火魅子伝改(改訂版) 第八話 激突 (H:ALL M:伊万里 J:シリアス)
日時: 06/24 14:30
著者: 矢野 晶   <akirada@hotmail.co.jp>

「はてさて…どうしたらいいかな…」

 九峪は苦悩と戦っていた。
 今いるのは自分に割り当てられた部屋だ。
 本来一人でいるはずなのだが室内には他に三人も居る。

「ねえ、ねえ、九峪の鞄の中を見せてよ〜」

「意外と狭いんだな」

「こら、兎音。失礼な事言っちゃ駄目でしょ!兎奈美も勝手に鞄を開けようとしない!」

 困らせている原因である目の前の少女達…言うまでも無く魔兎族三姉妹だが…その原因
である本人達は全く気にした様子もなく、のほほ〜んとしていた様子を見て九峪は頭を抱
えたくなる。

(さてこの事情をどう説明―)

 三人の事をどうやって説明するか考えようとすると嫌なタイミングで扉をノックする音
が響く。それとともに九峪の心臓が跳ねる。

「九峪様?いらっしゃいますか?」

(こ、この声は亜衣さん!!や、やばい…まだ言い訳が―)

 何かないかと頭を回転させるが、そこで誰も頼んでいないのに兎奈美が返事をする。

「九峪様ならいるよ〜」

(あわわ…どうするどうする…明日晴れるかな?二度ネタは駄目か…って逃避行してる場
合じゃない…こうなったら)

「兎音さん、膝借りるぞ」

「は?」

 兎音は返事を返す前に九峪は行動に移す。
 突然立ち上がった九峪は兎音の膝を枕に横になる。実際に膝枕をしている兎奈美はもち
ろん、兎華乃、兎奈美も虚をつかれて固まっている。
 丁度のタイミングで亜衣が入ってきた。

「く、く、く、九峪様!!なんですかその格好は!!それに…その人達は誰ですか!!」

 凄い剣幕で迫ってくる亜衣。
 その後ろには伊雅、清瑞、伊万里、星華など先ほど会議に集まっていた面々がいた。
 皆怒気や殺気やら呆気など色々放っているのだが清瑞、伊万里の二名は群を抜いて凄い
オーラを発している。

「ああ、こいつ等は…俺が雇った親衛隊だ。こいつ等がいたら五百の兵ぐらいなら、あっ
という間に倒してくれるぞ」

 鼻の下をのばし、下心見え見えの九峪の言葉に耳を貸す者はいない…いるはずがない。
 それに三人の女性に五百の兵が相手に出来るわけが無いと誰もが思っている。
 皆は『神の使いは女好きで親衛隊と言う口実で女と一緒に居たいだけ』と脳内で変換さ
れる。
 それは兎奈美と兎音の異様な成り立ちを見れば、そう思うのも仕方がないことである。
 九峪が言っている事は、何一つ間違いはないのだが信用できるはずがない。

(な、なんとかもっともらしい言い訳…かなぁ?)

 自分で言っといて自信が無い九峪。
 とりあえず相手の出鼻は挫く事には成功しているので早々に話をずらす。

「ところで用事があったんじゃないの?」

「いえ、特にございません!!失礼します!!」

 九峪の狙い通り亜衣は怒鳴り声に近い声で答えて踵を返して部屋を立ち去っていく。
 それを倣(なら)って他の者も続く。
 伊雅が清瑞に何か耳打ちして立ち去り、清瑞だけが残る。
 伊万里も残ろうとしたが伊雅に連行される。

(気持ちは分からなくもないが…火魅子候補が九峪様と一緒に行動してはまずいのでな)

 意外と冷静な伊雅。
 九峪の策は完璧だった。九峪が立ち去った後に問題点の改善方法などを検討した結果…
九峪が予め竹簡に記された方法で全て解決したのである。
 今回の事も何かの考えがあっての事だと伊雅は思っている。
 兎華乃達と清瑞を除く他の者の姿が居なくなって慌てて九峪は身体を起こすと深々と頭
を下げる。

「兎音さん、ごめん…他に打開策が思い浮かばなかった」

 謝罪している相手の兎音は顔を赤らめて上の空で聞いているのかいないのかわからない。

(やはり演技だったか…)

 清瑞はそんな気はしていた…だが、嫉妬と言うものは分かっていても抑えられるもので
はない。

「顔を上げてください……なぜ、あのようなまねを?」

 話をしていいものかと少し迷ったが謝っている時点で話さないわけにはいかない事に気
づいて自分の思考の浅はかさを感じた。

「実は…」

 九峪は事情を話すことにした。
 事情を説明していくうちに何処かへ旅立っていた兎音は現実に戻り、話に加わる。
 最後に兎華乃達は頷いて納得していた。

「なるほど、そういう意図があったんですか」

「ああ…ところで兎華乃ちゃん達にお願いがあるんだけど…」

 何やら言いづらそうに控えめに言う。
 兎華乃は小首を傾げるその仕草は歳相応で可愛い。

「なんですか?」

「さっき言ったように俺の親衛隊に入ってくれないかな?…親衛隊と言っても他にいない
んだけど…」

「えぇ、喜んで」

 返事に間もなく、嬉しそうな声で返事をする兎華乃。

「任せて!どんな奴が来ても返り討ちにしてやるから!」

 嬉しそうに笑い胸を叩いて自信満々で言う兎奈美。兎音はただ頷いただけだったが顔は
嫌がってはいなようだ。

「ありがとう…助かるよ」

 九峪は兎華乃達に礼を言った後、清瑞に向き直る。

「じゃあ自己紹介だ。兎奈美さんは知ってると思うけど、そこにいるのは清瑞だ。乱破で
俺の事を知っている数少ない者の一人で、俺の護衛だ」

 紹介をされて清瑞は会釈した。
 兎華乃達も打ち合わせでもしていたかのように揃って会釈で返す。

「こちらは長女兎華乃ちゃん、次女兎奈美さん、三女兎音さんだ」

 呼ばれた順に会釈する三姉妹。その順通りにに見ていく清瑞は怪訝な顔をしている。
 その理由が最初に九峪が思ったことと同じである。

「気持ちは分かる…が事実だ」

 清瑞が思っている事は九峪が最初に兎華乃と会った時に思った事と同じ思いなのだろう
なぁと思い言う。

「は、はぁ」

 とりあえずは納得したようである。
 兎華乃は九峪の言い様に拗ねたようだ。いい加減小さい身体を、さらに小さくして床に
『の』を書いていた。
 兎奈美と兎奈美は、そんな様子を見て笑うと兎華乃は二人を物凄い目つきで睨むと揃っ
てはブルブルブルと身震いをさせて、笑ったのを後悔するように引きつった表情で固まっ
ている。

「兎華乃ちゃん達が住んでた村が狗根国軍に襲われたんだそうだ。そこへ伊雅が出した隠
れ里への使いに偶然会って、ここを知ったそうだ」

 適当な説明を加えて報告するが兎華乃達が魔人である事を黙っておく。
 耶麻台国の大きな敗北原因は魔人、魔獣の存在だったとキョウから聞いていた。
 それなら当然魔人、魔獣を怨む者がいてもおかしくはないのだ。
 それが清瑞ではないと保証はない。

(今はまだ誰も知らない方がいい…清瑞にとっても…兎華乃ちゃん達にとっても…な)

「そうですか…お悔やみ申し上げます」

 清瑞は九峪の説明を信じて、悔やみの言葉を送った。

「これは…どうも…ですが気にしないでください」

 本当の事情はそれほど大した事ではないのだが、せっかく九峪が考えて話してくれてい
るのだから、それに甘える。
 兎華乃は中々の女優っぷりで目尻に涙を溜めて悲しいが懸命に立ち直ろうとしている…
ような子供(本人は女性のつもりだろう)の演技をする。

「と言うことで、兎華乃ちゃん達で俺の『親衛隊』を結成する。それを伊雅に伝えてくれ」

「はっ!!」

 清瑞は軽く頭を下げると伊雅に報告すべく立ち去っていった。
 清瑞が行ったのを確認した九峪は兎華乃達とこれからの事を話を始めた。







 星華達は飛空挺の製造、調整を行っていた。
 羽江の機嫌によって変化する製造に関しては、九峪の励まされてご機嫌は上々の羽江な
ので着々と製造されている。
 すでに、星華の流星丸、亜衣の一郎丸、羽江の三郎丸の製作を終えていた。
 今は最後の衣緒の次郎丸の製作に取り掛かっている。
 星華と亜衣は飛空挺の試運転をしていた。
 なぜ衣緒の飛空挺を最後にしたかと言うと、元々肉弾戦が得意な衣緒には飛空挺は移動
手段としては使うが戦闘では使用しない為である。
 羽江とは違い、亜衣は不機嫌だった。

(あのような者を指導者にしていていいのか!皆が忙しいと言うのに女と遊んで!言い訳
には親衛隊などと言って!)

 亜衣の異様なまでのオーラに誰も近寄れない。
 そんな事を考えていても飛空挺の試運転は、きっちりやっているので話しかける必要は
ないのが幸いだった。

「お姉ちゃ〜ん!!使い心地はどうだった〜?!」

 近寄り辛い雰囲気を漂わせている亜衣に気づきもせず羽江は近寄って飛空挺の感想を求
める。

「ああ、まだ少し調整がしなくてはいけないが…特に問題はない」

 不機嫌な事には変わりはなかったが、いつもの口調で感想を述べる。さすが将来を担う
文官候補の一人である。
 羽江は嬉しそうな顔で踊り始めた。

「わ〜い、これでお兄ちゃんの役に立てるかな〜?」

 なぜか羽江は九峪のことを「お兄ちゃん」と言って親しんでいるのは亜衣は知っている。
 星華の後見人としては、身内から神の使いと親しき者が出るのは嬉しい…だが、姉とし
ては、好ましくない。
 そんな亜衣の複雑な気持ちなど羽江は知るはずがなく、むしろ九峪と会ってからモチベ
ーションに左右されやすい飛空挺の製作、調整がハイペースで行われていく。

「さあ、どんどんいこ〜♪」

 羽江は所定の位置に戻り次郎丸の仕上げに掛かった。
 亜衣はそれ以上この事を考えず、黙々と一郎丸の調整に没頭する。






 伊雅や虎桃は、各地から続々と集まる者達の対応に追われていた。
 人手が足りないが、音羽と上乃は志願兵達の訓練、案埜津は国府城に工作に、真姉胡と
仁清は物見に出ていた。
 伊万里は暇をしていたが、火魅子候補である以上、まだ表に出られては乱破などの対策
が万全でない為部屋で待機している。

「そちらの方はあちらへ!!そっちの方はこっちへ!!」

 いつもは気の抜けた話し方をする虎桃も、だいぶ苛立ってきたのか時間が経つに連れ口
調がきつく、厳しくなっていく。

「伊雅様」

 先ほど九峪が言った事を伝える為に現れた清瑞だ。

「して…あの者達は?」

 一時的に応対をやめ、清瑞の話を優先させる。
 兎華乃達の経緯を話す。

「わかった…とりあえず、お前には国府城に工作に出て欲しい。先に行っている案埜津と
合流してくれ」

「御意」

「伊雅さま〜そっちをお願いします〜」

 先ほどまでイライラしたような口調虎桃の困り果てた声が聞こえ伊雅は歩き出した。
 ここにいる必要がなくなった清瑞は早速、国府城に向かって走り出した。








 まあ、あれやこれやとやっている内に、あっと言う間に2日が過ぎた。
 亜衣はもちろん、他の幹部から九峪には作戦の内容は全く教えられなかった…まあ、作
戦を立てた張本人なので別に今更教えられる事もないのだが。
 あんな姿を見せたのだから仕方がない。
 その作戦の決行の日が今日だ。
 伊雅の部隊…第一軍団は昨日、100人の少数精鋭で昨日出発している。
 第一軍団には、清瑞がついていた。
 役割は、遠回りをして兵が減っている国府城を落とす事。
 伊万里の部隊…第二軍団は500人を連れ、今から出発するところだった。
 第二軍団には、虎桃、仁清、真姉胡がついていた。
 役割は、狗根国軍を第三軍団が待つ場所まで連れて行くのが役目である。相手に油断を
誘う為に武装はあまりしていない…と言ったら聞こえがいいが、実際は武具は圧倒的に足
らないのが現状だ。
 星華の部隊…と言うよりは亜衣が指揮するのだが…の第三軍団は900人を連れる。
 武装は、第二軍団よりはマシだが、やはり不足している。
 第三軍団には、副官亜衣、他には衣緒、羽江、音羽、上乃、案埜津がついていた。
 第二軍団が誘い出した狗根国軍に奇襲をかけ、殲滅するのが役目だ。
 九峪は親衛隊…と言っても三人しかいないが恐らくどの部隊より強力な部隊なのだが…
は、隠れ里に残る事になっている。
 亜衣曰く「神の使いである九峪様は安全なところに居て下さい」との事だが、実際は神
の使いの醜態が兵士の目に入るなら士気にに関わるからである。
 伊雅も特に異論を唱えなかったし、九峪自身もそれを望んだ。

「九峪様…行って参ります」

 伊万里の第二軍団と星華と亜衣の第三軍団が出撃するところだった。
 出撃する前に九峪に挨拶をする伊万里。

「ああ…くれぐれもお気をつけろよ?」

 いつもの口調ではなく少し言い聞かせるように言葉に意思を込めて送った。
 平静を装う九峪だが幾つか心配の種があった。その一つが伊万里である。
 まだ出会ってからあまり経っていないが伊万里が真面目で責任感が人一倍強い事は、そ
れだけに次々と死んでいく兵達の姿を見ても平常心でいられるかが心配であった。
 人の犠牲の上を歩くのは非常に辛いもので、それは九峪自身の身にも言えることであっ
たが今は伊万里の心配が先であった。

「えぇ、私もまだ死にたくはありませんから」

 伊万里は笑顔で言った…が、頬は引きつり緊張をしているのは他人の目から見れば一目
瞭然だ。
 少し前まで山人であった伊万里に緊張をするなと言うのは過酷な物である。
 九峪は何か言葉を送ろうと考えたが良い言葉が思いつかなかった。
 色々考えていると伊万里の副官…伊雅がつけてくれた耶麻台国縁の者で今回の目的であ
る逃げるには不似合いである重々しい鎧を着ている。それでも平然と走っている所を見る
と相当の体力自慢であるのだろう。

「伊万里様!準備が出来ました!!」

 九峪が前に居た事もあり丁寧に礼をすると多少興奮気味に報告する。

「では…行って参ります」

 そう言って伊万里は九峪に背を向け、自分の戦場に歩み始めた。
 そして、第二、第三軍団は出陣していった。それを見送り九峪は自分の部屋に戻る。







 隠れ里を発って5時間ぐらい経ち第三軍団と別れ、10時間ほど進行を続けた伊万里の
率いる第二軍団は予定されていた通り小高い丘に陣を整える。
 丘を下りきったところには狗根国軍450人もの軍勢が陣を敷いている。
 時間は午後7時頃だった為、夜戦をする事は避けて休んでいる両陣営。
 この時代では電気なんてものがあろうはずもないので篭城戦ならともかく野戦では敵味
方の判別が難しく同士討ちとなる事があるので夜戦は行われないのが決まりみたいなもの
である。

「四百五十か…多いな…」

「そうかな〜?こんなもんだとおもうけど〜?」

 伊万里の緊張した声とは打って変わって、のんびりした声で答えたのは虎桃だ。
 あまり聞いていないように見える虎桃なのだが、意外と地獄耳だったりする。今の呟き
も離れていたら聞こえない程度の音量なのだがはっきりと聞こえている。
 虎桃は笑顔で伊万里に話しかけて眼に見えて緊張をしている伊万里を少しでも和らげれ
ば、という虎桃の気遣いだった。

「これぐらい出てきてもらわないと〜伊雅さまが大変ですよ〜」

「それもそうだな…ところで…虎桃さんは成功するか不安じゃないのですか?」

 ここ数日の間いつもこんな調子で対応する虎桃を見ていたら、そんな事を思ってしまう。
 虎桃は少し思考して、やはり能天気な声で答えた。

「う〜ん…どうなんだろうね〜?不安じゃない事もないけど…今まで戦術の事に関しては
何も言わなかった伊雅様があれだけ自信を持って進めた策だからね〜成功すると思ってる
し」

 伊万里は緊張のあまり肝心な事を忘れていた事に気づいた。
 伊雅が策を提案しただけで実際は九峪が策を立てたことを思い出した。

(そうだ…九峪様が考えた策なのだ……失敗するはずがない!)

 失敗しない根拠は何処にもない。それでも、肩の荷が下りたような気がした。
 これまでずっと緊張していた伊万里の表情が和らいだ。
 それを確認した虎桃は提案する。

「伊万里さま〜?もうそろそろ休みませんか〜?」

「ああ…そうしよう」

「伊万里さま〜一緒に寝ましょ〜」

「いや、えっと」

 虎桃は冗談で言っているのかと思ったら真剣だったらしい。
 いつもの気が抜けた虎桃は何処へやら、物凄く真剣な眼差しに負けて伊万里は頷いてし
まった。

「やった〜じゃあ〜行こ〜」

 伊万里は虎桃に背を押されて連れて行かれる。
 その後、伊万里の必死の抵抗が続いたが…結局一緒に寝る事になったのだが。

「あ、こら!何処を触ってる!」

「え〜それは〜」

「わ!やめろ!」

 この後どうなったのかは二人だけが知っていることである。







 伊万里と虎桃が何やら騒いでいる頃、丘の上の耶麻台国残党の陣営を見ている人物がい
た。
 残党狩りを一任された武将…名は多李敷という。
 多李敷は才能は、それなりに恵まれていた…下位ではあるが将軍にもなれるぐらいの実
力はある。
 多少強欲ではあった…が、他の狗根国武将に比べれば可愛いものだ。
 このような人物がなぜこんな辺境の地にいるかと言うと…狗根国では血筋が優先される。
 多李敷は農民出の武将だった事が妨げとなり、才能があっても農民出というだけで疎ま
れる存在である。

(だが!出世は目の前!………と言いたい所だが…)

 人生最大のチャンスを目の前だ…だからと言って歓喜にしているわけにはいかない。

(最近地元の噂では火魅子候補、耶麻台国の副王、神の使いがいると言う事だったが、そ
れにしては兵士が少なすぎる。予測では千二百はいるはずだ…伏兵がいるな…噂も本当な
のか疑わしいな)

 噂を信じるわけではなかった。だが攻めてきているのは五百程度の残党、その程度の数
に篭城をしたとは多李敷の評価が下がる事は必至だ。しかも、城主の相馬は強欲で…残党
が流したと思われる噂を丸呑みにして火魅子候補、副王、神の使いをなんとしても捕らえ
よという命まで出されている。
 戦闘中に特定の人物を捕縛するのは至難の業だ。
 多李敷はその命を無視して、余裕があれば捕らえれる程度に思っている。

(耶麻台国残党は雁行の陣か…)

 雁行の陣と言うのはVの字に兵を配置する陣形だ。
 基本的に弓の攻防を行う場合に敷くものである。
 通常の戦闘で…しかも高い位置に軍を配備できた場合、中央に兵を集める錐行の陣で下
る勢いに任せて衝突する…それが一般的だ。
 山形(やまなり)に雁行の陣を敷いている所を見ると、あまり自分達で攻める事はしな
いようにみえる。

(そうなると考えられる事は一つ、この一戦では勝つつもりはなく速やかに撤退して兵を
忍ばせている場所まで我々を連れて行く…その辺りだろう)

 一戦も交えることなく九峪が伊雅に発案した策のほとんどは見破られる。

(……まあ、いい…始まればすぐにわかる…)

 多李敷は休む事にした。








「て、敵が動き出しました!!」

 狗根国軍の様子を見ていた兵士が大声で叫ぶ。
 少し緊張が抜けていた他の兵士達に緊張をもたらし、そしてざわめきが起こる。

「よし!!皆!配置につけ!浮き足立つな!」

 伊万里は大声で激励するとざわめきは収まった。
 今伊万里がいるのは兵士100と共に右翼の部隊である。
 中央の部隊、300を率いているのは虎桃だ。本来ならば伊万里が中央の指揮を執るべ
きだったのだが敵が殲滅ではなく中央突破の姿勢を見せている為一番危険な位置となった
ので急遽配置換えを行った。
 それに右翼の少し後ろに移動した場所に森がある。
 森に慣れている山人達を捕まる可能性は極めて低くなる。そういう事もあって右翼には
山人ばかりで編成されている。
 そこに伊万里が入っても問題はなかったし、右翼の方が安全だ。
 最後の左翼の兵数は残りの100人、指揮を執るのは乱破の真姉胡だ。
 真姉胡は乱破の為信頼性が低い、そのため部隊には実力を知っている隠れ里の者が中心
に構成されている。
 仁清は伊万里と一緒に右翼を担当している。
 伊万里が無茶をしないようにと御目付け役と言うことで一緒にした。

「第一弓隊構え!!」

 最前列の兵士達が弓を構えた。
 狗根国軍は勢いよく丘を上がってくる。
 丘の半ばに差し掛かったのを確認して伊万里は号令を掛ける。

「放て!!!」

 狗根国軍に襲い掛かるように矢が次々と放たれた。
 本来であればもっと引き付けてから撃つのだが元々武器の違いがありすぎる上に山人な
ので弓矢には慣れている者は多いが鎧を着ている相手に射た事等あるはずがない。
 実際鎧に阻まれ、弾かれ多少足並みが乱れる事はあっても死者は出ていない。
 元々それほど期待した射撃ではない。
 ただ一人凄いスピード…他の者達が一本の矢を放つ間に四本を放つという驚異的な速さ
でしかも確実に防具に守られていない顔…それも眉間を的確に射抜くのは仁清である。
 狗根国兵は次々倒れていく味方を見て浮き足立つ。

「旗を揚げよ!!」

 そこへ伊万里は出撃する前に用意していた旗を揚げるよう言った。
 耶麻台国の紋章が書かれた幟と共に真ん中に『火』と書かれた旗を掲げた。

「伊万里!」

 真っ青な顔をして叫ぶ仁清の声は無視している。
 中央の陣にいる虎桃は仁清よりも速く矢を撃ち続けている中で旗を確認した。

(まさか…そんな事するなんてね…)

 昨夜の緊張した伊万里の顔を浮かべながら虎桃は思った。

(仁清ちゃんを付けても意味がなかったみたいだね〜)








「多李敷様!敵、左翼の陣にて『火』の旗を発見!!」

 興奮しているようで必要以上に大きな声で報告する。
 それもそのはず『火』の旗は火魅子がいるという意味を示す。

「なに?!」

(どういう事だ。罠の可能性が高いな…だが)

「第一中隊と第二中隊は左翼の陣へ向かえ!残りの部隊はこのまま前進!!」

 中隊は100人で形成されている。
 余っている50人は多李敷の親衛隊だ。
 伊万里のいる部隊に向かっているのは200人と言うことになる。
 多李敷は200人を向かわせれば例え罠があったとしても大丈夫だと判断する。

「…予想以上に手ごわいな」

 まだ接触してないと言うのに約30人もやられた。
 それは虎桃と仁清の弓矢によってやられた数とほぼ同数…つまり二人で30人近くを倒
したと言う事で他の兵達の矢はあまり役に立っていなかった。








「…想像以上に来てくれたな」

 伊万里はこちらに向かってきている200の兵を見ていった。
 こちらに向かって来ている兵士が多く、顔を曇らせている兵士達を見て仁清は大声で言
った。

「恐れる事はないよ!こっちには火魅子の資質を持つ伊万里様がいるんだから!」

「「「おおお〜〜〜〜〜〜〜!!」」」

 曇っていた兵士達の顔が興奮に満ちた顔へと変わり士気は最高潮に達する。
 仁清の勝手な行動に睨むが先ほどの仕返しと目で悟っている。
 そして視線を外し黙々と矢を放っていく。
 もう狗根国軍との距離がなくなった。

「抜刀!!…かかれー!!!」

 伊万里は刀を抜き、空に向いて掲げて先陣を切る。
 慌てて他の兵達も抜刀して狗根国兵士に切りかかっていった。

(ちっ!混乱していない時とは違い、これほど強いのか)

 星華達を助けた時と違って兵士が強くなっているような気がした。
 山人は、農民兵達よりは腕が立つがそれでもやはり正規兵には勝てない。しかも武装が
違うと言う点も大きい。
 鉄の鎧を刀で斬ろうとしても、そう簡単に斬れる物ではないので間接部か顔を狙うのが
一番有効だが難しい。
 伊万里や清瑞、伊雅など幹部クラスであれば鎧ごと斬れるから問題はない。
 7、8人を斬り終えて周りを見ると奮闘している味方がいた。
 だが、被害は50人に達そうとしている。

(もうそろそろ引き上げか)

「引き上げるぞ!!」

 ここからが何より難しい。
 敵に背を向けて走るのは大変危険である。
 近くにいた兵士が撤退を知らせる用の太鼓を激しく叩いた。
 太鼓の音が聞こえた兵は撤退を始めた。
 斬り合っている兵士達以外は撤退が早いが、斬り合っている兵士達はどうしても逃げ遅
れる。

(…こういう時は殿がいるな)

 伊万里は撤退せずに周りで斬り合っている兵達に駆けつけ、敵を切り倒して退却の手助
けする。

(九峪様の気持ちが少し分かるな)

 自分の力で助けられるならそれをやる、それが力がある者の使命のようなものだと実感
する。

(しまった!!)

 背後には狗根国兵が居た。剣は既に振り下ろされ回避は間に合わない。
 斬られると思った。だが、振り上げられて手に何かが刺さり狗根国兵は苦痛に悶えた。
 仁清の矢が狗根国兵の腕を150Mほど後方から射抜いた仁清は伊万里の周りにいる狗
根国兵へと矢を間もなく撃つ。
 自分の辺りを見渡し味方の兵がいない事を確認して仁清のいる場所に走る。
 仁清は伊万里に斬りかかろうとする兵をことごとく射抜き、伊万里を迎えた。

「…すまない…」

「まったく…」

 仁清の言わんとする事は分かっている。それでも伊万里の顔には反省の色が見られなか
った。

(気持ちは分からなくはないけど…伊万里には火魅子になってもらわないと…)

 火魅子にはなるつもりがない伊万里だが、上乃や仁清は真実を告げられ最初は戸惑って
いたものの小さい頃から兄弟のように育った三人である、それぐらいの事に溝が生まれる
事もなく。逆に伊万里を火魅子にするべく燃えに燃えていた。
 それはともかく、二人は森に逃げ込むべく走る。
 もう少しで森に入る…と言うところで突然伊万里は膝を落とす。
 仁清は何事かと伊万里を見る。
 顔が青くなるのが自分でもわかった。伊万里の太腿に矢が刺さり、それは普通の環境な
ら命には別状がある訳ではない、だが今いるのは戦場でその傷は致命的なものだ。
 慌てて伊万里に肩を貸して駆け足で歩き始めた。
 もうすぐで森に差し掛かろうとした時、前方の茂みが揺れ、枝を折る音が聞こえてくる。
 音があまり多くないところから考えて少数である事は分かった。
 仁清は焦る。周囲の地面に乾いた音を発しすぐ後ろに矢が次々と刺さり始めている。
 狗根国兵が追いついてきているのだ。
 前から来ているのだから敵ではないはずだが別働隊かもしれない。
 そしてもし敵ならば戦うしか選択肢が残っていない。

(だけど…そんな事してたら後ろの兵に追いつかれる)

「伊万里様!!」

 前方から向かってきいる者からの叫び声だった。
 その声は既に撤退していると思われた副官で他にも三名ほど部下を連れている。
 二人は走るので精一杯だったので顔をはっきり確認する事はできなかったが重そうな立
派な鎧を着ているのは他に居ないのですぐにわかった。
 後ろから迫る狗根国兵と伊万里の状態を確認して副官は状況を把握したようだ。

「伊万里様達は早く森へ!!後は私達のお任せを!!」

 叫びながら狗根国兵の一団に向かって走っていく。

「馬鹿!やめろ!!」

 副官達が何をしようとしているのかを察し伊万里は悲痛な叫びを上げる。副官達を止め
ようとしたが、その叫びは耳に入っていないかのように走り去っていった。
 伊万里は悔しさのあまり下唇を噛んだ。

「伊万里!早く!あの人達の行為を無駄にしちゃ駄目だ!」

 仁清の喝が効いたのか伊万里は、遅くもながら歩き始めた。
 そして森に入った…すると二人の背後から絶叫が聞える。
 伊万里は一瞬足を止め…そしてまた歩き始め、頬には涙が伝っていた。