横島をかつぎ――身長差からしてかつぐというよりも覆い被さられているといった感じだが――パピリオは妙神山の門をくぐった。

 途中、足を止める。廊下の奥から、なにやらものすごく疲れた顔をしてワルキューレが出てきた。

「どうしたんでちゅか?」

「観光客二名を温泉にガイドしてきた」

「はあ?」

「こんなの、私のキャラじゃない」

 よろめきながら、ワルキューレはパピリオの隣りを通り過ぎた。

「軍人の有り方について考えたい。悪いが、しばらく一人にしてくれ」

「はあ……」

 幽鬼のようなワルキューレが去るのを見届けた後、パピリオは横島をかつぎなおした。

「ヨコシマ……」

 その身体を休ませるべく、歩みを再開する。

「大丈夫でちゅよ。アタシが守ってあげまちゅからね」

人魔 第七幕

束の間の休息


 一、

「のう、べスパ」

「あん?」

 少し熱めの湯につかりながら、大竜姫は尋ねた。

 妙神山の、屋外に沸いている温泉。夜中なのだが、湯の熱さのために冷気も特に気にならない。むしろ、ほてった身体に心地よい。

 見上げると月が出ていた。満月。余計な明かりなどほとんどない、月光の中での入浴。風情だと思った。

「横島とは、どのような男じゃ?」

「ヨコシマ?」

「うむ。お主らは親しいじゃろうが、ワシは面識がないのじゃ、なにも知らぬ」

「ふ……ん、そうだねえ……」

 しばし黙考し、べスパは応えた。

「一言で言うと、まあ、変な奴だな」

「変な奴?」

 首を傾げる大竜姫。湯船に映る月がその形を崩す。

「ああ。アタシもパピリオほど親しくないから、あまり知らないけどな。

 変な奴だよ。魔族の、それも敵だったアタシらに怯えた風もなく、それどころか気づかって、助けてくれて。アタシらのこと本気で心配して、怒って。弱いくせに、人間のくせに気張って、強くなって、アシュ様さえも出しぬいて。でも、守れなくて、傷ついて。

 最初はね、パピリオのペットだったんだ。それがいつのまにか、同じ仲間として扱っていた。パピリオたちにはそれだけじゃなくて、もっと特別な存在になっていったけどね」

 クスリと、べスパは笑った。

「『裏切り者』なんて言葉、ペットにゃ使わないだろ。

 ホント、変な奴だよ。いつもバカやってて、どう見てもたいしたことないはずなのに、気付けば存在が大きくなってる」

「よく、わからぬのじゃが」

「ああ、つまりさ」

 湯船から上がり、べスパは続けた。均整の取れはじめた月が、再び形を崩した。

「会ってみれば分かる。でも、会ってみなきゃ分からない。

 そんな、変な奴だよ」

 身体を軽く拭きながら、べスパは言う。

「お先に失礼するよ。パピリオも帰ってきたみたいだしさ」

「ああ。わしはもう少しおるよ」

「バイ」

 べスパの姿が脱衣所に消える。

 しばらくして、着替えが終わったらしく、その影も脱衣所から消えた。

「会えば分かる、会わねば分からぬ、か」

 遠ざかるべスパの気配を感じながら、大竜姫は湯の中で膝を抱えた。

「皆に愛されておるのじゃの、横島殿は」

 調べた資料の中からは、女性の名前も結構あった。

 美神令子。氷室キヌ。花戸小鳩。

 ヒトという枷を外せば、それはさらに増える。

 犬塚シロ、タマモ、愛子、ルシオラ、べスパ、パピリオ、小竜姫、ワルキューレ。仕事の合間に知り合ったらしい、化け猫と喰人鬼女。

 皆、大なり小なり、彼に好意を抱いているのが見て取れた。

「人間よりも物の怪の方が多いというのがなんともおかしいが――」

 それもまた、彼の魅力だろう。神・魔族、妖怪は、姿形よりも魂の強さに惹かれる。

「確かにの」

 会えば分かる、会わねば分からない。

 言い当てている。魂の強さは、資料では伝わらない。

「じゃが、一つだけわかっておる」

 表情を厳しくし、大竜姫は呟いた。

「あやつは、危険じゃ」

 声が、妙に乾いて聞こえた。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

「パピリオ!」

 少し湿った髪を拭きながら、べスパは妹の名を叫んだ。

「べスパちゃん!」

 姉の声に振り向き、パピリオは喜びに駆け、抱きついた。

「久しぶりだね」

「ホントでちゅ」

「半年振りかねぇ」

「もっとでちゅよ」

 しばし再開の抱擁を楽しむ二人。やがてどちらからともなく離れ、連れ立って歩き始める。

「いつこっちに?」

「ついさっきさ。大竜姫と一緒にね」

「え。あのオバちゃんも?」

「……今の言葉、本人の前では言うなよ。消されるぞ」

「りょ、了解でちゅ。ところでべスパちゃん。どこ行ってたんでちゅか?」

「温泉にね」

「屋外の?」

「ああ」

「気持ち良かったでしょ?」

「ああ。あんないい湯は初めてだよ」

「ヘヘ〜。アタシは毎日でも入れるんでちゅよ」

「まったく、うらやましい限りだねぇ」

「そうそう、この前ね、小竜姫がねえ――」

 初めこそ話に華を咲かせていた。互いに、会うのは久しぶりだから。

 だが、廊下を進んでいくほどに、口数は自然と少なくなっていった。目的地に近づくほどに、パピリオの顔が、再会の喜びから現実の悲痛へと変わっていった。

 一つの戸の前で、二人の歩みは止まった。

「ここかい?」

 べスパが尋ねる。パピリオは黙って頷いた。

 戸を開き、明かりをともす。部屋の様子があらわになった。

 何もない部屋だった。棚などの調度品は皆無。畳もなく、冷たい板の感触がほてった身体を冷ます。

 その部屋の中央に、ヨコシマはいた。ふとんに横たえられ、薄いシーツをかぶせられている。その目は閉じられ、開く気配もない。

「眠ったままかい?」

「うん……」

 べスパは眠るヨコシマの顔を眺めた。

 こうしてこの男をじっくりと見るのは久しぶりだ。初めてかもしれない。逆天号を降りてからは、この男は彼女にとって敵となった。

 その時の男の髪は黒かった。今は白い。病的なまでに白い。すべての精気を吸われたかのように白い。不自然なまでの白は、かえってそれが自然に思えた。光の反射で、白が時たま銀に見えた。

 クシャリと、その髪に触ってみる。少し固い。あの頃のこいつの髪は、もう少し柔らかかったが。

「小竜姫は?」

「別の部屋。あの女魔族のほうを看てる」

「マリーか……」

 数日前に小竜姫から調査を依頼された名前。今回自分たちが派遣される、決定打となった名だ。

「裏切り者、か」

「え?」

「いや、なんでもない」

 裏切り者。実際、この男は彼女の信頼を裏切り、人間たちの元へと帰っていった。だが、彼女の主君の望みを叶えたのは、まぎれもない、こいつだ。

(礼を言うべきなのかねぇ)

 愛する人を殺めた男。愛する人の望みを叶えた男。

 二人の自分がいた。願いの成就を喜ぶ自分と、別離を惜しみ、悲しむ自分。

 二人の自分がいた。願いを叶えてくれて感謝する自分と、あの人を殺されて憎む自分。

 あの時以来、この男には会わないようにしていた。憎めばいいのか、感謝すればいいのかわからなかったから。自分の気持ちを整理する時間が欲しかった。

 結論は、思っていたよりも早く出た。

 姉が愛し、妹も好いている男。そして彼女は、妹の悲しむ事はしたくない。

 姉とは袂を別ったまま、もはや会えない。どれだけすまなく思っても、謝ることもできない。どれだけ会いたくても、もはやそれは叶わない。せめて妹には、こんな思いをさせたくなかった。喪う辛さを二度と味あわせたくはなかった。

「早く起きろよ、ポチ」

 髪に触れていた手を頬に移し、べスパは言った。

 横島に、動く気配は微塵もなかった。

 二、

 ぼろぼろになった服を脱がし、止血する。湯に浸した手ぬぐいで全身を拭き、身体の汚れを取り、包帯で傷口を巻く。霊的に特別な処理をほどこした包帯だ、傷口の治りもはやい。ぼろぼろになった服の代わりに、肌襦袢を着せ、ふとんに寝かせる。

「邪魔するぞ」

 彼女の姉が入ってきたのは、それら諸々の治療を終え、手で額を拭った後のことだった。

「姉上」

「久しいの」

 小竜姫の隣りに、大竜姫は腰を下ろした。

「ワルキューレに聞きました。温泉に行っていたそうですね」

「うむ。お前自慢の湯がどんなものかと思っての。ワルキューレ殿に案内を頼んだ」

「彼女、なにかひどく思い詰めていましたが、何かしたんですか?」

「いや? なにもしておらぬぞ?」

「そうですか」

 ちなみに現在、ワルキューレはアイデンティティを取り戻すため、自室にて座禅中である。

「温泉はどうでした?」

「いい湯じゃった。毎日入れるお前が恨めしい。肌にもよかろうに」

「姉上だってとてもおキレイですよ」

「世辞を言うな、世辞を」

「お世辞じゃ……」

「お前が言うと皮肉ぞ。

 ところで――」

 口調と表情を変え、大竜姫は言う。

「マリーの事じゃ」

 それは姉妹の顔ではなく、上司と部下の顔。

「率直に聞く。助かるか」

「なんとも言えませんね。明らかな致命傷ですし、処置も遅かった。予断を許されない状態ですが、あらかじめ治療されていなければ、すでに死んでいたことでしょう」

「あらかじめ治療? どういうことじゃ?」

 いぶかしみ、大竜姫が尋ねる。先ほどの小竜姫の言い方では、まるで、自分より前に何者かが治療したように聞こえるではないか。

「そのままの意味です。致命傷を負った後に、誰かに治されたということです」

「誰かとは?」

「憶測ですが、よろしいですか?」

「構わん」

「多分、横島さんの残留思念が作用したんだと思います。貫いた手を抜く時に、文珠かなにかで治療したのでしょう。でなければ、死んでいます」

「残留思念……人間にそんなことが可能なのか?」

「人間に可能かは知れませんが、横島さんなら可能でしょう。

 それと大竜姫さま。人間を甘く見ないほうがよろしいです。我々の考えでいけば、彼らがアシュタロスに勝てる可能性は0でした。現実はどうです?」

「ああ……すまなかった、そのようなつもりで言ったのではない。許せ」

「いえ、こちらも物言いが過ぎました」

「よい。それで、マリーはいつ頃目覚める?」

「処置が遅かったため、出血量、霊体の衰退が激しく、しばらくの休養を要します。専門ではないのでなんとも言えませんが、少なくとも二、三日中はこのままでしょう」

「わかった。では、もう一つ」

「なんでしょう?」

 上司の顔で、大竜姫は尋ねた。

「お前、横島殿は好きか?」

「ぶふ!?」

 いきなりの質問に、吹き出す妹。

「ゲホガホあああ姉上! ゴホグフ急に何をゲフゴホ!」

「図星か?」

「違います!」

 顔を真っ赤にして、小竜姫は大声で否定した。

「本当にか? なにやらひどく慌てておるが」

「姉上がいきなり変なこと言うからです!」

「顔が赤いが」

「咳き込んだからです!」

「では、まことに横島殿に惚れてはおらぬのじゃな」

「そ、そうです」

 多少の落ち着きを取り戻し、小竜姫は姿勢を正した。

「フム。安心した」

「安心?」

「なんでもない」

 立ち上がり、大竜姫は戸口へと歩き出す。

「小竜姫。マリーが目覚めたら教えよ。そやつと話がしたい」

「わかりました」

「頼んだぞ」

 引き戸を開け、一歩外に踏み出す。

 振り返り、引き戸を今度は逆の方向へと引く。締めきる直前で、しかし大竜姫はピタリとその手を止めた。

「姉上?」

「……本当に、惚れておらぬのだな?」

「しつこいです!」

「はは。たぎるな、たぎるな」

 笑い声と共に、二人の間の戸は閉じられた。

(安心したぞ、小竜姫)

 板張りの廊下を歩きながら、彼女は心の中で呟く。

(お前が、横島殿に特別な感情を持っておらぬようで、安心した)

 確かに妹は彼のことを嫌ってはいない。好意もあるようだ。だが、それはまだ恋や愛といった段階ではない。格別優秀な教え子といった感じか。

(お前にこの任務は無理じゃ。パピリオはもちろん、べスパにも無理じゃろうて)

 温泉での話を聞く限り、彼女も横島に対して好意を持っている。それは妹やパピリオとはまた違った好意だが、任務の妨げになるのは間違いない。

『姉上。この前、面白い人が修行に来たんですよ、美神令子といいまして――』

 時たま会う時、妹は決まって近況を報告する。

『――で、その助手の横島って人がですねえ。才能はあると思うんですけど、シャドウもすごく情けなくて』

 その中に彼の名が頻繁に出てき始めたのは、いつからだったか。

『姉上、メドーサと戦いました。ええ、王子は無事です。横島さんが保護してくれてたらしくて――』

 いつしか彼のことを、妹はとても嬉しそうに話すようになった。

『――そうそう、この前話した横島さん。なんとGS試験に合格したんですよ。やっぱり、私の目に狂いはなかったんだわ』

 話のほとんどが彼のことで占められるのに、そう長くはかからなかった。

『聞いてくださいよ姉上。横島さんがなんと霊波刀を――』

 とてもよい表情で話す妹が、こちらも嬉しかった。

『この前、雪之丞さんと横島さんが修行に来まして。すごかったですよ。私、文珠なんて初めて見ました』

 妹の心に住みついた人間に、興味がわいた。

『メドーサを横島さんたちが倒しました――ええ、そうです。月の事件も無事解決です。横島さんも生きていましたし』

 大戦後、久しぶりに会った妹に、今度はこちらから聞いてみた。

『横島さんですか? ……すみません、姉上。私に、話す権利はないんです』

 とても悲しそうな顔をした。竜神である妹をこんな表情にさせる人間。ますます、興味がわいた。

(おまえの泣く姿は見とうない。横島殿への気持ちが特別でない今ならば、悲しみも小さくてすむ)

 それでも悲しむだろう、妹は。幼い彼女はまだ、感情を殺すことができない。

(できれば、最後の手段として取っておきたいが……)

 もう一度、彼女たちと横島の関係を整理してみる。

 小竜姫。優秀な弟子。かわいい弟。

 パピリオ。元ペット。格別お気に入りの、大好きな兄。

 べスパ。大切な妹の、大切な存在。

(やはり、無理じゃ)

 結論は変わらない。横島と自分は、接点がない。

(わしがやるしかないか)

 自分しかいない。気が進まないからと言って別の人物――小竜姫、パピリオ、べスパ――にやらせて苦しめるほど、彼女は愚かではない。

「辛いのう、憎まれ役は」

 溜息が漏れた。

 呟きが、静寂のなかに響いた。

 三、

 横島忠夫を妙神山に移送してから、すでに二日が経った。

 だが、彼は一向に目覚める気配を見せなかった。身じろぎ一つもせず、ただ、呼吸を繰り返すだけ。

「おかしい」

 その様を見ながら、大竜姫は言う。

「何故目覚めぬのじゃ。どう思う、小竜姫?」

 かたわらの妹に意見を求める。

「先の戦闘の負傷のせいではないでしょうか? マリーも未だ目覚めぬことですし――」

「マリーは重体じゃったが、こやつには外傷などない。せいぜい、この頬を殴られた跡くらいじゃ。これで二日も意識不明になるか?」

 雪之丞の渾身の一撃のあとを指して、大竜姫は言った。

「さあ。ですが、他に理由と言われましても……」

「むう」

「二人とも」

 悩む竜神姉妹に、ベスパが襖を開け、声をかける。その顔は、どこか憮然としていた。

「どうしたんじゃ、ベスパ? そのような無愛想な顔をして」

「お客さんだよ」

「お客様? 誰ですか?」

「行きゃわかるさ」

 小竜姫の質問にも、ベスパは答えない。

「小竜姫、行ってこい。お主はここの管理人じゃろう」

 大竜姫に促され、小竜姫は客を迎えるべく、部屋をあとにした。

 大竜姫とベスパの二人が残る。

「美神令子達じゃろう、客というのは?」

 大竜姫の呟きに、ベスパの表情が変わる。

 図星だった。

「もう一年以上たつ。そろそろ許してやってもよいのではないか?」

「……別に、恨んじゃいないよ。アシュ様の望みを叶えてくれたんだ、感謝こそすれ、恨むなんて――」

「強がるでない。惚れた男を殺されて憎く思わん女などおらぬ」

「…………かなわないねえ、アンタにゃ」

 溜息をつき、微苦笑でベスパは応えた。

「確かに、一時期そうだったさ。でも、今は恨んじゃいない。吹っ切れるまで、多少は時間がかかりそうだけどね」

「そうか。まあ、仲良くな」

「なに言ってんだよ、オバさんくさい……ハッ!」

 しまったと口を押さえるベスパ。しかし、時すでに遅し。

「……今、なんと言った?」

 大竜姫の目がキュピーンと光る。背後には黒いオーラ力が浮かび、どこからともなく『ゴゴゴゴゴ』と重低音が響いてきた。

「べ、べべべ別に何も!」

 慌てて言うベスパだが、もちろんそんな言葉が通じるはずもない。

 次の瞬間には、ベスパは両頬をつねられていた。

「オバさんと言うのはこの口か!? くぬ! くぬ!」

「ひゃ、ひゃめれ〜」

「この口か!? この口が言ったのか!?」

「ご、ごめんにゃひゃい〜」

「わしは! わしはまだ若いぃぃぃぃぃ!!」

 嗚呼、女の苦悩ここにあり。

「姉上、美神さんたちをお連れし――どうしたんですか、そんな隅でいじけて?」

 横島の部屋の襖を開けた小竜姫は、一瞬そう思ったが、すぐに現状を理解した。

 部屋の隅でのの字を書く大竜姫と、頬を真っ赤に腫らしたベスパ。それの意味するものは……

「ベスパ。姉上にあの話題は禁句でしょう?」

「す、すまん。つい口が滑って」

 大竜姫に聞こえないよう、小声で話し合う二人。しょうがない、と溜息し、小竜姫は姉の肩をたたいた。

「姉上、そんなに落ちこまないで下さい。姉上だって十分にお若いですわ」

「……心にもない言葉を言うな」

 振り向かず、のの字を書きつづける大竜姫。完全に落ちこみモードに入っている。

「うそじゃありませんって。姉上はとてもお綺麗だし、お若いですよ」

「……真か?」

「真です」

「真に真か?」

「真に真に真です」

「真に真に真に真か?」

「真に真に真に真に真です」

「真に真に真に真に真に真か?」

「真ったら真です! なんなら、美神さんたちにも聞いてみましょうか?」

「ヘ? 美神殿?」

 ようやく振り向く大竜姫。妹の肩越しに、人間が数名、こちらを呆れ半分で見つめている。

「こ、これはこれは! お見苦しい所をお見せした。申し訳ない」

 ほこりを払い、こほんと咳払い。

「わしはここ妙神山管理人の小竜姫の姉、大竜姫じゃ。よろしく頼む」

 直立不動でキリリとしたその姿はばっちり決まっているのだが、第一印象が第一印象だけに、その威厳は5割以上ダウンしていた。

「あ、えっと……こちらこそよろしくお願いします、大竜姫様」

 大竜姫と握手を交わしながら、美神はその肩越しに、なにやら小竜姫が合図しているのを見つけた。おそらく、先ほどの話題に関することなのだろう。ご機嫌を取れ、ということなのだろうか。

「でも、大竜姫様ってお美しいですわね」

 これでいい?

 美神はちらりと小竜姫の方を見た。満足げに頷いている。どうやら正解だったようだ。

「何を言うか。お主の方こそ美しい。美、ここに極まれりといった感じじゃな」

「いやですわ、大竜姫様ったら。私などとてもとても大竜姫様の美しさにはかないませんわ、ねえ、みんな?」

 後ろの連中に話題を振るう。みんなわかっているらしく、すぐに話を合わせてくれた。

「え、ええ。そうですよ」

 慌てて頷く、氷室キヌ。

「美しいという言葉で収まるものじゃないわ」

 無愛想だが、タマモ。

「かおりもなかなか美人だが、アンタの方が100倍は綺麗だぜ」

 微笑しながら、伊達雪之丞。

「そ、そうね。残念だけど、負けたわ」

 あとで覚えてなさいよと彼氏を睨みつつ、弓かおり。

「どうやればそんなに綺麗になるのか、知りたいもんだぜ」

 鶏冠頭の一文字魔理。

「ホントホント。こんな綺麗で長い髪の毛、うらやましいわ」

 心底うらやましそうに、神野。

「なによりツノがチャームポイントよね!」

 とってつけたように、峰鏡華。

 口々に皆大竜姫を褒めちぎる。

「て、照れるの」

 鼻をかく大竜姫だが、まんざらでもないらしい。後ろでは小竜姫とベスパが「うっしゃあ!」と互いの腕をがっちり組み合わせていたりする。

 だが。

 こういう『女の機微』に一番疎いこの娘の一言が、すべてを無に返した。

 彼女を弁護するならば、皆が口々に褒めちぎるので、自分もそうしようとしただけである。大竜姫の美しさを誉めようとしただけである。自覚はないし、あったとしたら余計悪い。だが、大罪に変わりはない。この場に彼女がいたことが不運だったということだ。

 すなわち、彼女はこう言った。

「ホント、綺麗なオバさんでござる!」



 ピシィ!



 空気が、固まった。和気あいあいと和んでいた空気が、一瞬にして。

「あれ? どうしたでござる、みんな?」

 一人だけわかっていない、犬塚シロ。

「どうせ! どうせわしなんてえぇぇえぇぇぇぇええぇぇぇぇえぇぇ!!」

 両手で顔を押さえ、泣きながら部屋の壁をブチ破って駆けていく大竜姫。

「嗚呼! 姉上―――――――!!」

「シロ! アンタねえ!」

「え? え? どうしたんでござるか?」

「バカ犬」

 この後、大竜姫のご機嫌を取るのに三時間を要したのであった。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 ようやく落ち着きを取り戻した大竜姫から、美神たちは現状を聞き出した。

「ふ〜ん。二日たっても目覚めないの?」

「ああ。肉体的にはなんら問題ない。おそらくは精神的なものだと思うのじゃが――」

「冥子がいれば直接内部にはいれるんだけどね……」

 冥子は現在入院中である。

「ま、この場にいない人間のこと言っても仕方ないわね」

 いたらいたで厄介だし、と、美神は心の中で付け加えた。

「それよりも大竜姫サマ。私たち人間をなぜわざわざお呼びになったのかをお教えしていただけませんか? まあ、大体の予想はついていますけど」

 今回美神たちが来たのは、大竜姫からの要請があったからだ。これ幸いと、要請の対象であったあの夜に集まった者たちのなかで、現在動ける者がやってきたわけである。

「ほう。わかるか」

「ええ。最初は情報収集かとも思ったけど、そんなの電話一本で済むわ。わざわざ次の戦場となるここに来させるわけがない。

 となると戦力を求めてってことになるけど、私たち人間の霊力なんかはっきり言ってすずめの涙ほどの足しにもならない。

 よって、これも除外される――と思ったけどね」

 そこで美神は一息付き、大竜姫を見た。

「それで?」

 小さく笑い、大竜姫は先を促す。

「あなたたち神・魔族より人間が優れているものが一つだけあった。

 特殊方陣等の、結界技術。そうでしょ?」

「さすがじゃ」

 大竜姫が破顔した。

「人間の結界技術は真に素晴らしい。力の差ゆえ軽視されがちじゃが、効率といった点では、神・魔よりも先を行っておる」

「その技術を使いたいと?」

「そうじゃ。妙神山全域に索敵結界を張ってもらいたい。期限は三日」

「三日ぁ!? いくらなんでもそれは無茶よ!」

 いつのまにかタメ口になっている美神。

「無理なら、半径一キロ程度でかまわぬ。材料はジークが用意する手はずになっておる」

 半径一キロ。それでもかなりの規模だ。

「そこまでする必要があるの?」

「一言で言うならば――――」

 真剣な目で、大竜姫は言う。

「ある」

「……わかりました。なんとかやってみますわ」

「頼む」

 大竜姫に頷きかける美神。

「ところで、一ついいですか?」

「なんじゃ?」

 周囲を見渡し、美神は先ほどからの疑問を大竜姫に問うてみた。

「ワルキューレは、どうしたんです?」

 自室にて念仏中である。

 四、

 灼熱感を感じながら、残されたわずかな力で顔を上げた。

 『彼』の顔が目に入った。

 泣き顔だった。唇を噛み、目に涙をため、必死に泣くのをこらえた顔。

 頬に流れる一筋の涙を見たとき、気付いた。

 ああ、そうだったんだ。あなたは…………

 胸を貫く異物にかまわず、手を口元に持っていく。唇の血を拭った指先で『そのコ』の唇に触れ、紅い血化粧を施す。

 笑う。『あの人』に教えられた笑顔で。今出きる最高の笑顔で、『そのコ』に笑いかける。

 いいの。いいのよ、気にしないで。これはわたくしが望んだ事だから。あなたのせいじゃないの。だから泣かないで。ね?

 祈る。神でもなく、魔王でもなく、『彼』に対して、祈る。

 どうか、『このコ』が光の元を歩めますように――――

 意識が戻ってまず最初に、マリーは横島の姿を探した。

 横島の姿を視界に求めながら、時たま走る胸の痛みに自分がまだ生きていることを実感する。

「横島さま……」

 姿は見当たらなかった。死んでしまったという考えはない。あれほどの力を有した者が、そう簡単に死ぬはずがない。

 ただ、心配ではあった。どこにいるとも知れない横島が――もしくは、『あのコ』が――魔族の殺戮本能に負けて暴走している可能性があった。

 今、自分は生きている。生き残った。死ぬはずの傷を負いながら。それが『彼』のおかげか、はたまた『あのコ』の仕業かはわからないが――おそらくは、両方だろう。

 つくづく、横島というのはおかしな存在だ。そう、マリーは思う。

 横島忠夫は、いつのまにか自分を引き付けてやまなかった。彼は自分を等身大で見ていた。半神半魔とか、アシュタロス一派の生き残りとかは関係なく、ただ、マリーという一人格として見てくれた。そして、その存在を受け入れてくれた。

 自分にも安らげる場所があったことを、マリーは初めて知った。

 それを自分から手放してしまったのは、なぜだろう?

 なんのことはない、しがない独占欲だ。

 確かに別の道もあった。横島につけた霊基片を解除し姿をくらませれば――自分は粛清されるだろうが――横島は無事だ。軍に対して保護を求めてもよかった。多少の刑罰は受けるだろうが、こちらの情報を渡すことによって軍は動き、横島も保護される。

 だが、どの道もそれは横島を手放すことになる。それは耐えられなかった。ようやく手に入れた安らぎの場所。それを他人に譲るくらいなら、いっそ、この手で壊してしまおう。この手で壊せば、自分は彼を忘れない。彼もまた、自分を忘れないだろう。

 それを実行した結果、しかし彼女は生き残った。

 なぜだろう? マリーは考える。なぜ、自分は生きているのか? 自分が生きる、その意味はなんだろうか?

 神が生きろと言っているのだろうか? しかし、彼女は神を信じない。

 自分は生きて、何をするのだろうか。何をするために、生き残ったのだろうか。

 それは、おそらく――――

「調子はどうじゃ?」

 思考は、扉の開く音と響いた声によってさえぎられた。

「……最悪ですわ」

 嘆息し、マリーは大竜姫に応えた。

「まさか、竜神なんかに助けられていようとは」

 いわゆるエリートの血筋である竜神は、マリーにとって気に入らないものだった。

「あなたほどの神が地上に降りていらっしゃるとはね、大竜姫さま」

「意外か?」

 小竜姫を制しながら、大竜姫は言う。

「まさか」

 鼻で笑うマリー。大竜姫の表情が引き締まる。

「……小竜姫。少し、席を外せ。こやつと二人で話がしたい」

「で、ですが――」

「いいから行け。夕飯のしたくもあるじゃろう」

「……わ、わかりました」

 妹を追い出し、大竜姫はマリーの傍らに膝を下ろす。

 マリーの枕元で、大竜姫は今までの経緯を語った。横島は人間たちの手で鎮められたこと。そして現在、妙神山にて保護されていること。深い眠りに落ちて、未だ目覚めないこと。

 言葉一つ一つに、マリーは顕著に反応した。特に横島が鎮められたと聞いたときは、涙さえも流した。泣きながら、ただ、『よかった……』と呟いていた。

 経緯を話し終え、マリーも落ち着いてから、大竜姫は用件を切り出した。

「単刀直入に言う。お主、わしらの側につけ」

「なぜ?」

 さして驚いた風もなく、マリーは聞き返した。

「単純に戦力が足りぬ。歯に衣着せずに言えば人間たちは論外じゃからして、こちらは四人。向こうの情報がない以上、強力な仲間は一人でも多いほうがよい。どうじゃ?」

「お断りします」

 即答のマリー。

「ただでとは言わぬ。協力してくれれば、この度お主が犯した罪をすべて不問にしよう」

 大竜姫はすでに美神たちからマリーのことを聞いていた。横島を人魔に仕立て上げた、半神半魔の女。

 人間界への干渉だけではない。神・魔界にも重大な被害を及ぼしかねないことをやってのけたのだ。その罪すべてをチャラにしようというのだから、これほどおいしい話もあるまい。

「嫌だと言っているでしょう」

 だが、マリーは当然の如く、その目の前にぶら下がった人参を振り払った。

「足りぬのか? では――」

「どんな報酬であろうと、あなた方と目的が違う以上、なれあう気はありませんわ」

 にべもない、マリーの返答。

「では、我々の敵となると?」

「いいえ。あなた方の目的が横島さまの保護なら、無理をして敵対する理由もありませんわ」

「ふむ。お主にはお主の目的がある。三つ巴か」

「そうなりますわね」

 しばし考え、大竜姫は再び口を開いた。

「ならば、こうしよう。お主から敵の情報を買おう。報酬は、その傷の治療。どうじゃ?」

 先程よりはいくぶん興味のそそる取引だった。傷が治れば、それだけ行動も起こしやすい。どうせ自分の持っている情報など、たかが知れている。それを高い価値で買ってくれるのなら、それがいいだろう。

「了解しましたわ」

「決まりじゃな」

 取引成功に小さく笑い、大竜姫は立ち上がる。

「では、治療専門の者を呼んでこよう。

 小竜姫が夕飯を用意しておるはずじゃが、お主も食べるか?」

「メニューは?」

「たしか、焼き肉とか言っておったような……」

「ケガ人にそんなものを食べさせる気ですの?」

「確かに。では、後ほど粥でも持ってこよう」

 遠ざかる大竜姫の足音を耳にしながら、マリーは瞼を閉じる。

 横島が元に戻った。それはとても嬉しいことだった。自分が犯してしまった過ちを正す機会が与えられたのだから。

 瞳を閉じると、横島を感じる。彼の魂に付着させた霊基片が、彼の存在を感じる。

 注意深く、マリーはその感覚を探った。そして初めて、それに気付いた。

 やはり、そうだったのだ。マリーはあの夜に感じたことに、確信を持った。

 ゆっくりと、まぶたを開く。木張りの天井が目に入った。

 生き残ったのなら、やらねばならない。横島のために。そして何より、『あのコ』のために。昔の自分と同じ、どこにも居場所のない、『あのコ』のために。

 気付いているのは、自分だけ。知っているのは、自分だけ。

 だからこそ、やらねばならない。それが、他の誰とも相いれないものであっても。

 あのコを、光の元に――――