日記

「あぁ〜、今日も疲れた」

九峪は執務室に入ると、大きく息を吐いた。
軍の方針決定会議に、武器の調達、食料の確保、さらには自身の基礎体力の向上及び戦闘
訓練、とどめに民衆への根回しと、呆れるほどに素敵な過密スケジュールをこなしながら
それを九峪は「疲れた」の一言で切って捨てると、仕事机に置かれている一冊の書物を手
に取った。
書物と言っても、白紙の束を木の板で閉じただけの、要するに日記帳である。交易商の只
深が参戦した時、彼女から譲り受けたものだった。
彼は、この世界に来てからの事をそこに記していた。
九峪は一枚一枚ページをめくっていく。 既に日記は半ばほどまで埋められている。
だが、そこに書かれているのは日本語ではなく、流麗な英語の筆記体だった。 万一、誰
かに読まれたとしても困らないための配慮である。 
神の遣いであり、全軍の総司令でもある彼の、私室にある日記を読もうとする人間など、
邪馬台国軍にはまずいないだろうが、軍に数人程潜り込んでいる狗根国の間者ならその限
りではないであろうし、そうでなくとも他人の日記などという物は背徳的な興味をそそら
れるものである。 増してや神の遣いの記した物、ともなればちょっとだけなら…とか、
つい出来心で…などという事もありうる。 用心に越した事は無い。

言い方を変えれば、そこまで用心をしなければならない程、その日記には他人に読まれて
は困ることが書かれていた。
そして九峪は迂闊にも、一番身近にありながら一番油断のならない存在のことを失念して
いたのであった。





邪馬台国の復興が順調に進んでいることに最近、天魔鏡の精霊であるキョウは上機嫌だっ
た。 早朝の散策を終え、自分の部屋でもある九峪の執務室に入る。

「おはよう!九峪……って、あれ?」

部屋に九峪はいなかった。 朝議にはまだ大分時間がある。
だがキョウは特別不思議には思わなかった。 またどこかで朝のトレーニングでもしてい
るのだろう。
いつ頃からか、九峪の動きは急に変わった。 何と言えばいいか、それまでは状況に合わ
せて適時、適当な判断を下していたに過ぎなかったのが(それでも当初の期待以上の働き
をしてくれてはいたが)、今でははっきりと狗根国に勝つことを目的として動いているよ
うな気がする。 何時の間にやら新兵器を開発していたり、魔法のように何処からか大量
の武器や防具を仕入れてくる。 そして余った時間はトレーニングに費やしている。 さ
すがに過労で倒れないか心配にもなったが、本人のみならず、忌瀬に言わせてもしっかり
と健康管理は出来ているらしい。
まあなんにしろ、やる気になってくれたのはいいことだ。
と、ふとキョウは九峪の机に一冊の書物が置いてあるのを見つけた。

「本? あいつ、勉強までやってるのか?」

半ば呆れて表紙をめくる。 すると。

「え、ええ?! これって…え、英語?!」

そこには未だこの国には存在するはずの無い文字で、細かに文章が綴られてあった。
最初は驚愕したが、すぐに九峪自身が記したものだと悟る。

「………………………………ひょっとして、これって……日記?」

永いこと九峪のいた世界で過ごしてきたキョウには、英語は完璧とまではいかないが、か
なり自由なレベルで読むことが出来る。
キョウの中で二つの声が対立した。 即ち、
「だめだよ! いくら何でもプライベートに立ち入っちゃ!」という声と、
「そう堅いこと言わずに、ちょっとだけなら構うもんか」という声である。

「そうだね」

キョウは決断する。

「ちょっとだけなら構わないよね」

二秒であった。





『この世界で俺が体験した記憶を永遠に残すため、ここに記す。なお、日記帳を手に入れ
たのが、この世界に来てしばらくしてからのため、それ以前の日付の出来事に関しては記
憶に頼るものとする』



一日目。



マイガッ! 全く、今日は人生最悪の日ってやつだぜ…!

「オウ、クターニ、何かあったのかい?」

オウ、聞いてくれよボビー! オレ、家に帰れなくなっちまったんだ!

「Ha,ha,ha! クターニ、この歳で迷子かい?」

そんなんじゃないさ、ボビー。 事態はもっと深刻だ。 

「オーケイ、クターニ。 ボクでよければいくらでも話してくれ」

ありがとうボビー。 いいか、驚かないで聞いてくれ。 実はオレ、異世界に連れ去られ
ちまったんだ!

「ホワッツ?! 本当かい? で、そこはどんな所なんだい?」

ああもう、自然は豊かで空気はうまい! 夜になれば満天の星空! まさしくパラダイス
さ! ただし、夜通し歩いて足が棒のようにさえなっていなければっていう条件はつくが
ね。 

「大丈夫なのかい、クターニ?」

なぁに、ステイツじゃマイスイートが寂しい思いをして待っているんだ。 これくらいで
へこたれてなんかいられないさ。

「クゥール!! その意気さ、クターニ!!」

あぁボビー、君も応援して……No!!

「どうしたんだい?! クターニ!」

ああボビー、夢だと言ってくれ。 オレ、オレ、たった今から神様の遣いをやらなくちゃ
ならなくなっちまった!!

「オゥ、ジーザス!! …ヘイ、クターニ、しっかりするんだ! 君なら出来る!」

無理だよボビー。 オレには無理だ…!

「弱気になるな、クターニ! ステイツでスイートが待ってるんだろ?」

!! …ああ、そうだ! オレは帰らなきゃならないんだ…!!

「そうさクターニ、絶対に帰って来るんだ。 …そうだ! 今度からはお祈りの時は君の
顔を思い浮かべることにするよ。 なにせ、神の遣い様だ。 きっとご利益があるさ」

Ha,ha,ha! ありがとうボビー、だいぶ気が楽になったよ。

「大した事じゃないさ、クターニ。 …もう大丈夫そうだね」

ああ、すぐに帰ってやるさ。 …じゃあな!!





「…………………………………」

キョウは未だかつて無いほどに複雑な顔をして、その日記を凝視していた。
そのまま、ぱらぺらと、ページをめくってゆく。





二十六日目



初めて大きな戦闘があった。
あの時の興奮をポエムに変えて送ろう。



『戦争微熱+α』

燃えてる?

燃えるよ燃える

命が燃える

刻むビートはデッドエンド

戦の魔王は現れた

踊ろう歌おうかめはめ波

気まぐれ女神は地震雷火事親父

花も嵐も踏み越えて 行き着く先は池袋

踊る阿呆に見る阿呆 今だ必殺ドライブシュート

夢の旅人は目覚めと共に砕け散り うさぎへと生まれ変わる

金のキャットはペルシャ猫 パンが無ければご飯をお食べ

ファイナルアンサー?

さあゆこう いざゆこう

燃えろよ燃えろ

命よ燃えろ





ぱたん。

キョウは黙って日記を閉じた。
忘れよう。 今日見たものは全て忘却の彼方に押し流そう。
何やら悲壮な決意を固めて、振り返った所で、完全に硬直した。
そこには何時の間にか朝トレから帰っていた九峪が、肩に手ぬぐいをかけ、無表情でこち
らを眺めていた。

「あ、あの、九峪さん? い、いつからそこに……?」
「ついさっきだ」
「あ、あのぼく英語全然わか――」
「そうか、お前がいたんだったな」 
「だからその」
「俺とした事が少々迂闊だったか」
「さ、さよならっ!!」

未だかつて無いスピードで逃げ去ろうとするキョウを、九峪はそれ以上のスピードでイン
ターセプトする。 トレーニングの成果は出ているようだ。
右手で掴まれているキョウに向かって、九峪は、初めて優しく微笑んだ。





グッドラック、キョウ。















あとがき

ええと、初めてのギャグ物…のつもりです。
少しオチが弱かったですね。

アメリカントークも電波ポエムも、初めての試みですので、感想お聞かせください。