彼の体が、彼女の声に反応して動く。

『やめろ……』

 彼の体が、右手を腰に構える。

『やめろ……!』

 彼の体が、疾る。

『やめろおぉぉぉぉ!』

 次の瞬間には、彼の右手は彼女を貫いていた。

 格闘の心得などない彼にも、容易にわかる。これは、致命傷だ。

『ああ……』

 彼の右手は、彼女の体のど真ん中をぶち抜いた。右手を通して、彼女の背骨が折れる音を聞いた。

『マリー!』

 吐血。

 彼女の唇の血により、彼の唇に化粧が施される。

『マリー! マリー! マリー! マリー! マリー! マリー! マリー! マリー! マリー! マリー! マリー! マリー! マリー! マリー! マリー! マリー! マリー! マリー!

 死ぬな。死ぬな、マリー!』

 彼女の首が持ちあがる。相互の瞳が交錯する。

 彼女が、笑った。

 その笑顔は、今まで彼が見てきたなかでも最高のものだった。美しく、そして儚い。喜びと悲しみが内在し、愛しさと恨めしさの混沌とした笑み。美、そのものだった。

『ああ……』

 しかし、その笑みにはくっきりと死の色が浮かんでいた。それを彼は理解した。

『あああ!』

 糸が切れたように、フッと彼女の体から力が消える。

『あああああ!』

 頭がたれ、両腕が力なく下がる。

『あああああああああああああ!』

 彼女の体は動かない。ピクリとも。まるで、糸の切れた人形のように。

 肉体という人形に繋がっていたのは、生命という名の糸。魂という名の糸。

『あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!』

 彼は叫んだ。心から叫んだ。魂の奥底から絶叫した。

 それ以外に、彼に出来ることはなかった。

 そして――虚無。

 

 人魔 第五幕


 一、

 最初に現場にたどり着いたのは、美神美智恵だった。途中でタクシーを乗り捨てて走ってきたらしく、軽く肩で息をしている。

「横島クン? どこに――」

 辺りを見回す。遠くの方――闘技場の上空に、人影らしきものが浮かんでいるのを、彼女は捉えた。

「あそこ!」

 再び、美智恵は走り出す。

 闘技場の入り口をくぐり――そこで、驚きに足を止める。

 人影は、やはり横島だった。文珠を使っているのか、空に浮いている。

 驚きに足を止めたのは、それゆえではない。原因は、彼の右腕にあった。

 紅く染まった右腕。その半ばから生えたような、紅い人影。重力に従って下へと落ちる、紅い雫。

 人影の名を、美智恵は知っていた。

「マリー……」

 その名を呟く。

「そうだったの。あなたが……」



 ブン!



 上空の『横島』が右腕を振るう。遠心力によって腕から抜け、闘技場の壁に激突するマリー。



 ガゴ…………ン



 勢いはそれだけでは収まらず、マリーの体は壁を崩し、突き抜けた。

 その力に唖然とする美智恵。マリーから視線を戻す。

 『横島』は振るった右腕を見つめ、握ったり開いたりを繰り返している。

 指を一本ずつ曲げていく。

 そして、逆の順番で開く。

 拳を振るう。空気を裂く音がする。

 肩と首を回す。

 上空に手をかざし、月明かりから目を守るような動作をする。

 手を下ろし、遮蔽物なしで月を眺める。

「あ……」

 『横島』が、口を開く。

「あは……はは……ははは」

 言葉ではなかった。それは、単なる笑い声。狂ったような笑い声。

「あははははははは! あは、あは、あはは! はっあはははっははははああはははあはああははははあははははははあああはははははふふふふふふふあはははははは!」

 狂気の笑い声を、美智恵は黙って聞いていた。『横島』は彼女には気付いていないようだった。

(気付かれないにこしたことはないわね。見つかったらどうなるかわからない。対抗できるはずもないし)

 入り口の、『横島』の死角になるところまでゆっくりとあとずさる美智恵。

 すこしずつ。すこしずつ。

 ゆっくりと。ゆっくりと。

 『横島』はまだ気付かない。狂ったように笑いつづけている。

 あと少し。後少し後ろに下がるだけで、『横島』からは完全に見えなくなる。

 そう思った瞬間だった。



 ピリリリリリ――



「「!!」」

 ケータイの着信音だった。

 音を止めて美智恵が入り口の影に隠れたのと、笑い声を止めて『横島』が振り向いたのは、ほとんど同時だった。

 静寂が訪れる。

 『横島』は辺りを見回している。音は聞こえたらしいが、その音源までは捉えきれなかったらしい。

 物陰からその様子を見つめ、美智恵は安堵のため息をついた。



「もしもし?」

 余裕が生まれ、ようやく電話に出る。

『――西条です』

「小声でお願い。何?」

『準備完了しました。現在、六道女学院に向かっているところです』

「そう、わかったわ。急いで」

『はい。先生は、今どちらに?』

「六道女の闘技場よ。横島クンのすぐ近く」

『横島くんの!? どうですか、彼は?』

「かなり強力ね。おまけにためらいがない。マリーを一撃で殺したわ」

『マリーですか? 先週、横島クンと接触した?』

「そう。彼女もかなりのものだったけどね」

 病院の一件で、彼女の強さがとてつもないものだとは理解している。パピリオ達ほどではないにしろ、人間が不用意に立ち向かうにはいささか過ぎる相手だ。

 その彼女が、一撃だ。

 実際にはマリーはあえてその一撃を食らったのだが、過程を知らない美智恵にわかるはずもない。

 だが、美智恵の結論は間違っていない。マリーを圧倒しない程度の力など、世界の破滅を望む者達が求めるはずもない。

「西条くん。装備を具体的に教えて。場合によっては、さらに必要になるわ」

『結界兵器5000マイトが六基です。主な戦力装備は以上です。なにぶん急でしたので、このクラスを用意するのが精一杯でした。残りの人員は周辺の警備に回す予定です』

「そうね。よけいに人数がいてもかえって邪魔なだけだわ。まずは結界で六芒星を――」

 言いかけたところに、衝撃が走った。

 轟音のあとに続く爆風。声は出さずに顔を覆う美智恵。

 風がやんだあとに、目を開く。

 向かい側の壁が一面、ゴッソリと消えていた。

「…………うそ……………」

 再び、衝撃。続く轟音と爆風。

 右の一面が消える。

『先生? もしもし、先生?』

 『横島』は、どうやら苛立っているようだった。音が在ったことはわかるが、その源がわからない。なんの音か。どこから発したのか。

 わからない。それが許せない。

 わからないのならば、全部破壊すればいい。

 破壊すれば、わからないものはなくなる。

 『横島』の思考は単純だった。まるで子供のように。

 衝撃。轟音と爆風。

 左側面が消える。

『先生? 何かあったんですか、先生!?』

 受話器から漏れる声。

 出口に向かって全力で駆けながら、美智恵は叫ぶ。

「お願い! 早く来て!!」

 電話口の向こうから聞こえる轟音に、西条は思わず、もっともとってはいけない行動をとってしまった。

「先生? 先生!」

 すなわち、取り乱すこと。

 編隊の頭である自分が取り乱しては、部下にたちまち動揺が広がってしまう。

 だが、その混乱はすぐに治まることとなる。

『――条くん?』

「先生。ご無事でしたか、よかった」

 西条がすぐに落ち着きを取り戻せたからだ。

『危機一発ってトコね。時間がないから、最後に一つだけ。後どれくらいで着ける?』

「五分あれば――」

『三分で来て』

 有無を言わせぬままに、電話は途切れた。

 二、

「ありがと。助かったわ」

 ケータイを収めながら、美智恵は隣りの人影に言う。

「ノー・プロブレム、ミセス・美神」

 人影――マリアは答えた。

 先程の爆発の瞬間、ぎりぎりで間に合ったマリアが助けてくれたのだ。

「あなたがいなければ死んでたもんね。ところで、Dr.カオスは?」

「ドクター・カオス、私の・パーツを・取りにいって・ます」

「そう」

 生返事をし、砂煙でふさがれた前方を見やる。

「逃げきれると思う?」

「確率・9860分の1」

「あら素敵。涙が出てきそうだわ」

 砂煙の向こうに、何かが降り立つ軽い音がする。降り立ったのが何か、考えるまでもない。

「他の連中は?」

「各自・接近中」

「一番近いのは?」

「ミス・おキヌ、ミス・シロ、ミス・タマモ三名が・徒歩で・接近中。後46秒で・到着の・見込み」

 四十六秒。長いととるべきか短いととるべきか。

「……合図と同時に左右に展開。時間を稼ぎつつ、正門を目指す。いいわね?」

「イエス、ミセス・美神」

 美智恵の作戦に同意するマリア。とにかく今は圧倒的に戦力が足りない。仲間が全員揃うまで逃げ切ることが最優先事項だ。

 砂煙が薄れ、中から人影が一つ、現われる。誰何せずともわかりきっている。

「一……二……散!」

 美智恵の掛け声と共に左右に跳ぶ二人。そのまま一目散に逃げ出した。

 その光景を、『横島』は砂煙の中からじっと眺めていた。

 放っとくか、それとも追うか、『横島』はしばし悩んだ。悩んだ末に、面白そうなので、追うことにした。次に、右と左どちらを追いかけるかで悩んだ。少しして、やはりなんとなく面白そうなので、右の方を追いかけることにした。

 腰を落とす。下半身に力を溜める。溜めた後に、地面を蹴って力を解放する。

 最初の一歩でトップスピードに乗る。次の一歩で相手に追いつく――いや、追い越す。あわてて『横島』は片足を地面に突き刺してブレーキをかける。それでも数メートルは進んだが。

 止まった後に、相手の顔を見る。呆然とした表情で、彼女――美智恵は立ちすくんでいた。

 無理もない。彼女からしてみれば、風が吹いたと思ったらすでに『横島』は前方に居たのだ。まるで瞬間移動したかのように。

 『横島』は、彼女の表情の変化が面白かった。

 軽く跳躍して見る。上から見下ろす彼女の表情は、驚愕へと変化した。

 面白い。

 空中で姿勢を制御し、霊波を放つ――直前で、身を捻る。眼前を一本の腕が通り過ぎていった。

 腕の来た方向へ目をやる。先程逆側へ逃げた一人がいた。

 自分の行動を妨げられたことに少々不機嫌になりながら、『横島』は地面に降り立った。

「エルボー・バズーカ!」

 右のロケットパンチを回収しながら、左の肘先からミサイルを発射するマリア。だが、『横島』は手をかざすこともなく、意識する事のみで紡いだ霊波の壁でその進行を止める。

「クレイモア・キーック!」

 回り込んだマリアが顔面に向けて上段蹴りを放つ。同時に脚部から無数の鉄鋼弾が発射されるが、それも『横島』の霊波の壁を破ることは叶わなかった。

 マリアが次の攻撃行動をとろうとした瞬間、『横島』は動いた。マリアは探知できない。



 ピ――――――――!



 マリアの内部から警報が発せられる。そこで初めて、マリアは攻撃を受け、結果右腕を損傷したことを認識した。

(残り時間、Tマイナス28秒)

 まだに二十秒もたっていない。このままではとてももちそうになかった。

(攻撃力、破壊力、スピード、すべて計算より・上)

 『横島』の能力は、マリアの計算を遥かに凌駕していた。しかも、あいてはまだ本気を出しているようには見えない。

(ミセス・美神検索……すでに闘争範囲より脱出)

 これで確実に一人はキヌ達と合流できる。

(勝率………………………………算出不能)

 計算できないが、絶望的だということは理解できた。

(逃走成功率………………………………?)

 そこまで計算して、マリアは不思議に思った。そこまで計算できた事に。

 計算を始めてから、優に三秒は経っているはずだ。その間に攻撃されようものなら、マリアはあっという間にスクラップと化していただろう。だが現実には、攻撃は一切なかった。

 不思議に思い、マリアは『横島』の方を見た。

 数m離れた場所で、『横島』はマリアの右腕をしげしげと眺めていた。理由は不明だが、どうやら右腕に興味を持ったようだ。

 右手に持ち、『横島』はマリアの右腕を見つめる。

 左手に持ちかえる。

 振ってみる。カクカクとマリアの右腕がゆれる。

 月にかざしてみる。

 上下逆さにする。

 右手で握手する。

 振る。カクカクとマリアの右腕がゆれる。

(残り時間、Tマイナス14秒)

 すでに『横島』の注意は、マリアにはないようだった。

(…………逃げ切れる?)

 わからないが、このままでは状況は一向に変化しない。

 幸い、脚部は無事だ。つまり、飛べる。

(バーニア噴射。ポイント01へ)

 脚部よりバーニアを噴射し、マリアは空中へと飛び立つ。



 ピ―――――――――!



「!?」

 警報。

(脚部亀裂! 出力不安定!)

 なんの前触れもなく、脚の自由が利かなくなる。

(飛行不能! 胴体着陸!)

 なす術もなく、地面に叩きつけられる。

 墜落して初めて、マリアは自分の左足がないことに気付いた。

 顔を上げる。

 先程から微動だにしない位置に、『横島』はいた。左手に、彼女の左足を持って。

 『横島』は動かない。ただ、新たに手にした左足を眺めるだけだ。

 マリアの左足を、『横島』は見つめる。

 月にかざして見る。

 上下逆さにする。

 振る。カクカクとマリアの左足がゆれる。

 回す。くるくると回転する、マリアの左足。

(残り時間、Tマイナス6秒。)

 自分の手足を弄る人物を目にしながら、マリアは計算する。

 後六秒の間に逃げ切れるだろうか?

(インポッシブル)

 『横島』を相手に勝てるだろうか?

(インポッシブル)

 増援が来るまで無事でいられるだろうか?

(インポッシブル)

 そして何よりも。

 こんなにも強力な存在を相手に、自分たちが渡り合えるのだろうか?

(……………………………)

 最後の疑問には、計算することがためらわれた。

 計算すれば、同様の答えをはじき出してしまいそうだったから。

(横島・さん……)

 計算しか出来ない自分が、マリアはたまらなく悔しかった。

 三、

 キヌ、シロ、タマモの三名が到着、美智恵と合流してから、すでに一分が経過していた。その間に美智恵の娘である令子と唐巣神父、ピートも姿を現している。

 だが、そこにマリアの姿はない。

 それが語ることは、一つしかない。

「美智恵君、対策はあるのかい?」

 それは全員がわかっている事。だから全員が口にしない。唐巣は、美智恵に次の行動の指示を求めた。

「策なんて大したもんじゃないですよ」

 そう前置きして、美智恵は自分の案を説明する。

 要は横島を縛り、キヌの能力で霊体に干渉、暴走を治めるだけだ。

 言葉にすれば容易だが、実行するとなればそれこそ命がけだ。それでも、失敗の度合いの方が高い。

「令子、あなたは結界の用意を。他の人たちは、とにかく時間稼ぎ。シロちゃんとピート君は前衛、タマモちゃんは中ほどに位置して。先生は後衛を」

「わかったわ、ママ」

「わかりました」

「承知でござる」

「了解」

「まあ、年齢的にも前衛はムリだからね」

 全員の返事を聞き、美智恵は頷く。

「言っておきますが、私達が相手にしているのは、横島クンではありません、敵です。個人的感情は捨てるように。さもないと、自分が死ぬ事になるわよ」

 その言葉に、今度は五人が頷く番だった。

「これより我々の敵を『人魔』と呼称します。

 後一分で、西条君が到着します。同時に、結界を展開、これにより、『人魔』の戦力削減を図ります。そうでもしなければ、余りに強力過ぎて私達の手には負えません。それまでは決して手を出さないように」

 緊張と共に、美智恵は大きく息を吸う。

「それでは――各自、行動を開始してください!」

 鉄で出来た奇妙な女の手足をもいで遊んでいた『横島』は、突如自分の体が重くなったことを感じた。

 同時に、複数の殺気を感じる。それらが自分に向いているのを感じる。

 気に入らない。とっても、気に入らない。すっごく、気に入らない。

 『横島』は弄くっていた手足を放り投げ、殺気のする方向に進み始めた。

 

「結界の圧力は5000マイトだったかしら?」

 起動した結界を眺め、美智恵は部下の西条に確認する。

「そうです。魔族の霊波に反応し重圧をかけるタイプです。つまり、この場では横――いえ、『人魔』にしか効果はありません」

「効くと思う?」

「ないよりマシです」

「そうね」

 冷や汗が流れる。

 五千マイトでも、効果の程はあまり期待できない。

 それほどの相手なのだ。『横島』は。

 背中が汗ばむ。緊張で息が震える。

 霊圧がいっそうに強さを増す。

 視界の中に、『人魔』が姿を現した。

 犬塚シロは、敬愛する師匠の姿を目の当りにして、息を飲んだ。

 いつも師匠といる時の心地よさはかけらもない。あるのは、圧倒的な霊気によるプレッシャーのみ。

 今の師匠が師匠でないことを、シロは感覚として理解した。

「先生……」

 霊波刀を発動させる。師匠に師事し、鍛え上げられた刀を今、師匠に向けなければならない。胸が悲しさで締め上げられる。

「拙者が元に戻してあげるでござる。先生を、いつものやさしい先生に戻してあげるでござる。

 そしたらまた、散歩に連れてってほしいでござる。

 そしたらまた、頭撫でて欲しいでござる。

 そしたらまた…………また………………………」

 うつむく。これ以上言葉を発せば、涙が出てしまいそうだった。

 今、目の前にいるのは師匠ではない。『人魔』だ。

 顔を上げ、シロは剣を構える。

「横島忠夫が一番弟子、犬塚シロ――参る!」

 戦いが、始まった。

 四、

「ありゃあ。通行止めですね、お客さん」

 タクシーの運転手は、妙に慌てた様子の客に言った。

「一体何があったんですかねぇ。別の道を探してみましょうか」

「いや、ここでいい。下ろしてくれ」

 バックに切り替えようとした運転手に、客は言った。

「そうですか? 他の道があるかも――」

「いや。どこでも同じだろう」

 運転手に答えながら、客は紙幣を何枚か渡す。

「釣はいらねえ、取っといてくれ」

「あ、ちょっと――」

 運転手の制止も聞かずに、客はさっさとドアを開けて下りていった。

「……やれやれ」

 鬼気迫る表情で去っていく客に、運転手はこれ以上詮索する気にはなれなかった。

「しっかし……」

 受け取った紙幣をひらひらさせて、運転手はぼそりと呟いた。

「これじゃ足りねえんだけどなあ」

 タクシーから下りて、伊達雪之丞は足早に検問へと近づいた。思った通り、そこにいるのは整備員ではなく、Gメンの所員だった。

 所員の一人にGS免許証を見せ、通りすぎる。

「冗談じゃねえよ! どうして通行止めなんだよ!?」

(――――ん?)

 覚えのある声を捉えて、雪之丞はその歩みを止めた。

 声のした方向へ目をやる。少し向こうに、金色の鶏冠頭が目に入った。

 彼の知る限り、そのような頭をする人物は一人しかいない。近づいてみると、予想通り、そこにいたのは一文字魔理だった。隣りには弓かおりもいる。

 なぜ二人がここに? という疑問は浮かばなかった。霊能力があればこの気配を感知するのは容易なことだ。後は恐怖に負けて部屋で震えているか、こうしてやって来るかだ。もっとも、これほどの気配ならばたいてい前者で終わるだろうが。

 そういう意味では、彼女ら二人はなかなか頼もしい存在である。

「おい、二人とも」

 所員に食って掛かる二人に、雪之丞は声をかけた。

「なんだぁ――って、伊達さん!?」

「雪之丞!?」

「よっ」

 驚く二人に、伊達雪之丞は軽く手を上げて応えた。

「ということは、この霊波は横島さんなわけ?」

 所員に言って、二人を中に入れてもらった後。

「そ〜なのよ〜。これが〜、横島クンの〜、力よ〜」

 途中で六道冥子と合流し。

「だけど、数回会っただけだけど、彼はこんな感じの気配じゃなかったような――雪之丞さん?」

 冥子と雪之丞はインダラにまたがり。

「横島であって横島じゃない。詳しい事は、隊長さんに聞いてくれ。すべてが終わったあとでな」

 魔理とかおりはバイクで二ケツ。

「とにかく、俺達がすべき事はあいつの注意を引くこと。美神のだんなが結界を完成させるまでの時間を稼ぐことだ。絶対に倒そうなどと思うな。いいな?」

 四人は一路、六道女学院を目指す。

 一方、別な場所において。

「これでもくらって、みんなハワイに行きなさいー!」

「よし、行くわよ!」

「ちょっと待ってよ、鏡華。袴姿って走りにくいんだから」

「だったら普段着で来なさいよ!」

 Gメン職員は皆、なんだか違和感があるワイキキ・ビーチで納得のいかない休暇をエンジョイしていたという。

 五、

 シロの霊波刀が横薙ぎに『横島』に迫る。ステップバックして攻撃範囲の外に出る『横島』。

 着地の瞬間を狙って霊波を放つピート。振り向く事もなく、『横島』は右手で弾をはじく。

 右半身が、空く。

 そこにシロが左手の霊波刀で突きを放つ。だがそれは、『横島』の紡ぐ霊気の盾によってはじかれた。

 『横島』がシロを捕まえようと両手を振るう。かがむことで避け、下から霊波刀を放つシロ。なんとか『横島』は避けるが、胸の辺りの生地がパクリと切れる。

 横に飛ぶシロ。『横島』の目の前に炎が展開する。タマモの狐火だ。

 炎に捲かれる『横島』。だが、傷は負っていない。すべての炎は、『横島』の纏う霊気に防がれている。気合いと共に炎を打ち消す『横島』。直後に上から霊波が射ち下ろされる。ダンピール・フラッシュは、『横島』の足元にそれて落ちた。一瞬だが、『横島』の視界がふさがれる。その一瞬の間に、唐巣の霊波が眼前まで迫る。力任せの霊波で迎撃する『横島』。霊波の勢いはとどまらず、そのまま唐巣へと飛んでいく。だが、後衛で距離があったため、唐巣はそれを余裕でかわす。

「すごい……いけるぞ!」

 戦況を見守りながら、西条は興奮気味に呟いた。

 だが、美智恵はそこまで楽観的にはなれなかった。

 確かに、シロ、タマモ、唐巣、ピートの四人の波状攻撃は、『横島』を相手に互角以上の戦いを繰り広げている。はっきり言って、優位この上ない。

 『横島』の戦い方はまるでなってなかった。複数との戦いでは、全員を視界に入れて不意打ちを防ぐ必要があるため、壁に背を当てるとか下がりながらして戦うのが普通である。だが、今『横島』のいる場所は、校庭のど真ん中だ。背後を突いてくださいと言っているようなものである。事実、ピートが何度か背後からの攻撃を仕掛けている。

 戦い方も妙だ。相手の攻撃をかわし、反撃を加えることしかしていない。先読みはおろか、少々離れた場所にいるタマモと唐巣に至ってはまったく無頓着だ。

 あまりにも幼稚。あまりにも稚拙だ。卓越した反射神経、動態視力のおかげである程度戦ってはいるものの、その未熟さは隠しきれない。

(これが横島クン? これが『人魔』?)

 そんなはずはない。美智恵は否定する。この程度ならば、覚醒前の横島の方がまだ恐ろしかった。結界が張られていることを差し引いても、あまりにも弱すぎる。

(いえ――違うわ。弱いんじゃない)

 弱いのではない。稚拙なのだ。

 確かに、霊力それ自体は強力だ。ここにいる全員を――いや、今も向かってきているだろう仲間の霊力すべてを集めたとしても、これほどの霊力には及ばないだろう。

 だが、それを『横島』は活かせていない。まったくと言っていいほどに。

 なぜ?

(内部で横島クンの自意識が抵抗している? それに意識の大部分を取られているのかしら?)

 だとしたら、これは時間との戦いになる。

 横島が侵食されきる前に、すなわち『横島』が本気を出す前に、結界を張り、意識を逆転させなければならない。いくら横島といえど、そう長くは持たないだろうから。

 シロの霊波刀をかわす『横島』。ピートが背後から迫る。

 その肩に、霊波刀が突き刺さる。

 『横島』の霊波刀が、ピートの肩に。

 そのまま、『横島』は霊波刀を上に薙ぐ。肩口が裂けるピート。

(霊波刀を使い始めた。横島クンの抵抗が弱くなった?

 だとしたら、急がないと。抵抗を削いだ『人魔』はより強くなってくる)

 次の瞬間。美神美智恵は驚愕する。

 そして知る。自分の考えが誤りであったことを。

 ピートを倒した『横島』は、前方のシロに肘打ちをくり出す。後ろに跳ぶことでかわすシロ。

 だが――――

「がはっ!?」

 肘先から発射された霊波が、シロの腹部にめり込む。まともに受けたシロは勢いに吹き飛ばされ、そのまま校庭の端の木をぶち折った。

「「「な……!?」」」

 肘先から霊波が発射されたという事実に言葉を失う美智恵、西条、唐巣。

 そして。

「よこしまぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 親友がやられた事に逆上する、金毛白面九尾の狐。

 全霊力を振り絞り、タマモは巨大な火球を形成した。直径五メートルはあろうかという炎の球を。

「燃え尽きろぉぉぉぉぉぉぉぉ!」

 火球は陽炎を生み出し、地面を炭化させながら『横島』に突き進む。

 たいして、『横島』は緊張したふうもなく、

「ふっ」

 っと、軽く気合いを入れた。

 次の瞬間、『横島』の前面には、タマモよりも巨大な霊力球ができていた。

 『横島』の霊球はタマモの火球を大した抵抗もなく飲み込み、そのままタマモに向かっていった。

「まずい!よけろ、タマモくん!」

 誰かが言う。だが、全霊力を使い果たしたタマモは、もはや歩くことすらままならない。力尽き、その場にがっくりと膝を落とす。

 同時だった。

「タマモちゃん!」

 美智恵がそう叫んだのと。



 ドウゥン!



 横手からの霊波が、霊球に当たったのとは。

 予定外のベクトルの作用で進路をはずす霊球。まだその勢力圏内に位置しているタマモを、突如現われたトラが襟首を咥え、再び消える。

 霊球は、校門の横手を削ぎ取り、消失した。

「危機一発ってとこか」

 先程の霊波の主――伊達雪之丞が放った姿勢のまま呟いた。

「雪之丞くん!」

 唐巣が言う。

 その後ろには、かおり、魔理、冥子が控えていた。その更に後ろには、メキラによって助かったタマモの姿もある。

 全員が消え、美智恵の側に現われる。メキラのテレポートだ。

「その娘達は?」

「オレの知り合いだ。腕は保証する」

「弓さん。一文字さんも……」

「知り合い、おキヌちゃん?」

「ええ。クラスメイトです」

 美智恵に答えるキヌ。

「事情はある程度雪之丞さんから聞いています。御手伝い致します」

「来た以上、いやでも手伝わせるわよ。

 雪之丞くん、弓さん、一文字さんは前衛。冥子ちゃんはピート君、シロちゃん、タマモちゃんの治療をお願い。唐巣神父はそのまま後衛で。中ほどは……西条くん、お願いできるかしら?」

「構いませんが……私では、銃くらいしかありませんよ」

「それでいいわ、お願い」

「わかりました」

「それじゃ、みんな――」

 チームを入れ替えて。

「GO!」

 再び、戦いが開始された。

 六、

(――――違う!)

 『横島』と雪之丞達の戦いを観察しながら、美神美智恵はそう結論した。

 懸念が生まれたのは、先程の『横島』の肘打ちだった。

 人間の肘から先には何が繋がっているか?

 考えるまでもない。腕と手だ。

 そう、考えるまでもないのだ。それが当然の意識であるのだから。肘は人間の体の先端ではない。

 霊力とは、人間の体内を駆け回る存在。それゆえに、人間が霊波を収束して放出しようと思えば、それ以上の循環が不可能な個所――すなわち手や足などの末端部分――からが、一番効率がいい。手や足は、ホースの先端のような物なのだ。イメージの問題もある。普段よく使っている手の延長と思えばこそ、収束された霊波が出せる。

 しかし、肘の延長は、手である。そこから霊波を放出しようなどという行為は、あまりにも効率が悪い。ホースを折って水を出そうとしているようなものだ。

 纏う事は出来る。だが本来、肘からあのような強力な霊波を放てるはずがないのだ。

 そう。放てるはずがない。出来るはずがないのだ。

 ならばなぜ、『横島』はそれをやってのけたのか?

 霊力の強さの問題ではない。イメージングの難しさがあるのだ。それを大した苦労もなく、ほとんど反射的にあそこまで収束した霊波を放てるとは。

(あの子はまだ、生まれたばかりなんだ)

 戦闘の光景を見つめながら、美智恵はそういう結論に達した。

(『人魔』の人格はまだ生まれたばかり。だから、なにが自分にできて、なにができないかを知らない。人間としての常識なんて知らないんだから)

 『横島』がハイキックを繰り出す。避けようとする雪之丞。だが当たる寸前、足から放たれた霊波が彼の頭部を打ち据える。

(『人魔』が最初に対戦した相手は、マリアだった)

 銃撃する西条に、『横島』は拳を向ける。肘先からの拳型の霊力が放たれる。

(エルボー・バズーカ、クレイモア・キック、ロケット・パンチ。自分と同じ格好のマリアにはそれが出来た。だから、自分にも出来ると思っている。そして実際に出来ている。

 霊波刀も同様。シロちゃんが手の平から出したのを見て、自分も出来ると思った。それでなくても横島クンは霊波刀が使えたんだから、コツをつかむのは容易だったはず)

 魔理の木刀の一撃を、手甲で受け止める『横島』。

(雪之丞クンの魔装術!)

 もはや疑いようがない。『人魔』はまだ出来ない事を知らない。それゆえになんでも出来る。

 魔理の木刀をつかみ雪之丞に放り、向かってくるかおりに霊波を放つ『横島』。

 その行動は、美智恵をさらに驚愕させた。

(学習している!!)

 先程までは攻撃してきた相手に反撃することしかできなかった。だが今、魔理を雪之丞に投げたことによって二人にダメージを負わせ、かつ行動を阻害した。結果、前衛の相手はかおり一人のみになる。しかも、西条と自分の間に上手くかおりを挟むことによって、西条の銃撃をも阻止しているのだ。

 間違いない。

(『人魔』は学習している。何を使ってどう動けばいいか、自分を優位に立てるにはどうすればいいか、少しずつ学習している!) それはすなわち、戦えば戦うほどに強くなるということ。

(これじゃたとえ令子が結界を完成させたって、どうやってその中心に連れて行けばいいか……)

 娘が結界を完成させても、その結界は中央に位置する者にのみ効力を発するタイプだ。先程までなら戦いながら容易に誘導できただろうが、今の『横島』ではそれは叶わない。

「弓式除霊術奥義・水晶観音!」

 声と共に、弓の体が水晶に包まれ、腕が六本に増える。

 六本腕の連続攻撃に、『横島』は捌くのが精一杯だった。

「すごい……」

「いえ。今のうちだけよ」

「え?」

 キヌの言葉に、美智恵はそう答えた。

「それはどういう――」

 キヌが言いかけたその時――『横島』の腕が、六本になった。

「な――!?」

「なんなのよ、あれ!?」

「いやだ、気持ち悪い!」

「ヘ……?」

 横手からセリフを奪われ、キヌは言葉を失った。あわてて振り返ってみる。後ろには、自分と同じ袴姿と、黒装束を纏った少女がいた。二人とも、見覚えのある顔である。

「峰さん! 神野さん!」

 二人の名を、キヌは叫んだ。

 そして、同時に。

『もしもし、ママ? 結界が完成したわ!』

 美神令子からの連絡が入った。

 さらに。

「到着――――!!」

 カオスを担いだタイガーが校門に駆けこんできた。

 これで、全員が揃った。予定外の人物も数人いるが、むしろ好都合だ。

「待ってたわよ、令子! タイガー君は待機! そこの二人も協力してもらうわよ!」

 美智恵が叫ぶ。いいタイミングだ。学習途中の今ならば、あるいは勝てるかもしれない。

「冥子ちゃん! 三人の容態は!?」

「もう少し〜……よし、完了〜。ショウトラ、ご苦労様〜」

「全員戻って! 冥子ちゃん、作戦を説明する時間が欲しいの。式神で時間を稼いでおいて!」

「了解〜。冥子、頑張る〜」

 緊張感のかける声と共に、影から式神が現われる。

 入れ替わりに戻ってくる、八人の戦士たち。

 全員を見渡しながら、美智恵はことさら静かな声で言った。

「娘が結界を完成させました。この中心に『人魔』を連れて行けば、我々の勝利は確定するものと思われます。これが最後です。皆さん、限界以上の力を振り絞ってください」

 全員が神妙な表情で頷く。

 それを見て、美智恵も頷き返す。

 全員に共通するのは、決意の表情。

「では、手短に作戦を説明します」

 この戦いを、勝利で終えるために。

 『横島』を横島に戻すために。

 今、最後の戦いが繰り広げられる。