九洲炎舞 第十四話「賭けの成果、脅威の出現」 (H:ゲーム+小説 M:九峪・案埜津・志都呂・伊雅・宗像三姉妹・蛇蝎・オリ J:シリアス |
- 日時: 03/14 16:17
- 著者: 甚平
ザザッ ザッザザザ ガサガサガサ
暗い森の中、行く手を阻む木々をものともせずに疾駆する魔獣の群れ。
狼ほどの大きさをしたものから、ヒグマ以上に大きいものまで、その群体を構成する魔獣の種類は非常に多い。
軽く二桁にはとどくその群れが、皆同じ方向へと駆けていく。
目的の場所は、先ほどから感じる奇妙な波動の中心。最初に爆発したものとはまた違うところに感じた、同質の異質。
隠れ里に住んでいた住民の殲滅以上に危険と判断された何かがいた場所に駆けつけたときには、そこにはすでに何もいなかった。
ただ地面に描かれた変な模様と、突き刺さって朽ち果てた一本の短剣。それだけがその場にあった。
だがそんなものは魔獣たちには関係ない。理性と思考を保有しないそれらにとり、これらの痕跡から何かを導き出すという芸当など、できよう筈もない。
だが知能を有さないそれらは、人よりも数倍『感覚』が鋭かった。
それは方術士の用いる『方力』や左道士の使う『呪力』のように、莫大なエネルギーを生み出す力を高い次元で知覚できるのだ。
その魔獣たちは、この周囲に蔓延っている『魔力』の残り香に、右往左往している。
かつて感じたことのない気配。辺りを濃密に満たしている魔力は、魔獣の感覚を大いに狂わせた。
だから、どこへ行けばいいのかがわからない。敵はどこへ逃げたのか、その痕跡が何一つわからないのだ。
だが、そんなものも時間の経過と共に少しずつ薄れていった。狂わされた感覚は正常に戻り、自分達の進むべき道を教えてくれる。
曰く、この気配を辿れと。
少し遠くに、同質の力を感じる。
それがわかったならば、後の行動も簡単だ。追う、ただそれだけでいいのだ。
だからそれらは駆け出した。知性がないから、ただ駆けた。
そして感じた気配にたどり着いたとき、それは再び、起こるべくして起こった。
ドオオオン
森の中を駆けていた九峪は、背後から響いてきた爆音に立ち止まって振り返った。
「はぁ・・・はぁ・・・・・・へへ、とうとうきやがった」
少し緊張した表情で、それでも口元を歪めて九峪は呟く。
すでに走り続けて一時間は経とうとしている。そろそろ体力の限界が近いが、それももう直ぐ終わる。
ここまででひたすら走り続けて、ひたすら罠を張ってきた。
必殺の一撃を持たない自分の、辛勝の一手。
これが成功すれば、皆助かって、自分も助かる。
打てる手は全て打った。失敗するなど端から考えていない。それでも駄目なら、もう自分には世界を怨むことしか出来ない。
後は、逃げるだけ。付かず離れずを繰り返して走ってきたが、それもこれまでだ。
後は張った罠に敵がかかるか、それだけ。
大丈夫だと、暴れる心臓を落ち着けながら、九峪は自分に言い聞かせる。
成功も失敗も、どちらにしても今の自分に出来ることは、逃げの一手のみ。
「そうだ、今はとにかく遠くへ・・・・・・皆のところへ」
止めていた足を、再び動かす。
凄まじく重い足だが、あとは皆のところへと向かうだけだ。
決して油断は出来ないが、それでも心は軽く感じる。
「さあ行くぞ、あと一踏ん張りだ」
自分を励まして、走る速度を気持ち程度ではあるが上げた。
響いてきた二度目の爆発音に、ソレは唸りを上げた。
遠方に見えるは立ち昇る煙。それは先ほども見た煙だった。
音が夜の森に響いて、煙が上がって、そして魔獣の反応がいくつか消えた。一瞬で、数体の魔獣が死んだのを感じる。
あり得ないと、ソレは思った。魔獣を一度に複数体殺すなど、人の身で出来るはずもない。そういうものなのだ。
耶麻台国の残党に、そんなことが出来る者がいようか。魔人を倒したのだって複数人でだ。
尚もって不可解。不可解の極み。
だが、面白い。
「この調子、調子ならば、魔獣どもは皆消え失せような」
ソレは感慨もなく、ただ事実を口にする。
戦いはいつ、どうなるかはわからないが、この調子で行けば魔獣は消え失せるだろう。
やつらには知性がない。だから学習もしない。
ただ愚直に進み、爆ぜ、そしてまた駆ける。
その辿り着く先は、考える必要もない。
別に魔獣が全滅しようが、ソレには関係がなかった。
退屈しなければ、それでいい。楽しめれば、それでいい。
魔獣も魔人もそのための道具、玩具にすぎない。
ここで残党に逃げられても構わない。長期的に考えれば、その方が楽しめる。だから見逃した。
そしてこの不可解も、ただ楽しむための、退屈を紛らわす玩具でしかない。
「カカカ、まぁよい。魔獣などまた召喚、召喚すれば換えは利く。・・・さて、ではわしも参加するとしようかの」
敵の居場所はまだわからない。ソレの感覚も、また魔力によって阻害されているのだ。
だがいずれは見つかる。魔獣が追って、その先にいる限り。
「さてどこまで持ち堪えて、持ち堪えて見せるのかの」
高まる高揚を抑えようともせずに、ソレは哂う。
魔獣が動き出した。どうやら魔力の気配を再び辿り始めたようだ。
ソレも魔獣の後についていく。怒涛の如き速さで駆ける魔獣たちに遜色ない速度で、ソレは木々の上を飛んでいく。
例え夜でも、ソレには関係ない。ソレにとって昼も夜も等しく無意味なのだ。明るかろうが暗かろうが、それで何も見えなくなるわけではない。
だから、その足は跳び続ける。木を蹴り跳ね、魔獣と共に空を駆けていく。
「・・・んん?あれは・・・」
五、六分ほど進んだときだろうか。ソレは魔獣より先んじてその場所に向かう。
自分達の進行方向に、あの波動を放つ幾何学模様が見えてきたのだ。
二重円の中に描かれた三角形、その中心に突き刺さる短剣。
それは先ほど配下の魔獣を盛大に吹き飛ばしてくれた、不可思議だ。
「本当に・・・・・・解からぬ、解からぬな。これは一体何なのだ?」
そう呟いても、答えは返ってこない。
見たことのない字。感じたことのない力。
模様だけを見たなら、それは左道士が魔獣や魔人を呼び出す時に用いる召喚陣に良く似ている。
術者としての経験から、これも何かを成す為のものであることは間違いないと思う。
だが似通っているがために、余計に解からない。
これがあの爆発を起こしたのには間違いない。数体いた魔獣をものの見事な肉塊に変貌させ、一瞬のうちに昇天させられた。
あれ程の爆発など、自分でも起こせないだろう。いや、出来ないことはないが、それでも自滅することも覚悟しなければならない。
あれがどのような代物かは知らないが、それでも簡単に制御できるような力ではないとわかる。
制御していないからこその爆発という考え方もあるが、それをもう三度も起こしているのだから、やはり興味深い。
戦士なのか術者なのか、それはわからない。だがこの身が感じる力は、余計に確信させる。
退屈せずに済みそうだ、と。
それは、何とも言えない愉悦だ。
「・・・む?」
爆発。
轟音。
噴煙。
また魔獣があの力に吹き飛ばされたらしい。
「カカ・・・せいぜい頑張るが良いわ。魔獣などに、魔獣などに食われるでないぞ。貴様は」
言って、ソレは跳躍した。
軽々と。
「貴様は、わしの獲物じゃ」
「はぁ、はぁ、はぁ」
走る、走る、ひたすら走る。
土を蹴り岩を飛び越え、草を掻き分け木々を避けて。
唯ひたすらに駆け抜ける。
「一体、どれくらい走ったっ、んだ?」
現在の時刻はわからないが、もうそろそろ朝になってもいい時間だということは何となくわかる。
だが例えそうだとしても、九峪の周りは相変わらず暗かった。
太陽がまだ山を越えていないのだから仕方ないが、それでもこの暗さは九峪の心を蝕んでいく。
元は唯の高校生。やや特殊ではあるが、夜の静かな学校や無人の廃病院にちょっとびびる男、それが九峪だ。
だから当然、夜の森に一人というシチェーションにも堪える。
闇は、音を門で閉じると書く。音とはつまり外界の存在であり、人との接触を指す。
それが閉じられるということは、孤独になると言うことである。
だから闇は、人を孤独にし、そして恐怖を与える。
それは当然、九峪にも言える事だ。
障害物だらけの道なき道を、闇が全て隠している。例え一歩踏み込んだ先が崖であったとしても、九峪は気づかず踏み込むだろう。
何も見えないのに、それでも立ち止まれない。自分を闇に追いやる恐怖が、直ぐ後ろにいるからだ。
このような状況は、現代に生まれ育った人間には耐えられないだろう。いつ発狂していてもおかしくない。
いや、もうしていてもおかしくはない。それほどの恐怖なのだ。
だが、九峪は狂えていなかった。心を蝕む恐怖は、しかしその全てを侵食は出来なかった。
目の前に浮かぶ、光の珠。それが放つ明かりと死への恐怖、そして少女との誓いが九峪を走らせていた。
魔獣たちとの距離は大分離れたはずだ。
油断など出来る状況でないことに変わりはないが、張った罠に敵が掛かる手応えを確かに感じて、それが希望に変わっていく。
成功したと、思えてくる。
だがどうだろう、安心は出来ない。
敵の姿は見えない。その全貌も知り得ない。
どれほどの規模で、どれだけの範囲で、敵が展開し、攻めてきているのか。
自分を追ってきていることはわかる。罠は確かに起動したし、何よりも自身が追われていると肌身に感じてわかっているのだ。
だがそれで全てがわかるわけではない。
自分は確かに追われている。だが敵の全てが追ってきているとは限らない。
全戦力が追ってきているかもしれない。一割程度しか追撃してこないかもしれない。
奴らにとって、魔術は未知のもの。それが脅威になりえると敵に示したつもりだが、さりとて全ての戦力をこちらにのみ振るのは余りに下策。
そもそもこの作戦は、その実は唯のはったりでしかない。
魔術という異常をもって、威嚇する。それだけのことでしかない。
真正面から戦えば、間違いなく負けるだろう。完膚なきまでに、殺されるだろう。
だからこれは、所詮はったりでしかない。そのはったりがばれる前に、逃げ切らなければならない。
最後まで騙し抜き、そして逃げ切る。
なんとも単純で、そして難しい。
敵が戦力を分散させて攻めていたら。その段階で、賭けは負けになる。
そう言う意味では、九峪は賭けに勝ったと言えよう。敵は間違いなく、戦力の全てを持って九峪を追っている。
だがそれを九峪は知らない。知らないから、走るしかない。
「全部こっちに、きてくれりゃあ、いいん、だがな」
九峪はこのとき、戦場における情報の必要性を強く認識した。
「皆は、どこら辺に、いるんだ・・・?」
里の皆がいるだろうと思われる方向を考えながら、九峪は走っている。
九峪は頭の回転が速くて、記憶力もある。学校の成績も、かなり上位にある。
自分が今まで走ってきた方向を考えれば、皆がいる場所もおおよそではあるが、わかってくる。
ただ、本当におおよそでしかない。
森の中には道がない。あったとしても、それは獣道と呼ぶに相応しく、九峪がそれを発見することは極めて困難である。
だからおおよそとはいえ、すれ違うことも十分にある。
もしもここで本当に道に迷えば、バッドエンド直行になってしまう。
「何、弱気に、なってんだよ、俺」
幸先の悪い未来を思わず想像して、九峪は顔を引きつらせた。
せっかくここまで上手くいっているのに、死ぬなど嫌過ぎる。
死んでやるつもりなどない。生きて皆のところに戻ると、約束したのだ。
決意はした。だが暗闇と言うのは、それでも人を弱くさせる力があるらしい。
それに抗うように、九峪は己を叱咤した。
しっかりしろ、と。
そう思った直後だった。
四度目の爆音が、夜の森に木霊したのは。
「これで四度目、ですね。父上」
隣で呟く志都呂の言葉に、秦野は無言で返す。
別に無視しているわけではないのだが、簡単に言葉を返すことも出来ないくらいに、秦野は疲れていた。
戦士である志都呂と違って、秦野は文の人である。
剣の代わりに筆を、技の代わりに知識を。
それが秦野であり、文官である。
その素養は、戦士である志都呂にもある。彼は剣だけでなく、知も持っている。それでも根っからの文官である秦野のほうが教養はあるのだが。
だがそれとは反対に、秦野は志都呂ほどに体が強くなかった。
それに秦野の年齢は、大体五十過ぎ。
だから鍛えられていない体に、この強行軍は堪えた。
それを察したのか、志都呂も憤ることもない。やはり、親子だ。
だから、一人でしゃべる。秦野が聞いているとわかっているから。
「九峪さんが無事だといいのですが」
「そうだな・・・。あの爆発がまだ続いているというのであれば、おそらくは無事なのだろうが」
口を開く伊雅。
その言葉には九峪の身を案じる心配と、逃げることしか出来ない自分への憤りと悔しさが滲んでいるようだ。
だがまだ希望はある。
九峪の張った罠に魔獣が掛かった音は、伊雅達のところにも響いてきた。
爆音は、即ち九峪の生存の証となっていた。
別に音がしたからと言って、九峪が無事とは限らない。罠であるから、どうしても時間差は生じてしまう。
しかしそのことを知る由もない。
「戸津浦までは、そろそろですね」
「ああ、もうじき夜も明けようて。それに使者を送ってもうじき経っているから、向こうからも武装した戦士が送られるはずだ」
戸津浦へ向かった二人の若者は、伊雅と秦野からある言伝をされていた。
武川の里の住民の受け入れと、護衛兵の派遣だ。
武川と戸津浦の親交は厚い。近隣の里であるし、武川には伊雅もいるのだ。
「キョウ様も、ずっと袋の中でござったからな」
秦野の抱える袋を一瞥して、伊雅はため息を吐いた。
耶牟原城陥落のとき、伊雅は王族直系の女児と共に、天魔鏡も持って逃げ出していた。
しかしその時に、女児と天魔鏡は行方知れずとなってしまったのだ。
そのことを、伊雅は激しく後悔した。愚か者と、己を嘲った。
だから今回は、天魔鏡はずっと袋に入れっぱなしになっている。もしここで紛失などしてしまったなら、大きな求心力と、九峪からの信頼を失うかもしれない。
それはとてつもない恐怖だ。
それに、もしここに神器があると敵に知れれば、天魔鏡を破壊されるかもしれないのだ。
キョウとしてもそれは御免被る所だ。自己保身の強いキョウは、伊雅と秦野の提案に素直に従った。
しかしそれもまた、伊雅には心臓に悪いことだった。神器の精ともなると、その地位は伊雅よりも上にある。
これは狼藉だろうかと、落ち着いた今はそんなことも考えているほどだ。
まぁそれでも、天魔鏡を永遠に失うよりはずっとましだ。
「はやく、九峪殿のところに向かいたいが」
「今は唯歩くしかありません、伊雅様。九峪さんを助けたいのならば」
「・・・うむ、そうだな。・・・・・・お前は、どんどん秦野に似ていくな」
伊雅の思わぬ言葉に、志都呂は目を見開いた。
「・・・父上に、ですか?まぁ親子ですから」
志都呂の言葉に、伊雅は笑顔を浮かべる。
「そうだな。確かに親子だよ、お主らは。だから似ていくのだな。・・・・・・わしはどうも、血気に逸るのだ。兄上からは、後先考えず思慮に欠けると、よく叱られたものよ」
懐かしむように呟く伊雅を、志都呂は見つめる。
兄上と言うのは、耶麻台国最後の国王だ。
彼の王は聡明だったと聞いている。
知に富んだ兄と、武に富んだ弟。
兄が国を治め、弟が軍を率いた。
まさに正反対。だがだからこそ、良い国だったと秦野は言っていた。
兄は弟の知となり、弟は兄の武となった。
互いに足りないものを、見事なまでに補っていたと。
それはまるで、番であった。
「兄上亡き後、わしの知となったのが、秦野だった。奴の言葉が、逸るわしを諌めた。・・・先ほどのお前のようにな」
そう言われて、志都呂は僅かに微笑んだ。
父が伊雅に信頼されていると、それが嬉しかった。
その父に自分が似てきていると、それはまさに歓喜の言葉になった。
「そう・・・逸るだけでは意味はない。今は歩かねばな、生き残るためにも」
「・・・はい!」
応えて、志都呂は前を向いた。歩くことに専念する。
足が軽くなったような気がした。
「きゃっ!?」
小さく叫んで、衣緒は転んだ。
石にでも躓いたのか、つんのめる様にして転んだために、地面に突いた膝から血が痛々しく出ている。
「うぅ・・・いたい・・・」
涙目になりながら、衣緒は立ち上がろうとする。
しかし痛みと疲労で、上手く立ち上がれない。
「衣緒おねえちゃん、だいじょうぶ?」
心配そうな様子で、羽江がしゃがみながら衣緒を見る。
流石の羽江も、衣緒の痛々しい姿を見て悲しくなってきた。
「羽江・・・ひっ、いたいよぉ・・・」
目からぼろぼろと涙がこぼれる。
衣緒の性格を表すならば、優しいであろう。気が弱く、温厚で、傷つけあうことをよしとしない。
姉妹喧嘩はやるが、それでも自分から手を出すということはなかった。誰かを『攻撃』するのが嫌いなのだ。
その分、打たれ弱くもある。外面的にも、内面的にも。
「お、おねえちゃん、なかないでよぉ・・・ど、どうしよぉ」
泣きやすいのはいつものことだが、やはり慣れない。どうすればいいのかわからず、羽江は困り果てた。
「羽江、衣緒。どうしたの?」
あたふたしている羽江に、星華が声をかけた。
「衣緒、怪我したの?」
心配そうに、星華が衣緒に質問する。それは王族としてではなく、純粋に姉として。
聞かれて、衣緒は「うん・・・」と泣きながら応えた。
「ええっと、どうしよう・・・」
泣きじゃくる衣緒と困り果てる羽江に、星華もどうすればいいのかわからず考え込んだ。
星華は怪我の手当ての仕方を知らない。王女だから、学ぶ必要がなかったのだ。
自分達の誰かが怪我をした場合は、侍女が全てやってくれた。
「星華さま、みんな。どうしました?」
背後からした声に、星華は振り向いた。
「あ、亜衣!」
後ろにいたのは亜衣だった。途端、星華がほっとした顔をした。
それをいぶかしんだ亜衣も、衣緒の様子を見て合点がいったのか、一つ頷いた。
「待っててください、大人の人を呼んできます」
そう言って、走っていった。
「衣緒。亜衣が人を呼んでくるから、それまで我慢して」
しゃくりを上げる衣緒に、星華は努めて優しく言った。
衣緒はまだ泣いているが、それでも頷いて応えた。
「よしよし、いい子ね」
衣緒の頭を優しく撫でる。
「ああ、衣緒おねえちゃんずるいよぉ。星華さま、わたしも〜」
羽江が言いながら星華に抱きついた。
ちょっと困ったが、結局羽江の頭を撫でてやる。
右手で衣緒の、左手で羽江の頭を撫でる。
何とも不思議で、微笑ましい光景。今が非常に危険な状況だと、忘れてしまいそうだ。
ふと、星華は思った。
こうして妹達の頭を撫でるのが、久しぶりだと。
昔は、よく撫でていた。遊んでいるとき、悲しいとき。
喧嘩したときも、最後には仲直りして、そしてこうして頭を撫でた。二人の気持ちよさそうな顔を、思い出す。
「ふふ・・・」
自然と、笑みがこぼれた。
「星華さま、どうしたの?」
「ううん、何でもない」
「?」
よくわからないが、嬉しそうならいいかと羽江は頭を撫でられる。
羽江も嬉しいのだ。
本当に気持ちいい。
「おねえちゃん、だいじょうぶ?」
すすり泣く衣緒に、羽江は声をかけた。
頭を撫でられて落ち着いたのか、「うん」と応えた。
星華の優しい手に、衣緒もまた嬉しくなった。
痛いけど、でも嬉しい。痛みが引いていくような、そんな気さえしてくる。
嬉しい。三人は嬉しかった。
こんな風にふれあうのが、たまらなく嬉しかった。
「星華さま、志都呂さんを連れてきました」
しばらくして、亜衣が志都呂を連れて戻ってきた。志都呂の後ろには、なぜか案埜津までいる。
「衣緒様が怪我をしたと聞きましたが」
「はい、お願いできますか?」
「おまかせください。では衣緒様、怪我を見せてください」
言って、志都呂は衣緒の手当てを開始した。
手当てはあっという間に終わった。重症というわけではないので当然だ。
だが流石に自力で歩くことは無理で、志都呂がおぶっていくことになった。
歩きながらも、星華と衣緒と羽江は機嫌が良かった。
「三人とも、嬉しそうだね。どうしたの?」
気になって、案埜津は羽江に問いかけた。
案埜津は亜衣と志都呂の話を聞いて、衣緒のことが心配になってきたのだ。
同い年の少女。交流は少ないが、心配になった。
「えへへ。えっとね、いいことあったの」
「いいこと?」
「うん!」
頷いて、羽江は歩く。
いい事と言うのが気になったが、あえて聞かないことにした。
きっと、それは三人にとって、大切なもののように感じたからだ。
根拠はない、ただそう感じたのだ。
それに。
「・・・嬉しいなら、それでいいか」
そう思ったのだ。
そうして歩くこと暫くして。
聞こえてきた。
男の声だ。こっちに向かって走りながら、男は叫んでいた。
「助けが来たぞーーー!!」
と、ひたすらに。
六度目の爆音が、聞こえてきた。
九峪は足を止めて、振り返った。
「はぁ、はぁ、はぁ・・・・・・これで、全部・・・」
息も絶え絶えに、九峪は呟く。
張った罠は六つ。それが全て起動した。
つまり、敵が罠に見事に掛かったことの証明だ。
「・・・へへ、やった」
知らず、笑みがこぼれた。
まだ敵は残っているだろうが、それでも大打撃は与えたはずだ。
何せ六回だ。六回も敵を吹き飛ばしたのだ。
これで駄目なら諦めるしかない。
それに体力も魔力も、ほとんどの憩っていない。傷口からは、血が滲んでいる。
そろそろ痛み止めの効果もなくなる。
いや、もう殆どなくなっていた。
じくじく痛む。
「っ・・・く、いてぇ」
傷に手を押さえて、呻く。
だがこれで、少しは余裕が出てきた。
生存の確率が、跳ね上がったのだ。
痛みよりも、喜びのほうが大きい。
「・・・みんなの、ところへ」
走り出そうとした。
瞬間。
ゾク
寒気がした。
「っ!?」
体が、止まった。
息が苦しい。
傷の痛みが、消えた。
汗が吹き出て、体が震える。
「な、なんだ・・・?」
やっとの思いで出した言葉が、これだった。
その直後に。
木々が、いや森が、薙いだような気がした。
「カカカ・・・」
聞こえてきたのは、そんな哂い声。
聞く者を不快にさせる、そんな哂い声。
その声を聴いた瞬間、重圧が体に掛かった。
もちろん本当に掛かったわけではない。だがそう感じさせるほどのプレッシャーが、体全体を包み込む。否、圧し掛かる。
「だ、誰だよ、出てこいよ!!」
意識したわけではないのに、叫んでいた。
怖い。
たまらなく、怖い。
狗根国兵より、魔獣より。
声だけなのに。
何故こんなにも。
俺は、恐怖している?
「カカカ・・・・・・」
哂う。
ソレは、空から降ってきた。
「!?」
いきなりな登場の仕方に、面食らう九峪。
まるで重力などないという風な着地。風のように、鳥の毛のように、柔らかく着地した。
だがそれ以上に、九峪は驚愕した。
「が、骸骨・・・?」
そう、ソレは骸骨だった。
黒い豪奢な服を着て動いてはいるが、その頭は生気を感じさせない骨だった。
骸骨と言われたソレは、愉快そうにまた哂う。
「カカカ。骸骨と、骸骨と言うか小僧」
そう言った。言っただけで。
凄まじいプレッシャーが、九峪に襲い掛かる。
「ふむ、これが不可解の、不可解の正体か・・・」
据え付けるように、九峪を見る。
それだけで、鳥肌が立つ。
直感が、九峪の頭に響く。
あれは危険だ、異常だ。
逃げろ。
今、直ぐ、逃げろ。
そう言ってくる。
だが、それを九峪はなけなしの理性で押さえ込む。
本能とは別に働く意思、理性が言っているのだ。
逃げられないと。
それに引くわけにもいかない。ここで逃げて、住民に何かあったら。
それこそ、目も当てられない。
「・・・お、お前は・・・狗根国の、左道士・・・か?」
途切れ途切れの言葉。恐怖の余り、口元が引きつる。
「左様。わしは狗根の、狗根の左道士」
区切って、ソレは口元を歪めた。
歪められたように、九峪には見えた。
それはあまりに醜悪な。
顔だった。
「左道士官・蛇蝎じゃ。覚えておけ、小僧」
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