火魅子伝・後記 弐






 朝靄が耶牟原城に薄く垂れ込めていた。日は、山岳の彼方にその頭が小指ほどしか出してはいなかったが、そこから幽かに漏れる日の光が朝靄に反射し、天界人の女王火魅子の居城耶牟原城に相応しい神々しいばかりの美しさを誇っていた。

 この時代の人々の朝が早いとはいっても、まだまだ多少の例外を除けば人が働き出す時間ではなかった。だから、その神々しい美しさを放つ耶牟原城の威容を見る人間も本来ならひどく限られ、辺りは静寂に包まれその美しさが損なわれる事はないはずだった。

「よし、これでいいかな」

 九峪は、山のように荷物を積んだ馬の背をポンと一つ叩くと、満足げに呟いた。いつもなら現代人らしく誰よりも起きるのが遅いはずの九峪が、何故か今日に限っては朝靄を掻き分けるようにして、目の前に繋いでいる馬に荷物を括り付ける作業に没頭していた。

「……何がいいんですか?」

「ひっ」

 ハスキーな声が九峪の背後からかけられた。それは、九峪にとっては聞きなれた声だったが、同時に今聞こえるはずの無い声だった。

「九峪様」

 名前を呼ばれ仕方なく恐る恐る九峪が振り返ると、そこには九峪の想像通り黒革の乱破装束に身を包み、漆黒を染め上げたような黒髪をポニーテール風に縛り上げた女性が腰に手を当て立っていた。

「や、やあ、清端。ずいぶんと朝が早いなぁ」

 知らず知らず九峪の頬を一滴冷たい汗が流れ落ちていく。それでも、九峪は無理矢理笑顔を作ると努めて明るく答えた。

「質問の答えにはなっていないようですが」

 清端の口調は、九峪の必死に誤魔化しを拒絶するようにどこまでも冷たかった。

「い、いやあ、ほら、遠乗り。遠乗りにでもいこうかと」

 馬術はこの世界に住む住人としては子供か赤子といった程度の走力しか持たない九峪にとって、身を守る剣術以上に切実に必要な技術だった。その為、九峪の馬術は一人で遠乗りに行ける程度には身についていた。 

「こんなに朝早くにですか」

「うっ、……ほら、朝焼けが綺麗だし」

「で、その服装は。何のおつもりですか」

 清端が指摘した通り何故か九峪は神の御遣いの普段着となっている夷緒特製ブレザー風の胡服ではなく、頑として着る事を拒んでいた耶麻台国の王族が普段着るような胡服の上下を身につけていた。こちらの世界の住人としては幾らか背が高い事を除けば、今の九峪は威厳も風格も無いごく普通の青年にしか見えない。

「えっ、いや。ほら、気分転換だよ、気分転換」

「ほう。では、その巨大な荷物は?」

 無論、遠乗りで朝日を見に行くだけなら荷物など必要なわけが無い。というより、こんなに荷物を積んでいてはいくら藤那の里から連れて来た駿馬でも思うような速度はでないだろう。

「うう、いや、まだ、ぶっそうだし。何かあったら大変だろ。備えだよ、備え」

「ふむ、確かに備えは必要ですね」

 明らかに動揺して見苦しい言い訳を続ける九峪に、清端の口調が始めて緩む。

「そ、そうだろ」

「ええ、何事にも備えは必要です。……と言う事は無論、護衛の私にも始めから声を掛けて頂けるはずですよね」

「えっ、い、いや、その、ほら、清端にも仕事があるだろ」

「何を言っているんですか、九峪様らしくもない。私の本来の仕事はあなたの護衛じゃありませんか」

 清端の鋭い突っ込みに、九峪は言葉に詰まった。

「はははははは、ほら、清端ここ数日忙しそうだったし」

「はははははは、ええ、大変忙しかったですよ。二日前に突然命じられた仕事で」

 白々しさ極まる乾いた笑い声が、静寂というかさぶたを剥ぐように辺りに響き渡った。しかし、清端の目だけはあくまで笑ってはいなかった。

「はははは……、はぁ」

「けど、まあ。こんな早い時間なら遠乗りに行く時間ぐらいありますから。ご心配無用です」

「ははははっはは」

「で、どこまで行きますか。く・た・に様?」

 清端の容赦の欠片も無い追求についに九峪の言い訳も底をついてしまった。恨みがましく清端を見るが、その冷たい笑みを浮べる顔を見て、九峪もさすがにこれ以上言い訳が通じない事を理解しないわけにはいかなかった。

「……あの〜、清端さん。もしかして、俺の行動ってバレバレなわけ?」

「ふふふふふふ、いやですね〜。九峪様、そんな事」

 清端は、今度こそ目の中から笑ったように九峪には見えた。それは、このような状況で見ても充分に魅力的な笑みだったが、悪魔の笑みぐらい魅力的に見えるものは他にはないという事実を、九峪は三年間清端と付き合ってきて嫌と言うほど思いしらされていた。

「あるわけない?」

 九峪は、一縷の望みを込めてそう言ってみた。

「当然じゃないですか」

「……やっぱり」

 がっくりと肩を落とす九峪。ここ数日にわたる自分の張り詰めた思いが無駄でしかなかったと思うと何だか泣けてさえ来た。

「……一体何が不満なんですか?」

 清端がいままでの厳しい詰問口調を和らげた。

「不満?」

「聞き返されましても、何か不満があるからここから出て行こうなんて考えたんじゃないですか?」

「違う、違う。不満なんて……まぁ、無いとは言わないけどそんな理由じゃない」

 九峪は、うろたえてそう答える。まさか、そんな風にとられるとは思わなかった。というか、清端に発覚した場合理由など聞かれる前にとッ捕まるものだとばかり考えていた。だから、よけいに清端の反応は意外なものだった。

「では、なぜ?」

「俺はこの国にいちゃいけないんだよ」

「はぁ? 何言ってんです」

 あまりに予想外の九峪の言葉に清端は、まるで狂ったのかとでも言わんばかりそう尋ねた。

「そのままの意味だよ、俺がこの国に居てはいけないんだよ」

 それまでさすがに負い目があって大人しかった九峪も、さすがに清端の口調にムカッときてぶっきらぼうに答えた。

「な、なに言っているんです。あなたは仮にも元復興軍総大将にして神の御遣いなんですよ」

「そう、それこそ俺がここには居られない理由」

「……」

 清端が知る限り、九峪には神の御遣いとして文句のつけようも無く働いてきていていた。だからこそ、戦が終わっても九峪の護衛をすることに今までに感じる事の無かった誇りと喜びを感じていたし、高い地位を要請されても何の未練も感じることなく断った。それが今になって、神の御遣いだからここを出て行くなどと言われても清端には到底納得できるものではなかった。

「だから、俺が元復興軍総大将だったということは、今や女王になった藤那の元上司になるわけだ」

「そうですよ、それが何か」

「しかも、俺は一応神の御遣い」

 九峪は、今耶麻台国において正式な役職についてはいなかった。九峪は、あくまで神の御遣いであり、人を超えた存在だった。そんな九峪を、人が作り上げた組織に組み込む事はできなかった。

 それでなくても、九峪は元復興軍総大将であり、本来ならそのまま国王になっていたとしても決しておかしくはなかった。その九峪に相応しい役職などあるわけがなかった。

「だから、何だって言うんですか」

「簡単な話だよ。つまり、俺が火魅子をたてたように見られているということ」

「なっ」

「しかも、火魅子候補は別に藤那だけじゃない。誰か伊万里でも香蘭でもいい、元火魅子候補と俺が手を結んだらどうなる」

 そうなれば、九峪の元には藤那に構想から漏れた豪族達が大挙して集う事は明白だった。そして、元復興軍の面子も九峪と藤那のどちらにつくか多いに迷う事になるだろう。最悪、国は真っ二つに割れる事態になる。そうなれば、国は狗根国を相手してきた以上に荒れる事になる。

「そ、そんな事」

「そう、ありえない。俺にそんな力はないし、伊万里も香蘭も他の皆もそんな意志は無い」

「だっ、だったら。いいじゃありませんか」

「問題は、そういう可能性があるということなんだ。出来るか出来ないかは問題じゃないんだ」

 九峪が、その可能性に気がついたのは藤那の火魅子即位の祝宴を、豪族達を集めて開いた時だった。

 その宴で、数多くの豪族達は宴の主役でありこれから女王になるはずの藤那ではなく。次席に座っていた九峪に祝辞をに述べていった。九峪としては自分が置かれている微妙な立場を実感しないわけにはいかなかった。。

「………」

「いいか、この国はまだ若い。藤那はよくやっているけど、不満を持つ奴らは幾らでも居る。そういう奴らにとって俺みたいなのは恰好の旗印になるわけだ。それに、実際に行動を起こす必要はないんだ。そういう可能性があるという事実を流すだけで、この国を揺るがすことができる」

(結局の所、あの時俺が自分の世界に戻っていれば何の問題もなかったはずなんだけどな……)

 九峪は、そう口には出さずに呟いた。今となってみれば神の御遣いの名は、この世界にとって異分子の烙印でしかないかった。幾ら九峪本人がこの世界に溶けこんだとしても、その肩書きがある限り九峪はこの世界の本当の住人になる事はできない事を、九峪は充分に実感していた。

「……お話はよくわかりました」

 九峪の言葉を吟味していたのか長い沈黙の後、清端はこくりと頷いた。

「おぉ、さすが清端」

「おだてても、何も出ませんよ」

「ちぇ」

「それにしても、これからどうするおつもりなんですか。あなたにはこの国に何のツテもないでしょう」

 当然、現代から連れてこられた九峪にこの世界に親類縁者など一人もいない。住宅どころか宿泊施設の一つも満足に整備されていない、住みなれた集落や街を出るという事はそのまま住処を失う事を意味していた。狩や野宿すら満足にできない九峪にとって、耶麻台国の力を借りなければ明日の食事すらままならないはずだった。

「ふふふふ、抜かりは無いよ、清端君」

 九峪は、清端の冷静な突っ込みに何故か余裕の表情で懐から一通の封書を取り出すと、清端に差し出した。

「なんです、この封書は?」

「開けて見ればわかるよ」

「はぁ……」

 清端は、小首を傾げながら封書を広げその内容に目を通した。そして読み進めるに従って、清端の表情は不信から驚愕に変わっていった。

「なぁ、こ、これは」

 そこには、九峪が只深の実家の商家に部屋を借り受ける事を喜んで受け入れる事と、半島に渡る為の船が那の津に用意している事、さらには神の御遣いを自宅に迎えられる事を大変名誉に思うという旨が、只深の父親の署名でしっかりと書かれていた。

「へへへ、国内に止まるわけにはいかないからな。俺だって少しは考えるさ」

 九峪は、この日の為に、只深の父親が藤那の火魅子就任式典に参列した際から頻繁に連絡をとりあっていた。

「まさか、商人になれられるおつもりですか」

 信じられないとばかりに、清端が九峪に詰め寄る。

「さぁ、そこまではまだわからないな。とにかく、これで俺にも落ち着く先があることがわかって安心したろ」

 正直、九峪自身そこまで考えてはいなかった。大陸の時代を考えれば、これから三国時代が終わり晋時代が始まる頃、歴史好きの九峪としてはこの目でそれを見てみたいなぁ、などと気楽に考えていた。

 清端には悲壮感溢れる偉そうな理由を並べ立てていたが、実際の所九峪はそれほど落胆もなければ悲壮感も感じていなかった。この一年間で、九峪には自分にできる仕事はやり終えたという充実感があったし、この自分の世界とはかけ離れた力と知識で成立つ世界を見て周りたいという好奇心もたっぷり持っていた。

「……しかし、九峪様」

「うん、何?」

「ほんと〜に、一人で那の津まで行けるおつもりですか?」

「うん?」

「まだ、どこに魔人やら魔獣やらいるかもわからないのに。そんな腕で一人で?」

「い、いや、まあ、大丈夫じゃないかと」

 九峪の先ほどまでの余裕のある口調から少しばかりトーンダウンした。九峪も魔人と魔獣の剣呑さは骨身に染みて知っていた。鈴が無くなった今、九峪ごときの付け焼刃でしかない剣の腕で到底かなう相手ではない。

「道はほんと〜に、わかってるんですか?」

「だ、大丈夫だ。……多分」

 九峪の声はさらに小さくなる一応、那の津までの道行きは自ら作らせた地図と事前にそれとなく伊部に聞いて頭に叩きこんでいた。だが、実際に行った事があるわけではなく、正直な話心許無い。

「まったく、どこか抜けてるんですから」

 清端が、甘い考えの九峪を小馬鹿にしたように鼻で笑った。

「うっ、うるさいな」

「……こほん。あ〜、つまりですね。ゆ、優秀な護衛と道案内が必要なわけですね」

 まるで間違いを正された子供の様に拗ねる九峪を見て、清端はひとつ咳払いをする横を向いてしまった。

「まあ、そうかな」

「もし、もしですよ。これが、本当に、本当のほんと〜〜〜に、九峪様のおっしゃる通り耶麻台国にとって必要だと言うなら……」

「言うなら?」

「ひ、ひとり、そういう人物にこ、心当たりが無いわけではない、です」

 清端の言葉が、微妙に上擦る。

「へっ? 清端、誰か紹介してくれるのか?」

「しょ、しょうがないでしょ。この国になることなら、けっ、けっしてあなた個人の事を考えてではないですよ、いいですか」

「あぁ、うん。わかったわかった。で、その人は今からでも間に合うのか?」

 九峪にもやっと普段乱破として小憎たらしいほど冷静な態度を崩さない清端が、何故か緊張しているのがわかった。

「え、ええ、そりゃもう、今すぐにでも」

「そりゃあ、助かるな。で、その人はどこに?」

「あ、あの、ですね。特別にわた」

「九峪様〜〜〜〜〜」

 清端の言葉をさえぎって、甘ったるい女性の言葉が九峪と清端の間に飛び込んできた。

「なっあ!!!!」

 水着と見紛うような極小の服と、背中にど派手な羽根飾りをつけた女が清端をわざわざ押しのけ九峪の正面に踊り出た。質実剛健を旨とするような耶麻台国の中で、こんなカッコをする人間はどれだけ国中探しても彼女、元狗根国日輪将軍天目しかいない。

「探しましたわ、九峪様。準備の方は宜しいのですか?」

 天目は、大抵の男どもなら一目で蕩けさせる笑みを浮べた。もっとも、ここ一年以上天目と付き合ってきて、その裏にあるものを必要以上に知っている九峪の体は蕩けるどころか体が岩の様に硬直してしまう。

「じゅ、準備って」

「決まってます。こんな国を早く出て行くためです」

 天目は今行政長官のような仕事をしていた。さすがに、この人事には多くの反対意見が飛び交った。元狗根国の人間、元征西都督府長官補佐だった人間を、そのまま似たような地位につける事に抵抗感を覚える人間が多いのは動かし難い事実だった。

 だが、実際問題として耶麻台国の内実に天目以上に通じている人間は復興軍の中にはいなかった。しかも、その姿恰好を除けば天目は卓越した行政能力を持っていた。そういった貴重な人材を放置できるほどの余裕は復興軍にはない。

「はぁ、天目何言ってるの?」

 天目が微笑む。大抵の男なら一瞬でとろけさせるのに充分過ぎるものだが、天目

「何って九峪様がこの国を捨てるという事は、私達と共に出雲国を復興する為に立ちあがってくださったのでしょう」

「話が違うじゃないですか、九峪様」

 今度は清端が、天目を押しのけ九峪に迫る。

「ちょ、ちょっと待て。俺はそんな話知らないぞ」

「お気になさらず、私達の仲じゃありませんか」

「私達のなか〜」

「知らん、知らん。俺は知らんぞ。おい、真姉胡、忌瀬、虎桃も何か言ってくれ」

 後ろから、天目子飼いの真姉胡、忌瀬、虎桃が歩き寄って来ていた。

「……九峪様、御愁傷様」

「まあ、いいじゃないんですか。私もお手伝いしますし」

「平和な国なんてつまらないって、いいじゃない。九峪様も手伝いなよ」

 真姉胡と忌瀬は何か諦めたような半笑いで、虎桃はいつものようにノー天気にそう答える。三人はまるで災害から身を守る様に、九峪と天目から少し離れた所からこちらを見ていた。ちなみに三人ともきっちり旅装束に身を包んでいる。

「あのな〜、もう俺の手元には鈴だって無いんだぞ」

 本来、只の高校生に過ぎない九峪が魔人を退けたり、炎の御剣を扱えたのも全て日魅子の鈴を持っていたからこそだった。だが、今その鈴は手元にはない。九峪自ら時の御柱に投げ込んでしまっていた。

「関係ありません。九峪様が立案した作戦は、鈴から生まれた物ではありません。私と九峪様がいれば弱体化した狗根国なんてモノの問題では」

 天目が言う通り、九州の地を失った狗根国は弱体化の一途を辿っていた。国の柱である四天王を全て失うばかりか、左道の長蛇渇、大将軍東山、切り札とも言える枇杷島など狗根国が受けた人的物的損失は計りしれない。また、皇太子紫香楽を失った事で国内では後継ぎを巡っての内乱が起きているという報告すら九峪の耳には入っていた。

「い、いや、もう、俺もネタ切れだし……」

「ネタ?」

「ははははは」

 九峪に発想の素が歴史の知識にあるのは、九峪だけの秘密である。

「おや、九峪様。ここに居てはったんですか?」

「た、只深」

 見れば、只深がこちらに手を振りながら近づいてきていた。そう後ろには、大量の竹簡や家財道具一式を積んだ大八車を伊部が押しながらついてきている。

「おや、皆さん、お揃いで。何です、みなはんでうちらの新しい旅立ちを祝いに来てくれたんですか」

「うちら〜〜」

「新しい旅立ち〜〜〜〜」

 清端と天目が驚愕に目を見開く。

「知らん、俺は何にも知らんぞ」

 九峪は、さらにうろたえて両手を振って無実をアピールする。

「何言ってますの、一緒に親父殿の元ででっかい商人を目指すんですやろ」

「なっ、何の話だ」

「何の話もありますかいな、親父殿から遣いが来ましてな。神の御遣い様が道に迷わんようにしっかり案内せいって、きつ〜く言付かってますんやで」

 只深は、あくまでにこにこと実に嬉しそうに喋り続けた。もっとも、九峪にしてみればその笑顔を見れば見るほど、何だか自分の間抜けさ加減を再確認されているようで泣きけてきた。

「……何の為に封書まで使ったんだ、俺」

「九峪様……、何でもあちらでは祝言の用意しておるようでっせ」

 九峪の右肩に手を置かれ、振り向くが汗を拭き拭き伊部が大八車を軽々と片手で支えて立っていた。

「「しゅうげん」」

 九峪と清端と天目の声が綺麗にハモる。

「お嬢の事よろしくお願いしますわ」

「いややな〜、伊部。話が早いわ〜」

 照れたように只深が伊部の二の腕を平手でばしばしと叩く。

「あ、引き出物とか気にせんでいいでっせ。まぁ、婚約もしてへんことですし、何といっても神の御遣い様や、婿に来てくれるだけでもう実家のほうも万々歳や。何です、そんな呆然とした顔なさって、はははぁ〜ん、こんな可愛い嫁さんできて嬉しくて声もでまへんか。もういいやわ〜。九峪様も好きなら、好きやって、もっとはよう言うてくれればよかったんのに」

「はははは、痛いで〜、只深」

 照れているのかバシバシと伊部の腕を叩きながら、只深はいつものごとく九峪を含め周りの人間を無視して立て板に水の勢いで喋り続ける。

「…………」

「…………」

 魂を抜かれた様に呆然と聞いていた九峪だったが、殺意の込められた強烈な二つの視線を受けて我に帰った。

「知らん、知らんぞ。俺は、ただニ三ヶ月の間部屋を借りようと思っただけで」

「そうだよ〜、九峪様。そんな所行く必要無いって」

「……九峪様」

「なっ、上乃。それに、伊万里も」

 九峪がまたまたふってわいた様に聞こえてくる聞き知った声に驚いて振り向くと、はじめて会った時と同じ山人の姿をした伊万里と上乃が駆け寄ってくるのが見えた。

「私達の里に行こ。みんな、待ってるから」

「九峪様、もし、よろしければ。さすがに耶牟原城ほどのおもてなしはできませんが」

 上乃は、九峪に駆け寄ると周りの人間を掻き分けるようにして、その腕を取った。伊万里は、その大胆な行動を眩しそうに見ている。

「い、いや、いきなりそんな事言われても……」

「そんな事言わないでよ〜、九峪様。どうせ、出て行くんなら。そんなど派手けばけばおばさんとか、守銭奴についてくよりず〜っといいって」

 それまで、あっけにとられたように見ていた天目と只深の眉毛が吊り上る。

「おばさんだと〜」

「誰が守銭奴や」

「べ〜〜〜〜っだ」

 上乃が、二人に向けて舌を出して挑発してみせた。

「こ、こら、上乃失礼だろ」

「だ〜って本当の事だもん」

 伊万里の方が困ったように上乃を叱るが、はじめから喧嘩売る気満々の上乃が聞く訳も無い。

「もう」

「ほら、伊万里も何か言いなよ」

「あっ、こら。ちょ。ちょっと」

 上乃は、呆れて呟く伊万里の後ろに回り込むと九峪に向けて突き出した。

「ほら、九峪様も聞いてくれるって」

「何勝手に決めている」

「九峪様、こんな子供達なんて放って行きましょう」

「そや、そやって。うちも入ってるんかい」

「当たり前でしょ。その胸で大人を名乗るなんてちゃんちゃら可笑しいわね」

「き〜〜〜〜〜、胸の事は言うなや」

 只深としては、胸の事を言われるのが一番辛い。服の上から見ても、その大きさの違いは歴然としている。

「ふん、そんな恥知らずな姿をしていてよく言えるな」

 清端が、小馬鹿にしたように呟く。それでなくても、清端は天目が嫌いだ。その衣装も気に入らなければ、厚顔無恥の性格も理解し難い。何よりこの女は元狗根国の四天王の一人だ、幾ら今は大人しくしてるからと言ってこれからそうだという保証はどこにもない。

「何ですって、このむっつり乱破」

 そして、無論天目も清端が気に入らない。その取り澄ました態度が、何かと言えば只の乱破の分際で口答えする生意気な態度も気に入らない。なにより、護衛だとかぬかして、本心を隠したまま九峪にへばりついているのが気に入らない。

「なななな、何だと」

 上乃を無視して、三人が睨み合う。九峪には、もう恐ろしすぎて言葉を発する事もできなかった。

「もう、黙っていてよ。ほら、聞いてくれるよね。九峪様」

「えっ、あ、まあ、聞くぐらいなら」

「「九峪様」」

 九峪の言葉に驚いて、睨み合っていた三人が九峪の方を見るが、時すでに遅かった。

「ほら、伊万里、聞いてくれるって」

「わっ、私は……」

 自分の為に必死になってくれている上乃の姿を見て決心がついたのか、凛とした表情で九峪を見つめると伊万里は口を開いた。

「私は、あの日九峪様が言ってくださったお言葉を忘れてはいません」

「えっ」

「わ、私は、あのお言葉を頼りに、自分が自分として王族とか山人とかに囚われず自然に生きていこうと決めました」

「……うん」

「それで、わかったんです。私が私らしく生きていける所は、あなたの、九峪様のお側にいる事だって」

「「なっ」」

「ですから、もし、お嫌でなければお側においてください」

「伊万里……」

 九峪は、潤んだ伊万里の瞳に引き寄せられる。二人は思わずお互い見つめ合うような形になった。一瞬、二人だけの世界ができあがったかのように思えたが、外野がそれを許すわけがない。

「良いお話ですね〜」

 清端は、腰に差した刀をすらりと抜き放つ。

「まったく」

 天目の羽根飾りが、膨れ上がる闘気に反応してわさわさと動き出す。

「ああ、泣けてくるで」

 只深は、懐から大陸特製の銃器を取り出す。

 三人は先ほどまでのまでの対立が嘘のように、全員が据わった瞳で九峪を見据えた。

「ちょ、ちょっと、待って。そ、それより、何で皆、ここを俺が出て行こうとしている事知ってるんだ」

「……何でって、わざわざやってきて別れ際に「じゃあな、がんばれよ」。何て言われれば、これは何かあるな〜って思いますよ」

 上乃が、あっけらかんとそう言った。

「あっそれ、私も言われた〜」

「私も〜」

 その場にいる全員が次々と同意の声をあげる。

「……九峪様」

「……頼む、何も言わないでくれ。言いたい事はわかってるつもりだから」

 頭を抱えてその場にうずくまる九峪の肩を清端が手を置いて、呆れたようにそう呟く。

「はぁ〜、抜けてますね〜」

「うぅぅぅ……。はっ、ちょっと待て、じゃあ他のみんなも」

 九峪は、慌てて跳ね起きると周りをキョロキョロと見渡した。

「他のって」

 清端がそう言いかけた時だった。

「九峪様〜」

「ぶっす〜〜〜〜」

 志乃が、しっかりと旅支度を整えて嬉しそうに駆け寄ってきた。そして、やはり旅支度を整えた珠洲が不満一杯といった様子で後を付いてきた。

「志乃、珠洲」

「私も旅芸人の一座を復活させるつもりなんです。よければ、御一緒に」

 見ると、そのさらに後ろには大八車に色々な荷物を載せて元々志乃の一座の芸人達が、やはりどこか諦めたような疲れた表情でとぼとぼとついてきていた。

「ぶ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」

 そんな中で、珠洲だけはひたすら不満そうに頬を膨らませ、九峪の方を見ようともしない。

「あら、珠洲。そんなに嫌ならここに残ってもいいのよ」

「う〜〜〜〜〜〜〜、わかったわよ」

「というわけですので」

 志乃がにっこりと笑って、九峪に振り向く。正直、美しいとか綺麗だとか言う前に九峪にはただただ恐ろしかった。

「ちょっと待て、俺の意思はどうなる」

「はや、九峪様ここにいたか」

「探しましたわよ、九峪様」

「……香蘭、紅玉さんまで」

 香蘭と紅玉が旅支度で現れても、もう九峪は驚かなかった。ただ、溜息を出るだけだ。

「大陸行くなら、わたしの家行くがいいね」

「夫の遺言も果たせましたし、そろそろ故郷に錦を飾ろうと思い立ちまして」

「……ここに落ち着くんじゃなかったのか」

 うめくようにそう言ってみるが無駄な努力でしかない事は、さすがの九峪も返答を聞くまでもわかっていた。

「お待ちください、九峪様」

「九峪様……」

「ぶ〜、酷いよ〜。九峪様〜」

「……星華、夷緒、羽江」

 もう、こうなってくると、彼女達とあらかじめ待ち合わせをしていたかのような錯覚を覚える九峪だった。

「はぁはぁはぁ、九峪様。何が御不満なのですか、ここに香蘭様がいると言う事はやはり胸ですか」

 どうやら、これだけ他に女性が周りを囲んでいても星華の目に入るのは胸敵の香蘭だけのようだった。

「な、何を」

「大きくしてみせます、まだまだ私の胸は育ちます。ですから、そのような胸だけ超人についていくのはおやめください」

 星華は先ほどにもまして、何やら鬼気迫る勢いで迫ってくる。

「九峪様、胸好きか。なら、香蘭の触ると良いね」

 それに対して、勝者の余裕なのか、はたまた本気で何も考えていないのか。香蘭も胸を張って、無邪気に九峪に迫ってきた。

「えっ、それは嬉し、いや、いいから、いい」

 

 ばこ



「もう、香蘭たら、九峪様が困ってらっしゃるでしょ」

 紅玉が口調だけは優しくたしなめる。地面に車に轢かれた蛙のように顔面から倒れている香蘭の姿さえ見なければ、九峪も素直に喜べたかもしれない。

 九峪は、自分にさらに多くの殺気の込められた視線が集中するのを感じていた。もはや、冷たい汗は一滴どころか滝のように頬や額を濡らしていた。

 気がつけば、九峪を中心にわいわいがやがやと数人単位で口論が起きていた。もう、朝の静寂も神々しい耶牟原城の姿もあったものではない。九峪は、もう我慢するのを止めて泣いてしまおうかと思った、その時だった。遠くから地鳴りのような音が近づいてきているのに気がついた。

「我々をお見捨てになられるのですか〜」

「お、音羽」

 見れば、がしゃがしゃと鎧を揺らしながら走ってくる音羽を先頭に、親衛隊の面々数百人がこちらに走り寄ってくるのが見えて、九峪の顔は真っ青になった。こうなれば、もう夜逃げでもなんでもない。ただの集団脱走か永遠に続くであろう引きとめ工作に押しきられるか、どちらかだった。

「「さっ、九峪様」」

 さすがにそこにいる全員が駆け寄ってくる百人近い集団を見て、危険が迫っているのを判断したのだろう。その場にいた全員の声が綺麗にハモって、九峪をさらに追い詰めてる。

「か、勘弁してくれ〜〜〜〜〜〜」

「あ、逃げた」

「追え〜」



 そのにぎやかな一団を耶牟原城の一室から見下ろしている一組の男女がいた。

「いいの、火魅子。九峪様止めなくて」

 小柄で見るからに気弱そうな少年閑谷が、隣に立っている女性の裾を掴み心配そうに尋ねた。

「仕方ないだろう、九峪がそう決めたのなら」

 隣に立っている火魅子と呼ばれた女性藤那は行儀悪く小ぶりの酒壷から一口直接飲みながら、つまらなそうにそう答えた。引きとめたいという気持ちが無いわけではないが、星華や音羽のようにすがりついて残る様に懇願するなど藤那の山よりも高い自尊心が許すわけが無かった。

「おや、藤那様ともあろう方が戦う前から白旗ですか」

 藤那が、振り向くとそこには亜衣が悠然と近づいてきていた。

「ふん、亜衣。お前はいいのか」

「……必ず、あの方はこの国に戻ってらっしゃいますよ。それまで、ここを守るのが私の仕事ですから」

 と言いながらも、亜衣はどこか寂しげで、無邪気に九峪について行ける妹達を羨んでいるように藤那には見えた。

「ふん、素直じゃないな」

「……人の事言えないって」

「な〜にか言ったか、閑谷」

「い、いや、な、何も」

 とりあえす、藤那は余計な一言を言った閑谷に目だけで黙らせた。いつものように、閑谷は呆れるぐらいうろたえる。

「……楽しみにしてるがいいさ。お前が想像した以上の国にしてみせるからな」

 そう、九峪の隣の場所を確保するのはその後でも決して遅くは無いはずだった。藤那は強い決意と共に、小さくなっていく九峪の背中に向かって呟くのだった。

 

「ひぃぃぃぃぃぃ」

 藤那の決意が、涙を流しながら迫ってくる美女軍団を必死に逃げ回っている九峪に届いたかどうかは、神のみぞ知るといったところだろう。



                             〜了〜



 後書き座談会



「ども、再び登場の高野です」

「……おい」

「いや〜、今回も大変でした。とりあえず、終わってよかったですね〜」

「……こら」

「前回の振りの手紙を無事消化。あまりにたいしたこと無い振りに自分ながら愕然」

「てめぇ……」

「しかしまぁ約束通り、これが出せたので安心しております」

「聞け〜〜〜〜」

「おぉう、これはこれはぼろぼろの九峪君ではないですか」

「何がぼろぼろの九峪君だ、こうなったのは誰のせいだ」

「あんたのせい(きっぱり)」

「なぜだ〜〜〜、お前が他の人みたいに恋人を決めないのが悪いんだろうが」

「いや〜、日魅子さんに悪いじゃないですか」

「だったら、現代に帰しやがれ」

「そうすると、お話にならないんですよ」

「くそう、まあ、それはいい。俺はこの後どうなるんだ」

「さぁ?」

「さぁって、お前が書いてるんだろ」

「だって、これ以上の続き書くつもり無いから」

「はぁ?」

「後記はこれで終わりです。九峪君が耶麻台国から離れたら、もう火魅子伝じゃないと思うんで」

「じゃあ、これでお勤めは終わりか」

「それがですねぇ、実はそうとも限らないんです」

「何で」

「ほら、まだ出ていないキャラいるじゃないですか。んで、できるなら今度は一人のキャラに絞った話を書いてみようかなぁ〜って」

「ふぅ〜ん、じゃあ絶対書くんだな」

「いえ、非才の身ですから。挫折する可能性の方がずっと高いです」

「まぁ、それはお前らしいか」

「御理解ありがとう」

「握手するな、政治家じゃあるまいし。うん、ちょっと待て、じゃあ俺と誰かとラブラブな話になるのか」

「いえ、それもないです(きっぱり)」

「なぜだ〜」

「何も泣かなくても。私が言ってるのは、ヒロインを決めるのではなく。主役を九峪君から誰か他の人に変えて、その人の視点で書くかも(かも、というのが重要です)という事です」

「……ちょっと、待て。じゃあ、俺に不利なことだけじゃないか」

「そうです、御愁傷様」

「ふざ」



 ぼき



「おや、そこに赤く染まった釘バットを持っているのは姫島日魅子さんじゃないですか」

「高野」

「はい、なんでしょう。目が据わっていて怖いんですが」

「と言う事は、私の出番もあるという事ね」

「いえ、ありません(きっぱり)」

「ど〜〜〜〜して、私は健気に現代で九峪が帰ってくるのを待っている正統派ヒロインなのよ」

「ど〜〜〜〜して、と言われましても。私が書くとすれば、重然と愛宕コンビとか仁清といった地味な脇役を書くつもりなので」

「何で」

「いや、あんまりファンのいる人を書くのは、怒られそうで怖いじゃないですか。あなたも結構ファン多そうですから」

「じゃあ、出番は」

「あちらの世界にいない以上、まずありません」

「が〜〜〜〜〜〜〜ん」

「という訳で、ここまで読んで頂いてありがとうございます。感想とかご批判とかBBSおよびメールで待ってまーす。忌憚無い御意見お寄せください、拝」

「「勝手に終わるな〜〜〜〜〜〜」」

注意書き 「志乃」と「夷緒」は故意にゲーム上の漢字を遣わせていただきました。