とある喫茶店に、奇妙な三人組がいた。店先の看板には、『Pia☆きゃろっと』とある。それが店名なのだろう。

 三人のうち、一人は男。腰までなびく黒髪、同じ色のスーツを着込んだ、一見してホストという単語が浮かんでくる、長身の男。

 一人は老人。男の半分ほどの身丈に、アロハのシャツ。長く伸びた白いあごひげが、なんともアンバランスな老人。

 一人は少年。中肉中背で、中性的な顔立ち。服装が違えば、女としてもとおるだろう、可愛らしい少年。

 そんな珍妙な三人が、喫茶店で茶を飲みながら談話している。

 他の客も、ウェイトレスも、特に気にも止めない。変わった組み合わせだな、と思いはするが、それだけだ。奇妙だし、珍妙ではあるが、異常ではなかった。

 知る者は、いなかった。気付いた者は、いなかった。

 この三人が、世界を破滅させる相談をしていることなど。











 

 

人魔 第八幕

オモイ味方とカルイ敵

 















 一、





「はーい、皆さん。お肉はたくさんありますから、じゃんじゃん食べてくださいね!」

「こらうまい! こらうまい!」

「あ〜! 雪之丞、それ、私のお肉!」

「神様と一緒に霊山で焼き肉…………なんつーか、現実味がねぇよな」

「いいんじゃない? 美味しいし、楽しいし。それに、美神おねーさまと寝食を共に出来るのよ! ねえ、鏡華!?」

「あなたって、見かけによらず適応力あるわよね……」

「お肉♪ お肉♪」

「シロちゃん。野菜もちゃんと食べなきゃだめよ」

「油上げ♪ 油上げ♪」

「なんで焼き肉で油揚げが……?」

「ハチミツ♪ ハチミツ♪」

「パピリオ。焼き肉にハチミツはどうかと思うのだが……」

「軍人の責務とは……」

「姉上。一体、ボクのいない間に何が……?」

 以上は、妙神山の夕食の一場面である。

 そんな和気あいあいとした空気の流れる建物の、別の一室。マリーの寝かされている部屋に、彼女達はいた。

 一人は、大竜姫。そのほかに、もう一人の女性が、マリーに治療を施していた。

「まったく。怪我人を放っておいて、にぎやかなことねぇ」

 作業の手を休めず、彼女は言った。紫色の髪を後ろでまとめた、小さな丸渕メガネをかけた女性だ。名を、陽蘭。大竜姫の呼んだ、治療を得意とする神族だった。長袖のシャツに、丈の長いスカートと、肌の露出を極めて少なくしているのも、職業柄だろう。

「そういうな、陽蘭。あやつらの中にも治癒能力を持つ者はいるが、いかんせん弱くてな。そこまでの損傷には効果が無いのじゃ。治せるのは、お前くらいじゃろうて」

「適材適所ってわけね」

 治療の手を休めずに、陽蘭は言う。

「ま、私は別に構わないけど。というよりむしろ、呼んでくれて嬉しいわ。神族と魔族のハーフの体をいじれるなんて、そう滅多にあることじゃないもの」

「わたくしの身体に、何をしようというんですの?」

 陽蘭の言葉に反応し、マリーが尋ねる。誰しも、自分の体をいじるといわれれば、反感を持たずにはいられまい。

「ああ、ごめん。言い方が悪かったわね。治療以外は別に何もしないから、安心して。出来れば霊基片を少しもらえたら嬉しいんだけど」

「ふざけないで!」

「だから、期待してないって」

「マリー、そうたぎらず、心を落ち着けよ」

 二人のやり取りに、大竜姫が口を挟んだ。

「確かに、この陽蘭は、マッドドクターでマッドサイエンティストで、何か珍しい病気やらを見つければ徹底的に研究せねば気がすまず、その目的のためには手段を選ばず、時として手段のために目的を忘れるような奴ではあるが――――」

「ちょっと、大竜姫……」

「少なくとも、治療の腕は確かじゃし、患者の拒むことを強制しはせぬ」

「当然よ。私は医者ですからね。患者に治療を施すのが本来の役目なのよ」

「それを忘れて突っ走るところが珠に傷じゃがの」

「大竜姫!」

「まあ、そう言うわけじゃからして――――」

 陽蘭の抗議を無視して、大竜姫は言う。

「治すといえば、こやつは必ず治す。安心しろ」

 しかし、マリーはまだ、不信感を拭えていないようだった。

「どちらにしろ、お主は治療を受けるしかないじゃろう? ならば、怒るは傷の治りを遅らせるだけじゃぞ。そうなれば、お主の目的にも支障をきたすのではないか?」

「………………そう、ですわね」

 しぶしぶといった感じで、マリーは頷いた。

「確かに、この人に怒りをぶつけてもしょうがないですわね」

「そうそう。怪我人はおとなしく寝とく!」

 言うが早いかマリーを無理やり布団に寝かせ、陽蘭は治療を再開した。

「あんたの目的が何か私は知らないけどねぇ。身体も満足に動かないようじゃ、成功するもんも成功しないわよ。怪我人は怪我を治すのがお仕事。わかった?」

「……了解しました」

「よし! いい子いい子!」

「いい子って、そんな、子供扱い……」

「起きあがらないの!」

 問答無用で、再びマリーは寝かしつけられた。





















「こりゃあ、私の手には負えないわね」

 マリーの治療を終え。

 横島の眠る部屋へと赴き。

 横島の姿を見て。

 陽蘭はまず、そう言った。

「ど、どういうことじゃ?」

 珍しく、大竜姫は狼狽した。彼女は、陽蘭の治癒能力を高く評価していた。事実、先ほどマリーに施した治療の手際は見事としか言い様がなく、当然、横島に対してもその手腕を発揮してくれると思っていたのだが。

「だから、私には治せないって言ってんの。っていうか、どこを治せってのよ? 外傷なんてどこにもないじゃないの」

「いや、じゃから、意識不明をじゃな……」

「私はそっちは専門じゃないの。そりゃ、それ相応の知識はあるけどね。でも、この人間――横島クン、だっけ?――の症状は、私の手に余るわ」

「原因も判らぬのか?」

「原因? 原因ねぇ……?」

 しばし、横島の頬に触れ、陽蘭は押し黙った。

「……やっぱり、外傷の類じゃないわね。多分、精神的な理由だと思う。何か、よっぽど受け入れがたい現実に直面したとか、そんな感じの」

「治療法は?」

「だから、私には無理だって。精神に直接語りかけるような、そんな能力の持ち主じゃないと」

「精神に、か。ふむ……」

 なにやら思案した大竜姫は、おもむろに、右腕を前に突き出した。腕は空間の壁を破り、肘から先が消える。

「のわああああああああああああああああああああああああああ!?」

 引き戻した腕には、ヒャクメの襟首が握られていた。

「久しいのう、ヒャクメ」

「あら、ヒャクちゃん。おひさ〜」

「『おひさ〜』、じゃないのね〜!」

 首筋をさすりながら、立ちあがるヒャクメ。

「いきなり何するのね〜、大竜姫!」

「何って、襟首掴んで、神界からこちらへ引きずり出しただけじゃが」

「だけじゃないのね〜、だけじゃ!」

「他に何かしたか?」

「いや、そうじゃなくって。いきなりこんな強引に召喚しないで! こっちだって暇じゃないのね〜!」

「忙しかったのか?」

「もちろんね〜!」

「ふむ。仕事に忙殺されていたのなら、あの程度の干渉でこちらに来るはずはないのじゃが」

「う!」

 大竜姫の言葉に、勢いの止まるヒャクメ。

 つつつつっ、と、大竜姫がヒャクメの側へ近付く。

「……覗いておったな?」

「ぎく!」

 大竜姫の言葉に、固まってしまうヒャクメ。

「やれやれ、反省のないやつよのう。この前もそれで転生刑を受けたばかりではないか」

「…………」

 冷や汗をたらすヒャクメ。

「以前は人間じゃったから、今度は犬猫あたりかの」

「…………」

 冷や汗が脂汗へと変わるヒャクメ。

「いや、ゴキブリやナメクジという可能性も……」

「…………」

 顔面蒼白になるヒャクメ。

「最悪、ミジンコやアメフラシ……」

「なんでもします! なんでもしますから! だから上には内密にいいいいいいいいいい!!!」

 泣き叫び、大竜姫にすがるヒャクメ。

 その様を見て、陽蘭はぼそりと呟いた。

「好奇心は猫をも殺す」

 まったくもって、その通り。

 結局、ヒャクメは横島の精神へとダイブすることとなった。

「まったく。私は調査担当で、治療は役割じゃないのね〜」

「アメフラシ」

「はい! 不祥、ヒャクメ! 精一杯力の限りを尽くしてがんばりますね〜!」

「無様ね」

 二人のやり取りを見て、陽蘭は呟いた。

「じゃ、じゃあ、いきますのね〜」

 泣きながら、ヒャクメは横島の精神へとダイブした。









 二、





「横島さ〜ん!」

 横島の精神へと進むなか、ヒャクメは横島へ語りかける。

「横島さ〜ん、目を覚ましてください〜。でないと私、ゴキブリにされちゃうのね〜!」

 滂沱の涙を流しながら、ヒャクメが叫ぶ。自業自得だ。

「横島さ〜ん! よ〜こ〜し〜ま〜さ〜〜ん!!」

 しかし、横島からの反応はなかった。

「おかしいのね〜。もう、深層意識へ到達してもいい頃なのに……」

 あたりは蠢く闇に包まれ、何も見えない。つまり、そこに、精神の活動である意識が存在していないと言うことだ。

「マリーの死が、そこまでショックだったのかしら。相変わらず、横島さんは優しすぎるのね〜」

 思案しながらも、ヒャクメは呼びかけを続ける。

「お〜い。よっこしっまさ〜ん」

 だが、反応はない。

「こりゃ、ほんとにまずいのね〜」

 さらに進んでいくヒャクメ。どれだけの時が過ぎたか、目の前に、一つの扉が出現した。開かれた、だが、中の見えない扉。漆黒の闇で塗りつぶされている。

 それは、横島が心を閉ざしている証。表に、現実に出られるというのに、それを拒んでいる証拠。

「う〜ん、やっぱ、強引に行くしかないのか」

 ここから呼びかけても通じまい。下手をすれば精神崩壊を引き起こしかねないが、呼びかけないわけにはいかない。このまま帰れば自分はアメフラシになりかねないし、なにより、精神が生を否定すれば、肉体も死んでしまう。

「よし。レッツ・ゴー!」

 気合いをいれ、ヒャクメは勢いよく飛び込んだ――――はずだった。

 だが、ヒャクメは、扉の内側に入れていなかった。

「な……なに、この……強力な、抵抗は……」

 全身に百の感覚器官を持ち、あらゆるものを見とおせるヒャクメである。その自分の干渉をここまで拒否するとは。横島の強力さと、絶望の深さを垣間見た気がした。

「ぐ……ぐうぅ…………」

 全力を振り絞っても、首を突っ込むのが精一杯だった。

「よ……横島さん!」

『クルナ……』

 闇の中から、声が響いて来た。『来るな』。声は確かに、そう言った。

「あう!」

 顔面に圧力がかかるのを、ヒャクメは感じた。横島が、自分を押し戻そうとしている。ヒャクメは、理解した。

「横島さん!」

『クルナ…………』

 圧力に抵抗しながら、なおも叫ぶ。しかし、拒否反応が強くなるだけだった。

 長くはもたない。そう判断したヒャクメは、もっとも伝えるべき情報を言った。

「横島さん、よく聞いて! マリーのことなの!」

 ピタリと。拒否反応がやんだ。

 ヒャクメは安堵した。やはり、マリーの死が原因だったのだ。また、死なせてしまったという悔恨の念が、横島を内に閉じ込めていたのだ。

 これで、連れ戻せる。

 ヒャクメは、安心した。

 だが。



『クルナアァァァァァァァァァァ!!』



 ゴウ!



 先ほどの何倍もの拒否反応が、ヒャクメを襲った。

「きゃあああああああああああああああ!!」

 あまりにも唐突で、あまりにも強力だった。

 ヒャクメは、なす術もなく吹き飛ばされた。







 三、





 横島の精神にダイブして数秒後、ヒャクメは勢いよく宙を舞っていた。

 受身も取れず、強かに背をぶつける。

「い、いたたたたた」

「大丈夫か、ヒャクメ!?」

 即座に、大竜姫と陽蘭が駆けつける。

「だ、大丈夫ね〜。ただ……背中が痛いだけね〜」

「背中ね。ちょっと見せて」

 陽蘭がヒャクメの背中を診る。幸い、大したケガではなかった。

 安心し、落ち着きを取り戻したところで、大竜姫が尋ねた。

「で、どうじゃった、横島殿は?」

「ああ、それなんだけど……」

 ヒャクメは話した。横島の現状を。心を閉ざしていること。現実に背を向けていること。接触をかたくなに拒否してきたこと。マリーという名前に、激しく動揺したこと。

「やっぱり、横島さん、自分がマリーを殺したと思いこんで、それで塞ぎこんでるのよ」

「ふ〜ん。愛する人を自らの手で殺してしまった、悲劇の少年ねぇ」

 ひとしきり唸り、陽蘭はあることに気付いた。

「ヒャクちゃん……なんでそんな事知ってるの?」

「え? 知ってるって、なにを?」

「だから、なんでマリーを横島クンが殺しかけたってのを知ってるのかって聞いてんの」

 陽蘭の質問に、ヒャクメの頬が引きつる。

「……その時から覗いていたってわけね?」

「あは。あは、あは、あははははは…………」

「まったく。いい加減にしないと、ほんとに犬猫になるわよ。ねえ、大竜姫?」

 同意を求めようと、陽蘭は大竜姫の方を振り向き――表情が、固まった。

 大竜姫の表情が、固まっていたからだ。先ほどの、まじめながらも余裕を持った表情とは違う。明らかに、その顔は余裕を失っていた。

「……ヒャクメ」

「は、はい!」

 その顔にびくつき、ヒャクメは背筋を伸ばして返事した。

「つまり、人間・横島忠夫の昏睡の原因は、マリーを殺めたという『事実』にたいして、本人が認識を拒否していると言うことか?」

「そ、そういうことになります。多分、横島さんは、マリーを貫いた時に、内の世界に閉じこもったんです」

「………………」

 無言で、大竜姫は立ち上がった。

「今日は、つかれた。今夜はもう休むゆえ、何か進展があれば、明日の朝に教えてくれ」

「了解。緊急でない限り起こさないから、安心して寝なさい」

 大竜姫に、陽蘭が応える。

 襖を開け、一歩踏み出し、大竜姫は一言呟いた。

「……お前には失望した」

 襖を閉め、彼女は寝所へと去っていった。

 残されたのは、陽蘭とヒャクメの二人。そして、眠りつづける横島。

「『失望した』? いったい、なんのことかしら?」

「さあ……ま、まさか」

 首をかしげた後、ヒャクメは恐ろしい考えに到達してしまった。

「わ、私の働きが不満だったのでは!?」

「へ?」

「私が横島さんを目覚めさせられなかったから、それで失望したんじゃ!? ああ、そうなると私はどうなるの? いや! 転生刑はいや! 犬猫は、ゴキブリは、ナメクジは、ミジンコはアメフラシはいやあああああああああああああああああああああ!!」

「ちょ、落ちつきなさい、ヒャクちゃん!」

「せめて人間にいいいいいいいいいい!」

「落ちつけって言ってるでしょ!」

 ヒャクメの錯乱ぶりに、陽蘭も声を荒げる。

「大竜姫は公私のけじめはちゃんとつける人よ。脅しこそすれ、実行なんてことはあり得ない。失望したってんなら別のことであって、絶対ヒャクちゃんのことじゃないから」

「ほ、ほんとに? ほんとにそうなの、陽蘭?」

「だいじょうぶだって。まあ、確かにあなたの覗き癖はどうにかしたほうがいいけど。でも、今の大竜姫の任務はこの男に関してのことなんだから、ほかのことは気にしないよ。安心しなさい」

「よ、よかった〜」

 心の底から安堵の溜息をつくヒャクメ。

「でも……それなら、なにに失望したんだろ?」

「さあね。私には分からないわよ」

 言いながらも、陽蘭は考える。先ほどの大竜姫の言動を。

 『失望』という二文字は、自分の期待に相手が応えなかったときに使う言葉。すなわちそれは、感情を表すもの。その言葉を使ったというのは、任務に情を持ちこまない彼女にしてみれば、とても珍しいといえる。

 もっとも、情を持ちこまないといっても、感情を切り取るわけではない。感情の発露を、計算の上に置くという事だ。相手の緊張を崩す、相手を思い通りに動かすなど、任務中の彼女の言動は、常に計算の結果なのだ。まあ、年齢に触れられた場合はどうか、知らないが。

 そんな彼女の言動として、先ほどのそれはどのような効果を期待して行なわれたのだろうか。

『お前には失望した』

 この言葉によってもたらされたものといえば、ヒャクメの不安と混乱だけだ。利益はない。

 つまり、先ほどの言葉は、計算の上で行なわれたものではない。感情の発露ということになる。

「……らしくないわね」

 思えば、その前の無表情も、いきなり休眠を言い出したのも、必死に感情を抑えこもうとしていたのかもしれない。

(失望した……一体、誰に?)

 ヒャクメではあるまい。そして、自分でもないはずだ。この部屋にいるのは三人。後の一人は……

(この人間に?)

 結論としてはそうなる。

(大竜姫。あなたはこの人間の男に、失望したの?

 だとしたら、この男の何に失望したの?)

 疑問は疑問を呼び、しかし、満足のいく答えを生み出してはくれない。

(大竜姫。あなた、何を考えているの?)

 今だ現実を見ない少年を見詰め、陽蘭は思索しつづけた。









 四、





 来た日に入った露天風呂に、大竜姫の姿はあった。

 しかしながら、その姿のなんと変わり果てたことか。ふざけているようで真剣味を帯びた、それでいてどこかに余裕を携えていた彼女では、ない。ふざけていない。余裕がない。

 彼女は、先の自分の発言を思い出した。

『お前には失望した』

 妹が好意を寄せている相手。人間のくせに、アシュタロスを出しぬいた男。どんな奴かと思えば……

 大竜姫は、湯船に身体を浮かばせた。赤く長い髪が流れに乗ってたゆたい、彼女の均整の取れた体は、月の光に照らされ、幻想的な雰囲気を漂わせた。

 ヒャクメの報告を、頭の中で繰り返す。

 曰く、横島忠夫が目覚めないのは、現実を拒んでいるからである。現実を拒むのは、自分が愛する人を殺してしまったと勘違いしているからである。

 ばかばかしい。大竜姫は思う。

 たかだか恋人の一人を殺したくらいで、悲劇の主人公とは。

 ならば、自分はどうなのだ?

 まだ、デタントの流れにない頃の神族と魔族。その争いの中で。

 任務のために、恋人ごと敵を貫いた自分は?

 部下を見捨て、退却を指示した自分は?

 仲間をその照準に入れながらも、引き金を引いた自分は?

 あの男が悲劇の主人公だとしたら、自分はなんだというのだ!?

「…………いかんな」

 少し欠けた月を眺め、大竜姫は呟く。

 感情的になってはならない。感情を表に出せば、それは敵につけこまれる弱みとなる。

 感情よりも、計算を上に。それが、彼女が任務を遂行していく上での信念だった。

「どうして……わしは、こんなに…………」

 あの男を憎むのか。

 今回の任務は、かなり辛い。達成の難しさと、何より、後味の悪さで。

 だが、命令を受けた以上、こなさねばならない。たとえ、どんな犠牲を払おうとも。

 なのに、何故、こんなに激情が渦巻くのか。

 感情は必要ない。激情は弱みだ。

 わかっているのに、止まらない。あの男のせいだ。

 自分の殻に閉じこもり、うじうじと現実に背を向けているあの人間が、どうしようもなくいらつくのだ。まるで、昔の自分を見ているようで。

 大竜姫は湯船に浮かぶのをやめ、座りなおした。濡れた髪が垂れ下がり、両手で顔を覆う姿は、泣いているようにも見えた。

 いけない。

 このままでは、いけない。

 感情のまま動いては、いけない。

 今は任務中だ。なにより、マリーから得た情報が正しければ、敵の中には、アイツがいるのだ。

 アイツが。あの男が。

 だから、いけない。このままでは、勝てない。

 感情のまま動いては、いけない。

 感情は、計算より下に。感情の上に、計算を。

 いつものことだ。いつもと同じだ。

 仮面をかぶれ。心に鎧を。

 何者にも負けず、感情に左右されない。

 最善の手を選び、最速の道を通る。

 そのための犠牲をいとわぬ、冷徹さと非情さ。

 誰にも剥がせない、誰にも破れない、誰にも見えない、仮面を。鎧を。

 その身に、纏え!

 かちりと、どこかで音がした。

 大竜姫は立ち上がる。

 その顔に、先ほどまでの激情はない。

 あるのは、筋肉が固まったかのような能面の顔と。その中で光る、冷たい二つの瞳だけだった。









 五、





 とある喫茶店に、奇妙な三人組がいた。店先の看板には、『Pia☆きゃろっと』とある。それが店名なのだろう。

 三人のうち、一人は男。腰までなびく黒髪、同じ色のスーツを着込んだ、一見してホストという単語が浮かんでくる、長身の男。

 一人は老人。男の半分ほどの身丈に、アロハのシャツ。長く伸びた白いあごひげが、なんともアンバランスな老人。

 一人は少年。中肉中背で、中性的な顔立ち。服装が違えば、女としてもとおるだろう、可愛らしい少年。

 そんな珍妙な三人が、喫茶店で茶を飲みながら談話している。

 他の客も、ウェイトレスも、特に気にも止めない。変わった組み合わせだな、と思いはするが、それだけだ。奇妙だし、珍妙ではあるが、異常ではなかった。

 知る者は、いなかった。気付いた者は、いなかった。

 この三人が、世界を破滅させる相談をしていることなど。

「さ〜て。来週のサザエさんは?」

「波平です。ついに妙神山に突入。敵をバッタバッタとなぎ倒し、進めよ進め、人魔の元へ。

 次回は、『おちょくりリュック・老獪サミュエル・冷徹セザール』の三本です。お楽しみに」

「ボケはやめろ。話が進まん」

 …………訂正。気付く方がおかしい。

「いい加減、本題に入らせろ」

 注文したアイスコーヒーに口をつけながら、男が言う。

「そうだよ。いい加減、本題に入りなよ」

 注文したチョコレートパフェをほおばりながら、少年が言う。

「そうじゃぞ。いい加減、本題に入ったらどうじゃ?」

 緑茶(湯のみ持参)をずずずと飲みながら、老人が言う。

「……………………………」

 何も言わない男。何も言わないが、頬が引きつり、こめかみに血管が浮き出ているあたり、あからさまにヤバそうだ。

「お前たちの相手は、ほとほと疲れる」

 深々と溜息をつき、男は言う。

「ストレスが溜まってるんじゃないの? たまにはどこかで羽を伸ばした方がいいよ。デジャブーランドにでも行ってきたら?」

「疲れておるのじゃろう。そんな時は湯治がよい。草津の湯にでも浸かってくればどうじゃ?」

「………………」

 さらに重圧がのしかかる男。

「…………サミュエル、リュック」

 やがて、男はゆっくりと顔を上げた。

「本題に入って、いいかな?」

 あくまでも穏やかに。あくまでも控えめに。あくまでも笑顔で。男は言った。

 その笑顔に、背筋の凍る二人。無言で、壊れた人形のように首をカクカクと振る。

「さて」

 グラスを傾け、揺れる氷を見詰めながら、男は話し始めた。

「大体は以前話したとおりだな。変わったことといえば、人間たちの介入、医療官・陽蘭及び調査官・ヒャクメの登場。このあたりは無視してもいいだろう」

「でも、アリも群れるとうっとうしいよ」

「そのあたりは、お前に任せる。お前のコレクションから、いくつか使えばいいだろう」

 その言葉に、少年はニマリと笑った。

「いいの?」

「構わん」

「よっし。了解しまっした!」

 敬礼する少年に頷き、男は続ける。

「後は、人魔が意識不明の状態であること。そして、マリーの生存。このくらいか」

「それだけか?」

 老人の確認に、男は再び頷く。

「問題点は?」

「人魔が動かないのは、かえって好都合だ。下手に抵抗されたくないからな。マリーも問題ない。半死人にビクつく必要はなかろう」

「じゃ、やっぱり、問題はあの二人か」

「大竜姫とベスパ」

 少年と老人の指摘に、男は三度頷く。

「そうだ。奴らとの戦闘は、できれば避けたい」

「敵の本拠地に乗りこもうというのに、相も変わらず無茶をいう」

「事実だ。そこで、リュック」

「なに?」

「お前のコレクションを使いたい」

「また?」

「ああ。サミュエルと二人で強化しろ。完成ししだい、乗りこむ」

「別にそれは構わないけど」

 了承する少年。

「もう一つ、聞きたいことがある」

 老人が言う。

「小竜姫と、パピリオ。わしは、どちらを相手にすればよい?」

「どっちがいい?」

「パピリオ」

「ええ〜!? ボクもパピリオがいい!」

 少年が、即座に抗議した。

「お前は小竜姫でよかろう。あやつは、わしが始末する」

「ダメ! あれはボクの!」

「年寄りの言うことは聞くものじゃ」

「子供は自由に育てるべきだよ!」

「そんな事を言ってるから、最近の子供は犯罪に走るんじゃ」

「そんな事を言ってるから、最近の年寄りは嫌われるのさ!」

 たちまち口論が始まった。周りの客が、何事かとこちらに注目し始める。ウェイトレスも、しきりにこちらを気にしている。

「じゃんけんだ」

 口論――と言うよりすでに水掛け論だが――を終わらせようと、男は解決策を提示した。

「勝ったほうがパピリオ。負けたほうが小竜姫。それでいいだろう?」

「……ふむ。まあ、よかろう」

「……うん。それでいいよ」

 二人は向き合い、そして、構えた。

 腰を落とし、右手を引き、それを左手で覆う。

「「じゃーんけーん!」」

 二人の声が重なる。

「「グー!」」



 ばきぃ!



 互いの頬に右拳をめり込ませる、老人と少年。

「ぬぐう。や、やるなあ」

「お、おのれぇ。相打ちかぁ」

 相打ちではなく、あいこだ。

「………………」

 男は、今日何度目になるかわからない溜息をついた。

「「いくぞ! あーいこーで!」」

 だんだんギャラリーも集まってくるなか。

「「パー!」」



 ドンッ!



 互いの掌底が相手の胸に突き刺さった。

 ギャラリーから、歓声が上がる。

「うぐぅ。またしてもぉ!」

「まだまだ、勝負はこれからよ!」

「あ、気にしないで。お会計、お願いします」

 男はもはや我関せずで、レジで清算していた。

「「まだまだぁ! あーいこーで!」」

 三度、構える二人。

「「チョキ!」」



 ぐさぁ!



 互いの二本指が、相手の目をぶっ刺した。

「「ぬごおおおおおやあああああああああああ!!」」

 さすがに痛かったのだろう。目を抑えてうずくまる二人。

「「目が! 目がぁ!」」

「うん。今日もいい天気だ」

 男はすでに店の外へ出て、曇り空を見上げながらそんな事を呟いていた。

 ちなみに、男が払ったのはアイスコーヒー代のみである。



















 美女と腕組をしながら歩く男の後ろから、ある老人と少年が憤怒の視線を投げかけている。

「セザール、みーっけ」

「うぬれ。わしらを差し置いて、おいしい思いをしおってからに」

 物陰に隠れながら、老人と少年は小声で話す。

「そうだよね。ボクら、おかげで皿洗いさせられちゃったよ」

「持ちあわせ、なかったからのう」

 二人の腕は、長時間水につけていたせいでふやけていた。

「許せないよね」

「復讐は当然の権利よの」

 何やらすごく自己中心的な理論だが、それを批判する者はいなかった。

「と、いうわけでぇ!」

「攻撃、開始――――」



 ポン。



 物陰から男に襲いかかろうとする二人の肩に、何者かの手が置かれた。

 振り返る二人。

 少年の後ろには、いかにもナンパな感じの青年が。

 老人の後ろには、スーツを着て頭を七三に分けた男性が。

 それぞれ、笑顔で立っていた。

「キミ、かわいいね。僕とお茶しない?」

「突然申し訳ありません。わたくし、○×生命保険の者ですが、少しお時間、宜しいでしょうか?」

 青年と男性は、少年と老人にそう語りかけてきた。



















 その日。

 結局、世界の破滅を相談していた奇妙な三人組がどうなったかというと。

















「素敵な夜とあなたの瞳に乾杯」

 男は某高級ラウンジで夜景を見ながらハンフリー・ボガートを気取ってナンパした美女とグラスを傾け。

















「あ〜か、あ〜お、きいろの〜♪ いっしょ〜をつ〜けた〜♪」

 少年は自分を女と間違えた青年にナンパされておごりで夕飯を食べてカラオケで『てんとう虫のサンバ』を歌い。

















「ふむ。それでは、ためしに200年契約で」

「は? にひゃくねん?」

 老人は生命保険員に勧誘されて自分の基準で契約期間を決めようとして勧誘員を混乱させたりしていた。















 誰が気付くだろうか。

 誰が知るだろうか。

 この三人が、世界の破滅を企てているなどと。

















 六、





 五日が経った。

 すでに、美神たちは結界を張り終えていた。三日という期限に間に合わせるため、全員が不眠不休だったが。

 それから二日。敵からはなんの音沙汰もなく、結構拍子抜けしている美神たちである。

 美神は小竜姫に報酬の掛け合いに行き、弓かおり、一文字魔理、峰鏡華はせっかくきたのだからと修行中。キヌと神野は談笑し、シロは散歩に出かけ、タマモは霊力の回復のために休眠中。陽蘭はマリーの治療、ヒャクメは前回の戦闘データの解析。ジークはワルキューレの愚痴に付き合わされ、雪之丞はパピリオのおもちゃになっている。

 実にほのぼのとした日常だった。

 その日常に、緊張が走った。

 美神たちがかけた索敵結界に、反応があったのだ。

 全員が、即座に、表門へ走った。妙神山の結界を破っての奇襲、不意打ちを未然に防いだだけでも、索敵結界を張った意義があったというものだ。

 美神、小竜姫、かおり、魔理、鏡華、キヌ、神野、シロ、タマモ、ヒャクメ、ジーク、ワルキューレ、パピリオ、雪之丞。そして、大竜姫とベスパ。

 十六人の前に立つのは、三人の――たった三人の――男たち。

 一人は男。腰までなびく黒髪、同じ色のスーツを着込んだ、一見してホストという単語が浮かんでくる、長身の男。

 一人は老人。男の半分ほどの身丈に、アロハのシャツ。長く伸びた白いあごひげがなんともアンバランスな老人。

 一人は少年。中肉中背で、中性的な顔立ち。服装が違えば、女としてもとおるだろう、可愛らしい少年。

 三人組の中から、少年が一歩、前に出た。

 身構える美神たち。

 少年は、にこりと笑った。

「こにゃにゃちわ〜」

 少年は笑顔のまま、手を振ってそう言った。

 唖然とする美神たち。

「ひのふのみの……ほえ〜、総勢十六人かぁ。こんなにいるとは思わなかったなぁ」

「しかも、中々にきれい所が揃っておる。あの娘など、きれいな黒髪をしておるではないか」

 キヌを指して、老人が言った。

「そうかな? ボクとしては、あっちの元気良さそうな娘の方が好みなんだけど」

 魔理を指して、少年が言う。

「あんな鶏冠頭を好きとは、物好きじゃな、お前」

「あんなトロそうでボケボケな娘が好きなんて、そっちこそ物好きじゃない」

「と、鶏冠頭……」

「ボケボケ……」

 二人の言葉に、血管がピクピクするキヌと魔理。

「セザールは誰が好み?」

 少年が振り返り、男に問うた。その姿は警戒心の欠片もなく、隙だらけだった。

 しかし、攻撃を仕掛ける者はいない。向こうの能力が把握できていないからということもあるが、呆れているのだ。敵陣に乗り込んできたというのに、異様にカルイ、この連中に。

「ねえねえ、セザールは誰が好きなのさ?」

 少年のふたたびの問いに、男は静かに、大竜姫を指差した。

「ヘ? あんなおばちゃんが好みなの?」

 やばい!

 美神たちが思った瞬間、一陣の風が吹きぬけた。言うまでもない。大竜姫だ。

 大竜姫は勢いを殺さずに、会心の斬撃を浴びせた。

 ――――タブーを口にした少年ではなく、その後ろにいた男に。

 その斬撃を受け止めながら、男は笑った。

 大竜姫も、笑った。

 同極の磁石のように、二人ははじけて跳んだ。



















 わけが解らなかった、と、はたで見ていた鬼門たちは後に語った。

 大竜姫と男が、はじけて跳んだ、その時。

 十六人の男女と、三人の魔族。そのうち、魔族たちの姿がぶれ、消えた。

 一瞬の後、残ったのは、魔族の男ただ一人だった。

 男はまっすぐと、道場の門に向かって走り出した。

 門を通すわけにはいかぬと、鬼門が立ちはだかる。

 男の能力は未知数だった。自分たちの敵う相手ではないだろうが、しかし鬼門たちは、それが使命ゆえ、立ちはだかった。

 だが、男は戦いを選択しなかった。

 鬼門たちの攻撃をかわし、道場の屋根の上を、飛び越えて行ったのだ。

「「な!?」」

 その、なんでもなさそうな行為に、鬼門たちは驚愕した。

 道場は結界で囲まれている。原型に戻った小竜姫でさえ突破できない結界、天界最強の結界破りを用いてさえ、穴をあけることが精一杯の結界が。

 それが、たった一人の魔族に、破られたのだ。

 いや、破られたという表現は正しくない。

 通った。そう、文字通り、男は結界を素通りしたのだ。

 その異様さに、異常さに、鬼門たちは恐怖した。

 どうする? 鬼門たちは思った。どうする? どうすればいい? 中にいるのは、陽蘭とマリーだけ。我らはどうすればいい?

 悩む鬼門の背後で、空間が割れた。現われたのは、大竜姫。空間の壁を、刀で割いたのだ。

「だ、大竜姫様!」

「現状報告!」

 大竜姫は即座に、指示を下した。

「わ、分かりません。みながどこにいるか、我らには……」

「敵は?」

「ひ、一人、中に。信じられない事ですが、奴は、結界を破り……いえ、素通りして――――」

「ベスパは?」

「いえ、それも――」

 答える鬼門の背後で、ふたたび、空間が割れた。そこから現われるベスパ。空間の壁を蹴り割ったのだ。

「現状は!?」

 同じ言葉を叫ぶベスパ。

「一匹中に入った。追うぞ!」

「みんなは!?」

「知らぬ。いくぞ!」

 大竜姫とベスパは、男を追って、門をくぐった。









































 物語は、加速しはじめる。



















 流れはやがて、激流と化す。



















 その中心にあるのは、横島忠夫。







































 後に、『人魔』と呼ばれる少年…………