伊雅という男
また一人、部下が死んだ。
感傷に浸っている暇はない。仕方のない事なのだ。彼らはそのためにいるのだ。自分の命よりも大事なものを守るために、いるのだから。
私の腕の中で眠る、姫神子様のために。
もうすぐだ。もうすぐ追っ手もふりきれる。そうすればとりあえずは安全だ。
休息し、体力を取り戻し、死んでいった者へ追悼の意を表して――
「伊雅様――!」
名を呼ばれる。彼女が何を言いたいのかは、わかっていた。
追っ手の中に、一つ、異常な気配が混じっている。怪しい、この世ならざる者の気配だ。
「左道か」
「おそらくは」
どうやら、休息はまだ先になりそうだ。
火魅子伝
伊雅という男
「うおおぉぉおおりゃああぁぁあぁあ!!!」
燃え盛る炎の中――雄たけびが響き、また一匹、魔獣が闇へと還える。
――――まったく。一体、何匹倒せば気がすむのか。
「たいした実力だよ、元耶麻台国副王・伊雅よ」
たたずむ初老の男を前に、言う。驚嘆と、嘲りと、侮蔑と……そして、わずかに敬意をこめて。
「我が軍にも、貴様ほどの者はそうはおらぬ」
「お褒めにあずかり、光栄だ」
軽口をたたく。まだ、余裕があるのか。
それとも、単なる虚勢か。
「だが、わしも遊ぶわけにもいかんのでな。時間もない。カタをつけさせてもらおう」
左手を、前に。
魔力をもちい、呪を紡ぐ。
混沌の底にたたずみ眠りし大いなる獣よ
今、我が邪なる力の呼びかけに答えん
即席で行なえる中で、もっとも強力な召喚。
こいつの前では、さすがに奴といえども――
我が呼びかけに答えよ
さすれば、うまき血、うまき肉、うまき骨、全て汝のもの也
疾く来たれ
混沌の底、はいずりし者よ
呪が終わり――現われたのは、一匹の巨大な魔獣。
禍禍しい突起をいくつもはやし、緑の双眸を持つ、蛇のような獣。
滴るよだれが、地面を溶かし、煙を上げる。酸だ。
「――――行け」
それだけを命ずる。
『はいずりし者』はその巨体に似合わず素早く動き、あの男を一口に飲みこんだ。
……さすがに、反応しきれなんだか。
「終わったな」
それだけを呟き、猛り狂う魔獣から背をむけた。
まずい。
それだけが、頭に浮かぶ。否、それだけしか、浮かばない。
まずい、まずい、まずい、まずい、まずい……!
まさか、左道の力が――魔獣の力が、これほどとは。
誤算だった。油断だった。
魔獣を刀の錆にかえつつ、姫神子様を見る。
よく眠っている。このあまりにもひどい血臭にも、目覚めの兆候はない。
やはり、ただの赤子ではないのだ。
この子を守るためにも、逃げのびねばならぬというのに……!
「伊雅様!」
「なんだ!?」
声を荒げる。今はしゃべる気力も惜しかった。
「敵は私が引きつけます! その隙に伊雅様は脱出を!」
――――な!?
「ば、馬鹿を言うな! その様な事を――」
「このままではやられてしまいます!」
「し、しかし――」
「姫神子様を守る事が、我らの使命です。どうか――」
「…………」
そう――そうなのだ。我らは姫神子様を守りとおさねばならない。
個人的感情に振りまわされる時では――ないのだ。
「わかった。ここは任せる!」
「は!」
「……すまぬな」
謝ることしか、今の私には出来ない。
「清瑞を、よろしくお願いします」
無言で、うなずく。言葉を発せば、涙がこぼれる気がしたから。
私は、走り出した。
集中した。ただ、走る事のみに集中した。
「来なさい、魔獣ども! 私の命、そう簡単に獲れると思うな!」
悔しかった。むしょうに悔しかった。
力が――私にもっと、力があれば。
そうすれば、あやつは――
「……すまぬ!」
私はあの左道士の顔を脳裏に刻み付けた。
あの、骨しかない薄気味悪い顔を。
次に会ったときに、必ず、殺すために。
「キシャアアアアアアアアアア!」
魔獣の雄たけび――いや、これは雄たけびだろうか?
心なしか、悲鳴に聞こえるような……
怪訝に思い、振りかえる。
『はいずりし者』、その喉――そう表現していいのかはわからぬが――から、蒼い血が勢いよく吹き出している。その血の中で、かすかにきらめく鋼の輝き。
――――何故だ?
魔獣の中から出てくる、一人の男。
――――何故、そうまでして戦うというのだ!?
軽やかに、地面に降り立つ男。
――――あの時の女乱破もそうだ。勝てないとわかっておるのに、そのはずなのに、向かってきた!
こちらに疾走してくる男。
――――なにが。
雄たけびをあげる男。
――――なにが主らを、そこまで駆りたてるというのだ!?
奴は刀を振り上げ、渾身の力をこめて振り下ろす。
とっさにはった防御結界は、奴の覚悟を受けきるには、あまりに薄く、脆弱すぎた。
結界を引き裂いた刀が、そのまま肩口に吸い込まれる。
死を、確信した。
奴が、勝利を確信したように。
だが――――
かわゆいな。
あやつの忘れ形見の寝顔を見ながら、ふと、そんな事を思う。
やはり、あやつの面影がある。娘だから、当然か。
小さな頭に手を乗せ、髪を梳く。
気持ちよさそうに顔をほころばせる清瑞。滅多に笑わない子だが、今は確かに笑っていた。
「……すまぬな」
清瑞に向かい、謝る。
親の愛情を知らずに育ってしまった娘。
里の者を目の前で殺された娘。
感情の出し方を忘れてしまった娘。
どれだけ後悔しても、しきれぬ。
この子の母を死なせたのは、私なのだから。
「……すまぬ」
空を見上げ、あやつにも謝る。
娘を残して逝った母親。
私に姫神子を託して逝った母親。
魔獣に向かい、壮絶な最期を遂げたであろう母親。
どれだけ謝っても、許してはくれぬだろう。
あやつの命を奪ってまでして、姫神子様を守れなかったのだから。
この子のために、私は何をすればよいのだろうか?
あやつへの償いに、私は何をすればよいのだろうか?
耶麻台国の復興? あの左道士を殺す? この子を守りぬく?
それは当然の事だ。王族として。愛する者として。父として。
それだけで良いはずがない。それだけで、我が罪が浄化されるはずはない。
「うう……ん…………伊雅…様……」
……………いや。
今は、それでいい。
この子を守り抜く。それでいい。
いつか、裁きの刻は訪れよう。
それまでは、そう。
愛しい娘を守り抜く。
もう二度と、失いたくはないから。
もう二度と、あのような想いはしたくないから。
だから――――
今は、これで、いい。
パキイイィィィィィィィィィン
澄んだ音が、響いた。
一体何が起こったのか。すぐにはわからなかった。
奴が、わからなかったように。
振り下ろしきった奴の刀は、なかほどで欠けていた。
奴の刃が、折れている。
奴の刀が、折れている。
何が起きたのか、ようやく――数秒の時をもって、ようやく――理解した。
顔が――決して表情の出るはずのない顔が、笑みを形作るのを、確かに感じた。
現実を認識した男の顔が、絶望にゆがんだように。
今度こそ。
奴の死は、確実なものとなった。
歓喜の極みだった。
これを喜ばずしてどうするというのか。神の使いが降臨されたというのに!
私は歓喜の極みの中にいた。
どうして喜ばずにいられようか。天は耶麻台国の復興を望んでおられるのだ!
私は歓喜の激流にのみ込まれていた。
これほどの喜びを感じた事があろうか。私は答えを見つけたのだ!
私の罪。私の裁かれるべき大罪。
私の使命は、この方を守り抜くこと。私の贖罪は、この方に仇なす者を屠ること。
あの子のために。あやつのために。そして、私自身のために。
私は必ずや、この使命をまっとうして見せる!
男の骸に群がろうとする魔獣どもを押しとどめる。
何故、このような事を? わからぬ。自分でも。
心の中の自問を打ち消すがごとく、骸に語りかける。
「お主は、耶麻台刻副王だった男。炎(かぎろい)によって昇天するのが、一番ふさわしかろう」
何を言うのか。すでに人であることすらやめた者が。
肩口を、押さえる。思ったよりも、傷は深いようだ。
戦えぬほどではないのだが――――
「……まあ、よかろう」
きびすを返す。確かこの辺りには、国府城があったはず。
伊雅よ。貴様に免じて、今は見逃してやろう。お主が命をかけた奴らにも、興味はあるのでな。
燃え盛る村。男の骸に背をむき、歩き始める。
「情け、か。ずいぶんと人間くさいことを――」
呟きは、家の崩れる音にかき消されていた。
その男を見た瞬間――からだが、震えた。
恐怖ではない。これは、喜びだ。
目の前の、男の顔。どうして忘れずにいられようか。どうして見間違えようか。
紛れもない。あやつを殺めた、あの左道士だ!
天も、粋な計らいをしてくれる。
私をこの男と、再び巡り合わせてくれるとは。
「お逃げください、九峪様。ここは私に任せて。早く!」
「け、けど……」
「私の使命はあなたを守る事です。あなたが生き延びれば、まだ勝機はあります!」
同じような問答を、十年前にあやつとやった。その時は立場が違ったが……
なるほど。お前もあの時、このように思っていたのか?
「清瑞! 九峪様を頼んだぞ!」
「伊雅様!」
悪いな、清瑞。私は罪深い男だ。そして、身勝手な男なのだ。
最後の最期には、己の欲に従うのだから。たとえ、それが皆のためになったとしても。
今の私を突き動かすのは、使命感ではないのだから。
「――――様。蛇褐様!」
呼び声に、はっとした。どうやら、考えに浸っていたらしい。
いや、この場合、思い出と言うべきか。
まったく。つくづく、人間くさい。
「どうした?」
「敵軍、城内に侵入しました。その勢いはとどまる所を知らず」
「回青殿は?」
「回青様は討ち死に。残党はまだ奮戦しておりますが、それも時間の問題かと」
残るは我が軍だけ、ということか。
「全軍に伝令。出撃準備」
「はっ」
まったく。天も粋な計らいをしてくれる。
「あの時の感傷が、このような結果になろうとは、な」
声に出した事に気付いたのは、少したった後だった。
ここに来るのは、誰だろうか。
耶麻台軍の総大将か。それとも、その片腕の女乱破だろうか。
どちらでもよい。どちらでも構わぬ。
その四肢を引き裂き、魔人の贄とするとにかわりはないのだから。
「蛇褐様。準備、整いましてございます」
「わかった」
伊雅よ。お主が命をかけた耶麻台刻復興の希望の光は、ここまで大きくなった。
その最後に立ちはだかるのがこのわしとは、なんとも皮肉だとは思わぬか?
「全軍――出撃!!」
お主の希望の光、わしがこの手で、消し去ってやろうではないか。
汝の魂に、永遠の絶望があらんことを
後書きという名の戯言
どうも、お久しぶりです。桜華です。
受験そっちのけで書いてしまいました、この話。割と気に入っていたりします。暗いし(笑)。
私、実はダークストーリーって好きなんですよ。友人に言わせれば、「三度のメシよりも人が死ぬ方が好きな奴」らしいです。人を殺したことはありませんよ、念のため。
しかし、いいのかなあ、受験。いや、いいんだ。どうせセンターがぼろぼろだったし。レベル落とす気ないし。もう浪人決定! さ〜て、塾はどこ逝こうかなあ?(誤字にあらず)
この作品に関して、あまり語るつもりはありません。私自身ワケわかんないし。もうちょっと伊雅の性格や人生観は違うと思うんだが……
皆さんはどう思いますか?
さてさて、次回は……なんにしようかな? ちょっとしたシリーズとか? まだなんともいえません。ごめんなさい。
以下は本当の戯言です。なんとなくやってみました。これに関する感想も教えてくだされば嬉しいです。
それでは、また。
大きな桜の木の下で 〜座談会〜
桜華「ふう。おわったおわった」
九谷「なんか時系列めちゃくちゃだなあ、今回」
桜「うっ! それは言わないで」
九「しかも最初に書いたのとずいぶん違うし」
桜「はううっ! いや、それにはちゃんとした理由があるんだ」
九「ほほう。なんの?」
桜「電波を拾った」
九「はい?」
桜「紙に書いてる時に、いきなり蛇褐が「わしにも喋らせろ!」って脅しかけてきて。
で、蛇褐の一人称で通したら、今度は伊雅が「わしが主役だぞ!」って文句たれてきてさあ」
九「…………それで、こうなったと?」
桜「ウン」
九「やべえんじゃねえの、お前?」
桜「そうかも。受験でずいぶんとストレスたまってたからなあ」
九「まあ、お前の健康状態なんざどうでもいいんだ。作品の話だよ、作品の」
桜「この話の話がどうかした?」
九「だあああ! ややこしい言いまわしすんな!
でもこの話、小説とゲームがごっちゃになってねえか?」
桜「ウン。だってそうしたんだもの」
九「なんでまた。電波か?」
桜「それもあるけど……」
九「あるのか!?」
桜「ゲーム版の二人のポジションを整理してみたんだ。
そしたらさあ、二人ともチョイ役なんだよね、正直言って。
伊雅様は序盤でお前を逃がすためだけに死んじゃうから、性格もなにもあったもんじゃない。
蛇褐は蛇褐で、序盤以降の絡みを期待してたら最後まで出てこないし。
ならいっそのこと、小説の設定をもってきちゃえ!って」
九「めちゃくちゃだなあ、おい」
桜「世の中そんなもんすよ」
九「ま、いいや。ところで、次は何するつもりだ?」
桜「う〜ん、考え中。要望があれば、『九峪の受難』を――」
九「それはやめろ!」
桜「なんで?」
九「俺が痛い目見るだけじゃねえか、あの話!」
桜「だって受難だし。それにおいしい目にもあってると思うんだが」
九「とにかく、あれはやめろ! いいか、メールが来ても書くんじゃねえぞ!
じゃねえと、おめえのヴァルキリー・プロファイルのデータ全部消すからな!」
桜「それはいやああ!!!
うう、わかった。要望が来ても書かない」
九「よし」
桜「その代わり、ネタが浮かんだら要望がなくてもすぐに――」
九「それをやめいっちゅうとるんじゃああぁぁぁぁ!!!」
ザシュッ!
桜「ぶげらぱ!」
バタン――
九「フウ、フウ。ようやく静かになったか。
まったく。二度とあんな目にあってたまるかっての」
桜「か、感想メール、お待ちしてます。なお、『受難』は、ネタがあれば――」
九「まだ生きていたか!」
ドバシャッ!
桜「ゲフウ!」
ちゃんちゃん♪
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