明日集まれといっても土台無理な話だ。第一、護衛の兵も、明日動くとなれば疲れきって役に立つまい」

「兵士に関して言えば、そこまで体力が無いとは思えないんだけど」

「少しでも兵を休めておきたい。九洲の狗根国軍に、すぐ反撃に出れるほどの猛将はおらんが、万が一ということもある。疲れた兵で、戦は難しいからな」

「なるほど。鹿谷城なら、壱来と輪二塚の間にある。半日もあればつくから、丸一日は、兵を休められるというわけですね。私達も含めて」

 伊万里が、九峪の言葉に続けるように言った。
 九峪は満足げに頷く。

「そういうことだ」

「わかった。そういうことなら、そう伝えるように伝令を出すね」

 そう言うと、織部は部屋を辞した。

「伊万里」

 九峪は、今度は伊万里に話しかけた。

「はい、九峪様」

「兵を休めるように命じたばかりだが、二個中隊を引き連れて、すぐに鹿谷城へ行って欲しい。鹿谷城の衛兵はあまり残していない。すぐに落とせるほど少なくは無いが、念には念を入れておきたい」

「わかりました。すぐにでも」

「頼む」

 九峪の返事を聞くと、伊万里もすぐにその場を辞す。
 すると九峪は、一度ゆっくりと息を吸って、吐いた。
 そして、口の端を微かに楽しそうに歪めた。

「……蛇渇よ。こちらもはじめたぞ……待っていろ、俺が殺しに行くその日までな」

 九峪は、喉の奥で嘲った。
 九峪が唯一、誰にも見せない、暗い部分。
 それが少しだけ、表に出てきていた。
 戦争が始まったことで、今まで内側にあったものが、出てきてしまったのだ。
 勿論、押さえつけられる程度の、微かなものではあったが。
 良くも悪くも、止まっていたものが、動き始めたのだ。
 怒涛のごとく流れる戦争が、始まったのだ。
 例えそれが、九峪の身に何をもたらすことになろうとも、もはや止まることは無い。
 そう、止まることは無いのだ……何が、あろうとも……。





   火魅子伝 外伝絵巻〜九峪戦記〜 第六十三章 神の使いの実娘 へ続く