矛盾の刃――――終幕後編・美沙斗―――

 

――――「桜花狂咲(チェリーブロッサム)」――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『今、しばらくは』

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺は、彼女が好きなんだ。

 愛しくて、守りたいんだ。

 

 

 ――――――俺は静かに、彼女の名を呼んだ――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………美沙斗さん」

 

 

 

 

 

 

 

「………………『不破』を手に入れたのか」

「……………はい」

 

 立ち上がろうとした恭也を押し止め、座らせる。

 

「…………酒を持ってきた。まあ、飲めないのは解っているが、つきあってくれ」

 

 …………私は、恭也の横に腰を下ろし、恭也の横顔を見た。

 座らせた恭也が、古い木彫り細工を持っているのが見えた。

 

「それが、兄さんの真伝証明か。…………これで名実共に師範というわけだな」

 

 恭也は少し困った顔をした。

 

「………あまり、実感がわきません。………まだ、俺には早いんじゃないでしょうか………?」

「……」

 

 私は少し呆れた。

 

「………………いいか、恭也?『閃』は、活殺自在の技だ。そして、剣技の最高峰、

『斬鉄』さえも可能にする御神流の奥義」

 

 一度言葉を切る。

 

「斬れないはずのものを斬れる『閃』は、同時に何も斬らないことの出来る、『不破』

にふさわしい矛盾を孕んだ剣技」

 

 持ってきた清酒を紙コップに注ぎながら、続ける。

 

「君はそれを使える。使えるということは、君はやはり、『不破』なのさ」

「…………」

 

 同じように清酒を注ぎ、恭也に渡す。

 

「君は兄さんですら到達できなかった高みに居て、兄さんの剣を正しく受け継ぎ、無敵の不破

にふさわしい技を持ち、不破の矛盾に君なりの答えを出した。その証明として木彫り細工を

渡された…………ふさわしくない?……いいや、逆だ。君こそ、真伝の名にふさわしい」

 

 …………だが恭也は、それでも黙ったまま視線を落としている。

 ………私は紙コップを傾けた。恭也もつられたように飲む。

 

「………………信じられないんだね?」

 

 恭也の肩が、ぴくっと震えた。

 私は恭也の横顔を見たまま、続ける。

 

「……………そうだな。君が褒めてあげる弟子はいても、君を褒めてくれる師匠はいなかったからね……」

「………………………」

 

 

 

 

 長い長い間、ただ一人で戦ってきた恭也。

 

 ただ二人生き残った自分より強いもの。ただ二人の師匠たりうる存在。

 

 しかし、一人は龍に殺された。一人は龍を追っていた。

 

 どれほど辛かったことだろう?どれほど泣きたかったことだろう?

 

 

 

 

 ………私は少し勇気を出して、恭也を抱き寄せた。そして、恭也が何か言う前に口を開く。

 

「…………!」

「私が褒めてあげるよ。君は強いと。………それとも、この私の保証では、不満かな…………?」

 

 恭也の横顔は揺らがない。

 でも、抱き寄せた掌から伝わる僅かな震えが、私に教えてくれる。

 

 …………恭也の痛みと、それが和らいだ喜びを。

 

 ……………私はしばらく、ただ恭也を抱きしめていた…………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………かなりの時間がたってから、私は口を開いた。

 

「…………はじめは、ね。君に静馬さんを重ねているんじゃないかって、思ったんだ」

「………美沙斗さん?」

「でも、違ったよ」

 

 私は恭也を抱く腕に力を込める。

 

「私は、『君』が好きなんだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 後悔はしない。私はただ、伝えたかっただけだから。

 報われる、とは、最初から信じていなかったから。

 

「いや。いいんだ。忘れて―――――――」

 

 だから。

 

 忘れてくれと言おうとした私を、恭也が唇を重ねることで遮ったときは、本当に嬉しくて。

 

「………恭、也……………」

「…………俺も………貴女の事が、好きです」

 

 唇を離し、そう言ってくれたときは、本当に嬉しくて。

 

 嬉しくて。一度離れた唇を、今度は私から重ねた。

 

 

 

 

 

 抱き合う腕に力を込め、舌を絡めあう。

 

 間近に見える、綺麗な瞳。

 私の背中を支える、力強い掌。

 少し酒の味がする、唇と舌。

 

 夜の静寂に響く水音。

 

 ずいぶんと長く重ねていた唇を離した。

 名残を惜しむかのように唾液が糸を引く。

 

 

 顔と体が熱い。

 私は強く強く恭也の体を抱きしめ、彼の名を呼んだ。

 

 

 

 

 

「…………恭也……………」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――――4月28日、香港、空港にて――――――――

 

 

 

 

 

「………本当に、良かったの……?」

「ええ」

 

 …………私の問いに、恭也は即答した。

 

 恭也が警防隊に正式に入隊することとなった。

 しかし、私には一抹の不安がつきまとう。

 だから、何度も繰り返した問いを、また聞いてしまう。

 

「…………でも、なにも君まで………………」

「………俺も、龍が憎くないわけではないですし…………それに、信じているんです」

 

 そう言って、恭也は少しだけ笑った。

 

「人殺しの俺にも、出来ることはある」

「血まみれのこの手でしか、出来ないことがある」

「………そう、信じているんです。」

 

「だから、行きましょう。………龍は滅ぼさねばならない。そうでしょう?」

「……………ああ」

 

 たしかに。

 殺さねばならない。滅ぼさねばならない。

 どちらかが、どちらかを殺し尽くすまで、私たちの戦いは終わらない。

 

 守りたい人がいる。

 奪われたくないものがある。

 

 そのためなら、汚れることなど厭わない。

 

 それが、私たちの正義だから。

 

 …………戦うのみだ。

 

 だから、今しばらくは修羅の道を。

 

 信じている。

 

「私たちの剣は――――」

 

 

 

                

 

 

 

 

 

「全てを、守れる」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 4月28日、香港国際警防隊に一人の青年が入隊した。

 警防隊内の誰よりも若く、誰よりも強いその青年は、誰よりも優しく、誰よりも龍を憎んでいた。

 

『龍』という名の組織が壊滅する、二年前のことだった。