火魅子伝・後記 壱 〜Ver.1.21〜






「じゃあ、亜衣。今日はこれくらいにしようか?」

「そうですね」

 九峪は、目の前に置かれた竹簡を脇に押しやり、床机から立ちあがった。ここ数日の間、九峪は今や耶麻台国の宰相とでも言うべき存在になっている亜衣と共に耶牟原城の執務室に詰め、新生耶麻台国の体制作りに奔走していた。

 その執務室には大量の竹簡が散乱しており、ここ数ヶ月続いている忙しさを二人に代わって代弁しているかのようだった。

「お疲れですか?」

 似合わない溜息をついた九峪を見て、亜衣は幾らか心配そうに聞いてきた。そんな亜衣に、九峪は笑い返した。疲れていない訳ではないが、それを言えば仕事の多い亜衣の方がよほど疲れているはずだった。

「いや、まぁね。けど、だいぶ目途がついてきただろ」

「ええ、もう半年も経つわけですから」

 仕事の実務をこなすのはもっぱら亜衣なのだが、九峪もそれ以前の構想作りなどに大いにその手腕を振るっていた。また、地方の豪族などとの折衝には黙ってそこに居るだけでも神の御遣いの名は大いに役立っていた。

「そうだなぁ。もう、半年か」

 九峪は、感慨深げにそう呟く。

「ええ、耶麻台国を復興させ、藤那様が火魅子に即位されてから。もう、半年です」

 亜衣が、九峪をじと目で見る。言葉とは裏腹に、亜衣の口調に九峪のような感慨深げな響きはあまり無い。どちらかと言えば、まるで事半ばで破れたような悔しさがにじみ出ていた。

 耶牟原城を落とした次の日、次の火魅子に選ばれたのは藤那だった。無論、九峪が直々に選んだわけではないのだが。それまで、周囲から九峪こそが次の火魅子を選ぶものだと考えられていたため、乳兄弟の星華の火魅子即位に命をかけていた亜衣からは、その日以来九峪は目には見えないプレッシャーを受け続けていた。

「うぅ、そんな恨みがましい目をするなよ。俺のせいじゃないんだから」

 こちらの世界に来て、はや二年と半年。九峪も幾多の激戦を潜り抜け、神の御遣いの名に恥ずかしくない程度の風格を身につけてはいた。それでも、思わず冷血爬虫類を想起させる亜衣の冷たい視線の前では、背中に冷たいモノが滑り落ちて行くような感覚を覚えずにはいられなかった。

「……まあ、そうなんですが」

 亜衣も、キョウに説明を受けしぶしぶながら納得はしていたのだが、それでも悔しいものは悔しいのだから仕方ない。

「ほら、星華だって仕方ないって言っていたし。もう、さ」

「……」

「じゃ、じゃあ。俺はこれで」

「……はい」

(やれやれ、亜衣の執念にも困ったもんだな)

 何やら怨念のこもった視線に見送られ九峪は、内心の苦笑と共に執務室から出た。

(……半年、半年か)

 亜衣の言葉に触発されたのか、九峪は一人広い廊下を歩きながら、あの日の事をつらつらと思い出していた。

 あの日、九峪は目の前に突如現れた光の柱を目の前にして、この世界に残る事を選んだ。あの時の決断を後悔しているわけではないが、それでもやはり時々自分が捨てた世界の事を忘れる事ができるモノでもなかった。

 二話まで見たTVドラマの続き、発売を心待ちにしていたCD、学校の友人との約束、両親、そして何より日魅子の事。

「あ、九峪様」

 九峪の思考は、出口の見えない思考迷宮の一歩手前で若い女性の声で現実に呼び戻された。

「やあ、伊万里。仕事の方は終わったのかい」

 九峪が振り向くと、そこには目の覚めるような赤の鎧を身につけた伊万里が、慎ましげな笑顔を浮べてゆっくりと近づいてきていた。

 元火魅子候補の伊万里は今、耶麻台国軍の一翼を担う将軍として城に残っていた。

 他の元火魅子候補達もそれぞれ重要な役職に就き、耶麻台国の為に働いていた。もっとも、いくら元とはいえ火魅子候補が、各地に点在すれば後々要らぬ騒乱の元になるのではないかという政治的判断もあっての事だった。

「ええ、大丈夫です。それより、今日はどうしましょうか?」

 伊万里は、どこまでも礼儀正しく九峪に接する。九峪に隔意を持っているわけではなく。伊万里の一途な真面目さの現れだった。少なくても、耶牟原城にいる間伊万里はこの態度を崩す事はほとんどない。

「うん、じゃあ。頼もうかな」

「それでは……」



 ガキ、ガキ、ガチッ



 金属の撃ち合う音が、夕闇迫る耶牟原城に響き渡る。九峪と伊万里は今や半ばまでその姿を隠した太陽に赤く彩られ、手に刃を潰した刀を構え相対していた。もっとも、二人の様子はかなり異なるモノだったが。

「はぁはぁはぁはぁ」

「どうしました、もう息が上がりましたか?」

 すでに肩で大きく息をしている九峪とは対照的に、伊万里の方は微塵の乱れも見えない。刀を正眼に構え、余裕の表情で九峪を見ている。

 九峪は、戦が終わった今でも暇を見つけては剣術の稽古を続けていた。少なくても、この世界に残る事を選択した以上、ある程度の体力と剣術は必要不可欠だと判断したからだった。

「はぁはぁはぁ、まだまだ」

「では、もう一手」

 九峪が何とか荒い息を落ち着けると、目の前で自分に向かって刀を構えている伊万里をしっかりと見据えた。

(綺麗だよな……、やっぱり)

 九峪は、まるでその場とは関係無い事を思わず考えてしまった。それほど、夕焼け全身に受け刀を正眼に構える伊万里はいつもにまして凛とした美しさを放っていた。

「どうかしましたか?」

「い、いや。いくぞ」

 九峪は、頭を振って余計な考えを振り払う。

「はい」

「いやぁぁぁっぁぁ」

 剣先の探り合いを数度繰り返した後、九峪は思いきり刀を振りかぶると、九峪なりの裂帛の気合と共に切りかかった。無論、九峪とてこんな力技が通じると思ったわけではなかった。本命は、伊万里が後ろ又は左右によけた後の胴薙ぎだった。

「甘いですよ」

 伊万里が微笑むのが、九峪の視界を捉えた。それだけで、九峪が自分の策がやぶれさったのを理解するには十分だった。



 ガキ



「う、わぁぁぁぁ」

 右肩を狙った九峪の渾身の一撃を、伊万里は避けるどころか前に出て易々と刀で受けてみせた。挙句、剣ごと九峪の体は地面に跳ね飛ばされた。

「ま、まいった」

「ふふふ。でも、だいぶ良くなってきましたよ。九峪様」

 地面に尻餅をついて情けない声を出す九峪を、伊万里が笑って手を差し出してくれた。

「そ、そうかな。こう、やられっぱなしだとなぁ……」

 実感がわかない、と続けようとした九峪の体に柔らかな物体が突然抱きついて来た。

「そりゃあ、仕方ないよ〜。九峪様」

「うあわ」

 九峪は、頭の側頭部に極上の柔らかさをもつ二つの塊を押しつけられ、思わず情けない声を上げた。

「なっ」

「だ〜って、伊万里は子供の頃から剣を習ってきた訳だし。すぐに勝てる様にはならないって」

「こ、こら」

 九峪が、視線を上に向けると、案にたがわず伊万里の乳兄弟の上乃の無邪気な笑顔があった。伊万里はというと、今までの落ち着き払った態度を一変させ、おたおたと怒っているような恥ずかしがっているのか顔を夕焼けのみならず赤くさせていた。

「そ、そうだよなぁ」

 耶麻台国において、こと胸の話となれば香蘭と星華がその大きさで双璧を争っているのだが。上乃も十分な大きさと弾力性を誇っていた。

「は、離れなさい」

「ぶ〜、いいじゃない。今まで伊万里が独占してたんだから、少しぐらい」

 上乃は、九峪を放さずまるで嫌々と胸に九峪の頭を抱いたまま体を左右に揺すった。無論、その度に九峪の両頬に胸が当たり、九峪としてはその弾力と張りを充分過ぎるほど堪能することになった。

(……ご、極楽)

 伊万里がいる手前、九峪は何とか鼻の下が伸びきるのを我慢するのに手いっぱいだった。

「ど、どくせんって、私は、そ、そんなつもりは」

「あ〜、伊万里。顔真っ赤だよ〜。ふふふ、図星?」

「な、なっなっ」

 思わず伊万里は、ボディブローを食らったボクサーの様にあとずさる。

「あ〜ん、九峪さま〜。伊万里、ここ痛いの〜。見て〜。ははは、見せてごらん、伊万里。ここかな。いいえ、もっと下です。そうかそうか。きゃ〜、二人とも大胆〜」

 上乃は、九峪を放すと身をくねらせ、わざわざ声色まで使って一人芝居をしてみせる。

「きーーーーーー」

「えへへへ、ここまでおいで〜」

「じゃ、じゃあ、俺はこれで」

 我慢の限界だったのか、耳まで真っ赤に染め上げて上乃に飛び付く伊万里を尻目に、九峪はその場を逃げる様に立ち去った。

「あ、九峪様」

「え〜」

 二人ともその言葉に驚いて、振り向いた時にはすでに九峪の姿はなくなっていた。

(ふ〜、二人とも変わらないのがいいのか、悪いのか。でも……)

 廊下を急ぎ足で歩きながらも、みずみずしい感触を思い出してどうしようもなく顔の緩む九峪だった。

「九峪様」

 声を掛けられて、振り向くとそこにはいつものように珠洲を連れた元火魅子候補の志乃が九峪に向かって歩み寄ってきていた。

 志乃は、今亡き実父の後を継ぐかのように宮廷雅楽団の復興に力を注いでいた。そして、その裏では乱破や山人といった者を使った情報収拾の長を努めていた。

「やあ、志乃。それに、珠洲」

「お仕事の方は終わりになられたのですか?」

 涼やかな目元で、柔らかな笑みを浮べながらも志乃はどこか艶っぽい。九峪などは、こうやって志乃に笑いかけられると亜衣との視線とはまるで違うぞくぞくとしたモノを背中に感じるのだった。

「ああ、もう峠は越えたからね、うん。そっちは?」

「ええ、だいぶ元雅楽団の方達も戻ってきていますし、あちらの方も清端さんがいらっしゃいますから」

「まったく、清端がもう一つの方を引き受けてくれれば苦労も少なかったのになぁ」

 九峪は本来、そういった仕事は清端に全て任せるつもりだったのだが、清端がそれを断り一乱破でいる事にこだわったため、志乃にお鉢が回ってきたモノだった。

 もっとも、今では志乃は見事に国を越えた諜報網を作り上げていた。それは内外のゴシップから軍事機密まで手に入らないものはないとのもっぱらの評判だった。

「……」

「何だ、珠洲」

 普段なら、会った途端嫌味の一つも飛ばすはずの珠洲が黙り込んで九峪を睨み付けていた。

 珠洲の九峪嫌いは、戦が終わった今でも収まってはいない。というか、以前にも増して敵意を剥き出すようになっていた。

「……すけべな顔してる」

「なっ」

 思わず九峪は、両手で顔を覆う。

「こ、こら。珠洲」

「どうして、そんな顔するの。志乃がかわいそう」

「へ?」

 九峪は、思わぬ形での攻撃に間抜けな声を出した。

「す、珠洲」

 志乃は、慌てて珠洲の体を掴む。だが、珠洲は何故か涙目で九峪を睨み付け、攻撃をやめようとはしない。

「いい、九峪様。私は認めたわけじゃないんだから。志乃がど〜〜〜〜〜〜〜しても、あんたじゃなきゃ駄目って顔して」

 ぼぎ



「きゅ〜」

 志乃の拳固が珠洲の頭に鈍い音と共に叩きこまれ、珠洲の体はまるで九峪に向かって土下座でもするような形で前のめりに崩れ落ちた。

「す、すみません、九峪様。この子、どうにも気が動転してるみたいで。なんだか、訳のわからない事口走りましたけど」 志乃は、日頃の沈着冷静さが嘘のような早口で九峪にそう弁解じみた言葉を並べ立てる。心なしか頬も朱をさしたように赤みがかかっていた。

「……あ、ああ」

「この子が言った事気にしないでくださいね。ほんと〜〜〜〜に、何でもないですから」

「あぁ、わかった」

「そ、それでは」

 志乃が、目を廻して倒れている珠洲の襟元を掴むとそのまま引きずっていってしまった。

「なんだったんだ、あれは」

「隅におけませんな、九峪様」

 呆然として二人を見送った九峪の胸の高さに、ひょこっと小さな頭が生えた。

「なっ、只深か」

「う〜ん、志乃さんもか、これは気が抜けませんわ」

 何やら、うんうんとしきりに一人只深は頷いている。

 やはり元火魅子候補の一人である只深は、今や世界一の商人の道を捨て、耶麻台国の財政を一手に引き受け活躍している。今や只深の夢は、耶麻台国を世界一の貿易大国にまで育て上げる事に変わっていた。

「何の事だ、そりゃあ」

「いえいえ、こちらの事です。それより、親父殿からの手紙が何故か九峪様に来ているんですわ」

 そう言うと、只深は九峪に一つの封書を差し出す。

「そ、そうか。ありがとう」

 九峪は、まるで引っ手繰るように封書を掴むと、曖昧きわまる貼り付けたような笑みを浮べ、その場から逃げ出そうとした。もっとも、好奇心で目を凛々と輝かせている只深がそんな態度で逃げを打つ九峪を逃がすわけが無い。

「それはいいんですけど、なんです。うちの親父殿からの手紙って」

「い、いや、何でもないんだ、何でも。ははははは」

「えらい、うさんくさいんですけど」

 手紙というのは無論、紙で出来ている。この時代紙は非常に貴重品だ。それを使ってやり取りするからには、かなりの重要な要件に違いない。しかも、只深に言伝を頼まないというのはその内容を知らせたくないと言う事を意味している。

「ほ、ほら、借金の事でさ」

「それなら、なおさらうちを通してもらわんと」

「い、いや、たいしたことじゃないし。じゃあ」

 遂に只深の追求に耐え切れなくなった九峪は、くるりと後ろを向くとそのまま走り去ってしまった。

「あ、九峪様。う〜ん、ええ茶入ったんで誘おうと思ったのに」

「何や、只深。空振りか。なっさけないの〜、せっかく色気づいてきたのにの〜」

 どこからとも無く、ひょっこりと伊部が現れると只深の横に寄り添った。魔人にも匹敵する力を持つ伊部だからこそできる技だが、もうすっかりと馴れている只深がこの程度で驚くわけが無い。

「うるさいわ」

「いぃいぃぃぃ、ひ、ひどいで、只深」

 怒声と共に只深は、伊部の丸太のような脛を思いきり蹴り上げた。そして、大げさに痛がる伊部を無視してさっさと立ち去ってしまった。

「……やれやれ、お嬢の春は遠いか」

 只深の姿が廊下の角に消えたのを確認して、伊部は痛がっていたはずの脚を何事も無かったかのように下ろした。そして、只深の為に人知れず溜息をつくのだった。

 二人から、少し離れた所で九峪は立ち止まっていた。

「ふー、危ないとこだった」

(これを知られたら、後々面倒だからなぁ……)

 九峪は、先ほど只深から受け取った書簡を見て、安堵の溜息をついた。

「何が危ないんです」

「うわーーーーーーーー」

 不意に声を掛けられて、九峪は思わず飛び上がってしまった。

「く、九峪様?」

「な、なんだ。星華か」

 そこには、右手を中途半端に上げたまま驚いたように九峪を見ている星華の姿があった。

 星華は、巫女を束ねる巫女長を務めていた。これは天空人の初代火魅子が起こしたとされる耶麻台国にとって、火魅子に次ぐ地位だった。星華自身、復興軍当初から参加しその地位が高いという事もあったが、彼女が有力な豪族である宗像氏との強い繋がりを持っているという事も強く働いた上の人事だった。

「はぁ。どうしたんですか、そんなに汗をかいて」

「い、いや。はははは」

「まさか、また亜衣が」

「い、いや。違う、違う」

「申し訳ありません。亜衣は私が火魅子に即位する事に命をかけていたので」

 九峪は、今日に限らず藤那が火魅子の座に就いた時から向けられている亜衣の視線を思い出して思わず苦笑をもらした。

「やっぱり」

 九峪の仕草を肯定と取ったのか、星華はまなじりを吊り上げた。星華自身、火魅子選ばれなかった時はそれは悔しかったが、今となってはもう亜衣ほどの未練は持ってはいなかった。それより、自身の仕事をせえいっぱいして国に仕える事こそ王族の義務だと半ば開き直っていた。

「まあ、ねえ。けど、うん。これは本当に違うから」

「そうですか?」

「本当、本当。まあ、ちょっとは言われたけどね」

「まったく、本当に亜衣ったら」

「ははははははは」

 乾いた笑いを浮べるしかない九峪だった。

「あら、それは一体?」

 星華が、目ざとく九峪の右手に持った封書を発見する。

「え、いや、何でも無いんだ。じゃ、じゃあね」

「く、九峪様」

 九峪は、封書を胸に抱え、星華の制止を振り切るように立ち去ってしまった。

「だめじゃないですか、星華様」

「そ〜〜だよ〜、御夕食に御誘いするんじゃなかったのぉ〜。亜衣姉様怒るよ〜」

 九峪が、立ち去ったのを見計らった様に星華の後ろから夷緒と羽江がひょこりと顔を出す。

「だ、だって、なかなか。こうきっかけが」

「う〜ん、それはそうですけど……。いいんですか、火魅子様の地位のみならず九峪様まで誰かに奪われても」

「そうだよ〜、ライバル。い〜〜〜〜っぱいいるんだから」

 戦も終わり九峪が総大将の地位から降り、藤那が火魅子の地位に就いた今でも亜衣は星華と九峪をくっつけることを諦めてはいなかった。何と言っても九峪は神の御遣いであり、今でも暗然と火魅子につぐ地位を誇っているのだ。もし仮に、九峪を星華とくっつければ、もはや星華の地位も宗像一族の地位も揺るぎないものになるのは必定だからであった。

「うぅぅ、そ、そういう、夷緒はどうなの?」

 また、宗像氏としては火魅子の座が決まった以上、別に九峪とくっつくのは星華でなくてもいいのも必定だった。そう、宗像の誰かでさえあれば……。

「へ?い、いえ〜、わ、わたしは、その〜」

 思わない指摘に夷緒の顔は、みるみるうちに真っ赤になってしまう。

「わたし〜、わたしも。九峪様好きだよ〜」

 羽江は、「九峪様好き」と連呼しながらピョンピョンと飛び跳ねるが、二人ともまるで取り合わない。

「そうなのよね〜。亜衣だってわからないし……。うん、がんばらなきゃ」

 星華は、雲霞のように思い浮かぶライバル達の顔を思い出してめらめらとやる気を出すのだった。

「やれやれ、どうしてこう今日に限って、みんな俺に会いに来るんだ?」

またもや、その場から逃げ出す様な形になってしまった九峪は思わず出てもいない汗を腕でぬぐう。

「あれ、九峪様」

「……ああ、香蘭か」

 声がした方に九峪が目を向けると、いつものように魏服に身を包んだ香蘭が中庭で空手の型のような格好をしたまま、首だけを曲げてこちらを見ていた。

 香蘭は、母紅玉と共に耶麻台国に腰を下ろす事を決めてからすぐに耶牟原城下に道場を開いていた。また、伊万里と同様耶麻台国軍の将軍としての職務に励んでもいる。因みに、周りの心配をよそに開かれた道場の方はかなりの盛況を誇っていた。もっとも、紅玉と香蘭の姿見たさの男共がその大半だったのだが。

「どうかしたか? そんなげっそりとした顔して」

「いや、まあ、色々とね」

「そうか、でも元気なのが一番。そうだ、鍛錬元気出る。これから、いっしょにどう」

「い、いや、あの遠慮しとくよ」

 九峪の顔を冷たい汗が一滴流れ落ちる。さすがに来た当初に比べれば体力も付き、剣術の腕もそこそこついてきた九峪だったが、低級とはいえ魔人をも倒す武術の達人である香蘭に敵う訳も無い。また、香蘭も今一つ手加減というものが苦手だ。生傷の一つや二つでは済まない事は必定である。

「ああ、遠慮いいよ。元気でる」

 九峪の本音を知ってか知らずか、あくまで香蘭は無邪気な笑顔のまま近づいてくる。

「あ、あの、その、ああそうだ。大事な用事を思い出した、ごめん。すぐいかなきゃ」

「そうか、それとても残念。香蘭、九峪様と、鍛錬したかった」

まるで、風船の空気が抜け出た様にしよしよと香蘭は肩を下ろしまう。良くも悪くも、香蘭は感情の起伏がもろに表に出てしまう人間だった。

「あぁ、そんな泣きそうな顔するなよ。今度、必ず付き合うから」

「ほんとか、九峪様」

 先ほどまでの落胆ぶりが嘘のように、香蘭がまぶしいばかりの笑みを浮べた。

(……うっ)

 心の中で自分の失言に思わずうめいた九峪だったが、無邪気に満面の笑みを浮べる香蘭に向かって、今更取り消す事もできなかった。

「……ああ、じゃあ。また」

 とにかく、うめくようにそう言うしかない九峪だった。

「はい、楽しみに、してるよ」

 香蘭は、現代で言うスキップに近いような浮かれた足取りで立ち去っていく。一方、九峪はまた増えた厄介事に頭を悩ませていた。

「困ったな〜、どうしよう」

「どうした、九峪」

 今日何度目かの若い女性の声に九峪が振り向くと、そこには九峪の想像通りの人物が立っていた。何といっても、今耶牟原城の中で九峪を呼び捨てにする事が出来るのは二人しかいない。

「ああ、藤那、いや……火魅子かな」

 思った通り、そこには二人ほど御付きの女性を連れて今や火魅子となり、耶麻台国の女王となった藤那が威風堂々と立っていた。

 火魅子になって半年、藤那は大過なく女王の職務を果たしていた。本来各地の豪族達との接点を持たず拠って立つ基盤が貧弱なはずの藤那が大過無く職務を果たせるのは、ほとんど豪族達の力を借りることなく復興を果たしたという事実があるからだった。また、有力な豪族である宗像氏が早くに新女王支持を打ち出した事もあって藤那の基盤は、今や揺るぎの無いものになりつつあった。

「普段は藤那でいいよ。火魅子はあくまで役職名みたいなものさ」

 藤那は、右手で御付きの二人を下がらせると、かしこまって頭を下げている九峪にそう笑いかけた。

「そうか、助かるよ」

 九峪にとって、火魅子という名を呼ぶのはどうにも辛い作業だった。

「……それに、藤那と呼んでくれる人がいなくなるのは寂しいからな」

 普段厚顔無恥を地で行くような藤那にしては、実に珍しくどこか寂しげな声を藤那は出した。

「閑谷がいるだろ」

「だめだ。あいつが一番、火魅子という名にこだわっているな。どうにも、自分がけじめをつけなきゃだめだと考えてるみたいでな」

「そういうものか」

「ああ、それにあいつ、この頃珠洲と仲が良いみたいでな」

「へ〜、珠洲とねぇ」

 誰にでも勝気で、志乃にしか関心がなさそうな珠洲と、気弱でいつでも藤那の側を離れなかった閑谷の組み合わせと言うのは、九峪にとってはかなり意外の取り合わせだった。正直、九峪には二人が楽しそうに喋ったり遊んだりしている姿は思い浮かばない。もっとも、閑谷が珠洲に言い様に弄ばれる姿は何故か鮮明に想像できたのだったが。

「こういうのを、母親の気分とでもいうのかな?」

「い、いや、どうかなぁ」

 何やら、神妙な顔で考え込む藤那だったが。閑谷の気持ちを知っている九峪としては、何とも答えづらい質問だった。

「それで、九峪はなんであんな沈んだ顔していたんだ」

「……いや、それが」

 九峪は、取り敢えず香蘭との経緯を話した。

「はははっははははは」

「笑い事じゃないんだよ」

 憤然として抗議する九峪だったが、もとよりそんなものを藤那が気にする訳がない。

「自業自得だ。後は忌瀬に任せるしかないな」

「はぁ〜」

 アバラ骨のニ三本持っていかれ、忌瀬の元に運び込まれる自分の姿を思い浮かべて、九峪は深刻そうに大きく溜息をついた。

「そう、辛気臭い顔するな。どうだ、酒でも付き合わないか?今宵は月も綺麗だ。つまみにも困らんぞ」

「いや、悪いけど。今日は何か疲れたんだ。また、今度な」

「そうか、では気が向いたら来てくれ。いつもの所で飲んでいるからな」

 いつもはこと酒宴という事に関しては、しつこい藤那があっさりと九峪を解放した。さすがに、何やらぐったりと疲れた様子の九峪を無理に誘うのは、藤那としても心苦しかった。

「お帰り、九峪」

 とぼとぼと自室に戻った九峪を向かえたのは、自称耶麻台国神器の一つ天魔鏡の精キョウだった。彼が、火魅子となった藤那と並んで九峪を呼び捨てに出来るもう一人の存在だったが。ぬいぐるみとほとんど変わらない大きさで、宙にぷかぷかと浮かんでいるその姿に威厳の欠片もうかがう事はできない。

「いいな、お前は悩みなさそうで……」

 九峪は、どっかりと床机に腰を下ろした。

「ぶ〜、何だよ、それ。僕はこう見えても、天魔鏡の精として常にこの耶麻台国の未来を考えてるんだよ」

「そうか、そうか」

 キョウは、手足をばたつかせ抗議するが、九峪はやる気なさげに手を振って答えるだけだった。

「なんか気になるな、その態度」

「気にするなよ」

「……ねぇ、九峪」

 不意にキョウが、九峪を見据えると口調を改めた。

「ん、なんだよ、急に真面目になって」

「どうして、自分の世界に帰らなかったの?」

「……なんだ、また唐突な奴だな」

「ず〜っと、気になってたんだ。だって、九峪は自分の世界に帰る為にあれだけ頑張ったんじゃないか。神の御遣いなんて名乗ってさ」

「……」

「日魅子が待ってるんじゃないの?それとも……」

「忘れてなんていやしないよ」

 九峪は、今まで床机に持たれかかっていた体をゆっくりと起こした。

「じゃあ、なんで?」

「……なんて言えばいいのかな。自分でもよくわからないんだ。ただあの時、突然目の前に光の柱が出来て、ああこれで自分の世界に戻れるんだと思ったらさ」

「うん」

 正直な話、キョウ自身目の前で時の御柱が動きだした時は誰よりも驚いていた。そしてあの瞬間、九峪が鈴を投げるまで九峪は絶対に帰るだろうと思ってもいた。

「みんなの顔が浮かんできて、いままでやってきた事も浮かんできてさ。これで、いいのかなって」

「どうしてさ」

 それがキョウにはよくわからなかった。九峪はあくまで自分が元の世界に戻る為にだけ頑張ってきたはずだだった。この世界に残る理由なんて何一つ見つける事はできなかった。

「たとえば、俺はいままで色んな命令を出してきたよな。それで、まあ最終的には俺達が勝つ事が出来たわけだよ」

「うん、九峪には感謝してるし、感心してるよ。まさか、こ〜んな間違えてこっちに連れて来たすけべな顔した九峪が、耶麻台国を復興させるなんて」

 これは、キョウにとっては偽らざる本心だった。だが、九峪にとってはまた違う。

「ほ〜」

 九峪は、キョウを睨み付ける。

「い、いや、その、あの、続けて続けて」

「ちっ、まあいいか。だからさ、戦をしてきたっていうことは、俺の命令で沢山の人が死んだってことだろ」

「あっ」

「なんていうかさ、その人達の事を考えたらさ。俺にはこの国に平和にする義務があるんじゃないかと思ってさ。その人達は俺にその事を期待して死んでいってくれたんじゃないかって思ったんだ」

 九峪が思い出す九州兵のほとんどが、気楽で気さくな顔をしたいかにも農民という人々ばかりだった。とても、自ら剣を握る人々ではなかった。その人々を戦場に走らせたのは自分に責任があるように思えてならないのだった。

「その一人一人には、家族がいて、恋人がいて、帰るべき故郷があったはずだろ。それを捨ててまで、働いてくれた人に俺は報いる事が出来たのかなって思うとさ」

 一人安逸な世界に戻る事への罪悪感。それは、戦の末期を迎える辺りから常に九峪を掴んで放さなかった。考えても仕方が無い事だといくら頭で思ってみても、それはどうしようもなく頭を過った。

「……じゃあ、その責任感だけでここに残ったの」

「……いや、違うと思うよ。やっぱり、何と言っても結局俺はこの世界、いやこの国とここに住む人達がどうしようもなく好きなってしまったんだと思うな」

 そう言いながらも、九峪はまた違う罪悪感を覚えずにはいられなかった。九峪が捨てた世界には、九峪を待っていてくれた人達がいたはずなのだ。

 日魅子、両親、友達、先生。考えれば切りもなく顔が九峪の脳裏には浮かんでくる。悪い事をしたと思う。何も言えず、何も知らせる事も出来ず、九峪はあの世界から消えたのだから。さぞや、心配をしてくれているだろうと。連絡の一本でもつけばいいのにと思うが。そんなものが取れるわけもない。

 唯一、あの鈴だけでも現代に届いてくれる事を祈る事しか九峪には出来なかった。そしてもし、あの鈴が現代に届いて日魅子の手に渡れば、自分の意思の少しはあちらに届くのではないかと、九峪は思っていた。

「……」

「そんな顔するなよ。結局、選んだのは俺なんだからさ」

 辛そうに顔を歪めるキョウを、九峪はバシリと平手で叩く。そして、迷いを吹っ切った清々しい笑みを九峪は浮べた。

「九峪ぃ」

「それに、きっと……」

 九峪が再び口を開くとしたその瞬間、九峪の部屋の扉が勢いよく開かれた。

「お〜い、九峪入るぞ〜。酒につきあえ〜、火魅子命令だ〜」

「ふ、藤那」

「じゃあ、私もお付き合いします」

「志乃は飲んじゃ駄目」

「志乃、珠洲」

「私達も飲む〜、行こ行こ。九峪様〜」

「こ、こら。上乃、失礼だろ」

「上乃、伊万里も」

「酒が駄目なら、ええ茶入ってます。どうでっか?」

「只深」

「私も飲みます」

「そうです、ここは押しの一手ですよ星華様」

「……聞こえてますよ、姉様」

「GO〜GO〜」

「星華、亜衣、夷緒。それに羽江まで」

「酒か、いいね。香蘭も付き合うよ」

「……香蘭」

 次々と、部屋に入ってくる彼女達を見て、九峪は照れたように髪の毛を掻いた。

(……それに、後悔してる暇もないみたいだしな)

「よし、いっちょ飲み開かすか〜」

「「やった〜」」

 その場にいる全員の声が綺麗にそろう。

 その夜、耶牟原城から笑い声と明かりが消える事はなかった。



                                   〜了〜



 注意書き 「志乃」と「夷緒」の名前は故意にゲームの漢字を採用させていただきました。



 後書き



 はじめまして、BBSやチャット等に一度も書きこみをしなかったので、これが本当にはじめましてとなります。高野浩平と申します。よしなにお願いいたします。

 そして、このような拙い限りの小説を読んでいただき、本当にありがとうございます。

 私、二次創作を書いたのはこれが始めてなので本当に皆さんに読んでいただけるようなモノになっているか非常に不安なのですが、どうでしたでしょうか?

 あつかましいながら、できれば感想など送って頂けますと本当に感謝感激であります。

 少し書いたものにも言及します。できれば、読み終わってから読んでください。

 満足している点。火魅子候補のお嬢さん方は全て出す事が出来ました。キャラの書き分けがなってない上、描写がありませんが、皆さんの方が姿形は知っているだろうという事もあり省略させていただきました。

 後悔している点。清端と天目さんを出せなかった事です。あぁ、あと音羽さんも。何故か伊部は出てるのに……。何故でしょうか? 自分でもよくわかりません。

 後は、作品そのものが元小説の色々な場面の継接ぎのようになってしまった事でしょうか。あれもこれもどこかで見たことあるような……。自分で書いてなんですが、ちょっと酷いです。あんまり、怒らないでください。

 色々と後悔する事はあるのですが、読んでいただけた方が少しでも面白いと思っていただけたなら、これに優る喜びはありません。

 読んでいただきありがとうございました。



 Ver.1.21の後書き



 はい、改訂版です。Ver.1.21というのはただのお遊びですので、気にしないでください。

 内容にはほとんど手を加えてはいません。誤字と文章的にどうか? という所に手を入れたものです。



 高瀬さん、ありがとうございます。真剣に読んでもらえているんだ、と改めて身が引き締まります。また、ありましたらバリバリ書いてください。

 また、二度手間をおかけする事になった雁山さん、すみません。そして、ありがとうございます。