火魅子幻想譚 間奏話・伊万里 ―前編― (H:オリジナル M:伊万里 J:シリアス)
日時: 03/26 02:04
著者: 由紀

夜が明け始める瞬間。
うっすらと黒から青みがかった色へ。

夜とも昼ともつかぬ時間帯。
静寂に包まれ、まるで神がそこにでも居るかのように神聖な時間。

ふいに遠くから、ザッ、ザッ、ザッ、と一定の間隔で音が聞こえてきた。
足音だ。

人も動物も、そして木々でさえ生命活動を潜めていると錯覚するほどの静けさの中、彼女は――伊万里は歩いていた。




火魅子幻想譚 間奏話・伊万里 ―前編―




昔から明け方が好きだった。

何故と聞かれても、はっきりとした答えは持ち合わせていないが、この静けさに満たされた時間は好きだった。


「闇」が取り払われ、陽が昇るまでの僅かな間。

ひっそりと静まり返っているのに、不安を感じさせない。

空気はとても清浄で。

呼吸をする度に、体の中に透明感が広がってゆくように感じられた。


今日は珍しく朝靄が立ち込めていた。

綺麗だ――と伊万里は感じた。

白く透明度の低い霧は周囲を包み込んでいて。

森や建物に寄り添い、時によけるようにして体積を広げていた。

「霧中」という言葉があるように、今もほとんど先は見えない。

だが、毎朝同じようにして歩いている伊万里にとっては問題とはならなかった。

見慣れた風景を視界の左右に流しながら、伊万里は「目的地」へ向かっていた。


歩くことしばし。


程なくしてたどり着いた。

鍛錬場。

城外にいくつか設けられたうちの一つ、程好く広い空間が確保された修練場。

四方を木の柵で囲ってあり、場内には練習相手である、「人型」の藁人形が何体か屹立している。

それらの間を歩きながら、中央付近へ。
そこだけは一体も藁人形が存在しない。

十分、動き回ることが出来る。

立ち止まると、それまでの自分の足音が消えて再び静寂に閉ざされる。



「………………」

それにつられたというわけでもなかったが、霧が立ち込める中、伊万里は深い思考の波に沈んだ。

……あれから幾度となくこの訓練を繰り返しただろうか?

それまで――剣の基本を養父である趙次郎から学んでから――自分なりに工夫し、磨き上げてきた。

しかし、九峪の戦い方を初めて目の当たりにした時、


――自分の剣には無駄が多い


はっきりとそう感じた。

間合いの取り方、呼吸、剣閃、体捌き。

その全てが伊万里にとっては新鮮であり驚きだった。

僅かではあったけれども、剣ならばそう負けはしない、という自信があった。

だが、宗像神社での九峪と瑞禍の戦いを見てその自信は打ち砕かれた。

この二人には遠く及ばない。
そう思った。些かの抵抗もなく。

だが不思議と屈辱感、敗北感は生まれてこなかった。むしろ逆であった。

強烈なまでの憧れ。

伊万里に生じたのは純真なその一心だけであった。

そして、復興軍に身を投じてから、さらに別の実力者に出会うことになった。

乱破である清瑞さん。

旅の一座の座長を努めているという志野さん。

相撲や素手の格闘技を得意とする織部さん。

大陸から来たという香蘭様と紅玉さん

そして……

普段は飄々としているけれども、槍を使わせれば滅法強い親友の上乃。

彼女たちは皆相当の強さを持っていた。
それぞれ自分の得意とする戦い方を持ち、磨き上げていた。

そうした現状を見て彼女たちを「尊敬」すると共に「焦り」も覚えた。

自分が使うのは剣。
得意とするのは接近戦。

それだけであった。
未だに伊万里は自分の「戦い方」を見つけられずにいたのだ。

今まではそんな必要もなかった。
狩りをしているときは相手が獣であったから。

けれどもこれからは違う。
相手は同じように独自の戦い方を確立した「人間」が敵となってくるのだ。

闇雲に剣を振るっているだけでは遠からず敗北を味わうことになるだろう。

だから――

焦りの中で伊万里はがむしゃらに鍛えた。

手の皮が破けるくらいに剣を握って振って。
暇さえあれば他の人の訓練を見て。
時には模倣を試みて。

そして自分なりの訓練方法で「上乃」や「紅玉」や、「香蘭」と戦い続けた。
結果、さすがに毎回勝てはしなかったが――まして「紅玉」には一回も勝つことはできなかったが――何とか「勝機」を見つけることは出来た。

後は自身の、力、速さ、技術を向上し続ければ、いずれその「勝機」を生かすことが出来るようになるだろう。


だが――


「勝機」を見つけることが出来た相手は全員ではなかった。

「その人」だけはどうしても勝機が見つからなかった。
何度戦っても、一方的な展開に持ち込まれてしまうのだ。

「紅玉」ではない。
彼女に対しては単純に、こちらの実力と、戦闘経験が圧倒的に不足している。

「その人」に自分の速さや力が劣っているとはどうしても思えない。
むしろ互角――ほとんど変わりないと言えるだろう。

なのに勝ち目がない。ひとかけらの「勝機」すら見いだせない。


故に――


薄々勘付いていた。
「その人」に勝つには単純な要素が必要なのではないと。

自分が最も欲しているものを得ないとずっと勝てないと。

自分にしか出来ない、自分だけの「戦い方」を見つけない限り。


「………………」

思索を解いた伊万里がゆっくりと腰に帯びていた剣を抜いて構える。

目を閉じ、霧の立ち込める中、時が止まったかのように佇んだ。

時折どこかで鳥の鳴き声が小さく聞こえた。

感覚が研ぎ澄まされる。

全身が澄み渡ってゆく。

もう何度繰り返した感覚だろうか。

ゆっくりと伊万里は目を開く。
変わらぬ光景が目に入ってくる。

まだ陽が昇ってくる気配はなく、薄暗い。


そして――


(…………来る)

伊万里が直感的にそう感じた瞬間、前方の霧にゆらりと人間のようなものが生じた。

しかしその場の霧が乱れることはない。乱れるわけがない。

幻影だからだ。
伊万里自身が今まで己の瞳に、心に焼き付けた、戦いの記憶がそれを生み出している。

人影は両手に長い槍のようなものを持っていた。

否――槍ではない。
中央の握る部分から両端に真っ直ぐ伸びているのは刀身だ。

細身ではあるが、鋭さを秘め、敵を欲するように鈍い光を放っている。

槍の特性を生かすことの出来る独自の両刃細剣。



――双龍剣



それを持つ者は復興軍の中には一人しかいない。
その名が脳裏に浮かんだと同時に、人影が突進してきた。


(先手をとらせない――!!)


伊万里も刹那の違いで、突進した。

数瞬の間に両者の間合いが狭まる。


ヒュンッ!


伊万里の鋭い斬撃が繰り出される。

対して「志野」は飛んだ。

フワリ――と、地面から吹き出す風に舞い上げられる羽のように。
体を旋回させながら、伊万里の頭上を跳び越した。

と、同時空中から斬撃が繰り出される。

「幻影」の刃が体を掠めた。

喰らったところで傷を負うことはない。しかしだからと言って当たっては意味がない。


タンッ、と軽い踏み切りと共に右へ飛んで距離をとる――。

既に着地している「志野」が追撃を繰り出してきた。

ダンッ!!

鋭い踏み込みと共に手に持たれた双龍剣が振り下ろされる。

伊万里は体を半身にしてそれを紙一重でかわした。

と同時、さらに伊万里はそのまま体を低く、しゃがみ込む様に沈めた。
ほとんど同時に伊万里の頭の上で、刃が――振り下ろされた側とは反対側の刃が空を切った。

振り下ろされたまま剣を再度持ち上げることなく、手首をひねることによって返す刀の斬撃が放たれたのだ。

これが双龍剣の特性。

槍と同形状である特性を生かした「円運動」による剣の猛攻。
「流水」を思わせる連続攻撃。

以前ならばこの「伏兵」とも言うべき一撃で負けていた。
何度も対戦を重ねているだけあって、流石に今ではギリギリながらも避けることが可能になっていた。


が――、

ヒュンッ!!

ヒュンッ!!


「くっ………!!」

そこで終わりではない。
今度は逆側から別の一撃が――左手に持たれたもう片方の双龍剣が襲ってきた。

「幻影」相手には受け止めることはままならず、そして喰らっては意味がなく、必然的に避けるしかない。

後方に飛ぶ伊万里。追う「志野」。

双龍剣の攻撃は止まらない。
次々と繰り出される斬撃を伊万里は紙一重でかわしてゆく。

しかし余裕がないことは、その切迫した表情を見れば明らかであった。
避けるだけで反撃がままならないのだ。

両手に持たれた、両刃の――四つの刀身があたかも意思を持ったかのように襲い掛かってくる。

玄妙にして幻惑。

流麗にして熾烈。

双龍剣の変幻自在の剣撃はすさまじいの一言に尽きた。

徐々に徐々に追い詰められてゆく伊万里。
剣が織り成す結界からはただ逃げるしかなかった。


そして――


「………っ!!」


辛くも右の双龍剣をかわしたものの、左の刃によって勝負が決まった。
避けようとするものの刹那の間体が硬直して動かない。

力学上、どうしても「硬直せざるを得ない瞬間」が存在する。
そこを攻撃されれば負けだ。

幻の刃が伊万里の体をすり抜けてゆく。

実戦ならば今頃体が真っ二つになっているだろう。

敗北を認めた瞬間、「志野」の姿が文字通り幻のごとく消滅した。



「………………」

これが初めてではないとは言え、流石に負ければそれなりにショックを受ける。
いつも「今日こそは」と思い挑むのだが………。

「………やっぱり勝てないか……」

ポツリ、とただ事実を確認するように呟く。
だが、言葉は残酷である。

口に出した瞬間、「敗北」という実感がより重くのしかかってきた。

ふと、横を見ると藁人形が傍に立っていた。
「無個性の極み」とも言うべき何の特徴もない「人型」。

「……………」

何となく思った。

自分もこの「人型」と同じなのかもしれない、と。
何の個性も持てずにいる存在――と。


「―――っ!!!」


ガスッッ!!!


気づいたら――


殴っていた。
怒りに任せて。

体の奥から沸々とやり場のない感情が迸った。

(志野さんに対してじゃない………)

それは間違いがなかった。

怒っているのは………

「……ふがいない自分に対してだ……!」

消え入るような声で呟かれた言葉は………重かった。