「天界の扉、ねぇ……」
 執務室でだらしなく足を伸ばしながら、口に出す。
 清瑞を筆頭とする、諜報部隊からの情報である。
 曰く、狗根国は天界の扉なるものを探し求めている。
 今現在その任に就いているのが最近四国征伐から引き返してきた、帖佐とかいう将軍らしい。
 そして、彼は邪馬台国を滅ぼした張本人でもある。と。





 戦況は膠着している。 
 一時期、破竹の勢いで北上し勢力を拡大させてきた邪馬台国軍だが、本腰をあげてきた狗根国の軍勢に対し、一進一退の攻防を繰り返していた。 
 もはや、反乱軍とも呼べぬほどに邪馬台国の軍勢は拡大しているが、それでもなお兵力では敵に劣るし、連日の戦で士気も低下気味である。 さらには、最近になって帖佐という新たな強敵が現れた。
 彼が天界の扉の探索の方に重点を置いている、というよりほぼ全力を傾けているというのが救いといえば救いである。

「ふぅむ……」

 上半身を起こし、壁にかけられた九洲の地図を見やる。
 ここは阿蘇の地である。雄大な活火山が煙を絶えず噴き上げているのがここからも見える。まるで天に届くかのような……。

「九峪様」

 放っていた密偵の一人が戻ってきた。 清瑞だった。
 音も立てずいきなり背後に現れたのだが、毎度のことなのでとくに驚きはしなかった。

「どうだ、何か判ったかい?」

聞くと、

「もちろんです」

清瑞は自信ありげにうなずく。

「じつは……」




 
「なるほど、使えるな」

 再び一人になった執務室で九峪は一人ごちる。
 彼が清瑞に探らせていたことは帖佐についてである。
 この正念場に何故彼はあるかどうかも定かではない天界の扉などに執着するのか。 命令だからといえばそれまでだが、何か引っかかりを感じたのだ。

「女のため、か」

 詳細は不明だが、帖佐には死に瀕した恋人がいるらしい。 

「こっちは俺の方が死と隣り合わせなんだがな……」

 苦く、微笑う。
 寝床を離れ、夜空にあってなお噴煙を上げる阿蘇の山をしばらく眺める。 ここの人間たちは天空と言えば、救いの徴、とでも思っているのだろうか。
 やがて、口を開く。

「悪いな。 こっちも負けられないんだ」




 次の日、邪馬台国全軍に、指令が下った。

「阿蘇の頂に天に通じる扉を確認。 死守すべし」と。










「どっちが詐欺師なんだかなぁ」

 普段、九峪からペテン師呼ばわりされているキョウがあきれたように言う。
 対する九峪はどこ吹く風だ。

「仕方が無いだろ。 このままじゃ、力負けするのは目に見えてる。 ここいらで流れを変えておく必要があるんだ」

 この大作戦が騙りであることを知る者は女王候補ですらいない。 具体的には、九峪以外ではキョウと清瑞だけである。
 少し離れた所では、照りつける太陽の中、山地に強い伊万里や藤那が必死の様相で部下に指示を飛ばしている。
 その様子を見ても九峪はとくに表情を変えない。
 しばらくして亜衣が近づいてきた。

「大変な戦いになりそうですね」

「…だが、勝つさ」

 地形的に有利とはいえ、九峪の見込みが正しければ今までに類を見ない大軍同士のぶつかり合いになるはずだった。 敵味方ともに多大な数の死者を出すことになる。

「……ここで勝てば戦局は一変する」

 誰に言うとでなく言う。
 だが、亜衣には励みになったようだ。

「そう、ですね! 勝ちましょう! 我らはあなたを信じてどこまでもついてゆきます!」

「……ありがとう」

 意気揚揚として彼女は持ち場に戻ってゆく。
 それを見送ると、キョウが顔を出す。

「ホントにどっちがペテン師なんだか」

「そんなことはないぜ? なぜなら」

 九峪はからかうようにキョウを見やる。

「絶対に、勝つからな」

 ――2時間後、物見が狗根国の大軍をふもとに確認した。










 大方の予想通り、戦闘は過酷なものとなった。 どちらも士気は十分にある。
 全力での、殺し合いとなった。
 だが、勝敗はしだいに見えてきた。
 地の利を十二分に生かして戦う伊万里隊に、複雑な地形をものともせずに戦場を駆け回る香蘭母娘。 それを後方から支援する術士たち。
 ゲリラ戦で使うようなトラップも多数仕掛けられている。
 文字通り一丸となって邪馬台国軍は戦い、狗根国を徐々に押し潰していった。
 だが。
 全員が全員、狂戦士のようになって死戦に臨んでいた為、邪馬台国の人間の誰も気づくことは無かった。 敵味方ともに、総大将の姿が消えていたことに。





 一方、九峪は少し前に、偵察に出していた清瑞から伏兵の存在を知った。 敵は断崖に近い山道を強行突破したのだ。

「やっぱ、そう来たか」

 にやりと口の端を曲げる。

「そっちは俺が片付けるから、清瑞は本陣の方に向かってくれ。 多分、もうじき片がつくはずだ。 あまり自軍に被害を出さないように敵を攪乱してくれ」

 な、と清瑞は色を変える。 伏兵の数は大将が率いる精鋭およそ300。 それをたった一人で撃滅するというのである。 正気の言動とは思えない。 思えないのだが……。
 九峪は機先を制して、

「俺が、信用、出来ないか?」

 と、マフィアのボスの如き笑顔でもって、清瑞の反論を封じた。 「出来ない」わけがない。 彼が出来るといったら、絶対に出来るのだ。 これまでに数多の不可能を可能にし、邪馬台国を勝利に導いてきた男。 無理を通して道理を引っ込めることの出来る男。 彼の今までの功績を考えれば「信用できない」ことなど出来るわけが無い!
 清瑞は何も言えずに九峪が通り過ぎてゆくのを見送った。










「退くがいい」

 開口一番に、帖佐は部隊の先頭に立ち、九峪に告げた。 この場には彼一人しかいない。

「やなこった」

 こちらも真顔で返す九峪。

「ならば死んでもらう!」

 彼にしては珍しく、感情を昂ぶらせて、全軍に攻撃を命じる。
 本陣の裏側でもう一つの戦争がはじまった。
 九峪はいきなり撤退した。 あらかじめ伏兵を(それも大将自ら率いてくると)予見していた彼は、本陣とは比べ物にならないほどの数のトラップを敵の進軍ルートに設置させてあった。 
 あるときは崖を崩し、あるときは堤防を決壊させて水で押し流す。
 あるときは風上から粉末上の毒をばら撒き、あるときは気化燃料(自作)で吹っ飛ばす。
 森に入れば、ベトコン仕込みのトラップが待ち受ける。 
 進軍すればするほど、帖佐の兵はその数を減らしてゆく。 だがそれでも彼らは進むしかない。
 駄目押しにいつのまにか九峪は敵兵の甲冑に身を包んで敵の部隊に潜り込んでいた。 兜で顔は隠れるし、この混乱である。 全くばれない。 そうして討ちもらした兵を一人づつ葬ってゆく。
 小狡い手もここまで徹底すれば壮絶な効果があった。
 ふと九峪が気がつけば、自分以外に立っているのは帖佐一人となっていた。 300の部下が九峪一人の前に残らず散った。

「貴様…、鬼神か……」

「伊達に神の遣いはやってないんでね」

 兜を投げ捨て、軽口をたたく。
 だが九峪も相当疲弊している。 加えて手札もほぼ尽くした。 そして、手傷を負っているとはいえ、この相手に真っ向勝負で勝てるわけが無い。 そうも悟った。 だが……。

「もう勝負はついたんだ。 おとなしく降参したらどうだ?」

「断る。 貴様こそ小ざかしい手はもう使えまい。 それに、貴様を始末しておけばこの戦争、勝ちも同然」

 そこでおおげさに、頭を振る九峪。

「やれやれ、何だってそこまで命をかける必要がある?」

「……わたしにはどうしても天界の扉がいるのだ!」

「……女、か?」

「……」

 数秒間にらみ合う二人。
 だが、ふと九峪がくつくつと笑い始める。
 いぶかしげに構える帖佐を尻目に、からかうように告げる。

「しっかし、こんなところにそんなものがあるってのは初耳なんだがなぁ?」

 帖佐は一瞬、呆けた。

「なん、だと……?」

 阿蘇に天界の扉があるというのは邪馬台国の全軍が知っていることだ。 その総司令が知らないはずが無い。
 はっ、と帖佐は顔を上げる。 何故知っていたのだ? そんな重要な機密を全軍の、雑兵に到るまでが……。

「まさか、まさか……」

 幽鬼のような顔つきで、愕然としている帖佐にむけ、九峪はいっそ優しいともとれる笑みをむけながら、告げた。

「無駄な努力、ご苦労さん」

 帖佐が吼えた。
 猛然と九峪に鬼気をぶつけ、突進してくる。
 しかし彼はもともと、死の恐怖に対し、鈍感だった。
 彼はこの殺気を受け流した。
 怯みさえしなければ怒りなど、つけいる隙にしかならない。
 さらに、度を越えた怒りは彼から判断力を奪った。 そのため、普段の彼ならば絶対にかかるはずの無いトラップにかかってしまった。
 落とし穴。
 ほんの膝半分程しかない小さなものだったが、彼は大きく体勢を崩した。
 十分過ぎる、
 隙だった。




 渾身の一撃は、即死には到らなかったが、戦闘不能に追い込むには十分な傷だった。
 九峪は、振り向きざまに帖佐の首を刎ね飛ばそうとして、とっさの判断で後ろに跳んだ。 その瞬間、それまで九峪がいた空間を鉄の槍が信じられないスピードで、カッ飛んでいった。
 見やると、これまた信じられないほど派手な衣装に身を包んだ美女が、悠然と立っていた。
 諜報部から聞いている。 この女が日輪将軍、天目だろう。
 天目は、つかつかとこちらに歩み寄ると、苦笑したように九峪を見やった。

「冷静さを欠いていたとはいえ、帖佐をここまで追い詰めるとはな」

 そして、気を失った帖佐を片手で軽々と担ぎ上げ、

「ここは引いておく。 お前のことは覚えておくぞ」

 九峪が何かを言う暇もなく、悠然と去っていった。
 九峪は肩をすくめるしかなかった。
 









 九峪は地面にあお向けに倒れながら、これからについて考える。 もはや、腕一本しばらくは動かせそうに無い。

「……勝った、か」

 これで狗根国にはだいぶ大きな打撃を与えることができたはずだ。 今後の出方もだいぶ変わってくるだろう。
 ふと背後を見やると女王候補や仲間たちが、こちらに殺到してくる所だった。 清瑞が知らせたのだろう。これから受ける亜衣の説教や伊雅の大喝のことを考え、九峪は天に向かって大きな溜息をついた。













 あとがき

 火魅子伝の2作目です
 って、いきなり場面飛んでます。
 そのうち、時間が逆行するかもです。
 しないかもです。
 そして、九峪悪党です。

 それと、読んでいて、知ってる人は気づいたかもしれません。 地理的にも近いし。
 気づいた人は知らん振りしてください。 偶然です。書いてて気づきました。