九洲炎舞 第十二話「九死一生」 (H:ゲーム+小説 M:九峪・案埜津・羽江・志都呂・伊雅・オリ J:シリアス)
日時: 02/09 13:57
著者: 甚平




日は傾き、空が暁に染まる。焼けた空は大地を朱に染めるが、木々に囲まれた森の中にはその西日が差し込むことは無い。

まるで闇夜のように黒に塗られた世界は、灯りがなければそれこそ不可視の空間だ。一寸先は闇と言う言葉は、この為にあるとさえ思えるほどに、そこは何も見えない世界だった。

その暗黒の世界を、幾つもの灯りが連なって動いていく。ザクザクと草を踏みしめる音だけが静寂を破って聞こえてくる。

歩いているのは人間。麻や皮の服で身を包んだ大勢の人間が、片手に松明を持って林の中を歩いていく。

皆疲れた顔をしている。絶望的ではないが、悲壮ではあるだろう。

足取りも重く、ほとんどの者は背を丸めて、何かに怯えるようにして歩いていく。

その者達、始終無言。

誰も彼もが、喋る事すら出来ないほどに疲れ果てていた。

自分達を襲った悪夢から、一体どれだけの時間が経ったのか。

明るかった空は、もう見えない。

周囲に見える明かりだけが、この状況の中にあって唯一心強い存在だった。

ふと、先頭近くを歩いている子供の集団。その内の少女が、振り返った。

視界に入るは人の列。自分と同じように、逃げてきた里の住人。

だが少女が見ているのはそんなものではなかった。視線はその奥―――先ほどまでいた、里に向けられている。

「案埜津おねえちゃん、どうしたの?」

栗色の髪をした少女が、立ち止まった少女―――案埜津に声をかける。

「・・・・・・なんでもない。いこう、羽江」

案埜津は問いには答えずに、羽江と呼んだ少女の手をとって歩き出した。

羽江も手を握り返して案埜津についていく。

「・・・羽江はいつも笑ってるね」

隣で笑顔を浮かべる羽江に、案埜津は疲れた表情でそう呟いた。

いくら幼いとはいえ、この状況でこんな風に笑っていられる羽江を、案埜津は理解できなかった。

案埜津の呟きに、羽江は「うん!」と答える。

「むかしね、おばあちゃんが言ったの。辛いときはわらいなさいって。そうすれば元気になれるからって。羽江はまだ子供だけど、いまとってもたいへんだってわかるの」

そう言って、羽江は少し前を歩く自分の姉達を見る。その表情は、あどけないながらに慈愛の顔をしていた。

「星華さまも、亜衣おねえちゃんも、たいへんなときはむずかしい顔をするようになっちゃった。衣緒おねえちゃんはわらうけど、泣いてばっかりだもん。だから、羽江がみんなのぶんもわらうの」

そう言って、屈託のない笑顔を浮かべる。

いつからか、二人の姉があまり笑わなくなった。

その理由を、羽江は漠然と理解していた。星華は『王女』になり、亜衣はそれに仕える『家臣』になったのだと。

自分達は姉妹だ。それは今も変わりなく、そしてこれからも変わらない。

だが二人の姉はその関係とは別に、もう一つの関係を築いたのだ。

『主君』と『家臣』になったのだ。

その関係はそうあることが自然であるのだが、同時に寂しいことだと羽江は感じていた。

それは、いつかもう一人いる泣き虫な姉や自分も、そういう関係になるということだとわかっているから。

羽江は天真爛漫な少女だ。その幼い言動や仕草は愛らしいものであったが、それは彼女の一面でしかない。

亜衣や案埜津とは違った形で、羽江もまた賢かった。そしてその賢さは、羽江に『高い感受性』を与えていたのだ。

だからこそ、理解できた。

「・・・そう。偉いね、羽江は」

案埜津に褒められて、羽江は顔をほころばせる。よほど嬉しかったのか、何かよく分からない歌を歌いながら歩く。

嬉しそうな羽江を見て、案埜津も自然と頬が緩む。緊張した心が解けていくような、そんな感覚がしてくる。

「・・・・・・そっか」

唐突に、案埜津は理解した。

戦いの、不安と緊張の中にあって、どうして九峪は笑っていられるのだろうと、それは尽きない疑問だった。

その九峪の笑顔を見ただけで、どうして自分達は安心できたのだろうと。

戦うことは怖いと言った。死ぬことが怖いと言った。それでも九峪は笑ったのだ。

笑って、私の頭を撫でたのだ。

今、ようやく理解できた。

九峪は知っていたのかもしれない。不安の中にある笑顔が、どれほど尊いものであるかを。自覚無自覚にかかわらず、九峪はそれを知っていたのかもしれない。

志都呂の笑顔にもそれは言えた。しかしそれは、九峪ほどのものではなかった。

それは、戦って死ぬことへの覚悟があるから。それを前提とした笑顔だから、九峪ほど安心することが出来ない。

だが羽江の笑顔は、九峪のそれに近かった。

だから自分は今、僅かながらに安心しているのだ。

それをまさか、この少女に教えられるとは思わなかった。

「それなら、羽江はお姉さんたちにも笑ってあげないと」

笑顔で、案埜津は言う。

羽江はしばし案埜津を見上げていたが、

「うん!」

と、元気良く応えて前を歩く大切な姉達に向かって小走りに駆け寄っていった。

羽江を見送った案埜津は、もう一度振り返る。見えるのは先ほどと同じ、人の列。

「・・・・・・九峪」

ぽつりと呟いたのは、大切な『家族』の名前。

自分を救ってくれた、大切な人の名前。

振り向いた体を前に戻して、駆け出す。星華たちから大分離れてしまった。

九峪は自分のやるべきことをやりにいった。そして自分はそれを受け入れた。

なら、自分は唯信じるだけだ。彼の無事を。

なんてことない笑顔で、戻ってくることを。


































「はぁ、はぁ・・・ここら辺でいいかな?」

言って、九峪は立ち止まった。病み上がり、というか治っていなくて体力の落ちた体で走ってきたために、心臓がバクバクと音を立てて暴れている。

肩が上下に激しく動くのを、深呼吸して無理やり落ち着ける。時間を考えるに、あまりのんびりしていられない。

今いる場所は里に程近い場所だ。と言っても列の最後尾から激しく離れているわけでもない。決して近くも無いが。

これからやることのためには、周りに人がいるのは問題があった。確実に『巻き込んでしまう』からだ。巻き込まれた人間は、間違いなく死ぬだろう。死ぬようなことを、九峪はこれからするのだ。

「ふぅ・・・・・・さて、やるか」

身を屈めて、手に持った飛翔剣で地面を掘る。

均等な幅一メートル強の円を描き、その外周にプラス十センチの円を書いていく。

書かれた二重円の中に、記憶にある文字のようなものを刻み込んでいく。

円の中に、これまた等間隔の三角形を掘り込み、その周りにもまた文字を掘り込んでいく。

「・・・出来た!」

三十分の成果は、九峪の足元に広がる幅一メートル強の円形幾何学模様―――魔法陣だった。

「魔道書なしで描いたの、生まれて初めてだな・・・」

しみじみと呟く九峪。こんなものは、本来ならば魔道書がないと書くことが出来ない。複雑すぎて、憶えることが困難だからだ。

今作ったこれも、即席であるために何処かに欠点があるかもしれない。そういう場合は事前に試行してから本番に移るのだが、如何せん時間が無い。

ぶっつけ本番だが、自分と奇跡を信じてやるしかない。九峪は開き直ることにした。

「今までのは変則的だったからな。・・・・・・今度はちゃんとしたのを見せてやるよ、狗根国!」

円形に描かれた陣の中心に更に描かれた小さな円。その真ん中に、飛翔剣を一本突き立てる。

垂直に突き刺さった短剣を一瞥して、九峪は立ち上がった。

「わりいな、親父」

呟いて、駆け出す。里人と里から離れるように、森の奥へと走っていく。

木を避け草を掻き分けて走る九峪。だいたいニ、三分ほど走ったところで、急に立ち止まった。

走ってきた道を、鋭い目で凝視する。

「そろそろ、いいかな・・・」

言って、九峪は目を瞑った。周りの雑音を、意識の外に弾き出す。

「・・・・・・・・・」

瞬間、九峪の意識が遠くなった。あらゆる感覚が体を離れて、ある一転に集約されていく。

体から離れた意識が目覚めた先、そこは鉄の中だった。無機質な堅い金属の中に、確かに見える魔力の通り道。自分は今、その道に佇んでいる。

(――――――いくぞ!)

意識して、魔力を開放する。鉄の中に張り巡らされたそれのための通路に、己の力が流れていくのを感じる。

通路を満たした魔力は、今度は別の通路へと流れていく。そこは今いる通路とは比較にならないくらい、大きな通路だった。

先ほど以上の魔力が、大きな通路に流れていく。

(これは・・・・・・結構・・・)

意識が重くなっていくのを感じる。揺らぎそうになるイメージを、歯を食いしばる思いで耐える。

通路の全てを魔力で満たしたとき、飛翔剣の魔術文と陣が光を放った。その瞬間、意識があるべき場所に戻された。

「――――――っ」

目を瞑ってから僅かに数秒程度。九峪が目を覚ますのと、走ってきた方向で大爆発が起きたのは、同時だった。


































脱出した里人を追撃しにきた魔獣との戦闘が始まって、もう二時間ほどが経とうとしていた。

当初八人いた殿部隊は、突破した魔獣を一人が追って一人減り、その後の戦闘によって現在は二人に減っている。

四匹いた魔獣も今は二匹となっている。一匹は突破して、もう一匹は腸をぶちまけて血の池に沈んでいる。

「はぁ・・・はぁ・・・。これは、まずい・・・ですね」

肩で息をしながら、志都呂は剣を正眼に構える。狙いは一匹の魔獣。大きさで言えば大型犬程度だが、あまりに俊敏すぎる動きと速度でいまだかすり傷一つ負わせられていない。

敵はその他にも後一匹いた。ヒグマのように大きい巨体で、一見すれば『熊』という名が相応しい、真っ黒な魔獣だった。

この魔獣は小さい魔獣ほど早くは無い。動きも大振りで、見極めれば避けられないことも無い。

しかしその前足から発せられる攻撃は、あまりに理不尽なものであった。今はもう死んでしまった兵士の一人は、この魔獣が横薙ぎに払った前足の爪でまるで崩れた豆腐のように見るも無残な姿に変わり果てて、草むらに『零れ落ち』てしまった。

小さい魔獣だけでもてこずっているのに、この魔人並みに強い魔獣の存在は、志都呂ともう一人の兵士の心を打ち振るわせるには十分なものであった。

絶望が、心を蝕んでいく。

駄目だ、逃げろ。こいつには勝てない。心の警報がそうがなりたてる。

  グウウオオオオオ!!!!

巨体の魔獣が、その身からは考えられないような速度で男に近づいた。

「くっ!」

男は真横に駆ける。ここで捕まったら全てが終わりだ。

魔獣と男に触発されたのか、小さい魔獣も駆け出す。その進路には志都呂が、まっすぐに剣を構えて立っている。

「ふっ」

軽く息を吐き、魔獣の爪を紙一重で避ける。もはや切り傷擦り傷で赤黒く汚れた肌と服に、新たな傷と血がつく。

しかしそんなことにはかまわない。魔獣の動きが早いのであれば、その動きを僅かの間でも止める。それが出来なくとも、せめて接近することが出来れば倒す機会が必ず訪れる。

必ず。

しかし。

「せい!」

下腹めがけて繰り出した突きを振り上げた頃には、もうそこに魔獣の姿はなかった。腹から背にかけて貫くはずだった剣は、無常にも空を切るだけに終わった。

「くそっ」

悪態をついて振り返る。普段の志都呂からは考えられないようなその言葉は、彼の苛立ちを十分に物語っていた。

振り返った先には、こちらを窺うように姿勢を低くしている魔獣の姿がある。四足の獣にとってその構えは狩の体勢である。

睨み合う一人と一匹。重くなってきた腕で、刃がボロボロになった剣を構える。

この剣が使えるのはあと数回のみであろう。いや、もう一、二回もすれば剣ではなくただの鉄の塊と化す。

身も剣も満身創痍となっている。

ふと、彼はどうなったのだろうと考えた。

ここで言う彼というのは先ほど巨体の魔獣に追われていた兵士のことだ。兵士の男は殿の仲でも古参の戦士で、かつてはその腕を伊雅に褒められたこともあるくらいの、武芸に秀でた男であった。

空気を伝って聞こえてくるのは地を打つ音と魔獣の咆哮。男の声も聞こえてくる。どうやらまだ無事らしい。

今はまだ。

男の無事をひとまず確認した志都呂は、意識を目の前の魔獣に全感覚を集中させる。魔獣は未だに、低い姿勢を保ってこちらを見ている。

(! 来る!)

不意に、魔獣が尻を小刻みに振った。獲物に襲い掛かる前兆だ。

  ザッ

そんな音が聞こえてきた。それと同時に魔獣の姿が一瞬で消える。

「っ!?どこに!?」

慌てる志都呂。敵を見失うなど、戦場ではそのまま死に繋がる愚行だ。しかしそれも無理は無い。それほどにあの魔獣は早いのだから。

影が、落ちてきた。嫌な直感に顔を上げると、そこには体を伸ばして自分めがけて飛んでくる魔獣の姿があった。

「うわああああ!!」

振り下ろされる爪を、その前足ごと剣で防ぐ。

百キロを超える重量に落下エネルギーが加わった一撃は、志都呂の叫びとともに振り絞った力を軽く凌駕し、耐久限界をとうに超えていた剣を容易く砕き、その身を呆気なく組み敷いた。

「ぐわ!!」

背を思い切り叩きつけられて、志都呂は悲鳴を上げる。衝撃で肺の空気が全て抜け切られるような激痛と息苦しさに苦悶する。

「がは、が・・・・・っ!」

目じりに涙を浮かべ、目を大きく見開いて志都呂は固まる。目の前に、魔獣の醜悪な顔が視界いっぱいに広がっていた。

魔獣の口から垂れる涎が志都呂の顔を汚していく。あまりの不快感に小さく悲鳴を上げる志都呂。

死ぬ。

死ぬんだ。

死んでしまうんだ。

去来するのは、死への恐怖。未だかつて味わったことの無い、明確な死への恐怖。

狗根国兵と対峙したときですら、ここまでの恐怖は感じなかった。それは、まだ相手が挽回できる相手だったら。

しかしこの存在は、それすらも許さない存在感で、自分の上に立っている。文字通り、命を握られている。

そして相手は思慮が欠片も無い獣。負けた自分が辿る道など唯一つ。

死への覚悟はあった。人間相手ならば、それも受け入れることも出来た。

だが相手は魔獣。生きたままに人を食らう、魔獣。

覚悟など、いとも容易く砕け散る。

「志都呂!!」

仲間の声に、志都呂は我を取り戻す。自分が死んでは巨体の攻撃をかわしながら戦っている仲間がこいつらの相手をしなければならなくなる。

それに。

「・・・冗談じゃありません!」

生きたまま食われてたまるものか!

魔獣の下で必死に抵抗する志都呂を、魔獣は見下ろす。志都呂にとっての最大限の抵抗も、魔獣にしてみれば虫の足掻きも同然だった。

脅威にはなりえない。脅威足りえない。

魔獣の生物としての志都呂に対する判断は、その程度になっていた。

だからだろう。魔獣は首を起こしてある方向を向いた。

そこは列のある方向でもなければ、里のある方向でもなかった。何も無い森。何も無いはずの森を、魔獣は見ている。

「はぁ・・・はぁ・・・はぁ・・・?」

魔獣の様子がおかしいことに、志都呂も気づいた。

倒れたままで首をめぐらせると、男と戦っていた魔獣も同じように止まっている。それには男も困惑顔だ。

普通なら絶好のチャンスであるのだが、志都呂同様に男の剣も最早使い物にはならない。これで魔獣の硬い皮膚を切るのは無理だろう。

どうしたのだろうと思う。先ほどまでの激しい戦闘が嘘のように、今のこの場は静かだ。

  ドオオォォォォンン・・・

「!!??なっ???」

静寂を破ったのは、そんな爆発音。魔獣たちが見る方向から、煙が上がっているのが見える。

次から次に起こる不可解な出来事に、志都呂は混乱する。冷静沈着な彼が慌てるのも珍しいことだが、仕方がないのかもしれない。

「一体何が・・・・・・え!?」

混乱した志都呂を、更に困惑させる出来事が起きた。

音がした直後、志都呂を組み敷いていた魔獣が、志都呂の上から退いたのだ。

魔獣は志都呂や男に見向きもせずに、煙の昇る方へと駆け出す。男と対峙していた魔獣も、同じように駆けて行った。

先ほどまで殺しあっていた者を前にして、それを無視していなくなる魔獣たちを志都呂と男は呆然と見送る。

「・・・なんだってんだ?」

突然脅威が去って、男は呟く。わけがわからないことが多すぎる。

「はぁ、くそっ」

そしてドカッと腰を下ろした。酷使しすぎた体は、休息を求めていた。

志都呂もよろよろと立ち上がる。今頃になって体中が痛い、休ませろと悲鳴を上げてくる。

服の袖で顔に付いた涎を拭き取る。べたべたした感触と、臭いが堪らない。

「うっ・・・」

「おーい、大丈夫か志都呂?」

「ええ、なんとか」

近づいてくる志都呂に、男は「そうか」と一個と言って、また黙った。喋るのも億劫だと言わんばかりに。

「魔獣、周りにまだいると思いますか?」

「・・・さあな。よくはわからんが、多分いないだろう」

気のない声で答える男に、志都呂も黙る。

「・・・・・・けど、ここにいたってしょうがない。もう武器もなくなっちまったからな」

刃こぼれして切れそうに無くなった剣を放り出して、男はだらりと立ち上がる。

「魔獣どもは、さっきの煙が上がった所にでも行ったんだろうよ。俺達を殺すよりも優先すべきことが、あの爆発だったってことだ」

「でしょうね。ということは・・・私達以上の脅威がそこにあった、ということでしょうか?」

「知らん。そうだとしても、今の俺達ではどうしようもない」

男の言葉に、志都呂はそうだと思った。先ほどまで死に掛けていた自分にとってはどうしようもない。

「それよりも、だ、俺たちも合流するぞ。魔獣が向こうに行ってくれんならありがたい。さっさと逃げるに限る」

そう言って、男は列のある方向に向かって走り出した。疲れてはいるが、そこは歴戦の戦士だ。今こそが逃げる絶好の機会だと理解している。

志都呂も、その後を追った。先ほどの爆発は気になるが、どうしようもないことも、また確かだ。

それよりも、今は逃げるのが先だろう。突破した魔獣を追った男のことも気になる。

「それに、お前も早く洗いたいだろ?臭いがすごいぞ」

「・・・・・・はい」

里人たちに合流するために、志都呂と男は走った。






































  ドオオォォォォンン・・・

響いてきた爆音に、伊雅は眉を寄せた。

里人達が幾人かの犠牲を出しつつも里を脱出したとの報告を受けたとき、里に残って脱出する時間を稼いでいた伊雅たちは、周囲を完全に包囲されて抜け出すことが出来なくなっていた。

鬼神の如き活躍を見せていた戦士たちも一人、また一人と死んでいき、残っているのは伊雅を含めて僅かに六人。

すでに相当の被害を相手に与えたはずだが、それでも魔獣が七匹と、魔人が一体残っている。

どんなに足掻いても、この苦境を乗り切ることは万に一つもありえないというのが大方の考えであり、真実この状態で戦い続ければ全滅するは必死。

皆はよく戦った。魔獣を十数匹血祭りに上げ、もう一体いた魔人を倒してさえいる。

そう、魔人はもう一体いたのだ。目の前にいるのともう一体の魔人によって、多くの兵士が死んでいった。

その戦いは王都防衛戦を思い起こさせる、そんな光景だった。

それを、人の身では到底倒せないであろう化け物を、彼らは一体とはいえ降したのだ。代償も大きかったが、誇れるべきことだろう。

彼らは奮戦し、そして健闘した。人の身で、魔獣と魔人相手にここまで戦ってきたのだ。

だがそれももう限界だ。体も、武器も、心も、疲弊していた。

里人が脱出したと聞いてからは、玉砕覚悟の戦いだった。この状況で生き残れるなどと、誰もが考えなかったのだ。

だからこその奮戦。だからこその健闘。だからこそ、彼らは鬼神の如き戦いが出来た。

それももう終わる。

志半ばで死ぬことを悔やみつつも潔く散ろうと思った矢先に、しかし敵は不可解な行動をした。

敵を目の前にして魔獣も、魔人も、戦いを一切やめてある方向を向いたのだ。まるでこちらなど眼中に無いというように、ただ同じ方向を見ている。

そこには森しかないと記憶している。というか、里を囲んでいるのは林なのだから森しかないのは当たり前だ。

しかし里人が逃げたのはその方向ではない。だからこそ伊雅たちは困惑した。

攻撃しようにも武器は破損しているし、体も酷使しすぎて悲鳴を上げている。合戦などよりも激しい戦いの中で起きた敵の不可解な行動に困惑していたのも理由だろう。

とにかく、誰もが攻撃を仕掛けなかった。

一瞬落ちた静寂を、次の瞬間には破る轟音が響き渡ったのだ。

さしもの伊雅とて、眉の一つも寄せるだろう。

「はぁ、はぁ・・・・・・何事だ、これは?あの音はなんなのだ?」

「わ、わかりません。わからないことばかりで・・・」

伊雅の問いに、隣の男も困惑気味に返すことしか出来ない。伊雅の言葉はみんなの思いであり、男の応えもまたそうだった。

「・・・ナにがイル。・・・・・・ヅよイナニガが・・・・・・ワガった」

魔人は言うと、煙の昇る森へと向かって歩いていった。それに続くように魔獣たちもとを付いていくのや、追い越して先を行くものなど、とにかく殆どの魔獣は森に向かってかけていった。

「・・・なんだ?なんだというのだ、これは!?」

混乱気味に怒鳴る伊雅。先ほどまでの死闘が、今ではよく分からないことになってしまった。

多くの仲間が死に、自分もまた死を覚悟して戦った。襲い来る理不尽を、叩き伏せて戦った。

それを、今度は別の理不尽で終わりを迎えた。まったくわけのわからないことばかりだ。

「落ち着いてください、伊雅様。これは考えようによっては好機ですぞ」

仲間の一人が伊雅を諌める。

「理由はわかりませぬが、敵が引いたのです。ここにきて小細工をするとも思えません。それに奴らが向かったのは里人の逃げている方向とはやや違います。今のうちに我々も里人に合流して、ともに脱出すべきです」

男の言葉に、伊雅は気を落ち着ける。熱くなりやすい伊雅にとって、こういう冷静な人間の存在はありがたい。

「・・・そうだな。敵が引いたとはいえ、まだ安心できん。民のことも気に掛かる。・・・・・・行くぞ!民と合流する!」

『はっ!!』

伊雅の号令の元、男達は一斉に駆け出した。