火魅子伝 〜月下貴族〜 第五話 (H:小説 M:九峪、虎桃、天目、帖佐 Jシリアス)
日時: 05/08 20:09
著者: 混沌騎士

第五話 初見





 水の深度は思っていたよりも深かった。水深5メートルほどだろう。


 水底には耶麻台国時代の街が広がっていた。

 
 最後の抵抗跡であるのか、大火災の傷痕が水の中であるにもかかわらず生々しく浮び上がっている。


 それが、まるで自分たちはまだ負けてはいないと声高に叫んでいる様に感じられた。


「…………………」


 と、体が水底まで達する。

 
 足元の土がもわっと舞いあがり、水が少し濁った。

 
 けれど、それも直ぐにまた沈殿するか、流されるかしてもとの澄んだ水へと戻る。それで水に僅かな流れが存在していることに気付いた。


 おそらく、何処かに水が流れ込む場所があって、流れ込んだ水は城門から流れ出ているため、それで水流が出来ているのだろう。


 水が常に流れていることで疫病や悪臭も防げていられるかもしれない。


 歩を進め、水の中に立てられた柵に触れない様にそれを抜ける。


 水の上で灯されている篝火の光が水底にまで届くかどうか、少し心配になった。


 さいわい水の中まで見る者はいなかったようで、上で何の騒ぎも起きる気配がしないままに、都督府を支える幾本もある巨大な木の柱のうちの一つの下にまで辿りついた。

一抱えもありそうな大木で造られた数十本の柱を全て殴り倒し、都督府を沈めて一気に片を付けたい気持ちを抑え柱を登っていく。

直ぐに登りきり床下に接触した。


 ゆっくりと、建物に上がるのに丁度良い場所を探していく。


 5分ほどして、篝火の光が比較的とどいていない場所を見つけた。


 直ぐに上がろうとしたが、このままだと床に水の濡れた後が残って、直ぐに発見されてしまうだろうと思いなおし、上がる前に濡れた服を乾かすことにした。


 時間をかけると巡回が回ってくるため、短時間で服を乾かす必要がある。それには魔術が最適だった。


 問題は魔術を使うと他の行動よりもはるかに力を消耗してしまうことだが、効果の範囲を服にだけ限定すれば力の浪費を最小限にまで抑えられるはずだ。


 腕だけで体を水から持ち上げる。


 術式を編み、必要な量の魔力を引き出して、式に乗せて服に付加するように放出した。


 だが、それだけでは魔術は起動しない。


 このままでは、ただ電気が通っているだけの状態の機械と同じに過ぎない。


 スイッチを入れなければ機械が動くことはないのと同じように、魔術を発動するためにはキーワードを口に出さなければならない。


 例えるなら、人間が発電所、魔力が電気、術式が送電線と電気コード、魔術はその先にある様々な電子機器、キーワードはそれら電子機器のスイッチという訳だ。



 ―――乾燥=燃焼=気化―――



 発動した魔術により、服に含まれていた余分な水分が一瞬で消え去った。


 使った魔力分の軽い気だるさを感じつつ、周りの気配を探ろうとする。が―――


(…………くっ、気配がうまく探れない!?……やはり臭いが邪魔か。)


 魔術を使うのが、匂いがさして気にならなかった水から出た直後で本当によかったと思う。


 もし、魔力を魔術式に載せて魔術を行う最中に集中力が切れていたらと思うと、………あまりにも悲惨な結果と、それの後一歩手前だった行いをしたのかと思うと、身の毛がよだった。

(………このままじゃ、あまりにもヤバイな。………そうだ。あれを着ければ…………)


 ぼう、っとした頭でごそごそと服の中に手を突っ込んで探すが、なかなかに見つけられない。


(………ええと、………どこだ………?…………お!あったあった!!)


 九峪が服の中から取り出したのは、マスク状のものだった。


 下顎から鼻梁までを覆い、もはや拘束具か、一種の兜といっても良いほどのそれの基礎の部分は、何枚ものなめした革を重ね合わせて作られ、顔の正面に位置するところは鉄で出来ていた。革の厚さが最大で一センチくらいあり、鉄もそれと同じぐらいにあった。

両端には金具が取り付けられ、頭の後ろでそれらを組み合わせることによって固定される仕組みとなっていた。

持つとずっしりとした重量感があるそれは、見るからに人が着けられるような代物ではなかった。

まず、第一に呼吸することが出来ない。後ろで金具を止めてしまうと、ピタリと頭の形に合わせて皮膚に張りついてくるように設計されているため、空気を中に入れる穴が必要となってくるが、これにはそれがない。人がこれを着けてはずさずにいれば、五分と待たずに酸欠で死んでしまうこと間違いなしだ。

第二に重すぎる。半分以上が特殊練成した分厚い鉄で出来ているため、その総重量は軽く二十kgを超える。そんなものを人が着けようものなら、絶えきれずに首の骨を折ってしまってもおかしくはない。たとえ折れなかったとしても長時間着けているのは不可能だった。

呼吸せず、人間を遥かに超越した体を持つ吸血鬼にだからこそ装着することが可能な一品と言えた。

慣れた手付きでそれを装備し終えた九峪は、頭の中が急速にクリアになっていくのを感じ、それとともに、鮮明ではなかった気配を捉えることが出来た。


(十メートル以内に二人。一人は遠ざかって行くが、もう一人は近づいてきてるな。早くここを離れた方が良いか。幹部を探すのは後回しだな)


 はっきりした頭でそう考えた九峪は、床を蹴り、屋根の上に消えていった。






 天目という女は、本質的に凶暴で残酷でわがままで性格がねじれていて短気で気位が高くうぬぼれ屋な上に何より目立つことが好きで、その為に命を懸けることすら平気なのに、そのくせ本気で自分が控えめで優しい女だと信じているような女だ、とは帖佐の言葉だが、天目親衛隊副隊長である虎桃もその考えは結構――――――かなり当たっていると思っていた。

もちろん口に出しては言わない。言ったところで自分に災いが降りかかるだけで、他には何の役にも立たないとわかっている。

だから、普段は自分から喜んで天目の近くには近づかない。近づかなくてもいろいろと呼びつけられて結局四六時中一緒にいることになってしまっている気もするが、自分からは近づかないようにしているつもりだ。

だが、近づきたくないからと言って不審者の事を報告しないわけにはない。

この政務殿には自分の上司である天目とその天目と同列にある帖佐という二人の人外の強さを持つ者が二人いるが、虎桃の知る限りその二人が気配の察知に優れているという噂は聞いたことがない。


 それに―――


「なんか、あれからは気配が感じられなかったしね〜。直接見た私も何だか幻を見てたような感じだし…………」
多分、現時点で侵入者に気付いているのは直接見た自分だけ。それならば早々に報告しなくてはならない。
もし、自分以外にも侵入者に気づいているものがいて、その者が報告したのならば別に問題はない。
いやむしろその方がいい。今日の不寝番の責任者は自分ではないから天目も深くは追求してはこない、はずだろうから知らぬ存ぜぬでとおすことができる。
だが誰も気付いている者がいなくてそのせいで何か一大事が起きでもしてしたら、天目は必ず自分の親衛隊を問い詰める。
そうなったらまっさきに聞かれるのは、親衛隊に総隊長がいないこの時点では自分か、同じ副隊長の案埜津のどちらか。

「もしそうなったら答えられないよぅ〜」


 それを回避する為に自分は、天目に報告しに行くのだ。例え、その結果面倒ごとを色々押しつけられようとも、報告しなかった事がバレた時よりはマシだと思うから。






 
 征西都督筆頭補佐の執務室の広さは三十畳ほどの大きさで、中央やや奥まったところに、巨大な机がでんっ、と重厚に腰を下ろしてある。
 
 床も壁も、丁寧に削り上げられた檜でできていて、香しい薫りが部屋に満ちていた。
 
 床にははるか西域から輸入された絨毯が敷かれている。壁にはやはり大陸からもたらされた珍奇な動物の毛皮が、何種類も飾ってあった。
 
 もう一つ、巨大な地図が巨大な机の背後―――部屋の奥壁にかかっていた。各地に送り込んだ左道士を総動員して、ようやく作り上げた九洲の地図だ。今では狗根国の九洲支配には欠かせない大事な物になっていた。

その前にある紫檀で作られた黒光りする机を挟んで、背中に小さな羽を生やした見る者に氷の印象を与える男と、正気とは思えないような派手な格好をした女が対峙していた。


 男の名は帖佐、十数年前に耶麻台国を滅ぼした狗根国の将軍である。


 その正面に立つ女も日輪将軍の異名を持つ狗根国の将軍の一人―――天目だ。


 二人が、真夜中も近いこの時間に一緒にいる理由はけっして桃色のものではない。その証拠に部屋の空気は緊迫しているものだった。
 

 トントン、と戸を叩く音に続き、入室の許可を求める声がした。


 緊迫していた部屋の空気が一瞬緩む。


「入れ」


 天目から目を放さずに帖佐が答える。


「失礼しますぅ」


 と言う声が響いた瞬間、部屋の空気が一気に緩んだ。


 この部屋にそんな気の抜けた声がするのは異例のことだ。誰もがみな、緊張に身を固め、強張った表情を浮かべてこの部屋に入ってくるというのに(そうではない者はこの部屋には来ない)。部屋に入ってきた女の声は、緊張の欠片も感じさせないのどかな調子だった。

一礼して部屋の中に入ってきたのは天目よりやや大きいが、それでもビキニ並みの大きさの鎧を着けた女性―――――虎桃だった。

あのあと天目の部屋に行った虎桃だったが、天目がここにいることを当番の者から聞いてこっちまで来たのだ。


 虎桃の姿を見て、一瞬で天目の部下だとわかったのだろう。虎桃を一瞥した帖佐の目が天目に問いかけるように向けられ、お前が話せ、とでも言うように閉じられる。


 それを受けて、天目が虎桃のほうに向く。


 背中につけられた大きな羽がユサユサと揺れた。


「なんだ。どうかしたのか?」


「は〜い、実はですぇ。怪しいのを見かけました〜」


 緩んでいた部屋の空気が一気に硬化した。


「怪しいの、だと?」


 間違いではないのか、とは誰も聞かない。


 へらへらした緩いその表情を見る限りは信じられないだろうが、虎桃は弓の名手として狗根国軍にその名を轟かせている。

二百メートル先の子兎を射抜いたとか、一分間に六十本もの弓を射たとか、戦場において三十本の矢で五十人の敵を射殺したとか、そういう伝説の持ち主なのだ。

要するに、虎桃はとてつもなく優れた弓の使い手と言うことだ。


 弓兵には優れた視力が必要となる。優れた弓兵である虎桃は必然と目も非常に優れていた。

その彼女が、見た、というのならば確かに見たのだ。例え今が夜であろうとそれは変わらない。


 だから――――


「どんなやつだ?」


 と、目を瞑ったままで帖佐が聞いた。帖佐は征西都督筆頭補佐なのだ。征西都督府の警備責任は全て彼が持っていた。だから、本来は自分の部下ではない虎桃に直接聞けるのだ。


「えぇとですね〜。顔までは見えなかったんですけどぉ、見たこともない形の黒装束を着ていましたぁ〜。私は乱破じゃないかと思いま〜す」


 虎桃は侵入者の体型からして男だと思っているが、女だとも限らない。だから、今それを報告するのはやめておくことにした。


「思いま〜す、ってお前なぁ………」


 あまりにもお気楽な虎桃の調子に天目が顔をしかめ、帖佐がその天目の様子に、この女でもそんな表情をするのか、とわずかな苦笑いを顔に浮かべた。


「まあ、いい。話しを聞く限りではこの件は帖佐殿の管轄のようだからね。後は帖佐殿にお任せすることにしよう」


「帖佐殿、虎桃をお貸しするゆえ後はご自分で聞かれるがよかろう。今日のところは帖佐殿の手腕を拝見するとして、お話はまた明日、と言うことで宜しいか?」


 良いも何もこのまま侵入者を放って置くわけにはいかない。天目の言うことに従うのは癪だが、言っていることに間違いはないからこの際仕方がない。


 戸の外に待機していた兵士を呼び、侵入者があった旨と気づかれない程度に警戒を厳しくするよう告げた。


 一礼して兵士が出て行くと、今度は床にどっか、と座り込んで本当に観戦モードに入っている天目――正確には天目の側に立つ虎桃――に向かって口を開いた。


「―――さて、では、その怪しいものを最後に見かけた場所まで案内していただこう」


「はいでぇ〜す」


 帖佐にも天目と同じように答える虎桃。


 もう少し緊張感を持って欲しいと思う天目だった。






 屋根の上に身を伏せて、周囲と完全に同化した九峪は耳を欹てていた。


 目よりは劣るが、それでも野生動物並に耳の良い九峪は、そうしているだけで今この宮殿で何があるのかを大体掴めていた。


 具体的には自分の存在が既に薄々気づかれていること、とかだ。


(まさか見られていたとはな………。それに気づけなかったのは仕方がないとして、虎桃とかいう女は要注意だな。それ以外の二人も気配からしてなかなかの強者、っていうか人間にしては強いな。魔人とやらか?………っと、宮殿正面に向かってるな。今のところ、この二人がこの宮殿内でもっとも強い力を持っているようだな。二人がすれ違うと他の者が必ず何がしかのアクションを起こすから、………多分高官だな。…………うん、他には特に注意をはらう必要もないみたいだし、今回はこの二人を間近で観察して、とっととずらかるとしよう)


 そう考える間にも、少しずつ慎重に移動していく。


 死人と言っても差し支えない吸血鬼の気配いはほぼゼロ。要するにとてつもなく希薄なのだが、それでも移動すると特殊な方法でも使わない限りは音を立ててしまう。その僅かな音で気取られてしまうこともあるので、九峪は速さよりも隠密性に重点をおく移動の仕方をした。


 体の全体を屋根の上に着けず、両手の指と足だけを使い、まるで蜘蛛のようにすべるように屋根の上を移動していた。


 まもなく、標的を視界に入れることが出来た。そして、九峪は、いきなり絶対零度の世界に放りこまれたかのように、ガチッと固まった。


(ナ―――!!?な、なんだ。あの二人の格好は、なんつぅ素晴らし……………いやいや、ふざけた格好をしてるんだ。あの二人にははずかしいという感覚がないのか!?ていうかそこの男も何食わぬ顔で一緒に歩いてんなよ!疑問に思えよ。おかしいだろ明らかにあの格好は、娼婦が裸足で逃げ出すほどの露出の多さだぞ。それもなんか堂々と歩いてるし、………はっ!そうか。あまりの堂々さにあの男も言い出せないんだな。分かる。分かるぞおまえの気持ち。そうさ、あそこまで堂々としていては逆にそれを疑問に思う自分こそがおかしいのではないかと思えてしまうものなのさはははははは)


 天目と虎桃の服装を見た九峪は、自分が吸血鬼になった時以来ぐらいのパニックに陥っていた。


 吸血鬼の存在を知った時も、初めて魔術が使えるようになった時も、人が機械の力で空を飛べるようになったと知った時ですら眉一つ動かすことがなかった九峪が、あまりの衝撃に壊れる寸前にまで追い詰められていた。


 だが、九峪もそのまま壊れていくような玉ではない。体が無意識のうちに正気に戻る方法をとっていた。


 まず魔力が引き出され、内蔵に浸透した。次いで、その魔力が一気に解放された。術式を通る事なく箍を外された魔力が体内を蹂躙し、内蔵をヅタヅタに引き裂き、洗濯機に放りこまれた衣服のように、体内を跳ねまわる。


 だが、痛みを感じず、傷ついた側から治って行く吸血鬼にとって、この程度の事は大したことでは無い。重要なのは体内がグチャグチャに破壊された事によって、血が食堂や気道を通って逆流した血によって九峪が正気に引き戻されたということだ。


「―――ウッ!!?………ゴクゴク……ゴックン………」


 しかし、等価交換というわけではないが、その代償はあった。


 ヒュンヒュンヒュン……………――ザクッ


 空気を切り裂く音に慌てて横に跳び退いた九峪の脇に、長剣が突き立てられた。


(やれやれ、見つかってしまったな)


 見ると、三人ともしっかりとこちらを見据えていた。


 よくよく観察して見ると、男の背中には小さな羽根が一対ついていた。やはり人間ではないようだ。


 その男が手にしている鞘が空であるところを見ると、どうやらこの剣はあの男が投げつけてきたようだ。

屋根に刺さった剣が標準を超えた長さを持つ長剣であることからも、それをここまで正確に投げつけてこれるあの男の腕力に人間離れしたものがあることがわかる。


 発見されたからには逃げるべきだろうが、生憎とそれでは敵司令官の性格を確かめるという九峪の目的が達成されない。


 だから――――


「狗根国の九洲出先機関・征西都督府の責任者であらせられるか?」


 直接聞くことにした。





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あとがき

 う〜む、物語がやっとこさレールに乗れたのに今度は時間が無い。
 
 次話はいつ頃更新できるやら、人生うまく行かないと痛感した今日この頃。