もう一度 第1話(H:小説 M:九峪&亜衣 J:シリアス)
日時: 12/31 05:17
著者: 通る

 雨が降りだした。
 勝利の叫びがもたらされてから大分経つ。死者と赤い地が奏でる雨音は、まるでレクイエムのようだ。

(鎮魂歌か……やっぱり俺は部外者だな)

 まんじりともせずに雨に打たれながら九峪はそう思った。どこまで制圧しても、何人殺そうとも、だ。狗根国に恨みはなく、また狗根国の兵士にも恨みなどない。そんな人間がこの戦に参加していること自体、間違っているような気がする。

(いや、俺は人間じゃないんだっけ)

 神の遣いだ。お笑い草だが、天魔鏡のキョウとの共謀によってその立場を担ってから、もう一年ほど経つのだろうか。
 腰を下ろし、先ほど慈悲としてトドメを刺した狗根国軍の兵士の顔を見た。皺がはっきりと浮かんだ壮年の男の、憎悪と苦しみをたたえた瞳がある。
 鼻先が軽く触れ合うほどの距離まで顔を寄せ、異常なほどぐいぐいと死者の顔を記憶に刻み付けた九峪は、

「どうか安らかにお眠りください」

 そっと手をやって目を閉ざさせた。遠い異世界の、バカな半人前の高校生として。
 形式的な丁寧語には、普段はくだけた言葉遣いしかしない九峪なりの最大限の敬意があった。


 一人ひとりの戦死者たちにそうやっていると、やがて軽い足音が聞こえた。
 総司令官たる神の遣いに近づいてくる人間は少ない。たとえ九峪が気さくな性格だとしても、それは当然のことだった。九峪もこの立場を現代日本に置き換えて考えてみたことがあったが、それで納得した。確かに天皇が近くに居るからといって、自分は気楽に話しかけられないだろう。自分に出来ないことを人に強要したくはなかったので、今では気にしないようにしている。それにこの時代の人間にとって、神とは絶対の存在であり、同時に畏怖の象徴でもある。アニミズムとはよく言ったものだ。その根底には自然への、神のもたらす天災への恐怖が刻み込まれている。

「亜衣か」

 足音がすぐ後ろで止まったのを確認し、九峪は背を向けたまま呟いた。いまはちょうど復興軍の兵士の死体を供養しているところだった。そのことに少しだけ安堵を覚える。敵兵への過ぎた慈悲は、誰にとっても快いものではないだろう。

「悪いな。こんなところまで」
「いえ。評定の準備が整いましたので、お呼びにまいりました」
「ああ、行くよ」
 
 振り返った先に、亜衣の見慣れた顔がある。最初期からの仲間の数も減ってしまったので、それだけに親しみを覚えた。
 しかし九峪の視線を受けると、亜衣の表情に水面の波紋のような緊張が広がっていった。緩やかに立ち上がりながら九峪は苦笑した。

(亜衣も可愛いもんだな)

 何かたくらんでいるのだろう。そして、たくらむなら今しかない。九峪を前にしてそれが見透かされはしまいかと心を揺らしているのだろう。
 亜衣の傍らに立ち、灰色の空を見上げた。霧雨が音もなく滑り落ちてくる空には、果てない地球の営みがあり、だからこそ遠い異世界への郷愁が感じられた。

「こちらです」

 亜衣が歩き出した。九峪もそれを追った。背中に復興軍の兵士たちの視線を感じながら。いや、復興軍という言葉はもう正しくないだろう。



 邪麻台国は、復興を遂げたのである。






「で、どういうことだ、亜衣」
「お許しください」

 亜衣の案内に従っていくうちに人気がなくなり、九峪が声を上げた瞬間、素早く亜衣が短刀を引き抜き、九峪の背中に体当たりした。
 悲鳴が漏れる前に、口を塞がれる。灼熱したような激痛が背中に生じる。

「ぐっぁあああ」

 立っていることもできず、あまりの痛みに倒れようとしたところで、四方の茂みから亜衣の私兵らしき者が殺到し、九峪の全身をめった刺しにした。
 もはやどうすることもできない。神の遣いを名乗っていても所詮は人間に過ぎず、不死を有するわけでもない。九峪は使い慣れた七支刀を振るおうとしてやめた。道連れを増やすことにしかならないからだ。

 ただ、斬らずに刺すところが憎いな、とぼんやりしてきた頭で思った。刺すほうが明確な殺意を感じるからだ。そういう風に考えられる冷静な自分が可笑しかった。

(これもいいかもな。歴史は繰り返す。突出した指導者の暗殺も……)

 これも必然かもしれない。戦史を詳しく知る九峪だからこそ当然のように理解した。自分の存在が邪魔になったことを。
 そして、もはや九峪と親しい最初期のメンバーの多くは戦死し、星華と亜衣しか居ないのだった。
 宗像系の天下になる、ということだ。ただ、神の遣いの存在を利用せずに殺すのは性急に過ぎるだろうと、戦略に聡い九峪は思った。それに気付かない亜衣でもないだろうが。

 ちらと背後の亜衣を見上げる。その表情からは何も読み取れない。あるとしたら、暗殺が成功したことに対する安堵だろうか。頂点に君臨できることへの情熱だろうか。
 緑と血の匂いに溺れながらも、自分らしい最後の強がりを見せるために、九峪は亜衣へと気軽に笑いかけた。上手くいったかどうかは、分からないが。

「亜衣よお。てめえ、いくらなんでも、これはないんじゃないかあ」

 飛び出た言葉は、まるでかつて珠洲に対して喧嘩を売っていたときのような、柔らかい語気に包まれていた。
 自分を殺そうとする人間にまで怒りを見せないなんて、本当に神の遣いにでもなったつもりか。九峪はそう自問したが、亜衣にとっては違うらしい。その声音を耳にした亜衣は全身を雷に打たれたように震わせ、咄嗟に額を地に擦りつけていた。

「申し訳ございません! 申し訳ございません! 九峪さま……! 復興軍を導いていただいたご恩は、この亜衣、生涯忘れません! しかし、しかし……たとえ九峪様の神罰がくだされようとも、私は……私は…っ!」

 泣いてるのか、と九峪は薄れゆく意識のなか思った。不思議とそれだけで僅かに残っていた怨みは消えていった。
 顔を上げずに喚きたてる亜衣から視線をずらし、力を振り絞ってぐるりとあたりを見回した。最後に、この異世界九洲の景色を刻み付けるために。
 すると、亜衣の叫びに耐え切れなくなったのか、それとも九峪のめぐらされた視線に怯えたのか、あたりを包囲していた私兵も任務を放棄し、勢いよくその場にひれ伏した。

「お許しを……お許しを」
「九峪様!」
「ああ、なんてことを……」

 口々に何事かを言っている。その様は届かない祈りを捧げるかのようだった。
 駆けつけようと顔をあげ、片膝をついた者も居た。しかし手遅れだと思ったのか、やはり俯きひれ伏す。
 その光景に、まるで映画のラストシーンだなと、九峪は可笑しさが込みあがる。
 しかし可笑しくはあっても、笑うこともできないほどの痛みだった。ただ、格好の良い最後の台詞を考えた。自分らしいといえば自分らしい頭の構造に、九峪は自分のことながら呆れるしかない。

(もっと色々とあるだろ。この世への未練とかさ)

 しかし元より狂った異世界のことだ。そう、キョウに呼ばれてからは夢に過ぎない。九峪にとって自分の人生に区切りをつけることにさしたる抵抗はなかった。
 そして九峪は、何か格好良い言葉を捜し、探すうちに意識が朦朧とし、とうとう懐かしい女の幻が現れ、

「日魅子……」

 としか言えずに動かなくなった。亜衣はそれを火魅子と聞いた。
 と、その瞬間、天に轟音が走った。身をすくめるほどの音についで、重たげな暗雲が割れ、光の柱が九峪の全身に突き刺さる。

「あ、あ、あ」

 亜衣も、兵も、目の前の常軌を逸した光景に、神の怒りを感じ、口を開いたまま呆然とした。

「「「うわあああ! お許しをおおお!」」」
「お、おい!」

 弾かれたように兵が逃げていくのを亜衣が静止しようとし、やめた。亜衣は逃げもしなかった。火魅子と最期に呟かれた声が耳に残っていた。死してなお国を想う九峪の言葉。ここで神罰を受けて死ぬならそれもいい。そう思った。
 が、光の柱はやがて消失し、誰一人として神罰を受けたものは居なかった。ただその柱の消え去った跡に、九峪の姿はどこにもなかった。

(九峪様は天へと還られたのだ。こんな私でさえも罰さずに……)

 胸が熱くなった。涙が次から次へと溢れ、その器の大きさを改めて思い知らされた。その優しさに惹かれていった過去の思い出が溢れてきた。神だ。紛れもなく九峪様は神であり、自分は薄汚い人間に過ぎない。ただただ畏れ多かった。後悔もできないほどに。

 亜衣はそれから雨がやみ、晴れ渡り、日が沈み、日が昇るまでその場でひれ伏し続けた。そして、あくる日に神の遣いは天へと還られたことを民に告げ、宗像系の独裁が五十年ほど続いた。


 天の火矛の遣いたる九峪については、晩年、火魅子の血が途絶えたことによって最高位についた亜衣の手で詳しく記されることになる。

「その御姿、人にして神の化身。慈悲深き御心、海のごとし。情け深き御心に敵味方の垣根なし。そのお口元に慈悲の笑み絶えず、我が生涯の敬意を払うは御方のみ。幾重なる御恩に報い、我、七度生まれて矛を執らん。天の火矛の遣い、御方こそは神のなかの神にして人のなかの人――」






 大和軍が九州にまで侵攻し、城が次々と陥落していくなか、老いた亜衣は病床にあった。敵軍に翻弄される自国の有様と自身の病を嘆きながら、亜衣は臨終の床で執拗に火矛の遣いへの祈祷を命じ、自身は天に向かって懺悔の言葉を繰り返したという。
 
 やがて祈りの言葉も尽きた頃、

「九峪様が居れば」

 と涙で滲む目を見開いたまま亜衣は息を引き取った。その僅か一月後、邪麻台国は終焉を迎えた。