火魅子幻想譚 間奏話・揺り籠(H:オリ M:九峪、志野 J:シリアス)
日時: 03/21 20:05
著者: 由紀



街からほんの僅かに離れた、郊外にその建物はあった。
個人の宅にしては少し大きすぎる、屋敷と言って差し支えないほどの規模であった。

四方を薄い木の板塀で囲まれており、入り口の近くには『孤児院』と書かれた横板が取り付けられてある

戦争で親や家族を亡くした子供たちを育てるために、という目的の下、九峪の発案で建てられたものだ。
お世辞にも潤沢とは言えない復興軍の資金の中から、幾許かを割り当てて作ったものだからさほど大きな施設は作れなかったが、それでも街の人からは歓迎の声を持って迎えられた。

今では町民たちも、自分たちの可能な範囲で援助を――使わなくなった衣服や家具、多少の食料、そして財貨を寄付してくれていた。
孤児院などの公共施設は維持してゆくにもかなりの負担が掛かってくるため、これら有志による助けはありがたいものであった。

そうした周囲の力添えの甲斐あって、孤児院では預けられた子供たちが元気に暮らしていた。







火魅子幻想譚 間奏話・揺り籠







街の賑わいは不思議なものだ、と思った。
歩いているだけで何となく気持ちを湧き立たせる。

売り子の人を呼び込む威勢のよい声。

立ち話に興じる女性たちの笑い声。

子供らが所狭しと駆け回るはしゃぎ声



未だ戦争の真っ只中にある状況ではあったが、少しずつ活気を取り戻しつつあった。

そんな喧騒の風を体に受けながら、ゆっくりとした足取りで九峪は目的地へ向かっていた。
時刻は既に正午を回っている。

本当なら午前中に訪れようかと考えていたのだが、細々とした雑務がありすぎて先にそちらを片付けていたため、終わったときには既にかなりの時間が経ってしまっていた。

(怒られそう……だな)

子供たちに、である。

九峪が神の遣いであるということは知らされておらず、毎週来てくれる優しい人、と子供達は思っている。
彼らはいつも九峪と遊べることを楽しみにしており、時間が遅れると一様に膨れっ面をして九峪を責め立てる。

それを思うと、これから向かうのが少し怖くなる九峪であった。



と、考えている間に孤児院へ辿りついていた。
裏手――子供たちの遊び場である――に設けられた庭のほうから子供たちのはしゃぎ声が風に乗って聞こえてきた。

孤児院の玄関に当たる木戸の前では、ひとりの年輩の女性が掃除をしていた。

顔を上げて九峪の姿をみとめると、

「おや、九峪様、今日は遅かったですね」
「ああ。いろいろ片付けることがありすぎてな」

そう答えると、女性は笑いながら庭の方を指し示して

「あの子らが待ち侘びてますよ。まだお兄ちゃんは来ないの?って」
「そ、そうか……」

なんと言うかこれからの自分の姿が容易に想像できてちょっと嫌であった。

「あたしも午前中だけで何度『お兄ちゃんは?』って聞かれたことか」

そう言って可笑しそうに笑う。
神の遣いである九峪が一番最初にここを訪れて顔を合わせたときは、今とは比べ物にならないほど緊張して狼狽していた彼女であったが、今では慣れてきてからかいの言葉もかけてくる。
九峪自身もまた、変に畏まられるのは嫌っていたため、今のこうした雰囲気は好ましいものであった。

と、そろそろ庭の方へ行ったほうがいいだろうということに気づいた。
いつまでもここに居ても結果は変わらない。

覚悟を決めたほうが良さそうである。

「……行ってくる」
「ご武運を」

微笑みながら、ああ、それからと女性は付け加えて

「今、庭のほうに志野様も来ていますよ」
「? 志野が?」
「はい。少し前に来られて子供達と遊んでくださっています」
「そうか……」

再び掃除に戻った女性と別れて九峪は庭の方へ向かった。
建物の横を少し歩けば広いところに出る。

そこが子供達の遊び場になっていた。

「志野が来ているのか……」

何となく口に出してみたものの、別に意外というわけではない。

孤児院が出来上がってからは度々訪れて子供たちの相手をしている、というのを――実際にその場に出会うのは初めてであったが――人伝に聞いていたからだ。

と、気づくといつのまにか先程までずっと聞こえていた子供達のはしゃぎ声が止んでいた。

「………?」

怪訝に思って足取りを速める。
あと二、三メートル行って建物の角を右に曲がればそこが庭だ。

と、九峪が角に差し掛かって曲がろうとした時に、「それ」が聞こえてきた。



風に乗せられてその歌が。





      ふと思い出した 懐かしい約束の歌を

      幼いころに聞いた 優しいかけら

      長い冬を乗り越えた 春の花は 

      これからも優しく咲き続ける
                   
                    ねぇ どんなに離れていても たどりゆけば

                    聞こえてくるから 約束の歌が

                    ほら どんなに挫けても たどりゆけば

                    歌えるはず 約束の歌を……





      耳を澄ませば 小さな鼓動が響きだす

      揺らめく光は ずっと照らしている

      見上げた先の 空に架かる虹はずっと

      これからも七色に輝き続ける

                    ねぇ どんなに隔たりがあっても たどりゆけば
 
                    伝えられるから 約束の歌を

                    ほら どんなに挫けても たどりゆけば

                    歌えるはず 約束の歌を……

 




緩やかな、そして心地よい余韻を残して歌声が空に消えていった。

とても穏やかで優しい旋律。

春の陽光を思わせる、命に溢れた歌――九峪はそう感じた。

聞き入って止まっていた足をゆっくりと動かして、庭に続く角を曲がった。

そこには平和な光景が広がっていた。

庭の中央の草地に志野と子供達は居た。

暖かい陽射しの中、はしゃぎ疲れたのか子供たちは穏やかな寝息を立てて眠っている。

先ほどの志野の歌は子守歌だったのだろう。

そちらの方へゆっくりとした足取りで――子供たちを起こさぬように――近づくと、気配に気づいた志野が顔をこちらに向けた。

一瞬驚いた表情をしたものの、すぐにいつもの優しい微笑を向けた。

「寝てる……のか」

自然穏やかな口調で九峪は言葉を発した。

「はい。ずっと遊んでいて疲れてしまったみたいです」

優しく微笑みながら、志野は言葉を返した。

その志野の、正座に近い座り方をした膝の上では、一人の少女が同じように眠っていた。

母親に甘える幼児のように、志野に軽くしがみ付きながら幸せそうに寝息を立てている。

そんな少女の髪を撫でてやりながら、志野は悪戯っぽい笑顔になると、

「あと、九峪様を待ち侘びて、というのもあるかもしれませんね」
「………」

可哀想なことをしたな……と九峪がこぼすと、志野はクスクスと笑った。

「起きたらたくさん遊んであげてください」
「……ああ」

そこで言葉が途切れた。

静かで心地よい静寂の時が訪れる。
空から降り注ぐ春の陽射しはとても暖かい。子供達でなくとも眠気を誘われるような快さだ。

「…………」
「…………」

互いに何も言わない。

言葉には所詮限界がある。

不完全で縛られた「言葉」で表すには「今」はとても大きすぎた。

こうした穏やかな空気はこれから何度あることだろう。
せめてこの瞬間だけは、ということを九峪も志野もよくわかっていた。


春のそよ風が頬をくすぐってゆく。
少しずつ咲き始めた花が小さな輝きを放っている。


そして……しばらくしてから、子供達を起こさぬように志野は少し声を抑えて声を発した。

「先程の歌、お聞きになられましたか?」
「? ああ。……とてもいい歌だと思った。何かの舞の歌なのか?」
「いいえ。小さいころよく聞いた歌です。聞かせてくれたのが誰なのかはっきりとは覚えていないのですが、この歌だけはよく覚えていました」

少し空を見上げて何かを懐かしむ目をした志野はそう話した。

「作った方がどんな思いを込めたのかはわかりませんが……私はこの歌は大好きです」

視線を再びこちらに戻し、微笑む志野。

「そうだな……。俺は音楽はあまりよくわからないが……とても優しい歌だ」

九峪がそう言うと、志野は頷いた。

「きっとこの歌は……子供達に聞かせる歌なんだと思います。つらいことがあってもまた頑張れる様にと……」

膝の上で眠る少女の髪を撫で続けながら志野は言葉を紡いだ。

「大人になってつらいことがあっても、この歌を支えに……。そしてまた次の子供達に……。そうやってずっと受け継がれてきた……」

眠る子供達に優しい視線を向ける。
九峪も同じように子供達を穏やかに見ながら

「この子供たちも……」
「え?」
「この子供たちもきっと大人になって自分の子供達に聞かせるはずだ」

九峪がそう言うと、志野は少し寂しげに微笑んで

「そう……ですね。そうなればとても素晴らしいことだと思います」

志野の表情が一瞬翳った理由は九峪もよくわかった。

今は戦争中だ。
この街とて絶対に安全だという保障はどこにもない。

目の前で眠っている子供達が無事に大人になれるのかどうかもわからないのだ。

それでも、と九峪も志野も思った。
出来ることなら穏やかに育って欲しい、と願った。

「九峪様……」
「?」

志野が静かにこちらを向いた。

「以前お聞きしましたね。『これからどうするんだ?』と」
「……ああ」

当麻の街を取り返した後、志野たちと出会って事情を聞かされたときに九峪はそう聞いた。
それしか問えなかったとも言えたが。

「……確かあの時は『今はまだわかりません』と答えはずだったが……」

その時のことを思い出しながら九峪が言った。
そうでしたね、と志野は言って、少し間を置くと、

「正直に言えば……」

そしてもう一度ひとつ区切ると

「敵討ちに助力をしてくださったご恩を返したら、私達はまた『旅の一座』に戻ろうと思っていました」
「………」

九峪に話すとともに己の決意を確かめるように志野は言葉を紡いだ。

「火魅子候補と言われてもそんな実感などありませんでしたし、それにもっとふさわしい方も居ましたから」

志野の言葉は続く。

「何より座長から受け継いだ踊りで多くの人に明るさや希望を与えてあげたい、とも思っていましたから……いずれお暇するつもりでした」

ですが、と九峪をじっと見つめると、

「いろいろと見て、考えて………私達は……私は残ることに決めました」
「…………それは……」

九峪が言いよどむと、

「火魅子候補ではなく、『志野』としてです」

志野がそう返した。
膝の上で眠る少女に視線を落とすと、

「この子達を守ってあげたい。この子達が無事に大人になれるようにしてあげたい……この子達に『歌』を語りついで欲しいと思ったんです」
「…………」

顔を上げて九峪を見る。

「火魅子候補として名乗るつもりはありませんが、それでも良いというのであれば私は九峪様の力になりたいと思います」

決意した表情であった。

目的を見つめた輝く表情。

敵討ちを終えた頃と比べれば天地の差がそこにはあった。
彼女なりに復讐を終えた後もずっと考え悩み続けて出した答えなのだろう。

「……ありがとう」

短いが、ただ一言。何よりも自身の思いを伝えることのできる言葉を九峪は言った。
志野はただ優しく微笑んで、

「頑張りましょう、九峪様」
「……ああ」

この子達が無事に大人になれるように――と。





      ――長い冬を乗り越えて 春の花は
                これからも優しく咲き続ける――