九洲炎舞 第十五話「炎〜かぎろい〜」 (H:ゲーム+小説 M:九峪・志都呂・伊雅・案埜津・星華・宗像三姉妹・蛇蝎・オリ J:シリアス)
日時: 03/14 16:34
著者: 甚平



「左道士官・蛇蝎じゃ。覚えておけ、小僧」

「左道士官・・・・・・蛇蝎・・・」

その名を、九峪は繰り返し口にした。

姿だけならず、禍々しい響きのする名前だ。

それに、存在そのものも禍々しい。

「お前が、里を・・・襲ったのか?」

蛇蝎の放つ邪気に中てられながらも、九峪はこの事件の黒幕と思われる存在にそう問いかけた。

魔獣を使役できるのは左道士だけだと、志都呂は言っていた。

そして目の前の骸骨は、自らを左道士と名乗った。

ここまで考えれば、当の本人に聞くことなど愚問以外の何ものでもないが、何か言わなければ負けそうだったのだ。

何かを言わなければ、蛇蝎の放つ強力で凶悪な邪気に、押しつぶされそうになる。

「カカカカカ・・・・・・ああ、そうだ、そうだとも。貴様らを襲った魔獣を現世に呼んだのは、このわしよ」

心底愉快そうに応えた蛇蝎に、九峪は戦慄した。

ここまでで交わした言葉は、一つ二つだけでしかない。

だがその少しの間に、九峪は痛烈に理解した。

目の前の異常は、とことん狂っている。

殺すことに快楽と悦びを持っている。否、そういう感情を持っているのかさえ疑わしい。

人として必要なものが何一つなく、人に不要なものを山のように抱えている。

―――いや。

きっともう、人ですらない。

それが、理解できた。だから、恐怖した。

「どうした小僧?足が、震えておるぞ?」

蛇蝎の放った言葉に、九峪は慌てて足元を見た。

自分でも気づかないうちに、足が激しく震えていた。

それは最早小刻みなどという生易しいものではなく、文字通り生まれたての子羊を髣髴とさせるほどだ。

震えているのは足だけではなかった。

体全体も、震えている。足ほど大きなものではないが、寒気がするなどという次元のものでもないことは容易にわかるほどに震えている。

この様を十人が十人、口を揃えて言うだろう。正常ではないと。

こんな状態では、普通は立っていられないだろう。

いや、立つどころの話ではない。大の大人でさえ、失禁してもおかしくはない。気を失っても、おかしくはない。

それほどの恐怖と重圧を、蛇蝎は放っているのだ。

現代で安穏と生きた人間には、耐え難いものだ。

日常的に殺気を受けることさえないのに、蛇蝎の放つものは、すでに狂気と言っていい。

狂わないほうが、おかしい。

それでも九峪は立っていた。

現代人としては特殊な部類に入る九峪は、この世界に来てさらに変わっていった。

九峪になかったのは、殺し合いの経験と、人殺しの経験だ。現代において狂人と呼ばれる者達が持ちえる、狂気の経験。

それを持たなかったからこそ、九峪はこの異世界という舞台で尚、『現代人』であった。

しかし九峪は手にしてしまった。経験を。

その瞬間、純粋で正常な『現代人』ではなくなった。

だから、蛇蝎の常軌を逸した狂気に晒されて尚、立っていられた。

立っていられたからと言って、それが慰めになることはないが。

「怖いか、わしが?恐ろしいか、この蛇蝎が?」

震え上がる九峪に向かって、蛇蝎は嘲るように言葉を投げかける。

その声は、先ほどのような悦びだけのものではなかった。僅かながらに、侮蔑が混ざっている。

(ふん。この程度、この程度か?確かに異質ではあるが・・・中身はそうでもないか)

狂気に怯える九峪に、蛇蝎は些か減滅していた。

自分の乾いた飢えを、僅かでな一時でも満たせるかもしれないと期待したのに、それを扱う人間がこうも弱い存在だとは。

もしもこれが伊雅ならば、怯みはするものの臆することはないだろう。それどころか強気な姿勢で、蛇蝎に啖呵を切るかもしれない。

だが目の前の小僧はどうか。見ただけでわかる、戦いなれていないと。

九峪がいくら実戦を経験しようと、所詮は付け焼刃に過ぎない。

殺すこと、殺されることが当たり前の存在相手には、これがギリギリのラインなのだ。

これが、限界なのだ。

だが九峪の正体を、蛇蝎が知る由もない。だからこそ拍子抜けしたし、幻滅もしている。

(まぁ奴も生き物。追い詰めればそれなりに、それなりに楽しめるかもしれぬ)

減滅はしたが、興味が失せたわけではない。

戦えないのならば、戦えるようにすればいい。

「怯えているだけでは、死ぬぞ?戦わなければ」

踏み出して、蛇蝎は言った。

「貴様がここにいる理由は大体わかる。大方我らを引き付ける、引き付けるための囮と、いったところか」

蛇蝎の言葉に、九峪はないも言えない。正しくその通りだった。

だがそれに驚きはしない。考えれば、その結論に行き着くことは、不思議ではないからだ。

それでも追ってきたということは、九峪を脅威と認識した、放っておくことは出来ない存在だと認識したということ。

そこまではいい。それこそが九峪の狙いだったのだから。

だが賭けは明らかに―――九峪の負けだ。

そもそも逃げ切ることを前提として、この作戦は成り立っていた。追ってきた相手を撒いて、何とか味方のところまで逃げ切ることが目的だった。

正直、途中までは九峪の予想通りだった。

例え追いつかれてしまったとしても、術者相手ならば遅れを取ることもないとさえ思っていた。

嘗めていたとしか、言いようがない。驕っていたとしか、言いようがない。

敵が危険過ぎる部類に入るものだとしても。

それを差し引いても、どうにもならない。

わかるのだ。自分ではアレに勝てないと。

最早これは魔術云々の問題ではない。あらゆる面で、蛇蝎は九峪を凌駕していた。

勝てる道理が、なかった。

その事実を九峪は正しく理解した。

理解して、悟る。

死ぬ、と。

「戦わないのか、小僧?それとも戦えないのか?」

更に一歩踏み込む。プレッシャーとなるように、あえてゆっくりと。

九峪の戦意は、もうほとんど残っていなかった。それでも、蛇蝎は余計に追い込んでいく。

追い詰めれば追い詰めるほど、人間は強くなるからだ。

やることに、遠慮がなくなる。

気圧されて、九峪は震える足で一歩下がった。

「来ないのならばこちらから、こちらから行かせてもらうぞ」

言って、蛇蝎の背後の林がざわめいた。

林の中から出てきたのは、ヒトだった。余りに歪な。

「―――なっ!?」

それを見た瞬間、九峪は身震いし、戦慄した。

「―――――――――」

もはや、言葉もなかった。

口を半開きにして、呆と出て来たそれを見る九峪。

出て来たそれは、九峪の見たことのないものだった。

人の形はしている。人間の特徴も、よく見ればあるにはある。

だが明らかに人間ではない。

近しい存在を挙げるならば―――魔獣がそれだろう。

獣の対となるものを魔獣とするならば、あれはさしずめ人間の対となる存在。

―――該当するものが、一つだけあった。

だがそれはここまで、ここまで人と違うものなのか?

ここまで、異形なのか?

「小僧、呆けている暇はないぞ?魔人を相手にそれでは・・・・・・死ぬぞ」

冷たい言葉に、ハッとする九峪。正気にはなったが、だからとてどうにもならない。

本能が告げる。あれはヤバイと。

「アレが・・・・・・敵だナ」

昔話に出てくる鬼のような風貌をした魔人は、九峪を視界に捉えて確認するように呟いた。

そして右手に持つ巨大な斧を、上段に構える。戦いの姿勢だ。

「戦わなければ死あるのみ。ならば足掻いて見せい。もしかしたら、もしかしたら倒せるかもしれぬぞ?」

「―――っ」

蛇蝎の放った言葉に九峪が反応するのと、魔人が走り出したのはほぼ同時だった。






















「ようやく・・・・・・ようやく来たか」

疲れきり、それでも嬉しさを隠せず伊雅は呟いた。

闇の向こうには大小様々な光。そして照らされ映し出される人の姿。

それは、武川の住民が待ち望んでいた、戸津浦の兵士達だった。

「伊雅様、里長。ただいま戻りました」

使者の二人が駆け寄ってきて伊雅と秦野の前で膝を付いた。

「ご苦労であった、二人とも」

「は、有り難きお言葉」

伊雅の労いに、二人は平伏する。

副王から直接労われるなど、誉れ高いことだった。

「私からもお礼申し上げます。よくぞ使命を全うしてくれました。これで皆助かります」

秦野も二人に労いの言葉をかける。里長として、二人のことを誇りに思っていた。

跪く二人の後ろから、戸津浦の兵士が一人伊雅たちの下へ近寄ってきた。

そして使者の二人と同じように、その場に跪いた。

「お主は?」

「拙者は部隊の隊長を務めている者です。伊雅様も、ご無事で何よりであります」

「おお、そうか。よく来てくれたな。これで我らも助かったぞ」

心底ほっとした様子で、伊雅は息を吐いた。

ここまで緊張しながら、ひたすら歩いてきたのだ。自分などはまだいいが、戦場を知らない住民にはかなりの負担になっていたはず。

それがようやく開放されたのだ。安堵から、伊雅は笑みを浮かべた。

「直ぐにでも皆を戸津浦へ護送したく思います。疲れているかとは思いますが、どうかもう暫しの辛抱を」

「わかっておる。助けに来てくれたのだ、疲れているなどとは言えん」

頷いて、隊長は立ち去ろうとする。

しかしすんでのところで、秦野が呼び止めた。

「すみません、実は兵を少し貸していただきたいのですが」

「・・・構いませんが、何か用でも?」

「ええ。実は仲間が一人、囮として残っているのです。その方を助けるために、兵を貸していただきたいのです」

秦野の申し出に、隊長は考え込み。

「失礼ながら。わざわざ囮一人のために、貴重な戦力を割けと仰るので?」

隊長の言葉に伊雅が何かを言おうとしたが、秦野は手で制した。

その光景を隊長は内心で疑問に思ったが、秦野の思惑もわからないので黙る。

「確かに、普通ならば貴方の言うとおりでしょう。囮は孤立することを覚悟しての役目ですから。しかしあの方は違うのです」

「違うとは?」

「あの方は、耶麻台国復興に必要な方なのです。今ここで失うことは、決してあってはならないのです」

真実を知っているからこそ、秦野は万感を込めて言い切った。

決して失うわけにはいかない。九峪は間違いなく復興の切り札になるのだから。

それほどの価値を持っているのが、『神の遣い』なのだ。

「そうだ、あの方を失うことは、あってはならない。何としても助け出さねばならんのだ」

伊雅にも言われ、隊長は深く考え込んだ。

里長の言葉ならば、抑えようはいくらでもあった。だが副王の言葉となると、そうもいかない。

なにより、二人がこれほどまでに必要とする人物だ、かなり位の高い人間かもしれない。

もしも見捨てたなら、それは不忠になるかもしれない。

隊長は根っからの九洲で、軍人だった。耶麻台国への忠義は厚い。

「・・・わかりました、兵をお使いください」

下した決断は、指示に従うと言うものだった。

「ですが、その方の顔を我々は知りません。そちらから一人出していただかなくては」

「わかっていますよ」

言って、秦野は志都呂に向き直る。

それだけで、志都呂は秦野が何を言わんとしているのか、理解した。

志都呂は頷いて、同意の意を示した。

「この者が、顔を知っています。連れて行ってください」

「志都呂と申します。道中よろしくの程を」

隊長に頭を下げて、軽く自己紹介する。

志都呂の挨拶に隊長も答えると、すぐさま伊雅と秦野に向き直った。

「兵をまとめ次第、直ぐに向かいます」

「うむ、頼むぞ。見事任務を果たしてくれ」

「はっ、必ず」

一礼して、隊長は志都呂を連れてその場を後にした。

小走りに去っていく二人を見送った秦野が、伊雅に顔を向けた。

「伊雅様、行きたそうな顔をしていますね」

その言葉に、伊雅が難しい顔をする。

「行けるものなら、行きたかったわ。だがそういうわけにもいかんだろう。わしまでいなくなっては、誰が皆を守るのだ」

「・・・そうですか、そうですな」

この一言に、どれほどの思いが込められているのか。

秦野はそれを考えて、一人息を吐いた。






装備を整えて、いざ出発と言うときに。

「志都呂さん!」

幼い声に呼ばれて、志都呂は振り返った。

見れば、星華たち子供が近寄ってきていた。

「星華さま方、如何なされました?」

「九峪さんを助けに行くと聞きました。だから・・・」

志都呂の前で立ち止まった星華は、息を整えながら応えた。

星華だけでなく、案埜津や衣緒、羽江、亜衣も肩で息をしていた。

志都呂が合流した兵士達と一緒に九峪の救出に向かうと聞いて、ここまで走ってきたのだ。

怪我をした衣緒も、走ってきたのだろうか。

そう考えてて、志都呂は微笑んだ。

「九峪さんは、大丈夫でしょうか・・・?」

心配そうな表情で言った星華。その思いはきっと彼女だけのものではない。

子供達は九峪のことを慕っている。きっと彼の人となりがそうさせるのだろう。

志都呂自身、九峪と出会ってまだ数日しか経っていない。それでも、信用している。

子供に好かれる人間は、その根底がとても優しい人間だ。そして九峪はとても親しみやすいのだ。気安くはあるが、それが嫌にならないし違和感もない。

人を惹きつける何か。現代で言えばカリスマと呼ばれる素質を、九峪は僅かばかり持っていた。

もちろんそれは古代と現代という、余りに違いすぎる世界での価値観や文化の相違から来るものも強いが、それを抜きにしても九峪という人間は気さくな性格をしていた。

そんな九峪を子供が慕っていると言うのは、何処か微笑ましいものがある。

案埜津だけに限らず、少女達にとって九峪は兄貴分なのだろう。

だからこの関係を失わせてはならない。その思いが、志都呂の力となる。

「心配要りません。私達が必ず九峪さんを救出してご覧に入れます」

「お願いします。・・・私にも、戦う力があれば」

心底悔しそうに呟く星華。こういうときに、力になれない自分が恨めしい。

「戦うばかりが、救いではありません。ですから、祈っていてください。彼の無事を」

「はい・・・」

顔を上げて応えた星華に、志都呂は微笑んだ。

星華の横にいた案埜津が、一歩前に出て志都呂を見上げる。

その瞳に強い意思が宿っているのを、志都呂は漠然と感じ取った。

「九峪を・・・お願い」

静かな言葉だ。しかしそれだけの中には、切なる願いが宿っている。

「九峪は帰ってくるって言った。だから」

それだけで、志都呂には十分だった。そっと、案埜津の頭を撫でる。

九峪とはまた違う感触。だが案埜津は、嫌ではなかった。

「ええ、まかせてください」

そう言ったときに、兵士達に声をかけられた。

いよいよ出発するらしい。

「では、いってきます」

走り出した志都呂の背中を、少女達はただ静かに見送った。

















「がはぁっ」

地面を数回バウンドして激しく転がり、九峪は苦悶の声を上げた。九峪の周りには木の枝や、木そのものがへし折れて倒れている。

転がっていた九峪は、止まるとのろのろと立ち上がった。体中に傷が出来ているが、そのほとんどが切り傷や擦り傷で、しかし致命傷となる外傷は一つもなかった。

今のところは。

「はぁ、はぁ、はぁ・・・・・・ちくしょうなんだよアレは、反則じゃねえか」

疲労困憊といった様子で、九峪は悪態をついた。

「ほう。まだ無駄口を、無駄口を叩く余裕があるか。若いな」

闇の中から現れた蛇蝎は、感心した風もなく言った。

その直ぐ横には、巨大な人影。今しがた、木もろとも九峪を吹き飛ばした魔人だ。

傷だらけの九峪に比べて、魔人は無傷だった。痛がる様子も、疲れた様子もない。

この魔人に、九峪は手を焼いていた。いや、焼いているなどと言う生易しいものではない。まったく手も足もでないのが実情だ。

魔人という存在が、如何に危険なものかと言うのを志都呂から聞いていた。だが実物を見ていなかったために、それがどれほど危険かという認識が甘かったのだ。

嘗めていたわけではない。だが油断があったのは事実。

殺し合いの経験が絶対的に少ない九峪に、そういう甘さがあるのは仕方がないことではあるが、そのことが九峪を最悪の状況に追いやっていた。

九峪の武装は霊珠と、二本の飛翔剣のみ。あと六本の短剣は、罠を起動させるために使い捨ててきた。

手元に二本残したのは、『いざ』というためだ。

その『いざ』が、まさかこのようなことになるとは、露と思わなかったが。

人間相手で八本全部使っていたのだ。この化け物相手でこれは余りに無謀だとは、九峪にもわかる。

「っくそったれ」

吐き捨てて、短剣を構える。いつでも投げられるようにしているが、勝てる気はまったくしない。

飛翔剣は何度も魔人目掛けて飛んでいった。その尽くが、無情にも弾き返されるのだ。

魔人はその体に似合わない速さと俊敏さで、飛翔剣を得物である斧で叩き落している。

それを何とか回収してまた投げてを繰り返しているのだが、やればやるほど理解する。

アレは、人間がどうこうできるものではない。

それでも構えるのは、死にたくないからだ。蛇蝎の言葉ではないが、死にたくないから戦うしかないのだ。

それがどれほどの徒労で、無意味だとしても。

「マダ立ちあがルか・・・・・・人間のブンざイで」

詰まらなさそうに言う魔人の横で、蛇蝎も詰まらなさそうにしている。

(追い詰めても、追い詰めてもこの程度か)

心中で思うのは落胆。確かに戦いはした。だがその姿勢には明らかな怯えと、どうしようもない無力を感じた。

九峪の使う術は、見事に蛇蝎の目を引いた。

だがそれだけだ。

それ以上に、思えることはなかった。

蛇蝎の飢えを満たすには、九峪は余りに弱かった。

(所詮は人間、ということか)

寧ろ持ったほうだろうと蛇蝎は思う。普通の人間ならば、最初の一撃で砕け散っていたはずだからだ。

そう言う意味では、九峪は予想外ではあった。

だが、それもここまでだ。

九峪は疲れきっている。肩で息をして、額からは汗が滝のように流れているのだ。

動きも鈍く、命運は尽きかけていた。

「・・・もうよい。そやつをさっさと、さっさと殺してしまえ」

心底どうでもよさそうに、蛇蝎は言い捨てた。

九峪は既に、興味外の存在となっていた。

蛇蝎に言われ、魔人は走り出す。斧を振りかぶって、それを九峪に向かって振り下ろした。

間違いなく、必殺の一撃だ。直撃すれば簡単に挽肉にされてしまいそうな、強力な攻撃。

だが魔人の一撃は、九峪の頭上寸前で静止した。

不可視の力場が、魔人の斧を食い止めているのだ。それは白い霊珠から発生した、振動の壁。

空気を震わせながら魔人の斧を食い止める力場は、大概の攻撃は防ぐことは出来る。

だがしかし、魔人が放つ一撃の前では、気休めにしかならない。

「ニん・・げん・・・ガアアアァァァァァァ!!!」

斧を一端引いて、今度は横薙ぎに振るった。

フルスイングで放たれた攻撃は、霊珠の力場ごと九峪を軽々と吹き飛ばした。

「あああぁぁぁっ!」

悲鳴を上げながら、九峪は木に激突した。

余りの痛さに、気が遠くなりそうだ。唯でさえ疲労が溜まっているのに、体中の傷と過度の魔力消費。

それだけでは飽き足らず、胸の部分が異常に痛い。焼けるような痛みは、おそらくどこか骨折したからだろう。

このまま放っておいても、九峪は死ぬ。それほど痛めつけられていた。

「か・・はっ・・・」

余りの痛さに、呼吸が上手く出来ない。肺の中から酸素が全て抜けてしまったような、そんな苦しさを感じる。

「まだ生きておるか。中々しぶとい、しぶといな」

遠退きかけていた意識が、そんな言葉によって引き寄せられた。

ぎこちない動きで首をめぐらせると、そこには蛇蝎と魔人が立っていた。

距離にして五メートルほど。それが九峪と蛇蝎たちの立ち位置だ。

「人間にしては良く持ったと、褒めてやろうか」

言って、杖を前にかざす。

「だが、貴様はここが限界、限界のようだな」

杖に導かれるように、魔人が歩いていく。

走らないがそのゆっくりとした進みは、まるで忍び寄る死神のように九峪には見えた。

「こんドゴぞ、殺しデヤる」

斧を肩に担いで近寄ってくる魔人を、九峪は見上げる。

体力は尽きかけていた。魔力も、もうほとんど空っぽだ。

九峪の脳裏に、明確な『死』が過ぎった。

絶対不可避の、『死』だ。



―――死ぬ?俺が?



―――ここで、死ぬのか?



―――現代に、帰れもしないで。



―――皆の所に、帰れもしないで。



―――ここで、俺は。



「―――――――――いやだ」

小さく呟かれた言葉は、森の喧騒に掻き消える。

それが蛇蝎や魔人の耳に入ることはなかった。

「いやだ・・・いやだ・・いやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだ」

壊れたレコーダーのように、繰り返される言葉。それは、今度は蛇蝎の耳にしかと入った。

「・・・壊れたか。何とも呆気ない、呆気ない幕引きよな」

その言葉には、侮蔑さえ感じられた。

最期の最後で見苦しい。僅かな一時とはいえ興味を持った相手なだけに、残念と言う気持ちを超えて軽蔑さえしてしまう。

魔人が、九峪の目の前まで来た。

立ち止まって、九峪を見下す。

魔人は何も言わない。殺すことしか頭にないのだ。


(いやだ・・・死にたくない)


担いだ斧を、後ろに引いた。


(約束・・・約束、したんだ)


それを今度は力を込めて持ち上げる


(帰るって・・・そう言ったのに)


斧が、振るわれる。


(案埜津・・・志都呂・・・・・・日魅子)





      りいぃぃん





鈴の音が、聞こえた。

「っ!!??」

「ぬ、何だこれは!?」

只ならぬ気配を感じて、蛇蝎と魔人は驚愕した。

その気配は九峪からしている。とても強い力、罠から発せられたものよりも遙かに強い力が、九峪から感じられるのだ。

だが驚いたとても、もう斧は止まらない。そのまま九峪の体を砕い―――


「ああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」


悲鳴のような叫び声を上げながら、九峪は起き上がって握っていた飛翔剣を魔人の斧にぶつけた。

斧と飛翔剣が接触した瞬間、白い霊珠が一際強い光を放った。

接触面に波間のような波紋が広がる。

「ゴ、のおおおおォォォォォォォ!!」

押し切ろうと魔人は更に力を込めた。だが斧がそれ以上進むことはなく。

  バキィッ

そんな音と共に、斧は飛翔剣もろとも砕けた。

「なっ、何じゃとぉ!?」

その余りの光景に、蛇蝎が声を上げた。

まさか魔人の渾身の攻撃を防ぎ、あまつさえ武器を破壊するなど、誰が想像できようか。

驚いたのは魔人も同じだ。今まではこの奇妙な不可視の壁もろとも吹き飛ばしていたのに、今度はそれが出来ないばかりか得物まで破壊されたのだ。

決して、信じられるようなことではない。

その衝撃的な出来事が、魔人の動きを遅らせた。

「あああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」

魔人は止まっている。だが九峪はまだ動いていた。

飛翔剣は砕け散った。だが九峪にはまだ一本残っている。

最後の、飛翔剣だ。

九峪はそれを思い切り振りかぶった。

「っ如何、避けろ!!」

蛇蝎は直感した。あれを直撃しては、いかな魔人と言え、ひとたまりもないだろうことを。

だが魔人は完全に固まっていた。低級の魔人は知能が低い分、己の力を過信しすぎる傾向がある。

そのため予想外の出来事が発生した場合は、対処が出来なくなるのだ。

「ちぃ」

舌打ちして、蛇蝎は呪を紡いだ。

「禍し餓鬼!」

両手を前にかざして放たれた左道が、魔人の直ぐ横を通って九峪に向かっていった。

術としては特別強力というわけではないこの左道は、だが詠唱が短いと言う利点があった。

それに直撃すればどのみち唯ではすまないのだ。ならばこれで十分だろうと思い放ったのだが。

目の前の光景に、蛇蝎は再び驚くことになった。

「な、んじゃとぉ・・・?」

九峪を飲み込み殺すはずだった術は、接触する寸前に完璧なまでに霧散してしまったのだ。

まるで霧になったように。

霧散した呪力の光の中で、九峪は飛翔剣を地面に思い切りつきたてた。

魔人にではなく、地面にだ。

蛇蝎はそのことに一瞬疑問を感じたが、一瞬強いざわめきを感じた。

(これは・・・まずい、まずいぞ!)

確信があったわけではない。ただの直感ではあるが、今すぐにここを離れなければと思った。

直感に従い、蛇蝎はここを離れようとした。だが一寸ばかし、遅かったようだ。

  ビシッ

そんな音がしたと同時に、地面が揺れた。

「なっ!?」

驚くのも束の間。飛翔剣を中心に、波紋が広がっていく。

地を伝ってくる衝撃波が蛇蝎を捉えた。だが致命傷となるほどではない。

それ自体はどうでもいい。

問題は、その後に起こったことだった。

波紋に続いて、今度は炎が吹き上がってきたのだ。それは波と一緒に、一瞬にして周囲に広がっていく。

「っぐああああ!!」

蛇蝎が飛び立つよりも僅かに早く、炎は蛇蝎を焼いた。

外套が燃えてしまったが、それでも跳躍して残っている木の上に降り立った。

「がああ・・・お、おのれぇ」

顔を抑えて呻く。

だが蛇蝎の体は骨だ。焼かれた程度で痛がるはずはない。

「あの、あの炎は何だというのだ・・・・・・わしの魂を焼いた、あの炎は?」

火事のように燃え盛る場所を見て、蛇蝎は憎憎しげに言い捨てた。

眼下では、魔人が炎に飲まれて焼け落ちているのが見えた。

人の形をしていたのに、それはもう元が何だったのか判断できないほどに崩れている。

「魔人を・・・・・・焼く、か。まさかこのような、このような隠し玉があったとはな」

言って、蛇蝎は考え込んだ。

九峪は力尽きたのか、燃え盛る炎の中で気を失っている。このまま放っておけばきっと燃え尽きるだろう。

本当ならば確実に止めを刺したいところだが、自分ではあの炎に近づけない。

「唯の炎ではない。あれは・・・・・・あれが、炎(かぎろい)か?・・・いや、だが・・・わからんな」

唯の炎ではないことは確かだ。自分の『魂』を焼いたのだから。

しかし情報が足りなさ過ぎる。

自分の放った左道を掻き消したのも気になるが、こうなってはどうしようもない。

「・・・ふん。仕方がない、仕方がないな」

蛇蝎は九峪を追っていたときと同じように、木の上を飛んでいった。

「そろそろ日も出るからのう。・・・ここで退散か」

見れば、すでに空は白んでいる。

多くの疑問を残したまま、蛇蝎は帰路の途についた。








九峪が眠る周囲五メートル四方は、完全に火の海と化していた。

草は燃え、木は焼け落ち、あらゆる物を灰にしようと燃え盛っている。

生物が生きられるような世界ではない。全てを拒み、全てを破壊しようとしているようでさえある。

それは九峪も例外ではなかった。服に火がつき、皮膚を燃やしている。

体は所々が炭化していた。

そんな灼熱の中にあって、九峪は目を覚まさない。まるで死んでしまったかのように、眠っている。

目を覚ます気配は、一向になかった。







目の前に広がる炎の壁を前にして、志都呂たちは立ち尽くしていた。

少し前に、ある場所から火の手が上がった。そこに向かって走ってきたら、炎の壁が行く手を阻んだのだ。

あまりの烈火に、だれもが足を踏み込めないでいた。

「これは・・・この中に、九峪という男はいるのか?」

一人の男が、志都呂に向かって聞いてきた。

彼らは皆九峪を助けるために送られた兵士達だ。

だがその九峪がこの炎の海の中にいるのだとしたら、手も足も出せない。

「これでは、とてもではないが生きていないだろう・・・」

「・・・そんな」

男の無慈悲な言葉に、志都呂は嘆きの声を上げた。

確かにこれほど燃え盛っている中で生きていられるのか、大いに疑問はある。

だが、だからと言って。

志都呂はしばし炎の壁を見つめていたが。

「・・・行きましょう」

志都呂の言葉に、その場にいた者全員が目を見開いた。

まるで異常者を見るように。

「まだ生きているかもしれません。ならば、行くべきです」

「馬鹿を言うな。この中に飛び込んでみろ、我々が焼け死ぬぞ」

男の言葉に、他の隊員が「そうだそうだ」と同意した。

この中に入って助けるなど、自殺行為も甚だしい。

それにいくら命令されたからとはいえ、面識も義理もない男のために積極的に火中に飛び込めるほど、彼らはお人よしではなかった。

兵士達は、何とか志都呂を諌めようとする。だが志都呂は頑なとしてそれを拒む。

「ならば、私だけで行きます」

志都呂は、自分だけが助けに行くと言い出した。

「・・・何故、お主はそこまでするのだ?その男は、それほどまでに尊いお方なのか?」

男の言葉は、その場にいる兵士達の言葉でもあった。

大体にして、彼らは疑問だったのだ。自分達は武川の里から逃げてきた住民を戸津浦まで護送するために派遣された。

その一部を使って、囮を一人助けてこいと言う。

それも、副王自らの命である。理解できるはずもない。

副王・伊雅が、態々助けろと言うのだ。それほどの男が、何故囮などをやるのか?

まったく理解できなかった。

男の言葉に、志都呂は口をつぐむ。

九峪がどうしてこの争いに参加しているのか、それは伊雅と秦野から聞いた。

神の遣いと接触し、天魔鏡を授けられた。それが九峪だと。

だから、決して死なせてはならないのだと。

後で聞いた話だが、父は九峪が囮をするのを渋っていたらしい。

それほどに、秦野や伊雅にとっては九峪という人間は重要なのだ。

だがそれとは別に、九峪が必要な人間だと、志都呂は思っている。

その脳裏に過ぎるのは、少女達の顔だった。

「・・・・・・彼の帰りを、待っている人達がいるのです」

静かな言葉は、男達の耳にも聞こえた。

「・・・待っている者なら、拙者にもいる。妻と、子供が四人だ」

「なら、わかるでしょう。貴方は、家族を大事に思っている。逆も、そうでしょう。それと同じなのです。彼のことを大切に想う人が、いるのです。だから」

区切って、決意の表情で、志都呂は言った。

「だから、助けるのならば、理由はそれで十分なのです」

そう言って、志都呂は炎に向かって走っていった。

男達は暫く志都呂の背を見ていたが。

不意に、男が一人歩みだした。

「お、おい。お前、いく気か?」

「・・・・・・俺にも、お父とお母がいる。目いっぱい世話になって、二人が死んだら俺、多分悲しい」

歩きながら、男は言う。

それを、みな黙って聞いている。

「九峪って男に義理はねえけど・・・・・・なんか、後味悪いだろ」

そう残して、男も炎の中に入って行った。

「・・・確かに、祟られてでもしたら、堪らんな」

また一人、男が炎の中に駆け込んでいった。

そうして更に数人が走っていく。

残ったのは、志都呂と話していた男だけだった。

男はかなり困惑したよう背で立ち尽くしていたが。

「・・・ち、しょうがない。九峪とやら、死んだら怨んでやるからな」

結局、男も走るのだった。