九峪の受難


「今日も平和な一日だったなあ……」

 耶麻台国復興軍の居城で、その総大将にして神の使いである九峪は、一日の仕事を終えて大きく伸びをしていた。

 最近は復興軍もかなりの規模になり、狗根国の城もいくつか落として、好調の波に乗っている。

 と言っても、いつも戦争をしているわけではないので、当然、特筆すべき事が何もない、平和で――裏を返せば退屈な――日もあるのだ。

 総大将としての責務――例えば、市民の意見の整理、兵士達へのねぎらい――など、やるべき事を全て終え、ようやく一息つけるようになった。

 見渡せば、すでに夜。

 こんなに多忙で充実した日は、本来いた世界では決して味わえないだろう。

 そんな事を、九峪が考えていた時だった。

「お〜い、九峪。晩酌に付き合ってくれよ」

 女王候補の一人である藤那が、自分の部屋に酒を持って入ってきたのは。

 九峪は、この女性を嫌いではなった。確かに大酒飲みのアル中ではあるが、自分に対しての確固たる自信と、揺るぎ無い精神を持っている。

「藤那。一体なんだってんだよ、こんな時間に」

「まあまあ、固いこと言うなよ。せっかく復興軍が勢いづいてきたんだ。それをネタに、ちょっと身内だけで宴会でもやろうと思ってな」

「身内?」

 ふと藤那の後ろを見てみると、他の女王候補達がいた。

 星華、伊万里、志野、香蘭、只深だ。そしてその後ろには、星華の腹心とも言える部下、雲像三姉妹の長女亜衣と、次女夷緒もいた。

「なるほど。身内だけの小宴会ってわけか」

「ああ。気軽に使える部屋で、ここが一番広いんでな」

「総大将の部屋だぜ」

「主の了承があれば、構うもんか」

「ま、そりゃそうだ」

 そして、静かな晩酌が始まった。

 だが、この人数、このメンバーで、なにも起きないというのは天地の断りに反する。

 ついでに言うと、貧乏くじを引くのは、いつも九峪の役である。

 その事を、彼は考慮しておくべきだったのだ。

 

 

 

 

 

 やはりと言うかなんと言うか。

 九峪以下九人が開いた小宴会は、とても『小』と呼べるものではなくなっていた。

 全員酔っ払ってへべれけである。

 急に泣き始めるもの、豪快に笑い出すもの、酒が入って皆わけのわからない行動をとっている。

 九峪も酒を大量に飲んでいた。自分は未成年という良心の呵責も、ここにはそんな法律はないの一言であっさりと片付けた。

「お〜い。清瑞、清瑞〜!」

 何を思ったのか、九峪は、自分の直属の乱波・清瑞を呼び出した。

「なんだ?」

 ずっと潜んでいたのだろう、天井裏からすぐに舞い降りてくる清瑞。

 その清瑞に、九峪はずいっと酒瓶を差し出した。

「飲め!」

「はあ?」

 ろれつのまわっていない九峪。目がすわっている。

「今日は無礼講だ。護衛も任務も忘れて、おめえも一緒に飲め!」

 いきなり呼び出して、それか。

 清瑞は呆れて、この自称神の使いを見た。

「すまないが、私は――」

「辛気臭い顔すんなよ。一緒に楽しもうぜ!」

 いきなり、後ろから羽交い締めされた。

「い、伊万里様、なにを……」

「みんな楽しくやってんだからよ、お前も少しはハメ外せよ」

 藤那が身動きの取れない清瑞の前に出る。

「ふ、藤那様……?」

「大丈夫大丈夫。す〜ぐに気持ち良くなるから」

 その右手に持った徳利を、無理やり清瑞の口に押し付ける。

「そ〜れ。一気! 一気! 一気! 一気!」

 周りももはや誰も止める者はいない。

 酔っ払いの行動力は恐ろしい……

 やがて。

 酒を無理やり飲まされて酔いつぶれた清瑞は、その場に崩れ落ちた。

「なんだよ、もう酔いつぶれたのか」

「清瑞、酒、弱いね」

「意外な弱点があったんやな」

 無理やり飲ませた事には少しも悪びれず、口々に清瑞をぼろくそに言う酔っ払いたち。

「お〜い、清瑞、起きろ。酒はまだまだあるぞ」

 清瑞を無理やり起こそうと、体をゆする九峪。

「う……ん」

 それに答えて、清瑞がわずかに意識を取り戻した。

「おお、起きたか、清瑞」

「…………九峪!」

 がばと起きあがった清瑞が、いきなり九峪の首を締め上げる。

「き、清瑞。く、苦し……」

 抗議するが、清瑞は取り合わない。三白眼で、九峪を睨みつけている。

「貴様、また私の湯浴みを覗いたな!」

「はあ?」

「とぼけるな! あまつさえ、私の下着を盗んだだろう!?」

 九峪自身には、まったく心当たりのない事だった。心当たりはないが、このままではやばそうだ。

「九峪様。それ、本当ですか?」

 いつのまにやら、全員の顔から、九峪に対する軽蔑の念が感じられる。

「ち、違う。オレはそんなことしてないぞ!」

 必死に抗議する九峪だが、酔っ払いたちは取り合わない。すでに部屋の隅でひそひそ言っている。九峪の悪口話に花を咲かせているのだろう。

「ちょっと! みんな、オレの話をうわ!?」

「今日という今日は許さんぞ!」

 清瑞が九峪の体をつかむ。この体勢から何が起こるか、九峪にはわかった。あの時と同じだったからだ。

「き、清瑞。落ち着いて、ね。話し合おうよ?」

「問答無用! 奥義! 雷落としぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!!!!」

「うわあああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!」

 はるか天空に跳びあがり、相手を地面に叩きつける。清瑞の必殺技だ。その威力は、練習台となった九峪が一番よく理解している。

 加えて、今は酒でタガが外れて、手加減なしだ。

 九峪は、死を覚悟した。

 

 

 

 

 

「うう……ん……」

 鳥の鳴き声が聞こえる。夜のはずなのに、辺りが眩しい。日の光が視界を狭め――

「朝……か……」

 そこでようやく、九峪はすでに夜が明けていることに気がついた。

 周りを見てみると、全員酔いつぶれて眠っている。

 雷落としをくらってからの記憶がない。どうやら、たっぷり一晩は気絶していたようだ。

「よ……と。いててて」

 傷む体に鞭打ちながら体を起こそうとして、九峪はそれに気がついた。

 自分の胸の上で、清瑞が眠っていたのだ。

 顔をこちらに向けて、小さく寝息を立てている清瑞。

(雷落としをかけた後、こいつもつぶれて寝ちまったんだな)

 状況から、九峪はそう判断した。

(それにしても)

 清瑞の寝顔を見て、九峪は思った。

(かわいい……な)

 清瑞はいつも自分に対して凛然としており、感情を表に出さないように努めている。

 こんなに無防備な清瑞の表情を、九峪は見た事がなかった。

(こうしてみてみると、やっぱり、清瑞も女なんだな)

 清瑞の姿に、九峪はそう感じた。

 女性にしては肩幅は広いのだろうが、それでもやはり、自分の方が大きい。全体として引き締まった印象を受けるが、それでもやはり出る所は出て、腰もくびれている。

 本人は気にも止めていないようだが、美女と言うにふさわしいプロポーションだ。

 九峪の胸を枕にして、清瑞が眠っている。気持ち良さそうに。

 それがなんだか、九峪は嬉しかった。

 そっと、清瑞の髪を撫でる。

 さらさらだった。髪に気をはらったことなどないだろうが、やはり女だ。

 微笑みながら、九峪は清瑞の髪を撫でつづける。

「ん……」

『起きるかな?』

「くた……に……」

『……かわいいこと言ってくれるぜ』

 その寝言を聞いて、九峪はいっそう笑みを濃くした。自分の夢を、清瑞は今見ているのだ。それが、とてもうれしい。

 が。

 九峪の幸せは、ここまでである。

「貴様、また覗きを……」

『ヘ……?』

「今日という今日は……許さんぞ」

『これってもしかして、やばい?』

 やばいです。

「そこになおれ。成敗してくれるぅ」

 寝ぼけながら――しかしそれでもとてつもない力で――清瑞は九峪の腹に拳をめり込ませた。

「はぐべぐぼうあ!!!」

 奇天烈な叫び声をあげる九峪。

 その叫び声に、清瑞が目覚めた。

「な、なんだ? 今の叫び声……」

『た、助かったぁ』

 清瑞の目覚めに、九峪は安堵し、神に感謝した。

 だがしかぁし!

 こいつに神の救いの手などまだ早い。

 彼にはもう少し、死神の鎌を首に当てておいてもらうとしよう。

「く、九峪!」

「や、やは、清瑞」

 挨拶代わりに上げた右手を――

 がしぃ!

「へ?」

 清瑞が、がっしりと掴んだ。

「貴様!」

 そのまま、清瑞が立ちあがる。その顔は、怒りに満ち満ちていた。

「き、清瑞?」

 九峪の言など聞く耳持たず、自分を軸として、九峪を振りまわし始める!

「なななななんだぁぁぁぁぁぁぁ!!?」

 さながら九峪は、砲丸投げ選手が投げようと回転を加えている砲丸そのものだ。

「人の!」

 憤怒の清瑞が、九峪を振りまわす。

「部屋に!」

 回す。回す。

「勝手に!」

 回す。回す。回す。

「入りやがって!」

「き、清瑞。それ誤解だって! ここはオレの部屋……」

 どうやら清瑞の中では、九峪は、自分という乙女の部屋に勝手に入ってきた不埒者ということになっているようだ。

 清瑞の今の状態を鑑みるに、酔いがまだ覚めきらず、加えて寝ぼけ、さらには逆上中である。

 この事柄から導き出される結論。

 すなわち。

 説得なんざ不可能!

「星になって消えろおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」

 清瑞が九峪の手を離す。

 当然、遠心力で九峪の体は飛んでいくわけで。

 城壁をぶち破り、それでもまだ、九峪は止まらない。

 ちなみに、総大将である九峪の部屋は、城の最上階に位置している。

「むーかーしーギリシャーのーイカロースーはー……って、歌ってる場合じゃねえぇぇぇぇぇぇ!!!!!」

 小学校の頃に習ったであろう懐かしき歌を口ずさんで現実逃避に走る事に失敗した九峪。

 ロウの羽を作ることなく鳥となれたことを感謝するべきだろう、九峪くん。

「ふざけんなあぁぁぁぁぁ! なんとかなんねえのかよ!」

 ならない。これが運命。

「いやあああああ!!!」

 甲高い叫び声を上げ――

 ドボオォォォォォン!

 九峪は、城の側にある川に落ちていった。

 ちっ! 悪運の強い……

 

 

 

 

 

 耶麻台国軍居城の医務室。

 そこに、総大将である九峪の姿があった。

 水といっても、高い場所からたたきつけられれば、その威力や想像を絶するものであるのだが、なぜか九峪に特にけがはなかった。捜索に時間がかかったために、風邪を引いたことが、被害と言えば被害か。

 本当に、悪運の強い……

「九峪……生きてるか?」

「ああ、清瑞か」

 入ってきた人物を見て、九峪はそう呟いた。

「調子は、どうだ?」

「寒いし、頭がぼ〜っとする」

「す、すまなかったな、私のせいで」

「別にいいよ。その代わり、いいもんも見れたしな」

「? いいもの?」

「おまえの寝顔」

「……見たのか?」

「ああ。かわいか……た……」

 清瑞の体から殺気があふれ出ている事に、九峪はようやく気付いた。

「私の寝顔を、見たんだな?」

 その目には、暗い炎が宿っていた。

「い、いや、あのね。見たといってもあれはその不可抗力でなんつーか……」

「ちょうど、雷落としに続く第二の必殺技を練習していた所だ」

「あの、ボク、病人なんですけど……」

「戦場では関係ない」

「…………」

『神様。オレ、何か悪い事しました?』

 心の中で呟く九峪。

 神の使いなど語っているのだ。立派な悪行と言えよう。

『やっぱり?』

 うん。

 まあ、覚悟する事だ。風邪ひいてて体力ないから、あっさりと向こう側へ逝けるかもしれないぞ。

「それもいやだああああああああああ!!!」

 

 

 

 

 

 そして――

「うぎゃああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!」

 城中に、幾度目かの断末魔が響き渡った。

 

 

おしまい

 

 

 

 

 

あとがき

 

 桜華です。

 「瞬の色は変わらずに」と同時に書き上げ、同時に送った小説です。

 あれがシリアスだったんで、こっちはとことんギャグに突っ走ってみようかな、と。

 けど、やはりまとめが甘いですね。まだまだ修行が足りません。

 九峪の歌は気にしないでください。なんだかふと思い出したんで入れただけですので。

 

 ところで、イカロスについて少し雑談をば。

 言わずと知れた、ロウで固めた鳥の羽根で獄中を飛び出し、そのまま太陽に近づき過ぎたために翼を失い海に落ちていった間抜け野郎です。

 歌を知った当初は、空を飛ぶだけでもすごいなと思っていました。

 しかし、三年ほど前に中学で彼について調べた所、驚くべき事が明らかに!

 なんと彼の翼は父・ダイダロスの作で、しかも再三父から太陽に近づきすぎるなと注意を受けていたのです。イカロスは調子こいて言いつけ破って高く飛んだあげく海に落ち、同じく飛んでいた父は海に落ちたイカロスを探すという余計な手間をかけさせられた後、無事に大陸までたどりつきました。

 これじゃ、歌にある鉄の勇気は、ダイダロスお父様にこそふさわしいではありませんか!

 他力本願で天狗鼻なイカロスよりも、お父様の方がすごいです! 受け継ぐべき鉄の勇気は、ダイダロスお父様のです!

 

 ふう。

 すいません。なんだか長々と要らない事を書いてしまいました。火魅子の小説でなにギリシャ神話について熱く語ってんだろ、私。

 機会があれば、また書きたいと思います(もちろん、小説の事ですよ。ギリシャ神話ではなく)。

 それでは、失礼します。

 桜華でした。