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悠久戦記 〜トワノセンキ〜 Scene.12 (H:小説+その他 M:九峪・日魅子・上乃・伊万里・星華・伊雅・キョウ・清瑞・音羽 J:シリアス)
日時: 06/13 21:21
著者: 甚平   <sima.sakon.katutake@gmail.com>




  悠久戦記 〜トワノセンキ〜


    Scene.12



肌をじりじりと焼いてくる剣気には、まるで物理的な熱量さえあるのかと疑うばかりだ。

剣の道の極意に、『先の先』というものがある。広く知られる意味合いは、相手の動きに先んじて動くとされるものであるが、この場合はより究極的に、戦う以前から勝利するという意味を含んでいる。

それはまた戦わずして勝つとも呼べる、剣豪宮本武蔵がたどり着いた武の極致を指す極意だ。

戦う前から、相対する前から、勝負を決する。達人が達人たる所以でもあろう。

そのような高みに伊万里があるかと問えば、自ら否と答えざるを得ない。

眼前で木刀を構える伊雅の気迫は圧倒的であった。実力の差を痛感させられる。切り結んだのもせいぜい数打くらいだが、すでに百合渡り合ったような疲労感が全身に広がっていた。汗は止まらない。木刀とは、はてこうまで重いものだったろうか。常人の女性ならたしかに重かろうが、さりとて伊万里は苦ともしてこなかったのに、腕の筋肉が悲鳴を上げていた。

――自覚しているだけで、五回、私は殺されている。一回目は脳天から真っ二つ、二回目は両腕を切り落とされ、三回目に腹部を突かれ、四回目は左肩から袈裟斬りに振り落とされ、最後に真横から胴薙ぎされ果てた。

覚えているだけでなのだから、実際にはまだ殺されていると考えたほうがいいだろう。きっと両の手、十の指でも数え切れないだろうほど殺された。いま手にしている獲物が、一本数千円の木刀などでなく、お互いに鋼を鍛えた真剣であったなら。考えるだに恐ろしい。

――強すぎる。義父さんよりも強い。

世間的な知名度こそローカルなレベルであった養父も、しかし剣の道にあるものの間では、非常の剣豪として名声を得ていたことを、伊万里はちゃんと知っている。そのような人物が剣の師であったから、伊万里もその剣才を遺憾無く拓くことができたのだ。

父より強い剣士を知らない。いや、存在すらしない。どこか心の奥底に抱いていた想いを、この伊雅という初老の男に切り払われ、だがそういった事実に大したショックを受けることもなかった。世の中は広い、それだけのことだったと、案外素直に伊万里は受け入れられた。父は強かった。その父の剣を受け継いでいることに誇りもある。だが、それがすべてではなかった。

発見であった。

「さすがは県居趙二郎の娘だ。よい太刀筋をしている。素質もある」

構えを解いた伊雅が、額にうっすらと浮かんでいる汗を、手ぬぐいでさっと拭き取る。軽い運動をしたような伊雅に比して、すでに伊万里のシャツは汗を吸うだけ吸って重くなっていた。

肩で呼吸する伊万里は、何も言葉がない。伊雅が、髭面に笑みを浮かべた。

「しかし未熟。もっと研鑽を積まねばならんな」

そんなことは百も承知だったが、伊万里は、ただ頷いて応える他なかった。

さて、と。伊雅の視線が、縁側に腰掛けている上乃へと向けられた。細い肩がビクリと跳ねた。

「あ、あたし、ですかぁ?」

うむ。伊雅が頷く。

疲れきっている伊万里を見やった上乃が、頬を引きつらせて、両手を前に出した。

「あ、あたしは、エンリョしときますー」

「いやいや、遠慮することはない。さ、きなさい」

「えーっとぉ〜・・・・・・だめ?」

うむ。伊雅がまたも頷く。

あぁ・・・・・・上乃は空を仰ぎ見た。伊万里と同じになる予感がしていた。






いろんなことがあったせいだろう。あまりに濃密な時間を過ごしたせいだろう。

わずか一日だけ留守にしていただけなのに、こんなにも我が家を懐かしく感じるのは。

玄関、リビング、自室、はてはトイレに至るまで。まるで十数年ぶりの帰省を噛みしめるような気持ちで、九峪は住み慣れた家屋を隅から隅まで観察して回った。

変わっていない、なにも。いや当たり前のことであるが、その当たり前が殊の外嬉しく思える。

こうして静かな家の中にいると、ここ数日の出来事を信じられなくなりそうだ。

時刻は午前11時頃。宗像神社にしばらく居候することと決めた九峪と日魅子は、当面の着替えなどを取りに、一時的に帰宅することにした。着替えやら歯ブラシやらを一式揃えるだけの資金の持ち合わせなどあるわけもないし、ましてや星華ら宗像の方々に工面してもらうわけにもいかない。

衣類を数組、歯ブラシなどを大きいサイズのリュックに詰め込んで、九峪はちらりと机に目を向けた。中学時代に買ってもらったデスクには、小さなブックラックとパソコンが備えられて、あまり勉強のために活用されることはなかった。ラックに揃えられた授業で使う教科書類をどうしようか、それが迷った。

これから先、学校へ行くことはあるのだろうか。思い出すのは、部活仲間の顔ばかりだ。‫日魅子の幼馴染である自分、その自分と関わっていたがために魔獣に食い殺されたみんなのことを思うと、どうしてクラスメイトがそうならないと言い切れるだろう。

学校へは行くべきでないのかもしれない。そんな考えがずしりと重く九峪の全身にのしかかった。これだけで、これだけの想像で、またひとつ日常を失う事になる。

そのような状況が恐ろしい、心底。狂っているとしか思えない。ありえない、あってはならない現実だ。

「おい、まだか」

部屋のドアの向こうからかえられる声に、はっと九峪の意識が思考の渦から掬い上げられる。

「わるい、もうちっとだけ」

「あまり時間をかけるな、お前の両親が戻ってくるかもしれないんだろう」

「そうだけどよ、いろいろあるだろ、オトコノコにはさ」

「いいから黙って支度をしろ」

「・・・・・・へいへい」

つっけんどんな物言いに九峪は唇を尖らせた。ドアの向こうに待たせている女性――伊雅の養子だという清瑞は、どうにも態度が冷たい。見目はこれでもかと美しいが、それはまるで氷の彫像を見るような印象を受けさせる。ただし人間味がないというわけではない。

顔はかわいいのになー・・・・・・などと不埒なことを考えながら、教科書のことは頭から追い出した。登校するしないは、自分ひとりで決めていいものではないだろう。伊雅たちに相談して、そのときに決めればいい。

リュックのジッパーを閉じて、立ち上がる。ざっと部屋を見回す。あまり散らかってはいないけど、不思議と、無性に、掃除機の一つでもかけてやりたい衝動に駆られて、そんな自分の感傷が少しだけおかしかった。まるで死期を目前に控えた人間のようだ。

やめとこう。そんなことをしたら、もう二度とここへは戻ってこられなくなるような気がする。何かしら明日へと繋げるものを残しておきたい。掃除はいつか、帰ってきた時に。

――いつかって、いつだろう。

「・・・・・・考えたって仕方ないよな、いまは」

「終わったのか?」

「ああ、待たせてごめん。行こう――」ドアノブに手をかける直前、九峪は身を翻して机によると、メモ帳にペンを走らせた。

普段たいして使われることないメモ帳に、珍しく文字が綴られる。「おいッ」清瑞の苛立たしげな声が背中に刺さる。

――『自分探しの旅に出ます。そのうち戻る』

「・・・・・・自分探しってなんだっつーの」

自分で書いた文句に苦笑して、おそらくこれを読んで驚くだろう両親に心の中で謝罪する。「――よしっ」

今度こそ九峪は振り返らずドアを開けた。開けて、後悔した。

清瑞がめっさ睨んでいる。まさに絶対零度の視線である。

「貴様はいったいどれだけ手間取るんだ。化粧でもしていたのか」

ぶるりと身を震わせながら、なんとか場を誤魔化そうと九峪の顔面の下手くそな愛想笑いが貼り付けられる。

「いやいや清瑞さん、おれは見ての通りのノーメイクでして」

「言いたいことはそれだけか、それだけだな」

アカン。九峪は生唾を飲み込んだ。「命だけは勘弁してください」

幸いにも刃傷沙汰を回避し、2人は連れ立って九峪宅を後にする。中古物件であったが夢のマイホーム、九峪は小学生のとき、マンションからこの家へ越してきた。

修学旅行や部活の合宿を除いて、おそらく始めて、九峪はこの家を離れることになった。いつか戻れるとしても、まさかこんな形で家を出る日がこようとは、どうして想像できるだろう。

「ホームシックか?」

「まだ玄関前じゃねーか。早すぎんだろいくらなんでも」

そう言いつつも、あるいはそうかもしれないと九峪は思っていた。

九峪と日魅子がいつも登校中に合流している場所まで、徒歩でもおよそ10分ほどはかかる。そこが日魅子との待ち合わせ場所である。途中で魔獣などに襲われることを懸念して、九峪には清瑞が護衛として付けられた。日魅子には音羽という名の大柄な女性がついている。いつだか夕暮れどきの公園で、九峪と一戦交えた槍使いの女だ。

神社を出る直前、清瑞と音羽を伊雅から紹介されたとき、九峪はそれは心底驚いたものだ。何しろ茜色に染まる公園で、あの凶暴な魔獣を大きな槍でなぎ払い、自分とも戦った女が目の前にいたからだが、それは音羽にとっても同様のことで、お互い様だった。

さらに聞くと、星華の占い導き出した人間を探そうにも情報の不足に悩んでいた伊雅は、音羽から九峪のことを聞いてもしやと思い至ったらしい。顔の特徴や背格好にあった人間で、天魔鏡を持っているだろう人間を探して、ようやく見つけたとは伊雅の談だ。

連れ立って住宅地の歩道すらない狭い道を歩きながらも、九峪の目は自然、どうしても清瑞へと向いてしまう。それはどうしようもないことなのだ。ストレッチデニムのホットパンツから伸びる美脚、健康的で引き締まった腰周り、シャツを押上げてはばからない大きな双丘。後ろでまとめられた豊かな長髪も、よくわからん英語の書かれたキャップも、活動的な美しさを演出している。男なら誰しもが目を奪われるだろう。

九峪雅比古17歳(童貞)。つまりはそういうことである。

ちなみに清瑞の姿形のうち、何もその見目の良さだけが九峪の気にするところではない。カジュアル極まる格好に、とてつもなく不釣合いなものを背中に背負っているからでもある。

明らかに時代を逆行しすぎている物体――どこからどう見ても、それは日本刀と呼ばれるものではなかろうか。伊万里のもっている刀よりやや刀身は短いが、それにしても年頃の娘が持つにはあまりに物々しい。さらには時代劇に出てくる忍者がよく使う怪しげな飛び道具らしきものもちらほら。物騒なことこの上ない。

しかし、そのような危険物を背負っているにもかかわらず、お巡りさんが銃刀法違反で検挙してきたり、道行く人々がまったく気にもしていない。柄や鞘に貼られている何やら怪しげな御札のおかげらしいが、九峪にはよくわからなかった。

「なぁ清瑞さん、あんたも化物――魔獣と戦うのか?」

九峪の質問を横に聞いて、清瑞は視線をくれることもなく、ややあって口を開いた。

「必要ならばそうする」

「――いままで何体くらいと戦ってきた?」

「少なくとも貴様が倒してきた数以上だ」

会話はそこで途切れた。

待ち合わせ場所にまず最初に到着したのは九峪たちだった。九峪の荷物はビッグサイズのリュック一つ分。部活の合宿や山登りをしているから、自然と荷造りも無駄なく済ませられるようになる。その点で言えば、やはり日魅子の荷物は非常にかさばるものだった。

九峪と同じようにリュックを背負いながら、右手で引くのはキャリーケースだ。それだけに留まらず、護衛でついて行っていたはずの音羽も、パンパンに膨れ上がったバッグを持たされている有様だった。そんな様子で「おまたせー」なんて呑気に言われて、九峪と清瑞は思わず互の顔を見合わせてしまった。

「・・・・・・お前なぁ」

どう見てもデッドウェイトすぎる荷物に、九峪の頭が痛くなる。男女の性差を差し引いても、これは多すぎるだろう。荷造りを手伝わされたらしい音羽の顔色にも、いささか疲労が浮かんでいる。

「旅行に行くんじゃ・・・・・・旅行でもこんなにいらねーだろ」

「九峪、お前からも言ってやってくれ。私の言葉はどうやら‌届いていないようなんだ」

心なしか音羽がげっそりしている。

「・・・・・・と、音羽さんはおっしゃっていますけど、日魅子さん?」

「だって」日魅子がいささかバツの悪そうな顔をしながら、リュックを両腕に抱いた。「・・・・・・不安、なんだもん」

言葉の最後の方は、まるで消え入りそうなほど小さく尻すぼみしていった。荷造りの手伝いをさせられた音羽が、わずかに同情の色を顔に浮かべたのを九峪は見た。

多少の思い切りが九峪にはある。クライミングでは肉体の強さと同じかそれ以上に、精神的な強靭さが求められる。瞬間的な判断力、危機に立ち向かう度胸、ギリギリの一線で持ちこたえる根性と粘り強さ、そして日々の努力。それらが総じて、九峪に今回の出来事へ対する向き合い方を決めさせたと言っていい。

しかるに日魅子にはそのような強さがない。危険な状況に対する耐性があまりにもなさすぎる。自分の世界を形作る日常をなんとしても手元に置いておきたいという防衛精神が、大きくなりすぎた荷物には現れていた。

そのことに気づいた九峪の口からは、それ以上の戒めの言葉が出てこなかった。清瑞も音羽も、何も言えなかった。

――そうなんだよな。納得が九峪に落ちてきた。――普通は、そうなんだよな。

普通というものを忘れそうになっている自分に気づいた。おれはあまりにも、状況に慣れすぎているんじゃないのか。

自分という人間が、わからなくなる。

リュックを腕に抱く日魅子が、ずっと上目に九峪を見続けている。黙ってしまったことを不安に思っている顔をしている。日魅子はただ、自分の世界を守ろうとしている。たとえそれが現実逃避であっても、否定することが九峪にはできないし、そのような権利も資格もない。

失えないものがたくさんある。失いたくないものもたくさんある。欲張りなまでに、自分たちはいろんなものを抱えて生きていたのだということを、思い知らされた数日間だった。

だから守るのだと九峪は誓い、戦うための決意を固めたのだ。そのために何かを捨てるというのは、理に叶わずとも本末転倒ではなかろうか。

捨てられないなら、背負ったまま戦うしかない。それを無理だとは、このときの九峪は言いたくなかった。

「しょうがないな」

だから九峪はこういうとき、いつも自分から折れるしかなかった。

「その代わり、怒られる時はひとりで怒られろよな」

ぶっきらぼうに言うと、九峪はさっさと歩き出した。陽気のせいで立ち止まっていても額から汗が流れてくる。それを理由にして、歩き出している自分を言い聞かせていた。その表情が優しげであることを、日魅子に知られたくなかった。






長ったらしい石階段を上った先で、ひとりの男が仁王立ちに待っていた。

伊雅である。

そのすぐ側には伊万里と上乃もいたが、そちらへ言葉をかけようと九峪が手を挙げかけたとき、ぎょっと目を見開いた。

ダンッと思い一歩が境内に響いたような気がした。伊雅の踏み出した右足から、それが人体の繰り出す足音かと疑うばかりの音だった。武人として鍛え抜かれた一歩だったが、戦士として素人同然の九峪や日魅子を戦慄させるには十分であった。

二歩。速い。地を蹴った体躯が猪突猛進してくる。九峪に向かって、まるで一発の弾丸のように突き進んでくる闘気の塊に、九峪の身体は後ずさった。魔獣を相手にした時と同じような恐怖と圧力が全身を後ろへと押し込んでくる。いま、自分が何をされようとしているのかも理解していないまま、肉体の最奥でまばゆく弾けたちからが、九峪の手のうちにカタチを創った。

「――なんで!?」

九峪は驚きはもっともだった。炎御剣がここまで激しく燃え盛るのは、魔獣のような存在を感知したときだけだった。伊雅は、人間である。殺気とすら呼んでいい伊雅の気迫に、明確な敵として炎御剣は防衛体制をとったのだ。

それだけ、伊雅は本気だった。本気で、剣を抜いた。

真剣。その認識が、九峪の腕を動かした。

刃と刃が爆ぜた。

耳に震える刃の衝突音に、日魅子は両耳をふさいだ。知らず瞳も固く閉じて、頭を低くしていた。それから、伊雅の一撃で後ろへとたたらを踏む九峪を見た。

九峪ッと叫んでいたが、その声が届いている様子はなかった。

「ちょっと、なによこれ!?」

日魅子が清瑞を見上げた。涼しい貌で見下ろされたが、何も答えてはくれなかった。次に音羽を見やると、こちらは少し驚いた顔をしていた。どうやら音羽にも理解しきれない事態のようだった。

「ねぇ音羽さんッ!?」

「わ、私に聞かないでくれ! 何が何やら・・・・・・」

狼狽する音羽も、動じずにいる清瑞へ救いの視線を向ける。何かしらの事情を知っていなければ、こうも冷静ではいられまいと思うのが当然だ。しかし清瑞から返された言葉は「知らない」の一言だった。「だが――」と続く言葉は、切り込みかかる伊雅へ視線を向けながら発せられた。

「父さんが意味もなくこのようなことをするとは思えない」

「そりゃあそうだけど・・・・・・」

「だからその理由が知りたいんだってば!」

地団駄を踏む日魅子をまるで居ないもののように無視する清瑞の目が、静かに佇んでいる伊万里と上乃へも向けられる。よほど感情豊かに育ったのか、今にも殺されそうにしか見えない九峪をハラハラして見つめているのは上乃である。隣の伊万里もそこまでではないが、表情の引き締まりからそれなりに緊張しているのが分かる。

――少なくとも、あの2人には了解済みということか。

伊万里と上乃の両名は、九峪の友人であると聞いている。その2人が伊雅の犯した突然の暴力を止めようとしないのは、そういう理由でもない限り不可解でしかない。

いま一度、清瑞が九峪と伊雅の方を向く。迷いなく振り下ろされる真剣一撃に、死を感じない呑気者などそうは居るまい。逃げるにしろ迎えるにしろ、ただ大人しく切り捨てられるようなことにはならない。現に九峪もわけなどわからないまま、炎々たる御剣の刃で受け止める。ずっしと両腕に、腰に、足にかかる負荷のなんと重々しいことか。伊万里の道場で戦った魔獣の攻撃を思い出し、背筋が震えた。

こんなのが人間の力かよ! 叫びたかったが、それも許されない。重さに負けて傾く刃をすべるように、伊雅の刃が顔面めがけて振り上げられる。振り下ろされたはずの刃が、地面へ下るのではなく九峪の頭へ駆け上がる。その技の意味を理解できるほど九峪はまだ強くなく、伊万里と上乃の肝が冷えた。それはかつて実父であり養父であった趙二郎も魅せた剣技であった。

剣を振るうものの妙技、とも呼べようか。

誰もがこの瞬間、九峪の死を思い浮かべるに違いない。それだけ伊雅の技は素晴らしくそして避けようもない。

思わず伊万里が駆け出しかける。目を閉じた日魅子の横で、なお冷静なのは清瑞ひとり。

九峪こそが死を感じた。バカでもわかる。これは死んだ。帰ってくるなりいきなり襲われ、だれも助けてくれず、何が何だかわからないまま死ぬ、殺される、切り捨てられる。その程度の想像力はあった。

おそらく無意識のことだった。眼球がわずかに動いた。視線がとらえたのは、迫り来る刃でも、悪鬼の如き伊雅の形相でも、助けてくれない伊万里たちでもない。

目を閉じて泣き叫んでいる、日魅子の姿だった。

脳裏で光ったのは、発掘現場で始めて魔獣に襲われた、あの一夜。

叫んでいた。我武者羅に。顎のすぐそばまで迫る白刃が、鼻先を掠めた。わずかに仰け反ったのは、伊雅の攻撃を避けるためではなかった。それはただ副次的な結果であって、振り上げた右足が伊雅の脇腹を蹴り払った。

ぬぉッ!? さすがに意表をつかれたのか伊雅が姿勢を崩す。剣を振り上げた勢いも相まって、体勢が前のめりになる。

一方で九峪はと言うと、蹴り上げたまま無様にもんどりうって地面を転がった。しかし先程までの死の予感が、異常なまでに九峪の全身を活性化させていた。

死の恐怖を乗り越えた先にあるものとは、生命へ対する激烈な執着心である。いまそれが九峪を突き動かす原動力として、疑問ばかりだった瞳に純然たる闘志を灯らせている。

やらなきゃ――殺られるッ!

咆哮を置き去りに、高く構えた炎御剣が伊雅へと飛びかかる。すでに伊雅は迎え撃てる状態にあった。伊雅が叫んだ。「その意気や良しッ!!」

避けることもいなすこともせず、真正面から九峪を受け止める。若々しく荒々しく、そして雄々しい一撃だと感じた。しかしそれだけだとも思った。刃を受け止めてみれば、相手の力量というものはわかる。力はあるほうだ、体幹の鍛え方も悪くない。これがもし人間同士の殺し合いであったなら、勝機を得るには及第点をくれてやってもいい。

それでも伊雅を恐怖させるにはまだまだ足りない。

九峪の攻撃を力で受け止めていた伊雅が、その瞬間、それまでとまったく異なる足捌きで身体を右へわずかに空した。炎御剣の剣線からわずかにずれて、己の剣の腹を軽く当てるようにして、それだけで九峪の攻撃は面白いように地面へと吸い込まれていった。

すとんっ――と、そんな軽い音が聞こえてきそうなほど簡単に。

我を忘れそうなほど責め立てていた九峪の動きが瞬く間に止まった。何をされたのか、何が起きたのか、それもわからない。気が付けば切っ先が地面を裂いていた。鈍い振動が腕に痺れて、すかさず上げた目に見えたのは、圧倒的な伊雅の存在感であった。

すでに伊雅の腕は高く、刃も陽光に煌めいている。

――あっ。

わかった、しんだ。

日魅子の叫び声が聞こえる。

「――〜〜〜ッ!?」

脳天に激痛が走った、非常に硬い何かで殴られたように。視界がぶれて、意識も飛びかけた。顔面から地面に叩きつけられた九峪は、頭頂部を手で押さえてその場を転げ回った。

「――いってええぇッ!?」

「痛いではないわバカタレ! 今のが魔獣だったら殺されとるぞ!」

ぬおぉおぉ――・・・・・・九峪の苦悶が境内を漂う。剣の腹で殴られれば、誰であっても沈む。伊万里と上乃はゾッとした。幼い頃、趙二郎に同様の『お仕置き』をされたのを思い出したのだ。無論それなりに手加減されていたとはいえ、力の入れようでは簡単に人を殺せるようなもので、実際に戦場の刀術でも使われている。『刀背打ち』と呼ばれる技の亜種である。

地面でビクビクと横たわる九峪を見下ろす伊雅のため息は大きかった。

さっきまで叫んでいた日魅子が、剣を鞘に戻した伊雅から先程までの燃えるような意思が嘘のように鎮火しているのに気づき、口を阿呆の如く開けたまま音羽のほうを向いた。「・・・・・・なにごと? どゆこと?」

「だから聞かないでくれ・・・・・・」

「・・・・・・清瑞さん?」

「知らん」

やはりあまり興味がないようだった。

しばしして頭部の痛みが引いてきたのか、九峪が立ち上がる。たんこぶが出来ていた。目尻には涙さえ滲んでいる。

「九峪、大丈夫か?」

小走りに駆け寄ってきた伊万里を、恨めしげに九峪が見上げた。

「先輩、なんすかこれ!?」

「すまない――」

いささかバツの悪そうに顔を歪める伊万里に変わって、険のとれた表情の伊雅が応える。

「そんな目で見てやるな。お前のためにと頼まれてやったのだ」

そんなことを言われても九峪には得心がいかない。

「あのな――」伊万里が言う。

「伊雅さんに稽古をつけてほしいと頼んだんだ。その・・・・・・お前の」

「おれ? なんでまた」

「早い話し、お前の戦い方がなっておらんということだ」

伊万里の言葉を継いだ伊雅が、自らの剣の柄を握る。

「炎御剣が『剣』である意味をわかっておらん。言うなれば今現在のお前は、ただ単に巨大な松明を我武者羅に振り回しているに過ぎん。人間同士の戦いであれば、相手よりも強く、早くさえあればそれでよくとも、肉体能力でどうしても勝る魔獣が相手ではそうもいかん」

『剣』である意味――その一言が、九峪の耳朶に残った。夜の道場で戦う伊万里と上乃は、まるで舞うように戦っていた。美しく弧を描いた刃の動きに魅入っていた自分を思い出した。それが、図星となって九峪に刺さった。

「力でも、速さでも、皮膚の厚さや骨の太さですら負けている我々人間が、あのバケモノどもと渡り合うには何が必要か」

「炎御剣はたしかに強力だと思う。こと魔獣に関して言うと、絶対的な破壊力を持っているとも思う。でも、それだけが決定打にならないことは――九峪だって、もうわかっているんじゃないのか?」

静かに語りかける伊万里に、九峪は何も言えない。わかっている。伊万里と自分と、明らかに何がことなっているのか。

魔獣の振り下ろした爪を炎御剣で『受け止め膝をついた』自分。

魔獣の繰り出す攻撃を『逸らした上で反撃してみせた』伊万里や上乃。

九峪の刃を地面に叩き落とし、あまつさえありえない軌道で駆け上がってきた先ほどの伊雅の攻撃。

なんていうことのないことだが、九峪は、己の手のひらに視線を落とす。炎御剣の失せた手には何もない。

もし自分に炎御剣がなければ――

「己より強いものと戦うには、相応の技術が必要だ」

伊雅の力強い言葉は、まるで呪文のように九峪の心に響いた。

「でなくば、守りたいものも守れんぞ、小僧」

――そうだ。

九峪には、守りたいものが、ある。たくさん奪われてきたけれど、まだ、守れるものがる。

背中に感じる日魅子の存在、目の前の伊万里や上乃――

伊雅が、大きく見える。あたかも泰山を見上げるような気持ちである。

脳天に残る鈍痛が、今の自分の程度を物語っている。それが悔しかった。血が滲みそうなほど、九峪は唇を噛んだ。

まだまだ弱い己に気づいて。



九峪と伊雅の短い死闘を、キョウと星華は建物の影からずっと見ていた。

俯いている九峪の表情はわからない。

「――やっぱり、オイラの知っている九峪とは、ちょっと違うみたいだ」

星華も小さく頷いた。

「ですが、九峪様は九峪様です」

「そうなんだよね。・・・・・・ねぇ星華?」

「なんでしょう?」

「君は、何をどれだけ覚えているのかな」

キョウの問いに、星華は難しそうに唸った。

「ほんの少し、ささいなものです。前世――とでも言うのでしょうか。私の巫女としての能力、火魅子の血が為す奇跡が、そうさせたのでしょうけれど」

星華の胸の奥に眠る、自分ではない自分の記憶。遠い々々いつかの想い出。

それは思い出そうとしても、濃い霧の向こうでいつも霞んでいるようで、それなのに、たしかに己の内でいつも鮮明に光り輝いている。

覚えていること思い出せること、ほんとうに少なくて掬っても零れてしまいそうだ。

ただやはり、いつも太陽のように希望を照らし続けた男の顔だけが、はっきりと思い出せる。

それはきっと、大昔の私が――

「九峪は九峪、か・・・・・・」

顔を上げた九峪の、悔しさを噛み締める唇と、なお消えない光の宿る瞳。

それが、かつての九峪と現代の九峪を、キョウのなかで重ね合わせている。

「君はキミではないけれど、きっとまた、たくさんの仲間ができて、そして頼りにされるんだろうね」

たとえその肉体に宿した素質は違えども、それが九峪という男であるのならば、なるべくして九峪は九峪となる。

そのことに、キョウは期待する自分を心地よくも感じていた。






九峪雅比古、姫島日魅子の両名が失踪。

県居伊万里、県居上乃の両名もまた失踪。

藤那は自分のデスクに広げられている4人の顔写真やプロフィールを睨みつけながら、ひたすら考えていた。

彼らは互いが関係を持っている。相関的な繋がりを考えれば、この失踪が示し合わせたものであることなど容易に想像することもできる。

返す々々も伊万里たちを訪ねた時の自分の考えがいかに甘かったかがわかる。

あの直後だ、4人が揃っていなくなったのは。

「くそッ――まるで私から逃げるように居なくなりおって」

それもまた藤那の気分を悪くさせる。訪問したあの日、明らかに伊万里たちは何かを隠していた。それを暴こうとした結果がこのザマだ。

いま警察では伊万里たちの失踪の責任を誰が取るかで揉めているようなところもある。最後に接触した警察関係者は藤那であったから、そのことでいろいろイヤミやら何やらを言われたりもした。

それはかなり面白くないことであったが、しかしこの一件が、やはりという思いを藤那に抱かせることにもなった。

「九峪、姫島、県居姉妹。こいつらはたんなる被害者じゃない」

――何かを知っている、この事件の何かを。

巻き込まれたから知ったのか、生き残ったから知ったのか、あるいは知っているから襲われたのか、なぜ警察から逃げたのか。それは何もわからないが。

忽然と姿を消した4人を結ぶ何かがある、絶対に。

クシャッ――写真の貼られた書類にシワが寄る。藤那の拳が震えている。

「どこにいるんだ、お前たちは――ッ!」

手がかりはそこにありそうで、まだ遠い。写真の4人が恨めしくさえあった。
































































 あとがき


どうも、ご無沙汰しております。

甚平でございます。

またもやお久しぶりの投稿となりました、悠久戦記 〜トワノセンキ〜 Scene.12 いかがでしたでしょうか。

なんだか年々仕事が忙しかったり休みも忙しかったりして、なかなか書いている暇がなかったり読んでる暇もなかったり。

現在は仕事と家事に追い回されて、目が回りそうです。

若干のリハビリ臭はご勘弁。

で、今回。

九峪フルボッコ。

なかなか更新スピードがアレなので、プロットでは2話使うはずのお話を、今回1話に収めました。

やや窮屈な感じだったり物足りなかったりあるかもしれませんが、お許し下さい。

次回、未定。

気長にお付き合いください。

そして。

水谷優子さん、ご冥福をお祈りいたします。

ではこの辺で。

ありがとうございました!