もう一度 第2話(H:小説 M:九峪、オリ J:シリアス)
日時: 01/02 23:06
著者: 通る

 九峪は死の最中にあって尚五感を働かせていた。

 リィィン
 リィインと。

 聞こえるのは鈴の音。それが暗闇に漂っている九峪に迫ってくるようだった。

「退魔の鈴か……?」

 九峪はそっと耳を澄ました。といっても目を閉じただけであったが。
 不思議な空間だった。
 肌には生ぬるい空気の感触があり、事実声も音となって発せられるのだが、体は雁字搦めになったように動かせないのだ。
 亜衣たちに刺された傷を確認したかったが、それも出来なかった。

 そんななかだから、まるで幽霊のような大仰さで近づいてくる鈴の音だけが九峪の関心をひく。

 ――戦場で何度も耳にしたその音。
 ポケットからその音が流れてくるだけで、九峪の全身には途方もない退魔の力が宿った。鈴の効能に気付いてからは、その浄化の炎をもってして何度も魔人を焼き尽くしてきたのだ。

 だから今回も……と何か鈴の音が希望の足音のように聞こえてしまう。
 そうやってこの窮地からの脱出を考え始めたところで、ふと思い出す。亜衣の泣き顔を。

「……そういえば、助かったところで帰る場所もないんだよなあ」

 大問題だった。怨みは不思議なことになかったが、今更邪麻台国に帰るわけにもいかない感じだ。
 そう、邪麻台国だ。邪麻台国は九峪の戦略のもとに復興を遂げた。
 キョウと出会い、わずか数人で始まった邪麻台国の復興であったが、それが成就して追い出されるのは起承転結がしっかりしすぎだった。
 いかにも神の遣い――もとい俺らしいかもなと、少しばかり自嘲の笑いが漏れる。

「まあ、いっか。助かると決まったわけでもないし」

「もし……」

 そのとき何処からか女の声が聞こえた。
 九峪が不思議そうにあたりを見回そうとしたら、「もし……」とまた蚊のなくような声が繰り返される。

「誰だ?」

 声の主を探ろうとしても体が動かない。九峪は慎重に誰何した。すると何故か不貞腐れたような雰囲気の沈黙が生じる。

「…………」
「えっと、誰ですか?」
「はい。あなたが九峪ですよね?」
「そうだけど、……そういうそっちは誰かな」
「…………」

 なぜかまた沈黙。声の質といい、妙な気難しさといい、ふと子供かなと思った。
 しかし気まずい。九峪はおずおずと慣れない丁寧語らしき口調で繰り返した。

「あの……そちらのあなた様は誰でしょうか」

 九峪が丁寧な言葉を使うと、実に慇懃無礼な感じだった。しかしその一応のへりくだりに満足したのか、

「私は」

 と子供らしき声が話し出す。

「………………火魅子です」
「嘘だなあそれ。いくらなんでも迷いすぎだろ」
「………………本当です」

 間髪いれずに突っ込むと、またむくれてしまったようだ。シリアスな雰囲気が台無しになったが、九峪は話を進めようと決意する。
 この不思議な状態も気になった。藁にもすがる思いとはこのことだ。

「で、火魅子なのは分かったけどさ。どういうことなんだ、この状況は」
「…………」
「……火魅子様はご存知ですか、この、今の、状況を」
「もちろん知っています」

 えっへん、と子供が胸を張った光景が思い浮かぶような言い方だった。

(……なんかすげぇむかついてきたぜ。珠洲に通じるものがあるな)

 その姿を想像すると、沸点をいきなり振り切って怒りのボルテージが高まる九峪だ。
 すぐ怒り、すぐ喜ぶという九峪の性質を、「変な奴」と復興軍の幹部たちは評したものだったが、九洲に渡ってから一年経つにも関わらず九峪の忍耐力は昔のままだった。
 しかしそもそも血筋とか身分とかを重視しないという、三世紀の九洲にとっては常軌を逸した九峪であったからこそ、癖のある復興軍の幹部たちを纏め、求心力となれたともいえる。

 が、それはつまりとにかく忍耐力や自制心がないことを意味していた。
 あからさまに「お前、実は子供だろおい」という声の主に対して、ピクピクとこめかみを痙攣させながら九峪は言い募った。

「それじゃあ、その火魅子様に教えていただきたいなあ、と。できれば何とかしてほしいなあ……」
「……50点」
「てめえ! いい加減にしろよこら! だいたい50点ってお前、絶対火魅子じゃねえだろ!! ふざけんなよ!」
「マイナス100点」
「ぐっ」

(調子に乗りやがって〜〜!)

 と頭に血が上ってきた九峪であったが、流石にこの状況のまずさに気がついている。
 今イニシアチブを握っているのは相手のほうなのだ。ここはもてる謙虚さの全てを使いつくしても助けてもらうしかない。
 大体、この状況にはこいつが関わっている可能性が高かった。亜衣に刺されながらもこうして生きていられることと火魅子とが無関係ではないとも言い切れない。

(どうあがいても、選択肢はないってわけか。……やっぱりむかつくけど)

 暫く考えたすえに相手を言いくるめることが出来ないことを計算した九峪は、仕方なくへこへこと頭を下げる覚悟で言い直すことにした。
 こういう拘らないところが九峪の強みであったが、仮にも神の遣いである。清瑞や珠洲が見ていたら呆れられながら「軟弱者」と酷評されたことだろう。神の遣いの信仰者が見たら卒倒ものだ。

「偉大で可憐で絶対の火魅子様、お助けください。哀れな私めをお導きください、火魅子様」
「……分かりました。私が助けてさしあげます」

 最初からそうしてろよ、と九峪は思ったが、復興軍が成立して間もない頃に清瑞に喧嘩を売って殺されそうになったことを思い出し、ぐっと我慢。古代人には洒落が通じないのだ。

「ありがとうございます」

 しかし何はともあれ助けてもらえるのは嬉しい。九峪が気をよくして心の底からお礼を言うと、声の主もまた気分をよくしたようだった。

「構いませんから、気にしないでください。私も悪いのですから」
「は?」
「あ、何でもないです。気にしないでください」
「いや、気にするなって言われても無理だって。『私も悪い』ってどういう意味だよ。だいたい、姿を見せろよほんと」
「…………」
 
 まただんまりされた。もうここまで来たら呆れを通り越して感心したくなってくる九峪だった。

(俺も困ったら黙って頷いてただけだしなあ)

 仲間だな、と一人心の中で頷きながら、九峪は丁寧に謝った。

「すみません。空耳だったようです。私は何も聞いていませんし、火魅子様の御姿を拝見するなんて畏れ多いです」
「そうですか。それならいいのです」
「はい。それで私を助けてくださる件をよろしくお願いしたいのです」
「安心してください。任せてください。何とかしてさしあげましょう」

 やっぱり何となく子供が無理して背伸びをしているような物言いに不安が募ったが、それでも今は信じるしかないのだ。
 自分に何度もそう言い聞かせた九峪は、観念したように目を閉じた。すると

チリィン……。

 と途絶えていた鈴の音が聞こえ、脳裏に日魅子の姿が浮かんできた。
 昔と変わらない日魅子の笑みだった。それでふんぎりがついた。日魅子が「安心して。それでいいのよ」と言っているような気がしたからだった。

「よろしくお願いしますっ!」

 力強くお願いする。

「はい。では……っ!」

 むん、と気張った子供の声。

(こんなんで大丈夫かぁ?)

 と一瞬気が抜けたが、やがて空気がどろどろと胎動し始めたのを感じ、九峪はいたく感動して声をあげた。

「お〜〜! すげえすげえ! お前、本当に火魅子みたいなやつだったんだな〜!」
「むっ」
「あ、悪ぃ。いえ、すみませんでした。ささ、その調子で続けてください!」
「………」 

 即座に謝ると、黙りながらも力を行使し続けてくれた。ちょろいもんだ。九峪が自分の謙虚さに感動していると、空気が今では粘膜のような圧力を持ち、圧迫してきた。
 それはとろけるような感触だった。
 皮膚がゆるやかに剥がれ落ち、再生し、新品に生まれ変わる感覚。
 熱いほどに火照った全身は、筋肉が縮み、骨も飴のように溶け、小さく丸まった胎児に逆行しているような気分だ。
 
(なんかこう、エステみたいだな。よく分からないけど)

「九峪……九峪……大丈夫?」

 あまりの気持ちよさにまどろんんでいると、遠いところから小さな声が聞こえてくる。
 しかし九峪は掴みどころのなくなってしまった意識を集中できず、ぼんやりと聞き流すことしかできない。

「九峪……。ねえ、これでいいよね? 私も、九峪に死んでほしくなかったから」

 チリン、と鈴が鳴る。

「大丈夫です。日魅子は九峪と同化するだけですから、意識は……おそらく戻るはずです。………50%くらい」

 先ほどの子供の声がやはり子供らしい感じで答える。

「これしかないんだよね?」
「なくはないです。ただ、可能性の問題です。時空間の歪みは一人という個に複数の可能性を与えます。異界との接点、それはすなわち個は個でありながら個でなくなるのです。この九峪は九峪でありながら、日魅子の知る九峪ではありません。つまり、こちらの九峪を助けるためには、また異界へと送り、九峪が死んだ可能性を消し去る必要があるのです。そして同時にそれは」
「私の代わりになる、ということだよね」
「はい。そうなります」
「あなたはどうなるの? ……それより、あなたって誰なの?」
「私は……ある神器です。キョウがお世話になったみたいですし、邪麻台国を復興していただいたお礼です」
「え? でもさっき火魅子って……」
「…………?」
「そんな不思議そうな顔しないでよ。うん。でもまあ、それでいっか」
「はい」

 九峪には既に意識がなかった。そして不意に『この九峪の知らない』日魅子の意識も途絶えた。





 そして、まばゆい光が暗闇を圧した。
 九峪は次の瞬間、二度目の降臨を果たす。


 三世紀の九洲の、『はじめ』のあの瞬間に。
 しかし、今度は神の遣いとしてではなく、……ひょっとしたら火魅子の直系として。
 周囲から「すけべぇ」と大いに認められている九峪にとってはこの世の終わりかもしれないが、紛うことなき女性として。

「そういえば、これだと九峪が二人になるよね。……神の遣いの九峪と、未来を知る九峪。大丈夫かなぁ……?」

 声の主は何となく「やっちゃったかも」という感じで呟いたが、それを聞く者は誰も居なかった。