読んでくださる方へ
この小説は私が前書いた『火魅子伝・後記 壱』に準拠しております。
したがって、時間軸としては耶麻台国が復興してから半年が経ち、火魅子には藤那が立っています。
ただ、特別な繋がりはほとんどありませんので、前作を読んでいなくても差し障りはないようにはなっております。
また、基本的には小説に準拠しておりますが、志乃という漢字だけはゲームより頂いております。
火魅子伝 外記 珠洲伝
耶麻台国が復興してから半年。当初はごたごたしていた国内も半年という月日を経て、徐々にではあるが平安を取り戻しつつあった。戦火が遠のき、復興の最中徴兵された農民の多くも、家族と共に平和を楽しむ為に故郷の里や村に帰って行った。
その一方数年にわたって九州全土に吹き荒れた戦火によって、故郷そのものを失う者も数多く存在していた。そういった人々の多くは寄る辺も無く国内難民となり、九峪や火魅子の頭を悩ます問題になっていた。
耶麻台国建国の重鎮と呼ばれる多種多彩な人材の中でも、その幼さと人形使いという異能でひときわ目を引くのが、彼女珠洲だった。今だ童女と呼ぶべき年齢であり、その幼さを残した端麗な顔立ちとは裏腹に、常に火魅子候補である志乃の片腕として戦場を駆け回るその姿は、兵士達の憧憬と畏怖によって彩られている。
だが、多くの人々知られている珠洲のその素性を知るものはとても限られていた。
珠洲はあまり昔の事を思い出したりはしない。忘れている訳ではないが、珠洲はその小さな体に似合わず一冊の本になるほどの経験を積んできてはいても、まだ昔を懐かしむより未来に思いをはせる事ができる年齢だった。
「総社の里が見つかった」
だからだろうか、今や火魅子となった藤那の部屋に呼び出され、出し抜けにそう告げられた時も、珠洲は驚くよりずっと困惑を覚えた。
総社の里、人形を用い人を屠る秘伝を伝承する一族が住む里。そして、珠洲の故郷。
「いや、総社の里らしきものが見つかったというべきかな」
火魅子は微妙に言い方を変えた。総社の里は、その当時九洲全土を支配していた狗根国に反旗を翻し、言葉通り叩き潰されていた。そして、里は記録と時間の狭間に紛れ込み、狗根国が九洲の地から撤退した今の今まで、その場所を示すものは失われていた。里の出身の珠洲でさえ、幼い頃に焼き出された為その正確な場所は覚えてはいなかった。
「……で?」
珠洲は冷静にそれだけ答えた。それがどうかしたのか、とでも言わんばかりで眉一つ動かさない。いつものように一緒に呼び出され、隣に座って話を聞いていた志乃の方が腰を浮かせ驚いていた。
一応、人形にまつわる総社の里の話は聞いてはいたが、それ以外の詳しい素性となると志乃でさえまったく知らなかった。
志乃と珠洲がいた劇団は、それに見合う技能さえあればたとえ罪人だろうと無条件で受け入れてくれる。それゆえ、あいての素性について根掘り葉掘り聞くのは御法度だった。志乃自身、自分が王族であり火魅子候補だとわかるまでは、孤児だったという事を除けばほとんど人に素性を話した事はなかった。
「で、と言われてもな」
火魅子はといえば、髪を指ですき、そんな冷静な反応しか見せない珠洲をどこか面白そうに見ていた。
「もう、珠洲。火魅子様に、そう言う言い方はしないの」
いつものように志乃が珠洲をたしなめる。もっとも、珠洲の態度には何の変化も見られない。いつも以上に挑戦的な目で火魅子を見つめ返していた。
「ははは、いいよ。他に人はいないしな」
やはり楽しそうに火魅子は笑う。確かに、今の藤那は一応火魅子の正装は着ているがどこかだらけていて、いつもの威厳は見られなかった。火魅子をよく知る志乃と珠洲には、火魅子がこの状態で酒を呑んでいないのが不思議なぐらいだった。
「だから、どうして欲しいの?」
重ねて珠洲は尋ねた。珠洲は、自分が苛立っているのがわかった。それでも、火魅子に、いや志乃以外の人間に自分の心情を見抜かれるのは嫌だった。だから、努めて冷静に尋ねた。
「別にどうして欲しい、というわけじゃないな。一応、見つかったんで報告しておこうかと思っただけさ」
火魅子は、さあどうする、とでも言わんばかりに底意地の悪い笑みを浮かべる。
「ふ〜〜ん」
珠洲は珠洲でそれがどうしたという表情を、志乃がはらはらしながらこちらを見ているのを知りながら崩さなかった。そして思うのだった。やはり、この女は好きになれそうにない、と。
火魅子の部屋を出て、珠洲と志乃は耶牟原城の廊下を歩いていた。
珍しく珠洲が志乃を先導する様に、先に立って迷い無くどんどん歩いていく。そのすぐ後ろを歩いていた志乃は物思いに沈み、ちらちらと前を歩いている珠洲の小さな背中を伺うように見ていた。
「……どうするの、珠洲」
自分達の部屋までもう少しという所で志乃は歩みを止めると、意を決したのか口を開いた。
「どうするって、何?」
珠洲も立ち止まると、振り返った。
結局、藤那の話は本当にそれだけだった。珠洲としては、忙しい最中こんな事で呼ばれたのがどうしようもなく不快だった。それに、藤那の人を試すような口調と話ぶりも気に障った。
「だから、総社の里の事」
「別に、見つかっただけでしょ」
珠洲は、志乃が自分の事を思って総社の里にこだわってくれているのはわかってはいた。でも、今はそれが少しわずらわしいくも思えていた。珠洲は総社の里の秘伝を唯一伝える人間ではあったが、総社の里を自分の故郷だと意識した事はなった。
「それでいいの、珠洲」
「よく、わからない。志乃はどうして欲しいの?」
志乃だからこそ珠洲はそう再び尋ねた。志乃以外の人間であったら、珠洲は返答さえしなかっただろう。
「だから、一度くらい。総社の里に戻ってみない?」
「何も無いもの」
総社の里が狗根国によって滅ぼされた事は、珠洲自身が誰よりもよく知っていた。
珠洲のそんな身も蓋もない物言いに、志乃が悲しそうに押し黙り目を伏せてしまう。
「志乃、行きたいの?」
「そ、そうね。この頃、ずっとお城勤めだったし」
「ふ〜〜〜〜ん」
珠洲は、志乃の反応を見るためにわざと腕組みをして考えているようなそぶりをしてみせた。
志乃は、口を真一文字に結び、口から出かかった言葉を必死に飲み込んでいるように珠洲には見えた。珠洲の親又は姉代わりとして長い間寝食を共にしてきた志乃としても、総社の里に行く事を強要するような事は言い出せなかった。
珠洲には、志乃がどうしたいのかなどすぐにわかった。だから、珠洲には何も迷う必要はなかった。志乃の気持ちがそれで納得するなら、珠洲にとってはそれ以上に優先する選択肢などはありえなかった。
「……でも、久しぶりに志乃と二人旅というのも悪くないよね」
「そ、そうよ」
幾らかもったいつけておいてそう言うと、志乃の顔が雲間から日が差し込んだようにぱぁっと明るくなった。そんな志乃の表情を見るのが、珠洲には嬉しくて仕方がない。この瞬間こそが志乃が好きなのだと再確認できる至福の瞬間だった。
総社の里に行く事を決めた二人は緊急を要する仕事だけを手早くかたずけ、次の日の夕刻には耶牟原城を出立した。
総社の里は、耶牟原城から二日という距離があった。二人は休み無く歩き続け、宵闇が迫った頃になって二人は適当に開けた場所でお互い交代で見張りをする事にして野宿をすることにした。
現代のように交通網が発達しているわけでも無く、宿場町などが整備されているわけでもない以上途中に適当な村や里が無ければ旅人が野宿をするのは当たり前の話だった。
珠洲と志乃の目の前で、焚き火がこうこうと明かりを放っていた。
「……ねぇ、志乃寝た?」
珠洲は、毛皮に包まって寝ている志乃に声をかけた。志乃が起きている事は寝息が出ていない事でわかっていたが、それでも珠洲はそう問い掛けた。
「ううん」
志乃は、体を起こした。
「ねえ、これからどうするの?」
珠洲は、木の枝で薪を弄くりながらそう尋ねた。それは、半年前耶麻台国が復興してから持ち続け、志乃に聞く事が出来なかった事だった。復興軍に参加してから、少しずつだが何となく志乃に聞きにくい事が多くなった気が珠洲はする。それは、珠洲には絶えられない事だった。でも、珠洲自身が志乃に聞かれたくない事が増えているのも事実だった。
「これからって?」
「だから、これからの事」
志乃も、この道行の事を言っているのではない事にすぐ気がついた。もっとも、だからといってすぐに答えられるという質問でもなかった。
「そうね……、どうしようかしら」
「ずっ〜〜と、宮仕えするの?」
この半年、珠洲は志乃の片腕として志乃の仕事を裏表なく助けてきた。その仕事自体はやりがいもあり、新しい国を私達自身が作り上げているという充実感に溢れた楽しく仕事だった。その一方、珠洲はこの状態がいつまでも続くものではない事も悟っていた。
珠洲は、志乃がこの国の王族だという事実を除いても耶麻台国という国が嫌いではない。この国に生まれ生きる人間として愛着もある。だが、その一方この国に身を尽くして働くというほどの気持ちは持ち合わせていなかった。珠洲が、復興軍に参加したのもあくまで志乃がいたからであり、それ以上の理由はなかった。もし、志乃が狗根国につくといったら珠洲は多少は悩むだろうが、やはり志乃に付き従っていただろう。
「わからないわ」
志乃は、困った様にそう言うのみだった。
「志乃……」
珠洲には、志乃がどんな決断をしても付いて行くという決意を持っていた。だから、どこか煮え切らない志乃の態度が歯がゆくてたまらない。
「ごめんなさい、でも本当にわからないのよ」
「やっぱり、九峪の事」
珠洲は、あのいつでも平和そうな間抜け顔をした神の御遣いの顔を思い出す。神の御遣いだか何だか知らないが、珠洲はあの男が嫌いだ。あのいつでも平和そうな助平顔を見てると苛々してくる。
「えっ、違う、違うわよ」
「ぶ〜〜〜〜〜〜、顔赤いよ」
「そ、そんな事ないわよ」
志乃は必死に否定するが、顔が赤く染まっているのは決して焚き火の明かりのせいばかりではなかった。
「ふん」
珠洲は、志乃に背を向けてしまった。志乃の気持ちなんて言われなくても知っていた。志乃が、あれほど男に親しみを込めた態度をしているのは親代わりだった前団長以外にはいなかった。
それは珠洲にとってどうしようもなく悔しい事だった。志乃が自分から離れていくなんて考えるだけで、身が裂かれるような思いに駆られる。でも、志乃には幸せになって欲しい。それが、自分と一緒にいる事と同じ事であって欲しい。でも、それが違うとしたら、珠洲はその先を考えるのが怖くてたまらなかった。
「珠洲〜〜〜」
「……そういえばあいつ、ついて来たがってた」
一応、二日三日は城を空ける以上九峪にその旨を知らせに行った。すると、九峪はよほど政務に退屈していだろう、話を聞くなり自分もついて行くと言い出したのだ。
「ふふふ、そうね。珠洲があんなに強行に反対しなければ皆付いてきていたかもね」
九峪がどこかに出かける、いくら珠洲が同行するといっても志乃と一緒に、しかも泊り込み。他の女性達が黙って見過ごすわけがない。下手をすれば、耶麻台国の女性幹部全員がぞろぞろとついてくる事態になっていたとしても可笑しくはなかった。
「ふん。これは、私と志乃の二人旅なんだから邪魔されたくない」
珠洲にしてみるとあんな情けない助平男があれほどもてるのか、まるでわからない。
「ふふふ、そうね。こういうのは本当に久しぶりだから」
「……私、本当はずっとこうしていたい」
「……珠洲」
「ずっと、志乃だけいてくれればいい。他には誰も要らない」
珠洲は、目の前に揺れる焚き火を見つめながら呟く。
なぜ、自分は女なのだろう。珠洲は、それがまた涙が出るくらい悔しい。男として生まれていれば、志乃の事をずっと守って行く事が出きる。あんな平和ボケの助平男なんかに敗北感を味わう事もなかったはずだ。
そもそも、珠洲はあの男にだって志乃の気持ちがわからないわけがない、とは思っている。それなのに、あの男は女の間をふらふらしている。鼻から志乃以上の女性などいるはずが無いという認識の珠洲には気に入らない。
九峪が志乃の気持ちを受け入れたら受け入れたで、珠洲は猛烈に反発をするだろうが、九峪ごときが志乃を振り回しているように見える今の状況も珠洲には頭にくるのだ。
「でも、志乃。王族だし……、駄目だよね」
半年前、志乃は火魅子には選ばれなかった。正直、珠洲は九峪の口で次の火魅子が藤那に決まった時ほっとしていた。悔しい気持ちがなかった訳ではない。珠洲は志乃が火魅子候補だとわかってからは、志乃を火魅子に即位させる為だけに頑張ってきたようなものだった。
実際に耶麻台国が復興した時、珠洲を支配したのは歓喜ではなく、恐怖だった。体の芯の部分が震えたのを珠洲は覚えている。狗根国との戦の中でも、あれほどの恐怖を珠洲を味わった事はない。
「だめだったみたい。ごめんね、珠洲」
志乃がにっこり笑ってそう言ってくれた瞬間、珠洲は全身の力が抜け落ちるほどの安堵を覚えた。
志乃が火魅子に即位できなかったとはいえ、志乃がれっきとした王族であることには何ら変わりはない。志乃は王族だとわかる前の態度を決して崩そうとはしないが、世が世なら珠洲などが気軽に口をかわせる立場の人間ではない。
幾ら志乃が昔のただの旅芸人に戻る事を望んだとしても、それは叶わないかもしれないと珠洲は内心思っていた。自分はともかく、他の団員と志乃の間にはしっかりとした一本の線が引かれしまったのだから。
「馬鹿ね、珠洲は」
志乃は、そんな珠洲の思いを全て見透かしたようにに微笑む。
「ふん」
志乃があくまで優しくそう言ってくれる。それが、珠洲には嬉しい。だが、志乃も珠洲もわかっていた。どんなに昔を懐かしがっても、そこには戻る事ができる過去とできない過去が存在する事を。
「ねっ、珠洲呑もうか」
すっかり湿ってしまった空気を変えようと志乃は立ちあがると、ごそごそと荷物を漁り始める。
「へ?」
その一言で確かに場を支配していた空気は変わった。ただ、和らいでいるのはあくまで志乃だけで、珠洲の体は硬直した。
「呑も、珠洲」
振り向いた志乃の手には、身間違える余地も無く酒壷がぶら下がっていた。
「ど、どうして、こんな所に酒が」
冷や汗が珠洲の頬を一滴流れ落ちた。逃げ場を探して、辺りをきょろきょろと見渡すが無論逃げ場などあるわけがない。焚き火の明かりを一歩でも出てしまえば、もうそこはすぐ隣に誰がいてもわからないような漆黒の闇が支配していた。
「行きの旅路で役に立つかと思って持ってきたんだけど、いいよね」
耶麻台国では耶牟原城のような大都市を除けば、大陸とは違い貨幣そのものが流通していない。それでも、村や里の民家に一晩の宿を求めれば何らかの見返りが必要だった。行商人ならば幾らかの商品を渡すという事になるのだろうが、普通の旅人は余分な荷物を持ち運ぶわけがない。となれば荷物にならず、かつまず確実に喜ばれるものといえば酒をはじめとした嗜好品の類だった。
「だめ、だめ」
珠洲は、激しく出かけに荷物を確認しなかった事を激しく後悔していた。もっとも、どれだけ後悔してみても後の祭りでしかなかったのだが。
「いいじゃない、今日ぐらいは。珠洲が呑んでも目をつぶるわよ」
「違う、私じゃない」
すでに珠洲の顔は真っ青だ。志乃は酒が弱い訳ではない。というより、志乃は酒を水のように飲む。志乃は言うまでもなく美人で、興がのればすばらしい舞も躍ってくれる。ある意味酒を呑む相手としては最高なのかもしれない、極めて質の悪い酒乱でさえなければ。
「もう、堅い事言わないの」
志乃は、まず手酌で一杯自ら飲むとそのまま笑みを浮べたままにじり寄って来た。いつもなら心温まるような志乃の笑みも、今の珠洲には無邪気な笑みを浮べた悪魔にしか見えない。
「違う〜〜〜〜〜〜〜〜」
珠洲の悲痛な絶叫はむなしく闇夜に轟いて、むなしく消えていった。
日は中天高く上り、さんさんと地面を照らしていた。旅路にはよい日よりだったが、珠洲には嫌というほど照りつけてくる日が恨めしかった。
「ほら、珠洲。あの丘を越えた所だって」
「……頭痛い」
二人の目の前には、それなりに小高く木の生い茂った丘が確認できた。報告によれば、総社の里はこの丘の背に隠れる様にあるらしい。もっとも珠洲は今それどころではなかったのだが。
いつも以上に爽やかな志乃とは違い、珠洲はふらふらとして足元すらおぼつかない。珠洲の頭の中では早鐘がこれでもかというぐらい打ち鳴らされていた。
「飲み過ぎね。駄目よ、幾ら呑んでもいいと言ったって、まだ珠洲は子供何だからそんなに呑んじゃ」
志乃は、まるで悪戯をした我が子を叱る母親のようにやさしく諭した。もっとも嫌がる珠洲に無理矢理酒を呑ませたのは当の本人なのだから説得力などあるわけがない。
(誰が呑ませたと思ってんの……)
そう抗弁してみても仕方がない事を珠洲は身に染みて知っていた。
志乃は質の悪い酒乱であると同時に、酔いが冷めると綺麗さっぱりその時の事を忘れ去る事ができるという、実に都合のよい体質の持ち主だった。だから、周りが気にしないと志乃の被害者は増える一方だった。
志乃は軽快に二日酔いで足元がおぼつかない珠洲を引っ張るようにして、丘を上がって行く。そして、丘を登りきって志乃は眼下に広がる光景を眼のあたりにして絶句した。
「…………」
「ほら、何もない」
珠洲は、まだ痛む頭を抱えて呟いた。
そこにあったのは廃墟ですらなかった。普通の集落より幾らか大きい程度の土地が周りとは違い明らかに人の手がくわえられた姿で広がっていた。遠目にも、そこに何らかの集落があっただろうという事はわかった。
もっとも珠洲にさえ、そこが本当に総社の里であったかどうかは丘の上から見る限りでは判断がつかなかった。
「そうね。けど、せっかくここまで来たんだし、降りてみましょう」
「何もないと思うけど」
「いいから、ほら」
渋る珠洲の腕を引っ手繰る様にして掴むと、志乃はそのまま丘を駆け下りてく。
「ちょ、ちょっと、待って、志乃、うっぷ、気持ち、悪いぃぃ……」
声にならない珠洲の悲鳴と共に……
丘を駆け下りた志乃は、今一度立ちすくむ事になった。そこには志乃の予想以上に何もなかった。
「やっぱり、何もない」
死ぬような思いで丘を駆け下ろされた珠洲としては不満一杯でそう呟いた。
折れた柱や瓦礫、昔は歩道であっただろう踏み固められた長く伸びた地面。確かにそこには丘の上から見るよりずっと昔、何らかの里か村があっただろうという事が見て取れた。だが、そこが本当に総社の里かどうかという事になると少なくても志乃は判断がつかなかった。
二人で里の中を歩いて見ると一面に広がる雑草達に埋もれ所々にある折れた柱や瓦礫のほとんどは黒く墨になっているのが嫌でも目に付いた。それは、狗根国が徹底的に里を焼き討ちした事を物語っていた。
遠くに見える山並みも林も、珠洲にはまるで見覚えはなかった。珠洲が故郷という言葉に込められた郷愁をその場所から見出す事はできなかった。
「そんな事ないわよ。ほら、ここに柱がある」
志乃は珠洲をたしなめるように、折れて地面に横たわっている柱に手を置いてそう言った。
「折れてる」
「そういう事じゃなくて、これだけ大きな柱だもの。ここに大きな屋敷があったという事でしょ」
柱は折れ半ば炭化していたが、その太さは耶牟原城の柱にもひけをとらない物だった。
「ふ〜〜〜ん」
「これだけ大きい柱だもの、ここに昔あった屋敷はかなりりっぱなだったという事でしょ」
珠洲は答えない。黙って目の前の瓦礫を睨みつけていた。珠洲はよくわからないまま初めて志乃の言葉に苛つきを覚えていた。
「とても大きな里だったんでしょうね」
志乃は、感慨深げにそう呟いた。
「昔の話、とお〜い昔の話」
珠洲は振り返るといつもでは有り得ない大声で、志乃の言葉をさえぎるようににそう言った。
「……珠洲」
「だから、ここに残ってるのは、燃えかす、残り火、残影、幽霊。……全部、私の事だね」
珠洲が自虐的に笑う。珠洲にも、何故自分がこれほどまでに意固地になっているのかよくわからなかった。志乃が悲しむのはわかっているはすなのに、ただ言葉だけが珠洲の口から流れを落ちていった。
「珠洲」
「冗談」
珠洲が志乃の方に振り向くと、そこには目に涙をためた志乃が立っていた。
ぱしっ
珠洲の頬が鳴った。
「……ごめん」
珠洲が、顔を背け呟く。叩かれた右頬が熱く疼いていた。
「ううん、私こそ……」
珠洲は、志乃に背を向けると遠くを見ながらゆっくりと歩き始めた。志乃も珠洲の後をすこし遅れて続いた。五分も歩いた時珠洲が不意に口を開いた。
「……ここに来たくなかった。違う、藤那に言われるまでここの事なんて思い出しもしなかった。そもそも、ここに私がいた時の事なんてほとんど覚えていない」
「…………」
志乃は出かかった言葉を飲み込んだ。珠洲が話たいのなら話をさせてあげるべきだと考えた。
「まだ、小さかったし。覚えてるのは、人形の事だけ。物心ついた時には、手に糸をつけてた。親父は必死の顔で私に人形の扱い方ばかり教えてた」
珠洲は喋り続けながら、なんで自分がこんな事話しているのかわからなかった。誰よりも長い時間を過ごした志乃にさえ、自分の過去の事を話すのは初めての事だった。
「私が人形を扱える様になったのを見たら、なんだか酷く満足そうな顔して母親を連れてどこかに出かけて行った。そして、二度と帰ってこなかった」
珠洲は、人形を扱う事を嫌った事はほとんどない。もし、里を何の身よりも無く焼け出された時、傀儡の術を持っていなければ、志乃に会う前に野垂れ死んでいたことだろう。
だから、珠洲は人形は好きだ。だけど、あの時だけは、初めて思う通りに人形を動かせて誉めてもらおうと親父の方に振り向いて、親父のひどく満足げな笑みを見た瞬間だけは指が震えた。自分が動かしているものが、ひどく禍禍しい物のように思えた。
「……珠洲」
「だから、藤那からここの話を聞いても何一つ思い浮かばなかった。来たいとも思わなかったし、何でこんな話を私に聞かせるんだろうと思った。だけどまぁ、志乃が来たがってたから、久しぶりに一緒にいる口実にはいいかなぁと思って」
「いじっぱり」
志乃が、珠洲を後ろから抱きしめる。珠洲が背中に感じる志乃の体はいつもよりずっと柔らかくて、暖かった。
「ふん」
「……私はちょっと羨ましいかな」
志乃は珠洲を抱きしめながら、そう呟いた。
「羨ましい?」
「そう、だってここにはあなたの事を知っている人やモノが沢山あるもの」
志乃は今となっては王族として誰も疑う者はいないが、その証拠は彼女が火魅子候補としての力を持っていたというだけにすぎなかった。志乃自身孤児であり、戦火の中養父母と共に各地を転々としていたため珠洲よりさらに故郷の記憶というのものは持ってはいなかった。
「……志乃、大丈夫」
珠洲は、そういった志乃の過去を知ってはいたが、それでも志乃の言いたい事はよくわからなかった。珠洲にとって瓦礫は瓦礫であり、折れた柱はあくまで折れた柱でしかなかった。
「ふふふ、だってもしかしたら、ここの屋敷であなたが生まれたかもしれない。だとしたら、この柱はあなたが生まれた瞬間から見ていたんでしょ」
「変」
珠洲は、いつものように身も蓋もなくそう評した。ここに来てから珠洲のペースは崩れっぱなしだった。それが、珠洲には気に入らなかった。
「そうね、変。なんで、こんな風に感じるのかしら」
「もう、帰ろう」
珠洲は、志乃の体から身を離して振り返ってそう言った。とにかく帰ろうと、珠洲は思った。これからどうなるかわからないが今は帰れる場所と向かえてくれる珠洲には仲間がいた。今でも志乃と一緒なのが一番だけど帰る場所があるのも悪くない気持ちだった。
「そうね、みんなの所に帰りましょうか」
志乃も、そんな珠洲の気持ちを察したかのように力強く頷く。
「あれ」
不意に珠洲の足が止まり、地面にしゃがみこんだ。
「何? 珠洲」
「手が出てる」
瓦礫やら柱の下から真っ白な数本の指が突き出ていた。
「手って、まだ人が」
志乃も驚いて、珠洲に近づいてしゃがみこむ。
「違う、これは……人形」
「人形……珠洲、何するの」
しゃがみこんで突き出ている指を触って確かめていた珠洲は、冷静に志乃の問いを否定した。そして、立ちあがり上に乗っている瓦礫を物言わずどかし始めた。
「掘り起こす」
珠洲はいつもと同じように完結に、強い決意を込めてそう答えた。
「掘り起こすって、人形なんでしょ」
「人形だから。人だったらもう助からない。だけど、人形なら直せる」
「……わかった。私も手伝う」
止めかけた志乃も、珠洲のしっかりとした言葉に頷く。
「うん」
二人は、ほとんど物一つ言わずただ瓦礫を取り除いた。珠洲は、先ほどとはまるで違う意味で自分が意固地になっていることがわかっていた。そして、志乃が何も言わず自分を手伝ってくれるのが嬉しかった。
「珠洲、これ」
「……室になってる」
人が通れるぐらいの穴が地面には穿たれていた。そして、穴の奥から真っ白な人形に腕だけが室から助けを求める様に差し出されていた。珠洲には人形が自分を底深き穴の中に誘おうとしているように見えた。
珠洲は、それでも人形を手を握るのを躊躇わなかった。自分の中に人形の手を取るのを躊躇する気持ちがなかったわけではなかったが、それに負けるのはもっと嫌だった。でなければ、胸を張って耶牟原城に戻る事ができないような気が珠洲にはしていた。
「で、これからやるのがそこで見つけた演目なのか」
九峪は、隣に座っている志乃に尋ねた。
志乃と珠洲は、帰ってくるなり人形劇を行いたいと九峪に申し出ていた。
それから、二週間。九峪は、珠洲の注文通りの簡易な劇場を作りあげた。後、数分もすればその劇の幕があがるはずだった。すでに、九峪のほかにも耶麻台国の重臣達をはじめとして劇場内はすでにはちきれんばかり人が詰めかけている。
「ええ。数体の人形と竹簡が大量に積んであったんです」
今回、志乃の出番はない。志乃自身は最初幕間にでも踊りを披露しようかと思っていたのだが、珠洲のたっての願いで今回ばかりは観客に回っていた。
「ふ〜〜〜ん。けど、火魅子に聞いたら総社の里の人形ってあくまで戦闘技術なんだろ」
九峪も、ある程度の事情は火魅子から聞き知っていた。
珠洲と志乃が劇場建設と劇をやる許可を貰いに来た時にも、即座に許可を与えた。それでも、あの時珠洲に面と向かって頭を下げられたのを見て九峪は困惑を覚えていた。珠洲にあんなに真面目に頭を下げてまで何かを頼まれたのははじめての体験だった。
「ええ」
「それが後生大事に隠してたのが、演劇の演目っていうのも面白い話だよな」
人形使いの虎の巻とか秘伝の書などが残されていた方がずっと自然なのではないかと思う九峪には、劇といった娯楽に類する物が残っていたのは何とも不思議な話に思えてならなかった。
「そうなんです。しかも、本来こういう演目は口伝で伝えるもので文にして残すということはほとんど無いんですよ」
「へ〜、ところでどんな話なんだ」
そこまで言われると、見かけに寄らず本好きの九峪としては興味がつのるところだった。
「こんな話です。人形使いの村に愛し合う娘と青年がいました。青年は腕の良い人形使いで、娘は誰よりも強い糸を紡ぐ事が出来ました。ですけど、娘はとても美しかったので村長の息子に横恋慕されてしまうんです。村長の息子は、何とかしてその娘を自分のモノにしようと青年に無理難題を押しつけて、それが叶うまで村に戻れない様にしてしまったんです」
「ふんふん」
「無論、娘は嘆き悲しみました。青年はそれから何年も村には帰ってきませんでした。でも、娘はその青年を待ち続けました。そして、娘は青年が無事帰ってくる事を祈りながら人形に遣う糸を編み出しました。ただ、一途に。そして、その糸が青年と同じ重さとなった時ついに青年は帰ってくるのです。そして、二人はその糸と人形を使いずっと幸せに暮らしました」
「ふ〜〜ん、いい話じゃないか」
聞き終えた九峪は感心したように頷く。
「ふふふふ」
九峪の素直すぎる感想に、志乃が嬉しそうに微笑んだ。
「何、志乃?」
「その話をはじめて読んで、珠洲が何て言ったと思います」
「?」
九峪は、志乃が何を言いたいのかわからなかった。志乃は、九峪の困惑をよそに嬉しそうに微笑んでいる。
「陳腐って」
「……そりゃあ、珠洲らしいな」
九峪は、珠洲の顔を思い出して苦笑した。何とも大人びて皮肉屋の珠洲の言いそうな台詞だった。
「ですけど、珠洲がこの劇をやるって言い出したんですよ」
「……そうか」
九峪には珠洲がどんな思いで、失われた故郷からこの劇を持ちかえり演じようとしているのかまるで想像できなかった。それでも、志乃が嬉しそうに笑っているのだからきっと良い事なのだとも思っていた。
「あっ、始まりますよ」
幕が開かれる。この国にはまだ色々と問題がある。でも、今だけは珠洲の演じる平和で陳腐な劇に九峪は酔いしれていたかった。
そして、平和で陳腐な劇が始まる。人形使いの少女の手によって。
〜了〜
後書き座談会
「ども、三度登場の高野です」
「おい」
「いや〜、できました。今回は前のに輪をかけて難産でした」
「こら」
「前回までのが、どちらかと言えばコミカル調でしたが今回はがらりと変えてみました」
「……てめぇ」
「本当に外伝という感じになりました。いいのか、悪いのか。判断が難しい所です」
「話を聞け!!!!!!」
「おや、九峪君。どうしたんですか、前回と同じような登場で」
「お前がそうさせてるんだろうが」
「いや〜、こんなんでも三回ぐらい同じ事したらギャグになるかと思って」
「なるか。いいか、もうこんな登場はしないからな」
「はいはい、もう我がままなんだから」
「だ・れ・が、我がままだって」
「犬歯を剥き出しにしてまで怒らなくてもいいじゃないですか、それより今回はなんですか?」
「なんですかもかんですかもあるか。火魅子伝の主人公たる俺の出番がこれだけというのはどういう事だ」
「いいじゃないですか、出番があるだけ。今回はない人の方が多いんですから」
「それは、まあ、そうだけど。そもそも何でこんなにキャラ絞ったんだ」
「反動じゃないですかね」
「……おもいっきり人事じゃねえか」
「いや、まあ、思いつきで書いてるもんで、あんまりそういう事考えた事ないんす」
「ないんすってお前、そんな無責任な事でいいのかよ」
「まぁ、色々あるわけで」
「色々ねえ。じゃあ、今回はなんで主役を珠洲にしたんだ。前回の後書きでは確か重然とか愛宕、仁清の名前挙げてただろ」
「実はですね。これには海よりも深く、山よりも高い理由があるんです」
「嘘つけ」
「なんでそうはっきりと否定するんです」
「お前、ほんの数行前で思いつきで書いてるって言ってるじゃねえか」
「おや、そうでしたか」
「すら惚けても無駄だ、どうせネタが思いつかなかったとか根性ない理由だろ」
「ぎく」
「……図星か」
「ははははは、まあ、非才の身としては仕方のないことでして」
「で、次回とかあるのか」
「う〜〜ん、どうでしょうね。まだ、あまり考えてないです」
「そうか、じゃあ、いいネタあるぞ」
「……なんだか、ものすごく嫌な予感がしますが、どうぞ」
「ここは一つ初心にもどってだな、俺のうはうは(死語)パラダイス」
ボキ
「これはこれは、これまた前回と同じように赤く染まった釘バット持参で姫島日魅子さん。何かご用ですか」
「高野、私は思うの偉大なるマンネリこそ王道ではないかと」
「拝聴すべき意見だと思います。……どうでもいいですが。その前回より三割増の据わった目でバットを向けられると怖いんですが」
「だからね、私がここでもう一度同じお願いをしても読んでる人は怒らないと思うのよ」
「え〜〜と、とりあえず人の話は聞いて欲しいんですけど」
「という訳で、私を主人公にして小説を書きなさいって、あら。高野は、それにこの紙」
『今回も多くの人に迷惑をおかけしました。添削感想の某友人ず、感想をくだすった高瀬さん、小麦さん、けいさん、Catoさん(順不同)、場を提供してくれた雁山さん。みんなまとめてありがとやんした。またね〜』
「逃げた!!」
「なに〜、じゃあ俺のうはうは(死語)パラダイス小説はどうなる」
「あんたは一生眠ってなさいーーー!!!!!!!」
ばかきぃぃぃぃ
「ぎゃぁぁっぁぁっぁぁぁぁぁ」」
「何だか九峪君の悲鳴も小さくなっています。きっと、明日はハンバーグでしょう。では、お後がよろしいようで」
「「よろしくない」」
〜了〜
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