火魅子伝短編7・甦る想い(H:小説 M:九峪×清瑞 J:シリアス)
日時: 02/14 02:29
著者: 龍虎

火魅子伝短編7・甦る想い


 深い森の中を一人の女が歩いている。女は縄で縛った3羽の兎を携えていた。


 女の名は清瑞。3年ほど前に耶麻台共和国を興した耶麻台国復興軍の乱破だった。


 耶麻台国を耶麻台共和国として復興させたのが3年前。その1年後、彼女は一人の男と旅に出た。その男とは、耶麻台共和国を復興させた神の使い、九峪雅比古だ。


 彼は耶麻台国を復興させ、九洲の民から崇め奉られることになったが、彼女は知っている。耶麻台国を復興させるための戦いで彼の心に大きな傷が残ったことを・・・・・。


 九峪は一度心に大きな傷を負って倒れた後しばらくして、周囲の者にもう大丈夫だといって元気な姿をみせていたが、それはほかの者に心配をかけまいとする九峪のやせ我慢だった。


 九峪は本当はとても怖かった。耶麻台国を復興させるためだといって死んでいった九洲の民たち。上官の命令で向かってきた敵兵、その死に顔。そのことが常に頭の隅にあり、一人になるとそれらが次々と脳裏をよぎる。


 だが、九峪は弱音を吐くわけにはいかなかった。耶麻台国復興のため、九峪なら必ず成し遂げてくれると信じて皆戦いに身を投じていった。その声に応えようと九峪は人前では常に明るく振舞った。


 だが、人前では元気なそぶりを見せている九峪が、一人になると途端に沈み込み、夜は夢にうなされていることを常に護衛として傍にいる清瑞だけは知っていた。


 だが、清瑞はどうすることもできなかった。心に傷を負ったものに対する対処法も知らなかったし、自分より遥かに高い地位に立つ九峪の苦悩を一介の乱破程度が取り除くことができるとは思えなかった。清瑞は九峪が悩み苦しむ姿を、ただ見ていることしかできなかった。それが悔しかった。


 ―何が優秀な乱破だ。何が神の使いの護衛だ。肝心な時に九峪様の力になれないなんて・・・・・・!!―


 清瑞もまた、九峪の力になれないことに苦悩していた。そのことをなんとなく察した九峪が清瑞に優しくすればするほど、清瑞は自分の無力さを思い知ることになった。


 だから、清瑞は共和国が成った1年後、皆が落ち着き始めたころを見計らって九峪を連れ出した。


 九峪が共和国において神の使いであり続ける限り、永遠に心の傷は治らない。そう考えた清瑞はほかの者の目を盗み、九峪を外に連れ出し、九洲を旅した。旅をすることで九峪の心の傷が少しでも癒えるよう、戦いで訪れたことの無い場所を選んで旅した。当然捜索隊が九峪を探しに来ると思ったが、神の使いが行方不明になったという噂すら流れなかった。


 それは、キョウが手を回したのだった。清瑞と同じく、ずっと九峪の傍にいたキョウも九峪が負った心の傷に気づいていた。だから、清瑞が九峪を連れ出した時、キョウは黙って二人を行かせたのだった。清瑞の実力はよく知っていたし、なにより、自分が共和国を離れられないのはよくわかっていたから、清瑞に九峪を託したのだった。その後、キョウは火魅子を始め、共和国の幹部に九峪の状況を話し、捜索しないこと、神の使いが行方を眩ませたことを口外しないようにきつく言った。そして、どうしても神の使いが人前に現れなくてはならないときは背丈がよく似ている孔菜代を身代わりに立てることにした。そのおかげで神の使いが行方知れずになったという噂が流れなかったのだった。


 そして旅を始めて半年後、清瑞が生まれ育った山里を訪れた二人はそこで暮らす人々を見た。彼らはかつて狗根国が里を襲撃した際に逃げおおせた者とその子供たちだった。


 以前、九峪と出会う前に伊雅と共にここを離れた時のそれとは違い、多くの家が建ち、畑では作物が作られていた。そして、子供たちは大人に混じって乱破としての修行をしていた。


 里の長は清瑞のことを憶えており、快く迎えてくれた。


 里長の話では彼らは狗根国軍の追及を逃れ、本洲に渡って、出面国に逃げたそうだ。そのころには出面国における狗根国の追求も随分緩んでおり、彼らは山中に里を築き、そこで暮らした。


 そして、風の便りで九洲にて狗根国軍が復興軍を名乗る一団に大敗し、九洲から一時撤退したことを聞きつけ、自分たちも力になろうと再び九洲へ向けて里の者全員で旅を始めたが、子供や老人も多くおり、さらには各地で狗根国軍が目を光らせていることもあり、旅足が遅くなって結局戦には間に合わなかったそうだ。


 そして、九洲に着いた彼らはかつての里に戻り、そこで暮らし始めた。


 そこに清瑞たちが訪れたのは今から1年半ほど前のことだった。


 小さなころの清瑞と、彼女の母親を知る老婆が二人を引きとめた。特に行くところのなかった清瑞たちは里の者が戦に参加することができず、九峪の正体を知らないこともあり、その里に腰を落ち着けることにした。


 今では清瑞は子供たちの師範となり、九峪は子供たちの遊び相手として日々を暮らしている。


 「あ、清瑞お姉ちゃんお帰りなさい!!」


 里に戻った清瑞を4、5歳くらいの女の子が出迎えた。


 「ああ、ただいま」


 女の子が清瑞に話しかける。


 「あのね、今日は雅比古とおにごっこをしたの」


 女の子がとても楽しそうに話す。この里の者たちは九峪が神の使いということは知らなかった。初めて会った時に雅比古と名乗ったこともあるが、一番の理由はやはり神の使いの顔を知らないということだろう。そのことも清瑞がここで暮らすことを決めた理由の一つだった。


 「そう。楽しかった?」


 清瑞が尋ねると女の子は元気にうなずいた。


 「うん、とっても楽しかったよ!!」


 そんな女の子の様子を見て清瑞はふっとかすかに笑う。


 ―あの人は相変わらず、子供から好かれているな―


 「これから皆で修行するの。じゃあね、清瑞お姉ちゃん」


 女の子はそう言い残して走っていった。


 女の子と別れた清瑞は一度里のはずれにある自分の家に狩ってきた兎を置きに戻る。九峪とはこの里に居座ってから同じ家で暮らしている。里で暮らし始めた時、清瑞は九峪に自らの想いを打ち明けた。だが、九峪はそれを拒んだ。直接的でないにせよ、大勢の人を殺してきた自分に他人を幸せにすることなどできないと言って。九峪のその言葉を聞いた清瑞は九峪が心に負った傷の深さを改めて知った。そして、今は自分の想いよりも九峪の心の傷を癒すことの方が優先だと考え、一度は九峪に打ち明けた想いを自らの胸の奥にしまいこんだのだった。それからは九峪の心の傷が一日も早く癒える事を祈って九峪の傍に居続けた。


 清瑞は兎を置くと里の近くを流れる小川へと足を向けた。


 小川では里の女たちが娘と共に洗濯をしており、少し離れたところにある木陰に座ってそれを眺めている男がいた。


 清瑞はその男の横に腰を下ろした。


 「ただいま戻りました。九峪様」


 「清瑞か・・・・」


 九峪と呼ばれた男が首を動かして清瑞の顔を見た。


 「今日も子供たちと遊ばれたそうですね」


 清瑞が話しかける。


 「ああ、前に鬼ごっこを教えてやったらあいつら気に入っちまって、今日も付き合わされたよ」


 九峪が苦笑する。


 「それは、お疲れ様でした」


 清瑞もくすりと笑う。


 九峪の目が優しげに清瑞を見つめる。


 「・・・・・ずいぶん変わったよな」


 「私が、ですか?」


 清瑞が首をかしげる。


 「ああ、なんていうか、こう、人間的な温かみが出てきたって言うか・・・・」


 そういって九峪が笑う。


 「出会ったころはこう、氷みたいに冷たい感じがしたもんな」


 「・・・・そんなに変わりましたか?」


 清瑞が九峪を見る。


 「ああ、変わった。共和国の皆に聞いたらきっと全員、変わったって答えるよ」


 最近では九峪も共和国にいる皆の話や復興軍にいた頃の話ができるようになっていた。


 「そうですか・・・・・・ですが、私が変わったとしたらそれは九峪様、あなたと出会ったからですよ」


 清瑞はそう言って微笑を浮かべた。


 「ほんと、お前は変わったよ。よく笑うようになったしな」


 そう言った九峪の目は優しげに笑っていた。


 ―心の傷はずいぶんよくなられたみたいだ。よかった・・・・・―


 微笑む九峪を見て清瑞は心の中で安堵のため息をついた。


 最近は眠っている時にうなされるようなこともなく、清瑞はこのまま九峪の心の傷が完全に癒える事を願っていた。清瑞は九峪の心の傷が癒えるのならば、どんなこともする覚悟があった。それが九峪が一番苦しんでいた時に何もできなかった自分がしなければならないことだと思っている。


 「さて、そろそろ夕飯の準備をしてきます。九峪様はまだこちらにおられますか?」


 清瑞が立ち上がりながら尋ねる。


 「ああ、もうしばらくここにいるよ」


 その返事を聞いた清瑞は軽くうなずいてから里へと歩き出した。






 それから数日後、里長の家に九峪を除くすべての大人たちが集まっていた。


 「清瑞殿、本当だったのですか?」


 里長が尋ねると清瑞が神妙な面持ちでうなずく。


 「ええ、念のため耶牟原城まで出向いてきましたが、間違いないようです」


 清瑞がそう返すと場がざわつき始めた。


 集まった大人たちは隣の者と顔を見合わせている。


 「それで、今後我々がどうするかですが・・・・・」


 そう清瑞は切り出した。




 その頃、九峪は川原の木陰に居た。


 ここは九峪のお気に入りの場所だ。ここは子供たちの遊び場所の一つで普段は子供たちの笑い声が響いている。基本的に子供が好きな九峪は子供たちの遊び場所であるこの場所にいることが多かった。また、子供たちがいないときは小川の水音と虫の鳴き声、風の音が絶え間なく聞こえ、子供たちがいる時とは違い、とても落ち着いた気分になれることもこの場所が九峪のお気に入りとなった理由のひとつだろう。


 今、小川では女の子たちが洗濯物をしていた。楽しそうに歌を歌っている。


 九峪はそれを静かに見ている。


 ―俺がここに来たばかりに大勢の人を死なせてしまった。耶麻台国を復興させるため集まってきた人たち。皆は神の使いである俺が必ず復興させてくれるといって戦いに身を投じていった。自分たちが戦うことで復興できるといって死んでいった・・・・・。敵も俺の取った作戦で大勢死んでしまった。九洲に住むものたちにとって狗根国の兵士たちは憎むべき敵なんだろうけど、狗根国の兵士にはただ上の命令で九洲に来ただけだ。当然狗根国本国には家族がいるだろう。その家族のために戦っただけなんだ。なのに俺の取った作戦のせいで死んでしまった。でも、今はこうして笑っている人が大勢いる。・・・・・・それが、せめてもの救いかな・・・・・・・―


 洗濯を終えた女の子たちはそのまま遊びだした。


 九峪はそれを見て微笑んだ。


 以前はふさぎ込み、自分を追い込むような後ろ向きな考え方をしていた九峪だが、最近は前向きな考え方ができるようになっていた。


 その場に寝転がると葉が生い茂った枝の隙間から日の光が差し込んでおり、その向こうに青い空が見えた。


 目を閉じると虫の鳴き声や風の音、川原で遊ぶ女の子たちの声が耳に入ってくる。


 その声を聞きながら九峪はいつの間にか眠っていた。




 どれくらい経っただろうか。九峪の耳に音が甦る。初めは小さく、次第に大きく。


 耳には風の音と虫の鳴き声、小川のせせらぎ音が入ってくる。里に戻ったのか、女の子たちの声は聞こえなかった。


 ふと九峪は自分の後頭部にやわらかい物が当たっているのを感じた。


 どうやらそれは人の足のようだ。それも、男のごつい足ではなく、やわらかい女の足だ。感触からやわらかいだけではなく、よく鍛えられ、張りがあることを感じ取れる。


 つまり、九峪は膝枕をされているのだ。そして、九峪は自分にそのようなことをする女は一人しか知らなかった。


 「・・・・・・・清瑞か」


 九峪は目を閉じたままそうつぶやいた。


 「起きられましたか?」


 九峪が目を開けるとそこには、愛しい人を見つめる優しい目があった。


 清瑞の想いを素直に受け取れない九峪は、代わりに清瑞の好きなようにさせていた。九峪にとっても清瑞が傍に居てくれることで安心できたからだ。いまや九峪にとって清瑞が傍にいるのはごく当たり前のことになっていた。


 「九峪様、そろそろ夕食にしましょう」


 清瑞は九峪の頭を撫でながら言った。すでに太陽は西に傾き、空は茜色に染まっていた。


 「そうだな、そうするか」


 九峪は名残惜しそうに身体を起こした後、清瑞と二人で里に戻っていった。




 夕食後、九峪は特にすることもなく、ぼんやりと窓の外に広がる夜空を見ていた。その後ろでは清瑞が夕食の片づけをしている。


 しばらくして、清瑞が片づけを終えたところを見計らって九峪が清瑞を傍に呼んだ。


 「なにか?」


 清瑞が尋ねてからもしばらく九峪は黙っていたが、意を決したように口を開いた。


 「清瑞、あとどれくらい時間がある?」


 「は?」


 清瑞は九峪の質問の意味がわからずに呆けたような顔をした。


 それを見た九峪が言い直した。


 「狗根国の遠征軍が九洲に来るまでの時間だよ」


 その言葉を聞いてしばらく呆然としていた清瑞が目を見開いた。


 「ど、どうしてそのことを・・・・・あ・・・・・い、いえ、べ、別にそのようなことは・・・・・」


 つい口が滑ってしまった清瑞が自分の口を押さえて必死に取り繕う。


 「隠さなくてもいいさ。里長が大人たちを集めてた時点で何となく気づいてたから。それに、共和国を出る前に狗根国が支配してる国が一斉に反乱を起こしたって事は聞いてたから、それを収めて再び九洲に攻めてくることは予想できるさ。それに、清瑞の雰囲気が普段と違ったから」


 そう応える九峪を見た清瑞は自分を叱っていた。


 ―私のバカバカ、狗根国が責めてくることを知れば九峪様のこと、すぐにでも共和国に戻ろうとするじゃないか! 私が原因で悟られるなんて、この大馬鹿者〜!! せっかくここまで心の傷が癒えたのに、ここでまた戦場に戻ってしまわれると何の意味もないじゃないかぁ〜!!―


 九峪は自分よりも、他人のことを心配する。それによって自分が傷ついても、皆の前ではその傷を隠し、平然としている。九峪はそういう男だった。


 もう4年近く九峪の傍にいる清瑞にはそのことがわかっていた。だからこそ、狗根国が攻めてくるということを聞いてもいつも通りでいようとしたのだ。だが、九峪は清瑞のわずかな変化を見逃さなかった。


 「それで? 狗根国が攻めてくるまであとどれくらい時間がある?」


 九峪が続けて尋ねた。


 「それを・・・・・」


 「うん?」


 「それを聞いてどうするんですか?」


 九峪の問いに清瑞は逆に聞き返していた。


 「それはもちろん、すぐに・・・・」


 「駄目です!!」


 清瑞は九峪がすべてを言い切る前にさえぎった。


 九峪が驚いた顔で清瑞を見る。


 「九峪様がこのまま共和国に戻られたら、私が九峪様を連れ出した意味がありません!」


 清瑞の目にはうっすらと涙が浮かんでいた。


 「それに・・・・・・ようやくここまで心の傷が癒えられたのに、ここで共和国に戻って狗根国と戦えば、また深い傷を負ってしまわれるでしょう。もし、九峪様に何かあれば、私は・・・・・私は・・・・」


 清瑞はそれ以上続けることができず、俯き、声を殺して泣き続けた。


 「清瑞・・・・・・」


 清瑞のありのままの本心を聞いた九峪はそっと清瑞の肩に手を置いた。


 「だが、狗根国が攻めてくれば、共和国の民たちが大勢死ぬだろう。俺が指揮を執ることでその数を減らすことができるかもしれない。だから、俺は共和国に戻るよ」


 九峪はそう清瑞に言った。だが、清瑞は首を縦に振らなかった。


 「駄目です。九峪様は前の戦いで深く傷つかれた。もうこれ以上、九峪様が傷つき、苦しむ姿を見たくありません・・・・・九峪様が戻らずとも、共和国には火魅子様や、亜衣様、伊雅様を始め、多くの歴戦の者がいます。何もこれ以上自ら傷つかなくとも・・・・・・・」


 「確かに、そうかもしれない・・・・・・」


 九峪は清瑞の言葉に頷いた。


 「共和国には、火魅子や亜衣、伊雅のおっさん、そのほかにも前の戦いで一緒に戦った人たちが大勢いる。俺が戻らなくても、狗根国を撃退できるかもしれない。たとえ戻ったとしても敵と戦うだけの力は俺にはない。清瑞みたいに戦うことはできない。でも、代わりに作戦を立てることができる。できるだけの力があるのに、それをしないなんて、俺はいやなんだ」


 「ですが・・・・・・っ!」


 清瑞は何とか九峪を止めようとするが、九峪の目を見た瞬間、次の言葉を紡ぐことができなくなった。九峪の目には決意の光があった。共和国を出て以来、いや、九峪が心に傷を負って倒れてから初めて見る強い決意の光。その甦った強い光を見た瞬間、清瑞はもはや自分がどう言おうと九峪を思い止まらせることができないことを悟った。


 「確かに、俺が戻っても戻らなくてもあまり変わらないのかもしれない。でも、俺はできるだけの力を持っているのに傷つくのがいやで何もしないなんて、そんな利己的な人間にはなりたくないんだ。だから、許してくれ、清瑞」


 「・・・・・・・・」


 清瑞は無言で九峪の顔を見る。その目は真っ赤になっていた。


 九峪は涙を流して引きとめようとする清瑞を見て、堪えきれずになって、清瑞をそっと抱きしめた。


 ずいぶんと前から九峪は気づいていた。自らの胸の奥にある清瑞への想いに。一度は胸の奥底にしまった清瑞への想い。間接的にでも大勢の人を殺した自分に人を好きになることが許されるわけがない。そう考え、必死で押さえつけた想い。だが、自分のことを心配し、火魅子たちに知られれば厳しく罰せられることを覚悟の上で、自分を城から連れ出した清瑞の想いを聞き、また甲斐甲斐しく世話をしながらいつまでも自分の傍に居てくれる清瑞を見ているうちに、再びその想いがどうしようもなく大きくなっていくのを感じていた。


 だが、九峪はその想いを清瑞に伝えられないでいた。狗根国との戦争で死んでいった者たちの存在が九峪に二の足を踏ませているのだ。大勢の人を殺した自分に、他人を好きになることが許されるのか。そう自問自答する日々が続いた。何度も清瑞への想いを忘れようとした。


 しかし、九峪は結局、清瑞への想いを忘れられなかった。その想いが自分のことを涙を流してまで心配する清瑞を見て、一気に爆発した。


 「九峪・・・・・様?」


 不意に九峪に抱きしめられた清瑞は困惑顔になった。どうしていいかわからず、腕が宙をさまよう。


 「・・・・・・・前に清瑞が俺のことを好きだって言ってくれた時、俺は拒んだよな? 大勢の人を殺した自分に他人を幸せにすることなんてできないって・・・・・」


 「はい・・・・」


 清瑞が静かに応える。


 「本当は俺も清瑞のことが好きだ・・・・・・。でも、怖かったんだ。直接ではないにしても、大勢の人を殺した俺が他人を好きになることが許されるのか。他人を幸せにすることが、いや・・・・・・俺が幸せになることが許されるのかって」


 「九峪様・・・・・・」


 清瑞はそれまで宙をさまよっていた腕で九峪を優しく抱きしめた。


 「何度も忘れようとしたんだ、俺が清瑞のことを好きだっていう気持ちを。・・・・・でも、忘れられなかった。それどころか、ずっと俺の世話をしてくれる清瑞を見ていると、ますますその想いが大きくなっていくんだ。清瑞はいいのか? こんな俺で。俺と一緒にいると幸せになれないかもしれないんだぞ? 少なくとも、俺は清瑞を幸せにしてやれる自信がない・・・」


 九峪がそこまで言うと、清瑞は九峪の胸に頭を預けるようにしてもたれかかった。


 「何をおっしゃるかと思えば・・・・・・そんなことですか」


 「そんなこと?」


 九峪が驚く。幸せにしてやれないと言った事を『そんなこと』と返してきたのだ。驚くのも無理はないだろう。


 「九峪様は私を幸せにできないかもしれないとおっしゃいましたが、それは間違いです。こうして九峪様と共にいること。それが私にとって何よりも幸せなことなのです。幸せにする自信がない? うぬぼれないでください。幸せかどうかなんて、本人にしかわかりません。それを、いくら九峪様が神の御使いでも、他人が幸せかどうかなんて決める権利はありません。少なくとも私は他人に幸せかどうかなんて決められるつもりは毛頭ありません。自分が幸せなのかどうかは、私が、自分で決めます」


 そういって清瑞は顔を胸に預けたまま上を見上げ、九峪の顔を見る。


 「清瑞・・・・・・」


 「それに、九峪様は自分が幸せになることが許されるのかとおっしゃいましたが、私は九峪様は幸せになるべきだと思います。九峪様が本当に死んでいった者たちに申し訳ないと思っていらっしゃるのでしたら、生きて幸せになる。それが、死んでいった者たちへの一番の供養になるのではないかと私は思います・・・・・・九峪様は、私と幸せになるのはお嫌ですか?」


 清瑞がそう尋ねると九峪は清瑞を抱きしめていた腕に力を込めた。


 「嫌だなんて、そんな訳ないだろ!? ・・・・・・・俺は清瑞が好きだ。ほかの誰よりも愛してる。・・・・・・清瑞はいいのか? 俺なんかで」


 「・・・・・・もちろんです。本来ならば叶うはずのない恋。それに応えてくださるのでしたら、私はいつまでもあなたの傍にいます。これから先、どんなことがあっても、私が九峪様を愛する想いは変わりません」


 「清瑞がいてくれるなら、俺は大丈夫だ。だから、俺は共和国に、皆のところに戻る。清瑞も付いて来てくれるだろ?」


 九峪が清瑞に確かめる。


 「もちろんです。私に何ができるかはわかりません。でも、精一杯九峪様を支えさせていただきます。もう二度と、九峪様一人につらい思いをさせません」


 九峪を見上げた清瑞がきっぱりと言った。その目は先ほどの九峪と同じ、決意の光に満ちていた。


 清瑞の答えを聞いた九峪が満足そうに笑った。九峪の指が清瑞の頬に残った涙の後を拭い、そのまま清瑞の唇に自分の唇を重ねる。


 その夜、二人は一つとなった・・・・・・。






 翌朝、子供たちがいつものように九峪と遊ぼうと二人の家までやってきたが、そこには誰も居なかった。ただ一言、『耶牟原城にて待つ―――九峪雅比古・清瑞』と書かれた竹簡だけが残されていた。








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