九洲炎舞 第十三話「信じる思い」 (H:ゲーム+小説 M:九峪・案埜津・伊雅・志都呂・星華・宗像三姉妹・オリ・? J:シリアス)
日時: 02/17 10:50
著者: 甚平




「――――――ほう・・・」

立ち上る粉塵を遠目に眺めながら、ソレはどこか感心したように息を吐いた。

いや、その頭部が『骸骨』であるソレに息を吐くという行為はできないが、とにかくその口から漏れたのは感心であり関心の呟きだった。

まるで火の手が上がったように上へ上へと昇るのは砂や土、葉等だ。本当に火事になったわけではない。

だがそこから感じられた得体の知れない『力』は、烈火の如き強さだった。

「さて。あそこには何が、何があるのか・・・」

木の頂点に立つという異常な姿勢で、ソレは考える。

あの方角には何もないはずだ。近くを残党共が逃げているはずだが、それ以外には何もないはずの場所だ。

しかしそこから確かに力を感じた。方術を扱う際に必要な方力と似ている。そうかと思えば、左道に必要な呪力にも似ている。だが、そのどちらでもない。

まったく知らない、だが似ている未知の力。その波動を、あそこから感じた。

「ふむ・・・・・・」

長く白い髭を右手で撫でつけながら、黙考する。

ソレは目的があってここに居る。そしてそれはまだ完遂されていない。

だがこの身で感じた不可解も気になる。

「・・・・・・・・・奴らは、いつでも消せるしの。九洲制圧から向こう、暫く働き詰めであったし、偶には己に飴じゃ」

結論は出た。

「カカカ・・・・・・何故か、何故か心がざわめきよるわ」

さも愉快だと言わんばかりに、ソレは乾いた哂いをする。聞く者を不快にさせる、そんな嫌な哂い声で。

ソレは立っていた木の上から、別の木の上に跳ぶ。引力を完全に無視したように軽々と木々の間を飛びながら、目指すは煙の昇る場所。

「三百年も生きると、楽しみがなくなって堪らん。七年前の戦など実に詰まらぬ、詰まらぬものであったしの。・・・・・・わしを、楽しませろよ」

クツクツと笑いながら、ソレは一本の木の上に止まる。そこはこの周辺でも一際高い木で、眼下を望むにはまさに適した場所だった。

「あやつらも動き出したか・・・。まぁ当然、当然じゃな」

自らが召喚した魔獣達が全て移動しているのが感じられた。里に残ったのや逃げた連中を追ったものも、その全てが一箇所に向かっている。

逃げ惑う者よりも、抵抗する者よりも。

あれらはこの波動こそが『危険』と判断したのだろう。

だがそれこそ好都合だ。この波動の正体も、どれほどの強さかも、あれらが暴いてくれるだろう。

「魔人どもを・・・一体?ほう、二体いたのだがな・・・やりよる。魔獣は・・・・・・大分減ったの、三十四、いや五匹か。些か嘗めて、嘗めていたかの」

こちらの駒が思った以上に減っている。別にそのことが大きな損害というわけではないが、これは中々に意外なことだ。

嬉しい、実に嬉しい誤算だ。

「カカ、これはこれは・・・。やはり潰さずに、潰さずに置いて正解だったかの?年寄りの楽しみが増えよったわ」

そう、そうでなければ楽しめないではないか。

魔人を一体倒すほどの気概を持った連中だ。ここで食うは確かに惜しい。

かつてはあった国への忠誠など、この身と同じように枯れ果てている。今望むものは長い時の中で、『退屈』しないための余興。

ただそれだけ。そのためならば。

「任務には反するが・・・何、大したことにはなるまい。長官の小僧など所詮は頭のない愚物・・・言いようはいくらでも、いくらでもある。それよりも今は・・・」

哂って、ソレは一点を見つめる。

そこは煙の中心。少しずつ粉塵が晴れてきた。

「・・・これが、正体か。・・・・・・ふむ、なんとも面妖な」

煙の中から出てきたのは、描かれた幾何学模様の円と、その中心に突き刺さる朽ちた短剣。

爆発の影響か、円に描かれている模様は所々が掠れている。中心に立つ短剣は刃こぼれや罅(ひび)が酷く、一目見てもそれが使い物にならないとわかるほどに損傷が激しい。

だが。

「感じる・・・感じるぞ。あれは『異常』じゃ。・・・・・・存在が歪んでおる」

間違いないと、直感がする。

あの奇怪な模様こそが、波動の中心。己の心をざわめかせ、魔獣どもが『危険』と判断したもの。

すでに人間ではない、人の法から外れた自分から見てもあの不可解な存在は、異常なほどに歪だ。

だがソレ自身が上手く言葉に出来ない。このようなモノを見たことは三百年生きて一度もないからだ。

だが。だからこそ。

「・・・・・・面白い。これは面白い」

ソレは腕を掲げる。その手には、一本の杖が握られている。

「退屈な時間は終わり、終わりじゃ。鬼と出るか蛇と出るか・・・さて、どちらかの?」

あの爆発を起こした『何か』に向かって問いかけ、狂喜とともに杖を思い切り、振り下ろした。

























「――――――ふぅ。成功、だな」

木に背中を預けた姿勢で、九峪は息を吐いて目を開いた。額にうっすらと浮かんでいる汗を袖で拭う。

幾分不安のあった陣も、どうやらちゃんと描けていたようだ。確かな手ごたえがあったのだから、失敗はまずあり得ないだろう。

「これでこっちにきてくれりゃいいんだがな・・・はぁ」

言って、ため息を吐く。その表情は、何処か疲れた色をしている。

先ほどの魔術で消費した魔力はそう多くはない。

もともとあの陣は周囲を吹き飛ばすことを目的にしたものではなかった。

本来の用途は何かしらの儀式を行う際に、術者の魔力を増幅することである。言うなれば儀式補助を目的とした魔力増幅装置である。

その増幅させた魔力を、飛翔剣とのリンクによる遠隔操作で暴発させたのだ。これ自体は難しいことではない。儀式を目的としたものならば志向性を持って流れる大魔力も、方向性のない状態で開放すると、それは唯の『力』として周囲を吹き飛ばす。

結果、爆発が起こる。これが周囲を根こそぎ吹き飛ばした爆発の正体だ。

実際九峪が使った魔力量は増幅させるためのと、暴発させるために使用した僅かなものだ。この世界において貧弱な九峪とはいえ、この程度では疲れもしない。

というか、この程度で疲れていたら魔術師などやっていられない。

九峪が疲れているのは、他に理由がある。

それは、今日一日でかなり走ったからだ。

時間的には夕方だが、森の中はすでに暗い。木々で覆われた森は昼間でも十分に暗いのだ。

そこを、ひたすら走って、走って、魔獣と戦って、また走ってを繰り返してきた。

それだけではなく見えにくい視界を、霊珠が放つ光を頼りにここまできたのだ。そしてその光も決して強くはない。

いつどこで、左道士たちに見つかるかわからないのだ。光も必要最低限であったために、それが余計に疲れを増やした。

傷にしてもそうだ。薬を飲んでいるために痛くはないが、それでも体力は奪われていく。

ただでさえ病み上がりの九峪にとって、これは些かきついものだった。

「・・・・・・さて、次に行くか」

小さく言って、九峪は背を気からは離す。

体はもう少し休ませろと抗議するが、そうも言っていられない。こちらには時間がないのだ。

奴らに追いつかれたら、待っているのは『死』。

そんなことは、九峪も良く知っている。

「唯でさえ時間が掛かるんだし・・・・・・俺自身、ここら辺の地理は知らないからな」

異世界から来た九峪にとって、森の中で道に迷うというのは出来れば避けたいことだ。

今いる所だってどこなのか、九峪は知らない。

それでもこれからの数時間は、この見知らぬ土地で、一人で戦わなければならない。

それが『賭け』なのだ。

暗い木々の間を縫うように、九峪は再び走り出した。森の更に奥へ奥へと、息を弾ませながら突き進む。

次の準備までそう時間もない。自分の姿、位置を敵に察知されれば、この『賭け』は負けだ。

なぜなら、敵に見つかる=死んでしまう、ということになるから。敵が魔獣一体とか、左道士一人ならばどうにかなるだろう。

左道士がどういうものかというのは実際に見たことのない九峪だが、ようは魔術師みたいなものだろうと考えている。

それならば、後れを取ることはない。系統は違えども、戦闘のスタイル自体はそう大きく違ってくることはあるまい。

それよりも問題となるのは、志都呂との話に数回出てきた魔人。これに見つかるのは避けたいところだ。

これも漠然としたものだが、ようは吸血鬼やドラゴン、デーモンのようなものだと予想はしているが、どちらにしても歓迎できないものに変わりはない。

ならば魔獣が相手ならば勝てるのか、と言えばその限りではない。一体までなら何とかなるだろうが、集団、または連戦となると確実に負ける。

そして今この周辺に展開されている魔獣の数。詳しいことはわからないが、二桁は確実にいるはずだ。

絶対に見つかるわけにはいかない。

暫く走って、九峪は再び立ち止まった。そこは草が生えているものの、木があまりないやや開けた空間になっていた。

障害物がほとんど存在しないこの場所は、陣を描くにはうってつけだった。

「さっきの場所からは、そんなに離れていないよな」

振り返って、先ほどの爆発させた場所との距離差を計算する。爆発した空間には拡散した魔力が残留されているはずだから、ほとんどの魔獣たちはそこに集まってくるはず。

だが集まってきても、九峪の居場所はわからないだろう。獣だけに臭いを辿ってくることも出来るだろうが、あんな吹き飛ばされた場所で臭いも何もない。

行動を開始しても追撃が出来なければ意味はない。つまりその探査分だけ、時間が出来る。

その時間こそが皆が逃げ切る時間であり、自身も逃げる時間となる。

端から戦っても勝てないのだ。そんなときは逃げるに限る。

だがこの距離差が離れすぎていれば、連中は里人の追撃に向かうはずだ。しかし近すぎれば、今度は自分が追いつかれる。

遠すぎず、近すぎず。その絶妙なポイントでなければならないのだ。

もうその時点でも賭けだ。逃げ切れるかどうかもわからない、まさに『賭け』。

「・・・・・・いい場所だ」

頷いて、九峪は草を霊珠で焼き払った。

地面を灰が覆うが、そんなことは関係なしに陣を描いていく。

描いていく模様は先ほどのものとほとんど同じだ。二重円の中心に三角形を描き、文字のようなものを彫りこんでいく。

だが今度は、少し違う模様を掘り込んでいる。

それでも最初のように思い出しながら描いていたわけではないので、今度は二十分くらいで完成した。

中央に彫られた三角形の中に、彫るのに使った飛翔剣を突き刺す。

出来上がったのは、先ほどのものとほぼ同じ陣だった。

「よし、これでOK。次だ」

言って、また走り出した。今度もまた、森の奥に向かって。

「ここからが、本番だぜ」







































「伊雅様、あれを!」

部下の上げた言葉に、伊雅は足を止めずに頷いた。

先の爆発から、もう一時間が経つ。里を出た伊雅たちは裏門を通って秦野たち里人を追っている最中だった。

道行く先には既に魔獣の姿はなく、訝しながらも折角訪れた好機を逃すわけにもいかないので、警戒しつつもひたすら走っていたのだ。

魔獣がいないと言っても、安全とは限らない。何が起きているのかわからない現状で、とてもではないが油断などできようもない。

だが、事実ここまでで魔獣と遭遇することはなかった。

何かがおかしい。それはわかるが、何がおかしいのかがわからない。

気が気でない状況で、伊雅たちはただ走った。

そんな中で、目の前に光が見えたのだ。見間違えようのない、松明の灯りだ。

皆が無事であることに安堵しながら、伊雅たちは走る速度を上げた。

「星華様、秦野!!」

「伊雅様!ご無事でしたか」

後方から聞こえてきた声に、秦野は喜色を浮かべて伊雅たちを出迎えた。

走りよってきた伊雅をはじめ、合流してきた戦士たちは皆ボロボロだった。服はすでにその機能を果たしてはおらず、無事だと喜んでいた秦野達はギョッとした。

「い、伊雅様!?大丈夫ですか!?」

「この程度の傷など取るに足らぬわ。我ら皆、ここまで駆けてきたのだぞ?」

厳として言い放った伊雅の言葉に、秦野は落ち着きを取り戻した。

「そ、そうですな。伊雅様ほどのお方がそう易々と討たれる筈がありませぬな。失礼致しました」

「気にするな。それよりも、星華様は。ご無事か?」

「はい。こちらに」

星華の安否を気にする伊雅を秦野は先導していく。

秦野よりも前方を歩いていた星華は、近づいてくる秦野と伊雅に安堵の吐息を漏らした。朝から姿を一度も見ていないから、ずっと心配していたのだ。

伊雅も伊雅で、主君である星華と九峪の身を案じていた。

「伊雅さま!」

一時は安心した星華達だが、伊雅が目の前まで来ると、その傷だらけの姿に驚きの声を上げた。

「伊雅さま。大丈夫ですか!?」

星華と亜衣が伊雅に駆け寄る。

心配そうに見上げる星華と亜衣、遠くから気遣わしげにこちらを見る衣緒と羽江と案埜津に、伊雅は大丈夫だと言うように笑って頷いた。

「この程度で死にはしませぬ。まだまだ戦い足りないくらいですわ。ははははは」

どころか、そう言って伊雅は声を上げて笑った。その笑い声に、子供達はおろか、秦野を含む里人達も釣られて笑みを浮かべた。

実を言うと、伊雅の言葉は冗談でしかない。そもそも玉砕覚悟の戦いだったのだ。油断できない状況ではある事に変わりはないが、それでもとりあえず戦いが終わって安堵しているのが実情だ。

だが、伊雅は総大将である。総大将として、皆を導かなければならないのだ。

列の横を走っている間、伊雅は驚愕に口大きく開けた。里人達の放つ気配に、『死』の臭いを感じ取ったからだ。

これではいけない。伊雅はそう判断した。戦の世において、心が折れた者から死んでいくのだ。

今がまさにそれだった。襲い掛かってくる絶対的な恐怖に、誰もが屈しかけていた。

だから伊雅は笑ったのだ。総大将である自分だけは、笑わなければならないのだ。

そうして、皆にわからせる。自分がいる、だから大丈夫だと。

そのために、笑うのだ。

副王として、武人として、指揮官として、そして総大将として。それらが、伊雅にそうさせた。

「―――ふふ。そうですね、伊雅さまはお強いですから」

微笑みながら、星華は言った。衣緒や羽江、滅多に笑わない亜衣に案埜津も笑っている。

里人も笑っている。

伊雅の笑いから始まった暖かい空気は、あっという間に広がっていった。

決して大きい笑いではない。皆疲れているのだ。

だが、今まであった暗い雰囲気は、随分と軽くなった。

(・・・流石は、伊雅様ですな。折れかけていた皆の心を持ち直した)

微笑みながら、秦野は心の中で伊雅に賛辞を送った。

この雰囲気の中で、わざわざ声に出して言うのは野暮であろう。今はただ皆が笑っている、その事実だけで十分だった。

「して、秦野。九峪さ・・・んん、九峪殿はどこか?」

危うく『九峪様』と言いかけながら、秦野に九峪の居場所を聞く。

伊雅は先ほどから、九峪の姿がまったく見えないことに気づいていた。

伊雅の質問に、秦野は少し表情を引き締めた。それから何かを感じ取ったのか、伊雅の表情も自然、険しいものになる。

「・・・何か、あったのか?」

「それなのですが・・・。九峪さんは、現在単独で行動しています」

「何?それはどういうことだ?」

秦野の言っている意味が理解できずに、伊雅は表情をそのままに聞き返した。

「今回の魔獣、及び魔人の襲撃はあまりに不自然だと。明らかな目的の元で起こっていると九峪さんは考えました。そしてそれを引き起こしたのが、狗根国の左道士だとも」

「・・・なるほどな。わしも何かおかしいとは思っていたのだが、そうか狗根国の。忌々しい。・・・・・・で。それと九峪殿の単独行動が、どう繋がると言うのだ?」

「はい。裏で操っているのが左道士ならば、それを倒せば良い。しかし多くの者は戦うことが出来ず、このままでは全滅することは必至。そこで、九峪さんが囮となって左道士や魔獣の目を引きつけて、その隙に我らは戸津浦まで撤退する。これが、九峪さんの提示した作戦です」

秦野の説明を聞いて、伊雅は驚きに目を見開いた。

「ということは、九峪殿は一人やつらと戦っていると言うのか!?」

「はい・・・」

「な、なんということだ・・・。では、お前は九峪殿を黙って見送ったと言うのか!?」

伊雅の叱責に、秦野は項垂れて「はい・・・」と小さく呟いた。

何故伊雅がここまで憤るのか星華たちはわからない。九峪が秦野や伊雅とも親密な関係であるとは知っていたが、伊雅は副王で、九峪はあくまで構成員でしかない。

だから、伊雅がここまで慌てふためく理由が、どうしてもわからなかった。

「伊雅さま、落ち着いてください」

唐突に、秦野の後ろから声がした。

「おお志都呂、お主も無事であったか」

労いの言葉を受けた志都呂は「はっ」と一礼して、秦野の横に立った。

志都呂たち殿は、伊雅が合流する少し前に秦野たちと合流していた。既に武器は使えず体も傷ついていたが、そのまま里人の護衛をしていたのだ。

まぁ護衛とは言っても周囲の警戒程度しか出来ず、相手が相手だけに戦うことは出来ないのだが。

「来る途中に死体が幾つかあったので心配したが」

「何分、魔獣が相手でしたので。生き残ったのも、私の他には一人だけです」

沈痛な面持ちで、志都呂は言った。殿を務めた者で生き残ったのは自分と、あとは一人だけ。それだけではなく、里人にも犠牲が出てしまったのだ。

それは、かなりのショックだった。己の力が及ばないばかりにと、後悔する。

伊雅にしても、駆ける先に転がる人の死体を見たときには、人知れず歯噛みした。

思うところは志都呂と同じ。ただ生きてきた長さの違いか、それを引きずることはしなかった。

ただそのときの悔しさを、力に換えた。そうしてこの七年を生きてきたのだ。

「そうか。・・・皆、散ったか」

目を瞑って、伊雅は冥福した。しかし直ぐに目を開ける。

「だが今は別の問題がある」

言って、秦野を睨む。

伊雅の苛烈な視線を、秦野は黙って受け止めた。九峪を引き止める理由がなかったとはいえ、伊雅の叱責は最もだと思っている。

九峪の思いも聞いた。そしてそれを認めたのも自分だ。だがそれは人としての心情であり、家臣の分を超えていただろう。

だから何もいえない。

「伊雅様。気をお静めください」

「志都呂」

秦野を誹ろうとした伊雅を、秦野はタイミングよく諌めた。気勢をそがれた伊雅は、それでも厳しい表情で志都呂に顔を向けた。

「伊雅様、なぜそこまで九峪さんのことを気にかけるのですか?伊雅様や父上が彼と親しいということはここ数日の付き合いでわかりましたが、彼はあくまで旅人。九洲の人間ではありません」

志都呂の質問に、伊雅は押し黙る。

それが言えれば楽なのだ。だがこれからのことを考えると、そういうわけにはいかないことを、二人は当の本人から聞いている。

だから話せない。話せないから、引き止める理由も作れない。

そこは伊雅も理解している。だが「はいそうですか」と納得できるはずもない。

それほどに九峪の存在は、とても大きいのだ。

「そ、それは・・・」

「九峪さんは、かつて神の遣い様にその命を救われたことがあるのです」

答えに窮する伊雅に変わって、秦野が口を開いた。

それは、己の身分を隠すために九峪が予め用意していた偽りの正体であった。里にやってきてすぐのころ、秦野と伊雅、キョウを交えての状況確認の折に、九峪が提案したものである。

後々の混乱を避けるために、神の遣いであるということを黙る九峪が、旅人としてどうこの戦争に関わるか。その口実として用意した盛大なブラフ。

実際神の遣いでもなんでもない九峪は、高く上げられるよりもこういった立場で、多くの人間と同じ立場での行動を望んだ。

秦野の口から放たれた言葉を、志都呂はもちろんのこと星華や亜衣も驚きの表情で聞いていた。

「・・・父上、このようなときに冗談は困ります」

至極真面目な表情で、志都呂は切って捨てた。とてもではないが信じられるような話ではない。

星華や亜衣、衣緒も最初は驚いたが、そんなはずはないと思い直したのか少し非難するような視線を秦野に向けている。羽江はよく分かっていないようだが。

だが冗談と言われた秦野の表情は、真剣そのものだった。

「本当です。事実天魔鏡はその時に、九峪さんが神の遣い様から授かったものだと聞きました。それによく考えてみなさい。旅人である九峪さんにとって、この戦争はまったく関係ないことなのですよ?それなのに何故、あのような怪我を負ってまで我々に力を貸してくれるのですか?」

そう言われて、志都呂たちはハッとする。言われてみれば確かに、九峪にとってこの戦争は他人事でしかない。

どこでどんな戦争が起きようと、旅人、というよりも浪人のような九峪には、命を掛けてまで戦う理由がないのだ。

今まで当たり前のように一緒にいたために忘れていたが、九峪は九洲の生まれではない。

「九峪さんは神の遣い様から天魔鏡を授かり、我々の元まで届けてくれた恩人。そのような人を危険だと知りつつ行かせた、私の落ち度です」

秦野の語る嘘で塗り固めた真実を、志都呂たち納得顔で聞いている。

真実とはまた違うが、何故ここまで伊雅が怒り、秦野がその叱責を甘んじて受けているのかがわかった。確かにそういう理由があるのならば、仕方がないかもしれない。

しかしそれでも、納得できない者がいた。

「でも、九峪は必ず帰ってくるって言った」

話を静かに見ていた案埜津は、強い口調でそう言った。

下から聞こえてきた少女の声に、皆が案埜津のほうを向く。視線が自分のほうに集中しても、案埜津は怯まない。

強い意思を秘めた瞳で、見返す。

「大丈夫だって、必ず帰ってくるって、そう言った」

「案埜津さん・・・」

「九峪はそう言って約束してくれた。九峪は約束を守る、だから絶対に帰ってくる。だから・・・」

言葉を切って、一呼吸する。

「だから私は、私たちは九峪を信じた。信じて、見送った」

強く言った言葉は、皆の心を代弁していた。

信じたから。結局はそう言うことなのだ。必ず帰ってくると、そう信じたからこそ、見送った。

一番渋っていた秦野も、最後は信じることで己を納得させた。

星華も亜衣も衣緒も、そういう思いがあったかどうかはわからないがおそらく羽江も、自分達を助けてくれた九峪だから信じたのだ。

「・・・伊雅様。案埜津のいうとおり、私達は九峪さんを信じています。でなければ、私達を助けてくれたあの人を、どうして死地に向かわせられますか?」

「亜衣・・・」

今まで黙ったままだった亜衣が、唐突に口を開いた。

「秦野殿も、最初は渋っていました。危険だと、そう言って。ですが、九峪さんしか対処できないのもまた事実だったのです。私達には、もう戦う余力がなかったのです」

そう言う亜衣の表情は、何処か悔しそうだった。

本当なら、自分も付いていきたかった。九峪の力になりたかった。

だが自分は弱い。戦士ではないし、術者としてもまだまだ未熟。感情よりも先に理性が働く亜衣は、自分がついていっても足手まといにしかならないということを理解していた。

「出来るのならば、私も付いていきたかった」

「・・・そうね。私も、力になりたかった」

悔しい気持ちは、星華も同じだった。

だから星華は、亜衣をそっと抱きしめた。

「私は・・・私も、力になりたかったです。戦うのは好きじゃないけど、でも、九峪さんは私達を助けてくれたから・・・」

「私も。私はほうじゅつも上手くないし、けんも使えないけど、でもちからになりたかったよ」

衣緒と羽江も、星華たちに同意する。力にならないとはわかっているが、それでも力になりたかった。

「伊雅様。私達に、もう戦う力はありません。・・・九峪さんのお力に頼るしか、ないのです」

「・・・・・・」

秦野の言葉に、伊雅は沈黙する。

子供たちの言葉を聞いて、伊雅も大分冷静になった。確かに自分を含め、ほとんど戦力はない。

それは伊雅も理解していた。

「それに・・・我々はここで立ち止まっているわけにも行きません。今魔獣が追ってきていないのも、九峪さんが戦っているからなのです」

「何・・・?」

「それはどういうことです、父上?」

秦野の言葉に、伊雅と志都呂は揃って疑問の声を上げた。

「先ほどもお話しましたが、この襲撃の裏には左道士がいます。九峪さんはその左道士の注意を引きつけているのです」

「ということは、先ほどの爆発も?」

「ええ、おそらくは九峪さんの仕業かと。丁度九峪さんがいなくなった後に起きましたから」

魔獣を引き寄せたあの爆発音は、秦野たちにも十分に聞こえてきた。

突然起こった爆発は炸裂岩など歯牙にもかけないほどの音量で、ただでさえ緊張の中にあった里人達は一時混乱状態に陥ったほどだ。

慌てて逃げ惑う人々を宥めながら、秦野はあの爆発が九峪の起こしたものだと直ぐに理解した。

それから少しして、志都呂たちが合流してきたのだ。

「これは賭けだと言っていました。あのまま全滅するか、それともあえて危険に身を飛び込むことで逃げ切るか。これはその賭けだと」

「賭け・・・」

秦野の言葉を、伊雅は反芻する。

たしかに、これは賭けだろう。己の命を賭けた、大博打だ。

危険すぎるが、そのおかげで自分は合流できた。それを知った伊雅は、もう秦野に対する怒りがなくなってしまった。

「く、わしの剣がまだ使えればお供いたせたのに・・・」

悔しそうに、伊雅は拳を振るわせる。

九峪の己を省みない決断に感激し、それについていけなかったことが悔しいのだ。

立場上は最高指揮官の伊雅だが、心の中では九峪の家臣である。家臣として、主についていけないのは武人の名折れだった。

「でしたら伊雅様。ここで立ち止まっているわけにはいきません。一刻も早く戸津浦と合流して、返す刃で九峪さんの加勢に向かいましょう」

伊雅だけでなく秦野たちにも向かって志都呂は言った。

今向かっている戸津浦には、もちろん耶麻台国兵がいる。彼らと合流できれば九峪を助けることが出来るかもしれない。

そう言う志都呂の言葉に、伊雅は俯けていた顔を上げた。

「・・・そうだな。これが九峪殿のおかげならば、やはりあの方を失うわけにはいかない。急ぐぞ、皆の者!」

叫んで、伊雅は走り出した。それに秦野たちもついていく。

前方集団からは大分離れてしまっていた。

里人の横を、伊雅を筆頭に戦士たちが駆けて行く。

「皆、頑張れ!戸津浦まではもうすぐだぞ!」

里人を激励しながら、伊雅はぐんぐん走っていく。九峪を助けると言う目的が、体の疲労を吹き飛ばしていた。

戸津浦までは、たしかにもう直ぐだ。半日もあれば到着するのだから、あと一、二時間程度だろう。

それまでに逃げ切れば、九峪の加勢にいけるのだ。

逸る気持ちを抑えられずに、伊雅は駆けた。

背後で二度目の爆発が起きたのは、それから少し経ってからだった。