九洲炎舞 第一話「光の柱」  (H:ゲーム+小説 M:九峪・日魅子・姫島教授+オリ J:シリアス
日時: 07/04 10:42
著者: 甚平





 「はっはっ・・・はぁ」


 九州・耶牟原遺跡。

 数年前に発見された大規模な遺跡、そこに設置されている資料保管室に向かって一人の青年が息を切らせながら走っていた。

 紺色の学生服に身を包み、リュックを肩にかけたどこにでもいそうな高校生。

 九峪雅比古。

 それがこの青年の名前だ。

 九峪は視界に保管室を捉えると速度をさらに上げた。

 後もう少しで保管室に着くというところで、

 「あっ君、そこは地面が脆いから通っちゃ駄目だ・・・て、九峪君か」

 「はっはっ、すっすみま、せん。は、はぁぁ・・・。あれ、佐藤さんじゃないですか。いつもは研究室にいるのに、遺跡になんか用事ですか?」

 後ろから声をかけられて振り向くと、そこには遺跡の研究スタッフである佐藤さんがいた。

 気立てがよく真面目な彼は、同スタッフから高い評価を受け、九峪もまた彼のことをかなり好いていた(誤解されるおそれがあるので、九峪に男色の気がないことをここに)。

 普段研究室を出ない彼がどうしてここにいるのだろうか。九峪は首を傾げた。

 「ああ。ちょっと見たい資料があってね。そう言う九峪君はどうしたんだい」

 「あっと、俺、姫島教授に呼ばれたんです。少し手伝ってほしいことがあるって」

 九峪はそう言って肩にかけていたリュックをかけなおした。

 何か道具が入っているのか、中からカシャリと音がする。

 「そうか、悪かったね引き止めて。保管室にいくのなら、そこに板が敷いてあるだろ、そこを通るといいよ」

 佐藤はそう言って、木板が敷いてある道を指差した。

 その道は、一度下にある調査場に下りて、そこを抜けてもう一度上にあがるというものになっていた。

 「下は結構荒れているからね、足元には気をつけなよ。それじゃ、僕はもう行くから」

 「ありがとうございます。佐藤さんも研究がんばってください」

 九峪の礼と激励に佐藤は片手を上げ答え、九峪が来た道を逆に歩いて行った。

 佐藤を見送った九峪は姫島教授の待つ保管室に行こうと板敷きの通路に向かおうとしたが。

 「九峪〜」

 先ほど佐藤が歩いて行った道から声が聞こえてきた。

 その声は女性のもので、明らかに自分の名前を叫んでいる。

 「日魅子」

 振り向くと、そこには九峪の良く見知った少女、姫島日魅子が走ってきていた。

 九峪が世話になっている姫島教授の孫で九峪のクラスメートの、今年で齢十七になられる高校二年生だ。

 九峪とは実の兄妹のように育ち、今でも一緒に良く遊ぶ仲。いわゆる幼馴染というやつだ。

 九峪と日魅子はよく一緒に遺跡に来ていた。

 九峪の場合はいろいろとやることがあり、日魅子はぶらぶらしているのが常だが。

 しかし今回呼ばれたのは九峪だけ。

 日魅子は呼ばれてないはずだし、教えてもいないはずなのに、何故ここにいるのか。

 日魅子が一人でここに来ないことを知っている九峪はまたもや首を傾げた。

 「日魅子。お前なんでここにいるんだ?」

 「別に用があるわけじゃないんだけど、ただぶらぶらしてたらなんとなくこっちに足が向いたの」

 「はぁ、珍しいこともあるもんだな、お前がなんとなくでここに来るなんて。調査中に事故でも起きるんじゃないのか」

 そう言って九峪はさも「縁起が悪い」とでも言うように身をすくませた。

 「何よ、私が一人できたらいけないの?」

 今にも噛み付いてきそうな日魅子に九峪は「別に」と応え、プレハブの保管室に向かって歩き始めた。

 「あっ、ちょっと待ってよ九峪」

 いきなり歩き出した九峪に、日魅子は慌てて後を追った。



















 「教授、すみません。遅れちまって」

 「ん、おお、九峪君か。いやぁ、気にしなくても良いよ。こちらも作業が少し長引いていてね。もう終わるか「おじいちゃ〜ん」おお、日魅子も一緒なのか」

 保管室に入った九峪に気づき姫島教授は席を立った。

 机の上には出土した土器や何かの文献らしき紙がファイリングされているものが幾つか置かれており、そのすぐ近くには数冊のノートが置かれていた。

 九峪と日魅子は教授のいる机まで近づいた。

 「教授、また物が増えましたね」

 「ああ。実は一昨日宝物庫らしき所を発見してな。そこにあった物なのだよ」

 机の上に置いてあった奇妙な紋様の描かれた短い棒を九峪は手に持ちしげしげと眺めた。

 紋様の部分は金色に光っている。おそらくは溶かした金を掘った線に塗ったのだろう。

 「宝物庫・・・・・・ねぇ。確かに、こんなものがそこら辺から出土するわけありませんからね。ということは、これほとんどそこから出たものですか?」

 そう言って九峪は部屋の中を見回した。

 発見された当時の資料はたいていが真空パックなり箱に収められるなりする。

 その上で奥の保管庫に保管される。

 しかしここにある物は、保存処理は施されているものの、ここにあるべきものではない。

 調べるためというのならばまだわかるが、一見すればそういうわけでもないようだ。

 保管屋にあってこのように放置されているというのはまずあり得ないことなのだ。

 「ここにある物は全て宝物庫にあったものだ。本来ならばこのような扱いをするものではないのだが、如何せん量が多くてな」

 「つまりは保管庫に入りきらなかったと」

 「ああ。明後日には研究室の方に移すが、それまではこのままだよ」

 そう言って教授は髪をかきながらため息を吐いた。

 そんな教授の様子に九峪は苦笑した。

 「そういえばさ、九峪ってここになんか用事でもあるの?」

 今まで話に参加せずに宝物庫から発見された土器をもてあそんでいた日魅子が突然言葉を発した。

 突然横から声がして驚いた九峪と教授は、驚いたこととは別にハッと思い出した。

 「そういえば教授、手伝ってほしいことがあると言ってましたよね」

 「おお、そうだったな。儂としたことが、すっかり忘れておったわ」

 いきなり真面目モードに突入した二人に日魅子はあからさまなため息をついた。

 そして「この二人って似てるなあ〜」などと考えて苦笑した。

 「それで教授、手伝ってほしいことというのは」

 「それはある物を見せてから説明する。とりあえずきてくれ」

 教授は保管庫に向かって歩き出した。九峪と日魅子もそれについていく。

 「九峪ってよくおじいちゃんの手伝いしてるけど、いったい何してんの?」

 日魅子は思いついた疑問を口にした。

 九峪はよく遺跡に、ないし研究室に行く。

 名目は研究の手伝いということになっているが、一介の高校生でしかない九峪に態々手伝いを頼むとはどういうことか。

 確かに九峪は頭はいい。学業においても230人中学年20位内に必ず入る。

 さりげなくIQも180以上ある。

 日魅子も決して成績不振ではないが、それでも九峪は先を行っていた。

 唯一勝っているものがあるとすれば、せいぜい運動くらいだろう。

 九峪は決して運動が苦手というわけではない。

 体育の成績はクラスの中でも真ん中より上だ。

 もちろんそんな九峪に勝っても「体力バカ」みたいであまり嬉しくないのだが。

 成績のいい九峪は、特に歴史が得意だ。

 というのも、九峪本人が歴史好きで、特に三国志演義や信長などの戦記物や戦略シミュレーションゲームの愛好者だからである。

 死ぬときは本能寺でと決めているとかなんとか。

 ・・・話しが逸れた。
 
 確かに、学業優秀、おまけに歴史好きの九峪が考古学の研究の手伝いをするというのは考えられないことはない。
 
 しかし、九峪はあくまで歴史好きの青年なのであって、決して研究者ではない。

 専門的な知識だって持ち合わせていないはずだ。

 なら、九峪は何の手伝いをしているのだろうか。

 そういうことに疎い日魅子でも、そのことが気になっていた。

 日魅子の問いに九峪と教授は困ったように苦笑を浮かべたが、それだけ。

 その問いに答えることはしなかった。

 そんな二人の様子に釈然としないものを感じながらも、日魅子は追求しなかった。

 これ以上聞くべきではないと、そう日魅子は感じたから。

 だから日魅子は、黙って二人の後をついていった。




 保管室を出て少し、決して広くないプレハブの中では直ぐに目的地につく。

 教授が立ち止まった目の前には扉がある。

 木製の簡素なドアの上にはプラスチックプレートがかかっている。

 [資料保管庫]

 プレートにはそう書かれていた。資料とはいえ、中にあるものはどれも貴重なものばかりだ。

 「日魅子、お前はここで待っていなさい」

 教授は日魅子に扉の前で待つように言った。

 日魅子は保管庫に入ったことが一度もない。

 九峪は教授の許可があれば自由に出入りできるのに、なぜか日魅子は許可されたことは一度もない。

 そのことを一度祖父に指摘したところ、

 教授曰く「お前は破壊の化身だからだ」だそうな。

 早い話が、「お前は物を壊すから入るな」ということだ。

 日魅子自身そんなにドジだとは思っていないし、事実その通りなのだから納得がいかない。

 かつて中の様子を覗こうとしたことがあったが、ご丁寧に中から鍵がかけられており、失敗したこともある。

 そんな経験をした日魅子は素直にここで待つことにした。

 やはり釈然としないがここで駄々をこねるとあまりに大人気ない。

 「は〜い」と応えて壁によりかかった日魅子に教授はすまなそうな顔をしたが、すぐに表情を引き締めてドアノブに手をかける。

 一瞬九峪と目が合う。九峪は静かに頷いた。

 ノブが回り、キィという音と共に扉が開いた。

 九峪が先に入り、続いて教授が中に入った。

   バタン  カチャン

 ドアが閉まり、次いで鍵がかけられる音がした。

 そんないつも通りの光景の一部始終を見ていた日魅子は、

 「ホント、何やってんだろ」

 髪を指でもてあそびながら呟いた。




















 扉を閉めた教授は先に保管庫の照明をつけ、その後に鍵をかけた。

 照明のついた部屋の中を九峪は見回した。

 4つの棚が並び、そこには発見されて事前調査されたものや、研究室に送られるものなど、様々な資料が鎮座していた。その数有に二百は超えるだろう。

 窓はあるが計四つと少なく、明かりのほとんどを照明による人口光に頼っていた。

 「こっちだ」

 教授に連れて行かれたのは部屋の奥、丁度角のところに置いてある机だった。

 机のすぐ横にも小さな棚があり、そこには縦横二十センチくらいの木箱が納まっていた。

 教授はその木箱をとりだし机の上に置いた。その動作に雑なところは一つもない。

 研究者として資料を大事に扱うのは当然だが、それにしてもこの木箱には十二分に慎重になっている。

 その様子を見ていた九峪は、この木箱、もしくはその中に入っているであろう物がここに保管されている他の資料とは一線を画する物だと判断した。

 「教授、これが見せたいものですか?」

 九峪の問いには答えず教授はゆっくりと箱の蓋を開けた。

 教授が答えを返さなかったことに別段気分を害した様子もなく、九峪は開けられた箱の中を見た。

 「これは・・・銅鏡・・ですか」

 箱の中に収められていたのは、一つの銅鏡だった。

 銅鏡は、日本がまだ幾つもの国にわかれ入り乱れていた、倭国と呼ばれる時代で祭事に用いられた祭具(または神具)である。

 もっとも有名なものとしては邪馬台国の女王卑弥呼が用いたとされる勾玉に並ぶ銅鏡が例としてあがる。

 こういったものは国が滅びた後も脅威となるため、破壊されるかどこか遠くの地に売り飛ばされるものだ。

 それが、一国にとって大事な祭具が目の前にある。しかも保存状態は極めてよい。

 多少汚れているものの、ある程度は土を払われ洗われていた。

 だが。

 (なんだ、この違和感は)

 奇妙な違和感が九峪の頭の中を回る。

 「教授、これ持ってみてもいいですか」

 九峪は教授のほうを見ずに、顔を銅鏡に貼り付けたまま問うた。

 本来は大変に失礼な態度だが、今の九峪はそんなことに気づかない。

 教授も九峪のそんな態度に気を悪くせず、手袋を差し出すことで返礼した。

 九峪はそれを手早く装着して銅鏡を箱から取り出した。

 決して雑に扱わず、気が急いてもあくまで丁寧に、慎重に。

 銅鏡を顔の近くまで持ってくる。さっきから頭の上では疑問符が踊り狂っている。

 銅鏡を良く見る。

 確かに現存するほかの銅鏡にくらべ、これは造りが精巧だ。左右の対比は完璧で、装飾も申し分ない。

 そこらの銅鏡に比べると、天と地、月とスッポンだ。

 しかし、そんなことに気づいても九峪の中に湧き上がった違和感は払拭されない。

 (なんだ、何がこんなにも納得がいかないんだ・・・。これは銅鏡で・・・・・・銅鏡?)

 九峪はここにきてようやく違和感の正体に気がついて、愕然とした。

 九峪の愕然とした様子を眺めながら、教授は苦笑した。

 (まるで儂の時と同じだな。まぁ、無理もないか)

 教授はこの銅鏡を発見し観察しているときに、九峪と同じような違和感に悩み、その正体に気づいたとき、彼もまた愕然とした。

 だから九峪が何に対して違和感を感じていたかも、彼にはわかっていた。

 そして、九峪ならば自力で答えにたどり着くだろうとも。

 「気づいたようだな。そう、これは銅鏡ではあるが鏡ではない。鏡としての役割を果たせていないのだ」

 そう。この銅鏡は鏡であるにもかかわらず、その鏡面には何も映していない。

 鏡としての機能をまったくといっていい程果たしていないのだ。

 それは、本来ならばあり得ないこと。

 いくら現代の鏡ほど映らないとはいえ、それが銅で、そこに綺麗な面ができている以上、何かしら映らなければおかしいのだ。

 どうしようもないまでの違和感。

 その正体は鏡でありながら鏡としての機能を持っていないことにあった。

 「教授・・・これって・・・」

 九峪の呟きには明らかな困惑の色が浮かんでいる。

 目の前でありえないことが起きているのだから仕方もない。

 「ああ、いろいろ調べてみたが、皆目わからん。これは本来あり得ないことだ。しかしそんなわからんことでもこうして目の前にある」

 教授の言葉を九峪は反芻する。

 (いろいろ調べた、ということは何故これが何も映さないのかということを究明したということだよな。しかしそれでもわからなかった。これは一種のオーパーツだな。・・・なるほど、ね)

 「だから、俺・・・なんですね」

 伏せていた顔を上げて九峪は教授に確認するように言った。

 「ああ、我々ではもう調べることもできん。はっきりと言って手に余る代物だ・・・・・・。だから、君の力を貸してほしい」

 そう言う教授の顔には悔しさが滲んでいる。

 それは高校生に頭を下げることではなく、自身で解明することのできなかった研究者としての悔しさ。

 そして、それが一度ではないことの情けなさ。

 穴があったら永久に入っていたい。埋まってしまいたい。

 そう思ってしまうほどに自身の不甲斐なさが恥ずかしい。

 しかし、いつまでも落ち込んではいられない。そこから先は我々の役目なのだから。

 研究者は決して諦めてはいけないのだから。

 姫島教授のそんな葛藤を、九峪は感じ取っていた。

 どんなに自分を不甲斐なく感じていたとしても、そこから立ち直る人は強い。

 そんな強さを持つ人を、九峪は尊敬する。

 九峪にとって姫島教授は尊敬するに足る人物なのだ。

 ―――こんな人になりたい。

 それは九峪がいつも思うこと。今の九峪を形作った畏敬の念。

 そんな九峪だからこそ。

 「俺にだってわからないことはあります。教授の期待に応えられないこともありました。でも、俺にできることだったら全力でやります」

 この人の期待に応えようと思う。

 自分に期待してくれるこの人を、必要としてくれるこの人を、裏切りたくない。

 だから・・・。

 「・・・いつも、すまない」

 教授のこの言葉は、辛い。

 九峪が教授に向かって何か言おうとしたとき、

   〜〜〜♪〜〜〜♪

 メロデイーが聞こえてきた。

 音は教授のズボンのポケットから流れてくる。音の発生源はPHSで教授はそれを手に取った。

 「何だ・・・・どうした?・・・ん・・ふむ」
 
 教授はPHSを開き、おもむろに話し出した。

 その顔はいつもと同じ、光のある顔だった。

 そんな教授のいつもどおりの姿にやはり多少は不安だったのか、九峪は安心した。

 「九峪君、すまんが調査場に戻らなければならん。儂はいくが、君はどうするかね」

 電話の通話口を手で押さえて教授は九峪に聞いてきた。

 教授の問いに少し思案した九峪は、銅鏡を一瞥して、

 「俺はこれを調べます。少し気になりますし、ここに残ります」

 「そうかね。用件はわからんが、そんなに時間はかからんだろう。すぐに戻ってくる」

 そう言い教授はドアに向かって早足に去っていった。

 教授を見送った九峪は銅鏡を見つめた。

 「さて、お前の正体は何だ・・・・・・?」








 「暇ね」
 
 壁に寄りかかっていた日魅子は静かに呟いた。

 九峪と教授が中に入ってから十分、日魅子は暇を持て余していた。

 何をするでもなくただ黙ってしゃがんでいたのだが、活動派の日魅子としては僅か十分とはいえそれは苦痛に満ちた時間だった。

 ここには何もない。本当に何もない。あるとしたらついさっき開かずの間とかしたこのドアくらいのものだ。

 これでは確かに何もできない。

 日魅子があまりの暇さ加減に悶絶していると、

   ガチャッ

 扉の開く音がした。

 音がしたのと同時に日魅子は立ち上がった。その瞳は心なしか潤んでいるように見える。

 (やった、手伝い終わったんだ)

 日魅子の中で膨らんだ期待は、しかし直後に打ち砕かれた。

 「くた・・・あれ、おじいちゃんだけ?」

 部屋の中から出てきたのは姫島教授ただ一人だった。

 九峪はどうしたのかと疑問を口にしてみると、

 「九峪君はまだ中だ。儂は用事ができて調査場へ行く。すぐに戻ってくるからまっていなさい」

 教授は言うや否やすぐに歩き去っていった。

 早足の歩き去る祖父の後姿を見送りながら、

 「そっか、九峪はまだ中か・・・」

 呟き、今度はドアを見つめた・・・否、睨みつけた。

 (なんか私だけハブにされてない?)

 日魅子の中に怒りがふつふつと湧き起こってきた。

 九峪と祖父はいつも二人でこの中に入って、自分だけがここでお留守番。

 日魅子はそれが納得いかなかった。これでは自分だけがここにいる意味がない。

 いて役に立つかといえばわからないが、しかしこれではあんまりだ。

 だがここで駄々をこねても意味はない、そんなことをしても意味はない。

 だからここで九峪が出てくるのを黙って待つ。

 と、していただろう。

 いままでは。

 「いつまでも私をのけ者にできると思わないでよ・・・九峪」

 日魅子はキレテいた。

 そして気づいていた。

 祖父が部屋から出てきてとき、鍵をかけずにそのまま行ってしまったことを。

 おそらくはいつもにない突然の事態と急いでいたということで、行動のプロセスが変わり、鍵をかけ忘れたのだろう。

 しかし今の日魅子にそんなことは関係ない。

 今最も重要なことは『九峪が何をしているのか』ということだけだ。

 「なんたってこの私を仲間はずれにするんだもの、さぞや凄いことなんでしょうねぇ」

 日魅子は口元だけで笑いながら、ドアノブに手をかけ。

 回した。

 日魅子はキレテいる。しかし今まで入ることができなかった保管庫。

 そこのドアを自分の手で今開けた。

 ドキドキする。毛が逆立つような感覚。

 中に足を踏み入れた頃にはもう怒りは小さくなり、代わりに頭を満たしているのは好奇心。
 
 そこには今までに見たことのないほどの資料が棚の中いっぱいに置かれていた。

 別に土器などに興味はないが、それでも気分は高揚している。

 棚に置かれている資料を眺めながら、日魅子は奥を目指した。



















 「本当に何なんだこれは。限りなく銅に近いが・・・・・・少し違う材質だ」

 姫島教授が保管庫を離れて十数分。九峪は銅鏡を前に途方にくれていた。

 もともとそんな簡単に解るとも思ってはいなかったが、ここまで解らないというのも珍しい。

 九峪は金属の材質や土の性質などを解析するのが非常に得意だ。

 合金に使われている金属の種類の判別や、焼き物に使われた土の性質調査まで九峪は鼻歌交じりに行うことができる。

 今までも土器の解析を何度も行ってきた。

 だが、ここまでわからないような物はそうなかった。

 いくら始めて十数分とはいえ、ここまで手ごたえがないとは。

 この十数分のうちにわかったことといえば、これが「銅に限りなく近い何か」で出来ているということ位なもの。

 それ以外は正に謎。

 「おいおい、本当にオーパーツなんじゃないだろうな・・・・・・」
 
 九峪はやや疲れた顔をしながらも、再び目を閉じた。

 (これじゃあ教授に顔向けできねぇ)

 僅かな焦りを含ませつつ、静かに息を殺して。

 腕に僅かな光が浮かぶ。

 「あっ、九峪見っけ」

 驚いた。

 焦った。

 ものの見事にパニクった。

 予期せぬところから予期せぬ声が聞こえた瞬間、一瞬思考が停止し、そしてすぐに再起動。

 正常に作動した脳が視界に入る映像を理解し始める。

 驚いたときに放り投げてしまったのだろう、銅鏡が万有引力と慣性の法則に従い自由落下を敢行していた。

 やばい。

 やばいやばいやばいヤバイヤバイヤバイ!

 「ふぬぅおおおおおおおーーーーーー!!」

 脳で理解するよりも早く、刺激が大脳に到着するよりも早く九峪の体が動いていた。

 あらゆる力が足に溜まる。次の瞬間には地面を蹴る。

 体いっぱいに腕を伸ばす。体が地面に対して平行になる。

 目標:前方銅鏡!!

   パシイ  ドサ

 人体のもつあらゆる力を総動員して、九峪は銅鏡をキャッチした。

 体はそのまま落下してしまい、棚まであと数十センチというところまですべる。

 「す、すご〜い・・・」

 九峪の突然の奇声と奇行に呆気にとられていた日魅子はパチパチなどと拍手しながら呟いた。

 九峪は日魅子のどこか気の抜ける拍手を聞きながら起き上がる。

 (痛てぇ・・・無茶しすぎた・・・)

 起き上がる九峪の動作はどこか緩慢だ。

 九峪のそんな状態に気づいた日魅子は九峪に慌てて駆け寄った。

 「ちょっ、九峪、大丈夫?」

 「・・日魅子、お前、なんでここに・・・」

 「え、あっうん。ちょっと。それよりも九峪大丈夫?起きれる?」

 日魅子の問いに「ああ、大丈夫」と応え、棚を壁に座る。

 「ごめん、九峪」

 「いいって、気にすんな。それより日魅子、お前なんでここにいるんだ?」

 九峪の再度の問いにすまなそうな表情をしていた日魅子は一転して顔を引きつらせた。

 「え?あ、あはは、まぁその、なんていうか、人間理性では抑えられない欲求があってね・・・」

 「つまり、どういうことなんだ?」

 日魅子の言い訳をばっさりと切り捨てる九峪。

 その声と表情には僅かながら怒気が感じられる。

 (見られてないよな・・・?)

 しかし実際では怒りよりも焦りのほうが遙かに大きい。

 九峪のそんな心中など露知らず、日魅子はいまだにあれやこれやと言い訳をしている。

 (・・・どうも見られてない、みたいだな・・・)

 今までしていたことを見られなかったと確信して静かに息を吐いた。

 「つまり、教授が鍵をかけ忘れて、そこをお前は好奇心に負けて勝手に侵入したと」

 日魅子の言い訳、もとい説明を九峪は簡潔にまとめた。

 聞いてみれば、なんとも小学生みたいなことを、と内心ため息をつく。

 (まぁ、日魅子らしいっちゃ日魅子らしいけどな。祖父が教授だし)

 活動派の日魅子のこと、今まで一度も入れられなかった保管庫が気になっていたのだろう。

 実際は保管庫よりも九峪が中で何をしているのかということが気になっていただけなのだが、さすがの九峪もそこまではわからない。

 「まぁ、入っちまったもんはしょうがないけど、教授が戻るまでには出てけよ?じゃねーと怒られるぞ」

 「はいはいわかってるって」

 日魅子の少し拗ねた様子に苦笑すると九峪は銅鏡を持って立ち上がった。

 「どこも壊れてない・・な。ふう、こんなもん壊したりしたら怒られるなんてもんじゃないもんな」

 銅鏡に欠損がないことを確認した九峪は、銅鏡を静かに机の上に置いた。

 「ところでさ、それって、何?九峪すごく慌ててたけど、もしかしてすごく高いの?」

 日魅子は机の上に置かれた銅鏡を興味深げに眺めた。

 日魅子自身にはこういったもののかちはわからないが、先ほどの九峪の慌てぶりから相当高価なものだと認識していた。

 「ん?ああ、まあな。俺も良くはしらないが、かなり珍しい物だって言ってたからな、教授が」

 「・・・・・・・」

 「日魅子?」

 (どうしたんだ、日魅子のやつ?)

 いつもの日魅子なら何かしらの反応をするはずなのに、今回はそれがなかった。

 まあたまにはこんな日もあるだろと考えていると

   りいぃん

 鈴の音が、聞こえた。

 いきなり響いた鈴の音を不振に感じたが、空耳と考えた九峪は日魅子に近づこうとし、

   りいいぃぃぃん

 まただ。

 また聞こえた。

 二度聞こえた鈴の音。九峪は奇妙な感覚に襲われ、これは空耳などではないと自覚した。
 
 「何なんだ・・・この音は・・・。おい、日魅・・!?」

 日魅子へと視線を向けた九峪は、その突然の光景に絶句した。

 「・・・・・・日魅子」

 光。

 眩いまでの光の柱の中に、日魅子はいた。

 ワケがわからないことだらけだが、とにかく日魅子に近づいた。そうしなければ何か大変なことになりそうな気がしたから。

 「日魅子!」

 叫ぶ。しかし日魅子からの反応はない。

 近寄った九峪は日魅子の肩を掴み、そして再び、今度は耳元で叫ぶ。

 「おい!日魅子・・・・・!?」

 しかし叫んだ瞬間に九峪はまたも衝撃的なものを見た。

 今まで何も映さなかった銅鏡、その鏡面にはっきりと日魅子の顔が浮かんでいるのだ。

 鏡面に浮かぶ日魅子の顔はどこか呆けているようであり、瞳は焦点が合っておらず、しかしその瞳はただ銅鏡を見つめていた。

 九峪はこの原因が銅鏡にあると判断し、日魅子から銅鏡を奪い取った。

 以外にも抵抗されずすんなりと奪い取れた銅鏡を、そのまま放り投げた。

 「・・・・・・まじかよ」

 しかし放り投げたはずの銅鏡は、落下することなくそのまま宙に浮いていた。

 信じられないものを見て唖然とする九峪の後ろで人影が動いた。

 日魅子は九峪のすぐ横を通り銅鏡に近づいていく。

 足元はおぼつかなく、いまだ正気でないことはすぐに伺えた。

 九峪は慌てて日魅子を抱き抑える。

 抑えられてなお銅鏡に近づこうとしている日魅子に九峪はパニック寸前まで追い詰められていた。

 何がどうなって、どうして日魅子がこんなことになっているのか。九峪はパニック寸前の頭で必死に考えていた。

 (ちくしょう!何がどうなってんだよ、こりゃ。この光も、今の日魅子も、さっきからうるさい鈴の音も、浮かんでる銅鏡も!何が原因だってんだ、何が!)

 頭の中で悪態をつきながらも思考をフル回転させる。この現象には何か原因がある。銅鏡が正にそれだが、それ以外にも何かある。

 「くっそぉ、いったい何が・・・・・・!鈴の音か!!」

 もう一つの原因。九峪はそれがさきほどから流れてくる鈴の音にあると判断した。

 しかし、九峪の視界に鈴などない。これではどこにあるのかわからない。

 だから九峪は鈴がどこから鳴っているのかを捜した。

 そう遠くない場所、この近くにあるはず!

 九峪はひたすら音に耳を傾け、そしてついに見つけた。

 九峪は唐突に日魅子の制服を探り、それを引っ張り出す。

 そこには日魅子がお守りとして持ち歩いている、四センチ程度の鈴が入っていた。

 鈴は九峪の手の中で小さく振るえ、今なお鳴り響いている。

 「日魅子!しっかりしろ、このバカ!!」

 鈴を握り締め九峪は再び叫んだ。九峪の叫びに、日魅子の体が大きく震えた。

 「・・・く、たに・・・・・?」

 今度は声が。日魅子が正気を取り戻したことに九峪は安心した。

 しかしそれも束の間。

 「えっ?ちょっなによこれ、何なのこの光、九峪!?」

 日魅子はすぐにパニックに陥った。

 いくらいままで呆然としていたとはいえ、正気になれば当然の反応。

 しかし九峪自身わかっていないのに応えられるはずもない。

 二人が慌てているなか、二人を包む光の柱が眩さを増した。

 「きゃあ!!」

 いやな予感に駆られた九峪は日魅子を押し飛ばした。

 その反動で九峪は銅鏡の側へ。

 「っつ〜、く、九峪!?」

 おしりをぶつけて涙目の日魅子は光の柱の中に九峪が取り残されているのが見えた。

 慌てて日魅子は九峪に駆け寄ろうとして、

 パアアアアアアア

 光の柱が一際眩しく輝いた。

 その瞬間日魅子の意識は闇に落ちた。






























 「っん、んん、・・・・・・・あれ、ここは・・?」

 日魅子が目を覚ました場所はさきほどと同じ、保管庫の中だった。

 まだ寝ぼけている日魅子。

 だが次第に記憶が鮮明になっていった。

 「保管庫?・・・・・九峪・・九峪!?」

 慌てて見回す。しかしどこにも九峪の姿はない。

 「九峪・・・・・・!そうだ、おじいちゃん!!」

 日魅子は祖父の下へ駆け出した。

 胸に不安を携えて。