My Mother Forever




 オレは子供が嫌いだった。

 …………いや。

 そうじゃない。

 訂正しよう。子供が嫌いなのではない。

 オレは、子供だった自分が嫌いなんだ。

 あの時、あの瞬間。

 幼く、無力だった、子供のオレが……











 香港。

 観光場所とはかけ離れた雰囲気を持つ路地裏に、彼――伊達雪之丞はいた。

 そっと、目の前のビルを見上げる。もういつ崩れてもおかしくないような気にさせるほどにぼろいビルだ。実際、なぜまだ立っているのかが不思議に思えてくる。

(いや……)

 かぶりを振り、雪之丞はその印象を訂正した。

(理由は、明白なんだ。考えるまでもない)

 崩れて当然のビルをとどめているのは、このビルの一室にいるものの力。

 そして彼は、それを消し去る為にここに来た。

 仕事ではない。

 自分のため。彼自身の決着をつける為に。

 雪之丞は今、幼い頃を過ごした建物の中に、足を踏み入れる。

 禁断の場所として、封じた空間へ向かって。











 オレは親父の顔は覚えていない。

 ママによると、オレが生まれるか生まれないかの内に、事故で死んでしまったらしい。どうでもいい事だがな。

 以来、オレはママの手によって育てられる事となる。

 十のときまで、ママが独りで、オレを育てた。

 オレは、その事実が許せないでいた。











 雪之丞は目的の部屋の入り口まで来ていた。

 自分が幼い頃に暮らしていた部屋だ。ここに、力の持ち主がいる。

 扉を開ける。

 途端に体を襲う霊圧。

 すさまじかった。並大抵のGSなら、この霊圧には逆らえないだろう。

 しかし、彼は並大抵のGSではない。加えて、この波動には免疫がある。なじみと言ってもいい。

 そのはずだ。なんと言っても、自分自身の波動なのだから。効くはずもない。

 一歩、部屋に入る。

 自分の空間に入られた事を知り、そいつは姿を現した。

 そいつは、まだ子供だった。針金のような黒髪に、つりあがった目つき。意志の強そうな瞳。

 的確に表現したいのなら、そのような言葉が使われるだろう容姿。

 だが、その姿をより的確に表現する言葉を、雪之丞は知っている。

「初めまして、と言った方がいいのかな。ダテ ユキノジョウ?」

 その姿は、その幽霊の姿は、雪之丞そのものだった。

 雪之丞が幼い頃に住んだこの部屋に染み付いた、彼の霊気。残留思念。そのような代物。

 それが、子供の姿をした雪之丞に似た霊の正体。

『――出て行け』

 ユキノジョウは、簡潔に、一言で、自分の要求を告げた。

 だが、雪之丞は取り合わない。無造作に、部屋に足を一歩踏み入れる。

『出て行け!』

 ユキノジョウの霊気が雪之丞を打ち据える。

 だが、雪之丞は気にした様子もなく、歩みつづける。

「オレに、お前の霊波は効かない。

 だってそうだろう? 同じ人物の霊波だ。同じ人間の波動なんだ。効くはずもない。

 だから、お前はオレを殺せない。お前は素人だからな。

 だが、オレは違う。俺は霊波に目覚め、鍛え上げた。お前よりも強力な霊圧で、お前の霊波を打ち消せる。つまり、オレはお前を殺せる。そういうわけだ」

『……お前は、なんなんだ?』

 勝てないと悟ったのか、それとも似た霊波になにかを感じ取ったのか、ユキノジョウが口を開く。

「オレは、お前だよ。つっても、わかんないか。

 そうだな……

 オレは、ゴースト・スイーパーだ。お前を、殺しに来た」











 あれはいつだったか。そう、たしか、近所の奴らとケンカした時だ。

 ケンカの理由は、たしか――

「坊や。どうしたの、坊や。

 泣いてばかりじゃ判らないわ。一体、何があったの?」

「あいつらが……あいつらが……」

「あの子達が、どうかしたの?」

「ボクの……ママが、変だ……って……」

「それで、ケンカに? そんな事で?」

「そんな事じゃない! ママの悪口言ったんだもの! 当然さ!」

 そうだ。

 あいつらは、オレのママの悪口を言った。あの頃のオレにとって、それでキレる事は当然で、かつ絶対だった。

 だけど――ママは、やさしくオレを抱きしめたんだ。それだけだったんだ。

「ごめんなさい、坊や。私がこんななばっかりに……」

 ママの腕は、いつもと同じで、冷たかった。

「ママのせいじゃないよ。ママが悪いんじゃない」

 そうだ。ママが悪いんじゃない。悪いのは……オレなんだ。

「ママがいれば、ボクは他に何もいらないよ」

 ……なぜ、オレはあの時、あんな事を言ったのか。

「ママさえいれば、ボクはそれでいいもの」

 なぜ、あんな事を。ママをさらに縛り付けるような事を。

「坊や……ありがとう」

 ママは、嬉しそうな、だけどさびしそうな笑みを浮かべて、強く、オレを抱きしめた。

 なにも言わなかった。ママは。

 多分、なにを言っても、オレが理解しない事を知っていたから。何を言っても、オレが否定する事を知っていたから。

 あの時のオレは、無邪気な子供だった。

 あの時のオレは、純粋な子供だった。

 そしてオレは、無知だった。

 無知で、バカで、どうしようもないほどに、弱かった……!

 だからママは、なにも言ってはくれなかったんだ。

 そしてオレは、そんなママに、ますます依存していった。それがまた、許せなかった。











 ゴースト・スイーパー。

 その単語に、ユキノジョウは反応した。

『ゴースト・スイーパー……』

 その一言のみを、反芻する。

 目の前の男が自分を殺しに来たと告げた事など、気にも止めていない。

『ゴースト・スイーパー……!』

 もう一度、反芻する。少しの憎悪と共に。

「そうだ。オレは、ゴースト・スイーパーだ」

 雪之丞は、目の前の自分の残留思念を見つめた。

(これほどだったのか)

 そして、思う。

(あの時、オレはこれほどまでに、ゴースト・スイーパーの事を恨んでいたのか)

『ママを殺しに来たのか!?』

 ユキノジョウが叫ぶ。

 小さくかぶりを振る、雪之丞。

(理解してない。こいつは、理解してないんだ)

 雪之丞が理解している事を、ユキノジョウは理解していない。

「お前のママはもう死んでいる。オレはお前を殺しに来たんだ」

『殺させない。ママはもう、殺させないぞ!』

 力の本流が、破壊の意志を伴い雪之丞に襲いかかる。

 母親への、異常なほどの執着。

「そうか。お前は――オレの、ママへの想いの集合体。ママに依存していた、あの時のオレ、なんだな」

 雪之丞は再び歩み始めた。ユキノジョウが放つすさまじい破壊の本流は、しかし雪之丞には通じない。

「……理解しろよ」

 歩きながら、雪之丞は語りかける。

「理解しろよ。お前のママは、もう、死んでんだよ。ほんとはお前も、わかってんだろ?

 お前のママは――オレ達のママは、オレ達が三歳のときに、もう、死んでいたんだよ」

『殺させないぞ。ママは、殺させないぞ!』

 ユキノジョウは、話をまるで聞いていないようだった。ただひたすら、殺させないと繰り返す。

 かまわず、雪之丞は続けた。語りかけるというよりも、独白といったふうに。

「オレ達は確かに、十歳までママに育てられた。ママは色白くて、冷たくて、ともすれば透き通ってるように見えた。

 それが当たり前だと思っていた。あれだ、狼に育てられたっていう――なんて言ったかな……そうだ、カルマっていう少女と一緒さ。幼い頃に受け入れた、それがオレ達の世界であり、常識だったんだ。

 ――ママが、幽霊だっていう事はよ。

 生きたママは、オレ達が三歳のときに、病気で死んだんだ。だけどママは、幽霊となって、オレ達を育てた」

『殺させない! ボクが守るんだ!』

「だから――ああなる事は、むしろ当然だったのかもしれない」











 そもそも、一般の常識で言えば、オレは『かわいそう』な少年になるのだろう。

 早くに両親が死に、天涯孤独の身だったのだから。

 だが、当のオレにそんな自覚はなかった。

 なぜなら、オレにはいつも、ママがそばについていたから。

 そう、いつもそばに憑いていたから。

 だから、遅かれ早かれ、ああなる運命だったのかもしれない。

 そしてママは、その事を知っていたのだろう、きっと。

 あの日。

 『親切』な一人のGSが。

 ママをオレから引き剥がし、除霊して『くれた』。

 それは、そのGSにとっては当然の事だった。未来ある子供を悪霊に殺されたくないという、世間で善とされる考え方だろう。否定はしない。

 だが――――

 その行為は、子供の頃のオレにとって、すべてを奪い去るには充分すぎた。











 激しい破壊の衝動を、しかし雪之丞は意に介さずに歩み続ける。

「すべてを失って、オレ達は何日呆然としていたかな。

 その意識と無意識の間をさまよって得たものは、やり場のない怒りと、GSへの憎しみだけだった」

『ママは殺させない!』

「ママに誓った。強くなると。強くなって、必ず敵を討ってやると。

 だから、オレは力を求めて旅をし、霊力に目覚め、それを鍛えた。

 白龍会でメドーサに協力したのも、GSバスターとしての修行をつんだのも、その為だ」

『ママはボクが守る!』

「だけどな……最近、気付いたんだよ。どうしようもないバカで、底抜けに明るいやつらが気付かせてくれた。

 ママがよく言ってたよな。友達はよく選べって。そいつのおかげさ」

『殺させない! 守る!』

「ママは……あれで良かったんだ。

 死んだ者は、あの世へ逝く。この世にはとどまらない。

 おキヌちゃんみたく、周りから受け入れられたわけでもないのに、この世にとどまってはいけなかったんだ。

 それでもママがこの世にすがりついたのは――」

『守る! だから、殺す!』

「――テメエのせいなんだよ」

 雪之丞の声色が変わった。独白めいたものから、低い、殺気をはらんだ声へと。

 交錯は、一瞬だった。

 ユキノジョウの攻撃を払いのけ、その胸に蹴りを入れて押し倒すまで。

 仰向けに倒れたユキノジョウの胸に足を置いたまま、雪之丞は睨みつける。

「テメエが弱かったから! テメエが無力だったから! ママは心配で、あの世にいけなかったんだ!

 オレが弱かったから! オレが無力だったから!」

『殺す!』

 あくまで攻撃を止めようとしないユキノジョウ。だが、それを雪之丞は意にも介さず、すべてを無効化する。

「テメエは何を言った? 幼い頃のオレは、ママに何を言った?

 ママさえいれば、他に何も要らない? ママさえいれば、それでいい?

 そうやって、バカなお前は、無知なオレは、無邪気に、ママを縛っていったんだ。

 あの世にいるべきママを、弱いオレ達はこの世に縛り付けたんだ!」

『殺してやる!』

「それをあのGSは解放してくれた。ママを、本来いるべき場所へ連れていってくれたんだ。

 なのに――なんでお前がまだここにいるんだ。ママを縛り付ける弱いオレが、なんでまだいるんだよ?」

 足に力をこめる。

 苦しげにうめくユキノジョウ。

「テメエはいちゃいけねえんだ。弱いオレはいちゃいけねえんだよ!

 テメエがいると、ママは安心できねえ。テメエがいるかぎり、ママは成仏しきれねえんだ!」

『いたい……マ……マ……』

 その言葉に、雪之丞は舌打ちした。

「その程度なんだよ。ママを守るとか言っても、所詮あの時のオレは、ママに守られなくちゃ、何も出来なかったんだ」

 足にさらに力をこめる。うめく事も、ユキノジョウはかなわなくなった。

「もう、ママを縛り付けるのはよそうぜ。

 ――――消えてくれ。弱いオレよ」

 そして――ユキノジョウは、四散した。

『マ……マ……』

 呟きは、最期まで、母親に依存していた証。

 最期まで、弱い雪之丞は、母親を縛り付けていたのだ。

「…………ちくしょう!」

 崩れ去ろうとする部屋。

 やりきれない重い気持ちだけが、雪之丞の胸に残った。











 香港空港のロビー。

 二日後、雪之丞の姿はそこにあった。

 公衆電話で、彼は電話をかけていた。

「あ、もしもし、弓か?」

 相手は、彼の恋人だった。

「どうだ、元気にしてっか? オレ? オレは元気だよ。今、香港にいる……そう驚く事ないだろう。生まれはこっちなんだから……あれ、知らなかったっけ? ま、いいや。でよ、明日、会えないか? 映画でも見に行かないか、ミッション・ポッシブル2……明後日でも別にいいが……ええ? ダイターンA・E? う〜ん、まあ、それでいいぜ……ああ、じゃ、明日な……え? なに、お土産? ちゃっかりしてるな、お前……わかった、わかったよ。心配しなさんなって。ちゃんと買ってるよ、もう。…………ああ…………ああ……ああ。

 じゃあな。また明日」

 受話器を下ろし、雪之丞は登場口へ向かった。











 オレは子供が嫌いだった。

 …………いや。

 そうじゃない。

 訂正しよう。子供が嫌いなのではない。

 オレは、子供だった自分が嫌いなんだ。

 あの時、あの瞬間。

 幼く、無力だった、子供のオレが。

 ママを守れるだけの力も無く、逆にママが成仏する足枷なっていた、弱い自分が。

 今はどうだろう。

 ふと、そんな事を考える。

 今はもう、弱くはない。心から信頼できる仲間も、素直に喜び合える友もできた。そして、恋人も。

 ママの望む男になれたかどうかはわからないが、少なくとも、ママの心配する必要のない男には成長した。それだけは確信している。

 だから、ママ。心配する事は無いんだ。

 何も、心配する事はない。安心してくれ。

 安心して、空の上から、オレを見ててくれ。もう、それだけでいいんだ。

 苦しい想いをしてまで、オレの前に下りて来る事は、もう、しなくていいんだよ。











 離れていく香港。母との思い出の地。母と共に在った刻。母を苦しめていた刻。

 シートに持たれかかり、伊達雪之丞は目を閉じた。

(もういいんだ、ママ。もう、いいんだよ。

 だから……おやすみ。

 そして――――さよなら)

 愛する母親に、最初で最後の別れを告げて。 

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あとがき

 皆さんこんにちは、お久しぶり、初めまして。高三のこの時期になって未だに小説書いている桜華です。

 今回のこのSS。雪之丞の母親が登場します(回想のみですが)。書こうとしたきっかけは、彼女でした。というより、それだけが書きたかった。

 連載時のセリフによれば、雪之丞の母親は彼が赤ん坊の頃に死んでいます(今そこにある危機!!)。しかしながら、母親の姿を覚えている事や(ex.「ママに似ている」)、母親が自分に言っていた事をしっかり覚えている事(ex.「ママがよく言ってたぜ。友達はよく選べってよ。そいつのおかげさ」)などを考えると、とても物心つく前の赤ん坊の頃に死んだとは思えません。そう考えて、雪之丞のセリフと矛盾する事のない母親とは?

 彼の母親は彼が赤ん坊の頃に死んで、しかしかわいい我が子が心残りで幽霊として現世にとどまった、と、こう言う考えがふと浮かび、「おお。これならすべて丸く収まる!」と一人で喜んだあげく、増徴してこのSSを書いてしまいました。

 最初は雪之丞と弓かおりの痴話喧嘩から発展させて書こうとしていたのですが、ギャグも入れようとするとなんだか雰囲気が中途半端になってしまい、結局挫折しました。何よりも、横島が愛について語るというエピソードが、自分で書きながら許せませんでした。そんなキャラじゃないもん、あいつ。

 「ミッション・ポッシブル2」や「ダイターン・A・E」は、その時の名残です。



 もう高三の大事な時期に来ているので(それでも受験という実感もなければテンションも上がらない。やばいよ)、これを最後にしばらく冬眠しようと思います。

 無事、春が――色々な意味で――来たら、またがんがん書こうと思っています。

 もし、それまでにまた書くようなことがあれば、



1,受験のストレス発散(あるかも)

2,合格すると確信(絶対ない!)

3,もう何もかもがどうでもよくなった(一番ありそうでコワイ……)



 のどれかだと思います。まあ、多分書かないだろうとは思いますが。

 ともかくそれまで、しばしのお別れです。それでは皆さん、さよ〜なら〜。



                                  桜華 

 



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