「折れた心、逃げた心」 後編 (H:ゲーム+小説 M:九峪・志野・珠洲 J:シリアス) |
- 日時: 11/01 19:20
- 著者: 甚平
すごく、楽しい毎日だった。
生徒たちに勉強を教えて、一緒に昼飯を食べて、遊んで。
自分の話を、彼らは瞳を輝かせながら聞いてくる。
綺麗な瞳だ。
自動車や飛行機の話をすると、男の子たちは口々にすごいと叫ぶ。
女の子組みはちょっとつまらなさそうに聞いている。
現代の色恋話をしてみる。
黄色い声が上がった。
男子は居心地悪そうだ。
―――楽しい。
こんなに楽しいなんて、思わなかった。
だからかな。
こんな日々がいつまでも続くと。
無条件に、そう思っていたのは。
「折れた心、逃げた心」
後編
薄暗い部屋の中で、九峪はいまだ考えあぐねていた。
外の騒々しさはなりを潜め、珍客による宴が終了したことを告げていた。
そしてそれが、九峪をさらに追い詰めていた。
「・・・演目は・・終わってるよな・・・。ここにも次期に来るか」
もう時間はない。演目が終了したのなら志野と珠洲が動き出す。
ここが見つかるのもそう遅くはないだろう。
「どうする・・・」
わからない。
里を出ることは、できればしたくない。
自分を慕ってくれる人たちを、裏切りたくない。
「どうする・・・」
わからない。
耶牟原城には戻れない。
それでは耶牟原城を出た意味がないし、戦った意味すらなくなってしまう。
どうする どうする どうする どうする どうする どうする どうする どうする どうする どうする どうする どうする どうする
どうすればいい?
どうすれば・・・。
「・・・・・・そうだ」
―――錯覚させればいい。
ここに九峪がいた。しかしそれは見間違いであったと。
志野たちは自分を探すだろう。
見つけるまでは諦めないかもしれない。
だが、見つからなかったなら。
あれは勘違いだったのだと、思わせられるのではないか?
そうすれば、俺は戻らなくてもいい。
皆を裏切らなくてすむし、共和国の厄にもならない。
そうだ、これしかない。
もう、これしか、ない。
そうすると。
「・・・・・・隠れる場所。誰も来ない、場所」
何も持たずに、九峪は家を出た。
それは、偶然だったのか。
「九峪様!!」
背後からかけられた声に、九峪の動きは固まった。
隠れられる場所を探している途中のことだった。
これを避けるために逃げていたというのに。
なんとも滑稽で。
見つからないために逃げていたというのに。
なんて皮肉だ。
信じたくないと思う。
彼女たちではない。そういう思いを、しかし認めなければいけない。
この里で、『九峪様』と呼ぶ人間はいないから。
『先生』がほとんどで、いたとしても『雅比古』と呼ばれる。
だから、この言葉はありえない。
『九峪様』はありえないのに。
手が震える。しかし九峪はそんな自分の振るえさえも気づかない。
したがって抑えることもできない。
ゆっくりと振り向く。
「あ・・・」
瞳が、揺れた。
視線の先に、二つの影。
大きい影と、小さい影。
「志野・・・珠洲・・」
無意識に、名前が出た。
志野と珠洲が、そこにいたから。
「九峪様・・・」
「・・・・・・」
ゆっくりと近づく志野と珠洲。
徐々に二人と一人の距離が縮まっていく。
九峪は無意識のうちに下がろうとした。
しかし無意識の行動であったにもかかわらず、震える体はその命令を拒否した。
その矛盾に、逆に九峪は我を取り戻した。
「くっ!」
今度は、意図的に体を下がらせる。
僅かな動きではあったが、体はとりあえず動いてくれた。
九峪が引いたことで志野と珠洲の動きが止まる。
それに九峪は僅かに安堵した。
志野と珠洲は立ち尽くしたまま動かない。
九峪も少しは落ち着いたとはいえとてもではないが動けない。追い詰められた精神状態が、肉体にも影響を与えているからだ。
しばらくそうして見詰め合う。
否、見ているのは志野と珠洲だけ。
九峪は顔を俯けている。
そんな重苦しい空気の中、時間だけが過ぎていく。
「九峪様」
それを破ったのは、志野だった。
「なぜ、何もお話にならないのですか?」
静かな声。涼しく軽やかな透き通った声は、その反面感情を感じさせない、重い声だった。
ビクリと、九峪の肩が揺れた。
それに志野は気づいた。だがやめない。
「このようなところで、何をしているのですか?」
何も感じさせない声。しかしそれは九峪には痛い声。
まるで責められているような。
逃げ出した自分を、責めているような、そんな言葉。
志野の声が、言葉が、置いてきてしまった皆の言葉と思いのように感じられて。
九峪は、震えた。
そんな九峪を志野は静かに見つめる。
別に志野は九峪を責めたくて責めているわけではない。
九峪の気持ち。日々悪化していく対立の中で九峪が傷ついているのを知っていたから。
見ていたから。
だからこの責めは、九峪を傷つけるだけだとわかっている。
それでも。
それでも、九峪は自分を置いて消えてしまった。
自分と、珠洲の二人を置いて。
自分や珠洲が九峪の想い人だというわけではない。
だからこんな風に想う資格などないということもわかっている。
それでも一言。
一言、相談してほしかった。
『逃げ出したい』と一言いってくれれば、救えたかもしれない。
頼られなかった。
それが、志野は苦しかった。
悲しかった。
私では力になれないのか?
私では頼るに足る存在にはなりえないのか?
私では、駄目なのか?
そんな思いが、口から出てしまいそうで。
志野はそれを必死に抑えるあまりに、責めるような口調になってしまっている。
そうなることを、望んでいるわけではないのに。
そんな志野と九峪の様子を、珠洲は黙って見ている。
珠洲には、志野の想いが痛いほどにわかった。
志野の九峪に対する想いは知っていたから。
そして、それが気に食わなかった。
志野は自分のものなのに。
なのに、志野の心は別の男に向いている。
しかもその相手が自分の嫌いな人間で。
それが許せなかった。
だからひどいことを言った。たくさん。
嫌われてもかまわない。むしろ嫌われたい。
志野の側で、志野を守る。
自分には、志野だけがいればいい。
それだけでいい。あとはもう何もいらない。
そう思っていたのに。
珠洲は視線を九峪に移す。
そこには、苦しそうに俯いて震える九峪がいる。
たくさん傷つけたはずだった。
途方もなく、嫌われたはずなのに。
九峪はまったく傷つかず、嫌ってもいなかった。
その証拠に、自分は今ここにいる。
あの戦いで費えたはずの命が、ここにある。
傷が癒えるのを待たずに政治に軍事にと駆け回る九峪を見ているうちに、なぜ志野が九峪に惹かれたのか、わかった。
いや、実感した。
『志都呂さんに似ている』志野はいつかそう言った。
珠洲はそう思わなかった。
どこをどう見ても似ていないと。
貧弱で、情けなくて、スケベで。
軍師としては天才的で、七支刀を持てば強くて、指導者としては理想的だったかもしれない。
それでも、志都呂に似ているとは露ほどにも感じなかった。
だが九峪は助けた。
自分が死ぬかもしれないのに。
私を助けた。
自分の中で、なんとも言えない感情が渦巻いた理由。
それがわかった。理解できたからだ。
志野の言葉の理由。
最後まで自分の身を案じた九峪の瞳が、あの寒くひもじい思いをしながら志野と一緒にいたとき、自分たちを拾ってくれた、救ってくれた。
志都呂と同じ、優しい瞳をしていたことに。
気づいてしまった。
それに気づいたとき、自分の中から九峪に対する憎しみが消えた。
憎むことが、できなくなった。
そうなって尚九峪に毒舌を浴びせたのは、それがほぼ条件反射の感覚で出てしまうから。
それが、珠洲は悲しかった。
無意識に出てしまうということは、そうなるまでに九峪を嫌い、憎んでいたということの裏返しだから。
それでも、自分を嫌わない九峪を珠洲は愛しく想う。
だからこそ辛い。
九峪の、ここまで疲れ果てた姿を見ることが。
自分たちの存在を知っただけでこれなのだ。
どれほど九峪が傷つき疲れているのか、思い知らされた。
志野は何も言わない。九峪も、又何も言わない。
静寂が、降りた。
「・・・ここで、何をしているんだ?」
やっとの思いで口にした言葉は、それだった。
だが、これが今の限界でもあった。
「九峪様は、ここで何をしておられるのですか?」
志野は先ほどと同じ問いで九峪に返す。
それが九峪を傷つけるとわかっていても。
九峪は唇を噛んだ。
そんな九峪を見て、志野は「はぁ」と息を吐く。
落ち着かなければ。でなければ九峪様とまともに話もできない。
瞳を閉じる。
私は九峪様を傷つけたいわけではないのだから。
落ち着こう。
「九峪様、辛い?」
唐突に響いた言葉に、志野は瞳を上げた。
そして言葉の出所であろうそこ、珠洲を見る。
今まで何も言わなかった珠洲がいきなり話し出したのだから驚くのも無理はないだろう。
九峪も顔を上げ、珠洲を見ている。
その顔には、驚愕の色が浮かんでみてとれる。
「珠洲・・・?」
九峪は困惑した。珠洲の思わぬ言葉に。
だが、それが志野のような責める言葉ではなく、優しさを含んだ言葉であることに、九峪は言葉にできない暖かみと、戸惑いを覚えた。
「辛いんでしょ?辛くて、どうしようもなくて、だから・・・・・・逃げ出した」
だが最後の言葉に、九峪は再び震えた。
『逃げ出した』
それを明確な言葉として誰かに言われることは、流石に辛い。
まるで、断罪されたように、苦しい。
「・・俺は・・・・・・」
言いかけて、やめた。
言えなかった。
その通りなのだから。
自分は『逃げ出した』。
責務から、使命から。
『神の遣い』から。
逃げ出した。
―――だけど。
「・・・しかたないじゃないか」
搾り出すように出した言葉は叫びに変わる。
「しかたないだろ!?あの中で、あの中で俺にどうしろってんだよ!」
叫びを、止められなかった。
今まで溜めていたものが、一気に溢れてしまう。
「戦いは終わったのに!たくさんの人が死んで、ようやく戦争が終わったのに!今度は内輪で争って!!」
「「・・・・・・」」
珠洲と志野は黙って聞く。聞くことしかできない。
初めて聞かされる、九峪の本音。
今まで隠されてきた、九峪の弱音。
それを、自分たちは聞いている。
「俺は、ただ、皆に笑っていてほしかった!そのために戦った!人を、殺してまで」
そう。自分は人を殺した。
十人。百人。いったいどれだけ。
怖かった。始めて人を殺したとき、たまらなく怖かった。
だけど、戦いを重ねるごとにその恐怖心は薄れていった。
人を、殺せるようになった。
自覚した。『後戻りはできない』のだと。
それが、九峪がこの世界に残った理由の一つでもある。
それほどまでにして戦った。
戦ったのに!
「なのに!今度は内部で争っている!くだらない理由で、俺のせいで!!」
自分がこの世界に残ってしまったから。
この国の、上位にいるから。
「だったら・・・・・・だったら、いなくなるしか!逃げるしかないだろう!?じゃないと!」
「国が壊れる!」そう叫ぶ九峪の言葉に、志野と珠洲は何も言えない。
九峪が傷ついていたのは知っていた。いつも見ていたのだから。
「・・・俺は、残るべきじゃなかった」
ここまで追い詰められているとは、思わなかった。
だけど。
「なら、どうして・・・」
ここで言わなければ。
「私たちを、頼ってくれなかったの・・・?」
―――救えない。
九峪様を救えない。
「え・・・?」
先ほどまでの烈火が嘘のような九峪の戸惑いの呟き。
志野は珠洲の言葉に息を吐いた。
―――まったく。
志野は時々、珠洲を尊敬することがある。
自分が言えないことを、この子は言える。
それは、すごいことだと思う。
自分なんかよりも、ずっと勇気がある。
そして、自分に勇気を与えてもくれる。
「私たちじゃ力になれない?私たちじゃあ・・・頼りない?」
珠洲の言葉は続く。
九峪は何も言わない。
しばらくそうして。
「九峪様」
今度は、志野が口を開いた。
「苦しいのはわかります。辛いのも。ですが・・・・・・もう少し頼ってくれてもいいじゃないですか。辛いのであれば、苦しいのであれば」
「志野・・・」
「私たちがここで何をしているのかを、聞いていましたよね?」
「・・・ああ」
「私たち、旅芸人に戻ったんです。九峪様が失踪してすぐに」
「・・・・・・」
どうして。
そういう思いはあった。
志野が、戦争が終わったら旅芸人を再会しようと考えていたのは知っていた。
だが志野は残った。
それなのに今更将軍職を辞めるメリットが九峪にはわからなかった。
そういう可能性を考えなかったわけではない。
それでも志野が軍を離れる理由がわからないことと、連れ戻されるという強迫観念が九峪から正常な判断能力を欠如させていた。
だから、その可能性は除外させられた。
連れ戻しにきたのだと、思った。
でも。
「どうして、という顔をしていますね」
志野は薄く笑いながら言った。
図星を指された九峪は一瞬顔を引きつらせたが何も言い返さない。
どうして。
その思いはたしかにあったのだから。
「私は、私たちはずっと見てきました。激化する対立の中で、九峪様が奔走する姿を」
『こんなこと、馬鹿げてる』
いつか、九峪はそう言った。
あれは、そう。九峪が倒れてすぐのころ。
疲労の表情でそう言った九峪の瞳に、かつての輝きはなかった。
疲れた、本当に疲れてしまった者のする、暗い瞳だった。
きっと、あの時にはもう九峪の心は『折れていた』。
どうしようもなく。
「力になりたかったんです」
だがなれなかった。
「頼ってほしかったんです」
それすらも駄目だった。
「九峪様がいなくなったとき、私はすごく悲しかった。志野も、悲しかった」
珠洲は思う。
力になれなかったのは、自分も同じ。
頼られなかったのは、自分も同じ。
それは、信じてもらえなかったと、同じ。
「九峪様のいなくなった共和国軍で、何をしたらいいのかわからくなった」
途方に暮れた。いる意味がないのだから。
「だから、辞めて旅芸人に戻った」
志野に言った。
『軍を辞めよう』
志野は最初驚いていた。
だがしばらく考えて。
『・・・・・・そうね』
ただ一言、そう言った。
それは、紛れもない是だった。
「そうすれば、九峪様を探しに行けるから。だから辞めた」
「・・・珠洲」
「私たちは、九峪様をあそこに連れていこうなんて考えてない。私たちは、ただ九峪様の力になりたいだけ」
力になれなかったのなら、頼られなかったのなら。
これからなる。
だけど。
「だけど、そのためには九峪様がいないと意味がない」
そう、でないと。
―――救えないから。
「九峪様。私たちでは、力になれませんか?」
「まだ、頼りにならない?」
志野と珠洲の問いに、九峪は何も言えない。
―――知っていた。
自分に対する、志野と珠洲の気持ちには気づいていた。
だが、それでもあのころは戦争中で、自分のことで精一杯で。
戦争が終わってからもそれは変わらなくて。
その結果がこれだ。
志野と珠洲は何も言わない。
自分たちの言いたいことは言い終えた。
九峪も、内に溜め込んでいたものを全て吐き出した。
そしてようやくわかった。互いに何を思っていたかを。
無様だ。
気づかなかった自分が。
今更になって気づいた自分が。
「・・・・・・すごく、辛かった」
「うん」
「苦しかった」
「うん」
とうとう言ってしまった九峪の言葉を、珠洲は受け止める。
この言葉を、聞きたかった。
そのためにここまで来たのだから。
「大丈夫。責めたりなんかしない。私も、志野も」
九峪の言葉は、信頼の言葉だった。
志野と珠洲を頼る弱さと、紛れもない信頼の言葉。
ようやく聞けた、言葉だから。
「辛いのなら、逃げてもいいんですよ」
そう。逃げてもいい。逃げることが悪いわけではないから。
そうしなければ守れないのなら。
「私たちも一緒だから」
九峪様のいない共和国から逃げ出したから。
使命なんかない。責任も九峪様ほどではない。
それでも、自分たちも逃げたから。
「これからも、一緒にいたいから」
今度こそ守る。
もう、頼られるから。
力になれるから。
だから。
「っ・・・志野・・・・・・珠洲・・」
九峪の瞳から、光るものが零れた。
それは、涙だった。
戦争の最中であって人前で決して流すことのなかった、涙。
志野と珠洲は知っている。
それは流さないのでなく、流せない涙なのだと。
『神の遣い』だから、決して泣いてはいけないのだと。
涙の一滴さえ流すことを、九峪は己に禁じた。
それが『使命』。
それが『責任』。
そうして己を押し殺した英雄は、二人の女性の前で涙を流した。
それは九峪の、九峪が今まで抱え込んできたものを全て洗い流す涙。
久しく忘れていた、涙だった。
「ふっ・・うう、・・・う・・・うううう」
体の奥から熱いものがこみ上げてくる。
それを止めることを、九峪はできなかった。
足に力が入らず、そのまま膝から落ちた。
鈍い痛みが走ったが、それすらも気づかない。気にならない。
感情を抑える理性はすでに形を成さず、まるで防波堤を越えて押し寄せる津波のように心を浸食していく。
「う・・うああ・・・ああああああああ」
不意に、温かいものに包まれた。
体に巻きつく四本の細い腕。
華奢なその腕は、九峪の体を優しく包む。
―――ああ、なぜ気づかなかったのだろう。
自分のことを想ってくれる人たちがいるのに。
この温かみにさえ、俺は怯えていた。
情けない。
自分を、救ってくれる人たちはいたのに。
その気持ちに気づいていたはずなのに。
自分のことだけで精一杯で。
俺は『逃げた』。
「九峪様」
ああ、名を呼ばれるだけでこんなにも温かい気持ちになれるのに。
それにすら気づかなかったなんて。
俺は、バかだ。
大バカ野郎だ。
九峪は泣く。どこまでも愚かな自分に。
どうしようもなく情けない自分に嫌気が差して。
苦しいと叫んでいた心が、温かくなるのを感じて。
傷ついた心が癒えるのを、感じて。
彼女たちに想われていたことが嬉しくて。
そんな九峪を志野と珠洲は黙ったまま抱きしめる。
今はそれで十分だった。
ようやく通じ合えたのだ。
ようやく頼られたのだ。
ようやく、彼を救えるところまでこれたのだ。
ならば今はそれで、それだけでいい。
今はただ、この追い求めた温もりをかみ締めよう。
抱きしめる腕に力を込める。
二度と離さないように。
決して離れえぬように。
力を、込めて。
あの夜から三日。
一座は里を出て行くことになった。
もともと旅の一座なのだからいつまでも居座れるわけではないから仕方のないことである。
この日里の門では見送りの人間で賑わっていた。
九峪の知り合いということで皆に好意的に迎えられたことで、旅芸人一座としては珍しく多くの人が見送りに着てくれたのだ。
『九峪の知り合い=いい人たち』という図式が里人の間で構築されてしまっているのだ。
里に来た次の日。志野と珠洲に重大な話があるということで一座の人間全員は集められた。
昨夜別行動をとったことと何か関係があるのだろうかと思った座員は神妙に聞き役に回った。
『この里に九峪様がいる』
仰天の嵐となった。
誰もが信じられなかった。
自分たちが共和国軍を抜ける一月前に行方知れずとなった神の遣い。
『狗根国による誘拐説』『死亡説』などいろいろな噂が実しやかに飛び交う渦中の人物。
それが、こんな小さい里にいる。
誰もが半信半疑だった。
ただ一人、織部はそれを信じた。
織部は、初日に必死の形相で志野を探す珠洲を見ている。
あの時は何事かわからなかったが、今にして思えばそういうことかと納得してしまう。
あの時、珠洲はどうゆう経緯かは知らないが九峪を発見した。
だから、大慌てで志野を探した。
珠洲が九峪を嫌っているというのは周知の事実。
しかし織部は知っていた。否、気づいていた。
珠洲の心境の変化に。
織部も志野と同じ、珠洲の変化に気づいた一人なのである。だからこそ合点がいった。
演目を終了させたその夜、座員の数名を連れて志野と珠洲は九峪の家に向かった。
あの夜に九峪から近況を聞いていたので当然家の場所も知っていた。
最初九峪は驚いていたがそんなものはいつしか薄まり織部の提案の元宴会と相成った。
その日の夜を志野と珠洲は忘れないだろう。
なにせ久しぶりに九峪の心からの笑顔を見た。
全てをさらけ出し、吐き出したことで軽くなった九峪はかつて絶やすことのなかった太陽のような笑顔を浮かべていた。
それだけで志野と珠洲は嬉しくなる。
救えたのだと、信じられるから。
それからの二日間は楽しい毎日だった。
九峪の開く授業の様子を見学した。
珠洲と織部が参加して織部よりも珠洲のほうが成績は良かった。これにはさすがの志野も大笑いした。
子供たちとも仲良くなった。
客と戯れることなどなかったのに、ここに九峪がいるというだけでかつて体験したことのない濃密な四日間となった。
だから一座、というよりは志野、珠洲、織部の三人はあることを里長にお願いした。
「それでは皆さん、お世話になりました」
志野が頭を下げる。
「いやいや、とんでもない。私らも楽しいひとときを過ごせましたでの、こちらこそ感謝しとります」
里長の言葉も、座員たちにとっては初めてのもの。
いくら小さい里とはいえ、そこの長からじきじきに声をかけてもらえるということは今までないことだった。
「おねーちゃん、こんどは踊りおしえてね!」
「にーちゃんたちも、気いつけてけよ!」
里の人たちが口々に声をかけていく。
再会を誓う者。
身を案じる者
別れを悲しむ者。
様々な思いと言葉が飛び交う。
そんな輪のなかに、九峪は静かに佇んでいた。
志野たちはこの里を出て行く。
付いてくるよう勧められた。
はっきり言おう。その言葉に、自分はかなり惹かれたと。
彼女たちに惹かれている自分がいる。
それに気づいたのはあの夜。
それから今日までの数日は本当に楽しかった。
もちろんここでの生活は楽しかったが、ずっと苦しかった。
それから開放された、開放してくれた彼女たちとの数日間は、まるで夢心地で。
付いていってもいいかなと、考えた。
だが、できなかった。
ここの人たちには世話になった。数え切れないくらい。
ぼろぼろだった俺を、迎え入れてくれた。
教え子たちだっている。
それを投げ出すことなどできない。
だから、俺はあの甘美な誘惑を振り切った。
少しだけ、良心が痛んだ。
だが後悔はしていない。
また会える。今度は逃げない。
そう思っているから。
志野たちがしたお願い。
それは『この里を自分たちが活動する際の拠点にしたい』というものだった。
ここでの数日は居心地が良く、座員たちも気に入っていた。
なによりもここには九峪がいる。
演目最終日の夜。志野と珠洲、織部の三人は一座の皆に確認をとった後里長と九峪にその趣旨を伝えた。
二人とも驚いてはいたが返ってきた答えは『もちろんかまわない』だった。
九峪はもう囚われてはいない。だから志野たちからも逃げない。
里長は唯一つ『九峪の知り合い』という理由だけで承諾した。
嬉しかった。
一緒にいられないのは寂しいが、それでも。
その夜、九峪の家で盛大な宴が催された。
織部が飲む。
志野も飲む。
・・・地獄絵図となった。
それでも九峪と珠洲は楽しんだ。
もう怖くないから。
だから楽しめた。
このひとときを。
「雅比古さん」
名前を呼ばれ九峪はそちらを向いた。
そこには志野と珠洲がいた。
一座の皆は九峪のことを『雅比古』と呼ぶことにした。
『九峪様』ではさすがに問題があるからだ。
このことに志野と珠洲はとても喜んでいた。
「しばらくの間、お別れですね」
そういう志野の顔は、少し寂しそうだ。
やはり一時の別れとはいえ寂しいのだろう。
しかしそこから悲壮は感じられない。
「ああ、まぁ、なんだ。・・・がんばってこいよ」
少し照れながら九峪は言った。
さすがに互いに思いをぶつけ合ったものだからどこか気恥ずかしい。
そんな九峪の様子に志野は微笑んだ。
―――この方が、雅比古さんらしい。
そう思う。
「・・・く、・・雅比古」
「おわ、珠洲!?」
志野の隣にいた珠洲が腰に抱きついてきた。
今までの珠洲の行動とはかなりかけ離れたそれに九峪は一瞬慌てたが、小さくため息を吐いて珠洲の髪を撫でた。
「珠洲も、がんばってこいよ。しっかりと志野を守るんだぞ?」
「あら、雅比古さん。守られるのは私のほうなんですか?」
「はは、悪い悪い。でもまぁ・・・守れるよな、珠洲?」
九峪の問いに、珠洲は顔を上げる。
「当然。志野は私が守る。それに・・・雅比古も」
珠洲の決意を込めた言葉と眼差しに九峪は笑顔を浮かべた。
こんなにも自分は想われている。
それが嬉しくて。
九峪は珠洲を抱きしめた。
温かい。
自分は、この温もりに救われたんだ。
この温もりがどうしようもなく、愛しい。
しばらくそうしていたが、志野の「コホン」という咳払いに九峪は急いで、珠洲は渋々離れる。
「志野、ケチ」
珠洲は志野を睨む。
「ケチじゃないでしょう、珠洲」
逆に睨み返された。
珠洲、撃沈。
そんな光景に九峪は冷や汗を流した。
ちょっと前までは見られなかった光景。
志野と珠洲の新しい関係。
(・・・・・・俺のせいか?)
九峪は身震いする。
そうであったら、しわ寄せは絶対に俺に来る。
(・・・まぁいいか)
そんな関係も、楽しいかもしれない。
「さて、そろそろ行かないと。みんな待たせてるぞ?」
見ると、すでに別れを済ましていたのだろう、皆がこっちを見ていた。
「え?あ!」
今までのやり取りを見られていた。
それにさすがの志野も慌てた。
珠洲は平然としている。
「そ、それでは雅比古さん。いってきます」
「いってきます」
「おう!気をつけてけよ!」
座員を乗せた馬車が進んでいく。
それを皆が見送る。
不意に、荷台から珠洲が顔を出した。
それはやはりどこか寂しそうで。
九峪は苦笑した。
「珠洲、戻ってきたら勉強教えてやるからな!」
「・・・うん!」
会話はそこで終わる。
互いに見えなくなるまで見詰め合った。
見えなくなってからはみんな家に、日常に戻っていく。
九峪は佇む。
隣に里長が並んだ。
「・・・行ってしまいましたな」
「ああ」
「雅比古先生。やはり寂しいですかな?」
九峪は瞳を閉じる。
「寂しくないといえば、嘘だ。でも悲しくはない」
そう、もう悲しまない。
だって自分は救われたのだから。
目を開ける。
その瞳は、輝いていた。
「また会えるんだ。悲しいはずがない」
そう。また会える。
今度は、胸を張って。
「そうですな」
里長はそう言って家に帰っていった。
九峪はしばらく一人で静かに佇んでいたが。
「・・・さて、今日もガキンチョどもの相手をしますか!」
踵を返して歩き出す。
その歩みは力強く。
九峪を前へ歩ませる。
(またな。志野、珠洲)
かつて、英雄がいた。
人々を導き、勝利を勝ち取った英雄。
英雄は『神の遣い』といった。
誰もが知っている、英雄。
だが、その名を口にするものはもうあまりいない。
かつては英雄だった。だが今はもう英雄ではない。
英雄と呼ばれた男が歴史の表舞台に舞い戻ることは、終になく。
彼がその後どうなったのかを知っている者は、もうあまりに少ない。
だからこそ、信じたい。
争いの中を奔走し、混迷の時代を生き、過ぎる日々のなかで傷付いた彼が。
ただひたすらに駆け抜けた彼が。
心を折られ、それから逃げ出し。
それでも最後は幸せになれたと。
男を支えた二人の女性が、彼と共に歩めたと。
そう、信じたい。
・あとがき・
・・・長い。
無駄に長い。
そしてクサイ。
懺悔させてください。
スイマセン。
前回あれだけ大見栄きって「力作だ!」
みたいなこと言ったのに。
結果はこんなんでした。
・・・はい。反省してます。
ええ、全体的に台詞が少ないかな、とは思うんですが。
これが私の限界です。
レベルアップまではまだまだですね。
これ書き終えたときに神から啓示が来ました。
「ま、お前だとこんなもんじゃね?」
だそうで、はい。
ちょっと凹みました。
当初の計画ではこの半分くらいの量で終わるはずだったんです。
それがどうしてだかこんな量になって。
このお話では『ヘタレな九峪』を書きたかったんです。
イメージ的には某ゲーム『○が望む○遠』の主人公みたいな、そんなの。
ぜんぜん駄目でしたけど。
個人的には珠洲メインで行くはずだったんですけど・・・。
なんか志野のほうが出番多かったよぅ(泣)。
珠洲に出番を!
てな感じで最後の九峪と珠洲のやり取りにはそんな事情が絡んでいます。
ちなみに別れのときに珠洲が九峪に抱きついていますが、これもそんな理由です。
この段階では珠洲は十四・五歳くらいです。九峪は二十歳近いですね。
あれ?そうすると織部は・・・。
この話で一番大変だったのは
『いかにして互いの思いをぶつけ合うか』
というところでした。
ここら辺でかなりの駄文濃度が検出されました。
「上手く書けなかった〜」という思いが強いです。
もっと精進せねば!
てなわけで!
「折れた心、逃げた心」無事完結(二話しかないけど)しました!
「さっさと長編終わらせろやぁクルァ」と思いの方。
・・・ハイ、スイマセンシタ。
頑張って書いてますので許してください。
みかんの汁を飛ばさないでください。
誤字・脱字がありましたらご報告ください。
頑張って直します。
これからは長編に戻りますが神からお告げがきたら短編も書いていくかもしれません。
そのときはどうぞよろしくお願いします(ペコリ)。
では!
「折れた心、逃げた心」 前編 後編 を読んでくださった皆々方。
長編「九洲炎舞」ならびに短編次回作も、是非ご愛読くださいませ!
長々とお付き合い、ありがとうございました!!
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