―――――――忘れるな。弓華……いや、泊龍。
―――――――お前の心も、体も、お前のものじゃねえ。
―――――――お前の全ては、龍のものだ。
―――――――お前は、龍の操り人形なんだ―――――――
―――――――――『My name is……』04――――――――――
―――――――――『Double night ・ one side』―――――――――
………解ってはいる。それは、考えても仕方の無いことなのは。
………解ってはいるのだ。それは、考えてもなんら現状の改善に役立たないことなのは。
それでも――――暗殺者は考えずにいられない。
――――――『もしも』と。
もしも――――駅で出会っていなかったら。電車を一つ遅らせるか、早めるか。あるいは久遠がぶつかってきた時、咄嗟にかばってこけたりしなければ。彼が手を差し伸べてくれることは無かったかもしれない。二言三言話して、そのまま立ち去っていたかもしれない。
――――『かもしれない』。
そう。――――これは、なんら意味の無い仮定。
…………解っては、いるのだ。これが、全く無駄な思考であることは。
もしも、など――――――そんな甘い概念が入る余地の無いもの。それが現実という名の魔物であることは。
そんな事は、現実に翻弄されて生きてきた暗殺者自身が誰よりも知っていることだから。
それでも――――それでも、考えずにはいられないのだ。
もしも――――もしも出会わなかったのなら。
こんなにも、辛い思いはせずにすんだのだろうか、と――――――
「……少し……大人しクシてて下さイね。………スグに終わリますかラ」
「弓華さん……冗談…ですよね?」
私立海鳴中央、三階。音楽室の隣の準備室。
ざっと現状の説明をした後、縛り上げられたなのはちゃんは呆然とした口調で聞いてきた。
私は嘲笑で答える。
「ふン……残念なガラ事実なノでスよ。恭也さンが私ノ探しテタ人」
それは真実だ。
「全く……クだらなイ茶番だっタ。目ノ前に居たどころカ、ソノ人に協力を頼ンだなンてネ………殺スべき人に」
「………そんなの嘘です!」
「時間ハかかりましタが、まアいいでス。ココで恭也さンを殺してしまエば一緒でスしネ」
「嘘でしょう!?だって弓華さん―――――」
「貴女ガどう思うかなンてどウでもイイでス。ココで大人シくしててクれればネ」
何か言いかけたなのはちゃんに、私は冷たく言い捨てて立ち上がり、足でなのはちゃんを
うつ伏せにして、頚動脈のあたりを踏む。
「あ、かっ…………」
「ごめンなさイ。気配を辿らレては元も子もなイでス。気絶シててくださイネ。最も―――――
―――――再び目覚めルとは限りませんガ」
なのはちゃんが何か言いかけた。
「……う、そ………ゆん……な………て…………」
が、それは言葉になることはなく、なのはちゃんは気絶した。
「…………………ごめンなさイ……………………」
ただ一言だけ詫びて、私は準備室を出た。
上手く出来ただろうか?なのはちゃんは、私を憎んでくれるだろうか?
………そろそろ恭也さんを迎え撃つ準備をなくてはならない。
私に出来ることをしなくてはならない。
…………せめて、出来ることを。
――――――人形だ。
――――――お前は人形だ…………
「…………ッ!!」
――――――助ける?笑わせるな……
――――――お前の手は差し伸べるためのモンじゃない。
――――――腹を殴り、目を抉り、首を締めて、武器を握るためのモンなんだよ。
「……………ッ!!」
…………そうだ。せめて、この人形にも出来る精一杯をやるしかないんだ………
私は走り出す。幻聴を振り払うかのように。………幻聴から逃げるように。
――――――――そして。
準備を終え、校庭に出てた。
雨の中で、必ず現れるだろう恭也さんを待つ。
『選んでください』
そう言った。
やって来た恭也さんはそう言った。
「…………エ?」
「…………まず、選んでください。―――――『御神の剣士を、敵に回すか否か』を」
恭也さんの、その眼を見て。その言葉を聞いて。
…………背筋が、凍った。
『――――我が名は不破――――』
『――――御神に敵する悉くを打ち滅ぼし――――』
『――――その生存を赦さない――――』
『――――心得よ。我らに敵したその悉く――――』
『――――須らく無へと帰し、その例外、一つとして無し――――』
『――――我らの“不破”を信じぬならば――――』
『――――よかろう。我らに刃を向けてみよ――――』
『――――その魂の奥底に、我らの名を刻んで見せようぞ――――』
巨大な組織、『龍』。
ただ三人しかいない、『御神の剣士』。
三人しかいない、と私の理性は告げる。
三人もいる、と私の本能は告げる。
たかが三人で何が出来る、と私の理性は告げる。
三人もいれば充分だ、と私の本能は告げる。
理性は本能を罵る。『なにを怯える?』
本能は理性を罵る。『わからないのか』
『アレは人じゃない。断じて人じゃない』
『アレは、『死』そのものが人の形をしているだけだ』
『お前はわからないのか。あの男の強さを』
『本当にわからないのか。あの男の怖さを』
『…………わからないはずは無いだろう?あのひとは…………』
『…………初めて、私を本当の意味で『助けて』くれた人』
『出来るのか?その人に――――お前のやろうとしていることが、本当に出来るのか?』
「………………………選んでください」
そう言った恭也さんの眼には、普段の静かな夜を思わせる、優しげで淡い光は無く。
変わりに、光を拒む、どこまでも暗く深い闇を映していた。
……………どちらの眼も、彼の本質。
……………どちらの眼も、とても魅力的。
「………………………選んでください」
………………………どうすればいい?
………………………どうすればいい?
―――――なんだと?
―――――殺せない?いいや。殺せるとも。
―――――何故ならお前は―――――
―――――――――そのための人形なんだからな。
「でモ――――――」
でも、私は。
中途半端な、私には。
「私は、コんなコトしか思いツかナい!」
その言葉と共に投げつけたナイフは、開戦の合図。決意の後押し。
私と、彼を―――――戻れなくするため。
私は校舎へ走り出す。
どうか。
弱くて、脆くて、臆病で、中途半端な私が――――――
―――――どうか最後までやりきることが出来ますようにと、それだけを願いながら。
恭也さんは思ったとおり、トラップに苦戦している。
(こレばッかりは、知識ト経験がなイと対処できまセンからね)
暗殺者には暗殺者の強さがある。自分より強い相手を殺せる――――そんな強さが。
ライフルの整備は完璧だ。照準も既に終了している。狙撃スコープから見える恭也さんは罠を
踏み、同時に刃物が飛来する。
(…………一人は追ッて、一人は逃げテ…………こうイうノ、日本でハ『鬼ごッこ』言うンでスよネ?なのはちゃンに教わりまシた。鬼ごッこのルールも―――――のろまナ鬼をからかウ言葉も)
刃物を叩き落す動き。そこに、隙が出来る。
「――――――『鬼さンこちラ――――――」
まず狙うのは肩。
「――――――手の鳴ル方へ』!」
同時、引き金を引いた。―――――しかし。
「…………!!かわさレた!?」
慌てて立て続けに引き金を引くが、凄まじい速度で死角へ入られた。
…………この距離の狙撃に気付くなんて。
…………これが―――――御神の剣士。
…………まだだ。弱気になるな。かわされるのなら――――――かわしようのない状況を作るまで。
…………弱気になるな。怖気づくな。私は、やれる。きっとやれる――――――
海鳴中央から風芽丘までの渡り廊下。
ベレッタに弾倉を押し込み、初弾を装填する。
凄い速さで、こちらに近づいてくる気配が一つ。
雨雲に覆い隠されて月光は届かず、暗闇と雨音の中、私はぶるぶると震える体を叱咤し、汗ばむ手で
ベレッタを握り締め、自らに言い聞かせる。
大丈夫。私はやれる。
私はやり通せる。
…………大丈夫。きっと、恭也さんを…………
―――――――思考はそこで中断された。恭也さんが向かい側の渡り廊下に到達したからだ。
どくん。
どくん。
(―――――私は―――――)
罠の起動した音を聞いたか否か、そんなタイミングで立ち上がる。
(―――――私は、やり通せル!!)
ろくに狙いもつけずに乱射。
撃ちながら調整し、戦闘力の要たる肩を狙う。
――――――が。
恭也さんが素早く回転した。恭也さんが何をしたかは解らなかった。私が何故身を捻ったのかも解らなかった。ただ結果は理解できた。――――――私の顔の横を何かが通り過ぎ、壁に突き立ったこと。おそらく私の待ち伏せは予測、又は察知されていたこと。
頬を流れる血を感じながら、私は踵を返す。
予想外の反撃を食らった場合は撤退。
それは戦闘の定石だけれど、私は後退したのではなく、逃げ出したのだ。
怖い。
彼を間近で見るのが怖い。
走り出して数秒。
「………俺の勝ちだ。泊龍――――」
考えるよりも早く、体が反応する。私は振り向きざまに一発撃った。だがそれは見当違いの方向へ当たる。だがそんな事はどうでもいい。何故―――何故、恭也さんがここに居る?さっきまで、確かに向こうに居た。だとすれば―――――
「…………HGS…………」
「いや、違う」
思わずもれた呟きは否定された。だが、それもどうでもいい。
問題は。そう、問題は。恭也さんが今ここに居るということ。
私の間近に居るという事。
怖い。
彼の、私を憎む表情を見るのが、怖い―――――
私はその恐怖を押し殺す。
ありとあらゆるものを押し殺す。
薄れそうになる殺気も。
歪みそうになる表情も。
崩れそうになる両足も。
震えそうになる両手も。
甘えそうになる精神も、全て―――――
まだだ。弱気になるのも、怖気づくのも、倒れ伏すのも。
全て、まだだ。全てはやり通してからすればいい。
私は再び拳銃を構えなおす。
「…………無駄な真似はよせ。この距離ではもう無理だ」
「………………………」
それでも。
――――――引くわけにはいかない。
恭也さんから殺気が滲み出す。静かで、しかし圧倒的な殺気が。
…………空気がぎりぎりとねじられ、一本の糸になるような、決闘にも似た一瞬。
「………………!!」
私は両手の拳銃を乱射しながら前へ。
恭也さんは二発目までを見切り、見失うほどの速さで疾走する。
そして彼の間合いで目が追いつき、斬撃が来る。私は拳銃を投げ出して腰から二本ナイフを抜き、それを受け止める。とんでもなく速く鋭く重い一撃。
恭也さんは素早くもう一撃繰り出し、簡単に左手のナイフが弾き飛ばされる。
(こノまま右手ノも、カ……でモ、まだやらセなイ!まだ……まだ一押シ足りなイ!!)
右手のナイフも弾き飛ばそうと、恭也さんは渾身の斬撃を放つ。
…………ここだっ!
「………ぐッ………!」
私は―――――左手で右手のナイフをかばった。
左手の肘から先が切り飛ばされる。
鮮血が舞う―――――
激痛に意識が飛びそうになるが、なんとかこらえる。
「な!?弓華さ―――」
………まるで、自分が斬られたかのような恭也さんの表情。
………後悔の感情と、確かに言ってくれた『泊龍』ではない『弓華』という名前。
私は、笑った。
とても嬉しくて、とても悲しくて。
私の顔がどう見えたかはわからない。
嘲笑を作ったつもりだけれど、上手く出来た自信は無い。
「貴方ハ、本当に優しイでスね―――」
…………本当に。優しすぎるぐらい。でも、今は捨ててください。
…………嬉しいです。涙が出るほど嬉しいです。けど。
今は、今だけで結構ですから。
その優しさを捨てて――――――私を殺してください。
そうすれば、貴方の情報は龍に届かず、あの優しい場所は、ずっと優しいままでいられる。
私は貴方を本気で攻撃しました。『戦闘者』としての貴方を殺そうと。
貴方を再起不能にしてしまえば、龍にとって価値の無くなる貴方はきっと安全になる。
憎んでくれれば。それで、生きてさえいてくれれば。それでいい、と。
一方的なモノ。善意というには苛烈にすぎ、悪意というのも少し違います。
中途半端な私にふさわしい、中途半端な決断。
それは――――どうやら無理のようです。
私は、決断も行動も、結果さえ中途半端で。
だから。
私を―――――殺してください。
操り人形の私はきっと、沈黙することができないから。
優しい人たちが、ずっと優しい場所にいられるために。
貴方はとても優しい。だからきっと、貴方は私を殺そうとしない。
さっきの台詞がそれが正しかったことを証明しました。
だから、私が最後の一押しを。もう―――――戻れないんです。私も、貴方も。
私は、右手のナイフを――――――
―――――――恭也さんの横腹に突き立てた。
「……………ぐっ!?」
苦悶の声と共に、殺気が蘇る。
…………そう。
………………それでいいんです。
その傷は致命傷でこそないですが、決して軽くはない。
私がこの刃を少し動かせば。貴方の内臓は修復不可能なほどに壊れます。
…………躊躇しないで下さい。
…………躊躇すれば、貴方は命を失い、間接的に貴方の大事なものを失います。
…………なのはちゃんのため、躊躇せず、殺してください。
…………そのなによりも速い技で。そのなによりも鋭い剣で。
「……ああああっ!!」
――――――裂帛の気合と共に。
鋭く速く、とても綺麗な銀の剣閃が、私の首に吸い込まれていった――――――
暗殺者は何もかも中途半端だった。
自らの主に抗いきれるほど強くなく。
自らの主に従いきれるほど弱くなく。
暗殺者は中途半端な決断をし、中途半端な行動をし、
中途半端な、結果になろうとしている。
そして――――――この物語の語り部たる私はそれを嘲笑うことは出来ない。
彼女と同じく中途半端だった私には、そんな資格は無い。
思い出す。
私とあいつのことを。
そして、想う。
彼女とあいつのことを。
今はもう、願うばかりだ。
私達に似ている彼女達が、私達と同じ道を辿らぬように。
あの時の士郎に似て、何も伝えられず、何も知らない馬鹿息子と。
あの時の私に似て、何も伝えず、何もかもが中途半端な暗殺者が。
私達にとてもよく似た二人が、私達と同じ道を辿らぬように。
この物語の語り部たる私は願うのだ。
私達にとてもよく似た二人が、私達とは違う道を選ぶことを。
自らも、相手も望まない選択をしないように。
どうか。
どうか。誰もが望む未来を選んでくれ。
何も知らない恭也。何も伝えない彼女。これはもう戻れない物語だけど―――――
――――――――どうか。
…………悲しく虚しい戦いの物語。
…………もう戻れない物語。
…………ここは、物語の要たる四話…………
『Double night ・ one side』 (暗殺者の夜)
これは暗殺者の夜の物語。
何も語らぬ物語。
何も伝えぬ物語。
もう戻れない物語。
悲しく虚しい物語。
どうか。彼女を助けてやってくれ。昔の私を。頼む、恭也――――――